連合王国首相にして国王陛下の忠実な僕、ウィストン・チャーブルは英邁な男である。
でなければ、この国家危急のときに第一大蔵卿の大任を任せられる訳もなし。
だからこそ、ハーバーグラム少将のもたらした情報を前に、彼は首を傾げるのだ。
「あからさますぎる」と。
かの首相は、ツェツィーリエ・フォン・プロイツフェルンという少女をよくご存じであった。少なくとも、連合王国人の中で彼ほど彼女のことを理解している御仁はいない、と情報部長ハーバーグラム少将が認めるほどには。
「10年近い付き合いだから断言しよう、アレの本質は『連合王国人』だ」
帝室という、いわば血統書付きの帝国人ではあるが、「シーレーン」と「チョークポイント」、そして古今東西の戦史――しかも、大半は海戦――の話題でチャーブルと会話が弾む時点で、なにをかいわんや。
「そんなあの娘が、こうも分かりやすい『東部重視』を打ち出すだと?…ありえんな」
故に、彼はハーバーグラムに命じた。
「情報の精査を。特に、我が国への大規模攻勢の可能性に留意してほしい」
「…可能性があると?」
「こうもあからさまな動きだ。私だったらその裏をかく。あの娘だってそうするだろう」
「分かりました。直ちに取り掛かります」
かくして、連合王国対外情報部門の年末超過勤務は加速する。
オーバーワークは今年こそは…と期していた者も、今年もどうせ…と諦観していた者にも分け隔てなく降り注ぎ、情報部員は遍く、その細君と毛根へのご機嫌取りに苦労することとなる。
彼らはもはや何杯飲んだか分からぬティーを飲み干すことで、終業間際になって追加された業務に対する愚痴を呑み込む。
もし、対外情報部の役得があるかと彼らに問う機会があったならば、そろってこう断言することだろう。
『このご時世に、本物の紅茶が手に入ることだ』と。
逆を言えば、それほどまでに酷使されている部署である。
彼らの尊い犠牲と、湯水のように消費される茶葉と酒精の上に、ハーバーグラムはわずか3日で結果を出す。
――曰く、他に手がないものと思われる。
「根拠は?」
「ハッ、こちらをご覧ください」
そう言って、ハーバーグラムが頑丈そうな――言うまでもないが、万が一の時は発火する装置が組み込まれている情報部謹製の逸品――アタッシュケースから取り出したるは一枚の地図。
もし、この場に帝国陸軍参謀本部の人間がいたら瞠目したことであろう。何故ならそれは――
「5日前のものですが、帝国軍地上部隊の展開状況になります」
今日も今日とて、キム課長率いる暗号解読部門は絶好調。
彼らは東部方面査閲官ゼートゥーアの参謀総長着任をその日の正午には察知し、その日の午後には参謀本部と、何故か
つまるところ、帝国軍の通信は文字通りの丸裸。
「ご覧の通り、帝国軍は相変わらず東部に戦力を集中しております。…ちなみに、件のゼートゥーアめの所在は、こちらです」
「ミルスクか、まさに東部のど真ん中だな」
「はい。西部にもそれなりの地上部隊が配置されているように見えますが、これらは新設か再編中、あるいは軽装備の二線級部隊が殆どです。詳しい資料をご覧になりますか?」
「いや、いい。そこまで分析出来ているなら問題ないだろう…。空軍の方は?」
「こちらに」
先ほどの地図に被せるように広げられたるは、やはり帝国空軍関係者をして絶句させるに相違ない、精巧な部隊展開状況図。
「やはり、東部に主力を割いておるな」
「はい。帝国は昨年同様、厳寒期の到来とともに地上部隊を一定程度下げています。その援護のため、空軍攻撃部隊もその多くが東部に展開しています」
「西部に展開しているのは?」
「防空部隊が主です。略符号『JG』は
「見事にその二つが殆どだな。…ん?この『FK』というのは?」
「高射砲部隊…
「なるほど。そしてその三つしか西部にはいないと」
「はい、攻撃部隊は全て東部に所在しています」
「しかしハーバーグラム君、航空機というものは足が長い。そして帝国には長距離攻撃可能な爆撃機が多数あったと記憶しているが?」
「その点については注意が必要でしょう。ですが、我が空軍の指揮官に参考意見を伺ったところ『可能性は低い』との事でありました」
「ほう?なぜだね?」
「『飛行機だけで爆撃できるほど、空軍というのは便利なものじゃない』そうで。長距離を飛ぶことによるパイロットの疲労、搭載燃料を増やすための搭載爆弾量の減少、そして被発見の可能性が高まることを思えば、帝国上空横断をするくらいなら、発進基地を西に移動させるだろう、と」
「そういうものかね」
「仮に帝国がそれを実行したところで、問題は無いとも仰っていました。『より早期に発見でき、迎撃しやすくなる。むしろ好都合だ』とも」
「なるほど、多少は安心出来るな」
フン、と鼻息も荒く頷いた連合王国の宰相は、それで、と続きを促す。
「最後に帝国海軍ですが…、気になる情報が」
「出撃の兆候でも捉えたかね?」
「はい。ただし、潜水艦部隊に限ってでありますが」
「…通商破壊か」
――無制限通商破壊戦
それは今次大戦において実行された、連合王国人に言わせれば『鬼畜の所業』。
…まぁもっとも、ゴーサインを出した少女がその世評を聞いたところで、手を叩いて喜ぶに違いないが。そう褒めてくれるな、と。
「ここ数日、帝国海軍潜水艦部隊の通信量が増加傾向にあります」
「実に気になる情報だな、それは。ちなみに水上部隊は?」
「例の遊撃艦隊…通商破壊部隊の方は現在調査中ですが、可能性はあるかと。なお、主力艦部隊はバルテック海にて動きがありません」
「…帝国め、徹底して商船を狙う腹積もりか」
「閣下、それに関連するのですが…」
「何かね?」
「新しい帝国海軍軍令部長の詳細を入手いたしました。こちらに」
「報告書は後でじっくり読むとして、要点を」
「筋金入りの『通商破壊戦論者』です」
かの人物の経歴は、「異色」の一言に尽きる。
はじめは普通の海軍人同様、水上艦艇や戦艦勤務、あるいは地上に戻って本省勤務などをしていたようだが、約10年前を境にその経歴は謎に包まれる。
――少なくとも、情報部が再調査を実施するまでは。
「再調査の結果、奴は10年前予備役に編入されたのち、『鯨調査委員会』なる組織に所属していました」
――男の名は、『カール・デー
「なんだね?その愛好会みたいな委員会は?」
「帝国に数ある『貴族の箔付け』のための委員会…、以前はそう思われていたのですが」
「違ったのだね?」
「はい、委員会のメンバーがほとんどそのまま、現在の帝国海軍首脳部となっていることからして、軍事的な目的を秘匿するための呼称であったかと…」
「なるほど…。具体的に何をしていたのかは分からんのかね?」
「申し訳ありません、その委員会のメンバー全員、書類上では当時予備役に編入されていました。このため、我が情報部の調査対象から外れていました」
「なぜ、外したのだね?」
「閣下。戦時はともかく、平時の我々は日々予算繰りに四苦八苦する『外務省外局』なのです。『存在しない筈の部署』に予算を付けてくれる慈愛に溢れた聖女など、財務省には存在しないのでしょう」
「財務官僚諸君への道徳教育が急務だな。それで?」
「彼らは開戦とほぼ同時に
「通商破壊戦の権化という訳か」
「はい、それに関する論考を著した形跡があります」
「由々しき事態だな。『護衛総隊』の件、本格的に検討するべきやもしれん」
「海軍のお偉方が揃って渋っているという、あれですか?」
「必要が命じるのだ。いざとなれば、どこぞの皇帝に倣って人事を刷新するまでのこと」
「それはそれは…、夜道に気を付けねばなりませんな」
「全くだ。君、腕利きのボディーガードに心当たりはないかね?」
ニヤリと笑ったチャーブルは、そしてふと気づく。
「…確か、前任の海軍軍令部長は戦艦部隊出身だったな」
「はい。
「それで今回の交代劇という訳か、帝国め、よほど通商破壊戦に味を占めたと見える」
…まぁ、無理もあるまいが。
口には出さず、チャーブルは思いを巡らせる。
戦前…、否、建軍以来、常に帝国海軍は連合王国海軍に対して劣勢であった。
大陸国家と海洋国家という両国の性質もあり、数百年に渡って養われてきた『ロイヤル・ネイビー』の栄光を奪うことなど、後発海軍である帝国海軍には逆立ちしても不可能。
『ならば、正面戦闘などしなければ宜しい』
開戦直後、かの少女が海軍軍令部で発したとされる*1言葉であり、なるほど道理であった。当時は反論もあったようだが、開戦以来の通商破壊戦の戦果、そして今回の人事で帝国海軍の主戦術は通商破壊に定まったといえるだろう。
「厄介なことではある。しかし――」
チャーブルは頷く。
「潜水艦だけでは制海権は維持できん。我が国本土への直接攻撃も、だ」
「仰るとおりかと」
情報部門の長、ハーバーグラム少将は断言する。
「以上のことから、意志はともかく、現実問題として帝国には西部で大規模な軍事行動を行う能力はないものと判断いたします」
「実に分かりやすい報告だった。詳しいレポートの方もあとでじっくり読ませてもらうとしよう」
「光栄です」
「手間を取らせたね、下がってよし」
「ハッ、失礼いたします」
◇――◇――◇
ハーバーグラムを乗せた車が離れていくのを見下ろしながら、ウィストン・チャーブルはふぅ、と溜息を零した。
「…とうとう、この日が来てしまったか」
遥か東の彼方、帝都ベルンにあろう旧友に思いを馳せながら、宰相は葉巻を燻らせる。
「しかし国家が、必要が命じるのだ。恨んでくれるなよ」
◇――◇――◇
19世紀以降、連合王国の外交方針、安全保障政策はそれまでの教訓から3つの柱に集約された。
一つは『海路の支配』。
海洋国家たる連合王国にとって、本国と植民地を結ぶ「海の道」の防衛は最重要課題と言ってよい。なにしろ、特に重要なアレクを経由して最重要植民地インデに至る海路のことを『エンパイア・ルート』と呼ぶくらいなのだから。
このためにロイヤル・ネイビーは存在するといって過言ではない。
――そして、帝国海軍は通商破壊によってこれを破壊する能力がある事を示しており、断固撃滅されねばならない。
二つ目は『戦略地域の安全確保』。
これはさらに細分化すると『海上交通の要衝確保』と『連合王国本土の安全保障上重要な地点の確保』からなる。
前者は、要するに「チョークポイント」。
例えば
後者は、もっとも分かりやすいエリアで言えば『旧ベネルク
同様に海峡南側で接するフランソワでの動乱にしばしば介入したことからもお分かりのとおり、連合王国の歴代政権はこの地域の中立化、もっといえば影響下に置くことに苦心してきた。
例えば400年も昔のことではあるが、この地域が当時絶頂期を迎えていたイスパニア王国から独立した際、当時の連合王国は真っ先に支持を表明し、大々的な支援を行った。
その後、この地域の南半分が宗教的事情から分離することになったときも、それら「南部十字教各州」がフランソワ王国に取り込まれることの無いよう、あの手この手を駆使した歴史がある。
…と言うよりも、連合王国ご自慢の多重舌外交、遠交近攻しかり離間策しかり、その手管はこの地域に纏わるあれやこれやで培われたと見ることも出来る。
――しかし、気付けばそこは帝国領。帝国の軍事力の源泉たる『低地工業地帯』であることから言っても、傍観できる状況ではない。
そして最後にして至上命題たるは、『対アルビオン同盟の阻止』。
もしくは「欧州に覇権国家の誕生を許さない」と言い換えることも出来よう。
要するに「連合王国 対 欧州本土」という構図になることだけは、何をしてでも回避せねばならぬ、と。
歴史上、連合王国は多くの逆境に晒されてきた。
その中でも、特に「新大陸独立戦争」と「ボナパルト戦役」は連合王国の心胆を寒からしめ、苦境に陥らせた。
そこからが導き出された経験知こそ――
「いかに栄光のアルビオン連合王国と言えど、欧州の複数の国に連携して対抗されてはいかにも分が悪い」
「もしくは単独で我が国を脅かすような大国が欧州に現れることは何としても防がなければならない」
なるほど『大国』『覇権国家』と言うだけならば、新大陸を統べる合州国やユーラシア大陸の半分近い領域を占めるルーシー連邦も該当する。
だが、それらはいずれも「欧州」ではない。
合州国との間には広大な大西洋がある。
加えて連合王国が誇るロイヤル・ネイビーがある以上、合州国は連合王国本土を脅かす存在ではない。
だが、欧州本土とアルビオンとの間にあるのは狭い狭いドードーバード海峡のみ。
その気になれば泳いで渡れるこの海峡は、遮断線としてはあまりにも心もとない。だからこそ、対岸に覇権国家が成立した場合、または合同して連合王国を打倒せんとする輩が発生したとき、連合王国はこれが海を渡る前に、断固として撃滅する必要がある。
連邦についても同様である。
彼らとアルビオンの間にあるものこそが「欧州」なのだ。
すなわち、連合王国にとって「欧州」というのは、ほどほどにばらけている状態こそが望ましい。
だからこそ、彼らは二枚舌だの腹黒だのと言われようが欧州本土の政情に介入し、天秤を右に左に「調整」してきたのだ。全ては連合王国の安寧のために。
――そして、まさにこの点において、帝国は一線を越えた。
確かに表面上、帝国は目下侵攻中の連邦西部を除けば、併合したのはダキアのみ。
あるいは古今東西の歴史に通じ、何よりチャーブルとも親交があるツェツィーリエが協商連合、共和国を併合せずにとどめたのは『それ』を知っているからだろう。
「だが、甘い」
確かに領土という側面で見れば、帝国は欧州を統べる大国とはなっていない。
――しかし、である。
協商連合は今や農業生産力と一部武器の製造、鉱物資源の産出において帝国に組み込まれ、共和国は共和国で、――これは連合王国の失策にして、チャーブル曰く『今次大戦における最大の痛恨事』だが――『メルセルケビーク』の一件で完全に帝国寄り。
つまり。
「十二分にやらかしてくれたのだよ、君たちは」
なればこそ、帝国は徹底的に叩き潰されねばならない。
それこそ資本主義の敵たる『連邦』、かつての植民地にして今や世界最大の債権国家『合州国』の力を借りてでも。
なにせ帝国は、帝国と言う
連合王国と連邦、しかもそれらを援助する合州国の物量を相手にして、である。
『覇権国家ならずとも、帝国は一国で十分すぎるほどに脅威』
それが交戦各国の偽らざる感想だろう。
そしてそのような「怪物」がいるというだけで、各国首脳は安眠など不可能。
――ゆえに、いっそ帝国には滅んでもらったほうがよい。
しかし、チャーブルは同時にこうも思うのだ。
「この時期に帝国の皇帝とは…、敵ながら同情せざるを得んな」
なるほど、帝国は強大だ。
しかし如何に強大な巨人とて、事実上、一国で世界を敵に回して勝ち続けられるだろうか?
答えは否である。
「遠からず、帝国は息切れをするだろう」
なにしろ、合州国の参戦は既定事項。
後は何を大義名分にするかが問題なのであって、それ以外の調整、準備は整っているといって過言ではない。
「そして帝国が足掻けば足掻くほど、我々にとっては『大義名分』となる」
――連合王国本土への『無辜の市民の殺戮を狙った』爆撃。
――非武装の商船への『冷酷非道にして、無慈悲極まりない』魚雷攻撃。
――連邦に対する『武力での侵攻』。
実態はどうであろうが、少なくとも『連合国』ではそのように認識される。
「ちょうどいい塩梅に、帝国大使館がやらかしてくれたことだしな」
合州国参戦を見越し、対応計画策定を命じるのは結構なことだが…問題はその中身。良くも悪くも「勝利」という処方箋に、帝国人は職種を問わず親しみすぎた。
つまるところ、大使館に対して発せられたるは『破壊工作』やら『外交工作』、万一の『書類焼却手順』等々。
言い逃れ出来ない文言は、まずもって度し難い。
少なくとも、報告に目を通したチャーブルが思わずほくそ笑む程度には。
「事もあろうに、大使館を陰謀の拠点に使えと本国から明言だと?露骨すぎるとは思わなかったのかね」
それをなんと
あまりに酷い内容に、チャーブルは思わずハーバーグラムに問うたほどである。『囮の可能性は?』と。
対する情報部長の答えは単純明快。
『連中、既に小道具を購入しておりますが』
『参考までに、それをどうやって知り得たのか聞いても?』
『ええ、ここだけの話、連中の在外大使館は我々と友人が共同経営している会社のお得意様でして。日用品をお安く提供し、差額は機密情報でお支払いいただいております。まさにお互いにとって利益のある関係と言えましょう』
『…実に結構な利害関係だな、それは。全く同情するよ』
ダミー会社での徹底包囲。
帝国大使館の日用品、その他諸々の物資を納入するは連合王国情報部。ジョンブル感覚で言えば「当たり前」に過ぎないそれも、帝国の大使館員にとっては少々難解だったらしい。
「命令されたから、工作道具を即座に購入とは。すぐに取り消し命令が出たらしいが、一度口に出した言葉は取り消せんよ」
ついでにキャンセルもお断りだ。
取り消した人物に心当たりのある宰相は、しかし同時にこうも思うのだ。
――生まれる場所と時代を間違えたな、と。
「悪いが、君も知ってのとおり、戦争の本質は『人の嫌がることを進んで行う』に尽きる」
なればこそ、ウィストン・チャーブルに容赦の二文字はない。
「恨みたければ恨め。政治も戦争も『結果』が求められるのだ」
全ては連合王国のため、必要が命じるままに。
――もっとも、『人の嫌がることを進んで行う』ことに関して、チャーブルはかの少女を少々甘く見ていたのだが。
「閣下、一大事です!!」
統一歴1927年12月31日 グリノッジ標準時午後8時ちょうど。
連合王国公刊戦史は、『それ』の時刻をそのように記録している。
やぁ、12月補正が諸々の事情で流産になって、珍しく定時上がりが出来ているナレーさんだよ。
その代わり、今年度は時間外勤務手当が足りるかどうか、ちょっぴり不安だよ。
なぁに、問題は無いさ。
足りるように時間外勤務時間を調整してくれるからね!ハッハッハッ!!
…はぁ