夜空を眺めていると、どうしてもあの日のことを思い出してしまう。
「あの日も、そうだったなぁ・・・」
別に、悪い思い出があったわけじゃない。むしろ僕にとっては、かけがえのない、特別な思い出のある日だ。
あの日、星空の下で約束を交わしたからこそ、今の僕たちがあるのだから。特別に決まってる。
少しの間、窓から夜空を見上げてぼうっとあの時のことに思いを馳せる。
「?」
不意に、足元からふわふわした感触が伝わってきた。そして、『みゃー』と言う独特の鳴き声。
何かを訴えるように見上げてくるのは、青みがかった銀色の毛並みと淡い緑の瞳が綺麗な猫・ロシアンブルー。
僕らの家族の一員だ。
「はいはい」
こうして僕を見上げて鳴く時は、大体『構って』の合図だ。屈んで抱き抱えてやると、満足そうに目を細める。
猫を飼うことはもう早い段階で決まっていたけど、どんな子にするのかは迷った。その中で、一番可愛いと思ったのでこの子にした。仔猫の時から愛情込めて育てているので、大分人懐こくて、甘えん坊だ。
そんなロシアンブルーを抱きかかえながら、また夜空を眺める。
「お父さん、何してるの?」
今度は後ろから声をかけられた。
振り返る前に歩み寄ってきたのは、僕の腰くらいの背丈の女の子。腕の中のロシアンブルーは、じっとその子を見ている。
僕とあの人の子供だ。
「ちょっと空を見てたんだよ」
「へぇ~・・・?」
その時、腕の中のロシアンブルーが脱出を図ろうとした。押さえつけずに素直に放すと、今度は我が子の足下で鳴く。それを聞いて、娘も優しく抱き上げる。教わった通りの抱き方ができていたので、そっと頭を撫でる。
この子は最初こそ、猫を見た時はすごい泣いていたけれど、今ではこうして可愛がっている。猫の方が人懐っこくて、遠慮なく近づいて行ったのもあるかもしれない。まるで昔の自分を見ているみたいだった。
今ではこの子も、動物好きな性格に育っている。もっと小さい、赤ん坊だった頃が嘘のようだ。
「お母さん、遅いね・・・」
僕と同じように夜空を見上げながら、寂しそうに呟く。
丁度僕も、同じことを思ってた。
「試合だったからね・・・寂しい?」
「・・・うん」
素直に告白してくれた。
僕はその頭に手を置いて、屈んで目の高さを合わせる。少しでも、寂しさを和らげるように。
「その気持ち、ちゃんとお母さんに伝えてあげるといいよ。絶対喜ぶから」
「うん、分かった」
はにかみながら返事をして、僕も自然と唇が緩む。
そこでロシアンブルーが身体を捩じらせて脱出し、部屋の隅に置いてあるちぐらに引っ込む。
それを見届けてから時計を見ると、もうすぐ8時だ。
「さて、そろそろ夕ご飯の準備をしようかな」
「手伝う!」
「それじゃ、お皿を並べてほしいな」
頼んだわけでもないのに、この子は自分から手伝おうとしてくれる。この無邪気な優しさが心に染み入るようだし、優しい子に育ってくれて本当に嬉しく思う。
皿を落とさないように、愛娘にも気を配りながら料理の準備を進めていく。
結婚して家事を分担するようになったけど、あの人が戦車道で忙しい時は率先して僕が家事をする。戦車道の世界が大変なのは分かっているから、もちろん不満なんてない。できることが小さなことでも、支えられるのであれば何でもするつもりだ。
「ん?」
そこでまた、さっきと同じように脚にふわふわとした感触。いつの間にかロシアンブルーがいて、『何か食べさせて』と言うように、物欲しげに見上げてくる。大方、美味しそうな匂いがしてきたから、食べものがもらえるかもしれないと思ったのだろう。
「だめだめ、ちゃんとご飯あるでしょ」
今作っているのは、当然ながら猫が食べられる料理じゃない。うっかり食べたりすると病気になりかねないので、敢えて冷たく突き放す。
結果、大人しく引き下がってはくれたが、リビングの絨毯に不貞腐れたように寝転がる。いつものことなので、今となっては微笑ましい。
そうして料理を進めて、皿も揃えてくれて、もうすぐ完成と言うところでインターホンが鳴った。
「お母さんかな?」
「かもね」
先に娘が玄関に向かい、僕もコンロを止めてから行く。
そこで、猫が追い抜く形で玄関に向かっていく。きっと、ビンゴだ。
玄関から外へ出ないように抱きかかえてから、扉を開ける。
「ただいま」
そこに立っていたのは、やっぱりメグミさんだった。
今では僕にとって一番近しい人を見て、何だか安心する。
「おかえりなさい」
「おかえりー」
両手には荷物を提げているけれど、多分戦車道関連のものだろう。だからドアが開けられなかったのか。
「私だって分かったんだ?」
「そろそろかなって思って。それに、この子が気付いたみたいでね」
「へぇ~。私が恋しかった?」
メグミさんがロシアンブルーの頬をそっと指で撫でる。
飼い猫は、成長すると飼い主の足音を覚えるようになる、という話を聞いたことがある。僕が学生時代に実家で暮らしていた時も、飼っていた猫は扉を開けた時にはすでに玄関まで来てくれていた。
「私も寂しかった!」
「そっかそっか。ごめんね~」
愛娘が抱き着いて、メグミさんも頭をポンポンと軽く撫でる。
「ご飯できてるよ」
「ありがとう、疲れたわ・・・」
やっぱり試合があったから、相当お疲れのようだ。
荷物を受け取ってから、軽くハグを交わす。メグミさんは一旦自分の部屋に戻って着替えるので、僕と娘はリビングに戻り、夕食の準備を再開する。と言っても、あとはお皿に盛りつけるだけで完成だ。
「あら、何かいい香りが」
着替えて、手を洗ったメグミさんがリビングに顔を出す。何だか嬉しそうだ。
「唐揚げだよ」
「お腹空いてたからありがたいわ~」
得意料理の唐揚げだ。疲れてるだろうと思ってこれにしたけど、どうやらおあつらえ向きだったみたいだ。
そして全員が食卓に着くと、全員で手を合わせる。
「「「いただきます」」」
早速、メグミさんは唐揚げに箸を伸ばす。
「ん、美味しい」
「ありがとうね」
一口食べて、微笑むメグミさん。それにもちろん、僕は笑って感謝の言葉を返す。
『開催まで半年を切った戦車道世界大会。各地が注目している中で今日、日本代表チームが強豪・イギリス代表と練習試合を行い、見事試合を制しました』
丁度、テレビのニュースが戦車道の話題になったので、僕を含めた家族全員の視線がテレビに向けられる。
アナウンサーの解説を交えて、試合の様子がダイジェスト形式で流れる。日本代表の戦車が草原を駆ける様や、岩盤地帯で激しい砲撃戦を繰り広げる光景が映る。
「お母さん映ってる?」
「この距離じゃ無理じゃないかな・・・?」
テレビを指差して愛娘がメグミさんの姿を探すけど、ドローンの空撮映像なので流石に戦車に乗る人の姿までは見えない。
「今回も大変だったみたいだね」
「ええ・・・強豪って言われるだけあったわ。とにかく強くて、どうにか勝てたけど辛勝・・・ギリギリ勝てた感じ」
メグミさんが試合をしていたころ、僕は丁度仕事だった。だから、試合の詳細は僕にも分からない。だけど、メグミさんの参っている様子を見れば、大変な試合だったのは分かる。
ニュースでは、イギリス代表の戦車は全て撃破できたけれど、日本代表の戦車は残り3輌まで削られたみたいだ。
そこで。
「あ、お母さんだ!」
「え?」
急に娘が声を上げたのでテレビに視線を戻す。
残った3輌の戦車の車長の名前が顔写真付きで映っていて、確かにそこには『桜雲メグミ』と名前があった。
「最後まで残れたんだ。すごいじゃない」
「ええ。でも、アズミとルミは途中でね・・・」
残り2輌の車長は、島田愛里寿さんと、西住まほさん。2人とも、戦車道2大流派の時期後継者と言うことで注目を集めている。
アズミさんとルミさんも代表入りしたと聞いていたけれど、メグミさんの言う通り途中で脱落したみたいだ。
「あとで『お疲れ様』って言っておこうかな」
「ま、あの2人もそんなにへこたれちゃいないと思うけどね。旦那さんがいるし」
大学の飲み会で独り身なのを嘆いていたけれど、それも今や昔の話。あの2人も既にパートナーを見つけているから、確かに僕が励ますのも何か違うかもしれない。
一応、昔のよしみと言うことで労いのメールだけ送ることにしよう。
「改めて・・・お疲れ様」
「ありがと。はー・・・明日がお休みでよかったわ・・・」
心底疲れたように息を吐くメグミさん。
声をかけようとしたけれど、そこでロシアンブルーがぴょんとテーブルに飛び乗ってきた。
料理に手を出そうとするのなら下ろすけど、ロシアンブルーはメグミさんに顔を近づけて『みゃ』と小さく鳴いた。まるで、元気づけるかのように。
「ありがと、可愛いわね~♪」
箸を置き、ロシアンブルーを抱きしめるメグミさん。どうやら、自分を元気づけてくれていると分かったようだ。
疲れた様子も、猫を抱きしめている今は逆に癒されているように見える。
(前も、あんな感じだったな・・・)
まだ自分たちが学生だった頃。
猫カフェに行って、メグミさんは猫の可愛さに打ちのめされて、今みたいに緩んだ表情だった記憶がある。
どこか懐かしい。
「・・・お父さん」
「?」
猫を抱きしめたまま、メグミさんが話しかけてきた。
「本当に、ありがとうね」
「え?急にどうしたの」
本当に急だったので面食らう。メグミさんもそんな気がしていたのか、ロシアンブルーを撫でながら話し出す。
「最初にあなたと出逢ってから、猫と触れ合う機会も増えて。それであなたのことを好きになって・・・こうして幸せな家庭まで持てるようになったから」
愛娘も、メグミさんの話に耳を傾けている。
「みんながいてくれるから、支えになっているから、私は今も戦車道を頑張れる。今の私がいるのは、あなたに会えたからよ」
「・・・・・・」
「だから、ありがとう」
つくづく思う。
メグミさんと言う人と出逢えたこと、そして結ばれたことが、本当に嬉しいと。
「・・・僕からも、言わせてほしい。君に出逢えてよかった、ありがとう」
笑えていると思う。ちょっと視界がぼやけているけど。
そこで、愛娘がきょとんとしているのに気づく。
「猫カフェってどんなところなの?」
猫カフェの大半は、年齢制限がある。この子の年齢では、まだ無理だ。
だから、猫カフェがどんなところなのかも分からないのだ。
「猫と遊んだり、お茶を飲んだりして楽しむ場所よ」
「うちでもできるよ?」
ロシアンブルーを指差しながらの言葉は、もっともだ。僕とメグミさんは、顔を見合わせて笑う。
「まあ、そうだけどね。でも、違う猫がいっぱいいるから面白い場所だよ」
「あなたがもう少し大きくなったら、連れてってあげる」
「んー・・・わかった。楽しみにしてるね」
最初に僕とメグミさんが出逢ったあの猫カフェにはもう行った。でも、いつの日か、今度はこの子を連れてあの場所へ行きたい。
それから、メグミさんに懐いたグレーの猫がいたあの猫カフェにも。もうあのグレーの猫はいないけど、それでも雰囲気は変わっていない。
「みゃー」
メグミさんの胸の中で、ロシアンブルーが小さく鳴く。
その雰囲気を和ませるような鳴き声に、僕たち3人の家族は、ほんの少しだけ顔を見合わせて、笑った。
これにて、メグミと桜雲の物語は完結となります。
長い間ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
ガルパン恋愛シリーズも5作目となりましたが、いかがでしたでしょうか。
今回は、ガルパンとは接点があまりない『猫』をテーマにしてみました。
劇場版パートでは、前々から書きたいと思っていた『大学選抜チーム目線でのあの試合』を書かせていただきました。
お付き合いいただき、ありがとうございます。
猫を飼っている身としての実体験も交えての今作、
一人でも多くの方が楽しめたようでしたら幸いです。
次回作を投稿する時期は不明ですが、
次のヒロインはレオポンさんチームの子か、現在公開中の最終章第2話に登場するBC自由学園の子になるかなと思います。
最後になりますが、
ここまで読んでくださった方、応援してくださった方評価をしてくださった方、感想を書いてくださった方、本当にありがとうございました。
また次の機会に、お会いしましょう。
ガルパンはいいぞ。