恋の訪れは猫とともに   作:プロッター

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Tell me,Tell you

「正直言って、目に余る試合だったわ」

 

 そう言われると思っていた。千代の言葉に、アズミたちは何も言えない。

 くろがね工業との試合の後、大学選抜チームはそれぞれの住む街へと戻ってきた。それから一夜明けて、バミューダ3姉妹は島田流本家に呼び出され、この書斎兼事務室で千代と向かい合っている。そこには愛里寿もいた。

 そんな中で告げられたのは、申し開きもできない事実だ。

 

「明智の寝返りもそうだけど、序盤の損失のことも言っているのよ?」

 

 序盤の損失とは、最初の東西からの奇襲に失敗して返り討ちに遭ってしまったことだ。相手が一枚上手だったとはいえ、あそこで5輌も失ったのは痛かった。

 

「くろがね工業が強かったというのは確かよ。でも、あれぐらいの攻撃は避けられないとプロの世界では通用しない。そのための練習はしてきたでしょう?」

「・・・はい」

 

 力なく答える愛里寿。普段は気丈な彼女も、厳しい口調で話す母親・家元の前では委縮しているようだ。

 愛里寿にとってはあの損失は想定の範囲内だったが、千代の希望はあの返り討ちを無傷で退けることだった。そこは、愛里寿と千代のチームに求める実力の認識の差だ。

 そして忘れがちだが、愛里寿は大学選抜の隊長に就いてから半年も経っていないので、まだ隊長としては浅い面もある。天才と謳われてはいるが、まだ彼女にも至らない点があるのだ。

 それを補うのが副官である年上のアズミたちバミューダ三姉妹なのだから、今回のことはアズミたちにも問題があると言える。

 

「・・・・・・・・・」

 

 そこでアズミは、ちらっとメグミの様子を窺う。

 家元の前なのできりっとした表情を保っているが、アズミにはわかる。その表情の裏では、心が大きく揺れているのだと。それは決して、千代から責められたからという理由だけではないだろう。

 

「なので・・・」

 

 仕切りなおす千代の言葉に、アズミも意識を千代に戻す。

 

「29日から4日間、北海道の演習場を押さえてあるから、そこで集中練習に入りなさい」

『はい』

 

 今日は23日なのでまだ余裕があるが、随分と急な話だ。

 だがアズミも、昨日の試合は寝返りの件を抜いても思うところがあったので、集中練習は効果的だと思う。それにアズミは、家元の決めたことに逆らえる立場にはない。

 

「戦車を北海道に送る手順や詳細は、また後日連絡するわ」

「分かりました」

 

 愛里寿が答える。

 今日の用件はそれだけだったので、バミューダ三姉妹は部屋を出て、愛里寿も自分の部屋へと戻る。

 誰もいなくなった書斎で、千代は紅茶を一口飲む。

 

「・・・・・・はぁ」

 

 昨日の試合の後、千代は寝返りを謀った明智を呼び出した。

 彼女は全ての事情を話し、そのうえで大学選抜を脱退すると千代に告げ、千代もこれを承認した。元からそのつもりだったかどうかは分からないが、どちらにせよ千代は背信行為を働いた明智を除隊するつもりでいたので、どちらでもいい。

 だが、今回の試合は憂うべきものだと考えている。

 戦車道の世界に私情を挟むことはもちろん言語道断。しかし、大人になったらなったで“様々な事情”が関わってくることもざらにある。今回の試合などまさにそうだろう。

 大学選抜の隊員たちも、いずれは実業団、プロ選手になる。だから今回の試合は、その縮図とでも言うべきものとなってしまった。

 そして、そんな試合は愛里寿にはまだ早すぎた。世間から持て囃されていても、結局のところ彼女はまだ13歳。飛び級できるほどの頭脳を持っていても、社会の複雑さや厳しさを完全に理解できるほど人間ができていない。

 そのような社会の複雑さや厳しさを含んだ試合をいずれは経験するべきと思ってはいたが、図らずも昨日の試合がそうなってしまった。

 いきなりあのような試合を愛里寿にさせてしまったことを、千代は深く悔いていた。

 

「・・・・・・ごめんね、愛里寿」

 

 千代の言葉は、紅茶から立つ湯気に溶けて消えていく。

 

 

 帰りの電車でボックス席に座ったルミたちだが、メグミは窓から景色を見ているだけで何も話さない。その表情は心ここに在らずと言った感じで、意識がどこかへ置いてけぼりになっているようにも見える。

 メグミがそんな状態なので、ルミとアズミも言葉を交わすことができない。

 しかし、ここまでメグミが意気消沈としている理由はもちろん分かっている。それが、自分たちが原因で引き起こされてしまったことも、重々承知している。

 だからルミは、隣に座るアズミと視線を合わせると、頷く。

 そしてお互いに、ポケットからスマートフォンを取り出した。

 

 

 ベッドの上で桜雲は目を覚ました。

 

「・・・・・・もうこんな時間・・・」

 

 起き上がり、時計を見て嘆息する。ベッドの上で丸1日を過ごして時間を無駄にしてしまったと、後悔する。

 昨日、岐阜から電車で自分の家に戻った桜雲は、そのままベッドに倒れこみ眠りに就いた。それから何度も起きて寝てを繰り返し、ものすごい自堕落な1日を過ごしてしまった。

 こんなことは人生でも初めてだったが、仕方ないと自分でも思う。

 

「・・・・・・嫌われちゃったなぁ」

 

 心に深く突き刺さっているのは、メグミの言葉。

その目に焼き付いているのは、メグミの表情。

 

『戦車道のことなんて何も分からないくせに、いい加減なこと言わないでよ・・・・・・・・・』

 

 その時のメグミは、今にも泣きだしそうな顔だった。瞳が揺れていて、目元が赤くなっていて、どう見ても普通の状態じゃなかった。

 それに桜雲は気づかず、普段通り接してしまい、ああして怒らせてしまった。それは桜雲も、ひどく後悔している。

 そして、『戦車道のことなんて何も分からない』という言葉にも、その通りだとしか思えなかった。親族の影響で好きになったとはいえ、桜雲が男で戦車道ができないことに変わりはない。それなのに、多くを知った気になっていた。

 否定できなかったから、あの時は何も言えなかった。

 

「はぁ・・・・・・」

 

 手の中にあるペンダントを見る。メグミとお揃いのこれを着けて、昨日は応援していた。

 なのに、思い出すのは昨日のメグミとのやり取りのことばかり。

 

「・・・・・・きついなぁ・・・」

 

 苦笑する。

 十中八九、メグミには嫌われてしまった。よりにもよって、桜雲が好きになった女性に。

 それはすなわち、失恋と同義。

 初恋がメグミだったから、失恋だって初めてだ。それが悲しいことだろうとは思ったが、実際直面すると悲しいなんてものじゃなかった。

 悲壮感に加えて、心に大きな穴が開いたような虚無感に押し潰されそうになる。

 そう感じるのは、それだけメグミのことが好きだったから。だから、その反動でここまで気持ちが沈んでしまっているのだ。

 しかしながら、今なお桜雲の中にはメグミのことが好きだという気持ちは残っている。逆に嫌いになると言うことにはなっていない。

 それが、未練というものだろう。

 この気持ちが鎮まるまで、いったいどれだけの時間がかかるのだろうか。

 

「はぁ・・・・・・」

 

 ベッドに倒れこむ桜雲。虚無感が大きすぎて、何もやる気が起きない。

 もう眠ってしまおうか。そう思ったところで、枕元のスマートフォンがメールの着信を知らせているのに気づいた。

 誰からだろう、と思って画面を点けると、差出人はルミ。内容は。

 

『明日、よければ大学で会えない?』

 

 そして。

 

『メグミのことで、話がしたいんだけど』

 

 読んで、桜雲は迷う。

 昨日の自分とメグミのやり取りは、恐らくルミも聞いていたはずだ。それで、もしかしたら自分がメグミを怒らせてしまったことを責めるのかもしれない。そう考える時が滅入り、『NO』と返したくなる。

 しかし桜雲は、昨日の試合が普段とは違ったことは想像できる。もしかしたら、あの試合で起きた何かが原因でメグミは不調を来したのかもしれない。

 ルミから話を聞ければ、それに気付かず配慮に欠けていたことをメグミに謝ることができる。失恋していても、謝るべきことには謝りたかった。

 そう思った桜雲は、『OK』のメールを返した。

 

 

 そうして翌日、桜雲は大学へとやってきた。時刻は14時、待ち合わせの場所は校舎内の一角にあるカフェスペース。

 だが、そこにいた人物を見て、桜雲は目を丸くする。

 

「あれ、アズミさん?島田さんも・・・」

 

 私服のルミと共に座っていたアズミが軽く手を振り、愛里寿は小さく頷く。

 呼び出したのがルミで、他に誰かいるとは言っていなかったので少し驚いたが、愛里寿までいるのが意外だ。

 

「大分疲れてるみたいね・・・」

 

 席に着くなりルミに言われて、桜雲は自分の顔を触る。部屋を出る前に鏡を見たはずだが、何かおかしなところがあったのだろうか。

 

「そうね、何かやつれてる感じがする」

「え、そう・・・?」

「自分で気づけないか・・・これは相当だね」

 

 アズミからも心配され、いよいよ桜雲は自分で不安になってくる。

 

「・・・やっぱり、メグミが気になる?」

 

 愛里寿に単刀直入に聞かれて、喉が縮み上がる。

 その通りではあるのだが、なぜこの問題に愛里寿が関わろうとするのだろうか。そして、なぜメグミとのことだと気付いているのか。

 

「実はあの時、隊長もあそこにいたのよ」

「え?」

「うん・・・・・・だから、大体の事は知ってる」

 

 ルミに明かされて、桜雲は軽くショックを受ける。あの時あの場にアズミとルミがいたのは去り際に見えていたが、愛里寿までいたとは。

 

「それで桜雲は・・・どうしてメグミがあんな態度をとったのか、わかる?」

 

 そんな愛里寿の問いは、あの日から今日に至るまでずっと考えてきたことだった。あの時と比べると幾分か冷静になった今では、確実ではなくともその答えが見えた。

 

「・・・試合中に、何かトラブルが起きた、とか」

「おおむね正解」

 

 桜雲の示した答えに、ルミは頷いた。

 

「まあ、トラブルって言うか、アクシデントって言うかなんだけど・・・」

 

 それからアズミとルミ、そして愛里寿があの試合の流れを大まかに伝えた。流れと言っても、ただ観ているだけでは分からなかったことばかりだ。

 序盤の大学選抜の損失とそれによる焦り、くろがね工業からの寝返りが現れたこと、そして大学選抜からも寝返りが現れ、そして愛里寿の演説。

 

「・・・・・・そんなことが・・・」

 

 愛里寿の演説以外は、実際にモニターに映され、そして実況と解説が言っていたので桜雲も知っていた。だが、大学選抜からの寝返りがメグミの中隊から出たのは初耳だし、最初の返り討ちで焦りを覚えていたことも知らなかった。

 

「でも、それはメグミさんがそこまで気に病むことはないんじゃ・・・」

 

 その話を聞いたうえで率直に思う。3人の話を聞いても、桜雲にはメグミに非があるとは思えなかった。

 その言葉には3人とも同意見のようで、神妙な顔で頷く。

 

「・・・私もそう思う」

「同感よ」

 

 愛里寿とアズミが告げる。

 

「でも、メグミがそう感じちゃう別の理由があるってことよ」

 

 ルミが指を宙でくるくると回しながら言う。それもまたアズミと愛里寿は同意見らしく、頷く。

 ルミは、視線を桜雲に移す。

 

「桜雲は知っているかしら?メグミの中隊が強くなってきてるの」

「それは、もちろん。だからT28も配備されたんでしょ?」

「そうして強くなったのは、どうしてだと思う?」

 

 問われるも、桜雲には明確な理由が見つけられず。

 

「努力が実を結んだ・・・とか?」

 

 以前メグミが自分で言っていたことをそのまま答える。

 

「まあ、それもあるでしょうね」

 

 アズミの言い方では、まだ他に要素があるような感じだ。

 桜雲が本格的に考えるが、その様子を見てアズミは『仕方ないか・・・』と小さく笑って息を吐く。未だ桜雲は何が何だか分からないが、アズミはルミと視線を合わせて頷く。

 

「メグミのパーシングが強くなってきたのは、今から大体2か月ぐらい前よ」

「2か月・・・」

「ちょうど、メグミがあなたと知り合った頃かしらね?」

 

 アズミに言われて、瞬きをする桜雲。そこで自分の名前が出てくるのは、どうしてだろうか。

 

「この前居酒屋で、桜雲はメグミのこと、『本当は』どう思っているって言ったっけ?」

 

 今度はルミが問いかける。

 その質問に、愛里寿とアズミが小首を傾げる。愛里寿はその場にいなかったし、アズミも同じ質問をルミがした時は酔いつぶれてしまっていたから。

 しかし、桜雲は素面だったから覚えている。正直答えたくはなかったが、今この場では沈黙も誤魔化しも英断とは言えない。

 

「・・・素敵な人だって、言った」

 

 だから、素直に明かした。

 それを初めて聞いたアズミが、唇を嬉しそうに歪める。まるで、『やっと白状したな』とでも言うかのように。

 愛里寿は、初めて聞いた桜雲の素直な気持ちに息を呑んでいるようだ。恋愛というものがまだよく理解できていないから、それなりに理解しようとしている。

 

「それなら、心置きなく言えるわね」

 

 アズミの言葉に、桜雲は内心で身構える。一体、何を言われると言うのか。

 

「さっき、メグミが強くなってきたのはあなたと知り合った頃から、って言ったじゃない?」

「うん・・・」

「でも、ただあなたと知り合っただけであれだけ強くなれるとは、考えにくいわ」

 

 それはもっともだと桜雲も頷く。人との出会いだけで、やすやすと強くなれるのであれば苦労はしない。

 

「昨日ね、メグミのパーシングのメンバーに訊いたのよ。何か最近変わったことはないかって。主にメグミ周りでね」

「・・・」

「そしたらみんな、口を揃えて言ったのよ。『最近になってメグミが生き生きしてきた』って」

 

 アズミの言葉に、桜雲の目が見開かれる。

 その言葉は、昨日アズミが実際にメグミのパーシングの乗員にメッセージアプリを使って聞いたのだ。すると全員が本当にそう言ったのだ。

 

「それでメグミのパーシングが強くなったのも、中隊の練度が上がったのも、メグミが生き生きとしてきて・・・・・・それに感化されたから、ということかなって思ったの」

「そう・・・・・・」

 

 アズミの言葉に、桜雲は力なく答える。なんとなくだが話が見えてきた。

 

「メグミがあなたと出会ってから、周りが感化されるほど生き生きするなんて・・・」

「それで、メグミがあなたのことを何とも思っていないと思う?」

 

 アズミとルミに問われ、口ごもる。

 流石にそこまで言われては、何もないと思えるはずがない。桜雲の中にも、『まさか』と思う推測が生まれる。

 

「桜雲・・・正直に聞かせて」

 

 そして、沈黙していた愛里寿が問いかけた。

 

「桜雲はメグミのこと・・・・・・どう思っているの?」

 

 先ほどのルミと同じ質問。だが、その根本的な意味は違うだろう。

 アズミを見ると、彼女の瞳は桜雲の表情の変化を見逃すまいと固定されていた。

 ルミを見ると、彼女の目は桜雲のどんな小さな嘘も見抜くとばかりに鋭かった。

 愛里寿を見ると、彼女は訊いた身ではあれど、今から告げられるであろう桜雲の本心に興味を示しているかのようだった。

 桜雲はこれだけの視線に晒されて、観念する。

 

 

「・・・・・・メグミさんのことは、女性として好きだよ」

 

 

 その一言で緊張感が高まるかと思ったが、むしろ空気は緩んだ。

 

「・・・そうかぁ」

「やっぱりね・・・」

 

 ルミが腕を組み、背もたれに身体を預ける。

 アズミが微笑み、頬杖を突く。

 愛里寿は、恐らく初めて恋愛に関する話を間近で聞いたからか少し頬が赤い。

 

「いや、薄々そんな気はしてたよ」

「え?」

「なんか、メグミと話してる時の桜雲って、どうにも普通の友達を相手にしてる感じには見えなかったし」

 

 ルミの指摘に苦笑する。

 恋を自覚してから桜雲は、いつだってメグミと話す時は心のどこかで緊張感と高揚感を抱いていた。好きな人と言葉を交わし、一緒の時間を過ごすことができるのだから嬉しくないはずがない。

 しかしそれが、周りの人が分かるほどのものだったとは。

 

「さて、これで桜雲がメグミのことが好きって判明したわけだけど・・・」

 

 アズミが両手を合わせて柔らかい笑みを浮かべる。

 そして桜雲に向けて。

 

「桜雲は、メグミにああして突っぱねられて何も感じないの?」

「・・・・・・・・・」

「仮にもし、このままあなたたちが別れたとして、それで納得できるの?」

 

 桜雲は目を伏せる。

 今な心の中には、メグミが好きだという気持ちが色褪せずに残っている。この気持ちは恐らく、長い長い年月をかけても消えることがないだろう。

 そんな想いを告げられないまま、メグミともう二度と言葉を交わすことも、姿を見ることもできないなど。

 

「・・・納得できないよ」

 

 頭も、心も、納得できるはずがない。

 

「今日話を聞いて、メグミさんが追い詰められてたことが分かって・・・。それで僕が、無神経なことを言ったって気付けたから・・・・・・」

 

 だからやるべきことは、決まっている。

 

「直接会って、謝りたいよ」

 

 まずはそれが先決だ。告白など二の次でもいい。

 今はメグミに謝りたいと思う気持ちが強かった。

 

「メグミはね・・・あの試合で動揺して、それで桜雲にもひどいことをしたと思って、塞ぎ込んじゃってる・・・」

 

 愛里寿がテーブルの上を見ながら、ぽつぽつと話し出す。

 

「あの時桜雲が行っちゃった後、メグミはすごい後悔してた。何も言ってはくれなかったけど、桜雲にはひどいことをしたんだって分かってると思う」

 

 愛里寿はあの時、アズミとルミの後ろでメグミたちのやり取りを聞いていた。そして桜雲が去った後にメグミに近づいたが、その時のメグミは、壁に向かってしゃがみ込んで額を擦り付けて、声を押し殺し、涙を流していた。

 そして、昨日の千代との話し合いでも、メグミは少し暗かった。それだけあの時のことを引きずっているのだ。

 それが後悔でなければ、何なのか。

 

「メグミも多分、桜雲に謝りたいんだと思う。謝りたくて、仕方ないのかもしれない」

「それに、メグミはまだ桜雲に思うところがあるみたいだし」

 

 付け加えられたアズミの言葉。それこそが、『生き生きとしてきた理由』だろう。

 それが桜雲の予想と同じであるのなら、その言葉は直接メグミの口から聞きたい。

 

「・・・1つ訊いてもいい?」

 

 その前に、桜雲からも3人に訊ねる。

 

「なんで・・・僕に話してくれたの?」

 

 言うなれば、これは桜雲とメグミの間にある個人的な話であり、ルミとアズミ、愛里寿は直接関係していない。そう桜雲は思っている。

 しかしながら、彼女たちは何故それだけ教えてくれたのだろう。

 

「あの時は・・・メグミに桜雲をけしかけた私たちも悪いと思ったの」

「メグミが落ち込んでいるのも、その理由も分かっていたけど・・・。それをどうにかできるのは仲が良い桜雲だけ、って思い込んでたから」

 

 落ち込んでしまっているメグミを励ますには、彼女が好きな桜雲が適任だと思い、そうした。

 だが、その結果は最悪のものとなってしまった。

 

「こうして事が拗れちゃったのは私たちにも原因があると思ったから・・・。その罪滅ぼし、って感じね・・・」

「だから、桜雲・・・・・・ごめんなさい」

 

 ルミとアズミが、頭を下げる。桜雲は『2人が気に病むことはないよ』と宥めるが、2人は相当気にしているらしい。

 

「私も、試合中に追い詰めるようなことを言ったから・・・」

「いえいえ、隊長は何も悪くないです」

「ええ。あの時は、ああするしかほかに道はなかったと思います」

 

 愛里寿がここにいるのは、メグミと桜雲が喧嘩をした場所にいたのもあるし、自分がメグミを間接的に追い詰めてしまったと思ったからだ。

 天才少女と言っても、愛里寿はまだ幼い。大学に飛び級できるほどの頭脳を持っているとはいえ、戦車道と学問のこと以外に関してはまだ純粋な面が残っている。こうした思い込みがあるのが、愛里寿の数少ない欠点とも言える。

 

「・・・さて、桜雲」

 

 改めてルミが話しかける。

 

「あんたはこれから、どうする?」

 

 答えなど分かり切っているのであろう、試すように笑うルミ。

 そんな彼女に対して、桜雲も小さく笑って返す。

 

「・・・・・・行ってくるよ」

「・・・場所は覚えてる?」

「うん」

 

 もう行くことはないと思っていたが、その場所は誠に残念ながら覚えていた。それも今は幸いと言うべきだが。

 

「頑張りなさい、桜雲」

「・・・頑張って」

「うん、ありがとう」

 

 アズミと愛里寿からも背中を押されて、桜雲は席を立ち、その場を去って行った。

 その足取りは、どこか自信に満ちているようにも見える。

 

「・・・・・・メグミも、愛されてるんだね」

「そうね。何だか羨ましいわ」

 

 その後ろ姿を見届けながら、ルミとアズミはお互いにそう話した。

 

 

 

「・・・・・・はぁ」

 

 ベッドの上でメグミは、もう何度目かも分からない溜息を零す。

 はっきり言って、何もやる気がしない。昨日だって島田流本家から戻った後は力尽きたようにベッドに倒れこんだ。そして今日の今まで何をする気も起きずベッドの上で無為に1日を過ごしてしまった。

 

『・・・・・・それじゃあね』

 

 メグミの脳裏に焼き付く、桜雲の悲しげな表情と言葉。それがメグミの心に、杭のように深く突き刺さって抜けない。

 あの時はメグミも、どうかしていたという自覚はある。明智の変化に気付けなかったことや愛里寿を怒らせたことなどで、自分に苛ついていた。それはまだいい。

 だが、それを他人に、それも自分の好きな人にぶつけると言うのは承服できない。挙句に相手を傷つけてしまうなど論外中の論外だ。

 

「・・・・・・はぁ」

 

 手の中にあるのは、猫の模様が刻まれたペンダント。桜雲にも同じものをプレゼントし、それぞれお揃いのものを着けて応援し、そして戦った。

 これをプレゼントした時は、桜雲も嬉しそうに笑っていたというのに。

 今となっては桜雲との関係もボロボロだ。それも自分の手で引き起こしたのだから、誰も責められない。責められるとすれば、メグミ自身だ。

 

「・・・・・・・・・」

 

 それでもなお、メグミは桜雲との思い出ばかりを考えている。こんな状況でも桜雲のことを想っているのだから、本当に自分は好きになってしまったのだと分かる。

 自分の気持ちは、いつか伝えたかった。桜雲がどう答えるのかは分からなくても、この気持ちを抱えたまま一生を終えるより、言ってはっきりとさせたかった。

 しかし今は、それよりも謝りたいという気持ちが強かった。自分自身に苛つき、それで桜雲に当たってしまったこと、桜雲を傷つけてしまったことを謝りたい。

 

「・・・・・・・・・」

 

 スマートフォンがあるから、いつでも連絡することはできた。

 けれど、もし桜雲が完全にメグミのことを嫌ってしまい応えてくれなかったらと思うと、怖くなってできなかった。

 この事態を引き起こしたのはメグミのせい、脱却できないのもまたメグミのせい。

 打つ手なしだ。

 

「・・・・・・はぁ」

 

 寝転んだまま、目を腕で隠す。

 泣きたくなるが、涙が既に枯れ果てたように出てこない。それぐらい泣いた。あまりにも悲しくて、悔しかったから。

 

「・・・・・・どうすれば、いいんだろ・・・」

 

 これから先、自分はどうすればいいのか、分からない。

 溜息を吐き、また目を閉じて思考を放棄しようとしたところで。

 部屋のインターホンが鳴った。

 

「・・・・・・・・・」

 

 今のメグミには、出る気が起きない。もし宅配便なら、申し訳ないが日を改めてきてほしい。

 だが、またインターホンが鳴った。

 

「・・・・・・・・・」

 

 身体を起こして、ドアの方を見る。

 もう一度、インターホンが鳴った。

 

「・・・・・・・・・」

 

 一抹の予感がよぎって、ベッドから降りてドアへと向かう。

 そして、ドアスコープで外の様子を窺うと。

 

「!」

 

 半ば脊髄反射でドアを開けた。

 そこにいたのは。

 

「・・・・・・こんにちは、メグミさん」

 

 夕焼けの空を背に、いつものように穏やかに笑っている桜雲だった。

 

 

 なぜここに桜雲がと思ったが、桜雲は一度酔いつぶれたメグミを送ってくれたことがある。だからここを知っていても不思議ではなかったのだ。

 

「・・・ごめんね、急に来ちゃって」

「・・・ううん、大丈夫」

 

 突然だったので驚きはしたが、メグミも桜雲と話がしたかったので部屋に招き入れた。これで桜雲がメグミの部屋に上がるのは2度目だが、1回目はメグミが酔って眠っていたので実質ノーカウントだろう。

 メグミが冷えた麦茶を2人分用意して、2人向かい合って座る。

 空は朱く染まり、ヒグラシの鳴き声が部屋の中に聞こえてくる。

 

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

 

 話したいことは山ほどあるのに、2人とも言葉が出てこない。それは、今2人がいるのがプライベートな場所だからなのと、お互いに相手のことを傷つけてしまったと思って気まずいからだ。

 

「・・・・・・・・・」

 

 メグミは麦茶を一口飲んで、気まずさを小さな溜息という形で吐く。

 言わなきゃならないのは、自分だと。明確に拒絶してしまった私の方だと言い聞かせて、口を開いた。

 

「「・・・あのっ」」

 

 被った。2人はまた口を閉ざす。

 そして、仕切りなおす。

 

「・・・桜雲」

「・・・メグミさん」

 

 またしても被った。一度ならず二度までも。

 それが可笑しくて、ついつい2人は笑ってしまう。

 

「ふふっ」

「あはは、っ・・・」

 

 2人の間にある空気が緩んだ。

 メグミは、久方ぶりに笑ったような気がした。この2日間はろくに感情表現もしていなかったせいで、より楽しく感じられる。

 その中で、メグミは。

 

「・・・・・・桜雲」

「・・・何?」

「・・・ごめんなさい」

 

 頭を下げた。

 緩んでいた空気が、再び緊迫したものとなるのをメグミは肌で感じ取る。

 ちらっと桜雲の様子を見ると、しっかりとメグミのことを見据えていた。

 

「あの時、私・・・自分に苛ついてたの。桜雲が応援してくれてるのに、あんな試合になっちゃって」

「・・・・・・・・・」

「私がもっと周りを見ていれば防げたかもしれないのに、自分の中隊から寝返りを出して・・・。それで愛里寿隊長を怒らせて・・・・・・」

 

 言葉を連ねるごとに、メグミの視線は下を向いていく。どんな顔をしているのか、桜雲の顔を見るのが怖かったから。

 

「私は、頭の中がごちゃごちゃになってて・・・・・・自分にイライラして・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

「それで、あなたに辛く当たった」

 

 そして、メグミはもう一度頭を下げた。

 

「ごめんなさい・・・・・・っ」

 

 深く、頭を下げる。テーブルに額が付きそうになるぐらい。それだけメグミは、桜雲には申し訳ないと思っている。

 

「・・・大丈夫。僕はもう、気にしてないよ」

 

 その言葉に、メグミの心の中の重りが取り除かれる。

 

「それに、僕だって同じだ」

「え?」

 

 予想と違う桜雲の言葉に、顔を上げる。

 桜雲は肩を落として、少しだけ笑っていた。

 

「あの時、メグミさんに『何も分かってない』って言われたけど、その通りだって思ったよ」

 

 今度はメグミが口を閉ざす。

 

「おばあちゃんの影響で戦車道に興味が湧いたけど、結局僕が男なのに変わりはないし。メグミさんとはそこそこ長い付き合いになったけど、戦車道もそこまで詳しくないし・・・」

 

 自嘲気味に桜雲は笑う。

 

「それで、メグミさんに何があったのかを聞いて・・・無神経なこと言ってメグミさんを傷つけたって、気付いた」

「そんなこと・・・」

「だから、僕からも謝らせてほしい」

 

 桜雲はメグミと同じように、頭を下げた。

 

「本当に、ごめん。メグミさん・・・・・・」

 

 その言葉は、少しだけ震えていた。

 桜雲自身は既にメグミのことを赦している。だが、桜雲のことをメグミが赦すかどうかはまた別の話だから。

 

「・・・桜雲」

「・・・・・・」

「頭を上げて」

 

 促され、恐る恐る桜雲が顔を上げると、メグミは静かに笑っていた。

 

「私も、気にしていないわ。大丈夫」

 

 桜雲はもう一度、頭を下げる。赦してくれたことを、桜雲は嬉しく思う。

 

「・・・それで、桜雲」

 

 もう一度メグミが話しかけてきた。

 

「・・・・・・桜雲が良ければだけど、またこれからも、仲良くしてくれるかな・・・」

「もちろん」

 

 秒も挟まず、桜雲が答えた。

 メグミは即答したことに驚いたようだが、桜雲だって無意識にそう返したわけではない。

 

「僕も、同じことを考えてたから」

 

 その言葉が聞けて、お互いに本当に良かったと、嬉しいと思う。

 仲直りできることが、またこれまでと同様に仲良くいられることが、どれほど嬉しいことか。

 

「・・・よかった」

「僕も」

 

 そしてお互い、また一笑。

 メグミは麦茶をまた一口飲んで、はぁと息を吐く。それは先ほどまでの鬱屈そうな溜息とは違う、安堵の息だ。

 

「・・・・・・桜雲に嫌われたらどうしようって、思ってたから」

 

 小さく告げたその言葉を、桜雲は聞き逃さなかった。

 そこで桜雲の脳裏に、先ほどのアズミとルミの言葉がよぎる。

 

『メグミがあなたと出会ってから、周りが感化されるほど生き生きするなんて・・・』

『それで、メグミがあなたのことを何とも思っていないと思う?』

 

 そのメグミの真意に、桜雲は気付いていた。

 自他ともに認めるようなのんびりのほほんとした性格であっても、流石にそう言ったことには敏くなってしまっていた。

 

「・・・嫌いになんて、ならない」

「え」

「なるはずがないよ」

 

 それだけ桜雲は。

 

 

 

「僕は、メグミさんのことが好きだもの」

 

 

 

 メグミの口が小さく開く。

 

「この前喧嘩した時は落ち込んだけど・・・メグミさんのことが好きって気持ちが大きかったから。嫌いになんてならなかったよ」

「え・・・・・・・・・え?」

 

 桜雲の告白に、メグミは困惑するばかりだ。

 

「本当、なの?私を・・・?」

「うん」

 

 仲直りをした直後に告白というのは、ともすればまた2人の間に亀裂が走りかねないことだ。

 だが、桜雲は今この場で言いたかった。いつまでも桜雲も自分の気持ちを隠し通せるとは思ってはいなかったし、メグミの言葉を聞いて自分の気持ちを抑えられなかった。

 

「私、何かした?そんな、好かれるようなことなんて・・・」

「してくれたよ、たくさん」

「私・・・そんなに女として魅力的?」

「僕からすれば、十分」

 

 なおメグミは現実味がないように問う。告白されたのなんて初めてだし、少なくとも自分が魅力的だと自意識過剰でもない。

 そこで、テーブルの上で握られているメグミの手を、桜雲はそっと包むように優しく握った。ゆっくりとした動作ではあったが、メグミは手を握られて思わず桜雲のことを見る。

 桜雲の眼には一点の曇りもない。さっきの言葉は、全部本心から来るものなのだろう。

 

「・・・・・・そっかぁ」

「・・・・・・」

「私も、まだまだ捨てたもんじゃないみたいね」

 

 桜雲の告白が伊達や酔狂でもない、真剣なものだと分かると、笑みが抑えられなくなる。

 つい俯いてしまう。嬉しさのあまり、涙が溢れてしまいそうだ。

 

「メグミさんは・・・・・・どうなのかな・・・」

 

 不安そうに聞く桜雲の言葉に対する答えなど、たった1つ、とうに決まっていた。

 メグミは顔を上げて、精一杯の笑みで答える。

 

 

 

「私もよ。私は、桜雲のことが好き」

 

 

 

 それだけで、桜雲の涙腺を緩ませるには十分だ。

 視界が潤み、涙が溢れて頬を伝う。

 だが、微塵も嫌な気持ちはない。

 好きな人から正直な気持ちを告げられて、想いが通じ合ったのだから、嫌なはずなどなかった。

 

「もう、泣かないでよ・・・」

「ごめん、嬉しくてね・・・」

 

 そう言うメグミの言葉も震えていた。涙を拭いながら見てみると、メグミもまた泣いていた。

 枯れたと思っていた涙が溢れてきて、メグミは前を向いていることもできず、涙を拭うが溢れ続ける。

 それを見た桜雲は、立ち上がってメグミの下まで歩み寄り、そっとメグミを抱きしめた。メグミもまた、桜雲の身体に腕を回して胸に顔を埋めて静かに泣く。

 桜雲はメグミが泣き止むまで、その身体を離しはしなかった。

 

 

 お互いに泣き止んだところで、メグミのお腹から可愛らしい腹の虫の音が聞こえた。聞けば、メグミはあの時の喧嘩がショックで何もやる気が起きず、食事も最低限しか摂っていなかったそうだ。

 それを聞いた桜雲は、時間も時間だったので『夕飯を食べに行こう』と提案し、2人で駅前のファミレスで夕飯にした。

 2人で食事をすることも、あの試合の前は何度もしたことだったのに、この日の食事はもう何年ぶりかと思うほど懐かしさを感じるものとなった。

 

「ねぇ、メグミさん」

「ん?」

「試合の前の日に話したこと、覚えてる?」

 

 ファミレスからの帰り道。陽はすっかり沈んでしまい、夜道を照らすのは街灯だけ。

 そんな道を2人並んで歩いている中で、桜雲は話しかける。

 

「試合が終わったら、次の休みにまた一緒に出掛けようって」

「・・・ええ、覚えてる」

「それでさ・・・メグミさんさえ良ければだけど―――」

「もちろん、いいわよ」

 

 桜雲が全てを言い切る前に、メグミは答える。

何を聞いてくるかは分かっていたし、その答えも決まっていた。

 そんなメグミの答えに、桜雲は苦笑した。『敵わないなぁ』と、独り言つ。

 

「でも、29日からは北海道で練習になっちゃって」

「ありゃ・・・」

「だから、その前なら大丈夫よ」

「そっか・・・分かった。それじゃあ日付が決まったら、連絡するね」

「ええ、お願い」

 

 淀みなくデートの予定が立っていく。つい数時間前までお互いにすれ違いが生じていたのが嘘のようだ。

 やがて、メグミのアパートの前に戻ってきた。ここで一度お別れだ。

 

「それじゃあ、次はデートの時にね」

 

 あの日とは違う、今度は会える時を約束する。

 その小さな違いが、2人が晴れて恋人同士となれたことを示していた。

 

「・・・・・・っ」

 

 その別れ際、メグミはそっと桜雲にキスをした。

 桜雲がそれに気付くのは少し遅れてしまったが、それでも状況を理解すると、恥ずかしそうではあれど笑ってくれた。

 

「・・・それじゃ、おやすみなさい」

「・・・うん」

 

 互いに手を振り合って、別れる。

 桜雲は、空をゆっくりと見上げる。夜空が広がっているが、少し雲があって澄んだ空とは言えない。

 それでも桜雲の心は、晴れ渡っているかのように爽やかだった。


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