皇女戦記   作:山本 奛

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珍しく2話連続投降
またの名を、ネタ切れ(


セバスチャン・ト・ホリ攻防戦(その4)

統一歴1992年放送

連合王国公共放送 特別番組 

 

みなさん、こんにちは。

司会のウィリアムです。

シリーズ『あの大戦の真実に迫る』、本日はその7回目となります。

 

 

――早速ですが皆様、今、私がいるところはどこだと思いますか?

 

 

古代遺跡?コロッセオ?

確かに、そう見えてしまうのも無理はありません。保護のために造られた覆屋と、その下の半ば崩れた通路は、まるで古代の遺跡を思わせます。

 

しかし、ここにあったのは近代建築。

それもただの建物ではありません。ここにはかつて、『マキシム・ゴーリキーⅠ』と呼ばれるルーシー連邦自慢の砲台がありました。

 

正式名称「第30番装甲砲台」。

 

その52口径30.5センチ砲は当時世界で最も強力な砲の一つであり、射程距離はなんと44kmにもなりました。今日に至るまで、これより射程の長い砲は数えるほどしかありません。

それを戦艦と同様の連装砲塔で2基、合計4門を備えたこの砲台は、しかも内部に敵が侵入することをも想定した要塞でもありました。

 

正に難攻不落。

 

――ですが、この当代最強であった筈のこの砲台は、たった()()()()()によって大爆発を起こし、今のような廃墟と化しました。

 

一体、ここで何が起こったのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

「帝国の新兵器『サーベラス(Cerberus)』によって、弾薬庫が誘爆したのです」

 

 

 

連合王国元陸軍大将、マウントバッテン氏は言います。

 

「通常の砲弾や爆弾ではそんなことは不可能でした。この砲台にはそれに対する備えも幾重にも施されており、地下部分は最低でも5メートル厚の鉄筋コンクリート、地上出入り口は勿論、各所に隔壁が備わっていたのです。

一番薄いところと言えばその砲塔天蓋でしたが、それでも厚さ200ミリのアーマーでした。これでは、帝国陸軍が有する火砲では直撃したところで効果はありません」

 

 

 

「ところが、帝国はそれをやってのけたのです」

 

 

 

長年、帝国の軍事技術を研究しているフォーク教授は言います。

 

「当時、堅固な要塞を破壊するためには、その要塞が保有する以上の超重砲が必要であると考えられていました。そのおよそ20年前に極東で起こった旅順要塞の戦訓からです」

 

ところが、軍事技術の先進国であるはずの帝国に、そのノウハウは無かったのだと氏は指摘します。

 

「――原因は統一歴1917年に出された『武器規格統一令』と、同じころに提唱された電撃戦の理論でした。

当時、祖国統一戦争から十年以上が経過し、帝国軍は祖国防衛を第一とする守りの軍隊へと転換しつつありました。

この際、帝国軍人たちを悩ませたのが帝国の地政学的条件、周囲すべてが敵という悪夢です」

 

 

それは、帝国の成立過程からして避けようがなかった所与の条件。

帝国はその広大な領土を形成する中で、常に周辺国との領土問題を抱え、更にはその強大な国力、軍事力から常に警戒されるという宿命を背負わされていました。

 

「結果、帝国軍は帝国成立と同時に防衛的性格を纏うことを宿命づけられました。周囲すべてが仮想敵国という状況で、どうして外へ攻め込むことが出来るでしょう?

自然、その軍制は即応力と機動力を重視したものとなり、その運用ドクトリンはやがて『内線戦略』へと特化していったのです」

 

ロンディニウム大学のウェンリー教授は言います。

 

「当然、要塞攻略専用の重砲の必要性は低下しつつありました。

加えて、機動防御にも最適とみられた『電撃戦』の理論、つまり機械化部隊が提唱されるに至って、絶望的に機動力のない超重砲の開発は一気に鈍化したのです」

 

なにより祖国防衛戦争で要塞攻略戦が発生するケースなど、そう多くはありませんしね、とウェンリー教授は言います。

 

「従来は早すぎた取捨選択、あるいは独断とさえ言われていた『武器規格統一令』ですが、この文脈で捉えればむしろ当然の帰結といえるでしょう。

陸上砲の口径を比較的牽引の容易な、あるいは自走化しやすい15.5センチ以下とし、さらに種類を絞ることで、敵の多い帝国軍の重火器配備率を向上させようとしたのです」

 

 

しかし、そうは言っても要塞攻略用重砲は世界的潮流でした。

また、可能性は低いとはいえ、敵要塞が国境近くにあった場合には攻略が必要なケースも想定されます。

 

 

 

「これに対応したのが、後の『SB-1』と『SB-2』なのです」

 

 

 

マウントバッテン氏はそう言います。

――しかし、本当でしょうか?

何しろその二つの爆撃機は、一般的には世界初の戦略爆撃機、その後継機種と言われているのです。

 

「確かにそうですが、注目したいのはそれらの要求性能に、当初から『爆装3t、可能であれば精密爆撃可能なこと』と明記されていることです。これはそれ以降の試作機にも全く共通しています。

奇妙なことに、彼らは航続距離の要求は引き上げながら、爆弾搭載量はずっとこのままなのです。まるで『3tの爆弾をより遠くまで運ぶ』ことが目的であるかのように」

 

ウェンリー教授も、その点について同意します。

 

「実は、1918年の陸軍参謀本部会議資料の中に『航空爆撃による敵要塞破壊の可能性』というものがあるのです。そこにはこう書かれています。

『着弾速度にもよるが、おそらく()()徹甲爆弾の直撃に依れば、大抵の要塞は破壊可能である。超重砲に乏しい現状、その実現こそが急務である』と。

――これ以降、帝国が重爆撃機に必ず爆装3tを求めたのは偶然ではないでしょうね」

 

 

確かに重さ3tもの徹甲弾が直撃すれば、如何な要塞とて無事ではすみません。

当たり所が悪ければ、戦艦でも一発で撃沈できてしまいます。

 

 

「『直撃出来れば』の話ですがね」

 

 

そういうのは、()()()()()()()()()()を成功させた経歴を持つ、元秋津洲皇国海軍の航空パイロット、江草元少将です。

 

「3t爆弾で急降下爆撃など、重すぎて不可能です。

となれば方法は『水平爆撃』な訳ですが、これがまぁ当たらんのです」

 

自身も水平爆撃の経験豊富な江草氏によれば、その命中率は軍艦相手の場合、なんと10%にも満たないと言います。

 

「よほど訓練を積んで、かつ相手が動かなければ命中率は上がる(真珠湾)でしょうが…。

――いや、3tもの爆弾を積むとなると重爆撃機に限られるでしょう。そして重爆は鈍重ですから、機敏な照準修正には不向き。やはり当たらないと考えた方が良いでしょう」

 

 

 

 

いかに高性能な爆弾とて、当たらなければただの汚い花火に過ぎません。

この問題を、帝国はどのように解決したのでしょうか?

 

 

 

「それこそが、世界初の『誘導爆弾』だったのです」

 

 

誘導爆弾

 

爆弾に誘導装置を持たせ、推進力を持たせたミサイルは、今日(こんにち)ではありふれたものとなっています。

しかし、帝国はなんと今から70年近く前にその技術を獲得していたのです。

 

 

「実のところ、その基礎技術は既に各国で蓄積されていました。

例えば『無線遠隔操縦』。これも1910年代には各国で盛んに研究されていたのです」

「帝国の恐ろしいところは、それが爆弾に転用出来ると気付いたこと、そしてそれを実現してしまったことにあります」

 

 

 

時に、統一歴1923年初夏。

日に日に緊迫化していく世界情勢の中、世界初の()()誘導式滑空爆弾、『X-1』は完成しました。

 

【挿絵表示】

 

「兵器史上のオーパーツ、といって過言ではないでしょう。なにしろ各国では急降下爆撃機の開発に心血が注がれていた時期なのです」

「3tという桁外れの巨大爆弾を要求したが故でしょう。急降下爆撃を試そうなど考えもしなかった、いや、出来なかったに違いありません」

 

しかもこの誘導弾、世界初のものとは思えないほどの性能を有していました。

 

「高度10,000フィートからの投下実験でなんと目標との誤差50センチを達成し、立ち会った軍関係者の度肝を抜きました。

現代の精密誘導弾の足下にも及びませんが、当時としては驚愕すべき数値だったのです」

 

実験の成功に、陸空軍は沸き立ちます。

しかし、彼らは同時にこの新兵器の持つ問題点にも気づいていました。

 

 

「嘘か真か、問題を指摘したのは後の皇帝、ツェツィーリエ・フォン・プロイツフェルンと言われています。

…俄かには信じがたい話ですが、なにせ『ツェツィーリエ・スケッチ』のことがあります。彼女が兵器に関して、並の専門家を凌ぐ見識を有していた可能性を、我々は否定できないのです」

 

彼女が指摘した問題点は、大きく分けて2つ。

 

 

一つ目は、その誘導が『無線信号』によるものであること。

 

 

「無線誘導技術は意外に古い技術なのです。連合王国でも1914年に無人飛行機の遠隔無線操縦に成功しています。当然、『電波妨害』があれば容易く制御不能になることも知られていました」

 

それに対し、皇女は驚くほど的確に対処法を指示します。

 

「彼女は『()()誘導』、つまり母機と爆弾をケーブルでつなぎ、遠隔操作するように求めたのです。そして、議事録が正しければ――

 

『問題はケーブルの繰り出し速度だろう。ざっと毎秒300m程度が限界であると想像する。ゆえにそれ以上の速度が出ないよう、爆弾本体に()()()()()()を装備する必要があるかもしれない。操縦者の負担軽減と安定動作を求めるならば、それは風圧等で自動的に作動するものが望ましい』

 

――と、まるで現物を見たことがあるかのような具体的指示を出しています。

…言っておきますが、この段階では設計すら始まっていない改良型のですよ?」

 

こうして、無線から有線ケーブルに改めた改良型である『X-2』の開発がスタートします。

彼女の予想通り、ケーブル繰り出し速度の向上は困難を極めました。

統一歴1926年に入り、ようやく繰り出し速度毎秒300m、時速にして約1,100㎞を達成したのです。

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

異様に具体的な問題提示、修正指示はそれだけではありません。

もう一つの問題点として、彼女はこの爆弾が母機からの『目視誘導』であることを指摘しました。

 

「X-1は、その尾部のフレア(閃光)、またはライトを母機の誘導員が目視し、目標まで導いていく『手動指令照準線一致誘導方式(MCLOS)』を採用しています。

これは世界初の先進的設計であり、初期の誘導ミサイルと原理的には全く同じものです。

…ですが、彼女はそれを『雲が多いだけで使えなくなる』と一刀両断しています」

 

事実、そのころ既にX-1の試験は曇天による順延を繰り返していたので、それを聞き及んでいたのかもしれません。

 

現代のミサイルはレーダー誘導、GPS誘導によって、文字通り「発射するだけ」で良いものですが、この時代にそんなものはありません。

コンピューターもない当時、誘導方法はまさに「人間」の手動によるしかなかったのです。

そんな時代に、ツェツィーリエ・フォン・プロイツフェルンが提示した解決法は驚くべきものでした。

 

 

 

 

『テレビジョン誘導』です。

 

 

 

今では当たり前の、そう、この番組をまさにテレビで見ている皆様には当然の風景も、当時は掛け値無しの『最先端の先の先』。未来の新技術でした。

 

「テレビジョンの歴史自体、1899年にルーシー帝国のロージン博士がブラウン管によるテレビ受像機を考案し特許出願したことに始まります。

実際に撮像、受像の全電子化が達成されたのが1919年のこと。…つまり1922年当時では、まだテレビ放送なんて夢のまた夢だったのです。

当然ながら、それが兵器に使える技術であるなど、誰が想像できたでしょう」

 

 

――言えることは、ただ一人、ツェツィーリエ・フォン・プロイツフェルンはそれに気付けたと言うことです。

 

 

「その事を示す面白いエピソードが議事録に記されています。

『テレビジョン方式を指示した時、技術者たちは驚きの声をあげながらも理解を示したが、残りの列席者は首を傾げていた。…フィルムをどうやって(母機)まで運ぶのです?と』

――映像を電気信号に変えて送る技術自体、高級武官らの間では知る人ぞ知る新技術だったことを示す逸話ですね」

 

むしろ()()()()()()()()皇女が、なぜこれほど当時の最先端技術に精通しているのか疑問でなりません。

 

「一説には、ツェツィーリエ・フォン・プロイツフェルンというのは複数人いて、ある者は皇女を、ある者は技術者をやっていたのではないかとさえ言われています。

無論、証拠も何もない妄想の類です。

しかしそんな珍説が飛び出すほど、彼女にまつわるエピソードには俄かには信じがたい内容が多く含まれているのです」

 

 

 

話を帝国の新兵器に戻しましょう。

 

当時の最先端技術を取り込んだテレビジョン誘導方式『X-3』。

その開発は、意外なほど順調に進みます。

 

「民間のテレビジョン開発に、ダミー会社を経由して資金援助するという方式だったのもあるでしょう。

…今となっては笑うほかありませんが、このとき行われたコンペで優秀賞を取り、帝国に採用されたのは連合王国出身の技術者だったのです」

「このときのコンペで求められたのは『基地局として飛行船を活用し、南洋諸島を含む帝国領内全土でテレビを見られるようにする』というものでした。

…そう、彼らは()()()()()()()()使()()ことを目論んでいたのです。何のためかは、言うまでもありません」

 

 

かくして、3年後の統一歴1926年7月。

帝国空軍レヒリン技術試験場で、世界初のテレビジョン誘導弾『X-3』が完成します。

 

「X-3については資料が乏しく、その正確な形状、性能とも謎に包まれています。試験結果は良好であったのは分かっているのですが…」

 

 

 

 

 

有線誘導、そしてテレビジョン誘導。

世界標準を20年以上先取りする二つの技術を手にした帝国は、ついに実戦用新型爆弾『X-4』の開発に着手します。

 

「大戦は激しさを増していました。5月にフランソワ共和国との講和に漕ぎつけた帝国でしたが、代わりに連合王国との全面戦争に突入していたのです。

言うまでもなく、海軍力では帝国に勝ち目はありません。少なくとも、当時の人間は皆そう思っていました。

そんな中での新技術です。

帝国が『X-4』に戦艦をも一撃で屠る巨大爆弾として期待をかけ、開発を急いだのは当然のことだったでしょう」

 

既にX-2、X-3で技術的課題の多くを克服していたこともあり、1926年12月、その新兵器は完成します。

 

 

 

 

 

正式名称『ルールシュタール/()()()()()()()X-4』

 

 

それが、世界初の実用型誘導爆弾の名前でした。

もっとも今日では開発時のコードネーム『サーベラス(三頭犬)』の方が知られています。

 

「その名の由来は、言うまでもなくこの爆弾の形状にあります」

 

 

【挿絵表示】

 

 

「3つの胴体が並んだ形状、これを神話の怪物サーベラス(三頭犬)になぞらえたのです」

 

3つ見える胴体ですが、爆弾本体は中央の一本のみ。

残り2つは、なんと、どちらも動画撮影用カメラとなっています!

 

「立体視のためと言われた時期もありましたが、そんな高尚な理由ではありません。

単純に当時のカメラは壊れやすかったことと、左右の重量バランスを取る一番確実な方法だったというだけのことのようです」

「それにしても、恐ろしく進んだフォルムです。推進用ロケットがないことを除けば、現代のミサイルと言われても違和感がありません」

 

しかし、これだけ付属部品が多いと、目標に命中した際、それらが引っ掛かって貫通力が落ちてしまうのではないでしょうか?

 

「良い質問です。そして恐るべきことに、帝国はそれにも対処済みでした。

先端に取り付けられた長さ約1.1mの長い信管にご注目ください。じつはこれ、爆弾本体の信管ではないのです」

「そもそもこの爆弾、()()()()()()()()()()でして、カメラや安定翼は外殻に取り付けられています。目標命中時には先端の長信管によって、外殻各所の爆砕ボルトが起爆、分解する仕組みになっていました。

余計なもののなくなった徹甲弾本体はその重量2.4t、着弾速度300メートル毎秒で得られる運動エネルギーを余すことなく貫通力に転換しました。

…いやはや、恐ろしく手の込んだ設計です」

 

おかげで恐ろしく高価な爆弾だったとウェンリー教授は教えてくれました。

 

「当時の帝国陸軍主力戦車、Ⅳ号戦車約10輌に匹敵する値段の爆弾でした。

そもそも2.4tもの徹甲弾自体、調達費用のかかる代物です。加えて精密機械の塊たる誘導装置とパージ機構…。カメラレンズも帝国の誇る老舗企業『ライケ』社の特注品でしたから、これはもう爆弾というより、当時世界で最も精密な機械工芸品といったほうが適切かもしれません」

「事実、戦後この爆弾を見聞した連合王国、合州国の技術者たちは揃ってこうコメントを残しています。

『このような精密機械が使い捨ての消耗品、兵器であるとは信じがたい』」

 

 

しかし、その分命中率は桁外れでした。

バルテック海で行われた実験では、高度7,000mから投下された本爆弾が目標の魚雷艇を直撃しています。

ご覧いただいているのは、その時実際に撮影された映像です。

はるか上空、雲の上から投下された『サーベラス(三頭犬)』が、見事にモーターボートを貫いていることが分かります。

 

 

「当時の水平爆撃が『数撃てば当たる』だったことを考えれば、むしろ費用対効果としては高かったかもしれません。命中すれば大抵の軍事目標は粉砕できるのですから」

 

 

 

こうして完成した『X-4』でしたが、しかし、実戦投入の機会にはなかなか恵まれませんでした。

 

 

「艦隊同士の戦いが、ついに発生しなかったからです。

大西洋での戦いは帝国が主導する『通商破壊戦』…つまり快足巡洋艦や潜水艦による輸送船攻撃と、それを阻止する連合王国護衛艦隊という形に収斂していました。

――そう、皮肉なことに帝国自身がこの爆弾の活躍の場を奪ったのです」

 

そして戦車よりもお高い爆弾を輸送船に使うのは、あまりに勿体なさ過ぎました。

 

「しかし、この爆弾を使うのにうってつけの戦場が登場するのです」

 

 

 

それこそが、クリーミャ半島西部セバスチャン・ト・ホリ攻防戦でした。

 

 

 

「『厄介な重防御の巨砲』。通常爆弾では貫通出来ず巨大な徹甲弾が必要で、しかも天蓋を狙い撃つ精度が必要…。

 

――まさに、この爆弾のためにあるような舞台でした」

 

 

 

そして、統一歴1927年7月20日。

ついに、このオーパーツが解き放たれる時が来たのです。

 

 

「投入されたのは『X-4Ausf.24/42』、弾頭重量2,400kg、全備重量4,200kgのタイプでした。作戦は厳重な機密管理下に行われたため不明な部分も多く残されていますが、その結果は明らかです。

投下された爆弾は第30番、35番砲台の各第一主砲塔を見事に貫通。弾薬庫まで突き進み、そこで炸裂しました」

「設計上は500mmのアーマーを貫通可能な爆弾です。至極あっさりと貫いたことでしょう」

 

ウェンリー教授は砲台側の過失もあったと指摘します。

 

「関係者の証言によれば、当時この砲台にはいずれ行われるであろう帝国軍の総攻撃に備え、設計時の規定量を大幅に超える弾薬が集積されていました。

増強された地上の高射砲の弾薬までもがここに収用されており、総量は現在でも分かっていません。各砲台とも400t前後に達していた可能性があります」

 

運も悪かったとマウントバッテン卿は言います。

 

「この爆撃の直前、帝国軍の爆撃で砲台付近の高射砲が破壊されました。

その復旧と後片付けのため、砲台要員の多くが外に出ていたのです。…しかも慌てていたのか、隔壁閉鎖も不十分でした」

「飛来した爆撃機、SB-2がたった一機だったのも連邦側を油断させました。

その前の攻撃の戦果確認だと誤認してしまったのです。高度が8,000mという、当時の世界常識で言えば水平爆撃ではまず命中しない高度だったというのもそれを助長しました」

 

 

かくして、何物にもさえぎられることなくほぼ垂直に着弾した2.4t徹甲弾は砲塔基部、弾薬庫まで突き進んで炸裂。

充填されていた推定400kgの高性能炸薬は、そこに集積されていた大量の弾火薬を誘爆させます。

 

「爆発というものは、密閉空間であればあるほど威力を増します。

――例えば爆竹の場合、手の上で、手のひらを開いた状態での爆発ならやけどで済みますが、閉じた状態だと指が全て吹き飛んでしまうのです」

 

 

ましてやこの砲台の弾薬庫は地下15mにあり、しかも厚さ10mもの鉄筋コンクリートで覆われていました。

 

 

「考えうる中で、もっとも最悪のケースでしょう。400tもの弾薬の誘爆なんて、想像することすらできませんよ」

 

 

 

 

 

 

――そうして出来上がったのが、今(わたくし)が立っているこの場所という訳です。

攻撃後、ここには巨大なくぼ地が出来、やがてそれは大きな池となりました。

その後70年代に行われた調査で水が抜かれ、地下第一層までが発掘、整備されてこうして見ることが出来るようになったのです。

 

もっとも、正確には地下第二層以下は破壊が凄まじく、現時点での発掘は困難というのが実情のようですが。

第35番砲台についても同時に攻撃が行われ、こちらは30番砲台に比べて2つの砲塔の独立性が高かったためか、傍目には砲塔のうち片方は無事なように見えました。

 

 

 

「実際には至近距離での大爆発の衝撃で各所にゆがみが生じ、地下の至る所で崩落が発生して戦闘不能でした。文字通り、一発の爆弾でこれらの砲台は機能を喪失したのです」

 

 

さて、このくぼ地となった砲台跡から出てみますと――

 

御覧ください。彼方に見える赤茶けた主砲塔を。

そうです。

恐ろしいことに、凄まじい爆発によって()()()()()()()あそこまで飛ばされてしまったのです!

大戦時、この地を占領した帝国軍もそのあまりの重量に撤去に手古摺り、結果、今日でもあのように上下逆さまの状態で現存しています。もう少し、近くで見てみましょう。

 

 

――これは酷い。近寄ってみると、上下方向にひしゃげているのが分かります。

これは弾薬庫の大爆発で打ち上げられた砲塔が、それなりの高所から落下したことを示しています。

側面には占領後に帝国軍兵士が書いたとみられる落書きが残っていますね。

しかしこれだけの鉄の塊が宙を舞うなど、いったいどれほどの爆発だったのでしょう。

 

 

「恐らく、人類が引き起こした最大規模の爆発でしょう」

 

ウェンリー教授は言います。

 

「この爆弾の成功はそれまでの戦争常識を根本から塗り替えてしまいました。

如何に強固な要塞だろうと、厚さ500mm以下の装甲、もしくは4m以下のコンクリート部分があればそこを貫通されてしまうのですから。

海の上でも状況は変わりません。そんな分厚い装甲を備えた軍艦など、今も昔も存在しません」

「しかも帝国には、設計のみであれば更に高威力の『X-4Ausf.50/70』…恐ろしいことに弾頭重量5,000キログラムという、如何なる地下要塞だろうと粉砕できる怪物すらあったのです。

…もっとも、搭載できる機体がないという当然の理由で中止されましたが」

 

 

 

 

 

一方で、フォーク教授はとある根本的な問題を、帝国はついに解決できなかったのだと言います。

 

 

「母機の行動が制約されることです。

今日(こんにち)のミサイルと異なり、この爆弾は目視誘導、ケーブル誘導方式ですから、命中までの間、投下した母機は目標上空に留まる必要がありました。

テレビジョン方式の導入でより高々度、雲上からでも投下できるようになったとはいえ、制空権を確保できた場所でしかこの兵器は使用できないのですよ。

後はそうですね、夜間と荒天時には全く使えないというのも大砲に比べて劣るところでしょうか」

 

それについて、ウェンリー教授はこう指摘します。

 

「帝国の軍事状況から見ると、むしろ合理的な判断といえるかもしれません。

というのも当時、連合王国の夜間戦略爆撃の増加に伴い、帝国の軍用機生産に占める戦闘機の割合が急上昇していました。翌1928年になると、軍用機生産の7割以上が戦闘機で占められるようになります。

残り3割で爆撃機に輸送機、偵察機といった機種を造らないといけないのですから、その生産数は著しく減少しました。セバスチャン・ト・ホリ攻略戦で試作第5号機、第6号機が投入されたSB-2も、結局300機程度しか生産されていません。

同盟国軍が行ったような、『命中率を夜間絨毯爆撃でカバーする』という方法は不可能だったわけです。

 

当然の帰結として、急降下爆撃や誘導弾による精密誘導爆撃が帝国空軍爆撃機の主流戦法となります。

しかも帝国空軍の大多数を占める戦闘機の大量投入によって、目標上空の制空権を確保することは可能でした。

…こうしてみると、現代の合州国が行っている爆撃方法に極めて近いことが分かります。その意味でも、帝国空軍は時代の先を進んでいたといえるでしょう」

 

 

 

いずれにせよ、最も強力な二つの砲台を瞬時に爆砕された連邦軍の防衛計画は破綻しました。

二つの砲台が、近隣の増設された砲台の弾薬庫を兼ねていたのも大きかったでしょう。

開戦後、突貫工事で造られたそれには頑丈な弾薬庫を造る猶予がなかったからです。結果、連邦軍守備隊は備蓄弾薬のかなりの部分を喪失してしまったのです。

 

 

「そしてそれだけの大爆発です。連邦軍兵士は何が起こったのかを瞬時に理解しました。

自分たちが頼りにしていた難攻不落の巨砲が一瞬で消し飛んだことで、彼らは戦意を喪失したのです」

 

 

 

そして、砲台爆砕から凡そ2週間後。

最後まで抵抗していた軍港南部の陣地が降伏したことで、セバスチャン・ト・ホリ攻防戦は帝国軍の勝利に終わりました……。

 

 

 

 




と、いう訳で正解は

「フリッツX-2」+「Hs293D」でした。
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