恋の訪れは猫とともに   作:プロッター

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Bermuda’s Blues of Bridal

 夏休みに入ってからも、メグミの言った通り大学選抜チームの戦車道の訓練は続いていた。

 メグミ曰く、訓練の内容は基本的には模擬戦がメインで、後は隊列の訓練や戦車の整備などが少しずつだが、くろがね工業との試合も近づいてきて、訓練に参加する戦車の数も増えているという。

 社会人同士、もしくはプロリーグでは1チーム20輌以上で試合を行うことが常であり、基本ルールも敵チームの車輌を全て倒した方が勝利する殲滅戦となる。元々大学選抜チーム内の模擬戦は殲滅戦だったので問題ないが、車輌数を実際の試合に近づけたと言うことだ。

 

「・・・すごいなぁ」

 

 そんな大学選抜チームの練習風景を、桜雲はほぼ毎日観に来ていた。それは純粋な興味もあれば、頑張っているメグミの姿を見てみたいという欲もある。専用の観客席からはメグミの姿など見えるはずもないのだが、それは考え方次第というやつだ。

 そして、そんな位置からでも戦車の戦いはすさまじいものだというのが、何度か観ているて分かった。砲が火を噴き、装甲が砕け、時に激しく車体をぶつけ合うその戦いぶりは、まさに熾烈。これこそが、戦車道の醍醐味だろう。

 桜雲は祖母から戦車道の話を聞かされたことはあったが、生で戦車の戦う姿を見たことはほとんどなかった。そして実際に見て、嫌いになると言うこともなく、俄然興味が湧いてくる。

 

『島田チームの勝利!』

「あらら・・・」

 

 試合の結果を見届けて、メグミの所属するチームが負けてしまったことを確かめると、桜雲は立ち上がって校舎へと向かう。その目的はもちろん、訓練を終えたメグミと昼食にするためだ。

 夏休みの練習も観に行くと桜雲が言ってから、自然とメグミが『一緒にお昼も食べない?』と誘ってくれた。桜雲はそれだけでも願ったり叶ったりだったのだが、メグミはまた弁当を作ってきてくれたのだ。『節約になる』という桜雲の言葉を聞いてから自炊をする機会が増え、さらに仲が良いと言うことで作ってきてくれた。

 それは桜雲も嬉しかったが、また作ってきてもらうだけなのも申し訳なかったので、桜雲もまたその次の日に弁当を作ってきた。その結果、2人が交互に弁当を作るということになってしまった。

 今日は、メグミが弁当を作ってくる日で、桜雲はすっかりお馴染みの待ち合わせ場所となった中庭の日時計の前で桜雲は待つ。

 

「お待たせ」

「ううん、大丈夫」

 

 10分ほど経ってから、ユニフォームから着替えたメグミがやってきて、そしてベンチに移動してメグミお手製の弁当を楽しむ。

 

「ん、美味しい!」

「あら、よかった」

 

 小さなハンバーグを一口食べて、表情を明るくする桜雲と、それを見て笑うメグミ。

 ここ最近では、メグミもレパートリーに富んでいて、それでいて凝った料理を作ってくるようになった。それでもハンバーグが得意料理らしく、数回に1回のペースで作ってきてくる。

 この2人で並んで弁当を楽しんでいる姿が、以前大学選抜チームのメグミ中隊の一部メンバーに見られ、それが原因で中隊の練度が上がってきていることに当人たちは気づいていない。

 

「模擬戦、残念だったね・・・」

「うーん、後ちょっとで行けそうだったんだけどね・・・」

 

 先の模擬戦でも、愛里寿のセンチュリオンを倒すことは叶わなかった。

 前にメグミのパーシングが命中させて以来、センチュリオンは鬼のように強くなった。掠り傷さえも負わせることができなくなり、また前のような状態に戻ってしまったわけだ。

 ただ、それでもメグミたちが弱くなると言うことにはなっていないので、大学選抜チーム全体の練度は上がってきている。

 

「そろそろ、くろがね工業戦の戦車も決まるし・・・ちょっと心配ね」

「でも、メグミさんは副官だし確定なんじゃ?」

「そう願いたいんだけどね・・・」

 

 空を見上げるメグミと同じで、桜雲も同じで空を見ることしかできない。

 少しだけ重い空気になってしまったので、桜雲は話を変えることにした。

 

「・・・明日は食堂で食べるんだよね」

「あ、ええ。だからまあ・・・アズミたちが一緒になるんだけど」

「うん、平気だよ?」

 

 桜雲とメグミは互いに夏休み中、弁当を作ってきている。

だが、3日に1度は戦車道のあれこれもあって、食堂でアズミ、ルミ、愛里寿の3人と昼食にしている。桜雲は最初は同席を辞退しようとしたのだが、アズミとルミが『いても大丈夫』と言っていたので、結局一緒になった。

 最初こそ、メグミとの関係を茶化されるのではと不安になったが、そんなことはほとんどなく和気藹々とした昼食の時間になっている。今は抵抗もない。

 

「・・・そう」

(あれ?)

 

 ところが、桜雲の答えを聞いた途端、メグミが落ち込むような声になってしまった。何かミスをしただろうかと桜雲は考えをめぐらすが、答えは見つけられず、その日の昼食の時間は過ぎてしまった。

 

 

 その翌日。

 戦車道の訓練の後は、大学選抜チーム内でミーティングが行われる。ミーティングの内容は、愛里寿と副官3人をはじめとしたチームのリーダー格のメンバーから見たその日の練習の様子とその評価、次に向けての課題、そして連絡事項を伝えるくらいだ。

 今日もまた、最初に愛里寿が模擬戦の総評を告げて、さらに中隊長のメグミ、アズミ、ルミの3人がそれぞれの中隊の様子を報告する。

 そして最後に連絡事項となるが、そこで愛里寿が2つのことを伝えた。

 1つは、くろがね工業との試合に参加する戦車の発表。今日までの練習を見て、愛里寿が決めるのだが、幸いにもメグミたちバミューダ3姉妹の中隊のメンバーは、彼女たちを含めて全車輌参加になった。それはメグミのみならずアズミとルミも不安だったようで、それが決まった時は胸を撫で下ろしていた。

 そして、もう1つの連絡事項は。

 

「これまでの練習の結果を鑑みて、T28重戦車をメグミ中隊に配備することに決めた」

 

 愛里寿の言葉に、隊員たちはざわめきはせずとも、少しだけ空気が変わった。

 T28重戦車は、最大装甲が305mmと分厚く、主砲口径は105mmと、これだけを見れば中々に強力な戦車だ。しかしこの戦車はその装甲の厚さゆえに致命的なほど足が遅く、路上でも時速19kmしか出ない。しかも前面固定砲塔なので、使い勝手は悪い方だ。

 動く要塞と言っても過言ではないスペックだが、その使い勝手の悪さから、試合に参加することはあっても特定の中隊に所属すると言うことはなかった。T28がいる中隊は、整然とした隊列を組むには速度を落とさなければならず、中隊の動きが却って悪くなるからだ。

 だから、中隊の練度がT28を使いこなせるようにならない限りは、T28はどこの中隊にも配備することはできなかった。

 しかし、今日を持ってそのT28はメグミの中隊へ正式に配属されることになった。それは、メグミの中隊の練度がそれに相応しいほど上がったと言うことになる。

 

「メグミ、頼む」

「はい」

 

 今この場で初めてメグミはそれを聞いたのだが、動揺したりはせず、そして断らずに頷く。愛里寿がメグミと、メグミの中隊のことを評価してくれているからT28を配備したのだ。それを断るつもりなどない。

 

真鶴(まなづる)は、メグミと話をして調整をするように」

「了解」

 

 名前を呼ばれて、真鶴という隊員は返事をする。『調整』とは、メグミ中隊での配置や役割、隊形などの擦り合わせのことだ。

 ちなみに真鶴は、(セント)グロリアーナ女学院の卒業生で、在学中は『ロンネフェルト』という名前を戴いていたらしい。曰く、聖グロリアーナで紅茶の名前を戴けるのは選ばれた者だけだというので、彼女もまた実力者ということになる。だからこそ、T28という扱いにくい戦車の車長を任されているのだろう。

 それはともかく、メグミにはくろがね工業との試合までの間にまた1つ課題ができた。新たに加わる、強力ではあれど動きが鈍いT28をどう運用するか。それを考えなければ。

 

「ではこれで、ミーティングを終了する」

 

 その課題のことは留意しておきつつも、メグミはもうすぐの昼食の時間を楽しみにしていた。だって、今日も自分のことを応援しに来てくれているであろう桜雲に会えるのだから。

 ただ、今日は愛里寿はともかく、アズミとルミも昼食を一緒に食べるというのが少し残念だったが。

 

 

 

「ね、メグミ。今夜、どう?」

 

 メグミと桜雲、アズミとルミ、そして愛里寿の全員が同じテーブルに着く昼食の席。そこで席に着くなりアズミが、メグミにそう話しかけた。右手の曲げた人差し指と親指をくいっと傾けるジェスチャー込みで。

 

「おっ、いいわねぇ。うん、オッケーよ」

 

 誘われたメグミも嬉しそうに頷く。隣に座るルミも『よし』と笑っているので、ルミも事前にアズミから誘われていたらしい。

 アズミのジェスチャーは桜雲も見たことはあるので、メグミたちがどこへ行こうとしているのかはすぐに分かった。

 

「・・・3人とも、どこかへ行くの?」

 

 だが、愛里寿はアズミのジェスチャーの意味が理解できなかったようだ。

 

「あ、すみません。今日は、メグミとルミを誘って居酒屋で一緒にお酒を飲もうと思っていまして」

「そうなんだ・・・」

 

 その話を愛里寿が知らないと言うことは、アズミたちは最初から愛里寿を誘ってはいなかったと言うことだ。愛里寿の年齢と立場を考えれば仕方ないのかもしれないが。愛里寿も自分から行きたいとは言ってこないので、恐らくはこれでいいのだろう。

 

「それにしても急ね・・・どうして?」

「そりゃまあ、なんとなく飲みたくなって」

 

 メグミの質問に答えるのはルミ。特別な理由などなくとも、なんとなく居酒屋で共に酒を飲みたくなる気持ちは、同じ年齢の桜雲には分かる気がした。

 

「それに、メグミの中隊にめでたくT28が配備されたし、そのお祝いも込めてね」

 

 アズミが付け加えると、今度は桜雲が『ん?』と疑問符を浮かべる。T28という戦車が(当たり前だが)桜雲には聞き覚えが無かったからだ。

 そんな桜雲に気づいたメグミは、簡単に補足する。

 

「T28っていうのは、装甲は分厚いし火力も高いけど、ものすっごくノロくて扱いにくい重戦車なのよ」

「・・・そのT28が配備されたってことは、それだけメグミさんの中隊がすごいってこと?」

 

 自分なりに論点をまとめて、桜雲が大学選抜チームの隊長である愛里寿に確認すると、彼女は小さく頷いた。

 扱いにくい戦車を任されると言うことは、メグミがそのT28を使いこなせると愛里寿が考えているからだ。つまり、メグミの能力が高く評価されていると言うことでもある。

 

「メグミのパーシングも、メグミの中隊も、最近は力をつけてきてるから・・・。メグミなら、T28を使いこなせると思ったから」

「ありがとうございます、隊長。必ず、隊長の期待に応えて見せます」

 

 愛里寿が真っ直ぐにメグミを見て告げると、メグミは頭を下げて微笑む。

 

「だから、そのお祝いも込めてね」

「そういうことね」

 

 それで、今日の飲み会の話は終わりと思ったが、アズミは桜雲のことをじっと見ていた。

 

「どうかした?」

「良ければ、桜雲も一緒にどう?」

 

 聞き返すと、アズミから意外な誘いを受けて、桜雲の目が点になる。

 

「え、戦車道のことなんだし、アズミさんたちだけでも・・・」

「まあ、メグミのお祝いってのもあるけど、普通にただ軽くしゃべってお酒飲むだけだし」

「私も別に気にしてないよー」

 

 アズミとルミにそう言われて、桜雲も断るのを迷い始める。

 とはいえ、夏休みに入ってからこうして昼食を共にする機会も増え、何かと話すことも多くなった。遠慮するような間柄ではないのだが、それでもまだ不安というものはある。

 

「メグミさんは、大丈夫?」

「うん、問題ないわよ」

 

 念のために、メグミにも聞いておくことにする。しかしメグミは、迷いもなく頷いた。

 メグミがそう言ってくれるのであれば、桜雲も断る道理はなくなる。

 

「・・・お酒は飲めないけど、それでいいのなら」

「オールOK」

 

 一応それだけは言っておいたが、それでもルミは笑って親指を立てた。これで、桜雲がメグミたちの飲み会に参加することになった。

 

「あー・・・桜雲?1つ言っておくけど・・・」

 

 そこで、メグミが桜雲に話しかけてきた。その顔は桜雲に向けられてはいるが、視線はアズミとルミの2人に向けられている。

 

「・・・この2人、相当飲むわよ」

「何言ってんの、メグミだってよく飲むくせに」

「そうそう」

 

 どうやらこの3人は、結構な大酒飲みらしい。

 桜雲は『どれぐらい飲むんだろう?』とちょっと考えてみたが、それは後で確かめればいいやと思い考えるのを止めた。

 そこで桜雲は、愛里寿の表情が妙に陰っていることに気付く。普段からあまり表情を面に出しはしない愛里寿ではあるが、今のその顔は無表情というよりは寂しそうだった。

 メグミたちはそれには気付かず、桜雲だけが気付いていたが、今この場で話すのは避けるべきかと思って、愛里寿のことをそっとしておくことにした。

 

 

 その日の夕方6時に、桜雲とメグミ、アズミとルミは再び落ち合った。

 場所は、以前メグミたちが愛里寿と共に行った猫カフェのある街の駅。これから向かう居酒屋は、アズミがその猫カフェに行った時に偶然見つけたらしい。

 駅から少し歩いたところにあるその店は、中々雰囲気の良さそうな場所だった。予約をしていたアズミが先導して入ると、個室タイプの4人掛けテーブル席に通される。

 

「さて、何にしようかね?」

 

 席に着くなりルミがメニューを開く。こういう時は、まず1杯目の飲み物と軽い料理を頼むものだ。

 

「僕は・・・ウーロン茶で」

「了解、あんたたちは―――」

「「とりあえず生で」」

「だと思ったわ」

 

 メグミとルミが揃って答えて、アズミは苦笑しつつも頷いた。最初の注文はウーロン茶と3杯の生ビール、そして焼き鳥と唐揚げになった。

 注文してから、それほど時間も経たずに飲み物がやってきて、全員がグラスとジョッキを手にする。

 

「全員持った?」

 

 メグミの呼びかけに全員が頷いて答える。

 

「それじゃ、えっと・・・まあ、諸々乾杯!」

『かんぱーい!』

 

 どんな音頭をとればいいのか分からず曖昧な形になってしまったが、他の3人は笑ってグラスを掲げる。グラスとジョッキを軽くぶつけて、飲み物を飲む。

 

「かーっ、美味い!」

 

 一気に半分ほどのビールを飲み干したメグミは、心底気持ちよさそうな声を上げる。こういう爽やかな酒の飲み方は桜雲も嫌いではない。やけ酒は見るに堪えないが。

 

「改めて、T28の配備おめでとう、メグミ」

「ありがと、アズミ。まっ、まだまだ課題はあるけどね」

 

 メグミに向けてグラスを小さく掲げるアズミ。ルミも同じく、ビールを半分ほど飲み切ってからメグミの方を見る。

 

「まあ大丈夫でしょ。あんた最近アゲアゲなんだし」

「えー、そうかしら?」

「そうよ絶対。誰が愛里寿隊長の戦車に傷を負わせたのかなんて、忘れたとは言わせないわよ?」

 

 アズミがくいっとビールジョッキを傾ける。

 そこから戦車道の話が始まり、チーム入りしたての頃、高校時代とどんどん話はさかのぼっていく。

 

「高校って言えば、あなたたちは高校戦車道のこと調べてる?」

 

 メグミが話の流れでアズミとルミに問いかける。

 以前、大洗女子学園が高校生大会で優勝を果たしたことで、メグミたち大学選抜チームも高校戦車道には目を向けるようになった。多くの戦術を積極的に取り入れる傾向が強いチームだから、多様な戦術を見せた高校生の戦いを調べておこうと、メグミが言い出したのだ。

 

「まあ、一応ね。有名な選手とか戦車とか、戦術とかは調べてるけど・・・」

「調べるだけじゃ技術とか戦術は身につかないし、実際に戦ってみるしかないんだけどさ、そう簡単にはいかないわけよ」

 

 一方桜雲は、その会話を聞きながら一言も発さず相槌を打っている。分かってはいたが、メグミたち3人が戦車道の話をしている間は、桜雲は置いてけぼりを食らってしまう。桜雲は男で戦車に乗れず、大学選抜チームのメンバーでもないのだから仕方ないし、桜雲もそれで凹みはしなかった。

 だが、その隣に座るメグミは、話していても桜雲のことをしっかりと気にかけていた。

 

「あ、ごめんね?戦車道の話ばかりしてて・・・」

「ううん、大丈夫。聞いているだけでも、面白いし」

 

 桜雲は思っている本当のことを言った。すると、アズミがそれに反応する。

 

「戦車道の話をしても引かない男ってのも、珍しいわよねぇ」

「確かにね。何で男は戦車が嫌いなんだろうね?」

 

 ルミもそれは気になっているようで、その男である桜雲を見る。まるで、その理由を問うかのようだ。

 

「それは、僕にも分からないよ。僕は元戦車乗りのおばあちゃんの影響で興味がわいたからだし、僕の周りに戦車道に興味があるって男友達もいないし・・・」

 

 桜雲は戦車が好きとまでは言わないが、そこそこ興味がある方である。だがそれも身内の影響であり、自分から進んで興味を持ったわけではない。だからこそ、桜雲は『男はなぜ戦車が嫌いなのか』という疑問に対する答えが分からなかった。

 聞いたルミは『そっか』と言いながら背もたれに寄り掛かる。

 

「でも、だから桜雲みたいな男が貴重なのよね。戦車道が嫌いじゃないって男が」

「そうね。こんな私たちにも普通に接してくれているのは、とてもありがたいわ」

 

 ルミとアズミから口々にそう告げられて、桜雲も少しばかり嬉しくなる。自分が普通に接していることを必要としてくれているのは、悪い気持ちではない。

 だが、その桜雲の隣に座るメグミはどこか不満そうにムッとしていた。

 

「・・・メグミさん、どうかした?」

「んん?別に?」

 

 そう言ってメグミはビールを呷るが、その仕草には若干の苛立ちが混じっているかのようにも見える。もしや、もう酔いが回ってきているのだろうか。

 

「メグミ、嫉妬は見苦しいわよ?」

「はぁ?誰が嫉妬なんて」

 

 ビールを飲み切ったメグミに対し、アズミがからかうようににんまりと笑って告げる。メグミがギロッと視線を返すが、アズミはその程度に屈しない。

 

「嫉妬って・・・」

「桜雲は気にしなくて大丈夫だから、OK?」

「あ、うん・・・」

 

 何が嫉妬なのか分からなかったが、メグミに強く言い伏せられたので口を閉ざさざるを得ない。そんな2人の様子を眺めるアズミとルミの表情は訳を知っているように微笑んでいるので、疑問は消えない。

 そこへ、空気を換えるようなタイミングで頼んでいた唐揚げと焼き鳥がやってきた。各々が箸を手に料理を楽しんでいく。

 

「いやぁ、こーいう手の込んだ料理ってのは作れそうにないわ・・・」

「本当にね・・・材料とか調味料を用意するのも手間だし・・・」

 

 ルミとアズミが、皿に盛られた唐揚げを見ながらしみじみと呟く。どうやらこの2人、あまり料理は得意ではないらしい。

 

「メグミもそう思うでしょ?」

「あー、そうね・・・唐揚げはちょっと作れないかな・・・」

 

 焼き鳥を食べながらメグミが答えるが、それを聞いてルミとアズミの眼が光る。

 

「・・・その言い方だと、『唐揚げ以外は作れる』って聞こえるんだけど?」

「え?あー、それは・・・」

 

 メグミもルミの指摘を受けて失言だと気付いたらしいが、上手い言い訳が見つけられずに桜雲を縋るようにちらっと見た。それは今は悪手だと思い、桜雲は顔を逸らす。

 

「あら、桜雲は何か知っているのかしら?」

「いや、僕は・・・・・・」

 

 アズミが訊ねてくるが、メグミが弁当を手作りしていると言うことは、ここでは伏せておくべきだと桜雲は思う。

 正面に座っているアズミは、『んー?』と顔をわずかに傾いでいて、お酒が入って少し顔も赤くなっていて、その様子はオブラートに包んだ言い方をすれば色っぽい。

 とりあえず直視するのは難しいので、現状打破のために周りに目をやり、3人の飲み物が空になっていることに気付く。

 

「あー、えっと・・・飲み物がないね。何か飲む?」

「あら、気が利くじゃない」

「羨ましいわー、メグミが」

「何がよ」

「それはまぁ、色々とねぇ?」

 

 場を流すつもりが、却って火に油を注ぐ結果となってしまった。しかし一応、アズミは赤ワイン、ルミはカクテル、メグミはまた生ビールと決まり、桜雲はジンジャーエールにして新たに注文する。

 だが、桜雲は雲行きがだんだん怪しくなってきているのを感じていた。

 酒が入ってくると気も大きくなって、人の本質的なものが見えてくる。それは桜雲が経験したサークルの飲み会で分かっていた。

 だから今、この場で酒を嗜む桜雲以外の3人がどんな行動に出るのかは、正直わからない。もしかしたら変に絡んでくるかもしれないし、それ以上に面倒なことになるかもしれない。

 それを留意しつつ、桜雲は飲み物が来るのを待った。

 

 

 飲み始めてから1時間後。

 アズミは赤ワインのボトルが2本目に突入し、ルミは何杯ものカクテルやサワーを飲み干している。そしてメグミは、3杯目のビールジョッキを傾けているところだ。

 しかし。

 

「いやぁ、お酒は大人の特権よね~」

「そうねぇ。最初飲んだ時はそんなにだったけど・・・今じゃもう虜♪」

「これが飲めることに関しては、歳を取ってよかったと思うわぁ~」

 

 多少声が間延びしていて、顔も先ほどより赤みが増してはいるが、まだべろんべろんに酔っているようではない。

 その最中、アズミがワイングラスを携えながら桜雲に話しかける。

 

「桜雲は飲まないの?」

「飲まないっていうか、飲めないんだよ。1杯飲んだだけでもうだめ」

 

 それを聞いたアズミは、まだ赤ワインが半分ほど入ったままのグラスを桜雲に向けてそっと傾ける。

 

「飲む?」

「いや、飲めないんだってば」

「あら、残念」

 

 アズミはくいっとワインを飲み干す。その仕草が妙に絵になるのは何故なのだろうか。

 すると、桜雲の横で『ゴトンッ』という音と共にビールジョッキがテーブルに置かれた。その音を出したのはメグミで、その目は据わっている。

 

「アズミ、あんまり桜雲をからかわないで」

「はいはい、ごめんなさいね」

「桜雲も、あんまりアズミをジロジロ見ないの」

「う、うん・・・」

 

 本当に酔いが回ってきたのか、メグミが絡んでくる。桜雲に対するその絡み方は若干の理不尽が混じってきているようにも感じたが、それは指摘しないでおく。

 

「なーんか、メグミって桜雲のこと結構気にしてるよね」

「そう?」

 

 ルミの指摘に、メグミはしらばっくれるようにビールを飲む。だがそれだけでは逃げ切れず、アズミも会話に参加してくる。

 

「そうよねぇ?何かここ最近だと2人でお昼とか楽しんでるみたいだし~?今日もこうしてさらっと一緒に座ってるし~?」

「何言ってんのよ?それは別に友達同士でもやってることでしょ?」

「そうだよ。2人が思ってるようなことは特にないから」

 

 メグミに続いて桜雲も関係を否定する。

 だが、2人の心は揃って『辛い』だった。何しろ、桜雲もメグミも心の中では互いのことを好きでいて、友達以上の関係になりたいとも思っているのだから、自分から『ただの友達』と言うのが悲しかった。

 

「いやぁ、でも羨ましいわぁ。男と仲が良いメグミがさ」

「私らにもそういう人がいればねぇ・・・」

 

 桜雲は別に、メグミとだけ仲良くしているわけではなくて、アズミやルミとも知り合ってからはそこそこ話をして、仲良くしているつもりではあったのだが。

 

「ところでルミ、聞いた?OBの元副官、結婚するんですって~」

「えー?ホントに?」

 

 アズミとルミが何やら盛り上がってくる。だが、その話題で今盛り上がるのは非常に厳しいと桜雲とメグミは思う。

 

「大学選抜にいた時から付き合ってたんですって~?」

「え、あの人彼氏いたんだ?全然そうは見えなかったなぁ」

 

 桜雲たちの反応を窺うように、アズミとルミは2人をちらちらと見てくる。何の意味があっての視線なのかは、わざわざ聞くまでもないことだ。

 

「結婚か・・・・・・もうそろそろ、考える時期よねぇ・・・」

 

 以外にも、しんみりとそう呟いたのはメグミだった。桜雲は驚いてメグミの方を見ると、メグミはとても物憂げな表情を浮かべている。

 

「何言ってんのよ、メグミ。隣にいいのがいるじゃない」

 

 ルミに指を指され、桜雲は飲んでいたジンジャーエールを噴き出しそうになる。

 

「だ、だから・・・桜雲はそういうのじゃないって・・・」

 

 咽る桜雲を傍らに、メグミは首を横に振る。

 そんなメグミの顔は赤いが、それは果たして酒だけのせいだろうか。

 

「そっかそか、それじゃあ桜雲に訊いてみようかな」

「へっ?」

 

 突然質問され桜雲は内心震えるが。

 

「桜雲はメグミのこと、どう思ってるのよ?」

 

 一番本質的で根本的な質問を、ルミは投げかけた。

 今、彼女たちは大なり小なり酔っている。酒の力とは良くも悪くも強力で、人の本音と建前の壁を取っ払い、根っこの部分を引きずり出す。

 ルミやアズミは、最近になって仲良くなった桜雲とメグミに対してそんな疑問をずっと抱いてきたのだろう。それは、良心や理性が働いて聞ずにいたのかもしれない。

 しかし今は、その良心も理性も薄らぎ、率直な質問をぶつけてきた。

 訊いた本人のルミはもちろん、アズミも、そして当人のメグミでさえも桜雲を見ている。

 特にメグミは、一言一句聞き逃すまいと桜雲のことをじっと見ている。

 

「・・・・・・その」

 

 ここは居酒屋で、他のお客も盛り上がっている。だが、周りの喧騒が今だけは遠い世界の音と化している。

 6の瞳を向けられて、喉を鳴らす桜雲は思っていることのほんの一部だけを伝えた。

 

「・・・いい人だと、思ってる」

 

 その答えは果たして、吉と出るか、凶と出るのか。

 

「へぇ。なるほどね」

 

 アズミが頬杖を突き、とろんとした目を桜雲に向ける。ワインを飲むアズミは怒っているようには見えず、むしろ面白がっているような感じだ。

 

「よかったね、メグミ」

 

 訊いた本人のルミは、メグミに対してニッと笑いながらカクテルを飲む。先ほどの答えで、ルミはどうやら満足したようだ。

 

「・・・・・・・・・」

 

 ところが、メグミだけは顔を合わせようとはしてくれなかった。そしてビールを呷り、『はぁ』と鬱屈そうな溜息を吐く。

 もしや自分の答えは間違っていたのだろうかと、桜雲は猛烈に不安になった。

 

「じゃあ、私からも質問」

 

 今度はアズミが軽く手を挙げてくる。桜雲は先の質問だけでも十分心が疲れたので、『勘弁してよ・・・』と心の中で嘆く。

 

「この中で、一番可愛いと思うのって誰?」

 

 心が折れそうになった。

 何と答えても角が立つような質問は無視するに限るのだが、なぜか酔っているはずなのに3人の眼が本気になっているようなので、逃げることも許されない。

 答えなければならないのは目に見えているので、どう答えるべきか悩んだが、答えを1つ考えついた。

 

「・・・・・強いて言えば・・・メグミさん」

「その心は?」

「まあ・・・何度か話をしたりして、この中だと一番距離が近いし」

「ほっほう」

 

 下心など一切見せず、ただこの中で比較的親密な関係だからそう見えると思わせる。

 苦肉の策ではあるが、打開策としてはなかなかいいものではないかと思う。

 

「だとさ。よかったじゃん、メグミ。可愛いって?」

「・・・・・・・・・」

 

 だが、そのメグミはルミの呼びかけにも応じずに俯いてしまった。

 桜雲も『変なこと言ってごめんね』とフォローするが、直後にメグミはガバッと顔を上げて残ったビールを飲み干して、やけっぱち気味に4杯目を注文した。

 

 

 そのおよそ数時間後。

 

「ヴあー・・・」

 

 そんな空気の抜けたような声を口から洩らしながら、メグミは机に突っ伏していた。完全に酔いつぶれている。

 桜雲が記憶している限りでは、ビールジョッキを2桁近く空にしている。それも、桜雲が間接的に『メグミが可愛い』と言って以来飲むペースは格段に上がっていた。あのペースであれだけ飲んでは、流石の上戸もこうなるだろう。

 

「美味しかったぁ・・・・・・ひっく」

 

 桜雲の向かい側に座るアズミも、メグミと同じ体勢でしゃっくりをしている。彼女は彼女でワインボトルを3~4本1人で空にしているので、やはり当然の帰結だ。

 

「・・・・・・ふぅ、ご馳走様」

 

 一番意外なのはルミで、彼女も多少顔は赤いがメグミやアズミのように酔いつぶれているようには見えない。彼女が飲んだ酒の量と種類は一番多いはずなのだが。

 

「ルミさんって・・・結構お酒に強い方なの?」

「あー、ううん。今日私が飲んだのって、ほとんどノンアルコールのやつだから」

「え?」

 

 気になって桜雲が聞いてみると、意外な答えが返ってきた。メグミからはルミも飲む方だと聞いたのだが、今日はノンアルコールの気分だったのだろうか。

 

「大学選抜チームでも飲み会は何度かやっててね。この2人はいつもこんな感じで飲みまくるし、私も大体同じような感じになって他の人に送ってもらうことが多かったんだよね・・・」

「へぇ・・・」

「でも、今日ここで全員飲みすぎて動けなくなったら、桜雲に迷惑かけちゃうからね。それはさすがに忍びないから」

「そうか・・・・・・なんか、ごめんね?」

「いやいや、謝ることはないわよ」

 

 今明かされたルミの気遣いに、桜雲も素直に感謝して頭を下げる。

 それにルミは笑って手を振ると、テーブルの上に並べられた空の皿とグラスを見て、『さて』と告げる。

 

「そろそろお開きにしようか」

「うん、そうだね」

 

 時計を見れば、この店に入ってから実に3時間以上が経過している。日没はとうに過ぎているし、明日が休みであってもそろそろ帰るべきだ。

 

「じゃあ、私はアズミを送って帰るから、桜雲はメグミをよろしくね」

「うん・・・・・・・・・うん?」

 

 さも当然とばかりのルミの言葉に、桜雲は納得しかけるが即座に聞き返した。

 

「いや、だから・・・桜雲が、メグミを、家まで、送って?」

「え?」

「流石に私1人じゃアズミとメグミを支えて家に送るってのも難しいし・・・」

「いやいやいや、待って。え?」

 

 ルミの言い分も分かるが、それ以前に問題がある。

 酔った女性を男が自宅まで送るとなれば、何かしらの“間違い”が起きる可能性だって考えられるのだ。無論、桜雲はそんな“間違い”を犯すつもりなどないのだが、ルミにとっての親友をそう簡単に預けてもいいものなのか。

 

「大丈夫だって。桜雲はそんな悪い奴には見えないし」

「いや、でもメグミさんは・・・」

 

 肝心なのはそこで、メグミが桜雲に部屋まで送られたことを不快に思ったら、桜雲との関係にも亀裂が生じる。最悪喧嘩して別れてしまったら、悔やむに悔やみきれない。

 

「そこも平気だと思うよ」

「なんで」

「メグミ、桜雲のことは悪い風に思ってない、と言うかかなり好意的に見てるみたいだから」

 

 ルミのよどみない言葉に、桜雲は改めてメグミを見る。気持ちよさそうに笑って目を閉じているその顔は可愛らしくもあるが、その裏には自分のことを好く思ってくれていると思うと、顔が熱くなってくる。

 だが、まだ問題は別にある。

 

「いや、でもメグミさんの家の住所は分からないし―――」

「ほい、住所」

 

 刹那も間を与えずにメモ用紙を桜雲に渡すルミ。『準備の早いことで・・・』と桜雲が口の中でもごもごと呟きながら、大人しくそのメモを受け取る。

 それでもまだ問題はある。

 

「でも、鍵は?流石にメグミさんのバッグから勝手に取るのは・・・」

「はい。メグミからもしもって時のために、事前に渡されてたの。貸しておくよ」

 

 これで、桜雲がメグミを部屋まで送る条件はすべて整ってしまった。ここまでされては断ることもできないし、ルミ1人に任せるというのも確かに負担が大きいので、ここは大人しく言われた通りにすることにした。

 

「あ、そうだ桜雲」

「?」

 

 果てしなく気まずくて気が重くなってきたが、立ち上がる直前で桜雲にルミが話しかけてきた。

 

「さっきは桜雲、メグミのことを『いい人』って言ってたけど・・・本当のところはどうなの?」

「・・・・・・・・・」

 

 先ほどの桜雲の答えが、本音全てを言っていないというのは、ルミには分かっていたらしい。

 隣に座るメグミを見る。机に突っ伏して目を閉じていて、まるで眠っているかのようだった。それは正面に座るアズミも同じで、舟をこいでいる。

 希望的観測ではあるが、今この場で桜雲が言うことを、酔いつぶれたメグミとアズミは覚えはしないだろう。ルミも恐らく、桜雲が言うことを他人に言いふらしはしないと思う。

 聞いているのがルミ1人、本人たるメグミは聞いていないとなれば、まだ答えることはできる。

 

「・・・・・・言っても、引かないでね?」

「内容にもよるけど」

 

 声を潜めて前置きするが、ルミの冗談めいた答えに桜雲は苦笑する。

 やがて答えた。

 

「・・・・・・素敵な人だと、魅力的だと思ってる」

 

 たとえ酔っていても、好きな人の目の前で第三者に『好きだ』なんて言えないので、本当の本当の気持ちまでは言わなかった。

 

「・・・・・・へぇ」

 

 それでルミもようやく理解し、満足したようで、頷いた。

 

「・・・・・・メグミが羨ましいよ、本当に」

 

 そう言ってメグミを見るルミの表情は、少し悲しそうではあるが、笑っていた。

 

 

 メグミとアズミが酔いつぶれてしまっていたので、代金は桜雲とルミで割り勘となった。後日改めてアズミとメグミにも請求するとルミは言ったが、桜雲は『あまり気にしないでね』とだけ言っておく。

 それからが、桜雲にとっての正念場だ。ルミは言った通りアズミを連れてタクシーで帰り、桜雲もまた半分眠っているようなメグミを支えてタクシーに乗り、ルミに教えてもらった住所の場所へと送ってもらう。

 やがて辿り着いたのは、大学の最寄り駅から少し離れたところにある3階建てのアパート。メモに書いてある住所を見た時も思ったが、桜雲が住むアパートと割と近かった。もうここに来ることは無いだろうとは思うが。

 

「メグミさん、着いたよ?」

「・・・・・・すぅ・・・すぅ・・・」

 

 メグミは完全に眠ってしまっていた。やれやれと思いつつ、桜雲はタクシーの代金を払う。正直言ってこの出費は痛いが、そんなことも言ってられない。

 メグミに肩を貸す形で部屋まで送ることになるのだが、メグミの顔がすごく近い距離にある。酒の匂いに混じった花のように甘い香りが桜雲の鼻腔をくすぐり、腕辺りから伝わってくる柔らかい感触が桜雲の理性を全力で揺さぶるが、前だけを見て桜雲は心をつなぎとめる。

 ただ、メグミの身体は軽く、戦車道の賜物なのかメリハリのある体つきをしているのが否が応でも分かってしまっていて、心臓に悪い。

 そして、間近にあるメグミの顔を改めて見ると、酒気のせいで顔はわずかに赤くなってはいるが、薄いピンク色の唇や、綺麗な肌、艶やかな髪が桜雲の眼をくぎ付けにさせてくる。

 そんなメグミの横顔に惹かれそうになる衝動を抑えて、やっとのことでメグミの部屋の前に着く。そこでもう一度起こそうと声をかけたが反応せずに寝息を立てたままだったので、誠に申し訳ないが部屋に上がらせてもらうことにした。

 

「・・・・・・お邪魔します」

 

 鍵を開けて、小さく呟いてからついにメグミの部屋に足を踏み入れ、壁に手を這わせて電気のスイッチを点けた。

 メグミの部屋の間取りは1Kでそこまで広くはないが、広く感じられるような家具など調度品の配置だ。壁紙や家具は白を基調としたもので統一されており、また掃除もしっかりされているのか塵一つ落ちていない。ローテーブルと2つのクッションがフローリングに置かれ、キッチンも片付けられており、意外というわけではないが全体的に整然としていた。

 そんなメグミの部屋を目の当たりにして、ここで普段メグミが生活しているという事実がふと頭をよぎる。途端に胸がざわざわしだすが、頭を振ってメグミをそっとベッドに寝かせる。

 何とも罪のない幸せそうな寝顔を浮かべていて、桜雲の心が妙にほっこりする。風邪をひかないように、一応布団もかけておく。

 

「さてと・・・」

 

 桜雲は自分の鞄から小さな箱を1つ取り出してローテーブルに置き、ルミからもらったメモ帳の裏に手早くボールペンで何かを書き、それも一緒に置く。

 

「・・・・・・・・・」

 

 改めてそこで、メグミの方を見る。起きる気配は今も全くなく、静かに安らかな寝息を立てている。

 そんなメグミの姿が愛おしく思えてきて、つい、手を伸ばし。

 

「・・・・・・ん」

 

 そっと、その髪を撫でた。

 触れてから、メグミが小さく息を洩らし、身をよじったので、桜雲は慌てて手を引っ込める。なんてことをしてしまったんだと自虐的になってしまい、早々に部屋を出ようとする。この部屋に長くとどまっていては、良からぬ情を覚えかねない。

 だが、またしてもそこで桜雲は気づいてしまった。

 

「?」

 

 先ほどは気にも留めていなかったが、ローテーブルには雑誌が開かれたまま置いてあった。ページの内容からして、料理に関する雑誌のようではある。

 その開かれているページをよく見ると、そこに載っている料理は、この前メグミが桜雲に作ってきてくれた弁当に入っていたのと同じものだった。

 

「・・・・・・・・・」

 

 そのページの端は折られていて、目立つようになっている。さらには他のページにも折り目がついていて、そのページの料理は確かにメグミの弁当に入っていた料理だった。

 

「・・・・・・・・・」

 

 無性に桜雲の心がごぼごぼと湧き上がるように熱くなってくる。

 メグミは以前料理には慣れていないと言っていた。だからそれまでは、料理をすることもほとんどなかったのだろう。

 それでもこうして料理本を持ち、お礼と言って桜雲に弁当を作ってきて、そして今もこのような本を使って料理を作り弁当を桜雲のために作ってきてくれている。それは、それだけメグミが桜雲のことを大切に考えてくれているからではないだろうか。

 

(いやいや・・・変なこと考えたらダメだってば・・・)

 

 ここにいては、自分は冷静ではいられない。

 桜雲は早急に判断して電気を消し、ドアを閉めて鍵をかけ、新聞受けに鍵を入れてその場を立ち去ろうとする。

 夏本番となって昼間は気温も高かったが、陽が落ちた今ではそこまで暑くは感じられない。むしろ涼しく感じる。

 

「・・・・・・おやすみ、メグミさん」

 

 桜雲は小さく告げてから、そんな夜の町を自分の家めがけて走り出した。

 

 

 カーテンの隙間から陽の光が差し込み、メグミの顔に当てられる。

 

「んん・・・・・・っ」

 

 ベッドの上で目を開いたメグミは、直後鋭い頭痛が頭を貫いて、思わず頭を押さえる。

 

「また飲みすぎた・・・」

 

 昨日飲んだ酒の量は普段とあまり変わらなかったが、大体翌日は二日酔いに悩まされる。

 しかも昨日は、初めて桜雲と一緒に居酒屋に行った。自分の想っている人と、だ。それだけで十分に緊張するものではあった。

 だというのに、アズミとルミが桜雲と妙に仲良さげなのを見て無性にモヤっとして、それを払拭しようとペースを早くしすぎた。結果酔いつぶれて、またこうして二日酔いに悩まされている。

 

「・・・・・・って、あれ?」

 

 体を起こして周りを見て、そこでメグミは気づいた。

 今自分がいるのは、メグミ自身の部屋だと。

 

「・・・送ってくれたのかしら」

 

 昨日は居酒屋でビールを飲んだ後の記憶が朧気だ。誰かに支えられながらタクシーに乗り込んだところまでは、なんとなくではあるが覚えている。だが、誰に支えられたのかは思い出せないし、途中から眠ってしまったのか記憶は完全に無くなっていた。

 ルミか、アズミが送ってくれたのだろうか。でも桜雲は違うだろうなと、メグミは思った。

 またしても二日酔いの頭痛が襲ってきて『いたた・・・』と告げながら頭を押さえるが。

 

「・・・?」

 

 ローテーブルに小さな箱と、1枚のメモが置かれているのに気づく。

 ゆっくりと起き上がってその箱を手に取ると、それは整腸作用もある二日酔いに効く薬。そしてメモの方にはこう書かれていた。

 

『メグミさんへ

 ルミさんから送るように頼まれて、お邪魔させていただきました。

 起きたら薬を飲んで、ゆっくりと休んでください。

 それではまた、大学で。

 桜雲より』

 

 メグミは絶句した。

 まさかの、昨日居酒屋からここまでメグミを送ってくれたのは、違うだろうと思っていた桜雲だった。

 つまりメグミは、知らない間に自分の部屋に好きな男を上げてしまっていた(?)わけだ。

 そして送られてきたと言うことは、桜雲は恐らくメグミのことを支えて送ってくれたのだろう。肩を貸す形だったのか、背負う形だったのかは分からないが、どちらにしたって桜雲と密着していたことになる。

 途端に猛烈に恥ずかしくなってきて、メグミの顔が赤く染まっていく。二日酔いの頭痛などどこかへ消え去ってしまっていた。

 もしかしたら、何か見られて恥ずかしいものさえも見られてしまったのではないかと思い、視線を配ると同じローテーブルの上にある料理雑誌が目に入る。ページの端まで折られているそれは、自分の衣類ほどではないが見られて恥ずかしいものに値するものだった。

 

(うああぁぁぁぁぁぁぁぁぁああ・・・・・・!!)

 

 恐らくこの雑誌は、桜雲も見ただろう。だって、あのメモは雑誌のすぐそばに置いてあったのだから。

 恥ずかしさのあまり布団にもぐって身体を丸め呻きたい衝動に駆られる。

 だがそれは後にして、まずは送ってくれた桜雲にお礼を言うことの方が先だ。

 そこでメグミは二日酔いなど完全に無かったことのように素早く起き上がり、バッグの中からスマートフォンを取り出して、桜雲へ連絡しようとする。

 

「・・・・・・・・・」

 

 だが、やはり恥ずかしさがこみ上げてきて、結局スマートフォンを持ったまま数分ほど硬直してしまうことになった。




T28の車長・真鶴の名前は、
出身校の聖グロリアーナ女学院の本籍地である神奈川県の地名から戴きました。

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