皇女戦記   作:ナレーさんの中の人

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本章最後のお話となります。


回転

統一歴1927年8月13日

連邦首都モスコー 

 

内務人民委員長執務室に、その慟哭は響く。

 

 

 

「どうしてこんなことに……!!」

 

 

 

部屋の主の醜態を知ってか、あるいは逆鱗に触れることを恐れてか、この部屋の周囲に人の姿はない。無論、他の人民委員は控室にいるが、彼らはじっと息をひそめている。

 

「確かに、確かにレネングラードに少しばかり兵を多く集めたが…!」

 

1人しかいない部屋の中央で、必要なことだったのだ、と彼は呟く。

――錯乱の余り勘違いしているが、軍を動かすのは最高指揮官たる同志書記長であり、専門職たるデューコフ上級大将の差配による。

 

兎も角、統一歴1927年初夏、連邦は帝国の軍事行動の目的をレネングラードと判断し、防衛戦力を集結させた。

なにしろ、前年の攻勢で最も派手に暴れてくれたクデーリアン率いる帝国軍なのだ。帝国空軍の爆撃、魔導師の投入量から見てこの北方戦線が帝国の主攻であると判断した連邦軍の考えは、なるほど道理であった。

そして帝国軍がレネングラードを目指すこと自体は、連邦軍からすれば「願ったり叶ったり」であった。

何故ならば、同市は連邦第二の都市にして一大工業拠点。

戦線がレネングラードに近付けば近づくほど、連邦軍は潤沢な補給を受けることが出来、逆に帝国本土から離れる帝国軍は補給が続かず息切れするだろう、連邦軍はそう考えたのだ。

 

――すなわち、反攻のチャンス。

 

なればこそ、連邦軍はレネングラード防衛管区には勿論のこと、レネングラード南東にあるノヴゴロドに、総反撃のための機動戦力を集結させていた。

 

作戦名『北極星』。

 

【挿絵表示】

 

その要旨は単純明快。レネングラード前面で息切れした帝国軍を包囲殲滅し、戦局の打開を目指す。

地の利も兵力も、なにより兵站の面で不安のない状況。

これならば帝国に勝てる、と。

 

 

ところが、である。

 

 

「まさか、あれほどの戦力が陽動だとは…!」

 

6月20日早朝、事態は急変した。

全く動きの無かった帝国南方軍が、突如としてドニエプルを渡ったのである。

制空権が帝国にあったとはいえ、この大規模攻勢を事前にキャッチできなかった連邦軍南西管区の責任は大きい。『帝国軍への対処』という任務がなかったならば、彼らは三日と待たず銃殺刑となっていただろう。

 

――もっとも、彼らは「名誉の戦死」と言う形で責任を取ることとなったのだが。

 

南方からの知らせに、連邦軍は悩んだ。

『北極星』のために多くの兵力を北に割いている現状、これだけの大兵力を南方に送るのは一苦労。そして「南方にも兵を割いている以上、レネングラードに迫りつつある帝国軍は予備兵力に乏しいに違いない」という推測が、戦力の南方への分派を躊躇させた。

 

しかし、帝国の狙いがクリーミャ半島にあることが明らかとなり、更にはペレコフ地峡もが数日と持たずに突破されるに及んで、彼らは悩んでいられなくなる。

 

 

――帝国の狙いは黒海の制海権奪取、そしてバクー油田だ!

 

 

どちらも、連邦という国家にしてみれば死活問題。

加えてクリーミャ半島と大陸本土を繋ぐペレコフ地峡は最も狭いところで幅8㎞しかない、まさに天然の要害()()()()()

ところが、防衛陣地を連ねていたその地峡がわずか数日も持たずに突破された――連邦軍上層部は知る由もなかったが、帝国軍はここを強行突破するために突撃砲や自走砲、各種野砲に迫撃砲、ロケット砲まで数えると2,000門近い大砲を撃ち込んでいた――となれば、もはやなりふりなど構ってはいられない。

 

そして、レネングラード防衛軍からの報告が彼らに決断を促した。

 

「帝国軍が撤退した、だと?」

 

寝耳に水、とはこのことであったろう。

数日前まで積極的な攻勢を仕掛けていた、別の言い方をすれば連邦軍の「射程内」に足を踏み入れていた帝国北方軍が、突如として撤退を開始したという知らせ。

昨年同様、後退に際して橋を爆破し、道路に地雷を仕掛け、川をせき止めて周囲一帯を沼地にするという嫌になるほど綿密な嫌がらせに、連邦軍は確信する。

 

――レネングラード方面への攻勢は陽動だ!

 

このころになると、連邦軍は戦闘集団としての本質を取り戻し、開戦劈頭に見せたような醜態をさらすことはなかった。

すなわち、これ見よがしに後ろ姿をさらしている帝国北方軍という「罠」にかかるようなことはない。…どうせ、悪辣なトラップが大量に仕掛けられているのだから。

それどころか、南方軍がクリーミャ半島に侵入したばかりというタイミングでの帝国北方軍の後退をあざ笑う余裕すらあった。

 

「馬鹿め、早すぎるぞ」と。

 

なんとなれば、このタイミングでの北方軍撤退により、連邦軍5個軍団が行動の自由を得たからだ。移送に手間がかかるとはいえ、これだけの兵力を半島に投じれば、セバスチャン・ト・ホリ要塞群を前に進撃が停滞している帝国軍を捕捉、撃滅できるだろう。

 

「帝国め、耄碌したか?」

「いや、あるいは罠かも知れん」

「罠だとすれば見え透いているが?」

「…分からん。連中、何を企んでいる?」

 

 

――結論から言えば、罠だった。

 

 

すなわち、彼らが逡巡している間に帝国軍第11軍はセバスチャン・ト・ホリの包囲を完了。

連邦本土との陸上交通が遮断され、東の出口たるケルチ方面にも帝国軍が猛攻を加えつつあるという状況は、連邦首脳陣の心胆を寒からしめるという意味では十分すぎた。

なにしろクリーミャ半島のかなりの部分が落ちたと言うことは、取りも直さずバクー油田への航空攻撃の危機が迫っていることを意味する。

連邦の石油需要の大半を賄っているこの油田に何かあれば一大事。それに比べれば軍の懸念など、路傍の石に過ぎなかった。

 

事ここに及んで、連邦軍総参謀長デューコフは決断()()()()()

 

「――兵力の逐次投入こそ避けねばならぬ。移動可能な予備兵力のすべてをクリーミャ半島奪回に投入する」

 

彼の決断は陸上の戦いという意味()()全く以て正しかった。

 

…そう、帝国空軍がその戦力の半分近くを投じ完全な制空権を確立し、そして各種の「新兵器」を持ち込んだ戦場でなかったならば。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

「…結局、どれほどの兵力を失った?」

 

8月10日の夜、モスコーのデューコフに齎された知らせは、まさしく凶報であった。

 

「セバスチャン・ト・ホリ防衛にあたっていた第51軍、第60軍のうち、現時点で海路脱出できたのは2個師団に満たないとのこと…」

 

デューコフは思わず机に手を突いた。

そうでもしなければ、倒れ込んでしまいそうだったからである。

 

「馬鹿な…!? 1割に満たないだと!ケルチ方面の第35軍は!?」

「こちらは2個師団程は残っているようですが…」

「信じられん…」

 

デューコフが眩暈を覚えるのも無理はない。

連邦において、「軍」はおよそ3個から4個の師団からなる。

つまり、参謀らの報告はクリーミャ半島にあった連邦軍の3分の2が失われたことを意味した。

 

「いったい何があったのだ…?」

 

 

 

この自身の問いかけに対し、戦後デューコフはこう回答(結論)している。

 

 

『蟻地獄』

 

 

『――我々は帝国の狡猾な罠にはまってしまった。

北方での帝国軍の動きに気を取られ、先手を取られた我々には、セバスチャン・ト・ホリを、クリーミャ半島を救援するしか選択肢はなかった。

この地の戦略的重要性を思えば、我々が救援に動くことは容易に想像できただろう。当然、帝国にも。

 

だからこそ、我々の戦力移動を彼らは()()()()()()()のだ

――すべては、クリーミャ半島を巨大な蟻地獄とするために。

 

当時の我々には知る由もなかったが、帝国は、厳密には帝国空軍は恐るべき新兵器を用意していた。

 

我々がそのカラーリングから「白黒爆弾」と揶揄した広範囲炸裂榴弾「Ei3000」。その爆発は半径40m以内にあるものを消滅させ、爆風半径に至っては1キロもあった。生半可な塹壕では防ぐことは出来ず、兵士たちはその爆弾が直撃しないことを神に祈りながら装甲車両の陰に飛び込むしかなかった。

ただ一つだけ弁明を許していただけるならば、私はこう申し上げる。『対歩兵用の3t爆弾なんてものを用意しているなど、誰が予想できただろう!』と。

……ちなみに、その特徴的カラーリングは爆弾の落下状況を観測しやすくするためのものだったらしい。聞いたときは乾いた笑いが出たのを覚えている。「我々はモルモットかね?」と…。

 

ともかく、そんなものがあるとは露知らず、我々はクリーミャ半島西部の軍港都市セバスチャン・ト・ホリ、東部のケルチに増援を送り込み続けた。…そこに、帝国はこの爆弾を投げ込んだのだ。

帝国が連邦に対して圧倒的に劣っている「兵士の数」を、彼らは効率的に解決していったのだ。……我々は愚かにもそれに気づかず、兵士たちを纏めて差し出す愚行を重ねていたわけで、弁明のしようもない。

兵士たちは送り込まれた前線で、あるいは宿営地で、もしくは船の上で帝国空軍の攻撃を受けた。制空権はついに我々の手に戻ることなく、クリーミャ半島は帝国空軍の狩り場となった。

 

そして、もう一つの新兵器『Ⅹ-4』は、連邦軍の防衛計画を根底から吹き飛ばしてしまった。

 

当時、セバスチャン・ト・ホリには海岸防衛用として世界トップレベルの性能を誇る、『第30番装甲砲台』『第35番装甲砲台』があった。その30.5㎝主砲は射程40㎞以上を誇り、防御力も十二分以上。

このほかにも700門の野砲、2000門の迫撃砲と機関銃、それらを備えたトーチカ及び地下連絡通路。これが3重に連なる鉄壁の布陣に、我々は絶対の自信を持っていたのだ。『セバスチャン・ト・ホリ要塞は難攻不落である』と。

 

 

 

その30.5㎝砲台が爆弾一発で破壊されるなど、誰が予想できただろうか

 

 

 

あれで、全てが狂ってしまった。

なにしろセバスチャン・ト・ホリ防衛軍の有する最大の主砲8門、その全てが一瞬で失われてしまったのだ。

兵士の士気が落ちたというのもあるが、なにより、包囲から総攻撃へと切り替わった帝国軍を、その射程外から攻撃する手段が失われたというのが痛かった。

戦後知ったのだが、帝国陸軍はこのとき1,000門の野砲、自走砲と1,500門近い迫撃砲とロケット砲を持ち込んでいたという。加えて、帝国空軍の急降下爆撃は正確だった。

制空権を確保した帝国の弾着観測は正確で、我々の野砲は圧倒的に不利だった。長距離砲も失った我が軍に打つ手はなかった。

 

劣勢は海の上でも同じだった。

彼らはつい数日前までとは打って変わって、クリーミャ半島近海を航行するわが方の艦艇に対する攻撃を激化させた。

海軍も色々と策を講じたし、艦隊の出撃も行った。…しかし、それもまた帝国の予想通りだったに違いない。出撃した艦隊は湾を出るか出ないかという内に帝国空軍の爆撃機に群がられ、最後は海底に潜んでいた特殊潜航艇にトドメを刺された。

これも戦後になって知れたのだが、帝国空軍にはもう魚雷の在庫がなかったらしい。――そうと知っておればもっと早くに出撃し、戦局を打開することも可能だったかもしれないというのに!

現実は帝国の爆撃機、魚雷艇の奇襲を恐れて軍港に逼塞を続け――この点に関して海軍を非難する意図はない。何しろ彼らが壊滅すればセバスチャン・ト・ホリ防衛軍は補給を断たれてしまうのだから、その保全主義は全くもって正しい――、最後の最後に錨を上げて、あたら海の藻屑となったのである。

 

 

 

 

かくして、勝敗は決した。

 

 

最強の剣たる30.5㎝砲台を喪い、艦隊と制海権を奪われたことで弾薬を撃ち切った砲兵はサーベルを手に持ち――歩兵銃の弾薬すら最後には枯渇していたのだ――、彼らを司令部の生き残った参謀たちがピストルを手に指揮しているという状況で、どこに勝ち目があるというのか?

少なくとも、私には見えなかった。

 

しかし、彼らに降伏は許されなかった。

 

「彼らが抵抗を続けられている間は、バクー油田に対する帝国空軍の攻撃は多少の制約を受けるであろう」……ああ、分かっている。自分たちに都合の良い願望であることは。

けれども、そう自らに言い聞かせるほか無かった。クリーミャ半島南岸の制海権は喪われ、ケルチ防衛軍も壊滅寸前。その状況下でセバスチャン・ト・ホリ防衛軍を救う手立てなど、あるはずがなかったのだから。

「セバスチャン・ト・ホリ防衛軍は弾薬のある限り、現地点を固守せよ。しかる後、後方の友軍と合流すべし」…私に出来たのは、同志書記長の死守命令をこのような命令文にすることくらいであった。

これほど酷い命令を発した軍人など、数えるほどしか居るまい。

武器弾薬を失い、脱出する手段も漁船か手漕ぎボートくらいしかないであろう現地部隊に、このような命令を下す総参謀長など!

 

 

 

 

 

 

――けれども、悪夢はまだ終わっていなかったのである。

 

 

 

 

 

 

「同志デューコフ将軍!緊急事態です!!」

 

 

8月15日早朝、モスコーに齎された凶報。それは――

 

 

 

◇◇◇

 

 

「各位、状況報告」

 

 

ターニャ・フォン・デグレチャフ大佐のその声に、各()()から報告が届く。

 

≪こちらピクシー(203)、目標Aを爆破!よく燃えています≫

ノルデン(ヴァイパー)、もう少々お待ちを。火の回りが早すぎて確認に手間取っています≫

セイバー(106)も同じく!()()()()がこうも厄介とは≫

 

「…無理はするな。自分が付けた火で焼け死ぬなど愚の骨頂。そうだな、距離を取ってありったけの爆裂術式を叩きこめ。終わり次第、次の目標へ迎え」

 

各大隊からの了解の声を流しつつ、ターニャは眼下に広がる火炎地獄を見下ろした。

 

 

 

 

作戦名『タイダルウェーブ』

 

 

 

とある幼女一人を除き、命名者の皇女以外、誰にも由来の分からなかった作戦名。

 

「…けほっ。ここも少し煙たくなってきたな」

「風上に移動しますか?」

「そうしよう。他の連中にも注意喚起を」

「はっ!」

 

作戦目標は、連邦最大の油田。

ここまでならば、普通の航空攻撃だったかもしれない。

 

しかし――

 

「…また派手に爆発したな?」

「あの方向は確か…、ルーデル中尉の担当目標だったかと」

「…カノーネン・フロイラインめ。…ルーデル中尉、応答せよ。今度は何を誘爆させた?」

≪ザザッ…お騒がせしました大佐殿!敵高射砲陣地横に弾薬庫らしきものを発見、長距離で狙撃したところ、派手に誘爆しました!≫

「…なら良いが、自爆だけはしてくれるなよ?」

≪了解であります!≫

「まったく、どうして中尉の行くところ、派手に爆発するものが転がっておるのだ?」

「あ、あはははは…。し、しかし魔導師による油田破壊など、聞いたこともありませんでしたが、案外うまくいくものですね」

「全くだ。…そうでなかったら、あの姫様を締め上げているところだよ」

「大佐殿!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『こ、この手は何かな?』

 

遡ること一か月余り前、ベルン郊外で皇女殿下に両肩を掴まれたターニャは震え声で問うた。

 

『さっき言ったじゃないか、SB-2の量産が出来そうもないって。

そしてこの手の攻撃は一回目が肝要。小出しにすると対抗策を講じられてしまうからね』

『…SB-1でも爆弾量を減らせば行けるのでは?』

『フム。確かに行けるかもしれないね。――だが』

 

ツェツィーリエ・フォン・プロイツフェルンはニヤリと笑う。

 

『ちょうどいいところに、油田攻撃の経験がある精鋭部隊がいるじゃないか』

『…うん、見えてきたぞ』

『付け加えると、SB-1初期型を輸送機にしたTB-1がそれなりに揃い始めている。

 

――あとは分かるね?』

 

『…無駄な抵抗だとは思いながらも聞いておく。拒否権は?』

 

『そんなものはない』

 

『やっぱりか畜生めぇ!』

 

とはいえ連邦最大、世界の産油量の半分を占める大油田である。

生半可な攻撃ではその機能を停止させることは出来ないし、西暦世界のタイダルウェーブ同様、いずれ復旧されてしまうだろう。

 

『…そうなのか?』

『一時的には4割以上落ちたらしいが、300tの爆弾を落としてそれだぞ?』

『…意外としぶといな』

『まぁ、航法をミスって対空陣地にまともに突っ込んだというのもあるが』

『…なぁ、今からでも遅くない。作戦名変えないか?』

『モスコーまで行った連中が航法ミスを犯すのかね?』

『………』

 

ましてや目標はそのプロイェシュティ(こちらでは、クロエシュティ油田)の倍以上の規模を誇るバクー油田。爆装を減らしたSB-1では、その効果は限定的だろう。

 

 

『その点、魔導師の攻撃は極めて有効だ』

 

 

なにしろ、魔導師の本質は空中戦も出来る「歩兵」と言うことにある。

無誘導の爆弾の雨を降らせる航空攻撃と異なり、歩兵攻撃は一発当たりの威力こそ小さいが、持続して、しかも近距離から当たるまで反復して攻撃を実行出来る。

 

それがライフル銃でちょっとした榴弾砲レベルの威力を発揮できる、魔導師の術式封入弾ならば何をかいわんや。

 

『あるいは油井の真上から貫通術式を叩きこむのも効果的かもしれんな。一からボーリングのやり直しになるだろう。もしくは貯蔵タンクに適当に穴を開けて、ほど良く油が流れたところで着火するとか』

『……前から思っていたが、君、悪辣にもほどがあるな』

『いやぁ、それほどでもないさ』

『誉めてないからな!?』

『…ま、そういう訳でこれから一か月程度、懐かしのダキアで訓練に励んでくれたまえ。

 

 

――ターニャ・フォン・デグレチャフ()()()殿()?』

 

 

『……ん?』

 

 

 

◇◇◇

 

8月15日早朝

バクー油田北方上空 連邦空軍 リトビャク少尉

 

 

≪油田が…!≫

 

僚機の誰かが漏らし、合州国製の無線機――自国製のとは比べ物にならない――に乗って届いたその声は、取りも直さず彼ら全員の総意であり、悲鳴だった。

 

「くそっ!昨日の今日でこれかよ!」

≪落ち着け、昨日と()()、落ち着いてやれば追い返せる。各機、周辺警戒を怠るな≫

「了解!」

 

リトビャクの言うとおり、帝国空軍のこの方面への攻撃は2日連続。

そして昨日の日中行われた攻撃では、帝国の誇るSB-1はさっさと爆弾を投棄して逃げ出したのだ。

 

――さすがに護衛機も無しじゃ厳しいと、帝国の連中も分かっているんだろうさ。

 

昨日の防空戦終了後、新人パイロットの多い中隊員に中隊長が語ったとおり、クリーミャ半島から2,000㎞も離れたバクー攻撃に随伴できる帝国軍戦闘機は存在しなかった。

最も足の長いシャッテン(Schatten)でも、航続距離は落下式増槽込みで3,200㎞。実際の作戦行動半径は1,300㎞前後であり、それより遠い目標に対しては爆撃機のみでの攻撃とならざるを得ないのであった。…だからこそ、後継機たるSB-2は20mm機銃を5門程度備えるに至るのだが。

 

 

しかし、その中隊長でも気付けなかったことがあった。

 

 

なぜ、至上命題たるバクー油田攻撃を目前にして、帝国空軍がやけにあっさりと引き返したのか。

 

そして、実はそこに爆弾を積んだSB-1は半分もおらず、残りは全てTB-1(輸送型)だったなんて、神ならざる人間が察知できるはずも無い。

加えて完全武装の兵士30名を一度に運べるという触れ込みのソレが、何故か真っすぐ引き返さずにフウラ・カフカ山脈上空を通過したことを、レーダーのない連邦軍は見逃していた。

 

 

――ましてや夕闇に紛れて魔導師が山脈に降下し、夜明け前まで潜伏しているなど誰が想像できようか?

 

 

≪――地上部隊との通信は?≫

≪駄目です!応答がありません!!≫

≪くそっ!全員よく聞け、こうなったら自分の目だけが頼りだ。周辺警戒を厳となせ!!≫

 

 

――不幸なことに彼らは知らなかった。

 

自分たちが30機程度なのに対し、相手は戦闘機相手の戦いも経験済みの魔導師()()()()、約150名であることを。

しかもバクー上空は油田火災で視界が悪化しつつあり、上空を飛ぶ戦闘機はともかく、()()()()()()()()()()()()()()歩兵を見つけるなどほぼ不可能。

 

 

なによりも、彼らの不幸は以下の一点に収斂されるだろう。

 

 

 

『――タイダルウェーブ作戦の発動にあたり、()()()()()()()()()()は連隊長ターニャ・フォン・デグレチャフ大佐考案の【特別訓練】を受け――』

『――大佐の訓練は的確ながらも苛烈なことで知られており、このときも実に2割の人員が練度不十分として参加部隊から外された。結果として同連隊は精鋭中の精鋭部隊となっていた』

――戦史叢書より

 

 

かくしてこの日、バクー油田は地獄の業火に焼かれることとなる。

 

 

 

 

 

しかし、皮肉なことに――

 

 

「…なに?それは本当か?」

 

 

――臨時混成第一魔導師連隊がバクー油田を破壊していたのと同時刻。

 

 

「…遺憾ながら事実であります」

 

 

運命の歯車は、大きく動き出そうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――合州国からの、最後通牒であります。殿下」

 

 

 

 

 




次話より新章突入!

…ただし業務繁忙期につき、少々お時間をください。
具体的には1145141919●ほど
ツ「…肝心の単位を黒塗りとか汚い」


●ほかの戦闘団は?
帝都近郊で演習という名の休暇を満喫中。

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