統一歴1927年11月14日は帝国にとって汚辱の日になりました。
非道なる連合王国の手によって帝国は大規模な虐殺を受けました。
我が国は連合王国と戦争状態にありましたが、平和を生み出そうと努力している最中でした。その最中に彼らは大規模な爆撃、しかも民間人を巻き込むことを前提にした大量殺人を実行したのです。
かの国は民間人に対する避難勧告、国際法上合法となる施設を選んで爆撃しなければならない義務、女性・こども・老人などの非戦闘員を巻き込んではならないモラル。
それらを一切無視してこの爆撃を行なったのです。
爆撃を行なった飛行機の数からみてこの攻撃は何日も、いや何か月も前から、周到に企てられていたものであることは明白です。
過日のハンブルガーへの爆撃はライヒ国民に対し多大な被害をもたらしました。
無辜の市民5万人以上の命が失われ、100万の帝国民が家と財産を失ったのであります。
思えば戦争当初、連合王国政府は中立を叫びながら、平和のための仲介をせず戦争を拡大させました。
それどころか、彼らの狙いはフランソワと帝国の共倒れにあり、それが不可能とわかると参戦し、自国民と帝国民を殺すことに貢献しました。
あまつさえ、フランソワ政府が戦争を終結させる勇気ある決断をしたとき、連合王国政府はそれを認めず、それどころか昨日までの同盟国をメルセルケビークで騙し討ちにしました。
のみならず、彼らは帝国と連邦の仲を引き裂き、欧州を赤旗で染め上げようと試みました。
――そしてついに、彼らは越えてはならない最後の一線を踏み越えたのです。
ゆえに、私は断言いたします。
この凶行は、戦争の名を騙った文明国にあるまじき蛮行であり、我が国のみならず、世界の平和に対する暴挙であると。
帝国はこの悪辣非道なる連中に正義の鉄槌を下すその日まで、どれほどの犠牲を払おうとも、たとえ国民が最後の1人になったとしても戦い続けるであろうと。
そして私は、この場を借りて宣言いたします。
帝国は皇帝陛下を信奉する国民の固い結束の意志をもって、必ずや勝利をつかみ取るであろうと!
正義は我らライヒにあり、神よ我らを助けたもう!
ジーク・ライヒ!ハイル・カイザー!
――統一歴1927年11月20日 ハンブルガー中央広場にて行われたツェツィーリエ・フォン・プロイツフェルン演説より抜粋
◇◇◇
統一歴1975年 11月14日
連合王国首都ロンディニウム
「――あれから、もう50年近く経つのね……」
そう呟く眼前の女傑につられて、ヤン教授は壁に掛けられたテレビに目をやった。
そこではつい先ほど始まった「ハンブルガー慰霊祭」、その様子が生中継されており、ちょうどライヒ連邦大統領の演説が始まろうとしているところだった。
『隻眼の魔女』と恐れられる老宰相もそちらにじっと視線をやっており、その表情は窺い知れない。
――連合王国第66代首相、セシリア・マーガレット・チャーブル。
第51代首相ウィストン・チャーブルの養女であり、彼の要請を受けて政界に出るまでロンディニウム大学史学部の准教授を務めていたという経歴の持ち主。そして実は学生時代のヤンも彼女に教わった一人だった。
要するに、元恩師と元教え子の関係にある二人。
「…出席されなくてよかったのですか?」
「教え子」の問いかけに対し、「先生」は苦笑交じりに答えた。
「お忘れかしら、ヤン。私は『
一応、外交儀礼としてライヒ連邦政府からの招待もあったが、その実、それを手渡しながらライヒ大使はこう言ったのだ。
――失礼ながら、貴女は来られない方がよろしいかと。
「閣僚からも止められたわ。我が
「そう思われますか?」
「私自身、空襲で実の両親と片眼を失った身ですもの。思う所はあります」
そう言って、女宰相は顔の右上半分を覆う仮面に、これまた手袋で覆われた右の義手でそっと触れる。
――その下にはおよそ50年前、帝国空軍の空襲で彼女が負った大火傷の痕が隠されているはずだった。
「…失礼を致しました」
「良いのよ。お陰で『隻眼の魔女』なんて大層な二つ名もいただけたのだし」
そう言ってクスクスと笑う姿には、さすがは『チャーブル家の隠し玉』、『サー・ウィストン・チャーブルの一番弟子にして後継者』と言われるだけの貫禄があった。
「そもそも都市夜間無差別爆撃なんて、民間人を巻き込むのが明白……。いえ、巻き込むことを前提にしていたのでしょうね。
当時の報告書に『都市を住民ごと焼き尽くすことで、その地域の生産力を完全に破壊する』と書かれているし」
まぁ、軍人と文民、軍事目標と民用物を区別せずに行う無差別攻撃が明示的に禁止*1される前だったけれど、とチャーブル女史。
「…なぜ、あの攻撃にゴーサインを出したのか、生前の御父上は何かおっしゃっていましたか?」
「いいえ、全く。私だから話さなかったのか、それ以外に理由があったのかは分からないけれど」
「………」
「ただまぁ、見当はつくわ」
「…拝聴しても?」
「ええ、いいわよ。この後は閣議も面会もないことですし」
「恐縮です」
「良いのよ。私だって偶には『歴史家』に戻りたいですもの」
そう言って笑うチャーブル女史が曰く、養父チャーブルの根底にあったのは『帝国という信じがたい怪物』という恐怖。
「怪物…ですか?」
「周囲を仮想敵に囲まれ、どころか実際に全周囲を敵に囲まれた戦争に突入したにもかかわらず、平然と立っているどころか『最大の版図』『帝国最良の時代』を築き上げた存在。
――そんなバケモノが対岸に存在すると聞いて、楽観視できる連合王国人はいなかったわ。…いいえ、半ば恐慌状態だったでしょうね」
実際、当時連合王国議会でたびたび取り上げられた『高射砲設置請願』は、冷静に考えればおかしい量にのぼっていた。それは、誰も彼もが『帝国』という存在に恐れおののき、過大評価して実態以上の『怪物』と見なしていたからに他ならないと、彼女は言った。
「特に『早晩、連合王国は餓死してしまう!』と騒ぐほどに猛威を振るったUボート。一部では食料の配給制すら始まったほどだったから、当時の連合王国人はその脅威をひしひしと感じていたでしょうね」
「…つまり、連合王国の人々はこう思ったわけですか。『やるか、やられるか』だと」
「そのとおり、『この怪物を打ち倒さねば、自分たちの未来はない』とね」
そもそも「All is fair in love and war」を信条とする連合王国である。
『やらなければ、やられる』と思い定めたならば、その次にくる言葉は単純明白だった。
――徹底的に、もう二度と立ち上がれなくなるまで叩き潰せ!
「しかもハンブルガーは工業が盛んで、魚雷製造工場もあったわ。言うまでもなく、Uボートに搭載される魚雷のね」
なにしろハンブルガーは軍港ヴィルヘルムスハーフェンにも、帝国海軍の母港キィエールとも運河を経由すれば近い距離にある。それこそ『帝国海軍のへそ』といって差し支えない好立地。そんな、しかも元から工業が発達しているハンブルガーに、海軍向けの兵器製造工場が多く立地するのは当然の帰結であった。
――そして、それは同時に連合王国にとって十分すぎる『攻撃目標』であった。
「攻撃直後のニュース映画でも『帝国海軍Uボート魚雷工場を完全破壊!』と連呼しているわ。実際、その前後に帝国海軍の通商破壊戦が下火になったのも事実よ」
実際のところ、それは合州国の参戦を恐れた帝国が通商破壊戦にブレーキをかけたからだったのだが、当時の連合王国人がそれを知るはずも無い。
「ハンブルガー攻撃によって、Uボートの悪夢が遠ざかった!!」
それが当時の連合王国人にとっての「認識」であり、攻撃理由として「正当」なものとして受け止められた。
一般市民の死傷者?
魚雷製造工場に勤めているだけで同罪だし、なにより帝国人に情けなど不要。
だってこれ、戦争だもの。やられる方が悪いのだ。
「…まぁ、そもそも騎士同士の一騎打ちの時代ならいざ知らず、近代戦はどう頑張っても民間人を巻き込んでしまうのよねえ」
「…恐れながら先生、現在進行形でフォークランド諸島に出兵している我が国も、他人事ではないのでは?」
「先生はやめてと何度も…、まぁ良いわ。
あそこはれっきとした我が連合王国の領土ですし、先に出兵してきたのはあちら側。正当防衛、専守防衛、大義名分は十分なほどにあるわ」
そう言ってニヤリと笑うさまは、どう見ても悪人のそれ。
流石は『人命に代えてでも我が連合王国領土を守らなければならない。なぜならば国際法が力の行使に打ち勝たねばならないからである』『領土とは国家そのものであり、その国家なくしては国民の生命・財産の存在する根拠が失われる』と議会で言ってのけただけのことはあると、自分の恩師ながらヤンは苦笑するしかない。
「つまるところ、50年前と変わらない訳ですか」
「失敬な。可能な限り民間人への誤爆は避けるようにと厳命したわ。
二代続けて『焼き討ちのチャーブル』なんて言われたくありませんからね」
『焼き討ちのチャーブル』
それは、あの作戦を主導した『
幸か不幸か、大戦終結後に激化した『東西冷戦』の中で、連合王国とライヒが
識者に言わせれば、『西側世界の首魁たる合州国でさえ匙を投げた、西側最大の爆弾』。
「冷戦」という全世界規模の二項対立があるからこそ発火を免れている…というより合州国が導火線への点火を全力で阻止――同じ西側陣営内での内ゲバなど、悪夢以外の何物でもないからだ――しているそれは、であるにも関わらず、50年近く経った今もなお両国関係に暗い影を落としている。
――あるいは冷戦が終結すれば、西暦世界の極東の島国と半島国家と同様、一気に噴き出すのかも知れなかった。
「もっとも、後になって相当懊悩してたわね。『我々はやりすぎた』と。毎年11月になると塞ぎ込みがちだったわ」
「…そのような発言、公式見解には一切ないはずですが?」
「言えるわけがないでしょう。あくまでも身内しか知らない筈よ。…ああ、ライヒ連邦との賠償問題に発展するから、私が総理の間はオフレコでお願いね、教授?」
最後は茶目っ気たっぷりにウインクを飛ばす『隻眼の魔女』を見ながら、ふとヤン教授は思った。
――もしかすると、あのチャーブルが空襲で家族を一瞬で失った
そんな想像はおくびにも出さず、ヤン・ウェンリーは冗談交じりに首を傾げる。
「ちなみに断れば?」
「貴方が手に持っている封書の件は、一切協力できなくなるわね」
「……参りました。何でもお見通しですか?」
「『隻眼の魔女』を甘く見てもらっちゃぁ困ります」
そう言われたヤンが苦笑しながら差し出したのは、先日ルーシー連邦政府から届いた一通の封書*2。
デカデカと『不許可』のスタンプが押されたそれを一瞥して、セシリア・チャーブルは苦笑した。
「…ヤン、貴方いったい何を書いたの?あの国の秘密主義は筋金入りだけれど、私だって封書の表にまで『不許可』を押されたことはないわ」
「思うに私の
「人に責任転嫁するのは貴方の悪い癖よ。わが連合王国が誇る
「……」
「………」
そう言って、にっこりと嗤うかつての恩師。
それだけでヤンには十分すぎる答えだった。
「…ちなみに先生、『
「小説の読み過ぎね。……それにしてもどうしましょうかねえ」
全力で『不許可』を主張し続ける封書を手に取って、セシリア・チャーブルはため息をついた。
今はもう魑魅魍魎の世界の住人である彼女だが、しかし、かつての教え子を邪険にするほど人を辞めてはいなかった。
「協力できるものならしてあげたいけれど…。…ちなみに、何の資料を見ようとしたの?」
「『回廊の戦い』ですが…」
「ああ、それは無理ね」
断言だった。
「…実は私も大学にいたころ、あの戦いについて調べようとしたのよ。連邦にとっては憎い帝国を焼いたチャーブルの娘だし、その父にも一筆貰って、『いける!』 と思ったのだけれど…」
「…資料の取り寄せ方に色々と問題があるような気がするのですが」
「気にしたら負けよ、ヤン。だって、そこまでやっても駄目だったのですから」
「なんですって?」
嘘でしょう、というヤンにチャーブル女史は首を横に振った。
「何しろどこかの国の外交官が、あのあたりの『外国人立ち入り禁止区域』にうっかり立ち入っただけで国外退去処分になったくらいですからね」
「…まさか、冗談でしょう?」
「そのまさかよ、ヤン。『回廊の戦い』について、あの国は絶対に情報を明かさないわ」
「参りましたね、こりゃ」
そう言って頭を掻くヤン。
学生時代から変わらぬその癖に苦笑したセシリアは、ふと思い出す。そう言えば…と。
「代わりになるかは分からないけれど…」
「?」
「実は先日、父の書斎を整理していたら隠し扉が見つかったのよ」
「……それはまた、興味深いですね」
「でしょう?」
まぁ、その奥にあったのはちょっとした納戸ほどのスペースでしかなく、雑多な書類に埋もれていたのだけれど、とセシリア。
「兄と一緒に一通り見たけど、全部が全部メモやら文書やらで、しかも整理されていない状態。どうしたものかと頭を抱えていたところなのよ」
出るところに出たら色々と不味い案件が含まれているかもしれないし、と女史は嗤う。
「その点、あなたなら安心ね」
「…それは私という人物が信頼できるという意味でしょうか?それとも監視が出来ているからという意味でしょうか?」
「さて、どちらだと思う?」
そこでニィ、と笑うから『魔女』と言われるのだろうな、とヤンは苦笑した。
そして、しっかり監視役も付けるに違いないのだろう、と。
「やれやれ…。全くあなたは酷い恩師だ。あのチャーブル首相の残した資料と聞いて、私が断わるわけがないことを知っておられるでしょうに」
「心外ねえ。傷心の教え子を思って、代案を出してあげただけだというのに」
ブツブツとぼやくチャーブル女史。
――後に、多くの歴史研究者たちを混乱の坩堝に叩き落とす『チャーブル書簡』の発見は、こんななんとも締まらないやり取りから始まったのであった。
「…それにしても」
「?」
チャーブル女史は言う。
――ハンブルガーは間違いなく、あの戦争における
本話の執筆に際しては、読者の御一人、「アメフト」様から多大なるご助力を賜りました(と、いうより演説部分はほぼ全てご寄稿頂きました)。
この場を借りて、篤く御礼を申し上げます。
>ハンブルクの魚雷工場
西暦世界のハンブルク空襲後の連合国側ニュースフィルムで、そんな感じのことを連呼していたので採用してみました。立地的にあるでしょうし。