皇女戦記   作:ナレーさんの中の人

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過度な予防策

中立を保つことは、あまり有効な選択肢ではない。

 

特に仮想にしろ敵が存在し、敵よりも自分が弱体である場合は、効果がないどころか有害ですらある。

 

中立でいると、勝者にとっては「敵」になるだけであり、敗者にとっても「助けてくれなかった」と言うことで敵視されるのがオチなのだ。

 

 

ロレンツォ・マキャベリ『君主論』

 

 

 

 

 

統一歴1927年9月6日

イルドア王国 陸軍総司令部

 

 

「…厄介なことになったな」

 

 

侍従武官でもあるイルドア王国陸軍大将、カルデローニ将軍の声に、ガスマン大将以下イルドア軍関係者は揃って首肯した。

 

「まさか、この段階で合州国が旗幟を鮮明にするとは…」

「あてが外れましたな、ガスマン大将殿」

「…ふん」

 

渋々といった風情でガスマンが鼻を鳴らしたのも無理はない。

 

そもそも、イルドアが帝国との同盟関係にありながら「中立」を堅持しているのは、その軍事力の低さが原因である。

故にその現実を知らない政財界の中には、大戦勃発当初、この大戦に介入してイルドア王国の利権を拡大するべきだという声もあった。

――曰く、帝国との同盟に立って参戦し、特に南方大陸で対立関係にある共和国の植民地を奪い取るべし。

――いや、逆にフランソワ側に立って参戦し、「未回収のイルドア」を実力で()()すべきだ。

そういう連中は、続けてこう言った。

 

『我らが先達も言っているではないか、『争いがあるときは、旗幟を鮮明にしないといけない。どっちつかずの態度は、双方から信頼されない』と』

 

しかし、そんな中で『中立堅持』を主張する人物があった。

 

 

――イルドア王国陸軍大将、イゴール・ガスマン。

 

 

彼とてマキャベリの警句を知らぬわけではない。

否、それどころかイルドア軍人の中で最も『君主論』を読み込んだ人物であったろう。

しかし、彼は同時に軍の現状を知っていた。

――とてもではないがこの戦争に介入できる力などない、イルドア王国軍の実情を。

だからこそ、彼は警句をあえて無視し『中立』を叫んだのである。

 

 

――全ては、イルドア王国(ハイマート)のために

 

 

…とは言え、それは容易いことではない。

マキャベリの言うとおり、外交関係において「中立」ほど自国の立場を危うくする薄氷はない。敵も味方もないというのは聞こえが良いかもしれないが、その結果、()()()()()()()()()()のでは何の意味もない。

 

故に、国内を中立でまとめた彼は、次の一手を放つ。

 

 

 

――それこそ、『大規模動員』と『和平案の提示』。

 

 

 

『――ただの中立では孤立するだけだ』

 

当時、外務省の友人との会食の中でガスマンが語った言葉である。

 

『ゆえに()()()()()()…そう、言うなれば()()()()()()()()()()()が必要なのだ』

『キャスティングボートを握る、と?』

『分かっているじゃないか、流石はわが友』

『世辞はいらん…。なにより、簡単ではないぞ』

『……ああ、重々承知しているとも』

 

なんと言っても大国同士、帝国と連邦、そして連合王国の正面戦争である。

その中を立ちまわり、彼らを和平交渉のテーブルに着かせるのは容易なことではない。

 

戦争というのは、極論すれば国家同士の喧嘩、ボクシング。

 

ボクシングにおいて、リング(東部戦線)で殴り合う両者の間に入り、引き離すのはレフェリーの仕事である。

…ひ弱なイルドアにその役が務まるのか?

しかも、ロープの間からは隙あらば乱入しようと、もしくは囃し立てようと某二枚舌の島国が顔を覗かせているというのに?

 

考えるまでもない。不可能だ。

 

それどころか、下手をすればレフェリー(イルドア)が襤褸雑巾にされる惨劇になりかねない。

 

『問題ない。屈強なレフェリーを用意すれば良いだけの話だ』

『屈強なレフェリー、だと?』

『あるじゃないか。帝国も、連邦も、連合王国の首根っこだろうと捕まえることの出来る、世界最大の国家が』

『…合州国か。しかし、レンドリースのことを見るに連中は相当、連合王国と連邦に肩入れしているぞ?』

『だからこそだよ』

『…何?』

『彼らからすれば、融資先の破産こそ最も恐れることだ』

 

故に――

ガスマンは続ける。

 

『このまま帝国優位の状況が続き、融資先の経営状態が悪化すれば――』

『合州国も和平仲介に乗り出してくる、と?』

『そうだ。なんと言ってもかの国は伝統的な中立主義。

国民世論の観点からも、軽々に直接介入、あるいは参戦()()()()

『残る手は和平の斡旋という訳だな?』

『そのとおり』

 

 

――半年前のその発言を、ガスマンは苦々しく回顧していた。

 

 

「…まさか、あの国が介入の意志を示してくるとは」

「まだ決まった訳ではありません。それこそ、ブラフの可能性も否定できないかと」

「ブラフだと?」

「はい。合州国の参戦可能性があるとなれば、帝国はそれだけで東部戦線から兵を引き抜かざるを得ません」

「なるほど、連邦への援護射撃となるわけか。…それが狙いだと?」

「十分にあり得るかと」

 

ジュリアーニ少佐の言うことも尤もだった。

なにしろ、複数回の『不幸な事故』こそ起ってはいるものの、合州国と帝国、両国の外交関係は破滅寸前で踏みとどまっているのだから。

 

とはいえ――

 

 

「しかし、合州国を頼んでの和平仲介は当分不可能だな」

「はい。帝国がウンと言わんでしょう」

「ああ、バクー油田を破壊し、もう少しで連邦を屈服せしめるというところまで来ているのだ。ここで戦前への回帰など、認められるわけがあるまい」

 

ガスマンは盛大な溜息を洩らす。

平和を享受できるのは、当分先のことになりそうだ、と。

 

「…その関係で閣下、懸念すべき事態があります」

「和平の件以外で、かね?」

 

大将の問いに、つい先日クリーミャから戻ったカランドロ大佐が頷く。

…ちなみに、彼が持ち帰った『帝国の新兵器』に関する情報はイルドア軍技術本部を半狂乱に追い込んでいるのだが、それはまぁ置いておこう。

春の『演習』の一件以来、何かと重宝しているこの優秀な部下の口から飛び出した発言に、ガスマンの目は大きく見開かれることとなる。

 

 

 

 

 

 

 

「――帝国が『予防占領』を企図する懸念があるかと」

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

同刻 帝都ベルン近郊

陸軍兵器試験場

 

 

「話はゼートゥーアから聞いた。…本気かね?」

「現時点では検討のみであります」

 

『新型戦車』を見上げながら、声だけで問いかける皇女摂政宮ツェツィーリエ・フォン・プロイツフェルンに、クルト・フォン・ルーデルドルフは答える。

 

「…ところで殿下、これで『新型』と言ってよいのでしょうか?」

「話を逸らすのかね?…まぁ良い、こいつの前に造られた正真正銘、新機軸の塊たる『試作車両』の顛末は君も聞いただろう?」

「えぇ、まぁ…」

「なにより、現下の状況では既存の生産ラインを一からやり直す『新型戦車』を量産する余裕はない。なにせ、合州国は昨年一年に戦車を10,000台造ったと聞く」

「まさに怪物ですな」

「である以上、性能はもちろん大事だが既存のラインを最大限使える車両が望ましい。整備性、稼働率の観点からも」

「…なるほど」

 

ルーデルドルフは頷いた。

道理で板バネと言い傾斜装甲と言い、『Ⅳ号戦車』のそれを踏襲している訳だ、と。

実際、説明にあたる技官の説明によれば全体形はともかく、砲とエンジン関係を除く各部のパーツ、使われている装甲の多くにⅣ号戦車との互換性があり、ひいては生産ラインを引き継げるとの事だった。

 

「…しかし、戦車を年に1万ですか」

「今は『同盟国』に大半を送っているが、本格参戦ともなれば自軍への供給を優先するだろうな

――だからこそ、『検討』しているのだろう?」

 

 

 

――共和国の予防的占領を

 

 

 

ニヤリとそう言われ、ルーデルドルフは苦笑した。

お見通しですか、と

 

「現在、作戦部ではこう考えております。『仮に合州国の大軍が欧州本土に上陸、侵攻した場合、その兵力は凄まじいものとなる。これを陸戦で退けるのは容易ではない』――」

 

「――『ゆえに敵が上陸するであろう、フランソワ海岸部での水際防御が最善である』、違うかね?」

 

「ご賢察、畏れ入ります」

 

 

――なるほど敵が欧州に上陸してくるならば、防御の堅い帝国本土よりも、中立という不安定な状況で、かつ軍備に不安しかないフランソワを狙うのは道理。

 

それを水際で食い止めようとするならば、合州国上陸に備えた『予防』としてフランソワの海岸部を帝国軍が『占領』し、陣地化するほかなし。

 

なにしろ、今のフランソワはあらゆる意味で頼りにならない*1のだから。

 

 

…そういうルーデルドルフだが、その顔は優れない。

 

 

「…ふむ。私はてっきり、君が主導しているのかと思っていたが?」

「正直なところ、迷っております」

「ほう!貴官でも迷うことがあるのか」

「殿下、お戯れを」

「ハッハッハッ、冗談だよ」

 

作戦部の案は、なるほど『水際防御』という観点では正解だろう。

一度上陸を許し、橋頭堡を築かれ、内陸に進撃されてから「傷口」を塞ぐのは困難を極める。侵入する毒素が物量で勝る合州国ならば尚のこと。

 

それに比べ、まだ敵軍が海岸線に張り付くかどうか、すなわちほとんどの敵兵が海上の船にある段階ならば、「傷口」は開いておらず、船ごと効率的に沈めることも可能かもしれない。そう、先日のクリーミャ半島のように!

 

 

「…作戦部に艦砲射撃を食らった人間はおらんのかね?」

「実体験ではほぼ無いでしょう。とはいえ、その点を忘れてはおりません」

 

だが――

 

「しかし若い連中はこういうのです。『なればこそ、機先を制してフランソワ沿岸部だけでも確保し、艦砲射撃にも耐えうる防御陣地を構築せねばならない』と」

「なるほどねぇ…」

 

確かに、そういう考え方も出来るだろう。

実際、強固に造られたトーチカは――隠蔽も重要だが――意外に艦砲射撃にも耐えられることを、ツェツィーリエは()()()いた。

 

――マキンかタラワ(サンゴ礁の島)で、米帝の艦砲射撃に木で作ったトーチカが生き残った例もあったな。と

 

「もっとも、共和国全土を占領する兵力がどこにあるのだという問題もあります」

「これまた道理だな」

 

なにせ帝国は、連邦西部の泥沼に首までどっぷりと浸かっている。

「線」での防御を諦め「点」の防御に切り替えたとはいえ、北はバルテック海から南は黒海に至る、南北約1,600㎞もの戦線である。

連邦軍の数の多さを思えば、とてもではないが西部に、フランソワ全土を制圧するほどの兵力を抽出するなど不可能()()()のだ。

 

 

 

そう。バクー油田が破壊され、連邦軍の活動に制約がかかるまでは。

 

 

 

「――参謀本部では、こう考えております。バクー油田への攻撃を継続することで、連邦の戦争能力を長期的に喪失させられる、と」

「つまり、西部への兵力転換は十分可能だと?」

「御意。加えて、例の『バケモノ機関車』もありますれば」

「…110形のことか」

 

ツェツィーリエは思わず頭痛を覚えた。

どれもこれも彼女が直接、あるいは間接的にかかわったものであり、それ自体は成功している。…が、それが却って裏目に出ていやがる、と。

 

「ちなみに殿下はいかがお考えで?」

「聞かずとも分かるだろう、却下だ」

 

でしょうな、とルーデルドルフは苦笑した。

海軍における空母命名騒動、通称『三番艦事件』のことはルーデルドルフの耳にも入っている。

あのような手を打ち、共和国民の帝国への敵愾心を削ぐことに腐心している殿下が、それを一瞬で水泡に帰さしめるこの計画にサインする訳がない、と。

 

「なにより、それこそ合州国に大義名分を与えてしまうではないか」

「確か、『自由』と『人権』でしたか」

「左様。そして三色旗のことを思えば、共和国占領が悪手だと分かるだろうに」

 

君だってあの絵は知っているだろう?

そう言って何かを手に掲げ、右斜め後ろを見るポーズを取ったツェツィーリエに、ルーデルドルフは大いに頷いた。

 

 

民衆を導く自由(La Liberté guidant le peuple)

 

 

それはおよそ100年前、当時のフランソワ王国で起こった革命をモチーフにした名画であり、そこに描かれた女神が掲げる三色旗、それは共和国の標語たる「自由、平等、友愛」を意味している。

 

 

 

――加えて、あの革命のときに出された宣言の名前は何だったか?

 

 

 

「もし我々が共和国に踏み込めば、合州国は嬉々として宣戦を布告してくるだろうよ。『自由と人権に対する明らかな侵略行為である!』とね」

「…外交的には大失敗である、と」

「然り。しかも今まで積み上げてきた共和国民慰撫宣伝工作が無駄になってしまう」

「占領統治も困難になるでしょうな」

「よく分かってるじゃないか。率直に言わせてもらうと、全フランソワ国民がパルチザン化しても私は驚かん」

「…それはまた。考えたくもありませんな」

 

思わずぶるりと震えたルーデルドルフの肩に、ツェツィーリエは手を乗せる。

 

「そうならないためにも、共和国への派兵計画は直ちに止めてくれたまえ。漏れるだけでも影響が出かねん」

「承知いたしました」

 

 

 

 

 

 

彼らはまだ知らない。

 

このときの『想定』が、役に立ってしまう日が来ることを。

 

 

 

*1
敵か味方かあいまいなところがあるうえに、軍事力に乏しい




西暦世界のWWⅡでも、フランス・ヴィシー政権は当初多少の施政権領域を持っていましたが、1942年になって全土を完全占領されていたりします。
可哀そうに。
しかも並行して、ヴィシー政権は月数千万マルクの補償金を払わされていたりもします。


…負けると悲惨なんやなって

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