恋の訪れは猫とともに   作:プロッター

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Megumi Meets Men

 猫カフェという場所がある。

 そこは読んで字の如く、猫のいるカフェだ。

 昨今、その愛くるしい姿から猫がブームになっていて、猫を飼う人も増えてきているらしい。そのブームが到来して以来、それまでは話題に上がることがそれほどなかった猫カフェも注目を集めてきている。テレビ番組でも紹介されることが度々あった。

 そんな注目されている猫カフェという場所を目指して、メグミは静かな街並みを歩いていた。

 

(ちょっと暑くなってきたわねぇ・・・)

 

 澄み渡った青空を見上げながら、メグミはぼんやりと考える。季節は6月も中盤を過ぎて7月に近づいていて、気温も順調に上がってきていた。

 今日は、戦車道の練習や試合、島田流本家への挨拶、チーム内でのミーティングもない完全なるフリーの日で、メグミにとっては思いっきり体を休めることができる貴重な日だ。

 しかしメグミは、純粋にお茶をすることを目的としたカフェには行ったことはあるが、猫カフェに行ったことは1度もない。

 そのお茶目的のカフェも、同僚に誘われたり、戦車道で疲れた身体を少し休めるぐらいでしかなく、そこを目的地として自分から進んで行くことはなかった。

 もっと言えば、休日にメグミは自分からどこかへ出かけようと思うこともあまりない。先に述べたような誰かに誘われた時だったり、体力づくりのためにトレーニングジムへ行く時だったり、生活に足りないものをちょっと買いに行く時。本当にそれぐらいだ。

 それでは、なぜこの休日にこうして行ったこともない猫カフェに急に行こうと思ったのか。

 その原因は、1週間ほど前のことだ。

 

 

 その日は戦車道の練習試合が行われた日で、メグミは同じチームメイトと共に居酒屋で打ち上げ兼反省会兼お疲れ様会をやっていた。

 そんな中で。

 

『この一杯のために生きてるわ~!』

 

 と、チームメイトがビールを呷って満面の笑みで告げたその言葉に、メグミは同じくビールジョッキを片手にうんうんと頷いた。

 確かにメグミも、戦車道の試合で疲れ切った後で飲む一杯は至高の味だと思う。酒を飲める歳になってから間もなく1年を迎えようとしているが、この五臓六腑に染み渡るかのような味と感覚は、酒の味を知らなければ得られないものだ。

 

『私にはこんな美味しい料理作れないな~』

 

 今度は別のチームメイトが、頼んでいた唐揚げを一つ口に放り込み舌鼓を打って呟く。メグミもまったくだと激しく同意して頷いて、同じくから揚げを一つ食べる。

 メグミは料理を全くと言っていいほどしない。メグミ自身チマチマした作業は好きじゃないし、料理も分量やら何やらが細かくてそれでいて肝心なところは『少々』『適量』『いい感じに焼き目がついたら』と妙に無責任な感じがするのも好きじゃなかった。

 だが、そこでメグミはふと思ったわけだ。

 

 女性としてこれはどうなの?と。

 

 戦車道の疲れを癒すのはお酒、料理はできない、おまけに大した趣味もない。

 それは成人直後の女性として、いや年齢など関係なく女としてダメなんじゃない?メグミはふと、危機感にも似た疑問を抱いたのだ。

 メグミは元々、『自分はちょっとだらしないかなぁ』と思うことはあった。けれどそう思うだけで、今の自分は別に嫌いではなかったし、だからと言って自分が死ぬわけでもなかったので、気が向いたら変えればいいか、ぐらいの認識でしかなかった。

 だがその危機感を覚えたことで、今まで感じなかったはずの『女性として、このままじゃだめだ』と自分を正そうとする気持ちが芽生えた。

 今がその、『気が向いた時』。

 要するに、戦車道を歩み続けたことで錆び付いていた女心が、再燃しだしたのだ。

 

 

 というわけでその日以来、自分を変えられるような何かを探していたわけだ。

 まず手っ取り早く料理かな、と思ったが調理器具の類が自分の家に揃ってなかったので、あえなく断念。またの機会とすることにした。

 他にもショッピングだったり小旅行だったりガーデニングだったりと、色々と『他人に恥ずかしくもない女性的な要素』を色々探していたのだ。

 そんな中でメグミは、テレビで放映されていた猫カフェの特集を目にした。

 その特集を見て、メグミは少し考える。

 メグミにも小動物を可愛らしいと思う感性はもちろんあるし、メグミ自身猫が嫌いというわけでもない。

 流行に乗っかるわけではないが、その猫カフェ特集を見て純粋な興味が湧いて出てきたのだ。

 そしてこの休日に、猫カフェに足を運んでいるわけである。

 目的のお店は、そのテレビの特集で取り上げられていた猫カフェ。元々テレビで特集される前から人気のお店だったらしく、予約を取るのもなかなか難しいと言われていた。しかし今日は、割とすんなり予約を取ることができたので、ラッキーだった。

 猫カフェの中には予約を必要としないお店もあるらしいが、メグミは初めて行くのならちゃんとした店に行きたいと思っていた。事前の予約が必要という点や、テレビの特集で取り上げられたという点に安心感を抱いて、今日行く店を選んだのだ。

 

「どんな感じなのかしら・・・?」

 

 まだ見ぬ猫カフェへの期待を隠せず、つい口からそんな言葉が洩れだす。

 予約をする際にホームページでカフェの様子をちらっと見たのだが、いい感じの雰囲気だということは分かっている。

 ネット上での評価、口コミは見ようとはしなかった。もしも悪い評判なんかを目にしたら、嫌な気持ちを抱えたまま行くことになって純粋に楽しめない。だからメグミは、そういった個人の評価を見たりはしなかった。

 少し歩いて、ついに目的のお店の前に到着した。ここは確かに住宅街のはずなのだが、このお店だけは絵本の世界から飛び出してきたかのようにファンシーなデザインで、周りとは全然雰囲気が違う。

 ブラケットに掛けられた木製の看板に、店の名前が彫られている。それを確認すると、メグミは木製のドアを開き、店の中へと入る。

 ドアを開けた瞬間から猫の鳴き声がひっきりなしに聞こえてくる、ということにはならなかった。

 中の照明は暖色系だが、壁際にぽつぽつと付いている程度で、天窓から取り入れている太陽の光も利用して中を明るくしている。暗くなったり天気が悪い時は、点ける照明の数を増やすのだろう。オルゴール風のBGMがスピーカーから流れ、お店の中をゆったりとした雰囲気で満たしていた。

 レジに店員はおらず、小さなハンドベルが置いてある。『御用の方はベルを鳴らしてください』と傍に注意書きも置いてあったので、メグミはそのベルを『チリチリン』と小さく鳴らす。そのベルの音を聞いて、猫たちがメグミに視線を向けたのだが、メグミはそれには気づいていない。

 

「大変お待たせしましたぁ~」

「すみません。予約をしていた者なんですけど・・・」

 

 1分と経たずに店員と思しき若い女性がやってきて、メグミは店員から予約内容を確認される。そして確認が取れると、改めて店員から利用するにあたっての留意するべきことと注意点を伝えられた。

 時間は2時間。料金は1杯分のドリンク代込み。猫の抱っこはNG、しかし猫の方から近寄ってきた場合には優しく接すること。写真撮影はフラッシュ無し。

 メグミは事前説明を聞き終えると頷いて、代金を払ってドリンクを注文する。そして靴を脱いで下駄箱に仕舞い、手の消毒をする。そしてようやく、猫たちと触れ合えるスペースへと入ることができる。

 

「へぇ~・・・」

 

 そのスペースへと足を踏み入れたメグミは、目の前の光景に思わず声を洩らす。その『へぇ~』は、初めて訪れる場所が『こういう場所なんだ』と理解したからだ。

 中には、多種多様の猫がいた。色はもちろん、模様も、毛並みも、大きささえも違う。そしてその猫たちは、キャットタワーの上で座っていたり床に寝転んだり、思い思いの姿勢で寛いでいる。

 その猫たちは、ここに訪れたことのないメグミに僅かの時間興味を示したようで、じっとメグミのことを見ている。

 そんな猫たちのいるスペースを、メグミはゆっくりと見回しながら歩き進める。すると、割と近い場所にいた猫はたたっと離れて行ってしまった。やはり、警戒されているらしい。人懐っこい子もいるようだが、そんな感じの子は今のところ見る限りはいないようだ。

 スタッフから好きな席に座っていいと言われていたので、メグミは2人掛けのテーブル席、ベンチシート側に座ることにした。そして向かいの椅子にバッグを置く。

 そして席に着くと、また1人入店したようでレジの方から『チリチリン』と小さくベルの音が鳴った。メグミの時と同じように予約情報の確認と事前説明を済ませ、そのお客が猫たちのスペースにやってきた。

 その人は、メグミと同じぐらいの背丈の青年で、すごいオシャレとは言えない程度なカジュアル系の服装だった。こういったお店に男性が1人で来るというのは少々意外だったが、もしかしたら彼も猫好きなのかもしれない。

 この青年もこの店に来るのは初めてなのか、周りの猫たちはメグミの時同様警戒している様子だ。

 青年は、メグミの隣の空いている席に座る。それは意識してそこに座ったわけではなくて、ただ空いている席を見つけたからそこに座った感じだ。

 

(結構いろんな人が来るのね・・・)

 

 メグミはそこで、中を見渡す。ただし見るのは、訪れているお客の方だ。

 休日だからか客入りはそこそこで、その大半は女性客だ。年齢の幅は広くて、中学生ぐらいの子からおばあちゃんまでいる。男性もいるにはいるが、メグミの隣に座る青年以外は女性と一緒、要するにカップルらしい。何だかカップルを見ると妙な劣等感まで抱いてしまうので、そっちの方は見ないでおくことにした。

 すると、メグミの足下に1匹の茶色い縞模様の猫が寄ってきた。抱っこすることは禁止されているので、メグミにはもっと近寄ってくることを願うしかない。

 願いが通じたのか、やがてその猫は十分な距離まで近づいてきて、何か物欲しげな顔でメグミを見上げている。

 

(どうしたものかしら・・・)

 

 メグミは猫と接したことが全くない。実家で猫は飼っていないし、今暮らしているアパートもペット禁止なので飼えないし、そもそも飼おうと思ったこともない。知り合いにも猫を飼っている人はいなかった。

 この猫カフェに来る前に猫との触れ合い方についてネットで多少なりとも調べておけばよかったが、メグミはそう言ったことをいちいち調べるのはあまり好きではない。戦車道では絶対そんなことはないが、メグミは割と行き当たりばったりなところがある。

 なのでとりあえず、その猫に手を伸ばす。そこで猫がびくっと少し怯えるような反応を見せたが、メグミは猫の頭にそっと手を置く。

 その瞬間。

 

(何、この感触・・・・・・)

 

 人の頭を撫でるのとはまた違う、ふわっとした柔らかい感触。奇麗な毛並みと、わずかな猫の体温が手から伝わってきて、心地よさがメグミの身体を貫く。これほどまでに触るだけで気持ちの良いものが存在するとは。

 だが、猫の方はメグミがただ頭に手を載せているだけなのが嫌だったのか、プイっと頭を振ってそのまま去ってしまった。

 

「あら、残念・・・」

 

 口ではそう言うが、メグミはそこまで落ち込んではいない。猫と接することは初めてだし、その知識もほとんど無いのだから、そんな自分の接し方が猫に受け入れられないのも仕方がない。

 すると今度は、メグミの座るベンチシートにぴょんと猫が飛び上がってきた。色は茶色と黒の縞模様で、横にごろんと寝転がる。

 その猫はメグミに後ろ脚を向けているので、顔は見えない。だが、メグミは先ほど猫を撫でた時の感触が忘れられなくて、ついその寝転がっている猫のお腹に手を伸ばす。

 そして、お腹に手が触れた瞬間、その猫の顔に誰かの人差し指が向けられた。

 メグミは、その人差し指を向けた人の顔を見る。

 

「?」

 

 その人は、メグミと同じぐらいの背丈の隣に座っていた青年だ。

 

 

 その猫の顔に向けて人差し指を向けたところで、青年―――桜雲周作(さくもしゅうさく)は猫のお腹に誰かの手が置かれたのに気づく。

 桜雲は、そのお腹に手を置いた人の顔を見た。

 

「?」

 

 その人は、桜雲と同じぐらいの背丈の隣に座っていた女性だ。

 女性も偶然桜雲と視線がぶつかってしまうが、桜雲はにこっと愛想笑いを浮かべて指を猫から離した。茶色と黒の猫―――キジトラが少しだけ桜雲の方に反応を示したが、気まずかったので仕方がない。

 一方で女性は、猫のお腹の感触が気に入ったのか、ぶにぶにと揉んでいる。

 

(・・・・・・)

 

 桜雲は、実に嬉しそうに、楽しそうに猫のお腹を揉んでいる女性を見て、妙に温かい気持ちになった。

 その猫のお腹を揉む手つきは不慣れな感じがして、さらに一か所を集中するように揉んでいることから、恐らくこの女性は猫と触れ合うことにそこまで慣れていないのだろう。

 そんな女性が不慣れなりにも猫と触れ合っているのを見て、桜雲は微笑ましく思う。

 猫好きの桜雲は、こうして誰かが猫の魅力に気づいてくれるのを見ると、いつも嬉しくなる。それは自分の友人知人だったり、テレビの向こう側の芸能人だったりでも同じだ。

 だが今、桜雲はその嬉しさとは別に、心が温まるのを感じた。

 その女性が猫と触れ合っているのを見るだけで、どうしてだか、温かい気持ちになれたのだ。

 

「に゛ゃっ」

 

 すると、お腹を揉まれていたキジトラはそんな若干不機嫌そうな鳴き声と共に起き上がり、シートから下りてすたすたと去って行ってしまった。去り際に、尻尾が左右に揺れて『バイバイ』と言っているようにも見える。

 猫はあんまりお腹揉まれるのも嫌いなんだよねぇ、と桜雲が思っていると、スタッフが受付の時に頼んでいたメロンソーダを持ってきてくれた。桜雲はぺこりとスタッフにお辞儀をする。続いてスタッフは、同じお盆に載せていたアイスコーヒーを、桜雲の隣に座る女性のテーブルに置いた。

 その様子を目で追っていると、グレーの猫―――ロシアンブルーが桜雲の足下に歩み寄ってきた。

 桜雲は、さっき寝転んでいた猫にしたように、人差し指を鼻に近づける。すると、ロシアンブルーはその人差し指に鼻をこすりつけてきた。これで挨拶ができて、信用してくれているということが分かる。

 それが分かると桜雲は、まず最初に顎の下を優しく掻く。するとほどなくしてロシアンブルーの喉がゴロゴロと鳴き始めた。リラックスしている証拠だ。

 

「・・・・・・よーしよし」

 

 桜雲は小さく呟きながら、今度は頭を優しく撫でる。この猫の頭の感触は、他では感じられないような感触だ。毛並みもいいし、はっきり言って癖になる。

 少しの間撫でてやると、ロシアンブルーはぴょんとベンチシートに上がって、桜雲に向けて『にゃー』と鳴いて見せた。どうやら元々、人懐っこい性格だったらしい。

 さらに桜雲は、ロシアンブルーの耳の後ろを掻く。ここも猫にとっては気持ちのいい場所で、ロシアンブルーは気持ちよさそうに目を細めていた。

 そのロシアンブルーの―――猫の気持ちよさそうな顔を見ると、自然と桜雲の表情もほころぶ。心が癒されるようだ。

 

「・・・・・・随分猫の扱いに慣れてますね」

「えっ・・・!?」

 

 だが、そこで急に声をかけられて桜雲は思わず驚きの声を上げてしまった。ロシアンブルーもちょっと驚いたようだ。

 桜雲に声をかけてきたその人物は、桜雲の隣に座っていた女性―――メグミだ。

 メグミは、先ほどのキジトラが去って以来猫が近寄ってこなくて、手持無沙汰な状態だったのだ。

 それで仕方がなく、先ほどちょっと目が合ってしまっただけの青年の方に猫が歩み寄っていたのでその様子を見ていた。だが、その青年の手つきが慣れているような感じだったので、暇だったのと、その手つきが興味深かったので軽い気持ちで声をかけたのだ。

 一方で桜雲は、まさか自分が声をかけられるとは思ってもいなかったので面食らった。思わず撫でていた猫もびっくりさせてしまう。

 けれど、声をかけられた以上は返事をしなければならないと思ったので、桜雲は先ほど猫に向けていた柔らか笑みではなく、曖昧な笑みを浮かべながら答えた。

 

「ええ、まあ・・・実家で猫を飼っていたもので」

「へぇ~、そうなんですか・・・」

 

 そう話している間でも、桜雲はロシアンブルーの頭を慈しむかのように優しく撫でていて、メグミはその桜雲の手の動きと猫に注目している。よほど猫を手懐ける桜雲の手つきが気になるようだ。

 するとロシアンブルーが、桜雲の脚の上に座る。お腹を下にして、さらに全ての脚を身体の下に折りたたむように座る、『香箱座り』というものだ。桜雲は、このロシアンブルーが十分にリラックスしているんだな、と思いながらその頭を優しく撫でる。

 

「何か、コツとかあるんですか?」

 

 メグミはさらに訊ねる。ロシアンブルーが素人目線で見てもリラックスしきっていると分かり、その桜雲の技術が気になったので、純粋な興味本位で聞いてみた。

 メグミ自身はそこまで自覚がないのだが、割と直情的なところと社交的な面を持ち、初対面の相手であっても臆面もなく話しかけることができる。時と場合にもよるが、今のように何の面識がない相手であっても気になることがあると割と自分から話しかける。それは彼女が卒業した学校の校風も、少なからず影響しているのだが。

 さらにメグミには、『話しかけやすい雰囲気』というものがあり、これは同僚からもよく言われることだ。

 

「えーっと・・・そうですね・・・・・・。この子は結構人懐っこい性格なのもあるんですけど・・・まあ、コツみたいなものは確かにあります」

「へぇ・・・どんな感じなんですか?」

 

 桜雲は突然メグミから話しかけられて、まだ驚きが引いていないが、なぜか不思議と緊張しない。それはメグミがそう言った緊張感を感じさせないような雰囲気だからなのは、桜雲も気付いていた。

 桜雲は、脚の上に座るロシアンブルーを起こさないように注意しながら、メグミの方を向く。

 

「猫を撫でる場所とか、撫で方とかですね・・・基本は」

「え、場所?」

「はい。猫にも撫でられると気持ちよくなる場所があるんです」

 

 桜雲は証明するように、ロシアンブルーの耳の付け根の部分を指で掻く。

 

「こことか、結構好きらしいんです」

「あ、ホントだ。気持ちよさそう・・・」

 

 メグミの言う通り、ロシアンブルーがリラックスした様子で頭を下げる。

 

「あとは、鼻の上部分とかも」

 

 言いながら桜雲が、ロシアンブルーの鼻をカリカリと掻く。またしてもロシアンブルーは、喉をゴロゴロと鳴らす。

 

「すごいですね・・・」

「いやいや、褒められたものじゃないですよ」

 

 桜雲の猫を手懐ける手腕にメグミが舌を巻くが、桜雲は謙遜するように笑って首を横に振る。

 

「ああ、ごめんなさい、名乗りもしないで。私はメグミって言います」

 

 桜雲と打ち解けられたところで、メグミは順序が逆になってしまって恥ずかしいと思いながら自己紹介をした。偶然にも隣同士に座って、メグミから少々馴れ馴れしくも話しかけたのだから、それぐらいの礼儀は尽くすべきだと思ったのだ。

 桜雲も、メグミが名乗った以上は自分も名乗るべきだと思って自己紹介をすることにする。

 

「僕は桜雲周作、大学生です。よろしく、メグミさん」

「あら、あなたも?私も大学生です」

 

 桜雲が大学生と身分を明かすと、メグミの表情が1段階明るくなる。同じ身分の人だと知って、メグミの中に僅かながらにある遠慮や緊張感が和らいだようだ。

 

「私は21なんですけど、あなたは?」

「あ、僕も同じです」

 

 メグミが柔和な笑みを浮かべる。いいことを聞いた、とばかりに。そして、いいアイデアが浮かんだとばかりに。

 

「それじゃ同い年だし、敬語は無しにしましょ?」

「あー・・・・・・うん、分かった」

 

 初対面の人相手でも割と積極的なところがあるメグミに、桜雲はペースを乱されてはいるものの、それでも提案は受け入れた。その桜雲の返事に、メグミは納得したように小さく頷く。

 そこで、メグミの下に1匹の猫―――三毛猫がやってきた。メグミと桜雲は同時にそれに気付き、メグミは先ほど桜雲がやっていたことを試してみようと思って、三毛猫に手を伸ばそうとする。

 

「あ、撫でる前に、人差し指をその子の顔に向けてみて」

「え、こう・・・・・・?」

 

 だが、触れる前に桜雲が1つ指示を出してきた。メグミは言われた通り、右手の人差し指を猫の顔に近づける。すると三毛猫は、その差し出された人差し指の匂いを嗅ぐように鼻を近づける。そしてその顔を、メグミの指に縋るように、気持ちよさそうに顔を擦りつける。

 

「おぉ・・・・・・」

 

 思わず声が洩れ出る。初めて、猫が向こうから反応を示してくれたのだから、嬉しくてしょうがない。

 そして、身体の内から幸福感が、湧き出てくる。嬉しさがこみ上げてくる。

 

「仲間だって猫が認識したんだよ」

「そういえばさっき、あなたもやってたわね・・・」

「うん、あれで少しでも打ち解けやすくするんだ」

 

 メグミは次に、先ほどの桜雲のように、ただ置くだけにしないように頭に手を載せて優しく撫でる。先ほどと同じように心地よい感触がメグミの手のひらから伝わるが、それだけに気を取られないように努めて優しく頭を撫でる。

 三毛猫は気持ちよさそうに目を細め、そこを見計らってメグミは先ほど教わったように耳の付け根の部分をカリカリと掻く。

 すると三毛猫の喉がゴロゴロと鳴る。

 

「リラックスしてるよ、その子」

 

 桜雲の言う通り、そのゴロゴロと喉を鳴らすのが、猫がリラックスしている証拠だ。

 メグミは、こうして自分の手で猫を気持ちよくさせることができた事実に、また少し嬉しくなる。

 やがて三毛猫は、ぴょんとシートに飛び乗って、メグミに寄り添うように香箱座りをする。今も桜雲の脚の上に座っているロシアンブルーと同じ座り方だ。

 

「可愛い・・・」

 

 メグミはその三毛猫の背中を撫でながら、メグミが素直な感想を洩らす。そして背中を撫でながら、桜雲に顔を向けた。

 

「教えてくれてありがとうね」

「いやいや、でもそうやってその子がリラックスできてるのはメグミさんが接したからだし」

 

 照れくさそうに桜雲は笑うが、そこで1つ桜雲は気になった。

 

「メグミさんは、猫と触れ合ったことはないの?」

「そうなのよ。でも今日はお休みだし、この前テレビでやってて気になって」

「あ、たぶんそのテレビ番組僕も観た」

「ホント?」

 

 聞けば、桜雲もこの店に来たのは初めてだと言う。それでもここに来たのは、テレビの特集で取り上げられて気になっていたのだそうだ。

 

「でも、桜雲は結構猫に慣れてるみたいだけど・・・?」

「実家で猫を飼っていてね。それに、猫が好きで猫カフェにはよく行くから」

「へぇ~・・・でも、そんな感じはする」

 

 メグミの桜雲に対する第一印象は、『のんびり屋』だった。先ほどの猫と接するときの仕草が、人間特有の『愛らしい小動物を前に態度が軟化する性質』によるものではなくて、素の性格によるものだと見抜いている。それは直感にも近かった。

 それに、猫に触れる手つきも慣れている感じで、それだけ猫が好きだということだ。

 

「いやぁ、でも男が猫好きってアンバランスな感じがするでしょ?」

「そうは思わないわ。これだけ可愛いと好きになっちゃうのも仕方ないと思うし」

 

 メグミは自分の脇にいる三毛猫に視線を落とす。三毛猫は眠たそうに眼を閉じていて、背中を撫でるメグミの手に身を委ねている。その背中を撫でながら、メグミは桜雲に話しかける。

 

「実家で飼ってる猫って、どんな子?」

「あ、写真あるよ。見る?」

「うん、お願い」

 

 桜雲は、脚の上の猫を起こさないように注意しながら、バッグの中からスマートフォンを取り出して、画面を操作して目当ての写真を表示させるとメグミに見せる。

 

「あら、可愛い」

 

 写っているのはフローリングに寝転がる白黒模様の猫。眠っているのでカメラ目線ではないが、それでも気持ちよさそうな寝顔だ。

 

「この前実家に戻った時の写真なんだけど、結構歳なんだよね。この子」

「そうなんだ?」

「うん。僕が物心ついた幼児園の頃から飼ってるから、今年で17歳」

「それって、人間でどれぐらい・・・?」

「確か・・・・・・80以上だったかな」

「・・・・・・すごい、長生きね・・・」

「そうだね。猫の平均寿命って16ぐらいらしいし、確かに長生きだね」

 

 すると、メグミの脇に座っていた三毛猫が『くぁ』とあくびをして起き上がった。今度は何をご所望かなとメグミは思ったが、どうやら三毛猫はメグミに撫でられて満足したようで、シートから下りてキャットタワーの方へと行ってしまった。

 

「あらら・・・」

「でも、あれだけリラックスして傍にいたんだし、メグミさんの手が気持ちよかったんだと思うよ」

「そうなのかしら・・・」

 

 メグミは首を傾げるが、確かに香箱座りをしている時も喉は鳴っていたので、桜雲の言う通りリラックスしていたのだろう。

 

「でも、猫ってあんなに可愛いものなのね・・・。猫カフェに来たのも、猫に触ったのも初めてだったけど・・・・・・」

 

 そこでメグミは、店の中を見渡す。猫さえいなければ、『ちょっと不思議な雰囲気のカフェ』で通りそうだが、猫がいることで癒しの空間となっている。キャットタワーの上に座る猫や、稲わらを編んで作ったかまくらのような猫の寝床―――ちぐらというらしい―――に寝転ぶ猫、別のお客が持っているおもちゃにじゃれる猫を見ると、心が自然と安らいで癒されるような感覚になる。

 

「・・・・・・うん、可愛い」

「・・・それはよかった」

 

 メグミが納得したようにそう告げると、桜雲も笑って頷く。猫好きの桜雲としては、自分が好きな猫を誰かが新たに好きなってくれるのが嬉しいのだ。

 

「・・・この機会に、もっと猫を好きになってくれると嬉しいな」

 

 桜雲がはははと軽く笑いながら告げるが、メグミはもう猫のことが好きになっていた。

 この猫カフェに足を踏み入れてから1時間弱程度しか経っていないが、すでに猫の愛らしさに打ちのめされてしまっている。

 それに、こうして偶然にも自分の隣に同い年の猫好きな人が座って、その人から猫との触れ合い方を教えてもらうというのは良い偶然だ。

 

「そうね・・・・・・猫、いいかも」

 

 メグミが、床に寝転がる白い猫を見ながら笑って頷く。

 そこで桜雲の下にまた1匹の茶色い猫―――茶トラの猫がやってきて、今度は足に身体を摺り寄せてきた。自分の匂いを付けるこの行為はマーキングというもので、それだけその人に心を許しているということだ。

 

「桜雲は結構、猫に好かれるタイプみたいね」

「そんな自覚はないんだけどね・・・」

 

 そうは言いつつ寄ってきた茶トラの猫の頭を優しく撫でる桜雲。猫に好かれると聞いて、満更でもないのだ。

 すると、メグミの足下にも白い猫がやってきた。そしてメグミを見上げながら『にゃー』と鳴いてくる。その円らな瞳で見上げられ、さらに鳴き声を聞いたことで、メグミの中の母性本能が掻き立てられる。思わず抱きしめたくなる衝動に駆られるが、生憎抱っこはNGだ。仕方ないので先ほどと同じように人差し指を向けると、先ほどの三毛猫と同じように鼻で匂いをかぎ、そして安心すると顔を擦りつける。

 

「メグミさんも、猫に好かれやすいのかもね」

「え、そう?」

「だって猫がそうやって自分から近づいてくるんだもの」

「・・・・・・そうなのかしら・・・?」

 

 自分の手に猫をじゃれつかせながら、メグミは桜雲の言葉に耳を傾ける。だが、メグミ自身猫に好かれやすい性格なのかと聞かれても分からないので、いまいち実感が湧かない。

 ともあれ、桜雲から手ほどきを受けて猫との触れ合い方も大分掴めてきた。メグミが今度は、桜雲がやっていたように猫の顎の下を撫でると、白猫は本当に気持ちがいいようで目を細める。

 それからメグミと桜雲は、それぞれ自分の近くに寄ってきた猫と戯れる。『可愛いわねぇ』『でしょ?』と時々短い言葉を交わしてはいるも、先ほどのように会話らしい会話はない。だが、猫の可愛らしさの前では話すことさえ二の次になってしまうのは仕方のないことだと、桜雲もメグミも思っていた。

 そして時間が流れ、2人それぞれが事前に予約していた当初の利用時間の2時間に達し、2人は猫カフェを出る。夏が近づいていることで若干陽が伸びてはいるが、少しだけ入店した時と比べると暗くなってきている。

 

「メグミさんが通う大学って、近いの?」

「あー、ちょっと遠いかな・・・・・・」

 

 そこでメグミが、自分の通ってい大学の名前を明かすと、桜雲は『そうなんですか?』と、驚きと、僅かな嬉しさを滲ませる声と表情で告げた。

 

「僕も同じ大学だよ」

「え、ホント?」

「うん。だから、どこかで会ってるかもね」

「あ~、そうかも」

 

 メグミが笑い、桜雲も苦笑する。そしてメグミは帰ろうと歩き出すが、桜雲は反対方向へと歩き出す。

 

「僕はちょっと寄るところがあるから」

「そうなの?わかったわ」

 

 どうやらメグミは、このまま何もなければ途中まで桜雲と一緒に帰るつもりだったらしい。

 そして、メグミは夕方に向けて朱く染まり始める空を見上げながら、『えーっと』と呟いて。

 

「またね」

「・・・うん、それじゃ・・・また」

 

 同じ大学に通っているのだから、もしかしたらまた会う機会があるかもしれない。だから『またね』と言ったのだ。

 その意図は桜雲にも通じたようで、若干の戸惑いを見せつつも手を振って小さく笑い、2人はそれぞれ反対方向に向かって歩き出した。

 メグミは帰り道を歩きながら、先ほどの猫カフェで過ごした時間を思い出す。

 たった2時間ほどしか留まらなかったが、結構楽しかった。戦車道の公式戦の試合時間よりも短かったが、それでも試合よりも濃い時間だったと思う。

 まず、猫が可愛くて仕方がなかった。あの猫を撫でた時の手触りと感触、そして猫の仕草は、触れるだけで、見るだけで心も体も芯から癒されるようだった。自分の中の疲れも跡形もなく吹き飛ぶようだったし、こうなることならもっと早く猫の魅力に気づいていればよかった。

 それに、意外な出会いもあった。偶然にも、本当に偶然にも自分の隣に座った人が同じ大学の人で、その人から猫との触れ合い方についてのレクチャーをしてもらったのは、本当にありがたいことだった。

 何にせよ、今日こうして猫カフェに行けたことはよかったと思う。猫の魅力に気づくことができたし、新しい出会いも訪れた。まさに実りのある休日、万々歳だ。

 今度は別の猫カフェに行ってみようかな、と考えながらメグミは家路を急ぐ。

 

 

 桜雲は、陽が沈む少し前あたりの時間に自分の暮らすアパートの部屋へと戻った。

 

「はぁ・・・・・・」

 

 荷物を片付けて、床に置いていたクッションに座って、息を吐く。

 今日行ったあの猫カフェには初めて行ったのだが、まさか隣に座っていた人から声をかけられるとは思っていなかった。これまで猫カフェに行ったことは何度もあったが、今日のようなことは初めてだ。

 さらにその人が自分と同じ大学に通う人となると、その確率は結構低くなるだろう。そんな低確率に当たったことなど桜雲はないので、妙な嬉しさがある。

 

「・・・・・・綺麗な人だったな・・・」

 

 人を惹きつけるような、安心させるような雰囲気が、あの女性―――メグミにはあった。

 そして自分で言ったように、綺麗な人だった。桜雲が所属するサークルにも同い年もしくは近い年齢の女性はそこそこいるが、それでも桜雲目線であれだけの女性に出会ったのは初めてである。

 

「・・・・・・」

 

 ふと顔に手をやると、自分の顔がにやけているのが分かる。

 気持ち悪いと自覚するが、どうにも今日の出来事は自分の中でも嬉しかったことのようだ。好きな猫と触れ合えたことも、メグミのような女性と出会えたことも、嬉しいことだった。

 その嬉しさから温かい気持ちになるが、あまり1人の女性のことを考えるのも客観的に見れば気持ち悪いと思われるかもしれなかった。

 だから桜雲は、夕飯の準備をしようと思い立ち上がる。

 だが、気が緩んでしまっていたのか、ちょっとこけた。




どうもこんばんは。
初めて読んでくださった方は、初めまして。
続けて読んでくださっている方は、どうもありがとうございます。

1作目のアッサム編から早いもので1年が経ち、ガルパン恋愛シリーズも5作品目となりました。
過去作とは違って1話目から割とがっつりと書きましたが、
メグミの物語の始まりです。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。
最後までお付き合いいただけると幸いですので、
どうぞよろしくお願いいたします。

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