建物を出た少女はいの一番に好奇心を開放させ、閉口することのない草原を走り抜けた。自然の中で少女の感情は高ぶり、奮い立たせられ、少女は有頂天になったのだろう。さながら、幸福のひと時であった。
少女は突然、ぴたりと足を止めた。それもそのはずであった。見覚えのない場所であるという感覚が少女にエントロピー*1が増大するように、ひしひしと伝わってきたからである。
少女はショルダーバッグとスケッチブックだけしかもっておらず、なおかつ、自身の記憶を思い返そうとしても、
そよ風が彼女の体を取り巻き、少女は悪寒を感じ始めた。自身のことを忘れてしまった少女は好奇心によって、怖い思いを振り切り、いざ、古びた建物を後にしたが、先の不安が消えることはなかった。恐怖は自分自身という存在さえ確かに認知せず、しかも、周りには誰も自分を自分だと確かめる人間もいないことから、数段にも上回って彼女を襲ってきた。
なんとか彼女の平静を装ていた好奇心も、
「……誰かー―。いないのーー」
少女のか細く震えあがった声が草原に響いた。自分以外の人間を必死に探している様子であった。人っ子一人いない場所は少女の寂しさを更に駆り立てていく。
すぐそばの木の後に誰かいるのではないか。木々の後ろに回り込んで探しても、石をひっくり返しても、誰も出てこなさそうであった。
広々とした空間はどこまでも続いている。それは身長の小さな少女にとってはあまりにも広すぎた。先程まで美しく見えた草原は、いつの間にか、独りぼっちであると分かることで畏怖の対象となってしまっていた。
ずいぶんな距離を歩いて探し回ったようで、振り返ると先ほどまで居た、廃墟が遠い彼方に見える。孤独による少女の
「ぅぅ……」
少女の目に雫がうっすらとこみあげてくる。草原を吹き抜ける風が雫をそっとよそいでくれるが、それも間に合わず、次に次へと涙があふれてくる。跪いてしまい、彼女は歩こうとはしなかった。滴る水は草原のある一つの草の葉に垂れていく。
彼女の精神が疲弊しきった、その時である。直ぐ近くで、轟音が鳴り響いた。彼女のすぐ近くの森の中からである。見るとものすごい煙幕が森の方から上がっていおり、地響きが彼女の足に伝ってくる。メキメキと木々が倒れる音も同時に聞こえる。
「――もしかして」
少女は涙を拭うと急ぎ足で駆けて行く。その先は森林である。一抹の希望を胸に少女は音のする方向へ、がむしゃらに走る。森の中へ入ると、日の光は遮られ薄闇が漂っている。その光景をみると、自分以外の人間がいるとしても少女にとっては少し躊躇する場面であった。しかし、滞る思いを胸にしまうと緑の暗闇に足を踏み入れた。
「おーーーーい」
静寂な森に彼女の声が響き渡った。精一杯の想いで走ったことで少女の息が切れてしまうと、その場で止まって息継ぎをする。額から滴る汗を払うと、再び走り出した。
すると、斜め右から爆音とともに砂埃が舞い上がった。木が右往左往に倒れこみ青色の四角形に手足が生えた異界の生物が目の前に立っていた。少女はビックリしてその場で倒れこんでしまう。手と腰を着いた彼女をその巨大な目玉が少女をのぞき込む。
「っひ……」
少女は腰が抜けてしまい動けないでいた。目玉は容赦なく彼女を見定めると奇怪な手で叩きのめそうとする。
「あぶないっ!!」
少女が目を閉じて自らの死を覚悟すると、頭にふわふわの耳を持った、オッドアイの見知らぬ少女が彼女をつぶそうとしたその手を受け止め、足でそれを軽やかに蹴り返したのであった。見知らぬ少女は少女の手を取ると、蹴り返した反対側へと走り出す。
少女は目の前の見知らぬ少女を見て、先程までこわばっていた顔が緩む。誰もいないと思っていた場所に自分以外の人間が現れたことによる安心感からだろう。
化け物は蹴り返された後、ものすごい剣幕で二人の少女を追いかける。二人が追い付かれそうになると、見知らぬ少女は彼女を腕に抱えて更に早く走り出す。
「うわぁああああ」
暫く森を駆け抜けていくと右手の茂みに急いでかけて入る。化け物は横を素通りしていき、轟音は遠ざかっていった。二人はため息をつくとお互いに顔を見合わせた。
「大丈夫ですか?」
心配そうに少女を見つめるオッドアイ。その瞳はパステルカラーの藍色と琥珀色である。にっこりと見知らぬ少女は手を差し伸べる。
「うわーん!ありがとうーー!!」
彼女はお礼を言うと、不思議な耳を持つ少女に抱き着いてきた。勢いあまって二人は倒れてしまう。見知らぬ少女は優しくそのまま抱かれていた。理由はあまりに簡素なことであった。少女が大粒の涙を流していたからである。
「大丈夫ですよ~。もう、追ってきませんから」
見知らぬ少女は少女を宥めるばかりであった。