統一歴1927年8月16日
帝都ベルン 帝国国務省
「――いったい、どういうことですかな?」
「…それはこちらが言いたい台詞ですな」
机を挟んで睨みあうレルゲン大佐とコンラート参事官だったが、しかし、数秒と待たず両者は嘆息した。ここで争っても何も生まない、と。
「…最後通牒の内容は御覧になりましたかな?」
「無論ですとも。おかげで参謀本部は大騒ぎです」
でしょうな、と頷きつつ、参事官は葉巻を大佐に勧めた。
「全く、ふざけた内容だ。そうは思われませんか?」
「同意します。ちなみに、直接受け取った大使は、大使館に戻った足で暖炉に投げ込みかけたそうで」
「…それは問題では?」
「国務省としては訓告ものですな。しかし、帝国人としては当然の反応でしょう」
なんとなれば――
「全占領地からの即時撤退と軍備削減、無併合無賠償を前提としての停戦ですと?
連中、一体何を見てこんなものを書いたのやら」
それは、おおよそ帝国が呑めないことを前提とした内容。
「加えてそれが為されない場合、合州国による軍事介入も辞さないと来ています」
「…参事官殿、外交経験豊富な貴殿にお尋ねしたい。…連中の真意は?」
「2つほど考えられます」
「それは?」
コンラートは指を一つ立てる。
「一つ、この最後通牒が渡されたのは8月15日午前。その時点では、バクー油田攻撃の報は届いていなかった」
「…つまり、連邦が窮地にあると想定していない段階で書かれたと?」
「然り。ゆえに可能性はあると考えたのでしょう、『連邦相手に泥沼に陥っている帝国ならば、交渉の余地はある』と」
「交渉?これが?」
「最初はきつい条件を突き付け、そこから
「…なるほど、それでもう一つは?」
「参戦の口実作り」
参事官の口から出た言葉、その意味するところにレルゲンは驚き、呟いた。馬鹿な…、と。
「…連中は孤立主義のはずだ」
「昔はそうでした。しかし、現下の情勢を見ると、それは違うでしょう」
「根拠は?」
「レンドリースですよ」
「…あれですか」
忌々し気にレルゲンが呟くのも無理はない。
なにしろ去年の暮れあたりから、連邦軍が遺棄した武器弾薬のかなりの割合を合州国製が占めているのである。それさえなければもっと楽に戦争を進められるのに、と帝国軍人が揃って臍をかんでいるのは言うまでもない。
「どう考えても中立違反だとことあるごとに申し入れてきましたが、なしの礫。そもそもあれほどの量を支援する時点で、合州国は『あちら側』です」
「確かに」
「なによりレンドリース、つまり『融資』なわけです。…大佐殿、貴方が金を貸す側だったとして、融資先の何を一番懸念されますかな?」
金融関係者でもない、一軍人たるレルゲンではあったが、陸軍の中枢、参謀本部に詰める参謀将校である。しばし黙考したうえで、答えを出す。
「…破産でしょうな。貸した金が返ってこない事でしょう」
「全くそのとおり」
パチ、パチ、パチとコンラート参事官は手を叩く。
「これを分かって頂けない方が多すぎる。人は霞を食って生きていける生き物ではないというのに」
「…つまり、合州国としては融資先が潰れる前に何とかする必要があったと?」
「これまた正解だ。大佐殿、貴方は外交官、いや政治家としてもやっていけるのではないかね?少なくとも、ウチの上司よりは適性があるだろう」
「…これほど嬉しくない賛辞も珍しいでしょうな」
思わず顔を顰めるレルゲンに、コンラートは続ける。
「そんな大佐殿にもう一つ推理していただきたい…。…合州国は具体的にどのような手を打てますかな?」
「…借款」
「すでに十分しているでしょうな」
「武器供与」
「万単位でしていることは、軍の方々がよくご存じのはずだ」
「義勇軍派遣」
「とっくの昔にやっておりますな」
そこまで来て、レルゲンはあぁ…と天井を仰いだ。
「…なるほど、もはや直接介入しかないと」
「然り。軍の皆様にこれを言うのは心苦しいのですが…」
「勝ちすぎた、と?」
「…ええ。だからこそ、合州国はこのような最後通牒を突き付けてきたのでしょう。小生はそう愚考します」
「ちょうどいい塩梅で勝てばよかった、と?…勝手なことを仰いますな」
「勝手なのは重々承知。――しかし、合州国の政治家がこちらの事情など勘案してくれるわけがありますまい?」
「……全くですな」
「ご理解いただけて何より。…さて、介入するとしても合州国には一つ問題があった。それこそ――」
「中立主義、ですな」
「然り」
ゆえに大義名分が必要だった、と紫煙を吐き出しながらコンラート参事官は続ける。
「実際、通商破壊の関係で合州国人に犠牲者が出ているのは事実」
「…数えるほどしか出ていなかった筈ですが?」
「帝国基準ではそうでしょうな。――戦時下の、それも4年間も戦争している国の感覚では」
「……」
「そして合州国にとって幸い、といいましょうか。『あちら』と『こちら』で明確な違いがありました」
「それは?」
「民主制か、君主制かという違いです」
「お待ちいただきたい。連合王国はともかく、ルーシー連邦は『一党独裁』ですぞ!?」
「無論、承知していますとも。ですが――」
そう言って、彼は机の上に並べた外交資料――どれも合州国に関するものだ――を示していく。
「――狡猾なことに、彼らの議会答弁書、報道発表に『連合王国』はハッキリと書いてありますが、連邦の名は出てきません」
「…なんですと?」
「その代わり、このような別の議会答弁があります。『連合王国の同盟国を支援することにより、ひいては連合王国への支援となる』」
「…つまり、あくまでも支援しているのは民主制、連合王国であって連邦は附属物、とでも?」
「連中の公式発表では、そのとおり」
「姑息な…!」
レルゲンは思わず悪態をついた。
なにしろ、目下帝国が主戦線としているのは東部であって、西方では海峡を隔てた航空戦に終始しているのだから。…空軍の主観はともかく、陸軍参謀本部のレルゲン大佐の感覚としては。
――そして、彼らはまだ知らないが、レンドリースの規模としては連合王国相手のそれよりも、連邦相手のものの方が大きいのである。
しかし、コンラート参事官は首を横に振る。
「残念ながら大佐殿、それだけではない」
「これ以上何かがあると?」
「こちらを」
参事官が取り出したのは一枚の紙。
「…これは?」
「今年の年頭、合州国の大統領が議会で述べた教書…施政方針です」
「それが?」
「今回の最後通牒。それだけでは我が国に喧嘩を売っているだけに見えますが、その教書を読んでからだと意味が全く違ってきます」
「…拝読させて頂こう」
そう言って、レルゲンはその紙に目を落とす。
施政方針といっても紙一枚。
参謀本部の俊英たるレルゲンからすればすぐに読み終わるような代物。
しかし、読み進めていくうちに彼の表情はみるみる険しくなり、そして何か間違いはないのかと最初に戻ることを繰り返す。
何故ならば――
「…コンラート参事官、私の読み間違いであれば教えて頂きたい。これはまるで――」
「――『帝国は欧州の侵略者であり、軍国主義者であり、自由と人権の敵である』…全くもってそのとおり」
「馬鹿な!」
レルゲンはとうとう叫んだ。
侵略だと?――先に戦争を仕掛けたのは彼方だ!
「合州国大使から、気になる報告がありました。かの国では近頃、『この大戦、帝国が
「…は?」
「荒唐無稽な話です。しかし、連中はこう続ける。『先に帝国が攻められたというのなら、それを何度も続けられてなぜ帝国は勝っているのだ?…本当は戦争意志があって、十分に準備したうえで相手を嵌めたのではないか』と」
「ふざけたことを…!」
その全てが綱渡り、薄氷の上だったことを知る――と、言うより薄氷の上に立たされた当事者の一人である――レルゲンは叫んだ。
特にフランソワ共和国の参戦時など、北部に戦力を引き抜かれた西方軍は壊滅寸前にまで陥ったのだ。
「『人は見えないのではなく、見たいものしか見ないのだ』とはよく言ったものです。
弁明しておくとウチの大使館連中も躍起になって火消しに回りました。
…しかし、この手の陰謀論の厄介なことは、
「…対処法は?」
「全員の口を物理的に塞ぐか、そうでなければ事実を淡々と述べることでしょうな。…そして、そういう記者会見は得てして面白くないからと紙面の片隅に追いやられるのです」
「なんということだ……」
帝国国務省、その本省ともなれば見事な調度があしらわれた部屋で、男二人が天を仰ぐ。
「そして軍国主義という点についてですが…。今年の予算を見て、否定できますかな?」
「ッ…」
レルゲンは否定できなかった。
開戦以来増大する軍事費、それは既に戦前の国家予算の数倍以上に膨れ上がっており、国家財政の中に軍事費があるというより、『軍事予算の中に一部その他が含まれている』状態となって久しい。
そのことを、事あるたびに財務省の人間から苦言を呈されている上官をレルゲンは知っていた。
「自由と人権という文言については、…まぁ、あの国の基準で言えばそうなるでしょうな。
なんと言ってもここは『帝国』。『陛下』と『臣民』だ。議員も大統領も選挙で決めるあの国とは全く異なって当然でしょう」
「…帝国の成立過程を知らないのですかな」
――ライヒに住まう諸民族が皇帝の下一致団結し、あらゆる困難に打ち勝って建国した。
帝国の成立過程を一言で言うと、こうなる。
言い換えれば『皇帝』という錦の御旗があって初めて、ライヒは単一の国家として成立できたのである。
「さて…。かの国は連合王国人が入植し、原住民を駆逐して領域を拡大した国家です。今でこそ多民族国家という看板を掲げてはいますが、そもそもの感覚が違うのでしょう」
「…度し難いですな。人のことも考えず、自分の道理を押し付けると?」
憤懣やるかたないという表情を隠そうともせず、『教書』を返すレルゲン。
「この教書では高らかにそう宣言しておりますな、全く」
鼻息も荒く、返された紙を机に叩きつけるコンラート。
「…とはいえ、連中の大義名分は明白です。『4つの自由』、特に自由と人権に対する敵」
「――である以上、即刻軍事行動を停止せねば、合州国の敵とみなすと?…ふざけていますな」
「同感です」
大いに頷くコンラートは、今度はレルゲン大佐に問いかける。
「軍はどのように考えているのです?合州国が脅しではなく、本当にこの戦争に参加すると?」
「…実のところ、意見が分かれております」
「お聞かせいただいても?」
「ええ、もとよりそのつもりです」
そう言って、レルゲン大佐は空になったカップを掲げる。
――話は長くなる。
参事官は頷き、手元にあったベルを鳴らす。
ややあって入室した職員にコーヒーのお代わりを命じ、彼は促す。それで?と。
「『そもそもかの国は孤立主義。単なる脅しに過ぎない』」
「…もう一つは?」
「『十二分にありうるし、その能力もある』」
「能力?」
「大西洋を渡る海軍力と、大陸に展開出来るだけの陸軍力です」
――そもそも、合州国は「周囲を海に囲まれた海洋国家」でありながら「大陸国家」であるという、世界的に見ても珍しい性質を有する。
同じ大陸に競合相手がいない、一つの大陸を統べるという意味では前者の性質が強いが、その広大な版図ゆえに後者の性質を持つのも自然なことだった。
また一方で、その大きさに比して軍隊が少ない、というのも有名な話
なんとなれば、同じ大陸に競合相手がいない以上、欧州の国々のような陸軍は不要。
海軍力についてもモンロー主義を掲げ、引っ込んでいる限りは沿岸警備程度で済む。
…だからこそ、落日のイスパニア帝国との戦争も戦前はどちらが勝つか分からないと報じられていたのだ。
しかし、それはもう過去の話。
「参事官殿もご存じとは思うが、あの国の武器製造量は異常です」
「…例の試算については、小生も目を通しておりますが…。しかし、本当なのですか?」
「合州国内の情報の多くは、大使館関係者、駐在武官が集めたものです。信じられないとでも?」
「そうではありませんが…。量が、いささか常軌を逸している様に思われるのですが?」
コンラート参事官が首を振るのも無理はない。なぜなら――
「連合王国と連邦に万単位の武器を援助しながら、同時に自国の軍隊の装備も更新する?
大佐殿、それが本当ならば3か国分の、しかもどれも大国と呼べる国の武器弾薬を製造し、なおかつ更なる増産を図りつつあると言うことになりますぞ?」
――民主主義の工場
後年、そう評されたことからも分かるとおり、この時期、合州国の工業生産量は2ケタ台の伸びを記録していた。
帝国とて欧州では屈指の工業国であり、ルールゥをはじめとする工業地帯も有している。…が、それと比べても空前絶後の生産力に、コンラート参事官は瞠目したのである。
「正直なところ、参謀本部でも過大評価ではないかという声が上がっているほどです」
ですが――
レルゲンは続ける。
「否定する材料もない以上、最悪のケースを想定するのが軍のやり方でして」
「…なるほど。出来れば過大評価であってほしいものですな」
「同感です。情報部のミスを願う日がこようとは思ってもいませんでした」
「それで?もし連中が大西洋を渡った場合、軍はどのように対処するおつもりで?
――いや、質問を変えましょう」
――勝てますかな?
◇◇◇
同刻
合州国首都 某所
「――帝国の反応は?」
「激烈。この一言に尽きるでしょう」
煙草を手に、国務省の肩書をぶら下げた男が言う。
「特に大使館は大荒れです。なにしろ早くも荷造りと
「おやおや、交渉のテーブルを自分から放棄したと?」
「『纏まる見込みがない以上、早めに処分するべきものを処分せよ』…大使館内ではそのように指示されたそうです。実に軍人あがりらしい思考回路だ」
「兵は拙速を貴ぶ、ですか。いけませんなぁ」
そう言いながら、国務省の人間がにやりと笑う。
「そんなことをすれば、『帝国に交渉の意思なし』と言われるだけだというのに」
「あの国の上流階級は、一度は軍務経験を有すると聞きます。『機密保持』が優先されるのでしょう」
「そんなだから『宣伝工作』も上手く行かんのですよ」
円卓にずらりと並ぶ男たちが首肯する。
帝国は何もしていない
戦端は全て相手国から開かれた
ここ数年、帝国大使館が繰り返し発信しているその説明だが。しかし――
「いかにも軍人あがりな職員が言っても説得力がない」
「しかも不慣れなのがまるわかりと来ては…」
「全くです。その点『連邦』は一枚上手でしたな。報道官に……誰でしたかな、あの美人?」
「タネーチカ。リリーヤ・タネーチカだ」
「そう、それだ」
「意外だな。君が美人の名前を忘れるとは」
「フン。奴のバックグラウンドを考えれば、鼻の下を伸ばすわけにも行くまい?」
女好きでつとに知られる国防総省の人間の指摘に、方々から同意の声が上がる。すなわち――
「あれで政治将校だぞ?」
「まったく、世の中は驚きに満ち溢れていますな」
夢見がちな大統領と異なり、この場にいる面々は『政治将校』という言葉の意味を十二分に理解している。なればこそ、あれほど若い女性がその一員で、かつ連邦大使館に赴任してきたことに驚きを隠せないのだった。
「しかし、未だに信じられんな。あの年、あの物腰で政治将校とは…」
「彼女の親類に連邦軍の重鎮がいるようです。目下調査中ですが」
「ああ、なるほど」
男は得心した。
あの手の独裁国家においては、出世は能力や経歴よりも人間関係で決定することが往々にしてよくある事だと知っていたからだ。
「しかし、人選としては秀逸です」
その指摘に、全員が頷いた。
巷間で囁かれる、『政治将校、それは血も涙もない冷血漢である』。
――あの美人の、どこが?
街頭でインタビューに答えているとき、ちょうど近くで転んで泣いてしまった女の子に駆け寄り、やさしく抱き起した彼女の、どこが?
――イメージというのはとても大事である。
たとえその子供が、
そんな彼女が悲し気に故国の窮状を切々と訴えるのと、「先に手を出したのはそっちだ」と淡々と返す帝国大使では、どちらが大衆に受けが良いのかなど、考えるまでもあるまい。
なんだかんだ言ったところで、男と言うのは美女の涙に弱いのだ*1。
「元のイメージが最悪だった分、大衆心理に相当な効果をもたらしたのではないか、と
「…なるほど、素晴らしい人選だ」
「連邦め、共産主義と世界同時革命にしか興味がないと思っていたが、なかなかやるじゃないか」
――要注意だな、とは誰も口には出さない。否、出すまでもない。なにしろ…
「うちの大統領がほだされる訳だ」
「…『不適切な関係』にあると?」
「流石にそこは大丈夫だよ。ウチのスタッフが目を光らせているし、なにより大統領は愛妻家だ」
「そこだけが救いだな。…そもそも大統領閣下は理想家であらせられる。理想主義者たるコミュストとは相性が良いんだろうさ」
――厄介な。
その場の全員が揃って表情を曇らせ、続いて口から吐き出す紫煙で空間を曇らせる。
『大統領は
それがこの空間に集まった面々の共通認識であり、悩みの種。
事あるごとに警告は耳に入っているはずなのだが…。
副大統領が強烈なアカ嫌いなので何とかなっているが。
「――謎多き美人のことは取り敢えずおいておこう。それより帝国はどう出る?」
その問いかけに、場の面々は顔を見合わせ、そして幾人かが発言する。
「乗らんでしょう。いや、
「左様。そのために無理難題を
三度、全員が頷く。
「あくまでも交渉を打ち切るのは帝国、そのための『ノート』なのです」
●同志タネーチカ
義勇軍との合同が無くなったので、こっちに回されました。早くアニメにも登場しないかなぁ(チラッチラッ
●女の涙
ただし度が過ぎると同期女子から総スカンを食らう。
…M子、あんたのことだよ(暗黒微笑
●『不適切な関係』
ご安心ください。大統領の元ネタはルー〇ベルトさんであって、ク〇ントンさんではありませんから
●アカに甘い大統領
…史実準拠。