三月は意外と行事が多い。
まずはひな祭りから始まり学生たちには卒業式に卒業旅行。新社会人となれば新居の下見に引越しなどやることは山積みだろう。
しかし。
一部の男たちにのみ許されたイベントが存在する。
それが、ホワイトデーである。
というわけで。
「「助けてください」」
『え、何が!?』
すっかり土下座が板についてきた織斑一夏とその隣で一緒に土下座る五反田弾の姿が。相手はデウス(犬)である。
何故こんなことに? それは前回のバレンタインが原因である。
まずは五反田弾くん。
「初めて貰った彼女からのチョコレートが高級すぎて何を返せばいいのかわかりません!!!!!」
『……あー』
彼は彼女である布仏虚からの『初めての彼氏チョコに頑張っちゃった♥』チョコ(材料費:税込価格三万円)のお返しに悩んでいた。
織斑一夏はというと。
「貰ったチョコが多すぎて返しきれません!!」
「死ねよ!」
『落ち着け』
織斑一夏はIS学園の生徒の七割と、中学時代の同級生(実家に突撃組)からのチョコレートが合わせて数百個になったためお返しを用意するのが困難になっていた。
それにデウスは。
『知らんがな』
見捨てることとした。
「「お願げぇです! そこをなんとか!!」」
『必死すぎて引くわー』
踵を返し、立ち去ろうとする二足歩行する黒い柴犬の尻尾を掴む一夏たち。それを心底嫌そうに見るデウスだった。
さて、何故にこの二人がここまで必死かというと、それはホワイトデーが原因なのだが………お返しの基準が恐ろしいのだ。
ホワイトデー。それは女子から好意を持った男性にチョコレートを贈るという女の子のイベント二対をなす男性からのお返しのイベント。
チョコを貰った者のみに与えられるその参加資格はある者には血涙を。ある者には優越感を与える。
しかし、しかしだ。
忘れてはならないことがある。今の時代は女尊男卑の時代なのである。
男からのお返し。それは昔ならば『三倍返し』という言葉があっただろう。
しかし、今の時代は『五倍返し』なのである!!
「十五万円相当のお返しなんて無理っす!!」
「貰ったチョコの総額だけで五十万円超えてるんですが!!」
『働け!』
その一言でバッサリと切り捨てるデウス。『金がなければ働いて稼げ』という生粋のアルバイターであるデウスの座右の銘である。
「いや待って! 金の問題は別にいいんっす!」
「欲しいのは労働力です!!」
『何ぃ?』
………男達によるクッキー作りが始まる。
「織斑一夏も大変ですねぇ」
「あぁ、うん。お前は知ってて放置してたよな?」
「真季奈マジ外道ちょー恐い」
そんな男共の様子を笑いながら眺める女子の姿があった。志波真季奈である。
場所は一年生寮の宿直室。織斑千冬と真季奈の私室である。その部屋で、パソコンの画面に映った男子の慌てる姿を肴にジュースを飲む真季奈は実に楽しそうである。
他にも女子の姿があった。篠ノ之箒と凰鈴音である。
IS学園の専用機持ちの中で、日本育ち故にホワイトデーの内容に詳しい面々である。
「織斑一夏がチョコを貰えば貰うほどそのお返しに苦しむ姿が見られる……なんて素晴らしいイベントなんでしょう! ホワイトデー!」
「流石ぶれないっすね姐さん」
「女の子のドキドキときめきをなんだと思ってるんだ」
チョコを渡した思い日とはお返しをくれるかな? という乙女心? なにそれ美味しいの? を地でいく真季奈に敵はなし。
バレンタインに織斑一夏がチョコを沢山貰っているのを真季奈は知っていた。その度に一喜一憂していたのもだ。それどころか、自分もチョコを渡しもした。
それでも放置していた。
何故か?
「ぷーくすくす! ホワイトデーの当日までのこの喜劇! 楽しもうではありませんか!!」
「普通に楽しめばいいのに……」
「今更言っても遅いわよ……」
頑張れ男の子。
織斑家。
「材料費三万円! これだけあればクッキー四百人分も作れるぜ!!」
「その内三百九十九個はお前のせいだけどな!!」
『うるせぇぞテメェら!! とっとと手を動かせ!!!』
そこは男三人による手作りクッキー製作所と化していた。台所は薄力粉が漂い空気が白く。ボールにはいくつもの生地が絶えずこね続けられている。オーブンは三つ用意され、伸ばした生地から型抜きされたクッキーの元が直ぐ様放り込まれ続けていた。
高額すぎるホワイトデーのお返し費用。それを解決するために高校生二人が出した結論は、安価な材料でクッキーを制作することだった。しかし量が半端なく多いという問題。作るとすれば時間もかかる。しかし食べ物は鮮度の問題もある。制作時間の日程を考えれば早めに作るべきか? いいや、それだとクッキーが湿らないように乾燥剤を用意しなければならない。そんな金は、ない。
だからこその短期決戦。
調理はホワイトデーの二日前。土日の、二日間の休日を利用した突貫工事である。
『オーブンで焼きあがる時間考えたらギリギリ通り越して無理なペースなんだ! 生地を作る時間だけでも無駄にすんじゃねぇよガキ共!!』
「「すいません兄貴!!」」
それに付き合わされたデウスはいい迷惑である。ちなみに、今回彼は青年姿でクッキーを作っております。
何故かというと。
「衛生上、犬の姿はダメでしょ」
「可愛い男の娘の姿でクッキーを作るのは勘弁してください」
とのこと。
なので、むさくるしい男三人による料理教室が開催されていた。
『ちッ、まぁ俺も何人分かに作らなきゃならんから手伝うってやるけどなぁ……』
「あ、やっぱりお前もチョコ貰ってたんかい」
「誰に……あ、やっぱいいですハイ」
誰に貰ったの? と聞くに聞けない。一夏は聞いたら後悔しそうなので言葉を止めたのだが。
『千冬を含めたIS学園の教師全員に、ウォーターワールドのバイト仲間と客。後は商店街の連中にオータムにスコールとマドカだな』
「十分貰ってんじゃなえぇか!!」
「俺よりも貰ってねぇ!? というかマドカからも貰ってたの!? 俺貰ってないぞ!!」
『お前がマドカから貰えるはずがないだろう?』
「ギャン!」
『あと、俺がチョコ貰ってるのは職場の行事みたいなものだから。お返しも職場の男連中で割り勘だし』
学生と社会人で違うところは、チョコの受け渡しが恒例行事となっているところだろうか。なので好きも嫌いも、好意というものも曖昧なのである。
「あれ? じゃぁなんでデウスもクッキー作ってるんだ?」
今しがた、お返しは割り勘で、と言った癖に自分の文のクッキーを焼いているこのロボット男。まさか本命が? と思うがやっぱり怖いのでやっぱり聞かない。
『さて、無駄話はこのくらいにして次の生地を焼くぞ……ん?』
「どうしたデウス?」
『いや……オーブンが動いていない?』
「「えぇ!?」」
焼きあがったクッキーを取り出そうと、オーブンを開けたデウス。しかし、そこにあったのは全く熱せられていない生地があるだけだった。
『俺は確かに設定したし、スタートのボタンも押した……故障か?』
「嘘だろ!?」
「いや待て! 一台壊れたってまだ二台残ってるんだ。落ち着いて焼いていけば問題ないって!」
『残念だが、三台とも壊れているぞ?』
「「そんな馬鹿な!?」」
デウスの言うとおり、三台のオーブンは全て壊れていた。同時に全部のオーブンが壊れた? いいや、そんなことはありえない。
『おかしい、実におかしいな……。お前ら! 材料を調べろ!!』
「? なんで材料を……ん? んんんんッ!?」
「どうした一夏……って、バターがマーガリンになってるんですけどおおおおおおおおおおおおおお!!?」
『こっちは薄力粉が小麦粉に!? なんだこの嫌がらせは!!』
オーブンの故障に始まり、出るわ出るわの大問題。そこでデウスは確信した。
『間違いない! 俺たちは、敵の攻撃を受けている!!』
「「敵!?」」
何を言い出すんだこの男。しかし、デウスが室内を見渡すと。
『熱源反応…ッ! そこか曲者!!』
クッキー生地をかき混ぜるのに使っていたヘラを台所の外、居間へと投擲した。
「痛ッ!」
「なんですと!?」
コツンッ! という軽い音がした方向。そこには何もなかった。なのにデウスが投げたヘラは何もないはずの空間に衝突し、あまつさえ『痛い』と声をあげた。
『その声……束だな!?』
「束さんだって!?」
デウスの言葉に一夏が驚きの声をあげると同時に、今に束の姿が徐々に現れ始めた。光学迷彩、というやつだった。
「うぅ、バレずにいっくんの邪魔ができたらマッキーと家族ご飯してくれるって約束だったのにー」
『真季奈だとっ!? いかん! お前らクッキーを守れ!!』
しかし時すでに遅し。
「守れって……クッキーはどこ行った!?」
「な、無い!? クッキーが無いぞ!?」
なんと、三人が二日かけて作った数百人分のラッピング済みのクッキーが忽然と消えていた。
持ち去られたのだ。
誰に?
決まっている。
「「『真季奈~~~~~~~~ッッ!!』」」
さぁ、泥棒を捕まえよう!
織斑家の周辺住宅の屋根の上では。
「クッキーゲットだぜ!」
真季奈が大量のクッキーが入った袋を肩に担いで逃げていた。
「……にしても」
そう、逃げていた!
「「「そのクッキーをよこせーーーーー!!!!」」」
「なんなんですか一体!?」
近隣に住む、大勢の若者たちに!!
民家の屋根を走って逃げる真季奈。それを追う十代の少年少女たちが町中を駆け巡る。民家の間を走る路地を縫い、時には家の窓から胡椒や塩でできたボールを投げつけられ、または行く手を塞ぐように飛びかかってくる。
「危ないでしょうが! お互いに!!」
「げふっ!」
今も屋根瓦の上で飛びかかってきた男子を蹴り飛ばした。転がって地面に落ちていく姿をハラハラと不安げに見送りながらも、どこか慣れた動きで綺麗に着地するその姿に舌を巻く。
「なんの!」
「シャァオォオオオオオオオオオオオオッッ!!」
「ヒャッハー! そのクッキーは全て俺たちがいただきだー!!!」
次から次へと現れる略奪者達。どいつもこいつもここが二階建て以上の民家の屋根の上だというのにそれを超える位置へと跳躍して現れてくる。
何こいつら?
「狙いは織斑一夏のクッキーなのはわかりますが、何が目的なんですか!?」
自分の行動はひとまず棚に上げ、問いただす。目の前にいるのは同じ年頃の男子たちだが、周りの地面からこちらを見上げて虎視眈々と狙いを定めて胡椒入り玉を投擲しようとしてくる女子たちもまたいる。
彼らは口を揃えてこう言った。
「「「織斑一夏のホワイトデーを台無しにしてやる!!」」」
「「「織斑(くん)の手作りクッキーは私が頂くんだから!!!」」」
「アンタら織斑一夏の同級生ですね!?」
男子はその目から滝のような涙を流しながら。女子は頬をほんのり赤く染めて。
どちらも嫌な意味で、ホワイトデーのお返しをいただこうと躍起になっているようだった。
「やはり今年も現れたか」
「毎年こうだもの。仕方ないわ」
「一夏のクッキーを死守するのが毎年のホワイトデーの行事だしな」
「でもなんでみんな、俺のクッキーなんて欲しがるんだ?」
『お前らマジか? マジでこれ毎年やってるのか? というか一夏は後で説教な?』
そんな真季奈の逃走劇を、織斑家の二階のベランダから眺めているのは一夏、弾、デウスにいつの間にか訪ねてきていた箒と鈴だ。束は一人でせっせっとクッキーを焼いているところである。
さて、この珍妙な捕物劇の真相なのだが。これは織斑一夏の交友関係、つまるところ中学までの友人たちとの騒動である。
中学生時代。クラスで異常なまでに人気者の一夏君。しかしそれは学校の女子からの人気を独占し、男子からは嫉妬の集中砲火を浴びることとなる。
バレンタインで女子からチョコを貰った? ホワイトデーにお返しの手作りクッキー?
面白くない。非常に妬ましい!! それが織斑一夏をよく知る同級生たち、男子達の嘆きと叫びであった。そうしていつから始まったのか、ホワイトデーをぶち壊すために男子たちは一夏のクッキーを叩き割に現れるのだ。
しかしそうなっては困るのは女子たちだ。義理のお返しクッキーかもしれない。しかし! 好きな男の子の手作り! その手でこねた粉!! 食らわずにいらいでか!!!
ならば奪い合うのみ! かかってこいこの野郎ども!!!
「そうしてこの街では毎年、一夏のクッキー争奪戦がホワイトデーに巻き起こるのよ!!!」
『この街の奴ら頭おかしいんじゃねぇの!?』
「今更だろう?」
くわっと目を見開いて鈴が叫ぶ。デウスはそんな阿呆なと驚き、箒が肩をすくめて失笑する。
もうやだこの街の奴ら。
『……ところで、これは何時まで続くんだ?』
必死に街中を逃げ惑う真季奈の姿を見てデウスが呟いた。人数が多いとてそこは性悪真季奈ちゃん。クッキーの詰まった大袋を担いでなお無事に逃走中であった。
「一夏が逃げながらクッキーを女子の家に配り終えるまでが毎年のことだけど……」
「持って逃げてるのが真季奈じゃねぇ……」
『真季奈が手放すわけねぇよなぁ』
つまるところ、ゴールのない追いかけっこである。終わる方法は、どちらかが根負けするまで。
真季奈が捕まるか、逃げ切るかだ。
『よーするに、頑張れよってことだな』
「「「ですねー」」」
「助けてくださいよ!!」
「「「やだよ!!!」」」
真季奈のヘルプが街中に響くが皆は無視する。だって、悪いの君じゃん。
「きぃいいいいいいいいいいいいい!! 一夏君のクッキー!!」
「寄越せお前が持つそれ私喰う」
「砕いてやんよぉぉ? ホワイトデーも、俺のバレンタインの思い出もよぉぉ?」
「この人たち怖すぎるんですけど!?」
とうとう路地の袋小路にまで追い込まれた真季奈に迫る嫉妬の亡者共。その姿に真季奈は恐怖した。
『いや、それよりも真季奈を追い詰めるってスゲェなアイツら』
「年々動きに磨きがかかってるわね」
デウスと鈴が遠巻きに見てそう呟く。それを冷静に観察している君らも大概だと思うよ?。
「くっ、援軍は期待できませんか……ならば! わたしにも考えがありますよ!!」
「「「ッ!?」」」
真季奈が不敵に笑う。まさか、クッキーを目の前で叩き割るつもりか!? そう息を飲む声が聞こえてきたとき………、
「織斑一夏の今年のホワイトデーは、本命クッキーがあるんですよーーーーーッ!!!」
「「「なんですとぉおおおおおおおおおおおおおおおお!!!??」」」
斜め上のの叫びが飛び出してきた。
「あ、まずい」
「あの人なに言い出すの!?」
『一夏ー? 逃げるか仲裁に行った方がいいぞー?』
それを見て聞いていたデウス達は少し焦る。
が、織斑一夏は少しばかりではなかった。
「俺、ちょっと行ってきます!!!」
それはもう素晴らしいスタートダッシュだったという。
だが遅い。
「織斑一夏はですね! 今年は女だらけのIS学園でチョコを何百個も貰ったんですよ!!」
「「「ギ、ギィイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!!」」」
男子が胸を抑えて呻き出す。
「さらにその中には織斑一夏の本命の女子がいたりしたんですよ!!!」
「「「「いやぁああああああああああああああああああああああああ!!!!」」」
女子が耳をふさいで泣き叫ぶ。
男子も女子も、お構いなしに真季奈の言葉に狂い叫んでいた。
なにこれ酷い。
「更に更にですね! その本命の女の子から貰ったチョコを美味しい美味しいと一心不乱にペロペロしてたんですよ!!」
「「「あぁあああああああああああああああああああああああああああああ!!!! ってペロペロ!?」」」
「そこまでしてくれませんかねぇ!?」
「む、来ましたねこのペロリストが!!!」
「「「織斑一夏(くん)!!!」」」
そんな阿鼻叫喚地獄にノコノコとやって来た渦中のお人。
来なければよかったのに。
「あのね真季奈すわん!? あんまりそういうこと俺の地元で言わないでくれません!?」
「なんですか! 人の足を舐めたりしゃぶったりしながらふやけるまで味わったくせに言い逃れですか! この変態が!!」
「「「!?」」」
「言うなーーー!!! お願い! ホント勘弁してください!!」
「バーカ! バーカ! なんならわたしのチョコまみれの足で顔を踏んづけられて興奮してたことまでバラしてやろうか!?」
「言ってんじゃねぇかぁああああああああああああああああ!!!」
「「「…………………………………………………………」」」
そんな、二人の、会話を聞いていた、面々は。
「……あれ?」
「よし!」
騒ぐ二人とは対照的に、シン、と静まり返った周囲に一夏は不思議に思い、真季奈は不敵に笑う。
「……もう、いいです」
「う、ぅぅ……織斑くんが、変態に……変態にぃ」
「チクショウ、羨ましい、ちくしょうぉぉ」
「織斑ぁぁ……月のない夜にはせいぜい気をつけろやぁぁ?」
織斑一夏を見るかつての同級生達の視線が、いろんな意味で辛かった。
「…………真季奈さぁん、あんた悪魔やぁぁぁ」
「やーい! 織斑一夏がすぐに助けにこないのが悪いんですよーっだ!」
………もう同窓会とかあっても顔出せない!! 織斑一夏は名実ともに、『変態』と知れ渡ることとなった。
後日談で、地元民から変態と指さされて落ち込み、学生寮に引きこもった織斑一夏を大天使マキナエルが優しく慰めるハートフルストーリーを泣く泣くカットしたのはまさに断腸の思いでした(大嘘)
ホワイトデーってなんで男は三倍返しなんでしょうね? まぁ三倍で返したことなんてないですが。
ちなみに、デウスが作っていたのは真季奈に渡す用のクッキーでした。
なにげに久しぶりな男前デウス。男の娘が可愛いエプロン姿でクッキー作ってたら絵面的に不味いので。