統一歴1927年11月14日
帝国標準時22時13分
低地工業地帯 ロッテダルム近郊 第13対空監視所
「ん?」
夜間当直班の班長、クルツ空軍少尉は手に持っていたコーヒーカップを下ろした。
本来、人気がない夜間勤務だが、空軍西部防空軍管区では本物のコーヒーが支給されるとあって志願者に困らない業務であった。
――とはいえ、そんなことを言っていられるのは、クルツたちが「心電図」と呼んでいる
『Aスコープ』に変化がない間だけ。
「…曹長」
「誤作動ではありません。間違いなく、敵機です」
「よろしい。監視を続行せよ」
「ハッ」
誤作動でない――この時代のレーダーはしばしば誤作動を起こした――ことを熟練の曹長が複数のAスコープで確認し、それを受けてクルツは司令部への直通電話を手に取った。
『こちら司令部、なにか?』
「こちら第13監視所、方位320、距離150
『了解、警報を出す。13監視所は引き続き、目標を捕捉せよ』
「了解」
受話器を下ろしたクルツは、ふぅ、と一息ついて残ったコーヒーを手に取る。
もっとも、彼らの仕事は
なにしろ、現時点で分かっているのは「大体この方向、この距離に敵機がいる」という程度でしかない。帝国が北海沿岸に多数配備している哨戒用レーダー『フレイヤ』は探知距離を優先し、いわゆる「長波」を使用した結果、探知距離に優れる一方で識別能に劣っていた。
…具体的には、その反応が島陰なのか船なのか、はたまた敵機の編隊なのかは熟練の監視員でしか識別できなかった。
帝国に限った事ではないが、当時の電子技術は今日のそれとは比べるのも烏滸がましいほどに未熟であり、探知距離と精度はトレードオフの関係にあった。
『フレイヤ』もその例にもれず誤差が大きい。そのままでは迎撃機の誘導や高射砲の諸元には全く使用できないレベルである。加えて、高度測定機能もない。
ゆえに、彼らには複数あるレーダーを総掛かりで操作し、計測データを突き合わせて可能な限り正確な方位、高度を割り出し、探知距離は短いながらも精度に優れる『ウルツブルグ』に引き継ぐ仕事が残っている。
――だが、クルツ達の表情にそう言った気負いは見られない。
何故ならば――
「どうせまた『定期便』でしょう」
それは統一歴1926年8月に始まった、連合王国軍機による帝国本土夜間爆撃を帝国側が揶揄した表現。
そもそも、当の連合王国空軍人の大多数からして「夜間爆撃」にはさして期待していなかった。
何しろGPSも慣性航法装置もない時代のことである。
機位誤認、針路誤認は日常茶飯事のことであり、
おかげで「総員、斬り込みに備え」という古式ゆかしい命令が下令されてしまうのであり*1、フォッケウルフが英国本土に着陸、鹵獲されてしまうのである*2。
つまるところ、特に初期の帝国本土夜間爆撃はチャーブル首相に厳命された「連合王国人の戦意高揚」「連邦への側面援護」といった政治的理由と「昼間攻撃は損耗が大きすぎる」という現実との妥協点に過ぎなかった。
「このような政治的、そして精々が威嚇にしかならない行動のために、貴重な空軍爆撃機と搭乗員を消耗するべきではない」
それが、
ゆえに、『定期便』。
だからこそ、わざわざ面倒なアンテナ操作と計算を行ったところで「
加えて後の時代と違い、この時代のレーダーは恐ろしいほどに繊細な生き物であった。
それを宥めすかし、面倒かつ心臓に悪い作業をしたところで「またいつもの」に終わる公算が高いと来れば、クルツ達がため息交じりにコーヒーを味わって飲んでしまうのは無理からぬことといえた。
だが――
「…あれ?」
「どうしたアドルフ?」
――事態は急変する。
「…反応、増えていませんか?」
「……なに?」
思わずスコープに噛り付くクルツ少尉。
その彼の目の前で、Aスコープの波形は今まで見たこともないようなものへと移り変わっていく。
「なんだ、これは…?」
通常、敵機の反応はAスコープにおいて、「波形の突起」として現れる。
――少なくとも、その突起が連続して現れ、あたかも「水平」であるかのように見えてしまうなどという状況は、どのマニュアルにも書かれていない。
「…まさか、これ全て敵機か!?」
「馬鹿な!?スコープを埋め尽くすほどの反応だと!?」
「他のスコープはどうなっている!誤作動の可能性は!?」
「こちらのレーダーも、全く同じ波形を示しています!」
「同じく!!」
「少尉殿!これは誤作動ではありません!」
「分かっている!緊急事態だ、総司令部に繋げ!!」
「ハッ!」
◇◇◇
同日、帝国標準時22時45分
西部防空軍管区総司令部
「――状況は?」
防空軍管区司令、カンフーバー大佐は防空指揮所に駆け付けるや、答礼する間も惜しいとばかりに尋ねた。
「報告します。去る2213時、第13対空監視所が北西方向、距離約200キロ地点に機影を感知」
そう言いつつ、参謀が示す司令部中央の『ゼーブルク』。
大型の机にはめこまれた地図表示式のすりガラス上に、観測情報を投影する――ただし、投影操作は全て手動――それには、北海を西から東に向かって連なる敵機の、異様な情勢が表示されていた。
「一列縦隊?」
「探知したのは『フレイヤ』です。識別能力から言って、一列とは限らないかと」
「捕捉した哨戒所曰く、『スコープを埋め尽くすほどの反応』と…」
「機器の誤作動である可能性は?」
「複数の監視所から同様の緊急電が。残念ながら事実かと」
「フム…。…む?」
「どうされましたか?」
「もしやこれは、戦前わが空軍でも検討していた『夜間縦列襲撃法』ではないかね?」
「…言われてみれば、確かに!」
それは、戦前の帝国空軍が一時期検討していた夜間爆撃の手法。
その原点は夜間空襲の持つ問題点、すなわち命中率の極端な低下と、そもそも目標に辿り着くかすら怪しいというところにある。
そもそも昼間の飛行ですら、機位を失って行方不明になることがある時代なのだ。それに加えて地形を見ることも不可能な夜間飛行は、この時代、戦闘はおろかそれ自体がいわば「目隠しをして飛ぶ」に等しい難事。
地文航法は全く使えない以上、自機の位置を割り出す方法は僅かな星明りを用いた天測と計器の示す数値しかなく、専門の航法士を乗せた複座以上の機体でなければ自殺行為。
それがこの時代の夜間戦闘、夜間飛行なのだった。
なるほど夜間爆撃は邀撃による被害を減らせる――先述の事情から、迎撃機すら夜間用のものを必要とするため――というメリットがあるが、それ以外は問題だらけの手法といえた。
しかも低い命中率を補うためには投弾数の増加しかないが、反面、参加機の増加はそれだけで空中衝突すら招く。なにしろ真っ暗な闇の中だ、コリジョンコースに入っていても気づきようがないのである。
だからこそ、帝国空軍は結局「迎撃困難な超高々度からの精密誘導爆撃」へとシフトしていったのだ。
しかし、それがまだ実現するか不明瞭だった戦前、次善の策としてとある攻撃方法が編み出されるに至る。
それは――
「…確か、『夜間航法に熟達した先導機の離陸後、20秒間隔で連続発進して後を追いかける』だったか?」
「ハッ、仰るとおりです」
何しろ、少数の空中待機すら衝突の危険が伴うのが夜間飛行なのである。投弾数を稼ぐために大型機が基地上空を旋回するなど、想像するだけでも恐ろしい。
だからこそ、先述のような方法が編み出されたのである。
…まぁ、帝国の場合、どこぞの誰かが入れ知恵した可能性が大だが。
「つまり先導役を落とせればだいぶ楽になるが…どうだ?」
「…難しいかと。時間的に、既に帝国本土沿岸上空に侵入するころです」
「むぅ…邀撃機は?」
「稼動夜間戦闘機は全て上げました。探知座標に急行中」
参謀の言うとおり、会議室中央の『ゼーブルク』には敵機を示す赤い円――『フレイヤ』の識別能力では、敵の集団を示すのが関の山だった――に向かって、こちらの戦闘機を示す青い輝点が一目散に向かっていく姿が投影されていた。
――だが
「…数は?」
「240ほど」
「もっと出せんのか?」
答えを知りつつも問いかけるカンフーバー大佐に、参謀もまた力なく首を横に振った。
『夜間戦闘飛行隊』
それは、この当時もっとも人気のない機種。
何しろ暗闇という、人間が本能的に恐怖を抱く空を飛び、その状況下で戦闘機動を取るのだ。
加えて、やってくるのはやる気がほとんど感じられない「定期便」と来れば、意気が上がらぬのも宜なるかな。
――それでいて、命中率は何と0.1%に満たない!
なにせ初期の夜間戦闘機は真っ暗闇の中、地上からのサーチライトだけを頼りに敵機を探していたのだ。当然、敵機を発見するまでが一苦労で、しかも敵はあっという間に暗闇に消えてしまう。
わずかに漏れるエンジン排炎を頼りに捕捉した例もあったが、これも数ヶ月後には連合王国空軍全機が「消炎排気管」を標準装備。これは単に長いパイプで排気温度を下げ、または未燃焼ガスを完全燃焼させてから放出するというシンプルな機構だったが、その効果は歴然だった。
これ以降、夜間戦闘を行う航空機の標準装備となったこの機構の導入により、敵機は完全に闇夜に溶け込んでしまった。
ハッキリ言って、こんな状況で敵機を撃墜しろと言う方が無茶無謀なのだ。
夜間戦闘飛行隊に配属された戦闘機パイロットの大半が、一度は昼間戦闘機部隊への転属を願い出て、カンフーバー大佐らの仕事の半分が部下の慰留になったのも、むしろ当然の結果といえた。
…余談だが、この転属願の件は西暦世界のルフトヴァッフェも同様であった。
そんな悪条件下で、しかも本格的な夜間戦闘機型『シャッテン』量産体制の確立が7月以降――つまり、帝都夜間爆撃以降――だったにもかかわらず、240機もの稼動数がある方が奇跡に近かった。
参考までに西暦世界では、イギリス空軍の夜間爆撃が始まった当初(1941年)、ドイツ空軍夜間戦闘機の稼働数は106機、それも使い道のなくなった「護衛戦闘機の必要な双発戦闘機(!?)」や双発爆撃機の改造ばかりだった。
本格的な夜間戦闘機He219ウーフーの初飛行は1942年11月を待たねばならなかったし、同機の量産数は――諸説あるが――約290機に留まったのである。
それを思えば数段改善された帝国の状況だったが、しかし――
「…ちなみに敵の数は?」
「ご存じのとおり『
「君の経験則、いやカンでも良い。どれくらいだと見る?」
カンフーバー大佐の問いに、以前レヒリンでレーダー開発に関わったこともある参謀は、しばし黙考し、答える。
「…転送されてきたスコープ画像が正しければ、600…いや、700は下らぬかと」
「よろしい。君のカンを信じよう。空軍総司令部…いや、統合参謀本部に至急電」
「ハッ!文面は、なんと?」
「『敵機600機以上、北海を西進中。針路から見て目標は帝国北部と見られる。警戒されたし』、それとこちらの邀撃機が240と言うことを付け加えろ」
「了解、直ちに!」
――しかし、結論から言えば、彼らの努力は間に合わなかった。
通信文のメモを持った伝令が駆け出そうとしたその時、まさに彼が走り出そうとした方向、通信室から一人の兵士が飛び込んでくる。
「ハンブルガーより緊急電です!『敵機多数、当市ニ来襲中。救援ヲ請ウ。至急救援ヲ請ウ!』」
◇◇◇
統一歴1975年 11月14日
ライヒ連邦共和国西部 ハンブルガー
皆さん、こんにちは。
司会のアンドリューです。
私は今日、世界初の都市無差別爆撃が行われた帝国西部の都市ハンブルガー、その慰霊式典に来ております。
攻撃直後から賛否両論のあったこの夜間無差別爆撃により、一説には5万もの尊い命が失われました。正確な犠牲者の数は、60年が経った現在でも分かっておりません。
ハンブルガーは当時から首都ベルンに次ぐライヒ第二の都市であり、港湾都市、商業都市としては帝国最大の規模を誇っておりました。
また、市内の軍需工場では帝国海軍Uボート用の魚雷の大量生産を行っており、当時連合王国が行った記者発表でもそれが攻撃理由でした。
攻撃は日付が15日になる直前に行われ、960機もの連合王国空軍の爆撃機が、2波に分かれてこの都市を爆撃しました。投下された爆弾は約3,000tに及び、当日が異常に乾燥していたこと、一つの地域に爆撃が集中し消防隊が最初に火災が発生した現場へ到達出来なかったことなど様々な要因が重なって甚大な被害をもたらしました。
特にこの前後数年間は冬の寒さが厳しく、各家庭には例年より多くの石炭やコークスが貯蔵されていました。これが火災の規模を拡大し、
この竜巻はやがて一つの巨大な火災旋風となって、ハンブルガーの街を呑み込みました。この火災中心部の温度は摂氏
今日に伝わる
――都市そのものが巨大な溶鉱炉と化す地獄絵図が、そこには
戦後、ライヒ連邦政府が取りまとめた資料によれば、各種生産施設や軍関係施設の壊滅470カ所、中層階の大規模集合住宅約4万戸、戸建住宅約27万戸が焼失。商店の焼失約3千軒、公共施設や学校の壊滅も300棟に及び、文字通り「燃え尽きるまで燃え続けた」と言われています。
防空警報によって市民たちは防空壕に逃げ込みましたが、火災旋風の高熱と酸欠、一酸化炭素中毒により多くの犠牲者が出たものとされています。
現在認定されている犠牲者の数は4万7千人ですが、この空襲で大怪我を負い、搬送された3万とも言われる市民のうち、後遺症で亡くなった人の数も含めればその数はさらに膨れ上がります。
また、この攻撃で住む家を家財ごと失ったライヒ国民は100万人を超えるとの推計もあります。
戦後、これほどの無差別爆撃に対する補償を求める声が当然のように上がりました。
しかし、その声は東西冷戦の中で封殺され、いまだライヒ-アルビオン間の外交問題として燻り続けています。
…我々、連合王国からの取材陣が一カ所に集められ、ライヒ警察に守られていることからもこの問題の根深さがうかがえます。
さて、間もなく式典が始まるようです――
ついに我が町でもコ〇ナ感染者が出てしまいました。
その関係上、次回以降の投稿が本悪的に未定になることをご了承ください。
…気持ちは分かるけど、役所にお怒りの電話かけられても困るのよ。
治安維持法でも施行して、外出しているだけでしょっ引けとでも?