予めご了承ください。
夜、風呂から上がったアズミが何の気なしにテレビ番組を眺めていると、手元のスマートフォンが電話の着信を告げた。こんな時間に、と思いながら画面を見るとメグミの名前が表示されていた。
「あら・・・・・・?」
『応答』をタップする前に、少し考える。
メグミは件のくろがね工業戦のせいで、少なくとも昨日まではひどく落ち込んでいた。その落ち込みようは、試合の後や昨日の島田流本家でアズミも知っている。
そのメグミが好いているであろう桜雲に、あの試合で本当は何が起きたのかを話したのは数時間ほど前のこと。
桜雲はその後でメグミに会いに行ったはずだが、その結果がどうなったのかは分からない。上手くいっていればそれでいいのだが、一概にそうとは言い切れない。
願わくばメグミが立ち直っていることを、そう思いながら慎重に電話に出る。
「・・・もしもし?」
『あ、アズミ?ごめんね、夜遅くに』
「問題ないわ」
聞いた感じ、メグミに落ち込んでいる様子はない。まだ少し、声は暗い感じがするが不安になるほどでもなかった。
「それで、どうかしたの?」
アズミはいつもの調子で訊く。気遣っていると悟らせないように。
数秒ほどの沈黙を挟んで、メグミは告げた。
『色々と・・・ごめんね』
「?」
謝るメグミ。だが、アズミは何か謝られるようなことをされた覚えはない。
『あの時私、他人に当たるぐらい苛ついてて・・・。アズミたちにも酷いところを見せちゃったから・・・』
あの時―――桜雲に辛く当たった時、あそこにはアズミとルミ、そして愛里寿もいた。確かにあの時のメグミは、見ていて痛ましかったが、それで不快な気持ちになどはなっていない。
『だから・・・嫌な気持ちにさせちゃって、本当にごめん』
真っ直ぐに謝るメグミ。その声には苛立ちも、悲哀もない、いっそ安心感すら抱かせるように穏やかだ。
そんなメグミの言葉を聞いただけで、立ち直れたんだと分かる。他の人には分からなくとも、親友のアズミには分かった。
「・・・気にしないで平気よ、メグミ。あなたが立ち直れたのなら、それで十分」
『そっか・・・ありがとね。流石、最高の親友だわ』
「調子いいこと言っちゃって」
軽口を鼻で笑うアズミ。
ともあれ、これでメグミが本調子に戻ってきているのが確認できて安心だ。
しかしながら、アズミにはまだ気になる点が残っている。
「ああ、そうそうメグミ」
『何?』
「あなたのトコに桜雲が行ったと思うけど、何か話したりした?」
今日の夕飯何だった?みたいなノリで訊くと、メグミが沈黙してしまった。
そこで、もしや関係が悪化してしまったのかと一脈の不安が頭をよぎるが、次のメグミの言葉はアズミの予想を良い意味で裏切った。
『・・・まあ、その・・・・・・うん』
先ほどとは違う、恥ずかしさを孕むような声。
アズミもいたずらに歳を重ねてきたわけではなく、それなりの勘も養われている。何があったのかは、想像がつく。
「ああ、うん。みなまで言わなくていいわ。訊いた口で悪いけど」
『・・・その方が、私としてもありがたいわ』
安堵するメグミ。それが、アズミの想像を確信へと変えた。
『それじゃ・・・ありがとうね。そろそろ切るわ』
「うん、分かった。ルミにも連絡しなさいね?」
『もうしたわ。隊長にもね』
「あら、そう」
電話が切れると、アズミは小さく息を吐く。
親友が立ち直れたことは、もちろん喜ばしい。アズミだってあの日以来、メグミのことが心配だったから、立ち直ったと知った今は心底安心している。
ただ、桜雲との関係に進展があったことに関しては、喜ばしいだけでは済まない。
羨ましかった。
「さて・・・」
さしあたり、まずはルミに連絡することにした。『親友が抜け駆けしたぞ』と。
8月も中盤を過ぎて、季節は秋へと向かっている。だのに陽光の強さは衰えを見せず、今なお地上に燦々と光が降り注いでいる。
その光を避けるように、桜雲は駅前のイチョウの樹の下にいた。
桜雲は、アスファルトの照り返しや熱気にも関わらず唇が緩んでいた。
これから始まるメグミとのデートが、楽しみだからだ。
「桜雲君?」
不意に声をかけられたが、メグミの声ではない。しかして、桜雲の知らない人物のものでもなかった。
「柊木さん、おはよう。おでかけ?」
「うん、友達とね」
動物サークルで同期の柊木だ。その隣にまた同い年ぐらいの女性が並んでいるが、その子が友達だろう。初対面なので軽く会釈をすると、同じようにその子もお辞儀を返した。
「桜雲君は?」
「ああ、僕は―――」
デートとおっぴろげに言うのも恥ずかしかったので、『友達と出掛けるところ』と言おうとしたが、またそこで別の声がかかる。
「お待たせ桜雲―――って対馬?」
「え、メグミ?」
その声の主こそ、桜雲が元々待っていた相手であるメグミだ。白のブラウスにモスグリーンのボーダーブルゾン、明るい緑のミディアム丈のフレアスカートの彼女は、前とは違って落ち着いた雰囲気がある。
それよりも気になるのは。
「知り合いなの?」
「ええ。同じ戦車に乗る仲間よ」
柊木の友達とは、メグミのパーシングの乗員である対馬だった。桜雲からすれば初対面だったが、こんな意外なところにメグミに近しい人がいるとは。
「改めまして、対馬です」
「あ、桜雲です」
素性が知れたところで、改めて名を名乗る。
「えっと、初対面で訊くのもあれだけど・・・・・・2人はあれなの?」
「?」
桜雲とメグミを交互に指差しながら、対馬が問う。メグミはいち早く『あー・・・』と対馬が何を訊きたいのかを察する。
「2人って、付き合ってるの?」
対馬はこういう奴だったと、メグミは額を押さえる。
対馬の隣にいた柊木は、状況が分からないので『え?え?』と対馬と桜雲たちを見る。
「あー・・・」
「・・・うん」
迷ったが、メグミが答えてしまった。メグミとしては、対馬はある程度事情を知っていたし世話になったところもあるので、隠すのも失礼と思ったからだ。
対馬は、メグミの答えを聞くと実に愉しそうににんまりと笑う。初対面だが、桜雲はこの対馬の性格がなんとなく分かってきた。
一方で柊木は、『え?え!?』と今度は嬉しそうな顔で桜雲たちを見る。
「あ、初めまして・・・。桜雲君と同じサークルの柊木です」
「よろしく、私はメグミよ」
そこで、同じく初対面の2人が挨拶をした。
「桜雲君、いつから付き合い始めたの?」
「えっと、ほんの数日ぐらい前かな」
「へー・・・」
柊木が興味津々な形で訊くと、桜雲は恥を忍んで答える。
なぜか安心するように頷く柊木に、桜雲は疑問を抱く。
「何、どうしたの?」
「ちょっと意外だなって思ってね。桜雲君、浮いた話とかと全然縁がなかったし」
「ああ、それはそうだね」
サークルの中でも、大学以前の学生時代も、桜雲は色恋の話題で名前が挙がったことがない。穏やかが過ぎて、頼りないと思われていたのかもしれない。
そんなやり取りに耳を傾けていた対馬がメグミを見ると、メグミが少し不機嫌そうな顔をしているのに気づく。
「・・・ほら、柊木。行きましょ?」
「あ、うん。それじゃあね」
「うん、それじゃ」
少し強引に、対馬は柊木を連れて駅の改札へと向かう。
「デートなんでしょ?頑張ってね」
「・・・分かってるわ」
その直前、対馬がメグミに耳打ちするとメグミは不敵に笑う。対馬もウィンクをして、その場から離れていった。
「それじゃ、僕らも行こうか」
桜雲も出発しようと足を踏み出すが、メグミはどこかご機嫌斜めな感じだ。
「メグミさん?」
「ねえ、桜雲」
それが気になって声をかけたが、逆に棘のあるような言葉を投げかけられる。
「さっきの柊木って子、同じサークルなのよね」
「え、うん・・・」
それで桜雲も、メグミが何を感じているのか分かった。
「大丈夫、メグミさんが心配するような関係じゃないから。ただの友達だよ」
「ホント?」
なので安心させるようにそう言うが、メグミはまだ疑っている様子だ。
その気持ち―――嫉妬や不安を取り除くように、メグミの手を握った。
「さ、行こう」
「・・・うん」
それで、メグミはようやく安心したのか、表情を緩める。
こうして臆面もなく手を握ることができるのも、自分たちが付き合い始めたからだろうなと、桜雲は思う。前だったら、手を繋ぐことにも迷いがあった。
桜雲もメグミも、『付き合ってるんだなぁ』とのんびり考えながら、街へと繰り出した。
2人が向かうのは、2つ隣の駅の街にある猫カフェ。メグミが愛里寿たちと一緒に行った、木を基調としたあのお店である。そこは桜雲も一度行って良い場所だと思ったし、メグミも同じく気に入っているようだ。
「ここでよかったの?」
「ええ。猫好きだし」
メグミはニコッと笑って答える。
ここは、『どこ行きたい?』と桜雲が訊いてメグミが『ここがいい』と答えた場所だ。この前出かけたところほど遠くはないし、一度訪れた場所なので面白みに欠けると思ったが、メグミが楽しそうなので良しとしよう。
「いつもありがとうございます~」
受付の中年ほどの女性スタッフから挨拶をされると、メグミは『いえいえ』と手を横に振る。メグミがここに来るのは3回目なので、顔を覚えているのかもしれない。
ともあれ、下準備を済ませて猫のいるスペースに足を踏み入れると、木の香りと動物の匂いが漂ってくる。そして、猫たちが桜雲とメグミのことを『誰か来たぞ』と見上げる。
そんな中、2人の下へと歩み寄ってくるグレーの猫が1匹。
「あら、久しぶり」
「すっかり覚えたみたいだね」
2人は席まで歩くが、その間もグレーの猫は後ろをついてくる。やがて、メグミが席に着くと、グレーの猫は何の躊躇いもなくメグミの膝の上にぴょんと飛び乗った。挨拶(指の匂いを嗅がせる等)もせずにここまで近づいてくるとは、相当懐いているようだ。
「懐いてるね」
「そうねぇ。この甘えん坊さんめ」
猫の額を慈しむように撫でるメグミ。最初に膝の上に乗った時はどうすればいいのか狼狽えていたのに、今では完全に慣れてしまっている。
続けて顔を包むように両手でぐにぐにと撫でるが、流石に嫌だったのか猫は体をよじってメグミの手から逃れた。
「あら、残念」
そして今度は、桜雲の膝の上に乗って『みゃぁ』と間の抜けた鳴き声を上げる。それで桜雲の顔も緩んで、そっと頭を撫でる。
「ほーら、おいでおいで~」
今度はメグミが足下に寄ってきたキジトラ猫に、まさに猫なで声で話しかける。それが通じたのか、キジトラはメグミの膝に飛び乗ってきた。
今度はメグミは、逃げられないように優しくキジトラの頭を撫でる。
「やっぱりメグミさん、猫に好かれやすいのかもね」
「そうかも。さっきの言葉で、ホントに膝に乗ってくれるとは思わなかったもの」
キジトラの背中を撫でるメグミ。飼い猫でさえ、飼い主が名前を呼んでちゃんと近づいてくれることはそう無いのだから、やはり『素質』があるのだろう。
メグミは、膝の上に乗るキジトラをにこにこと笑いながら撫でている。完全に猫の可愛らしさに打ちのめされていた。
「・・・よかった」
「え?」
それを見て桜雲は、言った通り切に思う。
「元気になったみたいで、よかったよ」
その言葉に、メグミは猫を撫でる手を止める。キジトラは、『どうしたの?』と言った感じでメグミを見上げる。
メグミもまた、視線を猫から桜雲に移す。
「・・・あの時、桜雲が私のところに来てくれて、よかったわ」
「ごめん・・・あの時は急に部屋に押しかけちゃって」
「押しかけたなんて・・・まあ、ちょっと驚きはしたけど」
冗談めかして言うと、お互いに小さく笑う。メグミの住所を知っていたのは、前に酔いつぶれたメグミを送り届けたからと、釈明は既に済んでいるのでお咎めはなかった。
「あの時、桜雲が来てくれなかったら・・・私はまだ立ち直れなかったかもね」
寂しそうに告げるメグミだが、実際そうなったらどうなんだろうと桜雲は恐ろしくなる。ひっそりとメグミが消えてなくなるようなイメージが頭に浮かんできた。
「ね、桜雲」
「?」
「もし、よ?もしもだけど・・・」
メグミが、桜雲を試すように、あるいは不安を抱いているように話しかける。
「私がまた・・・前みたいに落ち込んだり、傷ついたりしていたら・・・桜雲は傍にいてくれる?」
「もちろん」
何の迷いも、僅かな思案もなく、頷いた。
「僕はずっと、メグミさんの傍にいるよ。また前みたいに落ち込んだり傷ついたら、慰めるし、励ます。そして、そんなときは・・・また今日みたいに出掛けよう」
「・・・・・・・・・」
「メグミさんは、僕にとって大切な人だから。だから立ち直れるように、何でもするよ」
膝の上に乗るグレーの猫に目もくれず、桜雲はメグミを真っ直ぐに見据えて告げる。
その強い意思を感じさせる言葉に、メグミは少しばかり呆けたように口を開ける。
メグミの膝の上のキジトラが、『みゃー』と小さく鳴いたところで。
「・・・ありがとう、桜雲」
はにかみながら、そう告げる。
桜雲の膝の上で、グレーの猫が『にゃー』と鳴くと緊張していた空気が緩む。そしてお互いに、膝の上に乗る猫をそっと撫でた。
キジトラが、メグミの胸に前脚をかけて、顔の高さを合わせてまた鳴く。
それから2人は、時間いっぱい猫と遊んだ。猫じゃらしを使ったり、撫でまわしたり、餌をあげたり。
世間一般で言うデートとは少し違う感じがするけれども、今のように2人で猫と触れ合う時間を、2人は幸せに感じていた。
猫カフェを出るころにはちょうど正午過ぎとなり、2人は昼食にすることにした。と言っても、レストランで昼食、というわけではない。
「はい、どうぞ」
「ありがとう。それじゃ、僕からも」
街の近くにある親水公園でベンチに座り、2人はそれぞれ作ってきた弁当を交換する。
それぞれ蓋を開けてみれば、メグミの作ってきた弁当にはハンバーグ。桜雲の作ってきた弁当には唐揚げが収められていた。
「ん、美味しい!」
「うん、ハンバーグも美味しいよ」
食べる前から分かっていたはずだが、それでも言わずにはいられなかった。
桜雲が得意とする唐揚げは、自分の好物だから得意になったものであり、メグミのハンバーグは『最近ハマった』という。
「・・・桜雲と出逢えたからかな」
「?」
「こうして、料理を作るようになったの」
箸を置き、青い空を見上げるメグミ。桜雲も同じように、空を見る。
「でも、いつかはメグミさんも始めていたかもしれないよ」
「どうかしらね・・・私って、ちょっと前までは料理なんてする気さえ起きなかったし・・・」
以前桜雲にあげた、猫カフェを紹介し、そこで猫との触れ合い方を教えたお礼の弁当。あれは先ほど会った対馬のアイデアで、料理も対馬から教わったと打ち明ける。
「だから、桜雲に会わなければ料理しようきっかけもなかったわけよ」
「・・・そうなんだ」
こんなことを言ったら、桜雲は引いてしまうのではないかとメグミは少し不安になった。
しかし桜雲は、そんなことでメグミを突き放したりはしない。
「それじゃ、よかったね。色々な意味で」
「・・・・・・ええ、ホントに」
空に向けていた目を、桜雲に向ける。
「あなたに出会えて、本当に良かった」
「・・・・・・・・・面と向かって言われると、恥ずかしいな」
桜雲は白米をかきこんで恥を逃がそうとする。
けれど、顔の熱は引かなかった。
昼食を終えた2人は街に戻り、ペットショップを訪れていた。
「あっ、まだいる」
店に入ってすぐメグミが見つけたのは、あの謎の威圧感と存在感を醸し出す、濃い灰色のミミズク。
「あら、でももう売れちゃってるのね・・・」
しかし近くに来てみると、ミミズクが佇む切り株の傍には『売約済み』のプレートが立ててあった。
「本当に飼う人、いるんだ」
「そうだね。最近は専門の本とかも売ってるし」
それからは、以前と変わらないラインナップを見て回る。カワウソやカメレオン、オウムなど相変わらず種類が豊富で動物園のようだった。
やがて、犬と猫が入れられているガラスゲージの前に着く。
「仔猫も可愛いわね~」
ゲージに入っている猫のほとんどはまだ子供で、全体的に丸っこい。そのフォルムがたまらなく可愛らしいので、メグミのような感想が浮かぶのには桜雲も頷ける。
「・・・自分の手で一から育てるって言うのも、良いかもしれないわね・・・」
「そうだね・・・子供のころから育てた方が懐きやすいって聞くし」
桜雲の実家の猫は、言ったように子供のころから育てていたものだ。そのおかげか、家族には大分懐いている。甘えん坊だ。
メグミが指を伸ばすと、ゲージの中のロシアンブルーの仔猫が興味を示してガラスに近づいてくる。
「将来飼うのも、いいかもしれないわね・・・」
今はまだ、学生という身分だから何かと心配だ。けれど大人になって、生活に余裕が出てきたら飼うのも良いかもしれない。
メグミの目に映っているのはロシアンブルーだが、見ているのはもしかしたら、自分が猫を飼っている未来なのかもしれない。
「もちろん、飼うことが簡単じゃないのは分かってるつもりだけど・・・」
今メグミの隣に立つ桜雲の言葉を、メグミは忘れていない。
『ペットを飼う時には、相応の覚悟が必要なんだよ』
その言葉を覚えているから、中途半端な気持ちで『飼おう』と言ったのではない。
桜雲と知り合い、猫に触れて魅力を知ってから、メグミもまた猫のことが好きになっていた。だから、こうして猫カフェで触れ合うのもいいが、桜雲が言っていた『猫が家族』という環境にも憧れつつある。
「できるかな?私に・・・」
「・・・できると思うよ」
桜雲は否定しなかった。
「メグミさんならできると、僕は思う」
桜雲もまた、同じロシアンブルーを眺めている。同じように手を伸ばし、撫でるかのように手をかざす。
「・・・そう思う?」
「うん。メグミさんは途中で飼うのに飽きたり、動物をぞんざいにすることもないと僕は思うから」
「でも、桜雲に当たった前科が私にはあるし・・・」
「あの時メグミさん、自分で後悔していたんでしょ?だからもう、あの時みたいなことはしないと僕は信じてる」
メグミのことを芯から信じているような、桜雲の言葉と表情。
それだけだったが、桜雲の方がメグミよりも猫の傍にいた時間が長いし、命の重さを知っている。そんな桜雲の言葉だから、安心できた。
「・・・ありがと」
メグミはガラスから手を離す。
そんなメグミの中には、新しい望みが生まれていた。
「でも、1人で飼うのはちょーっと心許ないかなーって思うのよね」
「?」
どこか演技臭い感じの口調で桜雲を見るメグミ。桜雲は、何が言いたいのかまだ掴めない。
「だから・・・誰か一緒に飼ってくれる人が、いてくれたら嬉しいんだけどね」
だが、その言葉だけは真剣みがあった。表情も、微笑んではいるが瞳の奥には確固たる意思があるように感じる。
そして、メグミの言葉に秘められている『本当の意味』も、確信とまではいかずとも汲み取れた。
「・・・いるといいね、そんな人が」
上手い答えが見つからず、こんなことしか言えなかった。その真意を汲み取れても、どう言葉にすればいいのか分からなかった。
だから、笑って肩を竦めることしかできなかったのだ。
「・・・・・・・・・」
そんな桜雲に、メグミは少しだけ距離を詰めて肩を触れ合わせる。
その行動で、先の言葉の真意も確信できた。
少しの間ペットショップを見て回った後、2人が次に向かったのは書店だ。ここへ行きたいと言ったのは桜雲で、気になる本があるらしい。
「あった」
そして、桜雲が書店の一角で手に取ったのは、『戦車道入門』というタイトルの本だった。
メグミが『なんでこれを?』と目で問うと、桜雲は少しだけ笑う。
「やっぱり僕、戦車道のことはそこまで深くは分かってないから。だから、これから先・・・戦車道を続けるメグミさんに向き合うのなら、少しでも知っておくべきだと思ったんだ」
メグミの目が、僅かに見開かれる。
「戦車道に携わってるメグミさんと付き合っているから、戦車道のことは知っておきたい」
そしてメグミの方を見て。
「この先、ずっと・・・メグミさんの傍にいるならなおさら」
今この時だけ、この一角だけが別の空間に移動したかのように、周りの音が聞こえなくなった。
その桜雲の言葉を聞いて、メグミの瞳が揺れる。その『真意』を汲み取ることができたから。
「・・・・・・そうね」
こういう時の答え方が不器用なのは、お互い様かなとメグミは思った。
本屋の後は、駅近くの街のショッピングを楽しみ、時間は瞬く間に夕方へと過ぎていく。
「明日から北海道か・・・」
夕暮れの街を歩きながら、メグミは空を見つつ呟く。
「大変だね・・・明日の夕方出発だっけ?」
「ええ」
メグミたち大学選抜は、明日の夕方出発し、その翌日からはすぐに集中練習に入るとのことだ。スケジュール的に厳しいとは思ったが、くろがね工業との試合を鑑みれば仕方ないのかもしれない。
それに、大学選抜の練習は厳しいというのがもっぱらの噂だ。これぐらいで音を上げるわけにはいかないのだろう。
「でも、夕方までは休みだし・・・と言っても、色々準備が要るんだけど」
「それは、仕方がないかな・・・」
メグミは大学選抜の副官である。遠征の前の準備も相応に必要なのだろう。
「あ、でも隊長、大洗にあるボコミュージアムに行くって言ってたかな」
「ボコミュージアム?」
「ええ。なんでも隊長、ボコられグマのボコって言うキャラクターが好きみたいで。それでこの前、その施設を見つけたんだって」
「へぇ・・・」
ボコられグマのボコ、名前からして不穏な感じがする。試しにスマートで検索してみたが、見た目はそこそこ可愛らしい。しかしその設定はさらっと読んだだけで『需要あるの?』と思うような感じだ。
あの天才少女と謳われる愛里寿にこんな趣味があるとは、結構な発見だ。
それはともかくとして。
「本当は応援に行きたいところなんだけど・・・」
「それは仕方ないわよ・・・それぞれの理由はあるし」
明日から北海道遠征という話を桜雲が聞いたのは、今朝方のこと。準備などできているはずもなかった。
「でも、また同じようなことがあったら、今度は絶対応援しに行くよ」
例えその場所が北の地であろうと、メグミを応援するためであれば東奔西走することも厭わない覚悟でいる。
「どうして?」
答えが分かり切っていても、メグミは訊いた。
その答えを、桜雲の口から直接聞きたかったから。
「だって、メグミさんが頑張るんだもの。それを応援するのが・・・僕にできることだから」
それを聞きたかった。
ただただ、嬉しい。
その気持ちを、桜雲の手に自分の手を絡める形で表現する。
「・・・桜雲」
「?」
「・・・私と一緒になってくれて、ありがとね」
「・・・・・・それは、僕も同じだよ」
身体を寄せてくるメグミだが、桜雲はそれを振り払おうとはせず、夕暮れの街を歩いていく。
次回から、劇場版パートに入ります。
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