皇女戦記   作:ナレーさんの中の人

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参謀総長

『皇帝崩御』

 

 

その報に接した各国首脳部の反応は、概ね同じものだった。

すなわち――

 

 

「また罠か?」

 

 

その脳裏に浮かぶのは、ライン戦線最終盤。

あのとき、帝国が流した『皇帝陛下不予』の虚報により、連合王国はまんまと出し抜かれ、共和国が誇る大陸軍は書類上の存在と化したのだ。

 

「――連中は皇帝の健康状態すら軍事に利用する」

 

ロリヤ内務人民委員長は、そう言って葉巻を燻らせる。

軍事最優先、「軍事的解決」しか知らない帝国人らしいやり方だ、と。

 

「――そう何度も騙されるものかね」

 

チャーブル首相もそう言って苦笑せざるを得ない。

とは言え、事実ならば好都合だ、とその脳内で算盤が弾かれる。

 

「『勝利こそ陛下の御遺志』、実に素晴らしい大義名分じゃないか」

 

かくして、連合王国情報部に更なる追加業務が発生する。

彼ら自慢の「長い手」をもってすれば、交戦中とて帝国世論にそれとなくアプローチするくらい、造作もない――と、思っているのは命令する側のみ――ことであった。

 

 

 

◇――◇――◇

 

統一歴1927年12月28日

連合王国首都ロンディニウム 首相官邸

 

「…では、皇帝崩御は事実と?」

「はい」

 

ハーバグラムの報告に、国王陛下の忠実なる僕、ウィストン・チャーブル卿は臍をかんだ。

 

「間違いないのかね?」

「本日、帝国全土、全軍に布告がなされました。『ウルトラ』をはじめ、複数のソースからも裏が取れています」

「うぅむ…。ちなみに、帝国が動揺している気配は?」

 

答えは分かり切っていると思いつつも、チャーブルは問いかける。

そして、有能なる情報部長の答えは案の定――

 

「少なくとも、軍においては皆無です」

「やはりか」

 

 

 

『統帥権は、既に皇太女ツェツィーリエの手中にあり』

 

 

 

それが連合王国情報部、そして報告を受けたチャーブルの見解であった。

 

なにしろ、第三代皇帝がほぼ病院暮らしなのは、連合王国の知識人層の間では戦前から割とよく知られた話であった。

当然、その間の実務を『皇女摂政宮』が代行するとされていることも。

 

『とは言え、まだ10代の少女だろう?皇帝の代わりなど務まるのか?』

『いやいや、中世ならいざ知らず、帝国とて近代国家だ。官僚機構がしっかりしていれば問題は無いのだろう』

『然り。『王冠をかけた恋』でも、結局はどうにかなっただろう?』

『…それもそうか』

 

 

それが大方の連合王国人の見方であった。

である以上、皇帝が崩御したところで帝国軍にはさほどの影響はないであろうし、ツェツィーリエを知る人間からすれば、むしろ「名が実に追いついた」だけに過ぎない。

 

「…むしろ一切の制約から解放されたと見るべきか……」

「その点に関しまして、いささか気になることがあります」

「ほう、それは?」

「帝国軍中枢において人事異動が発令された模様です。…こちらが、目下判明している情報になります」

「拝見しよう…ふむ」

 

そう言って、チャーブルが受け取った一枚の紙。

そこに記されていたのは――

 

 

◇――◇――◇

 

同刻 連邦首都モスコー

内務人民委員長執務室

 

 

「…帝国は馬鹿かね?」

 

届けられた情報に、ロリヤ内務人民委員長は首を傾げた。

 

「このタイミングで軍首脳部の大幅な入れ替え?いったい何を考えておるのだ」

 

()()()、万人が平等である共産主義国家においてはありえないことだが、帝国のような専制国家とその軍隊は、君主の動静に大きく左右される。

何故なら、実情はどうあれ『皇帝陛下の国民』であり、『皇帝陛下の軍隊』なのだ。

特に帝国の場合、「ライヒに住まう諸民族」が「皇帝の下に一致団結」したという建国神話、テーゼを有しており、言い換えるなら『バラバラの布切れを皇帝という縦糸で纏めている』とでも表すべき状態。

そんな国家における代替わりともなれば、多少なりとも国家、軍隊に動揺が見られそうなものなのだが…。

 

「全くそのような節はない、と?」

「ハッ、そもそも皇帝は病気がちで、その実権は既に皇太女…新皇帝ツェツィーリエ・フォン・プロイツフェルンに移譲されていた模様」

「なるほどな」

 

そこでふと、ロリヤは首を傾げる。

 

「そう言えば、新皇帝…ツェツィーリエとやらはまだ若いのだったか?」

「は、ハッ。確か、今年で20歳になるかならないかだったかと…」

「思った以上に若いな」

 

二重の意味で彼は嘆く。

()()()()育ちすぎているなという意味と、当分健康問題は出てきそうもないという意味で。

彼に言わせれば『食べごろ』を過ぎている。そもそも今のロリヤの心を占める女性はただ一人、『妖精さん』(デグレチャフ)だけなのだ。

 

恋人のためには手段は厭わないと覚悟を決めている、愛の戦士ロリヤは問いかける。

 

「それで、どのような内容なのだ」

「主だったところでは、陸軍参謀総長、海軍軍令部長が交代とのこと」

「陸海軍の頭を総入れ替えだと?正気とは思えん」

「いずれも前任者の予備役編入、次長クラスの昇任の模様です」

「ふむ、これまで実務を統括していた人間を昇進させたという訳か。それならば影響も最小限……。まて、次長を昇任だと?」

 

嫌な予感がした。

帝国陸軍参謀本部で「次長」と名の付く人間は二人しかいない。

思わず担当者の手から資料をもぎ取ったロリヤは次の瞬間、うめき声を上げることとなる。

 

 

 

 

「――ハンス・フォン・ゼートゥーア参謀総長だと!」

 

 

 

 

同時刻、連合王国でその内容を手にしたハーバグラム、報告を受けたチャーブルも呻いていた。

 

『衝撃と恐慌』

 

フランソワ共和国が誇る大陸軍を消滅させたその作戦を、連合国関係者は知っている。

その前代未聞の大移動――全戦域での後退からの回転ドア――を差配した手腕と合わせ、立案者ハンス・フォン・ゼートゥーアの名前もまた、彼らの持つ『要注意人物』リストの筆頭格に挙げられている。

 

「厄介な男が出てきた」

 

なにしろ、帝国が戦前の想定に無かった『外に出ての全面戦争』を曲がりなりにも遂行出来ているのは、帝国陸軍参謀本部の中でも物道を司る「戦務局」、特に「鉄道部」の働きによるところが大きい。

…否、彼らがいなければ帝国は「内線戦略」すら十二分には実行出来ないのだ、と各国は踏んでいる。

この大戦が『国家総力戦』、そして物量の戦いであることは誰の目にも明白。

連邦相手に広大な戦線を抱えている帝国軍の兵站を差配しているだけでも十分すぎるほど厄介な相手なのに、先に述べた通りこのゼートゥーアという男、作戦立案能力もあると来ている。

 

「…だが待てよ?奴は今、査閲官とかいう閑職ではなかったか?」

「同志内務人民委員の仰るとおり、奴は今、ミルスク周辺にいる模様です」

「帝都に戻る様子は?」

「ありません。当分は残るものかと」

「なに?」

 

首を傾げるロリヤに、部下は報告する。

 

 

『ハンス・フォン・ゼートゥーア大将を帝国陸軍参謀本部参謀総長に任ず。――但し、同大将は現在査閲官の任にあるため、ルーデルドルフ大将を参謀総長代理に任ず』

 

 

「ありえん!」

 

思わず、ロリヤは机を叩いた。

 

「ど、同志?」

「考えて見たまえ。如何に帝国軍が連邦に足を踏み入れているとは言っても、帝都に帰るくらい、輸送機ですぐに出来る距離なのだぞ」

 

事実、ゼートゥーア()()が査閲官の肩書を引っ提げてやってくると連邦が掴んだとき、かの詐欺師は既にセバスチャン・ト・ホリに入っていた。それほどまでに航空機の進歩によって、前線視察はかつてのそれとは比べ物にならぬほど容易かつ迅速になっている。

にも関わらず、わざわざ()()()()()の人間を、戦時昇進(大将に進級)させてまで指名する理由は?

 

 

「…こうしてはおれん。君、付いてきたまえ」

「ハッ!」

 

何処へ、とここで聞くような馬鹿は、もういない。

この状況下で、ロリヤ内務人民委員長が向かう先はただ一つ。

 

 

――東部査閲中の人間を参謀総長に任ずる理由など、ただ一つしかありえないのだから。

 

 

「…帝国が動くぞ」

 

◇――◇――◇

 

「それもおそらく東部戦線で、だ」

 

ウィストン・チャーブルは確信する。

彼が査閲官に着任して以来の帝国軍の後退行動もまた、それを裏付けるものだと。

 

「見たまえ。帝国軍の後退によって『突出部』が形成されつつある。今はまだ目立たない程度のものだが」

「帝国軍の狙いはそこにある、と?」

「然り。連邦が気づいていれば良いのだが」

「知らせますか?」

「…いや、やめておこう。『ウルトラ』が看破されることだけは避けねばならん」

「ハッ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――と、思ってくれればしめたもの」

 

 

統一歴1927年12月31日

連邦領・帝国占領地域ミルスク 東部軍司令部

 

 

「連中が、小官の参謀総長着任を東部戦線における大規模行動の予兆と『誤認』してくれればしめたもの。わが東部軍は一層安全に後退を完了できるだろう」

「誤認、とおっしゃいますと…」

「誘引撃滅はなさらないと?」

 

思わず問うた東部軍のまだ若い参謀連を一瞥して、帝国陸軍参謀総長ハンス・フォン・ゼートゥーアはニヤリと笑う。青いな、と。

 

「これほどあからさまな人事だ、敵とて用心するだろうて。なにより…」

 

そう言って、総長閣下は葉巻片手に窓の外をちらり。

 

「この吹雪の中、大規模な作戦行動を取れると?」

 

そう、ここは年末のルーシー連邦。

言うまでもなく、そこは極寒の大地。

 

「まぁ、泥濘に脚を取られることはないだろう。君、やってみるかね?」

「は、ハッ…いえ、その」

「冗談だ。虐めてすまんな」

 

そこで実に楽しそうに笑うあたり、やはり総長閣下は人が悪い。

 

「この際だ、冬季装備を手配した戦務局の人間としても『不可能』だと断言しておこう」

「…昨年に比べ、格段に充実しておりますが…」

「昨年に比べれば、そうだろうな」

 

だがしかし、とゼートゥーアは続ける。

 

「それらは戦前から東部用に備蓄してあったものだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()にな」

「っ!」

 

そう、そもそも帝国軍には『敵国奥深くまで攻め込んで勝つ』用意がない。

一応、西部軍に関しては戦前の想定で「パリースィイまで届く」とされていたが。実際のところはご存じのとおり。フランソワ国内にガソリンスタンドがなかったら、機甲部隊はフランソワ軍主力の背面に辿り着けたかさえ怪しいところがある。

 

これが東部軍、それも参謀総長閣下の仰るように倍増された東部軍ともなれば何をかいわんや。

 

「今頃、帝国内の石油精製施設はフル稼働だろう。それでもなお、じわりじわりと不凍液の在庫は目減りしつつある」

 

なにしろ、石油需要は増えることはあっても減ることはない。

兵器を作る工場のディーゼルエンジン。西方方面防空部隊の使用する航空機用ガソリン。忘れがちだがパイロット養成用のガソリンだって消費量は増える一方。

とてもではないが、東部軍のためだけに冬季用ガソリンを製造する余裕などなかった。

 

それに拍車をかけたのが、今回の大規模後退である。

きな臭くなってきた西方に兵力を抽出するためとはいえ、昨年構築した『陣地帯』までの最大150キロの後退である。

 

極寒の大地は泥濘とともに、帝国軍の冬季用ガソリンを消失させた。

 

「幸い、越冬するだけならば十分に余裕があるが」

「攻勢は不可能と」

「然り。ガソリン要らずの打撃部隊があるなら話は別だが…」

 

ほうら来た。

人の悪い笑みでこちらを見やる参謀総長閣下に苦笑しながら、サラマンダー戦闘団司令、ターニャ・フォン・デグレチャフは立ち上がる。

 

「恐れながら、魔導師だけで連邦軍を壊滅させるのは困難です」

「『斬首戦術』でもかね?」

「単純な数の問題です、閣下。数があまりに多すぎます」

「なるほど。つまり数が少なければ良いわけだな」

「は、ハッ」

 

ニヤリと笑うゼートゥーア閣下に、ターニャは己の過失を悟る。

おかしい、ここ半月の『酷使』を教訓に、十分注意したはずだったのだが、と。

ターニャが冷や汗をだらだら流している間にも話は進む。

 

 

「ともあれ諸君、来春までの東部軍の基本方針は『現状維持』だ。宜しいかな?」

「「ハッ」」

 

 

そして、東部戦線では何もしないと明言したゼートゥーア閣下は、まず時計を確認し、次に西の空を睨む。

 

 

「ふむ」

「閣下?」

 

 

 

――時に、統一歴1927年12月31日 午後8時11分

 

 

 

「そろそろ、だな」

 

 

 


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