皇女戦記   作:ナレーさんの中の人

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回廊の戦い その2

統一歴1926年10月18日

連邦首都モスコー クレムリン 書記長執務室

 

 

「どうにかならないのかね、同志デューコフ」

「…残念ながら、スモレースク陥落は時間の問題です」

 

顔を顰める書記長ヨセフと、それに対し淡々と答えながら述べるのは、書記長の信任篤い連邦国軍参謀総長デューコフ。

 

「帝国空軍の空襲、魔導師の襲撃によって補給状況が極端に悪化しております。

夜陰に紛れてのトラック輸送すら難しくなっている状態では、早晩…」

「スモレースクの同志人民委員、政治将校たちからも同じような報告が上がっております。同志将軍の言うとおり、残念ですが、今月いっぱいが限度でしょう」

 

と、嘆いてみせたのは同じく書記長の信任篤い内務人民委員長ロリヤ。

己が最も信任する部下2人が、揃ってスモレースク放棄を進言してきたことに、書記長は諦観の溜息を洩らした。

 

 

「愛すべき我が人民も不甲斐ない。『人民令第227号』まで出したというのに…」

 

 

 

【人民令第227号】。

 

 

 

後世、「稀代の悪法」「史上最悪の死守命令」と称されたそれは、いかなる指揮官も命令無しに後退してはならず、これに逆らった者は、みな先任順位に応じて軍法会議にかけられる事を明記している。

 

――だけならまだ良かったのだが、残念ながら、これはほんの始まりに過ぎない。

 

その真の内容は、「最後の一兵はもちろん、市民一人に至るまで武器を取って帝国軍に抵抗させる」ことにある。

 

この人民令によって内務人民委員会の管轄下に『督戦隊』が組織され、彼らは後退する友軍には情け容赦なく機関銃を撃ち込み、軍への協力――例えば、食料の提供――を躊躇った市民を貨物列車でラーゲリに叩き込んだ。

そこに一切の斟酌はない。たとえその小麦が、一家が冬を越すために貯えていた、なけなしのものだろうと。

命令違反を犯して後退しようとした指揮官は政治将校から即座に銃殺され、生き残った兵士は懲罰大隊に組み込まれた。この大隊には最も過酷な任務が割り当てられ、その苦しさから自殺する兵士も少なくなかったという…。

同様の行為を犯した軍属人民には『教育』が施されたというが、その実態は謎に包まれている(帰ってきた人間はいない)

 

 

このように陰惨極まる悪法であったが、しかし絶大な効果を発揮した。

後退が許されない――それも、物理的に――状況に置かれた兵士は死に物狂いで現地点を死守し、人民もまた献身的に軍に奉仕するようになったから、食料は勿論のこと、陣地構築に動員する作業員の手配にも苦労しなくなった。

ゆえに自分の仕事にも厳しく、人の仕事にも一切の容赦がない同志ロリヤ内務人民委員長でさえも、彼らの国家への奉仕と献身には満腔の敬意を表してやまない。

 

 

「スモレースクをはじめ、連邦諸都市、人民はまことよく戦っております。正に英雄的戦いと言えるでしょう!

――()()()()()()()の完成も()()()()()()()退()()も、彼らの尊い犠牲無くしては到底達成できなかったに違いありません」

 

 

『モスコー防衛線』

 

それは西部の大都市ミルスクがあっさりと陥落し、帝国軍がなおも怒涛の進撃を続けていることに恐懼した連邦政府がモスコー外周に構築させた、一大防衛陣地である。

連邦諸都市(捨て石)の必死の抵抗が稼いだ貴重な時間を使って、党の指導のもとモスコー市民たちは()()()()、首都をぐるりと取り囲む一大防衛陣地群構築に勤しんだのだ。

――なお、過酷な労働に従事させられたゲフンゲフン、…仕事ぶりが熱心過ぎて誰にも止められなかった市民の急死も多発したが、「母の名は『連邦英雄』として永遠に刻まれるのです、これほどの名誉はありません!」と、遺族は人民新聞のインタビューに()()()()()()()ので問題はない。

 

 

『工場の東方疎開』もまた、帝国軍の快進撃に対する連邦側の策の一つ。

そもそも、連邦の工業は北方だとレネングラード、南方だとヨセフグラード、そして中部だとモスコー周辺に集中している。それら工場の集積は、輸送、工員確保の面、そして都市の発展に大いに寄与したが、戦争となると話は変わってくる。

 

攻撃されるとまずい弱点が、一点に集中していると言うことだからだ。

 

実際、レネングラードやモスコー周辺の工場には帝国空軍の爆撃機が度々襲来し、無視できない損害を与えている。

 

唯一損害らしい損害もなく生産を続けているのはヨセフグラードくらいのものだが、これは南部における帝国軍の停滞、正確には()()()()()()()()()の確立による。

この地には天然の要害――北部からの侵入路たる地峡の幅が、たったの7キロしかない――たるクリーミャ半島があり、その各所に構築された要塞及び飛行場を根拠地とした連邦軍南方管区、連邦空軍の再編、反撃が順調であったのだ。

 

そういう訳で、レネングラード、モスコー両市における工場の疎開は急務となっており、そのためにも帝国軍の矢面に立っているスモレースクほかの諸都市に死守命令が出されたのである。

 

 

 

全ては防衛陣地の構築と、工場の疎開時間を稼ぐために。

そして統一歴1926年10月半ばのこの時点で、その目的はほぼ達成されつつあった。

…もっとも、そちらに鉄道輸送能力を優先して割り振ったがために、前線への補給が滞るという事態を招いたが、連邦首脳部はそれを良しとした。

――どうせ現状の前線戦力では帝国に勝てないのだ。工場の退避の方が優先順位は高い、と。

 

 

 

ともあれ、所定の目標を達成されたとロリヤは考えており。なればこそ――

 

「むしろ、帝国をモスコー防衛線まで引きずり込むべきでしょう。…帝国軍を地獄に叩き落とすのです」

 

 

モスコー防衛線。

それは、ルーシーという国にとっては拭い難い悪夢というべきあの『極東戦役』、スパイが持ち帰った帝国陸軍『西方防衛線』、更には今年の春に自軍兵士を呑み込んだ帝国軍陣地さえも模倣の対象とし、練り上げた凶悪な防衛陣地である。

 

 

『共産党宣言』を著し、今日の共産主義の父となったカール・マルケス。

彼の思索、思想を貫く根本原理は『唯物主義』である。

これを乱暴に纏めれば「宗教?空想?理想?そんなものクソくらえ!あるのはただ行動と結果だけだ!」となる。

 

そしてその点において、ルーシー連邦は間違いなくマルケスの弟子であった。

 

――敵国(帝国)が使った方法を模倣するなど言語道断?

――馬鹿も休み休み言いたまえ。

――戦果と言う実績が既にあるものを使わない手はあるまい?

 

 

――侵攻してくる敵部隊を誘導するように設置された障害物の数々。

――入り込んだ敵部隊を十字砲火に捉えるように設置された機関銃座。

――敵重砲の直撃にも耐えられる、分厚いべトンで塗り固めたトーチカと、そこに据えられた大口径砲。

――敵戦車部隊を側射出来るよう、巧妙に隠され、設置された対戦車砲群。

――大型迫撃砲でも任意の地点で運用できるように造られた塹壕。

 

これらが最大約20キロの縦深を取って構築された要塞都市。

それが今のモスコーであり、連邦軍首脳部が「如何なる軍隊であろうとも、この防衛線を突破することは出来ない」と絶対の自信を持つモスコー防衛線なのだった。

 

 

「――である以上、こちらの損耗が増える一方のスモレースクは放棄するべきです」

「同志ロリヤ、都市での戦闘により帝国軍の出血を強いるといったのは君ではなかったかね?」

「そのとおりです同志書記長。…ですが、残念なことに状況が変わっております」

 

自身を徹底したリアリスト、愛国者と自負する同志ロリヤは続ける。

帝国の対処能力は予想以上だった、と。

 

なるほど、市街地に立て籠もっての抵抗は有効()()()

それまでは10対1程度だった彼我の損害比が、一気に7対1、場所によっては4対1にまで改善された。

そして()()()()の損害比ならば、無尽蔵とも言える――後のことを考えなければ、2,000万もの――動員兵力を有する連邦が最終的に勝つと思われたのである。

 

だが、その『都市籠城戦術』に対し、帝国は実にシンプルかつ暴力的な対処策を編み出す。

 

 

――立て籠もる連邦兵ごと爆破。

 

 

最初、その報告を受けたとき、ロリヤは溜息をついた。

 

 

――間抜け共めが、と。

 

 

何故なら、連邦軍狙撃兵が立てこもるようなビルが爆破されたとなれば、それは常識的に考えて相当量の爆薬が()()されたということになる。つまり、帝国軍の工兵が幾度となくビルの根元まで赴き爆薬を仕掛けたに違いなく、どうしてそこまで接近されたのだ、狙撃兵は昼寝でもしていたのか!?と彼は呆れたのである。

 

だが、それは一度や二度で終わらなかった。

やがて帝国軍のとった戦術が明らかとなり、連邦軍首脳部やロリヤは目を見開き、そして手を叩いた。『なるほど、実に合理的な方法だ』、と。

 

 

――200mm級重砲を積んだ自走砲による直接射撃――

 

 

それは、まさに「市街戦」と言うゲームの盤面をひっくり返す、いや、吹き飛ばす所業である。

だが、戦争は行儀のよい、ルールのあるゲームではない。

あの二枚舌国家の連中が的確に言い表しているではないか、「愛と戦争においては全てが許される」と。

である以上、区画ごと吹き飛ばすという帝国軍のやり方は実に理に適っているといえた。

どれほど腕のいいスナイパーであろうと、区画ごと、ビルごと吹き飛ばされてはどうしようもないのだから。吹き飛ばされる側だからこそ、連邦側は帝国側の方法の有効性を正しく理解できた。

しかもこの自走砲は既存の帝国軍戦車の倍程度の装甲を備えているらしく、こちらの対戦車ライフルでは全く歯が立たない。それでいて、彼方の重砲はこちらのビルを数発で吹き飛ばすと来ている。

連邦側がこの方法を模倣し、翌年にはほぼ同じコンセプトの自走砲(SU-152)を投入するのは当然の帰結であった。

 

 

 

ともあれ、かくして1926年10月には市街地を利用しての持久戦、消耗戦に引きずり込むという連邦側の戦術は、根底から覆されることとなる。

 

連邦にとって救いなのは、件の自走砲――帝国軍は『突撃砲』と名付けているらしい――は目下スモレースクでしか確認されていないこと。

どうやらこの突撃砲はまだ数が揃っておらず、スモレースクに投入されたのも増加試作型らしいということまで、連邦軍情報部は掴んでいた。

そのためか機械故障が頻発し、稼働率が著しく低下しているらしい。なればこそ、スモレースクは辛うじて健在なのだった。

 

 

 

とは言え、「辛うじて」である。

 

 

 

「――もはや当初の計画が破綻している以上、立て直しが急務であります」

「同志委員長の言うとおりです。そして、モスコー防衛線には対戦車壕も十分構築されております。戦車とて、穴に落ちればただの的です」

「書記長、ご決断を。このままでは、スモレースクの同志人民は犬死です」

「今ならまだ間に合います。何より、モスコー防衛線に充てるべき兵力は多すぎるということはありません」

 

彼らは実に理性的であった。

少なくとも、死守命令に固執するほど頑迷でもなかった。

より大きな戦果が得られる方法があるならば、自分たちが過去に出した命令と真逆だろうが、矛盾しようが平気で採用できる程度には柔軟な思考の持ち主だった。

もっとも、一番効果的だと思われれば、死守命令だろうが焦土戦術だろうが平気で実行出来るという点でも、彼らは理性的なのだが。

 

 

ともあれ、そうであるがゆえに――

 

 

 

 

「よろしい。君たちの提案を採用しよう」

「「ハッ!」」

 

 

 

 

――賽は、投げられた。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

同刻 帝国首都ベルン

帝国陸軍参謀本部 中央会議室

 

「状況は?」

「『回廊計画』は現在第二段階を進行中。明日1400までには完了見込みとのこと」

 

戦務局に属するとある大佐の問いかけに、通信担当の別の士官が答える。

 

 

『回廊計画』

それは、今や帝国軍の悪夢となった市街戦、泥沼の消耗戦を解決する一手として、帝国陸軍が進行中の計画である。

 

――包囲できるだけの弾薬が無いのならば、いっそ包囲しない前提でやるというのはどうだ?

 

そう発言したのは現地のクデーリアン中将であり、彼が立案した計画ではあったが、その提案を良しとし、武器弾薬の集積、手配、輸送を一手に引き受けたのは戦務局である。

…おかげで戦務局鉄道部に勤めるとある少佐など、この1週間まともに家に帰れていない訳であるが。

 

「第三段階の準備はどうか?」

「情報部、空軍戦略偵察部が調査中」

「よろしい、敵撤退の兆候を見逃すな」

「「はっ!」」

 

ここ数日の激務に関わらず、目を爛々と輝かせている部下たちの様子に、ゼートゥーア戦務参謀次長は己の執務室へと踵を返した。「これならば、任せても問題なかろう」と。

そして、そこには――

 

 

 

 

「――戦務は張り切っておりますな」

「嫉妬かね、ルーデルドルフ作戦局次長殿?」

「まさか!我々ならば見事な包囲殲滅の陣を敷くでしょう、ライン戦線のように」

「はっはっはっ、実に貴官らしい発言だな。…やはり回廊はゼートゥーアに任せて正解だったか」

 

――もはや、本来の主以上にこの部屋になじんで違和感のない二人の姿があった。

 

「違いありませんな。作戦局に任せていたならば、勝手に包囲陣形に切り替えていたことでしょう」

「お、戻ったかゼートゥーア」

「はい、戻りました。…ところで殿下、これで何度目になるのか分からないのですが――」

「『殿方の椅子に淑女が勝手に座るものでは無い』だろう?君は私の婆やかね?

それに、これは私なりの日々激務に追われる戦務参謀次長殿へのささやかなご褒美なのだぞ?」

「…はい?」

 

首を傾げる両次長に、茶目っ気たっぷりに皇女殿下は宣った。

 

 

 

「これほどの美少女の残り香と余熱…そうそう味わえるものではないぞ?ほれほれ、遠慮せずに堪能したまえよ」

 

「…殿下、今の発言ですべて台無しです」

「…千年の恋も冷めるでしょうな」

「ま、そうなるな」

 

かっかっかっと笑いながら席を明け渡す皇女殿下の姿に、次長二人は揃ってため息をこぼす。嗚呼、こりゃ当分慶事はないな、と。

 

「で?回廊の方は順調なのかい?」

「ええ。もとより包囲を目指すものではありませんから、無理なくじわりじわりと締め上げております。そのためこちらの損害も軽微です」

「ふむふむ、ここまでは包囲殲滅より低コストか」

「…恐れながら殿下、リスクの低減は素晴らしいことですが、戦果(リターン)がそれ以上に乏しくては意味がありませんぞ」

「そのための比較実験(回廊計画)だろうに」

 

 

 

『「包囲殲滅」と「撤退に導いてからの追撃」、どちらが有効な戦術か?』

 

 

 

それはかのハンニバル以来、数多の将軍、研究者を悩ませ続ける命題。

そのどちらにも成功例があり、失敗例があるため、未だに結論は出ていない。

 

この点、統一歴1920年代の帝国陸軍は『衝撃と恐慌(包囲殲滅)』、『回廊計画(誘導撃滅)』という、両方の方法を数年の間に実施するという稀有な体現者であった。

 

ゆえに、帝国陸軍参謀本部作戦局は科学者のごとき冷静な観察眼で以て、この回廊計画を注視しているのだった。

なにしろ数年の間に、すなわち、「同じ条件」――指揮系統、装備、兵員の質――で包囲殲滅と誘導撃滅を「実験」出来ることなど、そうそうあることではないのだから。少なくとも、近代に入ってからは世界初であると断言できる。

 

そんなことを思いながら、同時にゼートゥーアの脳内ではこんな声が響く。

 

――人命をモルモットと同じ、数で測るのが当たり前になってしまったな、と。

 

ハッキリ言って狂っている。

だが、大戦がそうである以上、あるいは狂っていることが正常なのやもしれぬ。

 

 

恩師の脳内など露知らず、ツェツィーリエは笑った。

なにせ「脚本・監督=ハンス・クデーリアン、配給元=ハンス・フォン・ゼートゥーアと戦務局の愉快な仲間たち、主演=第2装甲軍とサラマンダー戦闘団」という錚々たる顔ぶれなのだ。彼女は作戦の成功をまったく以て疑わなかった。

であればこそ、彼女は二人に告げる。

 

 

 

「――さて、今日の本題に入ろうか」

 

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

統一歴1926年10月後半

帝国陸軍参謀本部では来る冬季に向け、激論が交わされていた。

 

「来る厳寒期にどこまで後退すべきか?」

 

そもそも、帝国に冬のルーシー連邦に侵攻した経験などない。

歴史をひも解けば、この国がまだプロイツフェルン王国だったころに一度だけ、当時欧州を手中に収めていたフランソワ皇帝ボナパルトの「モスコー遠征」に参加したことはあるのだが…。

何せ100年以上も前、騎兵が戦場を駆け回り、軍楽隊の演奏に合わせて歩兵が前進していた時代の話である。今日の軍事作戦の参考にはならなかった。

――と、言いつつ、当時の記録を帝大文学部史学科――もはや参謀本部には残っていなかった――から借用しているあたり、陸軍参謀本部の勤勉さに感心するべきか、それともそれくらいしか参考資料がない事実に嘆くべきか…。

 

そして「帝国」が帝国として纏まって以降、軍の基本方針は『 内線戦略 』(俊敏な自宅警備員)。外征能力の獲得はかなり以前に諦められており…。

いや、外征を諦めたからこそ帝国の内線戦略は、一時的とはいえ3か国と同時に戦争になっても対処できるだけの能力を獲得したといえる。

 

当然、ルーシー連邦の冬に対する備えなど、ある訳が無いのだった。

 

冬季用装備と言うだけのものは準備されてはいるが、それはあくまでも「帝国の冬」を想定したものに過ぎない。

対レガドニア協商連合戦での戦訓――恐ろしいことに、ノルデン北部ですら一部将兵が凍傷を発症した!――から改良型が開発され、大量生産に入ってはいるのだが、ルーシー連邦の冬に対応できるかは未知数であり、何より数が足りなかった。

増え続ける敵に対処するため、帝国軍は大規模動員を繰り返しており、全将兵に行き渡るだけの防寒装備を一気に造ることは不可能となっていた。

 

武器の類はどうだろうか?

こちらも状況は似たようなものだった。

そもそも、帝国軍の風土として「やたら精密な機械を作りたがる」傾向がある。これはマイスターを貴ぶライヒの傾向からくるところも大きいが、やはり「内線戦略」が大きく関係している。

 

すなわち、四方を仮想敵国に囲まれた帝国は、どうあがいても数的劣勢を免れない。

であるからこその内線戦略であり、この地政学的条件は、同時に少ない防衛戦力でも敵軍の進行を食い止められる『強力な兵器』を求める風潮をも生み出した。

 

戦争は数である、とよく言われる。

だが、数を確保できない場合、それを補うための「質」が必要となるのだ。

 

西暦世界の大日本帝国海軍が産み出した超々弩級戦艦『大和型』が良い例だろう。

それと同様に帝国陸軍の兵器は、やたらと高品質な、言い換えれば「芸術品」のような代物となる傾向が強かった。

この傾向は統一歴1917年に『武器規格統一令』が出されるまで続き、今なお兵器研究所から時折珍妙な兵器(90cm列車砲)が提案されるという事態が続いている。

それほどまでの『質』重視であり、そうせざるを得ない地政学的条件であったのだ…。

 

そして、その様な武器に親しんできた帝国軍人からすれば、参謀本部のアルレスハイム何某とやらが提案したという「とにかく頑丈で、泥の中に落としても使える小銃」は、「精度が劣悪過ぎる癖に重たい」という点で受け入れられない代物だった。

そんな珍妙な()()()を開発する暇があるなら、普通の小銃をよこせ!である。

 

 

 

こういった事情で、1926年晩秋の時点でも帝国陸軍には冬の備えというものが不十分…。いや、有り体に言って絶望的状況だった。

ゆえに「冬季になれば引かざるを得ない」というのは、この時期の参謀本部の一致した見解であり、それ自体に異論はなかった。

 

…まぁ、異論を唱えそうな連中(拡大派)は更迭され、退役するか最前線で泥にまみれていたというのも大きいだろうが。

 

 

 

だが「後退」では一致した陸軍参謀本部も、「どこまで下がるか」で紛糾する。

 

 

作戦局は「来春以降の攻勢を考えた場合、後退は限定的にするべき」と唱えた。

それに対し戦務局は、「劣悪極まる兵站状況の改善のためには、思い切った後退、戦線整理が不可欠である!」と主張したのである。

 

「前線はもはや攻勢限界に達している。一刻も早い戦線整理が必要だ」

「それについては同意する。しかし、戦線再編後の体制は再攻勢を前提とすべきだろう」

「論外だ。それではまた攻勢限界に達することになる」

「だから防衛戦での長期持久戦に移行せよと?…馬鹿を言うな、それではこの戦争はいつまでたっても終わらん。モスコーが陥落すれば、さしもの連邦とて交渉の席に着くだろう」

「そのモスコー陥落までにこちらの戦争継続能力が枯渇するとなぜ気づかぬ!」

 

帝国には強靭な軍需生産網と自給自足経済――それには協商連合や共和国も含まれる――が誕生している。だが、それでもなお連邦の広大な国土から生み出される兵士と武器を潰すには足りないのだ。

 

「それは防衛戦に徹しても同じだろう!」

 

そして、作戦局参謀の指摘もまた事実だった。

確かに帝国は総力戦体制を確立し、軍需生産を拡大したうえで国民生活を維持しえている。

――だが、それは「総力戦体制」を構築し、「統制経済」を敷いてどうにか、といったほうが正確だ。

特に農業生産高の下落は激しいものがある。

度重なる動員で労働人口を欠き、農耕用の馬匹を軍が根こそぎ徴集してしまったのが原因であり、これらは協商連合からの廉価な農産品、出稼ぎ労働者、そして中古トラックの輸入でどうにか崩壊を免れている有様。

 

ちなみに、当初の動員計画では工場労働者すらも兵隊にとろうとしていたが、これは戦務局と皇女殿下が撤回させていた。

曰く、『君らは女子供に航空機エンジンを造らせる心算かね?』

実例(日本)を知っているからこそ、彼女の目はぞっとするほど据わっていた。

稼働率4割とか洒落にならない。

 

 

 

両者いずれも間違ったことは言っていない。

なればこそ、議論は平行線をたどり、もはや一致した結論には行き着きそうもなかった。

彼らは、やがてお互いの頭目に視線を向ける。

 

――次長閣下!このわからずや共に言って聞かせてください!――

 

声には出されないながらも、しかし目が雄弁に語るその声に苦笑しつつ、両名は振り返った。

 

「「殿下、ご決断を」」

 

後年、このころを回顧してゼートゥーアは言う。

 

――あの方のカンと決断には外れがなかった。

――だからついつい、最終決断を委ねることが多かった

 

「よろしい」

 

 

――そして、西暦世界を知る皇女殿下に躊躇いはなかった。

 

 


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