忘れる
統一歴1928年初頭作成、連合王国対外情報部資料より。
――酷い言われようだ。陛下の『アレ』は生来のモノであって、むしろその手のことに関しては小官が弟子だったというのに
ハンス・フォン・ゼートゥーア退役元帥、戦後のとある懇親会にて。
「騙される方が悪い」と、あの方は仰った
とある苦労人の回顧録より
◇――◇――◇
統一歴1927年12月31日
午後8時 アルビオン本島東岸
その日、真っ先に「異変」に気が付いたのは、アルビオン本島東岸、マルゲイトゥにある防空監視所であったという。
…いや、厳密にいうとその表現は正しくない。
なんとなれば、彼らは防空指揮本部からの「連絡」で警戒態勢に入ったのであり、その本部もまた「レーダーサイトからの報告」で動いたのだから。
であるにもかかわらず、連合王国公刊戦史に彼らが「第一発見者」と記されたのは何故か?
その原因は、連絡を受け取ったときの防空班長の反応に現れている。
「…またか」
彼は呆れた表情を隠そうともせず、続けてこうもぼやく。
「これで4回目だぞ?」
そう、凡そ一週間前から、連合王国のレーダーは三度にわたり警報を発していたのだ。
『帝国軍機多数、ロンディニウム方面に侵入しつつあり』と。
最初は、約一週間前の12月24日、午後7時。
「レーダーに感!」
「方位1-5-1、グリッドE-5にアンノウン多数出現!」
「防空司令部に報告!レーダーから目を離すな!!」
「「了解!!」」
時節から言って、その正体は明々白々だと思われた。
「アンノウンを帝国軍機と断定!」
「スクランブル急げ!!」
「反応、更に増加しつつあり!!」
「Fu●king S●it!! 情報部め、帝国軍機は来ないんじゃなかったのか!」
「そんなこと言っている場合か!」
「各哨戒所に通達、対空警戒を厳となせ!!」
「各高射砲群、射撃用意!」
「針路上の都市に防空警報を発令!」
「戦闘機隊、発進を開始せり!」
「時間がないぞ、敵を叩き落せ!!」
――そして、そのすべてが空振りに終わった。
こと戦争と恋愛において手を抜かぬ連合王国人が、なにゆえそのような失態を犯したのか?
…いや、失態とまでは言えないだろう。なんとなれば、その理由は――
「どうせまたアルミ箔だろ?」
『チャフ』
後年、そう呼称されることとなる、最もシンプルで、かつ確実なレーダー妨害方法*1。
そもそもの話、レーダーは「電波を反射する物体全てを捉える」技術である。
そこには闇夜も濃霧も関係なく、こと海戦においては「夜襲」という概念を一変させる大発明だった。
――しかし、それはこうも言い換えることができる。
『電波を反射する物体ならば、すべてキャッチしてしまう』と。
いうまでもなく、この統一歴世界でいち早くレーダー開発に邁進したのは帝国である。
…正確には、西暦世界でも『霧中航行装置』として最初のレーダーを作ったのはドイツ人だったのだが*2。
兎も角、他国よりも早くレーダーというものを開発、量産している帝国軍だからこそ、当然欠点も承知していたし、なにより経験豊富だった。
『連合国艦隊と遭遇したと思って砲撃したら、ただの氷山だった』
そんな報告が遊撃艦隊から上がってきたことも一度や二度ではない。
なにせ、相手は船団護衛に戦艦まで繰り出してくるロイヤルネイビー。
こちらはライプツィヒ級巡洋艦――戦後の区分でいえば「軽巡」――。昼間、晴天下なら魔導士なり水偵を出して確認も出来ようが、夜間や霧の中となると話は違ってくる。
はっきり言って、目視できる距離まで近づいてから対処などと悠長なことを言っている暇はない。
『でかい反応が現れたら、とにかく撃ち込んで逃げる!』
それが、今の遊撃艦隊の常套手段。
ライプツィヒ級の射程と足の速さ*3ならば、擾乱射撃からの遁走くらい造作もないことだった。
そんな帝国軍だからこそ、レーダーの性質を逆手に取る方法も、いずれは誰かが閃いたに違いない。
…まぁ、実際にはその前にどこかの誰かさんが囁いてしまったのだが。
『レーダー波を反射する金属片を大量にばら撒くことで、ありもしない「幻影」をスコープに映し出させることが可能だ』
『最も手軽なのはアルミ箔だが、まぁ、そこはいろいろ工夫してくれたまえ』
『重要なのは長さだ。ただ適当に切ってばら撒くよりも、妨害しようとするレーダー波の波長か、その整数倍の長さのモノがより効果的に敵を欺くであろう』
例によって例のごとく放たれたその発言に、なぜそんなことをこの人は知っているのだろうと首を傾げつつも、技術者たちは「それは本当か!?」と勢い込んでくる軍高官らに首肯したのだ、「ええ、全くもってその通りです」と。
◇――◇――◇
対する連合王国とて、「レーダー」を軽視していたわけではない。
むしろ、統一歴1900年に帝国人技術者クリスティアーノ・ホルスマイヤーが発明した「船舶衝突防止装置」の有用性にいち早く気づき、帝国が妨害してくる前にその使用権を獲得し、実験を開始している。
これは船乗りの国たる連合王国にとっても、北大西洋の濃霧が厄介なシロモノだったからであり、特に1902年に北大西洋で起こった有名な『タイタニア号沈没事件』以降、民間企業でもこの装置の導入を検討したところがあったという。
――しかして、連合王国におけるレーダー開発は帝国のそれに比べて牛歩の如き歩みだった。
なんとなれば、ホルスマイヤーが作り、そして
当然、その評価は芳しくなく、
もし、この状況に変化が訪れる機会があったとするならば、それは統一歴1922年だったろう。
この年の暮れ、準同盟関係にある秋津洲皇国からもたらされた一本の電報に、連合王国情報部は首を傾げることとなる。
「帝国が、秋津洲の教授2名を招聘?」
「それも、わざわざ指名して?」
「よく分からんが、何の分野の教授なのだ?…電気工学?」
「…帝国は何を考えているのだ?」
彼らは一様に疑問符を浮かべつつも、得られた断片的情報を精査する。
…だが、このとき、彼らは発表されたばかりの『奇妙なアンテナ』の情報を見落とすこととなる。
後年、縮めて「八木アンテナ」と呼ばれることとなるそのアンテナを、当時の連合王国が正しく評価できなかったことを責めるのは酷というものだろう。
何しろこのアンテナ、この時点では秋津洲皇国の学会誌に
「…帝国のやることはよく分からん」
戦時でもない当時の情報部が、そのような結論を記したファイルをキャビネットにしまい込むのはむしろ当然の帰結だった。
――数年後、帝国が進めている『レーダー』開発に関する断片的情報を手にしたとき、彼らはこの時の判断を大いに悔やむこととなる。
…いや、実態は連合王国が思っている以上に深刻だった。
なにしろ帝国は
「しかし、それも今日までだ」
そう宣ったのは、統一歴1927年初頭のポータル空軍元帥である。
帝国に水をあけられながらも地道に続けてきた研究が実を結び、更に合州国との共同開発によって性能、質、何より量産態勢が整えられたからこその発言であった。
「これなら、帝国相手にも互角に戦える」
そう信じ、胸を張る彼らだがしかし――
『知っているかい。道具は使いようなんだよ』
◇――◇――◇
そして、統一歴1927年12月24日の夜。
帝国空軍の高々度仕様司令部偵察機は連合王国本土上空で「ソレ」を散布。
当初、予期せぬ帝国空軍爆撃機出現の報に色めき立った連合王国空軍だったが、それは一時間後には困惑に取って代わられる。
「帝国軍機を確認できず?」
「代わりに大量の金属片が漂っている?」
これが連合王国と、『チャフ』の最初の出会いであった。
一応、彼らも理論レベル、実験室レベルではその方法を確認しており、徐々に損害が増えつつある帝国本土空襲作戦に投入すべく、準備を進めてはいたのだ。
否、進めていたからこそ、即座にその正体と目的を看破できたのだ。
『欺瞞工作である』と。
そして同種の行動が26日、28日にも実施されるに至って、連合王国上層部はこう考えるようになる。
『帝国は、西部戦線ではビラとアルミ箔しかばら撒く余裕がないのだ』と。
この当時、連合王国対外情報部は帝国の暗号をほぼ完全に解読していた。
それらの所謂「シギント」で得られた情報『マジック』、「ヒューミント」で得られた『ウルトラ』は、帝国の内情を丸裸にしつつあったといって過言ではない。
当然、帝国空軍が西方地域には防空部隊と高射砲のほかは、片手に数える程度の偵察部隊しか配備していないことも掴んでおり、今回の『襲撃』はそれを裏付けるものと考えたのだ。
「爆撃機が東部にしかないという情報は本当らしいな」
「うむ、あの高々度偵察機は厄介だが、逆を言えばそれだけだ」
「高々度用エンジンを、爆撃機の数だけ製造できない状態なのでは」
「あり得るな。その手のエンジンは手間がかかる」
「何より帝国にそれだけの余力が残っているのか?」
「半ば世界を相手に戦い続けているのだ、余裕はあるまい」
「であるとすれば、少数の偵察機につけるのが精一杯と見るべきだろう」
「確かに。そう考えれば件の偵察機の異常な高度もまだ理解できる」
「三万フィートだったか、厄介だな」
そして戦争と謀略慣れしている連合王国人は、――そう、慣れているからこそ、気付いてしまうのだ。
「…だが、不味いことがあるぞ」
「何か問題が?」
「ああ。先日技術者に聞いたのだが、あれほどの『欺瞞体』となると、こちらのレーダー波の波長が割り出されている可能性が高いそうだ」
「なんと!」
「私も知らなかったのだが、適当に切っただけのアルミ箔ならあれほど攪乱されることはないらしい」
「待て!そうすると先日発令された防空警報は…」
愕然となる空軍関係者たち。
それはそうだろう、何故ならそれは――
「連中にとって『答え合わせ』になっている可能性が高い」
「それは…!」
「不味いな」
「ああ、すこぶる不味い。このままいけば、いずれ我々はレーダーを信じることが出来なくなる」
「…対処法は?」
「単純な話だ、異なる波長のレーダー波を使えばよい」
「そう簡単にできるものなのか?」
「幸いなことに、目下新型を試作中だ。来年の夏には大量配備も叶うだろう」
「では、それの製造配備を急がせる必要があるな」
「同感だ、ポータル元帥に直談判するとしよう」
「ハリス卿が文句を言いそうだが…」
「仕方あるまい。予算は有限だからな」
「やれやれ、戦闘機隊と爆撃隊、そして防空部門での取り合いか」
そうして迎えた、統一歴1927年の大晦日。
この日の午後7時、連合王国のレーダー網はまたしても『敵機』を感知。
然るに、第一発見者たるレーダー手の反応は以下のとおり。
「…またか」
なにせ、4回目である。
「次は本当の攻撃かもしれない」と意識していたところで、既にそれが何度も繰り返されているとなると、どうしても彼らの間には慣れが生じてしまう。
それは
――正常性バイアス、と。
繰り返しになるが、それはむしろ人間としては当然の心理である。
毎回警報に驚き、慌てふためいていては精神的負担が大きすぎる。だからこそ、人類は「異常事態」にあっても平常心を保とうと、「自分は大丈夫」という心理的作用を身に着けたのだ。
…問題は、本来まだ知られていない筈のソレを、悪用する人間がいたことにある。
「…航空隊に有線で、無線は使うなよ、有線で警報を発しろ」
「は…、ハッ!」
一瞬、怪訝な表情になりながらも通信室に駆け出す伝令。
このとき、防空司令官は『答え合わせ』を懸念していた。次のレーダーも準備しているとはいえ、現在使用しているものを無力化されることを恐れたその判断は、決して間違いではない。
――ただ、もしこの場にとある少女がいたならば、苦笑したことだろう
連中の悪い癖だ、と。
「彼らは『自分たちが情報を得ている』ことを隠す習性がある。それ自体は結構なことだがね」とも。
「…閣下、既に過去の三回で割れているのでは?」
「逆だよ」
「と、仰いますと」
「『新型レーダーに切り替えた』という情報を流す」
「なるほど」
「無論、上手く行けば御の字と言う程度だが。やらないよりはやった方が良いだろう」
「防空警報はどうします?」
「そうだな…、まず針路を割り出せ。針路上の都市に限って警報を出す」
「承知しました。…ボックス伍長、針路割り出しにかかる時間は?」
「…5分もあれば*4可能です」
「結構、では3分で頼む」
「り、了解」
そしてきっかり3分後、熟練レーダー手は自信たっぷりに断言する。
「やはりアルミ箔です。動きがありません」
「反応が増えているようだが?」
「追加でばら撒いているものと思われます。その証拠に…、ここを。時間と共に
「よし、よく分かった。何か変化があったら報告せよ」
「了解!」
かくして、レーダーサイトは前三回と同様の警報を発し、防空司令部も同様の行動をとった。
即ち、『レーダーに
結果、後年の連合王国公刊戦史において、この後の狂乱は以下のように総括されることとなる。
『レーダーで探知していたのにも関わらず、奇襲を許した』
お久しぶりです。
遅れた事情は、活動報告にて