全ての撤収作業を終えた時には、太陽は地平線と交わり始めていた。
大学選抜チームの車輌はほぼすべて回収され、今はピットで修理中。大洗女子学園側の車輌もそれぞれの学校が回収し、飛行船や超大型輸送機、船舶などそれぞれの方法で持ち帰って行った。
大学選抜に配備された、使用を強要されたカール自走臼砲については、戦車道連盟が回収するとのことだった。
そして撤収作業が終わると、休む間もなく試合後のミーティングだ。
「今日の試合、ご苦労だった」
合宿所の集会室で愛里寿が号令を掛けると、隊員たちは立ち上がって礼をする。壁際に立って控えるメグミ、アズミ、ルミの3人も姿勢を正す。
隊員たちは試合と撤収作業の後でへとへとだったが、それでも自分の身体に鞭打ってこの場にいる。それにこの後は、打ち上げの時間もあるから、その時間を楽しみにして今を頑張るのだ。
「ミーティングを始める前に、聞いてもらいたいことがある」
しかし、普段はあまり聞かない愛里寿の前置きに、隊員たちは瞬きをする。
「今回の試合は、急に高校生と試合を組まれたことや、カール自走臼砲の使用要請など、不自然なところが多くあったことだと思う」
それは、この場にいるほとんどの者が疑問視していることだ。試合が終わった後でも、その疑問は晴れていなかった。その答えは、メグミたちにも未だ分かっていない。
「それについて、家元から話がある。心して聞くように」
その言葉と共に集会室の扉が開き、島田流家元の島田千代が入室する。愛里寿とメグミ、アズミ、ルミは改めて姿勢を正し、椅子に座っていた隊員たちも一斉に立ち上がり気を付けの姿勢を取る。
「楽になさい」
『失礼します!』
一見すれば嫋やかな妙齢の婦人だが、千代は日本二大戦車道流派の家元だ。大学選抜のメンバーだってそれは重々承知しているから、彼女の前では一瞬たりとも気を抜けない。統率されたその態度は、さながら熟練の軍隊だ。
千代から言われると、隊員たちは席に着く。
「さて。愛里寿も言ったように、今日の試合は皆さんにとっても疑問に思うところがあったでしょう」
『・・・・・・』
「もちろん、それにはちゃんとした理由があります」
笑みを崩さずに、千代は話を続ける。
愛里寿をはじめとした隊員たちは、神妙な面持ちで千代の話に耳を傾けている。
そして一拍置いてから、千代は笑みを引っ込めて事実を告げた。
「今回の試合は、大洗女子学園の廃校撤回を賭けたものでした」
隊員たちが目を見開く。それはメグミたちも例外ではなく、愛里寿も息を呑んでいる。その様子では、彼女も初めて聞いたようだ。
「今年の高校生大会で優勝した大洗女子学園は、当初8月31日付で廃校が決まりました。ですが大洗の生徒はそれに納得がいかず交渉を重ねた末、文部科学省は大学選抜チームと試合を行い勝利することを、廃校撤回の条件としたのです」
隊員たちは、反応に困る。
試合の経緯には疑問があったが、まさかそんな事情があったとは思わなかった。
そして、もしもあの試合に勝っていたら大洗が廃校になってしまっていたと思うと、ぞっとする。何せ廃校になったら、今回戦った戦車隊のメンバーだけでなく、何百、何千という人たちの生活を奪っていたかもしれないのだから。
そしてその話を聞いて、メグミは『安心』していた。
「その話は8月29日、試合の申し入れを受けた日に聞きました。ですが、私は敢えてその話を皆さんには伝えませんでした」
あらかじめ千代は、今回の試合を『高校生と大学生の親善試合』と伝えていた。隊員たちはそれを信じて、多く疑問に思うところがあっても試合に挑んだ。
では、なぜその話を黙っていたのか。
「その理由は大きく分けて2つ。まず1つは、それを伝えれば恐らく、皆さんは試合に対する意欲が湧かず、今日の試合も何の糧にもならない試合に終わってしまっただろうから」
大洗の廃校云々は知らなかったが、試合の条件を聞いた時点で大学選抜は既に乗り気ではなかった。それに加えて、大洗の存続が懸かっていると知れば、確実に勝とうともしなかった。
勝って大洗を廃校にしてしまったら、間違いなく自分たちは罪悪感に苛まれてしまうだろうから。数千人規模に及ぶ人たちの生活を奪えるほど、たとえ戦車道が絡んでいても非情にはなり切れない。
「そしてもう1つの理由は、あなたたちに純粋な戦車道の試合をしてもらいたかったから」
今度は隊員たちは、きょとんとした顔になる。『純粋な戦車道の試合』とは、どういう意味だろう。
「今回の試合、詳細は言えませんが、国の事情が絡んでいました」
隊員の内の数名が、喉を唸らせる。文部科学省から要請された時点で察しは付いたが、日本という国が一枚噛んでいるとは思わなかった。そこまで今回の試合は、重要なものだったのかと。
千代も、日本戦車道の将来的な発展のために大洗を廃校にする、という核心までは話せない。今この場で重要なのは『どうしてなのか』ではない。
「そして、1週間ほど前のくろがね工業戦では、大学選抜から寝返りが出ました。その動機は、くろがね工業から内定を貰っていたからです」
その寝返りがあったことについては、あの試合に参加していた者も、していなかった者も知っていた。
この時メグミは、座っていた隊員たちの中で表情が曇っている人物を見つけた。だが、今その隊員たちのことは置いておき、千代の話に傾注する。
「ここにいるほとんどの隊員は恐らく、実業団入りやプロ選手を目指して研鑽していることでしょう」
『・・・・・・・・・』
「悲しい話ではありますが、大人になると、あのくろがね工業戦や今日の試合のように、政治や社会の情勢が絡む試合をする機会が少なからずあります」
大学選抜の隊員の大半が、母体である島田流からスカウトがかかり、プロ選手となれる見込みがある者ばかりだ。そうしてプロというゴールへの道に立つことができたから、選ばれたことを誇りに思い、その将来を目指して研鑽を重ねている。
だから、大人になれば
「しかしながら大学選抜チームは、プロ選手を目指して研鑽し、力をつけるためのチームです。政や社会の情勢が絡んだ試合に慣れるためのチームではありません。そこは、理解してもらいたいです」
隊員たちが、その言葉にハッとしたように目を見開いたり、口を小さく開ける。
「だから私は、敢えて今回の事情を伝えませんでした。あなたたちに純粋な気持ちで、前向きな姿勢で取り組んでもらうために」
隊員たちは、何も言わない。
「今のあなたたちに必要なことは、蟠りのある試合に慣れることではなく、戦車乗りとしての力をつけること。そして、真摯な姿勢で試合に挑んでもらうことです」
メグミは千代の話を聞きながらでも、隊員たちの顔つきが変わったことに気付いた。
「今だけは、そういう試合をすることもある、と知っているだけで良いのです。無理にそれを体験するのはまだ先で良いのですし、知るのも今日のように事後で良い」
千代は、ふわっと笑い、隊員たちを見据える。
「あなたたちは、私と違ってうら若き戦車乙女なのですから。純粋に試合を楽しむことは、何も悪くないのです」
その柔らかい言葉と表情に、隊員たちも自然と笑みをこぼす。メグミとアズミ、ルミの表情も綻ぶ。
愛里寿は先ほどと変わらずに硬い表情をしていたが、それでもその瞳には小さな光が宿っていた。
千代の話が終わって退室した後は、つつがなくミーティングの時間が過ぎていった。それが終われば、安らぎの夕食の時間だ。
ただ、その前にメグミは少しだけ話したい人がいた。
「川棚」
「メグミ、お疲れ」
今回カール自走臼砲に搭乗した川棚、島原、
「今日はごめんなさいね、あんな車輌に乗せて・・・」
「ううん、メグミが謝ることはないわよ」
件のくろがね工業戦で寝返りを働いた明智の車輌の乗員。戦車道の試合にトラウマを抱いているかもしれなかった彼女たちを、あんなグレーゾーンの車輌に乗せてしまったことがいたたまれなくて、メグミは謝る。
だが、川棚は笑って首を横に振る。島原と諫早も同じ気持ちらしく、頷いていた。
「隊長の合理的な判断の結果ですから・・・」
「それに、私たちは見逃してもらった身だから。まだ大学選抜にいさせてもらっているだけで十分」
千代の計らいで無罪放免となった川棚たちだが、それでもやはり罪悪感は覚えていると言う。
「・・・正直、カールで大洗の戦車を撃破した時は・・・心が痛かったですけど・・・」
島原が沈痛な面持ちで呟く。今日の試合でカールは、パンター2輌とT-34/85を1輌撃破できたので、でくの坊というわけでもなかった。だが、島原は心が痛かった。試合の事情を聞いた今はなおさらだ。
「でも、私たちは全員プロを目指しているから、へこたれてなんていられない。それに、家元の話を聞いて、自信も持てたし」
川棚が笑って告げると、島原と諫早も同じように微笑む。
カール自走臼砲は、愛里寿が今後使うつもりはないと明言し、文部科学省に返却した。装甲は薄いし、護衛に3輌も必要な時点で運用性は赤点だ。使うメリットもそんなにない戦車を毎回使用するなど非効率だ。
だから恐らく、川棚たちにはまた別の戦車に乗るよう言われるだろう。
「これからも、この大学選抜で頑張るよ」
諫早が告げると、メグミも唇を緩めた。
「・・・3人とも、頑張ってね」
「ええ」
メグミは、川棚たちと握手をする。3人のこれからの成長と、立ち直ることを願って。
「それでは大洗との試合、お疲れ様でしたっ!」
『お疲れ様でした~!』
夕食を終えて少し時間が経ち、自由時間。多目的室でルミが音頭を取ると、隊員たちがグラスを掲げる。
これは、大洗との試合の打ち上げだ。と言っても、ただ単純に色々感想だの愚痴だのをジュースと菓子を交えて語り合うだけのものなのだが。
「いやー、今日の試合は大変だったな・・・。正直、くろがね工業との試合よりも緊張したかも」
「西住流強かったねー・・・」
メグミのパーシングの対馬と、アズミのパーシングの美作が顔を見合わせて『ねー』と言い合う。
「知波単がゲリラ戦するとは思わなかったわ。履帯切られるし、仲間がやられるし」
「廃遊園地のあれか。あれは私も驚いたよ。私がいた時なんて突撃一辺倒だったし・・・」
佐倉が韮崎の話を聞いて、成長した自分の母校の変わりように感心したように頷き、
「でも、楽しかったな。CV33がまた見れて」
「あんな使い方あったんだって思った。いやー、気付いてれば私の時のアンツィオも強くなれたのかも・・・」
茂木と足利が、母校の戦車の新しい使い方を思い出して羨ましそうに目を閉じてジュースを飲んで、
「川棚~?ねのカールのせいでおいのパースングがやらぃだんだげど~、何でごどすてぐれだのよ~!」
「何言ってるのか分かんないけど、とりあえずごめんなさい・・・」
「故郷の言葉が洩れてるわよ?戦車乙女なら落ち着いて優雅になさっては?」
カール護衛小隊に所属していた倉石が、間接的とはいえカールの砲撃でやられてしまったことを蒸し返して川棚に絡み、真鶴がそれを見てころころと笑う。
「BTは噂に違わぬ変態起動だったわ・・・くっ」
「ちょっと、私の母校の戦車バカにしないでよねー」
そのカール護衛小隊の隊長・宇城がBT-42に翻弄されたことを悔いていると、そのBT-42がいる継続高校出身のルミが肩を叩く。
誰もが試合のうっ憤を晴らすように、好き勝手にものを言う。さながら無礼講の飲み会のようだったが、アルコールの類はない。明日も訓練はあるので、二日酔いなどしたら戦車に乗れないからだ。
「ところでメグミは?」
そんな中でアズミが、メグミがいないことに違和感を覚える。音頭を取った時点でもいなかったが、『お花を摘みに行ったのかな?』と思ったが、結構時間が経った今も来ていない。
「あー、ちょっと用事があるって言ってました・・・」
「この北海道で?」
メグミのパーシングの砲手の平戸が説明するが、アズミはさらに疑問が増える。大学選抜はあくまで遠征でここに来ているのだ。北海道に知り合いがいるという話も聞いていないし、どういうことだろう。
しかし平戸は、何も言わなかった。
その顔は本当に事情を知らない、ではなく、知っているけど言うまい、と言う顔だった。
合宿所には、門限のようなものは存在しない。普段出入りする門は夜の10時で閉じてしまうが、別の場所にある通用門から入ることができる。その通用門は電子ロックだが、念のためにその番号はメグミたち副官クラスには教えられていた。
メグミはタンクジャケットのままで、合宿所の二重扉を開き、外に出る。夏とは思えないほどの涼しい空気がメグミを包んでくる。
正門を通り抜けて、メグミは左右を見る。事前の連絡によれば、正門から少し離れた場所で待っているとのことだ。
すぐにメグミは、1人の人影を見つけた。ゆっくりと歩を進めてその人へ近づくと、それが誰なのかが分かり、躊躇なく声をかけた。
「お待たせ・・・桜雲」
その名を呼ぶと、人影は―――桜雲はメグミの方を見て、笑ってくれた。
「こんばんは、メグミさん」
桜雲がこの北海道にいると知ったのは、試合が終わって撤収作業に差し掛かろうとした時だ。
閉会式も終えてスマートフォンの電源を付けたところで、桜雲からのメールが届いた。『お疲れ様、頑張ったね』と当たり障りのない言葉だったが、それだけでもメグミは十分嬉しかった。
しかし、そのメールには。
『北海道まで観に来た甲斐があったよ。
それぐらい、メグミさんがかっこよかった』
最初はその文を見ても『かっこいいって言ってくれて嬉しいな』としか思ってなかったが、違和感を覚えて読み返してみて『えっ』と思った。
「まさか、来てくれるなんて思わなかったわ。メール見た時は驚いちゃった」
「ごめんごめん、ちょっと驚かせようと思ってね。北海道で訓練って聞いてからすぐにでも行きたかったけど、チケットの都合で今日が限界で」
「ううん、来てくれただけ嬉しいわ」
そのメールを見てから、空いた時間に会えないかとメグミがメールで訊ねて、そしてこの時間に会うことを約束することができた。
「いつこっちに来たの?」
「昼過ぎぐらいに。あの会場に着いた時は、島田さんのセンチュリオンが動き出したときかな」
2人は、陽も沈んで街灯が照らすだけの道を並んで歩く。立ち話も何だったので、『少し歩こう』とメグミが提案してのことだ。
日中試合を行った演習場付近とは違い、ちらほらと明かりの灯る民家も見える。だが、畑も多く真っ暗な広い場所もあった。
「他のみんなは?」
「打ち上げ。ジュースとかお菓子とか持ち寄ってね」
それを聞いて、桜雲は少しだけ不安になった。
「メグミさんは・・・それに参加しなくてよかったの?」
「ああ、まあ話すことは他愛もないことばかりだし、桜雲と一緒にいたかったし」
さらりと告げた本心に、桜雲は心が揺れるが、『・・・それは、ありがとう』とだけ返す。
やがて2人は、だだっ広い芝生が特徴の公園だ。公園の入り口のすぐそばには芝生が広がっていて、せっかくだからとメグミと桜雲はその公園に足を踏み入れた。
「・・・星が綺麗ね」
「本当だね・・・。向こうじゃ絶対見られないよ、これは」
2人で空を見上げると、都会とは比べ物にならないほどの星空が広がっている。
都会ではビルの光が弱い星の光を上書きしてしまうから、これほど綺麗な星空は見えない。だがこの辺りには高いビルもないし、民家だってそれほど多くはないから星の光も妨げられることはない。
桜雲とメグミは、だだっ広い芝生の真ん中に腰を下ろす。こうした場所もそうそう無いので、新鮮な気分だ。
「でもまさか、来てくれるとは思わなかったわ」
「あはは・・・」
一息ついたところでメグミが告げると、桜雲は笑ってごまかそうとする。だが、じっとメグミが桜雲のことを見ると、桜雲は今度は観念したように息を吐く。
「・・・直接ここへきて、メグミさんを応援したかったから・・・だけじゃ足りないかな」
空を眺めて恥を逸らしながら答えると、メグミも同じように空を見上げる。訊ねた身でありながら、メグミは大したことも言えず『そう・・・』としか言えない。
それから風が吹き、芝生や木の葉が揺れる音が届くが、それに混じって猫の鳴き声が聞こえてきた。
「・・・猫・・・・・・?」
「近くにいるのかしら?」
鳴き声を聞いて、メグミは芝生の外側にある植え込みの方を見る。
すぐさま、植え込みの葉が不自然に揺れて、擦れる音が聞こえてきた。そして、ひょこっとグレーの猫が顔を見せる。
「あっ、いた。野良猫かしら?」
「・・・かもね」
だがメグミは、桜雲の反応が薄いことに気付いた。
まだ会ったばかりの頃は、野良猫に対しても積極的に触れ合おうとしていたのに。
「どうかしたの?」
たまらず、メグミは桜雲に問いかける。
「え?いや、別に・・・何も」
「何かあったのね?」
案の定桜雲ははぐらかそうとするが、それをメグミはぴしゃりと遮る。
桜雲は目を逸らそうとしても、メグミは決して桜雲から目を離さない。じっと、見据える。
「もし、桜雲が何か悩んでいることがあるのなら・・・遠慮なく言ってほしい。私とあなたはもう、悩みや不安を隠したり、隠されたりするような関係じゃない」
「・・・・・・・・・」
「それにあなたは前に、落ち込んでいた私の下に来てくれた。そして、私に寄り添おうとしてくれた。だから今度は、私があなたに寄り添っていたい」
「・・・・・・・・・」
「だから、話してほしい」
くろがね工業戦の後、メグミは桜雲に心無い言葉を言ってお互いに傷ついた。そのことは、付き合っている今でもまだメグミ自身、許せていない。お互いに謝ったが、それでもチャラにできたと思っていない。
そして、自分たちはもう恋人同士だ。何かに悩んでいたり、迷ったりしているのであれば、それは一人で抱え込まないでほしい。メグミはそう思っている。
「・・・・・・聞いてくれる?」
「もちろん」
その言葉で踏ん切りがついたのか、桜雲はメグミのことを見る。
メグミは、桜雲との距離を少し詰める。
涼やかな風が吹き、芝生を撫でていく。
「・・・・・・昨日ね」
夜空を見上げる桜雲。
その仕草が表情と相まって、涙を堪えているようにも見えた。
「・・・実家の猫が、死んじゃったんだ」
メグミは、口をつぐむ。
桜雲の瞳は、潤んでいた。
「昨日の夜、メグミさんとの電話の後で、実家からメールで知らされた。静かに息を引き取ったって」
メグミは、ペットを飼ったことがない。だからペットを飼うということ、ペットが同じ家族として暮らすこと、そしてその家族同然のペットが死ぬこと。どれも経験したことがない。
そして恐らく桜雲も、ペットが死ぬという事態に直面したのは初めてだろう。
それでもメグミに分かることは、今桜雲がどんな気持ちを抱いているのかだ。
「・・・桜雲は、それが・・・悲しいのよね」
「うん・・・すごく。やっぱり、大切な家族だったから」
普通の人なら、『たかがペットが死んだぐらいで女々しい』などと言うのかもしれない。
だが、桜雲は違う。本当に猫のことが好きでいて、家族の一員だと言っていた。そして、だからこそ、命の重さを知っている。
そんな、大好きな猫と、家族との永遠の別れが悲しくないはずがない。
それを誰かが責める権利だって無い。
「いや、悲しいんだろうなってことは分かってた。でも、やっぱり実際に経験すると、悲しいなんてものじゃないや」
視線を夜空から芝生に映して、目を瞑る桜雲。
「・・・何か、心に穴が開いたみたいだ」
その目を、軽く指で拭う桜雲。
「・・・・・・辛いよ」
桜雲は実際にその場にいただけでなく、メールでその事実を知らされた。だが、それでも桜雲の心は大きく抉られたように傷ついている。
そして実際にその場にいても、桜雲は同じように傷ついていただろう。
「・・・・・・・・・」
もう一度、桜雲は星空を見上げる。だが、目は開けない。そうしないと、涙が零れ落ちてしまいそうだから。
その猫には家族として接し、実家を離れて一人暮らしをしても、帰省した時などには可愛がって、そして何より大切に思っていた。
猫を飼っている中で、命あるものを飼うことの覚悟と厳しさ、そして命の重さを桜雲は知った。その命が失われてしまったのだから、とても辛くて、悲しい。
それは至極真っ当な感情だ。
そして、命の重さを知って、そこから背を向けずに向き合っている桜雲のことが、メグミは好きだった。
メグミは、桜雲の肩を抱き寄せて、肩と頭を軽くくっつける。
堰を切ったように、桜雲は静かに涙を流した。
みっともないと思っていても、女々しいと分かっていても、それでも悲しさには耐えられなかった。初めて『死』と直面して、胸の中がごちゃ混ぜにされているようだ。
その苦しさは、泣くという形でしか吐き出せなかった。
今、この場にいるのは桜雲のほかにはメグミだけだ。
だから、桜雲の中にある苦しさや悲しさの涙を、メグミは全て受け止めた。
少しの間、声を押し殺して泣いた後、妙に心がすっきりしたような気がする。星空も、さっきと比べると澄んでいるように見えた。
「・・・ごめん」
「平気、気にしないで」
弱いところを見せてしまったと謝るが、メグミは首を横に振る。
弱さや不安を抱え込まずに、曝け出してくれたことの方が嬉しかった。
「・・・少し、すっきりしたかな。いや、まだ悲しいって気持ちはあるけど」
「でも、悲しい時は、無理に我慢しないで泣いた方が気持ちが晴れるって聞いたことあるかも」
先ほどと比べると、桜雲の顔はつきものが落ちたかのように見える。一度感情を吐き出したことで、大分持ち直してきたらしい。
だが、メグミには桜雲の気持ちで分からないところが1つだけあった。
「桜雲・・・こんな時に訊くのはどうかと思うけど・・・」
「?」
本当にそれを今訊くのは、憚られる。
だが、最適な機会は今だった。
「・・・将来、猫を飼えるようになりたいって言ってたと思うけど、それは今も変わらない?」
自分の未来を語った時、桜雲は確かにそう言った。
『別れ』に何度も直面することを恐れて、生き物に携わる仕事には就けないと。だが、家族としては接していたいと言っていた。
実際に『別れ』を経験してみなければ分からないとも言っていたが、今がまさにその時だ。
こんな時に訊くのは、持ち直してきた桜雲の気持ちを再び暗くさせてしまうというリスクもあった。
しかし、それでも訊きたかった。訊かなければならない気がした。
「あなたが、家族である猫を失ってどれだけ悲しいのかは、分かってるつもりよ。でも、将来また飼うことになって、絶対に来るその『別れ』にまた向き合う時、桜雲は耐えられる?」
「・・・・・・・・・」
厳しいことを言うようだが、それだけは確かめたい。
猫の寿命は人間よりも短い。だから、猫を飼えばほぼ確実にまた『別れ』に直面する。
またその時が来た時、先ほどのように桜雲の心が深く落ち込み、傷ついて涙を流すのだとしたら、メグミは素直に賛同することができない。
『別れ』に慣れろ、と言うわけではない。もしかしたら次は、今回以上に深刻に考えてしまい、立ち直れなくなったらと心配だった。
「・・・それでも僕は、飼いたいと思ってるよ」
メグミはまだ、その答えに明確な反応は示さない。
「僕の父さんと母さんも、あの子のことを可愛がってた。それは多分、絶対に『別れ』が来ることを分かっていたから、精一杯愛情を込めていたんじゃないかって、僕は思う」
「・・・」
「僕も確かに可愛がってはいたけど、『別れ』についてはそこまで考えてなかったから」
夜空を見上げると、星の位置がさっきと少し変わっていた。
桜雲の目には、その星空が映っているのだろうか。
「それに・・・猫は好きだから。別れの時はすごい悲しいってことも分かった。だから今度は、より一層愛情を注いで、接することができると思うから」
「・・・迷いはないんだ?」
「うん」
再確認すると、桜雲は頷いた。
それを聞いて、メグミも安心する。
「その方が・・・桜雲らしいかもね」
からかうような、信頼しているような言葉に、お互いに小さく笑った。
「・・・何か、ごめんね。変な話聞かせちゃって」
「ううん。むしろホッとした」
桜雲の胸中を聞き、何を悩んでいたのかが聞けて安心した。そして、桜雲はブレることなくこの先進めることも分かった。
「メグミさんも・・・何か悩んでいることとかある?よければ聞くよ」
メグミには自分の弱い面を見せて、話を聞いてもらった。だから今度は、メグミの力にもなりたい。
それに今日の試合は、色々と多く思うところがあったから、メグミだって何かを悩んでいるのかもしれない、と思っていた。
メグミは『気にしないで』と言おうとしたが、やはり聞いてほしいことはあった。
「・・・じゃあ、桜雲。聞いてもらってもいい?」
「うん、もちろん」
促されて、メグミは口の中で『桜雲になら話してもいいかな』と呟いてから告げた。
「今日の試合、実は・・・大洗女子学園の廃校撤回を賭けた試合だったみたいなのよ」
衝撃の事実に、桜雲は眉を顰める。
メグミは、他言無用と前置きしてから今日の試合の真意を桜雲に話した。尤も、それも千代から聞いた話なので氷山の一角に過ぎないのだが、それでも事情を話すには十分だった。
「・・・その話を聞いた時、私は安心したのよ。勝たなくてよかったって」
もし試合で大学選抜が勝っていれば、今日戦った大洗の戦車隊だけでなく、大洗の生徒、学園艦で暮らす住民全員の生活を奪ってしまっていたのだから。
そうならなかったことに、メグミは安心していたのだ。
「でも・・・そんなことを思っていいのかなって、悩んでる」
試合に勝たなくてよかった。負けてよかった。
戦車乗りとしてそう思うことは悪いことなのではないかと、メグミは思うのだ。
戦車道と試合は切っても切れない関係にある。戦車道の試合こそが、戦車乗りが戦車道の世界で自分の存在する価値を示すものだ。
その試合に『勝たなくてよかった』と言う生半可な気持ちを抱くのは、戦車乗りとして悪いことなのではないか。そうメグミは自問自答している。
「・・・・・・じゃあさ、メグミさん。メグミさんは普段の試合の前に、『勝たなくてもいい』って思ったことはある?」
メグミの話を聞いたうえで、桜雲は問う。
「・・・いいえ、無いわ」
そしてメグミの答えは否だった。
桜雲が言うような生半可な気持ちで試合に挑んだことなどない。試合をする時はいつだって真剣に、全身全霊を込めて挑む。今日の試合に限っては、乗り気ではなかったが。
「今まで、試合の後で『勝たなきゃよかった』『負けてよかった』って思ったことは?」
「それも無いわ」
真剣に戦ったからこそ、後悔はしない。桜雲が言ったような気持ちにもならない。
その答えを聞いて、桜雲が安心したように笑った。
「そう思ってきたってことは、メグミさんがこれまで真剣な気持ちで試合に臨んでいたってことだよ。でも、今日の試合は前とは違っておかしかったんだ」
お互いに視線をそらさず、桜雲はメグミの顔を見て、メグミは桜雲の話に耳を傾ける。
「今日の試合に勝っていたら、大洗に住んでいる人全員の生活を奪うことになってた。その人たちのことを考えて『勝たなくてよかった』って思うことは決して悪いことじゃない、僕は思うかな」
甘い気持ちで試合に臨んでいては、成長など見込めない。それは、愛里寿が最も嫌う『戦車道を侮辱する行為』にあたるだろう。
しかし、今回の試合は事情が事情だ。大洗の廃校、ひいては大洗の学園艦の住民全員の生活を賭けた戦いと来れば、普通の試合とは程遠い。
そして、それほどまでの重大なものを賭けた試合に負けたことで、大洗の人々の生活を守ることができたのであれば、それを『良かった』と思うことは悪いことではない。桜雲はそう思う。
「・・・前と今日の試合では、背負うものが違ったんだ」
これまでの試合は、自分の成長を。
今日の試合では、大洗の人々の生活を。
その背負うものが違ったから、考えることも違ったのだ。
「・・・・・・そっか」
メグミは、桜雲の言葉を噛み砕いて呑み込み、そっと桜雲の手を握った。
「・・・やっぱり、私にはあなたが必要よ」
「え?」
突然の言葉に、桜雲はきょとんとする。
「私は大学選抜って言う精鋭揃いのチームに入っているけど、やっぱりまだ人間出来てないわ。さっきみたいに悩んだり、考えたりすることだってあるし、前みたいに人に当たることだってある」
「でも、副官まで務めてる人間が出来ていないなんてことは・・・」
「でも、私自身はそう思ってる」
メグミは一度だって、自分が『完璧な戦車乗り』と思ったことはない。そう思ってしまうことは驕りだし、そう思ってしまえば成長は止まる。
憶測だが、アズミも、ルミも、愛里寿だってそう思ったことはないとだろう。
「だからこそ桜雲みたいに、躓きそうになる私を支えてくれる人がいるのが・・・私はすごく嬉しい」
桜雲はメグミのことを、じっと見る。
「そして、優しくて、私を支えてくれるあなたのことが好き」
満天の星空の下で、メグミが真っ直ぐ桜雲のことを見ているのが分かる。
「ね・・・桜雲」
少しだけ、躊躇うように間を置いてから、メグミは告げた。
「これから先、私と一緒にいてくれる?」
目を閉じる桜雲。
その言葉の意味を、桜雲は分かっているつもりだ。その意味を改めて聞くと、男が廃る。
「・・・・・・僕でいいんだ?」
「ええ、あなたじゃなきゃ」
そう言われては、断ることなどできはしない。
もとより、断るつもりもない。
「・・・・・・メグミさん」
繋いでいた手を、強く握る。
「メグミさんは、僕のことを『命のことを真剣に、大切に考えている素敵な人』って言ってくれた。それはもちろん、忘れたことはない。すごく嬉しかったから」
「そしてさっき、僕がどうしようもない弱音を吐いた時に、メグミさんは傍にいてくれた。話を聞いてくれた。それも僕にとっては嬉しいことだし、本当にありがとうって、思った」
「そして僕は、そんな優しいメグミさんのことが好きだ」
強く、優しく、メグミの手を握る。
「メグミさん」
瞳を見据えて、音もなく息を吸って、告げる。
「ずっと、一緒にいよう」
その時、星空で流れ星が尾を引いて、夜空に消えた。
9月に入ると、大学選抜チームは北海道から帰ってきた。
大洗との試合に負けたことは、大学選抜にとってもカンフル剤のような働きをして、モチベーション向上の糧となっている。
「バミューダアタック、パターンQ!」
あの試合でバミューダ3姉妹も、高校生に一杯食わされた。
その時のことはちゃんと教訓として、今は新しい陣形や作戦、バミューダアタックの新しいパターンを考えている。それを模擬戦で実際に使って、難があるようであればまた考える。
愛里寿も、西住姉妹に倒されたことを悔しく思っているのか、センチュリオンの動きにもキレが増している。はっきり言って、天井知らずの成長速度だ。
あの日の試合を境に大学選抜は力を着実に伸ばしている。それは社会人、実業団にも伝わったようで、近いうちに関東地区第2位の社会人チーム・ことぶき工業との試合の話も持ち上がってきた。
「お疲れ様、メグミさん」
「ありがと、桜雲」
あの大洗との試合から、大学選抜はより進歩し続けている。
その中で、メグミは疲弊することも度々あった。けれど、そんな時はいつだって、桜雲が支えてくれている。一緒にお弁当を食べたり、休日にデートをして、猫カフェに出向いたり。
それを、アズミとルミが筆頭となった大学選抜のメンバーにからかわれることもある。ついには愛里寿も興味が湧いてきてしまったようで、2人のことを温かい目で見てくることもあるが、どうしようもない。
それに、桜雲もメグミもそれはまったく気にしていなかった。それだけ自分たちが、仲良く見られているということだろうから。
「ことぶき工業との試合、本当なの?」
「ええ。家元がOKしたって」
「大丈夫かな・・・。ことぶきって、ドイツの重戦車を起用してるみたいだけど・・・」
「そこはあれよ、戦術と腕かしら」
あの日に誓ったように、桜雲はメグミとこの先ずっと一緒にいることを、覚悟を決めた。
この先ずっと、戦車道を歩み続けるメグミの傍にいるために、支えるために、力になるために、桜雲は戦車道のことを真剣に勉強しだした。
もう二度と、無責任な言葉でメグミを傷つけたり、追い詰めたりしないためにも、桜雲は戦車道のことを学ぶと決めた。
今だけでなく、この先の未来でも、メグミのそばに居続けるために。
メグミを支えられる人であるために。
後1話で、今作品も完結となりますので、
最後までお付き合いいただければ幸いです。