我は一つの狂った獣
病毒の風を撒き散らしながら
己を捉える檻を欲す
†
つまらない人生だった。
屹度、自分がレーズンのように干からびた老婆になるまで人生を続けたとして最後に呟く言葉はそれだろう。
そういう自負がセレニケ・アイスコル・ユグドミレニアにはあった。
アイスコル家の工房に一人、ふと生贄に使う鳩や兎を入れた檻を見るといつもそんなセンチメンタリズムに駆られるのだ。
『私はまるでこの哀れな犠牲者達と同じ』だと己の中の己がせせら笑っているかのように。
黒魔術師の家に生まれ幼い頃から徹底した教育の下に育てられた。黒魔術という魔術は鳥や小動物、時には人を生贄に捧げるという性質を持つ為、あるほの暗い資質が使用者に求められる。
それは躊躇わないこと。それがいかなる懇願をしようとも解体し切る非情さ。
そして昂らないこと。それがいかに淫靡な悲鳴で蠱惑しようと遣り過ぎない沈着さ。
その両方を備えて初めて黒魔術師は黒魔術師である。そして、セレニケはアイスコル家の老婆たちにそのようになることを義務付けられて生きてきた。
セレニケは魔術的な才能に恵まれた子供であった。中世、魔女狩りから逃れシベリアに流れてきた過程でそれまでの土地で築き上げた魔術基盤を失い衰退していたアイスコル家の期待の一心を背負えるほどに。
セレニケはこの期待に応えることが出来る子供であった。老婆たちが授けた教えを総て全う出来るほどに。
間違いがあったとすれば、期待に応える才能と同時に倒錯的な情欲を持って生まれてきてしまったことだろう。
故に一端魔術から離れた時にはその情欲が噴き出した。一夜を共にした男を傷つけた。犯し、血で汚し、涙を流しながら紡がれる苦痛に酔いしれた。
けれど、その情欲が満たされることはなかった。床の上にあってセレニケは我慢を知らない女だった。そして、我慢を知らない為にどこをどうすれば死なないかに頓着が出来ない。彼女の愛撫はあまりにも痛すぎた。有り体に言ってしまえば、セレニケが達するよりも男が逝ってしまうのが早いのである。
――勿論、ここでの逝くというのは逝去という意味合いで使われる。
そんな悶々とした日々に転機が訪れたのは、ユグドミレニアの長が永らく温めていた計画を実行に移したその瞬間。
セレニケの右手に赤黒い刺青のようなものが現れたのだ。曰くそれは聖杯戦争のマスターに選ばれた証だという。
聖杯戦争とは万能の願望器たる聖杯を巡ってマスターと呼ばれる七人のマスターがそれぞれサーヴァントと呼ばれる使い魔を召喚し殺しあう儀式のことである。
とはいえ、今回行われる筈の儀式は、マスター全員が名前にユグドミレニアを持つ者、名前にそれを持たなくともそこに属する者であるため戦いにはならないだろう。既に斜陽に向かう魔術師の家系や力を持たない新興の魔術師がダーニックという失脚した魔術師の下に集った烏合の衆こそがユグドミレニア。詰りは全員が身内も同然なのだ。そんな状況下では戦いなど起きる筈がない。
――というのが前提であった。
「“ダーニックが満願の成就を確信し緩んだところを付いて殺し、ユグドミレニアの実権を握る”」
無論、一見安全が保障されていそうな計画というものにはどこかしらに綻びがあるものだ。
そして、アイスコルの家の地下に設営された工房の壁に寄りかかるセレニケの眼鏡の奥の瞳はまさにその綻びにならんとする者を捉える。
蠟燭の青白い炎以外に灯りの無い工房の扉が開き、差し込んだ外の光が映し出したのは美貌の人という呼び方が似つかわしいセレニケと血が繋がっているとは思えない程醜い老婆であった。腰が鋭角に折れ曲がり、落ち窪んだ瞳は古井戸を覗き込んだ時のような気味の悪い深淵を見せる。
体を支える杖の代わりに突く、ピンクレースの日傘だけが可愛らしく明る気でそれが一層に不気味に映った。
彼女こそセレニケに苛烈なまでに黒魔術を教育したその人。名をメリーウェザー・アイスコル・ユグドミレニアという。
「突然どうしたんだい。可愛いセレニケ」
「本当にこんなことが上手く行くか心配になったのよ、メリーおばあちゃま」
セレニケは微笑みを返した。
この計画はメリーウェザーが発案したものであった。 尤もメリーウェザーにしてみればユグドミレニアの実権などはどうでもいいことだった。
ただ、いつまでもアイスコルの家が何かの傘下にあることが気に食わない。どうせならば支配される側でなく支配する側でいたい。
そんなつまらない尊大な羞恥心の権化がメリーウェザーであった。
「私を誰だと思っているんだい? アイスコルのメリーウェザーだよ?」
粘っこい笑みと共に吐き出されたのは並み一通りの答えであった。
反吐が出るほどつまらない女と、セレニケは彼女のことを内心で酷く罵った。
セレニケは彼女のことが、態度として現れないことが不思議な程に激しく嫌っていた。
つまらないことしか言わない支配欲だけの醜い老婆を好きになる人間はいないだろう。自分に対し教育と称して虐待紛いの修行をさせた人を好きになれる感性はまともではないだろう。
だが、それ以上にセレニケは彼女の中に自分を感じるのが何より嫌だった。
閨で露わになる倒錯した支配欲は年々と酷くなっているという自覚があるし、それに溺れて楽になろうとしている自分がいるのも分かる。そしてそうなった時、自分はこの老婆になるのだ。
それを思うと寒気がしてならなかった。自分がつまらないと感じるものが自分自身だと自覚させられるのはとても厭だった。
「……見つかったのね。串刺し公に対抗出来る英霊に纏わる聖遺物が」
これ以上そこに意識を向けるとそろそろ態度に現れる恐れがあったから、セレニケは祖母の不敵さの理由について言及する。
それは老婆の懐にあって、布に包まれていた。形状としては長細く、大きさは老婆が杖代わりにしている傘とあまり変わらないように思われた。
「勿論」
満面の気色と共に老婆は布の包みを解き、セレニケにそれを差し出した。
鞘に収められた剣であった。刀剣についてはあまり明るくないセレニケではあったが、なんとなくそれが中華風の意匠であるという感想を抱く。
興味本位で鞘を剣から抜いてみると、
「二本?」
その剣は二つに分かれた。鎬が片側にしかない、歪な形状の剣が背中合わせになって一本の剣のように鞘に収まっていたのだ。
「太極――あちらの術理に於ける根源みたいなものかねぇ。その剣はそれを現して陰陽一対の夫婦剣なんだと」
「剣に纏わる経緯は良いのです。これの持ち主は一体誰なの、おばあちゃま?」
「高祖……と言えば分かるかねぇ?」
その言葉にセレニケは俄かに目を見開いた。
サーヴァントというのは歴史や神話に存在した英雄に由来する“英霊”なる高次存在の一側面を抽出した極めて強大な使い魔であるが狙った英霊を呼び出すにはその英霊に由来する聖遺物が必要となる。
その英雄が身に付けていたものやその英雄の逸話に縁のある物品である。
例えば、聖ペテロをサーヴァントとして呼び出すのであれば彼が身に着けていた剣や彼の処刑に使われた十字架が聖遺物となり得るだろう。
そして基本的に神秘の蓄積した古い時代の英霊が強く、知名度が高い英霊が強いのだが、そういった英霊の聖遺物は総じて発見が難しいのが常だ。
例えば高祖――劉邦の聖遺物ともなればその入手にどれほどの困難があったかは想像に難くもない。
劉邦――中国にあっては前漢時代を築き上げた名立たる皇帝であり、赤竜の子と謳われた大英雄である。強力な英霊であることは間違いない。
「成程。確かにダーニックの召喚するヴラド公にも対抗出来るかもしれないですわね」
ダーニックが召喚するサーヴァントはヴラド三世。イスラム世界に於いてはその苛烈な姿勢から串刺し公と恐れられ、後世では吸血鬼ドラキュラのモチーフとされた人物である。
ルーマニアでは侵略者の脅威から国を救おうとした英雄として称えられており、そして此度の聖杯戦争の舞台はルーマニア。
サーヴァントの強さは“その国に於ける知名度に補正を受ける”ためヴラド三世はこの聖杯戦争にあっては最強の存在となり、メリーウェザーの計画を遂げる上では最大の障害となり得る。
「出来るかもじゃあないんだよ。出来るんだよ。可愛い私のセレニケなら!」
だが、メリーウェザーは失敗など考えてはいなかった。否、失敗を考えることが出来なかった。
万事が万事自分の思い通りになると思っている。そうならなければ気が済まないし、そうならないと癇癪を起すのだ。
「……おばあちゃまのご期待に添えるように頑張りますわ」
心のうちではいつか殺してやると思いながらセレニケは笑み返す。
「早速召喚の準備に取り掛かろうかねぇ」
そんなセレニケの内側は、逸る気持ちを前にしたメリーウェザーには映らなかった。
工房の戸棚から強盗のような手つきで血を練って作ったチョークを引っ張り出すと、メリーウェザーは床に英霊召喚の陣を描き始めた。彼女の様子はまるで遊園地を前に浮かれる子供そのものであった。そんな調子に辟易としながらもセレニケはメリーウェザーに合わせて陣を描く。
「さぁ、セレニケ。陣が出来たよ。聖遺物を置くんだ。召喚の詠唱は覚えているね?」
「そう急かさないでおばあちゃま」
あっという間に召喚の陣を書き上げると、メリーウェザーはセレニケをせついた。
しぶしぶと陣の前に立ち手を翳すと、セレニケは詠唱を開始する。
「素に銀と鉄。礎に意志と契約の大公。
降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」
するとセレニケは体に不快感と内蔵を覚醒したまま握られるような鈍痛とを覚えた。っこれは魔術師ならば当然に抱える痛みであった。体内の魔術回路を起動し、大気や土地の魔力をくみ上げるポンプに肉体を組み替える際にこのような痛みが起こるのである。
「
痛みを感じながらセレニケは体内に巡る魔力を加速させる。
更に、更に、更に――と。
「――告げる。
汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
聖杯の寄るべに従い、この意この理に従うならば答えよ」
詠唱を重ねるごとに召喚陣が光を帯びる。
工房を包むのは毒々しい紫の光。
繋がっているのだ。『座』と呼ばれる世界に於ける
「――誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」
沃素のような色をしたぬらぬらとした気味の悪い光が一層に強くなる。
いよいよセレニケの目の前に魔術を超える存在が現れようとしていた。
「――汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ!」
一気に最後の言葉を告げる。
そして爆裂した魔力光の中から現れた男を前にメリーウェザーは驚嘆の声を上げた。
天を衝くような巨躯を持った白髪の男であった。黒白が逆転しているようにも見える双眸は黒目がちで艶やかな双眸。顔を斜めに走る大きな傷。蛇の皮衣を身に纏い、はだけた胸の筋肉は鎧のように頑強であった。
ブロンズ像のようにも見える蛇が体に纏わりついていたがチロチロと舌をうねらせていることからその蛇が生きていることが分かる。
――何よ、この男。
一目その男を見るや否やセレニケは生理的な嫌悪感を覚えた。見ているだけで首に手が掛かるような、身の危険を感じさせる独特な殺気を帯びている。
誰かに対して危険だとか怖いだとかそういった感情を抱くことは今まで幾度と無くあったセレニケだったがこれより上はなかった。
直感する。この男は危険だと。
「おお、素晴らしい。これが本物の高祖劉邦か!」
しかし、現れたサーヴァントに歓喜し、冷静な判断能力を欠いてしまっているメリーウェザーは男の持つ危険性にはまるで目が入っていないようだった。
足元に縋り付くように近づいてきたメリーウェザーを見るや、男が苦虫を嚙み潰したような表情をしたのにも気が付かない。
――自身の首が宙を舞ったその瞬間になってさえも。
あまりにも唐突な出来事であった。男は平手打ちでメリーウェザーの首を吹き飛ばしたのだ。霊核である心臓を潰されない限りは中々死ぬことがないとされる魔術師とはいえ、流石にこれは死ぬ。
「赤龍を、高祖劉邦を俺なぞと間違うな」
男にしてみれば老婆の言葉が気に食わなかったのだろう。
と、セレニケは想像した。想像出来はしたが、それでも男の行動は理解の範疇を超えていた。
いくら気に障る言葉を言われたからと言って、見ず知らずの人間を容易く殺すことが出来るだろうか?
魔術師という生き物は基本的に、研鑽や実利の為であれば簡単に人を殺すことが出来る人非人ばかりであるが――否、そういった非情な生き物だからこそこの男の行動原理はまるで理解出来ない。
この行動には男にとって利益がない。怒りを晴らすといってもこれは明らかに度が過ぎている。
――駄目だ。この男は駄目だ。今ここで殺すしかない。
セレニケはそう確信した。
殺意に至るまでが短絡に過ぎる。如何してそれが殺意につながるのかセレニケにとってはまるで理解が出来ない。最悪の場合息の仕方が気に入らないだとか、使っている香水の匂いが好みではないとかそういった理由ですら自分が死ぬ十分な理由足り得るかもしれないのだ。
加えてメリーウェザーが死んだ以上、自分には戦う理由がなくなったのだ。リスクを抱えてまで戦う必要はない。
そう判断しながらセレニケは右手に宿る令呪を見る。これは強大な魔力の塊であり、サーヴァントに対する三度までの絶対命令権である。
自分の下に来いと言えばサーヴァントは距離を無視して自分のいる場所まで転移することが出来るし、次の攻撃に全霊を賭けろと言えばそのような行動をサーヴァントの意志を無視して行わせることが出来る。
自害を命令させることすら例外ではない。
「令呪を以って命じる……」
今まさにその自害を命令しようとしたその時だった。
セレニケの意識はここで途切れた。
†
セレニケが目を覚ましたのはダイニングテーブルの上であった。
身動きが取れない。何かが口に挟まって口を利くことすら出来ない。ふと横に目を遣り、セレニケはつい悲鳴を上げそうになった。
舌をチロチロと揺らしながら退屈そうに微睡む蟒蛇の顔がそこにあったのだ。筆舌すべきはその蛇の頭の大きさ。セレニケの頭とほぼ同サイズだ。
そう――セレニケの体はこの蛇に巻き付かれ動きを封じられていたのだ。
――あの男の連れていた蛇か。
セレニケは召喚したサーヴァントが蛇を連れていたのを思い出した。
英霊である以上その逸話や伝承に由来する武具や能力の具象化である宝具を持つ。あの蛇もきっとその類なのだろう。動物や幻想種と呼ばれる神秘を帯びた生物を所有する逸話を持つ英霊もおりそういったものも宝具となることがあることはセレニケの知識の中にもあった。
――これがそういうものだとすると……。
肉体強化の術式で無理矢理蛇の体を引きちぎろうとする。だが蛇の体はまるで金属で出来ているかのように固く抜け出すことは叶わなかった。
――やっぱりダメか。
となれば蛇による拘束を解く方法は蛇の主であろうあの男に頼る他ない。セレニケはそう思い男を探した。
蛇がいる方向とは逆に首を向ける。ここが自宅のダイニングであればその方向にはキッチンがある筈だった。
意外にも男はすぐに見つかった。何やらキッチンで作業をしているようだった。
「ああ、目が覚めたか」
セレニケの視線に気づいた男は手を止める。
「勝手に厨房を借りていたが、あまり喧しいことは言わんでくれ。酒の肴を作っていただけだ」
そういって彼はセレニケの私物の白ワインと何かが盛り付けられた皿を持ってキッチンから出てきた。
皿の上に乗っていたのは雑に切り分けられた桃色の肉だった。
セレニケはその色に見覚えがあった。いつも見ているものだ。黒魔術の生贄に使う鳩の肉である。
――キッチン生贄用の動物を酒のつまみにしたことを悪びれる気はないのか。
「確かに盗みの類にあたるか。いかんな。つい己が好いているからと新鮮な鳥肉を求めてしまった」
などと言いながら男は鳥の肉を一つまみし、もきゅもきゅと咀嚼する。
――というか、アナタ、私の考えてることが分かるのね。
千里眼か読心の異能でも持っているのだろうかとセレニケは想像した。
「そういう術が使えるというだけだ。仙人に師事していたこともあった故な」
その答えでセレニケは確信を得る。
高祖劉邦が自分と間違われたことに憤ったことと仙人の弟子だという主張。高祖劉邦には仙人に纏わる逸話は存在しない。
では、この男の正体は?
男はまるで水のように白ワインをがぶ飲みするとその疑問に答えた。
「……紹介が遅れたな。サーヴァント、アサシン。姓は張、名は飛。字は益徳という。高祖とは似ても似つかぬ、武にしか能のない愚物よ」
セレニケは西洋人である。中華の歴史についての知識はあまり多くはない。
そのあまり多くはない知識が導き出すのは、張飛益徳という人物が三国時代の中国に実在した蜀の武将であるということ。そして蜀の王劉備玄徳、世界各地で崇められている財務神関羽雲長との間に義兄弟の契りを交わした“桃園の誓い”の逸話を持つ人物であるということぐらいなものであった。
しかし、すると疑問が生れる。張飛が生きた三国時代と高祖劉邦が生きた時代では凡そ五百年の隔たりがある。
触媒に使ったものは間違いなく高祖劉邦の剣だ。それなのに何故張飛が召喚されるのか。
加えてクラスについても疑問が生じる。聖杯戦争に於いては、アサシンのクラスで招かれるサーヴァントはハサン・サッバーハで固定される。召喚陣や詠唱を一工夫することでハサン以外のサーヴァントを呼ぶことも可能であるが、セレニケの召喚式は通常の形式に則ったものであった。
「ああ、俺が呼ばれた理由だが……」
その疑問について張飛は壁に立て掛けた高祖の剣を手に取り、
「恐らくこれが原因だ」
と答えた。
「この剣は確かに高祖劉邦の剣――白帝の化身である白蛇を切ったまさにその剣である。が、時が流れ中山靖王に、更に時が流れその子孫である劉備玄徳にまで流れ着いたという経緯が存在するのだ」
それが何故、張飛が召喚される理由とどう関係するのかセレニケには分からなかった。
「……俺がまだ肉の体を持っていた頃の話だ。黄巾党という連中が中原を荒らしていた。奴らの勢いがまだ盛んだった頃の劉備玄徳は片田舎の
――劉備玄徳という男は大馬鹿野郎だったのね。
悪態という名目でセレニケは張飛の生前の主を罵ったが、張飛は意外にも嬉しそうに笑った。
「ああ、とんだ戯けよ。だが、そんな戯けを助けた酔狂もいた。暴れられる場所を探し彷徨ってついには黄巾党にまで流れた
――そのゴロツキというのが。
張飛は苦笑交じりに答えた。
「語るに及ばず。お笑い種はここからだ。あの男、助けられると泣きながら跪いてな。“ああ、貴方はなんと立派な豪傑なんだ。きっと大事を為す人に違いない。どうか私の剣を受け取って欲しい。こんなでくの坊の腰に佩かれているよりもずっと人々の役に立つだろから!”……と、このような調子で。見込み違いも甚だしいと思ったが、俺が受け取るまで天地がひっくり返ろうとそこから動かないといった気迫でな。仕方なく受け取ったというわけだ」
今の話が本当であれば劉邦の剣との縁は説明が付く。
だが、まだアサシンのクラスで呼ばれる理由の方が分からない。
「……あのババア、さっき俺が殺したアレだ。恐らくアレが悪い」
――おばあちゃまが?
セレニケの疑問に張飛はクツクツと笑声を漏らした。
「余程、興奮していたのだろうな。召喚の陣を微妙に描き間違えていた」
張飛はまた鳥肉をつまんだ。
なんのことはない。ただのチョンボである。
「……しかし、恐らく俺が呼ばれたことに関しては陣が原因ではないな」
張飛は白ワインをあおり、テーブルに瓶を叩きつけると、身を乗り出してセレニケの眼前に自分の顔を近づける。
セレニケは一瞬息苦しさに似た奇妙な感覚を覚えた。
そして、ここで初めて気が付いたが、この張飛という男は存外に整った顔立ちをしていた。
セレニケの好みからは外れるが、それでも自分をじろじろと間近で監察されている不快感が多少なりとも緩和されるというものだ。
――でも、一体何を見てるのかしら?
「触媒を用いずに、或いは複数の英霊と縁を持つ触媒を使いサーヴァントと召喚した場合、自分と似た性質のサーヴァントが呼ばれる。故にもしやと思って貴様の魂を見てみたが……」
張飛は言い淀んでいるようだった。
――言ってみなさいよ。
とセレニケは促した。
「では、遠慮なく。お嬢ちゃん。お前、相当なろくでなしだな」
セレニケは落胆した。
そんなことを言うのを躊躇ったのかと。
いきなり召喚者を拘束するようなサーヴァントを招くマスターがろくでもない人間であることなど態々論うまでもない。
第一、祖母を殺されたあの場面で復讐心に駆られ激情の下で張飛を殺そうとしたのならまだしも、至って冷静に自己保身のためだけに自害を強要出来る人間がろくでなしでないわけがないのである。
心の内を読んだ張飛は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、セレニケから離れ酒をあおる。
「……それについては悪く思わんでくれ。召喚に応じるということは俺にも目的がある故に。易々とは死ねん。鈴々の毒を注いだことも、こうして冷静な話し合いが出来る場を作ったことも総ては詮無きこと」
セレニケとしては張飛と冷静な話し合いという概念について一晩議論したいという気持ちが強かった。
一方的に自由を封じ、片方の圧倒的な優位に於ける言葉の交わしあいは普通議論とは呼ばない。人はそれを尋問という。
「他方が自害を強要出来、しかもそれを実行する意思があるという前提で行われるものもまた話し合いではないがな。と、与太話はこれくらいにしよう。まずお嬢ちゃんが俺の主であるということは流れる魔力からも疑いようがないが……名前はなんという?」
そう訊ねながら張飛は肉と共に酒を流し込む。
その問いはセレニケにしてみれば意外なものであった。サーヴァントとマスターの関係は基本的に聖杯を求める為に互いを利用しあうだけの利害関係であるとうのが彼女の認識であった。
その上でマスターにとってサーヴァントの真名は能力を知り、弱点を知る上で重要なものであるが逆は決してそうではないと思っていたから。
「馬鹿馬鹿しい。人は損得のみで動くものじゃあない。特に俺は、その場限りの激情と刹那に流れて消える興味でしか動かない。そして俺は、俺と似たろくでなしのお嬢ちゃんに興味がある」
逆にセレニケは張飛について全く興味はなかったがだからと言って、答えない理由も見当たらず、セレニケは自身の名前を心の内で呟いた。
――セレニケ・アイスコル・ユグドミレニア。
と。
「セレニケ、か。どうにも言いなれない響きだ」
名前について張飛は率直にそう感想を漏らした。
「何故、聖杯を求める?」
次に聖杯戦争に於ける通例。聖杯を求める理由についての質問をした。
帰ってきた答えは張飛の予想を裏切るような答えだった。
――無いわ。
「ない、というのは?」
――願いなんてものは何も。私は祖母に戦うことを望まれただけ。メリーウェザーは死んだから、もう私には戦う理由なんてない。
「……そうか」
と張飛は淡々と言葉を返した。
しかし、事実なのだからしょうがない。戦う理由がなくなった以上は億劫でしかないのだ。
それに話してみれば、一見理解不能の狂人にしか見えなかった張飛は意外にも話が分かる人間だ。
このまま自分の物臭で足を引っ張ることも況して自害を命じることも多少なりとも気の毒に思う程度には。
故にセレニケは主従契約を解除することを試みた。
が、その時――
「待て」
張飛が突然声を上げた。
「囲まれている。恐らく術師の類。数は三十ほど」
その言葉が意味することはつまりは敵襲である。
――敵襲……どうして?
「知らん。だが、このまま俺との契約が切れればお前が死ぬということだけは分かる」
すると張飛は『鈴々』と蛇に名を呼んで、セレニケの拘束を解き、自分の体に纏わり付かせる。
「折角の別嬪だ。ここで死なせるには惜しいと俺は思っているが……お前はどうだ、セレニケ? その綺麗な顔と体が、襤褸のように成り果てても構わない、か?」
その答えは言うまでもなかった。
マテリアル
【元ネタ】史実・三国志演義・三国志平話
【CLASS】アサシン
【マスター】セレニケ・アイスコル・ユグドミレニア
【真名】張飛益徳
【性別】男性
【身長・体重】202cm・98kg
【属性】秩序・悪
【好きなもの】酒・嫁・兄弟・強者
【嫌いなもの】無秩序、関羽の説教
【天敵】嫁
【イメージカラー】黄燐
【CV】金尾哲夫
【ステータス】筋力B 耐久B 敏捷B+ 魔力C 幸運D 宝具A
【クラス別スキル】殺意膨張A+:詳細不明
【固有スキル】中華武術EX:中華の合理。宇宙と一体となる武術をどれだけ極めたかの値。会得何度は数あるスキルの中で最大でありAで漸く習得したといえるレベル。アサシンは生きていた時代に存在したあらゆる武術をAランクで習得した為にEXという扱いになっている。
仙人の弟子A+:仙人の弟子であったことを示すスキル。仙術を扱う際にプラスの補正を受ける。A+ともなればあと一歩で仙人レベル。
頑強A:仙人の弟子として肉体を鍛えた結果、張飛は特別傷つき辛い肉体を獲得した。耐久のパロメータをランクアップさせ被ダメージを減少させる。また複合スキルであり対毒スキルの効果も含まれる。
傍若無人B:酒癖の悪さ。酒で失敗していることを表す。
【宝具】
『???』
『???』
『???』
【解説】
三国志にその名を残す蜀の義兄弟の末弟。関羽と双璧を為す蜀の強大な戦力としてその名を馳せた。
白い髪を乱し、黒白が逆転したような異様な目つきをした、スカーフェイスの偉丈夫。
サディスト、ロリコン、バイセクシャルの合わせ技という性癖トガリネズミ。
鈴々という名前の蛇を連れている。
お前はホントに張飛なのかというレベルでルックスもイケメンだ。