皇女戦記   作:ナレーさんの中の人

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…土日であっさりかけたので、投下。
後半は再来週あたり?


千機爆撃

統一歴1927年11月14日夕刻

連合国中部 某空軍飛行場

 

「実に壮観だな。胸がすくようなとはこのことを言うのだろう」

「ありがとうございます」

 

連合王国首相、ウィストン・チャーブルの満足げな表情に、空軍爆撃航空団司令アーチー・ハリスもまた大いに頷いた。

 

 

 

 

『第二次帝国本土夜襲作戦』

 

 

 

そう銘打たれた今宵の作戦は、これまでの夜間爆撃とは別次元の、空軍爆撃航空団司令ハリスが共和国脱落直後から唱え続けてきた「()()()()」を具現化したものであった。

 

遡ること統一歴1925年4月、共和国と帝国の講和成立により大陸への地歩を失い、そしてドードーバード海峡を越えて帝国空軍が襲来し、連合王国は窮地に立たされた。

 

 

『連合王国開闢以来の危機』

 

 

後世の史家がそう評したドードーバード航空戦を、連合王国は耐えた。

『救国戦闘機』(スピッツ)の奮闘、ネットワーク化された防空体制、なによりジョンブル魂の発揮によって……。

…と、言いたいところだが、連合王国人とて分かっている。

帝国が連合王国本土空襲を止めたのは、対連邦戦に向けて航空戦力が割かれた結果に過ぎないと。

そして彼らは「空軍力」を、より厳密には「戦略爆撃」の何たるかを、その身をもって学習した。

もとより、「やられたらやりかえせ(倍返しなのは言うまでもなし)」を信条とする連合王国である。早速大陸への空襲、帝国本土爆撃を実行に移した彼らだが、そこで高い『授業料』を支払うこととなる。

 

 

帝国空軍局地戦闘機『ブリッツ』

 

 

当の帝国人ですら「局地」という接頭語の由来が分からないらしいこの戦闘機は、しかしてその珍妙な定冠詞とは裏腹に極めて高い性能を誇っていた。

 

最高速度こそスピッツと同等、むしろやや劣るくらいなのだが、上昇力と急降下性能で凌駕し、なにより武装が桁違いだった。

ブリッツが装備していたのは長銃身13mm機銃4門。対する同時期のスピッツは7.7mm機銃8門(ドードーバード航空戦終結後の新型でようやく20mm2門と7.7㎜4門に向上する)に過ぎなかった。

 

そんな戦闘機が常時200機以上待ち構え、加えて高射砲陣地がずらりと並ぶ工業地帯へと飛び込んだのだから、『チェスター』や『ターリング』がバタバタと撃ち落とされるのは自明のことだった。

当時、合州国を除けば排気タービンを量産ラインに乗せた国などなく、それらの実用上昇限度は6,500m前後だったから、帝国が誇る8.8高射砲の有効射程にスッポリと捉えられていたのである。

 

なにより、一番の痛恨事はスピッツの航続距離が700㎞にも満たず、護衛につけなかったことだろう。迎撃用として開発されたが故の悲劇であり、この問題はしばらく連合王国空軍を悩ませることとなる。

かくして、あまりの被害の大きさに、連合王国は昼間精密爆撃を断念し、夜間擾乱爆撃へと切り替えた。当時はまだ帝国に専門の夜間戦闘機はなく――と、言うより当時はまだ夜間飛行自体の難易度が高かった――、少数の爆撃機によるゲリラ的空襲ならばまだ成算は高かったからだ。

 

 

 

 

――しかし、それと同時期に連合王国に属するある軍人が画期的な理論を提唱した。

男の名はアーチー・ハリス。のちに連合王国空軍爆撃航空団司令に就任し、帝国本土を地獄の業火で焼く人物であった。

 

そんな彼は当時、こう論じたのだ。

 

「開戦以来、わが空軍が行ってきた帝国本土爆撃の内、目標への直撃、至近弾は『目標への投弾に成功し』『運よく帝国空軍の邀撃が低調であった』ときに絞っても4割に満たない。しかもこの中には相当数の低高度強襲爆撃が含まれており、当然のごとく地上からの対空砲火で大損害を被っている」

「これでは帝国に打撃を与える前に空軍の爆撃機乗りが絶滅してしまう」

「夜間爆撃ともなればその命中率は論ずるまでもない。事実、先日行った空襲では目標の『1マイル以内』に落ちた爆弾がたったの2発しかなかったではないか」

「しかし帝国本土空襲、帝国への打撃は急務であり、大陸反攻が非現実的な現状、それは空軍の爆撃によってなされるほかない」

 

ゆえに、彼は続ける。

 

 

「なれば必要なことは明白。夜間空襲でありながら目標に命中する『新しい爆撃方法』へのパラダイムシフトである」

 

具体的には?と問いかけるポータル空軍総参謀長に、彼は答えた。

 

「単一目標に対し、1,000機の爆撃機によって絨毯爆撃を加えるのです」

「1,000機だと!?」

 

 

――『千機爆撃』。

 

 

その要旨は単純明快であった。

「点」で当たらないのならば、目標のあるエリアに絨毯をかぶせるが如く爆撃を行えばよい、そうすれば精密爆撃に依らずとも目標一帯、()()()()()()破壊できる。と

 

この後、誘導爆弾による超精密照準爆撃へと進化していった帝国空軍とは真逆の進歩を遂げる連合王国空軍であり、「All is fair in love and war」と言って憚らない連合王国人だったが、当時はまだ「抑制」が効いていた。

 

すなわち、ポータル空軍元帥はこう問いかけたのだ。

 

 

「…それでは非戦闘員を巻き込んでしまうのではないかね?」

 

 

余談だが、偶然にもハリスが自説をレポートに纏めたのと同じころ、帝国陸軍参謀本部では来るモスコー攻撃に向け、「市街戦における戦時国際法の解釈と火災旋風による敵兵力殲滅」レポート、通称『悪魔の計画書』が再検討されていた。

 

――自分に都合の良くなるように、法の抜け穴を見つけるべしといっているのか。

――そんなことが許されるのならば、いくらでも曲解できてしまうのではないか。

 

思わず、正義の概念が欠落している様におもえるのだが。後世の史書になんと記されるのかを恐れないのかね? と問いかけた人物に対し、執筆者はこう答えたという。

 

 

 

――歴史は勝者が紡ぐのです。都市を焼き払ってでも必要なことであったと、美談として後世に伝わるでしょう

 

 

連邦にとって幸いだったのは帝国軍の進撃が頓挫し、モスコー総攻撃は遂に実行されなかったことだろう。そうでなければこの計画はその()()()によって実行に移され、暖房用ストーブの薪や石炭と相まってこの都市を溶鉱炉へと変貌させたに相違ない。

 

 

話を『千機爆撃』に戻せば、ハリスの提案はおよそ1年に渡って放置されることとなる。

…なにしろ、都市を丸ごと焼き尽くすという前代未聞の暴挙。

さしものジョンブルも躊躇したのか、あるいはそもそもそれほどの数の爆撃機を用意できないという問題からか。…ア()ン戦争のことを思えば後者の方が有力だろう。

兎も角も彼の意見は採用されず、ハリスは一時インデ方面に左遷されることとなる。

 

 

――だが、状況は1926年後半に入り一転する。

 

 

――オペレーションズ・リサーチ(O・R)

 

開戦以来、連合王国と合州国の数学者、科学者が結集して行ってきた一連の分析レポートの中に、こんなものがあった。

 

『航空爆弾の大量一斉投下による目標破壊』

 

――統計結果は昼間、夜間を問わず、水平爆撃の命中率の低さを示している。

――対策としては、照準器の改良のほか、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()方法が考えられる。

――ただし、前者については技術的課題が多く、短期間での改善は困難。

――対して後者は今すぐにも実行できる。

――さらに目標周辺にある未知の附随施設を破壊する効果も期待できる。

――また、今回の調査においては少数爆撃機による攻撃よりも、爆撃機の大集団による攻撃の方が被害を抑えられる傾向が確認された。これは大集団の密集陣形による弾幕射撃、大集団になることで狙いをつけにくくなっている可能性がある。

 

 

――よって当委員会としては、昼間爆撃と夜間爆撃の被撃墜率の違いも勘案し、『夜間絨毯爆撃』が即効性及び効率の高い最善の方策であると答申する。

 

 

 

 

それはまさに、開戦当初からハリスが唱えていた『千機爆撃論』そのものであった。

 

加えて、帝国軍の猛攻に晒されていた連邦からの矢の催促もあり、チャーブルはついに「悪魔の理論」にゴーサインを出すこととなる。

インデ大陸で燻っていたハリスは呼び戻され、発足したばかりの「連合王国空軍爆撃航空団」司令に就任。『千機爆撃計画』の実現に邁進することとなった。

 

彼はインデで不遇をかこっている間、構想を更に煮詰めていた。

彼の戦略爆撃に対する基本理念は「重爆撃機の大編隊による都市への夜間大爆撃」であり、それによって目標エリア、地域の工業活動、経済活動、輸送機能、そして市民生活を「根こそぎ」破壊しようとするものであった。

そしてその手法としては『都市無差別爆撃』が前提条件となった。

上記のような対()()爆撃を敢行すれば、民間人にあたらないようにすることなど不可能だったからであり、またこの方法によって帝国の各地域の「生産基盤を根底から破壊」出来るうえ、連戦連勝に沸く帝国市民に対して戦争への「恐怖心」を植え付け、戦争続行の士気を衰えさせることが出来ると彼は判断していた。

彼に言わせれば、従来の帝国本土夜間爆撃は明確な方針を持たないその場凌ぎの、ハッキリ言って中途半端な代物であった。実際、戦後に彼はこう証言している

 

「――爆撃を行う以上、手段を択ばない冷酷なまでの姿勢で挑まなければならない」

 

戦後になって、彼の指揮した徹底的かつ悲劇的な「都市無差別爆撃」に対し、世界中から多くの疑問符と批判が寄せられた時も彼は自説を曲げず、こう述べている。

 

「戦争の早期終結と対帝国戦勝利のために必要なことであった。第一、帝国も後には無差別爆撃を実行しているではないか」

 

 

 

 

 

――とは言ったものの、彼が着任した1926年10月時点で『千機爆撃』には問題が山積していた。

なによりの問題は、それほどの爆撃機が当時の連合王国には存在しなかったと言うことだろう。

一応、連合王国は帝国本土にまで届く爆撃機を『チェスター』や『ターリング』を筆頭に大小さまざま300機*1ほど有していたが、これらはたまたま帝国本土に届く性能がある戦前の設計開発機であったり、帝国のSB-1開発情報に触発されて急ぎ開発されたために中途半端な性能だったり、挙句の果てにはSB-1以上の性能を求めるあまり信頼性に著しく難のある機体ばかりであった。

…と、言うより誰だ液冷Ⅹ型24気筒エンジンなんて造りやがったのは!?

 

 

一応、その『チェスター』をベースに4発化し、ハリスの求める性能を有する新型重爆撃機『ランカッシャー』*2も開発されていたが、同機は量産ラインに乗るか乗らないかという段階であり、纏まった数が揃うのには相当な時間が掛かることが予想された。

…ついでに言ってしまうと「最初から『チェスター』ではなくこちらを造ればよかったのではないか?」という身も蓋もない意見が当時からあった。もしそうであったならば、この時点で連合王国は有力な戦略爆撃機を保有できていたに違いない、と。

 

しかし、それは「IF」の話。

現実問題として『ランカッシャー』の数が揃わない限りはどうしようもなく、以降時間稼ぎの意味もあって帝国本土夜間()()爆撃――このころにはそう呼ばれていた――はダラダラと続けられ、連合王国空軍航空隊の損耗は雪だるま式に膨らみ続ける――

 

 

――かに思われた。

 

 

 

チャーブルは呟く。

 

「…しかし、合州国には足を向けて寝られんな」

「全くです」

 

 

対帝国潜水艦として最適な『護送船団方式』

聴音担当と爆雷投射担当を分ける『ハンター・キラー戦法』

目下開発中の新型爆雷『ヘッジ・ホッグ』

 

これらは皆、合州国との共同研究『O・R』からもたらされたものである。

これにより、開戦当初猛威を振るった帝国海軍Uボートによる被害は漸次減少し、連合王国は餓死を免れたばかりか、生産力を回復することに成功した。

 

そして合州国の港で週一隻のペースで建造される『護衛空母』は、Uボートは勿論のこと、『ライプツィヒ級』を擁する帝国海軍水上遊撃部隊に対しても一定の効果があった。

…と、いうよりその原点は航空戦力を運用する帝国海軍水上部隊、そう、ライプツィヒ級に脅威を感じた合州国海軍が考え出した「超小型空母量産計画」にある。

帝国がライプツィヒ級を量産しつつあるという情報に接し、それを圧倒できるだけの数を揃えるのは至極当然の流れだった。

無論、帝国海軍もやられっぱなしだった訳ではない。むしろ天候を活かしてかなりの数の護衛空母を撃沈し、それに守られていた輸送船団を壊滅させたことすらあった。

 

 

 

――けれども、相手は『週刊』護衛空母なのである。

 

 

1隻が沈められている間に、それに呼び寄せられた周辺海域の10隻が仇を取らんと艦載機を発進させ、更に20隻が全速力で集結しつつあるという状況は、どう足掻いたところで太刀打ちできるものではなかった。

なにしろ最終的には約200隻にのぼった護衛空母である。帝国海軍水上遊撃部隊による通商破壊戦は戦果をあげるどころか、損傷艦の激増という結果に落ち着きつつあった。

 

 

 

 

 

加えて、合州国の『最後通牒』。

 

――これ以上の「不幸な事故」は合州国の参戦を招く。

 

帝国首脳部はそれを恐れた。

陸軍のとある将校が過去に警告していたことが現実のものとなり、帝国の通商破壊作戦は一時的に規模を縮小した。

そして、その間に大量のレンドリース物資が合州国から連合王国の港に運び込まれたのであった。

当然、そうなることは明らかであったから帝国海軍は難色を示したが、悲しいかな、いつの世も「政治は軍事に優先する」のであり、合州国の参戦を回避することの方が優先された。

 

 

 

 

しかし、それが裏目に出た。

 

 

先述のとおり、連合王国が息を吹き返しつつあったところに通商破壊戦の縮小である。

合州国からの物資が次々に連合王国の港に陸揚げされ、その中には『大型旅客機』も多数含まれていた。

 

 

購入リストに記載された名前は『DC-17』。

連合王国インペリアル・エアウェイズが合州国ボーミング社より輸入したそれだが、しかし数が異常であった。

 

最終的な累計購入数、実に3,000機。

 

およそ一民間企業が払える額では無かったし、事実払ってもいなかった。

分解された機体は港に到着するや、どこからともなく現れた連合王国空軍に「接収」され、抵抗する「演技」を続けるインペリアル・エアウェイズ社員を尻目に次々と鉄道貨車に運び込まれた。

そのまま中部の空軍飛行場へと運び込まれた機体には徹底的な改造が施され――たことになっているが、その様な作業を目撃した者はない――、爆撃機『B-17』へと変貌(書類上)を遂げる。

 

 

『B-17』

西暦世界でもおなじみの、そしてハリスのお眼鏡にも適ったそれだが、実のところ「戦略爆撃機」というコンセプトのない時代に開発された機体であった。

 

その開発コンセプトは、なんと「沿岸防衛用」。

 

だが合州国の広い国土と海岸線が、沿岸防衛用でありながら戦闘行動半径1,300㎞という長大な航続距離を本機にもたらしたのである。

なお、爆弾搭載量については連合王国基準では「やや不足している」程度のものだったが、元は民間旅客機ゆえ致し方ないものとして処理された*3

 

 

 

 

――かくして、『千機爆撃』の準備は整った。

 

 

 

時に、統一歴1927年11月14日。

 

 

 

 

 

 

「全機発進せよ。各位に神の加護があらんことを」

 

 

 

 

 

 

――地獄の釜が、開く。

 

 

 

*1
双発機が半数以上を占めた

*2
爆弾標準搭載量6,400kg、航続距離2,500km(爆弾標準量搭載時)、最高速度: 450 km/h

*3
戦後の公刊戦史にもそのように記述されている




〇スピッツ
言わずと知れた救国戦闘機。
なお、7.7mm8門は史実準拠(一機撃墜するのに平均で4,500発撃ちこんでいたらしい)。
個人的にはあの主翼形状に「もにょっ」とする。もうちょっと直線部分作っても良いのよ?(

〇チェスター
史実のアブロ・マンチェスター
1939年に初飛行した液冷V型を上下で合体させた液冷()()24気筒ヴァルチャーエンジンなる怪物を採用した双発機。狙いは双発機で4発機並みの性能を発揮すること。

…なるほど英国面は戦前から英国面じゃったか。

なお、胴体はほぼそのままに主翼を延長し、普通のV型12気筒4発機に改修したのがあの『ランカスター』。…このあたりもまた、成功作と失敗作が紙一重という英国面の神髄を垣間見せてくれる逸品といえよう…(筆者の個人的見解

〇ターリング
史実のショート・スターリング
足回りというか駐機しているときの写真が、何故かものすごく不安を掻き立てる英国面。

〇B-17
大型爆撃機の中で筆者が2番目に好きな機体。
1番目?Ju287ですが、なにか?

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