皇女戦記   作:ナレーさんの中の人

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閑話みたいなもの
(意)ヤマモトレイの趣味

本当は後ろに投げるつもりでしたが、迷列車シリーズにギースルエジェクタの動画が出てきたので…つい。


軌道上の怪物

統一歴1926年7月のある日のことである。

 

「…こんなことが、本当に可能なのか?」

 

百戦錬磨の戦務参謀次長、ハンス・フォン・ゼートゥーアが困惑していた。

その理由は目の前の男、鉄道部所属ウーガ少佐から提出された、一枚のレポートにある。

 

 

 

 

『弾丸輸送計画』

 

 

本計画は、帝国陸軍の行動範囲の飛躍的増大に伴い、目下問題となりつつある輸送量及び輸送速度の飛躍的改善を図るものである。

具体的には現在進行中の「東部鉄道延伸計画」および目下量産中の新型蒸気機関車を以て

 

 

 

()()()()()()()クラスの貨物編成を、平均時速()()()()()で運行することで、兵站状況の劇的な改善を図る。

 

 

 

―― こんな次元の違う鉄道輸送が可能なのか?

 

報告を受けた、ハンス・フォン・ゼートゥーアの偽らざる感想である。

なにしろ既存の鉄道輸送とはあまりにもかけ離れた速度と輸送量である。戦務が長いゼートゥーアなればこそ、その計画は無謀にも見えたのであるが…。

 

「問題はありません」

 

報告者、ウーガ少佐は自信たっぷりに言い切った。

 

()()ならば、問題なく実現できるでしょう」

 

それだけのものが、このとき、帝国が世界に誇る機関車メーカー(変態)には存在したのである…。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

事の発端は一年前の1925年9月。

場所はフランソワ共和国北部、ブレスト近郊の機関区でのこと。

 

 

 

この地域はドードーバード海峡を隔てて連合王国と接する要地であったため、共和国と帝国の講和条約のなかで『北部安全保障地域』、すなわち帝国が占領統治する地域とされていた。

その占領統治開始から数ヶ月がたったこのころ、帝国側担当者はようやくまとまった各種資料を検めていく中で、ある項目に目を止めた。

 

『ダンケルク機関区保有機関車状況』

その下には、こんなことが書かれていた。

 

○○号車 クルップ式(1920年クルップ社より購入)

△号車 クルップ式(同上)

◇◇号車 クルップ式(同上)

○●号車 クルップ式(1922年マッファイ社より購入)

■■号車 クルップ式(同上)

◇◎号車 クルップ式(同上)

 

 

―― 実はクルップ式、その性能と低価格から共和国の蒸気機関車界を席巻していた。

共和国政府が事態に気づき、慌てて関税を引き上げたとき、既に東部や北部の蒸気機関車は旅客用を除けばほとんどクルップ式と言う状態に陥ってしまっていた。

このことが共和国の危機感をあおり、対帝国戦への導火線となったほどである。

 

ゆえに1925年9月現在、やたらとクルップ式が多いことには何の疑問もない。

だが、担当者が目を留めたのは別の部分であった。

 

 

 

『クルップ式()()形 1919年購入、1925年()()()

 

 

 

何台かある、そう記された車両である。

実はこの担当者、戦前は戦務局鉄道課に勤務していた時期があり、輸送量の計算のためにクルップ式の概要を知っていた。だから、その改造の異常性に気付けたのである。

彼は詳細な調査を部下に指示するとともに、古巣の鉄道局に緊急連絡を行った。

 

 

 

 

 

『共和国、既存蒸気機関車の出力を()()()向上させる改造技術を有する模様』

 

 

 

 

 

「「「「「「なぁにぃぃぃぃいいいい!?」」」」」」

 

鉄道部は勿論、クルップ式の故郷クルップ社の技術チームも仰天した。

そんな馬鹿なと、送られてきた情報と自社の出荷台帳*1を突合させた結果、確かに6年前に納入したモノで間違いなかった。

大戦勃発によりそれ以降の情報がクルップ社には届いておらず、数年ぶりに届いた今回の内容に技術チームは仰天した。

 

「機関出力が…5割近く跳ね上がっている!?」

「馬鹿な!?」

「あり得ん!!」

「出荷時のデータが間違っていたのでは!?」

「いや、それはない。そもそもこの製造ロットではこれほどの出力を出せるはずがない。

…やはり改造によるものとしか…」

「フランソワの奴ら、一体何をしやがった!?」

 

 

 

―― なにかが、ある ――

 

 

 

そう確信し、続報を待っていた彼らのもとに、帝国陸軍フランソワ方面軍の紹介状を携えて一人の男が現れたのは1925年のクリスマス前日。

 

『わが社にとって、最高のクリスマスであった』

 

後にクルップ社会長となった折、技師長グスタフはその様に述懐している。

 

 

 

 

 

男の名は、アンドレイ・シャーブロウ

 

 

 

 

 

後世、『魔術師』と呼ばれることになる、フランソワ共和国が生んだ天才技術者であった。

 

 

クルップ社に到着した彼は、開口一番にこういった。

 

「クルップ式はいい機関車だ、認めよう。

だが、それだけに勿体ない!折角の基本コンセプトを設計の甘さが台無しにしている!」

 

【挿絵表示】

 

 

クルップ社の技術陣は激怒した。

何と言っても自分たちの自信作、我が子のような機関車である。それをこうも、しかもフランソワ人に言われるなど、屈辱以外の何物でもない。

当然、彼の真正面に座っていたグスタフ技師長とて、内心穏やかではない。

だが、目の前の男が口先だけのフランソワ野郎ではないことを技師たちは知っていた。クルップ式の出力を改造で5割近く跳ね上げるという、前代未聞の実績がこいつにはあるのだ。

ゆえに、グスタフは精神力を総動員して怒りを抑えつつ、目の前の男に問いかけた。

 

 

「…面白いことを言う奴だ。…宗派はどこかね(戒名に必要でね)?」

「生憎と蒸気機関車一筋でね。しいて言うならコンパウンド式*2かな?」

「フ…、ハッハッハッ!良い返事だ。…それで?どこが甘いと言うのだね?」

 

 

それに対するシャーブロウの答えは明快であった。

 

 

『余りに経験と勘に頼りすぎている』

 

 

彼に言わせれば、クルップ式に限らず、既存の蒸気機関は『科学的分析』とは無縁の『カン』に多くを依拠しすぎており非効率的に過ぎた。

 

「クルップ式はまだ良い方…いや、全体構成は一番合理的と言えるだろう。だが、各パーツを見るとまだまだ甘い。それを洗練させることで、こいつはそのポテンシャルを十全に発揮できるはずだ」

「…君がフランソワでやったと言う改造はそれかね?」

「そうだ。アレには『科学分析』の手法を取り入れている。具体的には熱力学や流体力学の知見を取り入れているのさ」

「ほほぅ…」

 

グスタフは考えた。

確かに蒸気機関車の設計は過去の設計の焼き直し、改良が殆どだ。

なにせ基本構成自体、『ロケッツ号(1820年)』からほとんど変わっていないくらいである。クルップ式にしても既にあった各種技術を組み合わせたものであり、全くの新種かと言われると微妙なところがある…。

なにより、彼の『分析結果』が理屈倒れの代物でないことは既に証明済み。

 

ならば――

 

「…ウチの工場に、クルップ式の部品が数台分ある」

「ほぅ?」

「技師長!?」

 

自分達のボスが何を言い出すのかを悟った技師が慌てだすが、グスタフは止まらなかった。

 

 

 

 

「君にそれを預けよう。貴様の言う『洗練』とやらを見せてもらいたい」

「…良いだろう。フランソワの叡智、とくと御覧じろ」

 

 

 

 

大見得を切ったシャーブロウだが、実は彼、故郷フランソワでは運の無い男だった。

…無論、グスタフは知る由もなかったが。

 

 

そもそも彼は産まれついての蒸気機関車好きであり、最初の就職ももちろん鉄道会社。

そこで彼は大学時代に培った能力を生かし、積極的に改善案を提出していった。

…だが、会社の上層部は彼の研究、提言に全く理解を示さないどころか――

 

 

 

 

 

うるさい彼を、電話事業部へ左遷した。

 

 

 

 

嫌気がさした彼は別の鉄道会社に転職。ここでは念願かなって調査・研究部門に配属され、様々な革新的な蒸気機関車改良案を提示していくこととなる。彼の『分析』は徹底しており、当時最新鋭の高速ストロボスコープ写真を利用して蒸気流を見るなど、利用できるもっとも鋭敏で正確な検知装置を用いていた。

 

 

 

…だが、今度は不況とクルップ式の席捲が彼の改良案の実現を阻んだ。

 

 

 

不況下で新型機関車の設計はストップし、やがて共和国の蒸気機関車はクルップ式に置き換えられていった。

そもそも共和国は石炭の質が悪く粉末状で、かつ値段が高いと言うハンデに悩まされていた。クルップ式が売れたのには、そのなんでも燃やせるバケモノ火室(『ウーチャン火室』)の存在が大きかった。

そして予算不足の中、ようやくゴーサインの出たシャーブロウ式改造は遅れに遅れ、提案から3年近く経過した1925年ようやく完成。

 

その結果に目を留めたのが、クルップ式の故郷、帝国だったという訳である。

 

 

 

 

 

 

ともあれ、約5か月後の1926年初夏。

 

 

 

「…なんなのだ、これは…」

 

 

 

手に広げた『紙』を見て、グスタフはわなわなと震えていた。

言うまでもなく、シャーブロウによる改良を受けた機関車の計測データである。

 

「いやぁ、ここの設備は素晴らしいな!職人の腕もいい!」

 

グスタフと対照的に―― 顔中石炭煤や機械油まみれで、肌色のところが見当たらないのに ――キラキラと輝いているのはシャーブロウである

 

「今までやりたくても出来なかった改造が()()()()できてしまったよ!」

「貴様、一体何をした!?」

「なぁに、単純な事さ」

 

 

思わず詰め寄るグスタフをまぁまぁとなだめながら、シャーブロウは得意げに語り始めた。

 

 

後年語られる『シャーブロウ・リビルド』の特徴として、「外見からは分かりづらい」ことがある。実際、このときも外側から見える変更点は煙突が2本に増えた程度だったという。

 

 

 

だが、その内部では恐るべき魔改造が行われていたのである。

 

 

 

一つ目は「蒸気流路(スチームサーキット)の改良」。

シャーブロウに言わせれば、これまでの蒸気機関車の蒸気管はボイラーからシリンダーまでの蒸気流路(スチームサーキット)が非効率に過ぎ、蒸気圧力の損失を招いていた。

クルップ式の場合、関節式蒸気機関車と言うこともあって更にひどい―― シャーブロウ曰く、「目も当てられない」 ――状態だった。

彼は蒸気管断面積を拡大させ、パイプの曲がりを緩くすることで絞り効果(ワイヤードローイング)による蒸気圧力の損失を軽減することに成功。

 

 

これだけで、()()25パーセントの出力上昇に成功した。

 

 

この時点でおかしいのだが、これがほんの序の口なのがシャーブロウである。

 

 

彼が次に取り組んだ改良、それこそが有名な『クルシャーブ・エキゾーストシステム』の導入である。これは「排気方式の改良」であり、シャーブロウ・リビルドの真骨頂とも言えるものであった。

 

そもそも蒸気機関車はシリンダーからの排気を煙突直下から噴き出し、それによって強制的に風の流れを作り出している。…と、いうより横置きボイラーの蒸気機関車の場合、これが無ければ蒸気機関車は始まらないといってよい。

それほど重要なメカニズムなのである。

 

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要するに霧吹きの要領であるが、その勢いの強さについてはこんな証言もある。

「――石炭は負圧で奥に持っていかれるので、手前にしっかり()()()()ねばならぬ。ショベルは投げいれる瞬間に裏返す。こうしないと火床に届かず、アーチ管の上へ吸い込まれてしまう。この要領でスコップ1杯1キロの石炭を2秒に1杯のペースで延々投げ込まねばならぬ。これを揺れる機関車でやらねばならないのだから機関助士は重労働だ。

最初の内は周りを見る余裕などない。当然、暇さえあれば投炭練習をしていた。運転台でタバコが吸えるようになったら一人前と言われたものさ」 

 

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今日われわれが蒸気機関車で聞く『ドッ、ドッ、ドッ』と言うリズミカルな音の正体、それがこのシリンダー排気による「ブラスト」なのである。

しかし、リズミカルと言うことは、その風には強弱がある。

空気の流れに強弱があると言うのは燃焼効率の面から言えば望ましくない。そこで各国はこの流れを滑らかに、そして効率的なものとするべく、色々な工夫を凝らした。

 

そんな中、統一歴1915年に協商連合出身の技術者()()()女史がとあるものを考案する。

それがこの新型排気ノズル、『クララセパレーター』である*3

 

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これはシリンダー排気を4つに分散させることで効率的な排気とすることを目指したものである。

シャーブロウはこれに加えて、その上に隙間を開けて「ペチコート」と呼ばれる円筒(メガホンをイメージしてもらうと正しいだろう)を設置。より効率的な排気を達成した。

これを『クルシャーブ(キルシャップ)・エキゾーストシステム』という。

 

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さらに火力発電所や船舶の場合、煙突を高くすることで煙突効果を期待できるが、車両高さの制限を受ける蒸気機関車では限界があった。

これに対する解決策として、シャーブロウは煙突を2本とする、「ダブル・クルシャーブ」を採用した。

 

これは統一歴1920年に帝国低地工業地域の技術者ゲイ リンが発表した「ゲイリン理論」に拠るもので、この理論に従えば煙突面積(断面)を2倍にすれば、煙突の高さを7割程度にしても同等の効果が得られるのであった。

この2本煙突も相まって出力をさらに()()()()()()()向上させることに成功。

 

 

これらの改良(魔改造)の結果をまとめると、こうなる。

 

 

蒸気流路(スチームサーキット)の改善:プラス25パーセント

クルシャーブ・エキゾーストシステムの採用:プラス25パーセント

※その他にも各種設計手直しがあったとされる

 

 

 

結果、ベースとなったクルップ式自体、誕生以来10年に渡る改良の積み重ね*4により、出力3,600馬力と言うオーバースペックマシンに進化していたのが ――

 

 

 

 

 

 

 

―― 出力()()()()()馬力という正真正銘のバケモノ(軌道上の怪物)へと変貌を遂げた。

 

 

 

 

 

 

 

シャーブロウ曰く、「デカくして出力を上げることは素人にだってできる。プロならばコンパクトでパワフルなマシンを目指すべきだ」とのこと。

 

なるほど、至極ごもっともな意見であるが…。

 

 

 

 

「加減しろ馬鹿!?」

 

 

 

 

グスタフがそう叫んだのも無理からぬことであった。

ともあれ、後に『クルップ・シャーブロウ式』と命名される怪物蒸気機関車は、このようにして誕生した。

 

この結果に驚愕したクルップ社が、シャーブロウを技術顧問として最高の待遇で招き入れたのは言うまでもない。

 

 

「…じつはまだやりたい改造があるんだが」

「なん…だと…?」

 

 

この発言は戦後実行に移され、蒸気機関車史に残る怪物を世に送り出すこととなる……。

 

 

 

ともあれ、『シャーブロウ・マジック』の影響は当時『()()()()()()()()()()()()()()』の策定に入っていた陸軍戦務局鉄道部にも及んだ。

この計画は大戦勃発に伴い急増した貨物輸送量と、対フランソワ戦当初の損耗から、「2気筒蒸気機関車なら3()台を製造する必要がある」という、かなりぶっ飛んだ予測から出発した計画であった。

 

 

 

 

……そして、西暦世界では本気で実行した。

 

 

 

 

しかし、そもそもの出力と牽引力で飛びぬけていたクルップ式が、更に5割もの出力向上を達成したとなると話は根本から覆る。

 

『それほど大出力の蒸気機関車があるのなら、構造を簡略化した2気筒型をむやみやたらと作るより、そちらをキッチリ造った方がむしろ効率的なのでは?』と。

 

何といっても前代未聞の5,000馬力級蒸気機関車である。

その能力たるや、従来型蒸気機関車*53輌、いや4輌分に匹敵する。

 

 

さらに、クルップ式がその大型火室ゆえに自動給炭機を標準搭載していたことも好都合だった。

と言うのもこの時期、徴兵による機関士や機関助士の不足、技能の低下が指摘されはじめていた。その点からも熟練者を必要としない―― 投炭量は石炭庫底部の引き戸の開き具合で決まるのだが、これを運転台に設置した「投炭量調節ネジ」のみで操作できるようにした。このため大戦末期には傷痍軍人や退役軍人が機関助士をしていることすらあった ――『クルップ・シャーブロウ式』への期待が高まっていた。

 

さらに、帝国が戦前とある鉄道マニア(皇女殿下)の強烈な後押しにより、国内の鉄道車両の連結器を旧来の「ねじ式」から、重量級編成を可能とする「自動連結器」へ転換していたことも鉄道部の判断に大きく影響した。

すなわち、ネジ式では連結両数に制約がかかるため30,000台必要だった蒸気機関車も、自動連結器ならば一気に削減できたのである。

 

つまり。

 

―― …あれ?そもそも30,000台も必要ないのでは? ――

 

実はこの想定、対フランソワ戦開始直後、西方にあった機関車多数が空襲で破壊された苦い経験から算出されていた。当時、共和国の参戦を予期していなかった帝国西部の守りはザル同然だったため、かなりの機関車が破壊されたのである。

 

だが統一歴1926年、状況は一変していた。

共和国は脱落し、連合王国からの空襲は西方管区邀撃航空艦隊により的確に対処されている。更に鉄道部のウーガ中佐が調査したところ、件の想定はネジ式連結器時代の資料が根拠となっていたことが判明し、過大な見積もりであったことが明らかとなる。

 

 

 

かくして、戦時量産型蒸気機関車計画は根本から見直され、無駄な装飾や丸み部材をカットした『クルップ=シャーブロウ式』量産計画に変更された。

量産には帝国全土、フランソワ北部の鉄道メーカーが総動員され、最終的に3,000台余りが製造されることとなる。

…それでも多すぎるのでは?と、思われることだろう。

実際、かなり余裕のある…、否、戦後は保有数の多さに苦慮するレベルの台数だった。だが、製造数の根拠もちゃんとある。

 

 

 

 

 

『3,000台程度なら3年足らずで納車完了しますが?…ああ、単価もかなり抑えられますよ?』

『じゃあ、それで』

 

 

 

 

 

 

後年、ライヒ連邦陸軍兵站統括部長ウーガ中将は語っている。

 

 

「『クルップ・シャーブロウ式』の登場は、まさに兵站の概念を一新したと言えよう。

なにせこの機関車を2輌使った編成で()()()()()()()()()()()()()()()()()()するという、前代未聞の所業が可能だったからね。

実際、早朝に帝都を出たロメール閣下の部隊が、その日のうちに東部で戦闘を開始していたよ。…いやまあ、あの方はそもそもせっかちなのだが」

 

 

 

 

 

 

 

戦後、帝国軍の異様な展開速度、補給のからくりを知った同盟軍関係者は口を揃えることとなる。

 

『…反則技ってもんじゃねえぞ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ライヒ国営鉄道110形蒸気機関車

出典:フリー百科事典『アカシック・ペ〇ィア』

 

【挿絵表示】

 

 

「110形蒸気機関車」は神聖ライヒ帝国(現:ライヒ連邦共和国)のライヒ国営鉄道が統一歴1926年から1928年にかけ製造した、()()世界最強の蒸気機関車である。

なお、長らく「戦時蒸気機関車(Kriegslok)」の名で呼ばれていたが、近年の研究の結果、これは誤りであることが判明している。

「戦時蒸気機関車計画」による蒸気機関車は、本形と同時期に試作された簡易型設計の単式2気筒「42形」であり、この「110形」の量産計画の実現により同計画は破棄されていた*6

しかし両者の開発がほぼ同時に進行していたこと、110形が3,000輌余りも製造されたことから混同されたものと考えられている。

 

【概要】

統一歴1918年に製造された「100形蒸気機関車」、所謂クルップ式の系譜の5番手(100・101・102・103・110の順。)にあたる。

しかし、103形までに比べ多くの変更点、画期的な改良が施されたことから、製造社、設計主務者の名前を取って『クルップ・シャーブロウ式』と呼ばれることが多い。

「110」という番号となっているのも、この画期的新型蒸気機関車に対しキリのいい番号を付与するためだったとも言われる。

機関車重量当たりの出力並びに牽引力、エネルギー効率で当時の世界水準を大きく引き離しており、ライヒ国内の貨物輸送能力の飛躍的増大に寄与した。

本形式の量産に当たっては、ライヒ国鉄の制式機関車を手がけていた帝国領内の有力機関車メーカー各社及びフランソワ共和国の機関車メーカーが動員され、随時改良を加えながら生産数3,000両を目標とした当初計画に従って継続的に生産された。

この際、仕様部材の多くに前級103形と共通性があるため、量産体制の確立は極めて迅速だったといわれる。

 

【構造】

ベースとなった前級「103形」からの主な変更点は以下のとおりである*7

蒸気流路(スチームサーキット)の改良

〇クルシャーブ・エキゾーストシステムの採用(煙室の拡大)

〇ボイラー直径の増大

〇火室面積の増大(火格子面積15㎡)

〇火室内サーミックサイホンの採用

 

これらの改良は、フランソワ共和国から招聘されたアンドレイ・シャーブロウ技師の設計になるもので、これにより出力50%増を達成した。

シャーブロウ技師はその後も「シャーブロウ・マジック」「シャーブロウ・リビルド」と呼ばれる機関車改良*8を数多手掛けているが、本形式はその端緒と言える。

 

一方、当時の帝国は戦時下にあったことから、性能に関係のない部分は合理化、簡易化が行われている。主だったものは以下のとおり。

〇デフレクターの廃止*9

〇運転台や砂箱・蒸気ドーム等の箱形化(カマボコ形)

〇煙室前部上方と煙室扉上部の丸みの省略

〇ナンバープレート等の材質変更(砲金製→鉄製)

 

【巨大火室と自動給炭機、サーミックサイホン】

これらの簡略化が進む一方で、製造に手間のかかる「自動給炭機」は維持され、それどころか幾度かの改良が行われた。

これは火室があまりに大きく(火格子面積約15㎡)、人力投炭が不可能だった*10ためである。

 

そもそもクルップ式に限った話ではないが、単式4気筒の蒸気機関車は単式2気筒、又は複式4気筒までの蒸気機関車に比べ、単純比較で倍の蒸気を必要とする。

これは必要とされる火力も倍となることを意味したから、クルップ式ウーチャン火室の場合、そもそも底が広い火室ということもあり、「100形」時点で火格子面積が8㎡に達していた。

「103形」までは火室底部、火格子に前向きの急傾斜をつけ、投げ込まれた石炭が崩れ落ちるよう工夫することで人力給炭運用も可能としていた。このことは、自動給炭機を嫌う輸出先のニーズにも適うこととなった。

 

だが110形開発当時の帝国は戦時下にあり、連合王国による海上封鎖、良質石炭の軍及び人造石油プラントへの優先供給によって、蒸気機関車用の良質石炭の確保が困難となりつつあった。

このため当時のライヒ国有鉄道では、国内で大量に産出*11する『褐炭』の導入が進められていた。

これは蒸気機関車の使用可能燃料の幅広さ*12が可能とした解決方法であったが、褐炭は石炭に比べてエネルギー量が極めて低く、同等の熱量を発生させるためには大量の褐炭を完全燃焼させる必要があった。

このため、もとから火室の広さと適合燃料の幅広さで突出していたクルップ式(ウーチャン火室)以外は極端な性能低下、もしくは無理な大量投入、不完全燃焼によるボイラー不調を引き起こすこととなった。1920年代にライヒ国鉄の旧来型蒸気機関車の廃車、休車が急速に進んだのはこれが理由である。

 

110形はこのような状況を受け、設計時点で褐炭使用を前提とした。

すなわち、火格子面積は褐炭を無理なく効率的に燃焼させるため、前級103形(8.0㎡)のほぼ倍の15.2㎡とされた。この結果、本形は自動給炭機無しではまともに運用できないこととなった。

同時期の合州国で多く採用されていた、蒸気発生に有利とされる『サーミックサイホン』を初導入したのも、同様に熱量の小さい褐炭使用への対応策である。

 

なお、褐炭はその組成上自然発火しやすく、そのうえ乾燥すると粉末状になって粉塵爆発の危険が生じるという問題があった。

110形が消火設備付き密閉式石炭庫*13を採用したのはこれが原因である。

 

戦後、通常石炭の使用が再開されたとき、この火室は広いだけの運用や整備に難のある装備になるかと思われた。

だが、広い火室は十分な酸素供給、完全燃焼に有利であり、通常炭使用時には熱効率の向上、ひいては石炭消費量の削減に寄与することが判明した。更に戦後一部に施された重油並燃装置、GPCSの追加搭載に際しても、もとの火室の広さから極めて容易であったとされる。

 

 

 

【改良・改造】

製造台数が多いこともあり、製造中随時改良、変更が実施された。

また、戦後に入り、戦時下で簡易化されたかまぼこ型ドーム(砂箱)の換装、製造不良品等の是正、改造が施されたものも多い。

特に本形の内、400輌余りを足回り換装*14によって、旅客用「210形」へと改造した。

これは開戦以来旅客用蒸気機関車の新造がなく、それらの老朽化による廃車もあって国内旅客輸送にも支障をきたしていたこと、戦中量産した「110形」が大量に余っていた問題を一挙に解決する事を目論んだものである。

結果、「1920年代後半以降のライヒの蒸気機関車は間違い探しゲーム」といわれるほど、110形とその系列機関車で占められることとなった。

 

他にも幾つかの改良が行われたが、その中には戦前から研究、試作されながらも戦争に伴って実現していなかったものも多い。

 

 

【自動給炭機とクルシャーブ・エキゾーストシステムの相乗効果】

製造後に明らかとなった本形の特質として挙げられる。

 

そもそも、蒸気機関車用自動給炭機には以下の利点がある。

〇大量投炭が可能となる。また機関助士の負担が軽減される。

クルップ式蒸気機関車が採用したウーチャン火室は、そもそも火格子面積の増大により人力投炭が困難となっていた。これが褐炭使用前提の超大型火室を備える110形では、人力給炭は完全に不可能であった。

〇燃焼効率の改善

人力投炭の場合、焚口を頻繁に開閉することから空気の流れが乱され、また冷たい外気が火室に入り込んで燃焼効率が悪化すると言う問題があった。

自動給炭機の場合、焚口をほぼ使用しない*15ためこれらの問題が解消される。

戦後のある研究によれば、一酸化炭素発生量が0.4%から0.05%まで低減したという*16

 

一方で、「シンダ(石炭微粒子)」の発生という問題を孕んでいた。

 

自動給炭機では、石炭は炭水車底面付近のトラフで砕かれる。

この際、適度な大きさに粉砕されるよう設計されているが、どうしてもシンダ(微粒子)が発生する。また、所謂アルキメデウスポンプによって焚口まで運ばれる途上でも、振動によりシンダが発生してしまう。一説には人力投炭時のシンダ発生率は7~14%程度であるが、自動給炭機では12~24%に達するという。

この問題はただでさえ細かく砕けやすい褐炭では深刻で、本形以外の褐炭使用の際には更に発生したシンダが煙室のブラストジェットで吸い出され、未燃焼又は燃焼途中の状態で煙突から噴出することになった。

これによりエネルギー損失が発生しただけでなく、運転士や乗客にシンダが降りかかって乗務・利用環境の悪化にもつながったほか、燃えかけのシンダによって沿線火災が複数回発生したとされる。

 

しかし110形の場合、そもそも微粉末石炭の使用を目的としたウーテン式火室を改良した「ウーチャン火室」を採用していたおり、さらに褐炭使用を前提とした火室、燃焼室形状となっていた。

それに加え、ブラストジェットを滑らかにする「クルシャーブ・エキゾーストシステム」を採用した*17こと、煙突上部やペチコートに火の粉止めを複数設置したことで問題を改善し、自動給炭機の恩恵を十全に受けることが出来たとされる。

 

 

 

【運用】

本形式は製造当時ライヒの版図、及び衛星国状態にあったヨーロッパ全土および東部戦線全域で運用され、一般貨客輸送のほか軍需物資および兵員の輸送に携わった。

本形式は牽引力、速度共に当時の世界標準を大幅に上回る高性能を発揮*18し、転車不要、機回し不要による時間短縮も相まって、帝国軍の展開速度の飛躍的向上に寄与した。

この際、重量級編成の場合は復路の視界確保が課題となった*19。この問題を解決するためにも、多くの場合で貨物編成の前後を本形2輌で固めて運航していたが、この際の牽引量は6,000トンに達する。

なお、この際後補機が車掌車を押しつぶす事故が発生したため、途中からは後補機の後ろに車掌車を連結するようになった。

 

これら110形の内、フランソワ・ダキア・協商連合・ルーシー連邦など大戦中にライヒ帝国の占領下、影響下にあった各国で運用され、戦後それらの国々に残留した各車はそれぞれの国の鉄道に編入され、継続使用されて各国の戦後復興に大いに貢献した。

ライヒ国内ではその製造数の多さから余剰車両が発生したため、400輌に旅客型「210形」への改造が施され、更に110形100輌を各国に供与した。

これを戦後賠償とする資料もあるが、これは誤りであり、実態は数が数だけに保管場所が足りず、処分するにしても費用がかさむため、原価以下でも放出した方が良いと判断されたものである。

供与された110形は戦後各国で設計、製造された機関車に多大な影響を与えたといわれる。

 

また、欧州各国では本形をライセンス生産*20した。

これは先述のように本形の性能が極めて高く、戦後復興期の輸送量急増に対処するのに新規に開発する十分な時間も無い以上、実績豊富な本形式をライセンス生産した方が確実であったという事情による。

さらに褐炭にまで対応した本形式の特性は評価が高く、戦後には狭軌用型が設計され世界各国に輸出されることとなった。

 

そうした事情から、本形の生産数はライヒ国内だけで3,200輌*21、ライセンス生産を含めると6,000輌程度*22が製造されたものと推測されている。

 

 

【保存】

本形はその製造数の多さからライヒにおける蒸気機関車の代名詞となり、蒸気機関車時代の終焉後、ライヒ国内だけでも実に318輌が各地の鉄道博物館、その他博物館、公共施設、学校、公園などで静態保存されることとなった。

これらのほか40輌が動態保存されており、一部は営業運転に就いている。

各国の動態保存蒸気機関車に関しては、保守用部品の調達に苦慮するケースが多く見られるが、110形の場合製造数があまりに多いこと、当時すでに「工業規格」が確立されていたこともあってこの心配とは完全に無縁と言われている。

なお、1970年代に褐炭使用が環境破壊の観点から完全に禁止されたため、実は現役時代よりも(カマ)の調子が良いという運行関係者の声がある。

 

 

 

 

*1
製造番号から製造工場、製造時の主任担当技師、出荷先、その後のクルップ社によるアフターサービス実施状況までわかる代物

*2
シリンダー形式の一つ

*3
西暦世界で言うところのキララセパレーター

*4
車両限界一杯までのボイラー大型化、ボイラー圧力の向上等

*5
帝国でも旅客用は従来型2気筒を使用していた

*6
ライヒ連邦国立中央図書館所蔵資料○○より

*7
詳細は各項目リンク先を参照

*8
蒸気機関車のエネルギー効率は5%程度と言われるが、彼の機関車の中には12%を超えたものもある

*9
クルップ式はデフレクターが不要なキャブフォワード式であるが、転車不要を売り文句としていたため、バック運転時用に装備していた。

*10
一般に人力投炭は火格子面積4~5㎡が限界とされる

*11
統一歴1990年現在でもライヒ連邦が世界最大の採掘国である

*12
極端な話、熱源となるものなら何でもよく、同時期の協商連合国には「パンタグラフで受電してボイラーのお湯を沸かす」ものが存在した

*13
天井部分が開閉可能となっており、補給時にはこの部分を開いた

*14
一体鋳鋼台枠・シリンダーブロックの採用による各部剛性の大幅向上による、シリンダーの最大往復速度引き上げが実現した。これによって動輪直径はそのままに高速運転が可能となった。また、軸受の抵抗を極限すべく、新型のローラーベアリングに変更した

*15
110形の場合、投炭量も機械的に調節できたため、焚口を開けるのは保守点検と点火の時のみとさえ言われた

*16
執筆者は自動給炭機の石炭投射蒸気が燃焼に良い影響を与えている可能性も指摘している

*17
そもそもこのシステムは、粉末状石炭を使用せざるを得なかったフランソワ共和国で生まれたアイディアである

*18
牽引量にもよるが、下り坂で時速160キロを超過し、機関士が慌ててブレーキをかけた逸話を有する

*19
数十輌の貨物列車を牽引するため、機回し無しのバック運転時には先頭車両がはるか彼方に見えたという

*20
ただしルーシー連邦を除く。同国は別形式と称し、ライセンス未取得のまま本形式を無断で大量生産した

*21
故障機、不良機の更新を含む

*22
標準軌タイプのみ




東部方面ではこいつが文字通りの「ピストン輸送」を開始する模様

ネット上にはもっとわかりやすいのもありますよ(筆者のCAD能力ではこれが精いっぱい


参考文献(出版年順)
・横堀 進1951 「自動給炭機(ストーカー)焚き機関車について」 燃料協会誌/30 巻 (1951)所収(インターネット上に無償公開されているものを参照した)
・齋藤 晃 2007 『蒸気機関車200年史』 NTT出版
・齋藤 晃 2009 『蒸気機関車の技術史』 公益財団法人交通研究協会
・齋藤 晃 2018 『蒸気機関車の技術史(改訂増補版)』 公益財団法人交通研究協会


◎アンドレイ・シャーブロウ
元ネタはフランス人蒸気機関車技術者、アンドレ・シャプロン(André Chapelon、1892年10月26日 - 1978年7月22日)。
今回紹介した技術はおおむね実話です(!?)

彼が改造したフランスの『242 A 1号機』の場合、総重量232トンで5,500 馬力を達成しています。
…おかしいな、1台枠蒸気機関車のくせに、アメリカのチャレンジャー(単式マレー、4気筒、総重量486トン)より馬力出ているぞ…?

他にも
①その性能に驚愕した電気機関車関係者が、慌てて3,900 馬力電気機関車を4,900 馬力へ増強する改造に踏み切ることになった。
②アルゼンチンからディーゼル機関車を買い付けにフランスへやってきた鉄道関係者が、帰国する時にはシャプロン設計の蒸気機関車を購入することになっていた。
等の逸話をお持ちです。

なお、かのポルタ技師の師匠でもある(あっ

◎機関車30,000台量産計画
史実(白目)。なお実際に出来たのは6,000台に留まる…。
と思ったあなたは元の数値のおかしさに感覚がマヒしています。気を付けましょう。D51だって1,184輌(うち、国鉄に1,115輌)ですよ?

筆者が思うに、文中に述べた「ねじ式連結器」と「空襲による損失」が原因の数字だと思います。でなければ30,000台なんておかしいですし…。

ちなみに日本にも1台渡来していたそうです。

◎パンタグラフ付き蒸気機関車
これも実話だったりします。おそらく世界で一番環境にやさしい蒸気機関車(
でもモーター回した方がはやいと思う(無慈悲




そういえばビッグボーイ、復活早々なんか事故ったようですね。脱線ですかね?(英語苦手なので分からんけど
:On May 16, 2019, No. 4014 partially derailed, with two axles from one set of drive wheels falling into the gauge, while entering the yard at Rawlins, Wyoming. the derailed drive wheels were returned to the rails within three hours.

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