駅の近くに植えられたイチョウの樹から、けたたましいミンミンゼミの鳴き声が響いてくる。路上をトコトコ歩いていたハトの群れが、ふとした拍子に翼を広げて飛び立っていく。
そんなハトを見上げ、セミの鳴き声を聞き流しながら、桜雲は小さく息を吐いた。
「・・・暑いなぁ」
空にはギラギラ光る太陽。8月に突入して、ここ最近のニュースでは『過去最大級の猛暑』と報じられている。毎年『過去最大級』とか『観測史上最大』とかそんな感じのことを言っているので、そんな調子で言っていると言葉の価値もストップ安だろう。
「・・・・・・」
腕時計を見る。待ち合わせの時間までまだ少しあるが、ここ数分の桜雲が時計を見る間隔は狭い。これから始まることは、桜雲にとってはずっと待ち焦がれていたことなのだから、浮かれるのも、待ち遠しくて時計を何度も見るのも仕方ないのだが。
「桜雲~」
そんな桜雲にかかる1つの声。それは、メグミのものだ。
彼女は白のインナーに薄い青色の前結びブラウス、下はストレートデニムと清涼感を抱かせる服だ。肩には白のショルダーバッグを提げている。
「ごめんなさい、待った?」
「ううん。今来たところ」
気持ちが逸ってしまい、待ち合わせの10分前に来てしまっていたことについてはそっと胸にしまっておく。
「それじゃ・・・行こうか」
「ええ・・・今日はよろしくね」
「こちらこそ」
お互いに並んで、駅の改札へと向かう。
その足取りや表情は、傍から見ればどことなく嬉しそうにも見えるだろう。
それもそのはずで、今日は2人にとって初めてのことである、デートなのだから。
そもそもどうしてこうなったのか。それは桜雲がメグミに『一緒に出掛けよう』と誘ったことに他ならない。
事の発端は、1週間前。桜雲がメグミ、アズミ、ルミの3人と飲みに行った日の翌日。
桜雲に自分の部屋まで送ってもらったことを知ったメグミは、恥と後悔を忍んで桜雲にお礼とお詫びをするために電話をかけた。
「本当に、ごめん!まさか桜雲が送ってくれるなんて思わなくて・・・」
『ううん、大丈夫。気にしないで』
酔った女性を家まで送ったことを全く苦とも思っていないような声色に、メグミは心底桜雲が優しいと思う。
だが、その優しさに触れて気が緩みそうになる前に。
「でも、何かお礼をさせてくれないかしら?正直、ここまでしてもらって何もしないのは・・・」
『いやいや、ホントに気にしなくて大丈夫だから、ね?』
「でも・・・」
『まあまあ・・・』
そんな感じで一歩も譲らない応酬が続いた末に、桜雲が悩むように小さく唸ってから告げた。
『じゃあさ、メグミさん・・・』
「?」
『1つ、提案いいかな?』
「言ってみて?」
今回迷惑をかけてしまったのは完全にメグミであり、しかもその迷惑をかけた相手は想い人と来た。ならば、その迷惑を帳消しにすることができるように、桜雲の頼みには可能な限り応えたい。
『今度の休みの日・・・一緒に、出掛けない?』
「え」
メグミの心が真っ白になり、桜雲の言葉だけが浮かび上がる。
『最近メグミさん、大学選抜の練習が続いて疲れてるんじゃないかなって思って。だから・・・また一緒に猫カフェとかに行って、リフレッシュしたらどうかなって』
ほんの少し、メグミは考える。確かに、夏休みに入ってから大学選抜チームの練習はほぼ枚に続き、おまけにくろがね工業との試合も近いので訓練はハードモードだ。
だからこそ、どこかで休息をとろうと思っていたし、それは桜雲にも話していた。『一緒に猫カフェに行こう』とも話していたので、その提案はタイミングが良かった。
その誘いが嬉しくて、メグミは思わずこう言ってしまった。
「・・・・・・それはつまり、デートのお誘いかしら?」
電話の向こうの桜雲が息を呑んだのが分かる。
ちょっと意地悪しちゃったかな、と思いメグミは『ごめんね、からかって』と言おうとしたが。
『・・・そう受け止めてもらっても、大丈夫だよ』
控えめなその言葉に、今度はメグミが息を呑む番となった。
自分で蒔いた種なのに、手痛い反撃を食らってメグミも思わず目を伏せる。
「・・・そっかぁ。うん、でもいいよ。一緒に行きましょ?」
『分かった、ありがとうね』
あくまで冷静に、努めてメグミが返す。桜雲もようやく緊張が抜けたようだ。
斯くして、デートかどうかはさておいて、メグミは次の休日に桜雲と共に出掛けることが決まった。
まず最初に今日行く場所は、事前にメグミにも話してある。
「結構昔ながらの家みたいな感じで、いい場所だよ」
「へぇ・・・それは楽しみね」
その場所とは猫カフェではあるが、これまでとは違い桜雲が何度か行ったことがあるお気に入りのお店だ。その言葉通り昔ながらの家のような感じのする場所で、さらに近くには大型の商業施設もある。休日を過ごすのにはもってこいだろう。
最寄り駅で電車を降りて街へ出ると、夏休みシーズンに加え休日なのもあって人の行き来は割と多かった。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
そして猫カフェまでの道で、自然と2人の間に会話がなくなってしまった。
桜雲もメグミも、1週間前の飲み会(帰路含む)でのあれこれを覚えているから、その時のことを意識してしまって言葉が紡げない。
そんな状況が数分続いて、誘った本人の桜雲が何か話した方がいいと思って話題を探す。
「・・・メグミさん」
「?」
着目したのは、メグミの服だ。
「今日のメグミさん・・・」
「?」
「何て言ったらいいのかな・・・。いつもと違って、すごく・・・綺麗だ」
言われて、メグミは少し頬を掻く。
今日のメグミの服は、普段とは違って少しばかり活発さと清涼感を持たせる服だと、自分でも思う。
桜雲は、その服装も相まってメグミが可愛く見えた。しかし可愛いと言うのは些か恥ずかしくて『綺麗』とぼかしてしまったが。
「・・・ありがとね」
その変化に気づいてくれたことを、メグミは嬉しく思う。
今日のこの服は、ファッション系の雑誌やネットを見て、自分に合うような服はどんなだろうと自分なりに調べ、さらには同じ戦車の通信手・生月の知恵も借りた結果のものだ。
その服を桜雲に褒めてもらえたのだから、調べたことやアドバイスが無駄にならなくて本当に良かったと思う。
そして、その変化に桜雲が気付いてくれたことが、メグミは嬉しかった。
「・・・・・・」
その嬉しいという気持ちを抑えられず、メグミは隣を歩く桜雲の手をそっと握った。
その行動に桜雲は驚きメグミを見るが、彼女が穏やかな笑みを浮かべているのを見て、桜雲は何も言わず小さく笑う。
そしてその手を、優しく握り返した。
メグミの手は少し温かくて、そして柔らかかった。
駅から10分ほど歩いた場所にあるその猫カフェは、一見昔ながらの木造二階建ての一軒家にしか見えない。
「ここが、その猫カフェ?」
「うん」
だが、この建物こそが、桜雲のお気に入りの猫カフェだ。大きな看板が出ているわけでもなく景観に溶け込んでいるので、知る人ぞ知る穴場のような場所らしい。
そこでメグミは、桜雲と手を繋いだままだったことを思い出し、慌てて手を離す。
「あ、ごめんね?馴れ馴れしく触っちゃって」
「ううん、平気・・・僕も嬉しかったし」
そこでぽろっと本音が零れてしまった。
桜雲は『しまった』と内心焦ったが、メグミは一瞬ぽかんとした表情を浮かべた後で嬉しそうに小さく微笑んだのを見て取り消せなくなる。
結局、そそくさと扉を開けて中に入ることにした。
「いらっしゃいませ~」
出迎えてくれたのは初老の女性。彼女こそがこの猫カフェの店長だ。
「こんにちは、予約していた桜雲です」
「あら、こんにちは~。いつもどうも~」
何度かこの猫カフェに通っている桜雲は、すっかりおばちゃん店長に顔を覚えてもらっていた。最早桜雲とは顔馴染みぐらいの関係である。
そこで店長は、桜雲の少し後ろに立つメグミに気付いた。
「あら、そちらの方は?」
桜雲はここに来る時は、いつも一人だった。それは店長も知っていたから、桜雲が今日初めて連れてきた誰かが気になった。
「あ、ええと―――」
「ひょっとして、彼女さん?」
桜雲が説明する前に、おばちゃん店長は軽く笑いながらそんなことを宣った。休日に男女が揃って私服で来れば、そう見える可能性は少なくないだろう。かといって、これは流石に読めなかった。
ちなみに桜雲は気づいていないが、その言葉にメグミの顔はまた赤くなってしまっている。
「いえ、ただの友達ですよ」
「あら、そうなの?ごめんなさいね」
桜雲が事実を伝えると、店長は大人しく引き下がった。やれやれ、と思いつつ桜雲は2人分の代金を払う。ただし、桜雲は自分の言葉に胸が締め付けられるようだったし、メグミだってちょっとばかり寂しかった。
それはともかくとして、桜雲とメグミは消毒をしてから中に入る。
カフェの中は本当に昔の家のようで全面畳張り、木の箪笥や卓袱台も置かれている。配置されている木製のキャットタワーも黒いニスが塗られており、縁側からは庭を臨むことができる。
そして、そんなどこか懐かしさを抱かせるような空間を彩るのは、やはり猫だった。座布団の上に寝転がっていたり、卓袱台の下から来訪者の様子を窺う猫もいる。天井の梁から中を見下ろす猫もいた。
「・・・本当に、イイ感じの場所ね」
先ほどの店長の発言による恥ずかしさから立ち直ったメグミが、中を見回して呟く。
これまでメグミが訪れた2軒の猫カフェは、どちらもここのような和風な感じではなく、洋風または近代的な感じがした。だからここの雰囲気が新鮮に思える。
「桜雲が気にいるの、分かるかも。こういうところが何だか似合うし」
「そうかな?」
メグミから見れば、穏やかでのんびりとした桜雲には、ここのような味わい深い落ち着いた場所が似合うように思える。
卓袱台の近くに桜雲とメグミが腰を下ろすと、早速1匹の白い猫がトコトコと近づいてきた。
「この子は結構人懐っこい子でね。大体自分から来てくれるんだ」
桜雲が顎の下を指で撫でると、早くもゴロゴロと喉を低く鳴らし出す。
試しにメグミが人差し指を伸ばすと、白猫は躊躇もなく鼻を擦り付けてきた。
「・・・久しぶりかも。猫と触れ合うのって」
白猫の横顔を撫でるように、メグミが手を動かす。猫の顔が少しだけぶにっと歪み、それが可笑しくてメグミは小さく笑う。さらに耳の付け根や顎の裏を優しく撫でて、気持ちよさそうに目を細める白猫。そしてついには、メグミの傍で横になった。
「それでもメグミさん、もう猫に触るのに慣れているみたいだね」
寝転がる白猫のお腹を撫でるメグミに、桜雲がそう告げる。そんな桜雲も、グレーの縞模様のサバトラの猫を撫でていた。
「桜雲に教えてもらったんだもの。簡単に忘れたりはしないわ」
白猫を撫でるメグミの手つきは優しく、愛おしむかのような笑みを浮かべている。その様子をトリミングしたら、一枚の絵になるんじゃないかと思える。
その様子に目を奪われつつも、桜雲はサバトラの背中や耳の付け根を優しく撫でる。すると、サバトラは桜雲の脚の上に丸まって寝転がった。
「桜雲もやっぱり上手ね」
「まあ、これが取り柄みたいなものだし」
そういう桜雲だが、メグミに褒められて満更でもなかったりする。
ふと縁側の方を見ると、太陽の光が差し込んで明るい部分に猫が寝転がっている。外は暑いがこのカフェの中は冷房が効いて涼しいので、あの部分は猫にとっては丁度いい温度なのだろう。
「・・・美味しい」
振り返ってみれば、メグミが湯飲み茶碗を傾けて何かを飲んでいた。卓袱台にはもう1つの同じ茶碗と煎餅が置かれており、先のおばちゃん店長が奥へと引っ込んでいく。どうやら、冷たい緑茶とお茶請けを持ってきてくれたようだ。
桜雲も有り難く受け取り、一口飲む。心地よい冷たさが、喉を通り抜けていく。
「お茶とお煎餅ってサービスしてくれるのね」
「うん、他の飲み物は別料金だけど」
ここは基本料金にドリンク代が含まれていないため、比較的安い方だ。それにこうして緑茶と煎餅を用意してくれるのだから、頼まなくても問題ない。
「なんだかね・・・猫を撫でてると、疲れとか不安とか・・・抜けていくような感じがする」
白猫の背中を指でつうっと撫でながら、吐息交じりにメグミは言う。
猫を撫でることで得る感触は、形容しがたいほど心地よいものだ。それに加えて、生き物故のぬくもりがある。そんな猫に触れていると、自然と心の中のしこりが解れていくようだ。
「・・・それが、癒されてるってことだと思うよ」
「・・・かもね」
メグミは猫を撫でる手を止めない。桜雲の脚の上のサバトラが撫でるのを催促するように鳴くと、『はいはい』と言いながら頭を優しく撫でる。
「もうすぐ試合だし・・・ちょっと不安だったから」
「・・・あと1週間だね」
試合とは、前から話に上がっていたくろがね工業との試合だ。桜雲の言う通りあと1週間ほどしかなく、刻一刻とその日は近づいている。
「やっぱり不安なんだ」
「それはもちろん」
それも仕方がないと思う。
桜雲がメグミと同じ立場にいたら、やはり不安になる自信がある。戦車道を歩むメグミは逞しいと思っているが、いかに彼女でも自分が副官で、しかも相手は経験豊富で強力な社会人チームとなれば、気弱になってしまうのも無理はない。
「これまでも社会人チームとは戦ったことがあるけど、今度ばかりは格が違うし」
メグミも大学選抜チームに入ってから、社会人のチームと戦うことは何度かあった。しかし、今までの相手はどこもくろがね工業のように『べらぼうに強い』と言うわけではなく、『そこそこ強い』レベルだった。
そんな相手との戦いを前に、メグミ自身少し気弱になっていたところもある。
「でもね・・・こうして猫と遊んでいると、そんな不安な気持ちも軽くなっていく感じがするのよ」
「・・・それはよかった」
傍で寝転がる白猫のお腹を、メグミは少し荒っぽく撫でる。『ふみゃ』と気持ちいいのか嫌なのか分からない声を上げる白猫。桜雲が『ほどほどにね』と注意すると、その手をピタと止めた。
「ところで、2階もあるの?」
メグミが後ろを振り返ると、そこには確かに上へと続く階段がある。猫が入らないように柵が設置されているが、近くには『御用の方はお声がけください』と注意書きがあった。
「ああ、2階には小物とかが置いてあるんだ。買うこともできるよ」
「へぇ・・・ちょっと見てみたいかも」
「分かった」
桜雲は、脚の上に寝転がっていたサバトラをそっと下ろして立ち上がる。おばちゃん店長を呼んで一言二言話すと、『行こう』とメグミを上へ促した。
メグミと共に2階へ上がると、そこもまた畳張りとふすまの戸が懐かしさを感じさせる部屋だった。
そんな部屋の中央のテーブルには、ペンダントやブローチなどのアクセサリーや本の栞が並べられていて、壁には手作りと思しき時計が掛けられている。
「あっ、可愛い・・・」
そこに飾られているものは全て、猫をあしらったものばかりだった。例えばハンカチには猫の刺繍が入っていて、ペンダントのロケットの部分には猫のシルエットの模様入りである。壁に掛けてある時計も振り子の部分は猫の形になっていた。
「・・・手作りみたいだけど、全部あのおばあちゃんが?」
「全部じゃないみたい。知り合いの人も協力して作ってるんだって」
「へぇ・・・」
メグミは商品を流し見して、ふと思う。
「・・・ホント、ここはまた変わったところよね・・・」
こうしてハンドメイドの商品を売っていることもそうだが、何よりもこの猫カフェ自体のコンセプトがこれまで行ったどことも違う。
「確かにそうだね・・・」
聞いた話では、元々ここはおばちゃん店長とその夫で二人暮らしをしていた家だという。しかしその夫が先立ち、元々猫好きだったおばちゃんが人との出会いのきっかけになればと思い猫カフェを始めたらしい。
数年ほど経った今では大分人も来るようになり、楽しくやっているようだ。
「いいよね、こういう感じの場所・・・」
部屋を見回しながら告げる桜雲は、どこか羨ましそうな声だった。
メグミは商品を見る手を止める。
「・・・桜雲ってもしかして・・・将来はこういう仕事に?」
「ううん、そうはならないかな」
猫が好きで、こういった猫カフェも好きでいるのなら、猫とかかわる仕事に就く未来も考えられた。
だが、桜雲の答えは否だった。
「やっぱり、生き物を扱う仕事に就くとなると、絶対に別れの場面に立ち会うことになるだろうから。それに僕が耐えられるかって訊かれると、素直には頷けないし・・・」
別れの場面とは、生き物を飼っているうえでは避けては通れない『死』のことだ。それはメグミにも分かる。
そして、命あるものの死とは何らかの形でネガティブな感情を芽生えさせる。それに耐えられなければ、生き物にかかわる仕事など到底就けない。
その自信が桜雲にはないから、そのつもりはなかった。
「僕の実家の猫も大分歳だし・・・いつまでも遠回しにはできないことなんだけどね」
桜雲はまだ、その別れの場面に直面したことはない。しかし桜雲の実家の猫はその言葉通りのご老体だから、知らなければずっと無関係とも言えないのだ。
「それで、できれば・・・猫を不自由なく飼えるようにはなりたいかな」
「あ、猫は飼うのね?」
「うん。こうして猫カフェで色んな猫と触れ合うのも楽しいけど、家族として猫と一緒に暮らすのにも憧れてるから」
小さい頃に猫を飼い始めて、実家で暮らしている間はずっと一緒だったから家族みたいなものだと、桜雲は言っていた。
だから、実際に『別れ』の場面に立って、耐えることができるのであれば、独り立ちしてから猫を飼うつもりなのだろう。
生き物の命と向き合う仕事に就けば、別れの場面に立つ機会も多くなり、最初は耐えられても次第に疲弊する。だが、家族として向き合うのならば、できるかもしれない。
桜雲は、自分の将来を少し考えたところで、1つ気になった。
「メグミさんは・・・戦車道を続けるの?」
「そうね・・・。私にとって戦車道って、切っても切れないようなものだし。将来はプロを目指してるわ」
プロを目指すというのは口で言うのは簡単だが、そこに辿り着くことは簡単ではない。
だが、桜雲はその夢を笑い飛ばすことも、『無理なんじゃない?』と無下にすることもなく。
「・・・できるよ、メグミさんなら」
ここ最近のメグミの戦車道での成果は、メグミの話に加えて練習を観ていたから知っている。あの島田愛里寿の戦車に大きなダメージを負わせ、T28の配備も認められるほどの腕に成長した。それはメグミ1人のものではなく、メグミのパーシングの乗員たちの力によるものではあるが、それでもメグミの実力だって含まれている。
難しいかもしれないプロ選手と言う夢を、実現できるかもしれないと思わせてくれるほどに、メグミは強くなっていた。
「僕は、メグミさんの夢が叶うように応援する。だから、頑張って」
そしてメグミに惚れた男としては、その夢が実現するように祈り、願い、そして背中を押して応援するだけだ。
そんな桜雲の言葉に、メグミは嬉しそうに笑った。
「・・・ありがとう」
その猫カフェには、およそ2時間ほど滞在した。メグミも桜雲も、猫じゃらしなどのおもちゃで猫と戯れ、猫を膝に乗せてまったり撫で、これでもかと言うほど寛いだ。
桜雲はそんなメグミの様子を見て、少し微笑ましくなりつつも、リラックスできていると安心した。
「これ、2つください」
「はーい」
帰りがけにメグミは、2階の小物コーナーで何か良いものを見つけたらしく、1階のレジでそれを買っていた。桜雲が支払おうとしたが、メグミはそれを拒み自分で払う。
そして今2人は、猫カフェに来る途中に見つけた喫茶店にいる。そろそろお昼時だったが、猫カフェで煎餅を出してもらったのでそこまで空腹ではなく、何か少し食べておこう程度の感覚だった。
「なんか・・・ごめんね?払わなくて・・・」
「謝ることはないわ。だって、この前は桜雲に色々迷惑をかけちゃったし・・・」
それは1週間前の飲み会のことを言っているのだと、桜雲はすぐに気付く。
あの時4人分の食事費の半分+タクシー代を払ったのは正直痛かったが、それで別にメグミに腹を立ててはいない。
だから過剰に気遣わなくていいし、今日こうしてメグミと2人で出掛けているだけで十分お釣りがくるようなものだ。
しかし、メグミは貸し借りについてはきっちりしているようである。
「それで、何を買ったの?」
「これよ」
紙袋からメグミが取り出したのは、ロケットの付いたペンダント。猫の模様が入ったロケットが付いている代物だ。
2つ買ったと言うことは、1つはメグミが持つとして、もう1つは誰かに渡すのだろう。一番濃厚なのは愛里寿だが、あるいは誰か恩師に渡すのかもしれない。
「はい、桜雲」
「へ?」
「あなたにこれ、プレゼント」
桜雲の予想はことごとく外れ、そのペンダントは桜雲に差し出された。
そんなペンダントを差し出すメグミは、いつものように笑ってくれている。
それを受け取る前に桜雲は聞いておきたかった。
「・・・なんで、僕に?」
「それはもちろんこの前のお礼。それと、親愛の気持ちも込めてね」
親愛、と言われて桜雲の心が跳ねそうになる。メグミとは仲が良いと自分では思っているつもりだったが、いざ実際にメグミからそう言われると嬉しくなってしまう。
その嬉しさを噛み締めながら、桜雲は手を伸ばしてペンダントの入った箱を受け取る。
「ありがとう、大切にするね」
そのペンダントを慎重に鞄に仕舞う桜雲。
「でも、いい場所だったわ。あの猫カフェは」
「でしょ?」
先ほどの時間を思い出すメグミ。素朴な感じがするような場所ではあったが、とても居心地の良い場所だった。桜雲が気に入るのも頷ける。
「この後は・・・どうする?」
この後の予定は、特に決まってはいない。『猫カフェに行く』と言う当初の目的は達せられたので、後はどこへ行くのも自由だった。
桜雲はどこへ行きたいという希望はないし、ぶっちゃけメグミと一緒であればどこでもいいぐらいだ。
「そうね・・・・・・あの駅近くのモールが気になったから、あそこへ行ってみたいかな」
「よし、分かった」
来る途中でも見かけたあの大型商業施設。先ほど手早く調べてみたが、色々なお店が並んでいるようだった。多様なジャンルを網羅しており、ただ見て回るだけでも楽しいと書いてあったので、2人で回るにはうってつけだろう。
「・・・ねぇ、桜雲」
そしておもむろに話し出すメグミ。だが、その顔と声はどこか申し訳なさそうだった。
「改めて・・・言わせて。この前の飲み会は、本当にごめんなさい。あなたに迷惑をかけちゃって・・・」
「そのことならもう十分だよ。今日、メグミさんと一緒に出掛けられてるわけだし」
今日桜雲とメグミが一緒に出掛けているのは、桜雲のたってのお願いだ。それはメグミ自身も分かってはいるが、この程度で本当にお礼になっているのかどうかが不安なのだ。
「それに・・・」
桜雲が、手の中のグラスへと視線を落とす。
「メグミさんとは、こうして・・・・・・デートしたかったし」
水を飲もうとしたメグミの動きが止まる。
桜雲ははにかんで見せているが、その顔にはわずかな朱が混じっており、恐らく自分でも恥ずかしいことを言ったという自覚があるのだろう。
そしてメグミが思い出すのは、この前の桜雲からの誘いの電話。あの時も『デート』と言う単語が上がった。
それを思い出し、そして桜雲から同じ言葉を聞いて、同じぐらい顔が赤くなってしまっている。
何せ、嬉しいのだから。そんな言葉を桜雲からかけて貰えたことが。
「・・・えっと・・・・・・」
上手く言葉が紡げないが、今この場で黙ってしまっていては、恥ずかしさだけがこの場に留まってしまう。
何か言わなければと、メグミがあれこれ悩んだ末に。
「私も、同じ。桜雲とは・・・一緒に出掛けたかったから」
「・・・・・・・・・」
「だから、誘ってくれて・・・ありがとう」
ハッと桜雲が顔を上げる。
その桜雲の反応を見て、メグミもまた恥ずかしいことを言ってしまったのだと気付いた。
「・・・そうなんだ。何か、嬉しいよ」
俯いてそう言った桜雲はそれっきり、顔を上げようとはしなかった。
メグミは『やってしまった』と心の中で少し後悔する。
こうして男と2人だけで出掛けたことなどなく、ましてや相手が恋慕している者となれば、なおのことどんな言葉をかけていいのか分からなくなる。その結果、今のような何とも言えない微妙な雰囲気になってしまった。
結局、その気まずい雰囲気は店員がコーヒーと料理を持ってくるまで晴れることはなかった。
流石に後ろめたいことがあるとはいえ、喫茶店の代金までメグミに払わせるわけにはいかず、代金は割り勘と言うことになった。
店を出て外を見上げれば、青空に白い雲がぽつぽつと浮かんでいる。まっさらな青空よりも、こちらの方が夏らしく感じる。
そんな感じで空を見上げるメグミは、まだ先ほどのやり取りが尾を引いていて、少しだけ気まずかった。
メグミがそんな感じで少し気持ちが下向きになっているのに気づいた桜雲は。
「・・・それじゃ、行こうか」
メグミに手を差し伸べる。
メグミはほんの少し迷ったが、桜雲の優しい笑みを見ると、その手をそっと握る。
桜雲も優しく握り返し、2人は並んでモールへと向かう。
そして、モールでのショッピングは午後の時間を丸々使って楽しんだ。特別どこを見て回ろうとは決めずに、気になったお店に片端から入ってみた。
雑貨屋では目新しい小物を見て2人してほうほうと頷き、洋服店では『中々センスには自信がないわね・・・』『僕も・・・』と苦笑して、さらにはバッグや帽子、甘い香りの漂うアロマのお店も見て回った。
「ここは・・・割と普通なのね」
「まあ、あの店が特殊なんだろうね・・・」
中にはペットショップもあって2人はそこも見てみたが、以前行った場所とは違いフクロウやカワウソのように突飛な動物はいなかった。仔犬や仔猫とウサギが数匹だけだが、それでも十分だと思う。
2人の目当ては専ら猫だったので、ゲージの中の猫を軽く眺める。猫カフェのように人慣れしているわけではないので、少し猫はそっけなかったが。
それでも、2人で色々なお店を回ることができたのは楽しかったし、実にデートらしいと思う。
2人で歩いている中で、桜雲は度々メグミのことを見ていたが、彼女も十分リフレッシュできていたと思う。戦車道の訓練の疲れを癒し、1週間後のくろがね工業戦に対する不安もある程度払拭できたかもしれない。
何にせよ、とてもいい1日となった。
「あら、メグミ。桜雲も」
モールの『せんしゃ倶楽部』と言う戦車道ショップでアズミとばったり会わなければ。
「「・・・・・・・・・」」
メグミと桜雲は、硬直する。ただ気になったから入ってみた店で、偶然にも知り合いと出会うとは、何たる偶然か。
「・・・この前ショッピングに誘ったのに断ったのは、そういうことね」
アズミの言葉に、桜雲は『えっ?』と小さく口の中で言いながらメグミのことを見る。
メグミはなおも、ここでアズミに見られてしまったことを深くと思っているようで、ぐぬぬと言った感じの顔をしていた。
「あれ?」
後ろから声がかかる。桜雲が振り返ってみれば、そこには私服のルミの姿が。
どうやら、アズミとルミは2人でこのモールにショッピングに来ていたようだ。
それはともかくとして、アズミだけでなくルミにまで今を見られてしまったのは非常によろしくない。
そして、その予感は的中してしまった。
「さあさ、ルミ?お邪魔虫は退散しましょうか♪」
「そうだねー。それじゃ2人とも、ごゆっくり~」
アズミとルミ何かを察したように笑って、肩を組んで去ってしまった。
メグミは顔を押さえる。よりにもよって見られたくない奴に見られてしまった。
「しまった・・・・・・・・・迂闊だったぁ・・・」
「まあまあ・・・」
うなだれるメグミの方を優しく慰めるように小さく叩く桜雲。桜雲だって、メグミと2人でいるところを見られたのは確かに恥ずかしかったが、何事にも例外と偶然はつきものなので仕方がないと諦めた。
その後は気を取り直してせんしゃ倶楽部の中を見て回り、満足したところで2人はそろそろ帰ろうと言うことになった。
「今日はありがとうね、付き合ってもらって」
「こちらこそ。私も楽しかったわ」
モールを出て駅へ行くまでの間、2人は並んで歩く。楽しい時間が過ぎるのはあっという間で、太陽もすでに傾き始めている。
「でも、特に何も買わなかったけど、大丈夫だったの?」
「ええ。そんなにまだ欲しいものはなかったし」
色々見て回ったが、桜雲もメグミも何かを買うことはなかった。それは別に悪いことではないのだが、少しばかりに気になった。
「桜雲と一緒に過ごせただけで、十分嬉しいし」
けれど、そんな嬉しいことを言われては桜雲も何も言えない。メグミがそう思ってくれたことは桜雲にとっては至上の喜びである。それにとやかく口答えするなど、考えられない。
「・・・ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいよ」
「それに、これが買えたし」
メグミはバッグの中から、先ほどの猫カフェで買ったペンダントの入った箱を取り出す。
「今度の試合、これを着けて頑張るわ」
試合中はピアスや指輪、ブレスレットなどの目に見えるようなアクセサリーの着用は原則として認められていない。戦車道には、礼儀礼節を重んじる淑やかな女性を育むという理念があるからだ。
だが、ペンダントであればユニフォームの下にあるから隠れて見えないだろうというのが、メグミの意見だった。
「・・・じゃあ、僕はこれを着けて応援する」
桜雲も自分の鞄から、メグミが持っているのと同じものを取り出して見せる。
メグミがそのペンダントを着け戦うのであれば、自分は同じものを着けて応援する。それだけで、なぜか自然とメグミと戦っているような気持ちになれる。
「それで、試合が終わったら、次の休みにまた一緒に出掛けよう」
「ええ、いいわよ」
今日のことは、最後のアクシデントを除き、桜雲にとってもメグミにとっても楽しかった。
今日のような楽しいお出かけ―――デートをまた一緒にと約束する。それだけで、メグミは今度の試合は頑張れる。モチベーションが上がる。
そして桜雲は、その時にはメグミのことを心から労いたいと思う。勝つと信じているが、勝っても負けても、それでも桜雲はメグミの傍にいたいと考えている。
その時が来たら、できることなら、自分の想いを全て告げたいとも思っていた。
次回、くろがね工業戦
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