第百三十二話 これからの道
話は少し前に戻る。
コンスコンの指示により動いたガトー隊、シャリア・ブル隊、ツェーン隊、サイクロプス隊、キマイラ隊は前線に到着するとすぐさま支援に出る。それまで連邦艦隊の主力を正面から受け、苦闘していたマ・クベ少将とカスペン少将はこれらの強力な戦力を得て、やっと息を吹き返すことができた。
局所的には個々の資質も、量もジオンが逆転した。そして戦況を改善するにとどまらず鋭い攻勢に出る。
これに対しやや分散気味であった連邦の各隊は対応できない。各所で破れ、戦線を支えられなくなった。
そこでグリーン・ワイアットは戦線の放棄と自分の本隊への集中を命じたのだ。
戦線を縮小することで無駄な消耗を防ぎ、しかも時間を稼ぐ。そしてしっかりと機を窺う。
凡庸に感じるほど戦術としては定石の範疇なのだがそれで充分だ。
ジオンの各隊は強いかもしれないが、ダイナミックな用兵をしてくるのでなければ何も怖くはない。
暴れん坊を転ばせるのに力は必要ないのと同じ、ワイアットはそう見通している。
本当に怖いのはコンスコン大将ただ一人なのだ。
今の状況など、自分の指揮する本隊だけで反攻はいつでも可能であり、慌てる必要はどこにもない。
ここで戦場に巨大なニュースが飛び込んできた。
「ジオンのコンスコン大将、行方不明!」
ほぼ同時にジオンと連邦はこれを知る。そして対照的な動きに出たのだ。
当然ながらジオン各隊は混乱をきたし、中にはあっさり戦場を放棄し、戻ろうとする隊まで出てくる。多くはコンスコン機動艦隊所属の各隊だ。
「あの馬鹿! どんくさいくせにやる気だけはあるからそんなことに! すぐに見つけて蹴りを入れてやるから待ってらっしゃい」
真っ先にそう言って離脱の動きをしたのは、長きに渡ってコンスコンと共にいたツェーンやカヤハワである。
「戻るわ。カヤハワも一緒に」
「は、はい! もちろん!」
「まったく、司令官なら司令官らしく安全なところにいなさいよ…… もし、死んでたら承知しないからね…… いなくなっては、困るのよ。私が」
ツェーンだけではない。意外なことに、それに同調したのはガトーである。
戦場であれば誰がいつ死んでもおかしいことは何もなく、だからといって泣き叫ぶのは愚か者のすることだ。武人は常に覚悟と共にあり、現実を粛々と受け止めるものである。
武人の中の武人であるガトーはそんなことは百も承知だ!
しかしそれでも、コンスコン大将の救出の方が大事だと判断した。
その生存の可能性をわずかにでも上げるのが、全てに勝って重要ではないか。
「戻るぞ! カリウス、もう局所的な戦いなどどうでもいい。コンスコン大将こそジオンの明日そのものだ。何が何でも失うわけにいかない」
逆に連邦艦隊は勢い付いた。
待っていた機会、グリーン・ワイアットは軽くうなずき、反攻の合図をする。
「ステファン・ヘボン君、作戦はうまく行き、エイパー・シナプス大佐に続きナカッハ・ナカト中佐がコンスコン大将を追い詰めたようだね」
「しかし、報告を聞く限り、連邦軍人として決して褒められた方法ではなく……」
「私もそう思うよ。彼らしいというか、突拍子もないやり方、だからこそ目的を達成できたわけだな。しかし、無駄にすればそれこそ誰も浮かばれないというものだ」
「全く同意です。過程はどうあれ勝機は得られました」
「では掃除を始めるとしようか、ステファン・ヘボン君。本隊前進、MSを右翼から回らせて逃さず叩く」
既に考えてあった反攻のプランを実行に移す。
むろんワイアットが自信を持って繰り出す戦術、鮮やかに決まる。まるでキャンバスに絵を描くように戦術家は戦場を好きなように描く。
ジオンの前進は間もなく止まり、逆に一方的に叩かれ、防戦に回らざるを得なくなる。
グリーン・ワイアットらは勝利をもはや既定路線に感じている。どんなにジオンが奮闘してこようが、コンスコン大将がいなければ敵ではない。
ここで連邦艦隊司令部にジャブローから一報が入った。
数瞬後、激情が渦巻くことになる!
「そ、そんな馬鹿な、ジャブローはふざけている! こちらから停戦などあり得ない! 我が連邦が勝利しているではありませんか!! もはやコンスコン大将不在のジオンに勝つのは自明、あともう一歩、いえ半歩です、ワイアット司令!」
「そうだね、その通りだ。この会戦は、まごうことなく連邦の勝利だよ、ステファン・ヘボン君」
「で、では、このまま押せば!」
「いや、それはできない。連邦政府の名をもっての停戦命令であれば無視できない。もし逆らえばただの叛乱軍になってしまうし、私はそうなるつもりはない。命令系統は遵守すべきものだろう」
「ですが! 上層部がこの状況を理解しているとは思えません」
「…… まあ、そうだね。私も平気ではないから先ずは紅茶を飲みたいものだ」
連邦政府はジオンと停戦の覚書を交わしたことを公表した。
その上で、ワイアットへ全ての戦闘行為の即時中止を命じてきたのだ。
「パックの紅茶でも少しは落ち着かせる効果があるようだね。ステファン・ヘボン君、現実を認めよう。全チャンネルで停戦の連絡、そして撤退に入ってくれたまえ」
「そんな、司令…… 無念です」
グリーン・ワイアットは連邦政府命令に従い、停戦を実行する。
その時までには、なぜそんな命令が来たのかワイアットも推察している。もちろん、そこには理由があるのだ。
実はこの会戦の様相は逐一ジャブローに知らされていた。
定期的に伝令が出ては、ミノフスキー粒子が薄い戦場外縁まで行き、地球に通信をつけていた。それは連邦上層部が事前にワイアットへ突き付けた条件の一つだった。
そこで上層部は知った。
第三次ルウム会戦は連邦とジオンの最終決戦というのにふさわしく、希に見る激戦になった。
戦況は一進一退の膠着状態、連邦艦隊も甚大な損害を負っている。時間の経過と共に、可動艦は約半数にまで減ってしまった。無傷なのは更にその半分でしかない。
それを見て取ったところで決まりだ。連邦政府としては大局的に考えるべきことがある。
会戦の勝敗とは別のことだ。
連邦にとってエネルギー問題の解決こそが現在の最優先課題なのに、それが叶わないではないか。これでは戦略的に何も解決しない。
このまま連邦艦隊がジオン艦隊に勝ってももう意味がない。
ジオンを振り切って向かっても、すぐさまジオン本国を完全占領するだけの戦力は残っていないのだ。ジオン本国は首都防衛隊の他にドロスなどの巨大空母という戦力が存在している。おまけにサイド3のコロニーをいくつ占拠すればジオンが白旗をあげるのかさえ分からず、侵攻には不確定要素が多過ぎる。
かといって逆にジュピトリスのヘリウム3を奪取して一時しのぎをしようにも、既に地球軌道を離れる寸前である。間に合うかどうか保証できない。
とすれば、ジオンのエネルギー戦略によって連邦がここまで痛めつけられた以上、もう停戦するしかあり得ないのである。唯一の希望は速やかな連邦艦隊の勝利だったのだが、それはジオンのコンスコン大将の勇戦により早い段階で潰えた。
グリーン・ワイアットの誤算は、連邦が思考を放棄するところまで困っているのを把握できなかったことだ。ルナツー独自の備蓄は上手くやり過ぎ、連邦から送り届けられる補給物資が細っても会戦が可能だったのがその理由である。
ワイアットは、近頃ジオンにやられてばかりいた連邦軍がここで勝利することこそ士気の上でも政治交渉の上でも重要と思っている。しかも、ジオンのコンスコン大将を斃すことがどんなに大事かも知っている。
その認識で激戦を繰り広げ、勝利へ向かって着々と歩みを進めていたのだが、もう戦力低下の段階で政府方針は決定したことだった。
後世の歴史家もこの第三次ルウム会戦の判定には迷うことになる。
それには歴史家の数だけ意見が生まれたのだ。
このグリーン・ワイアットとコンスコンの真っ向勝負はいったいどちらの勝利とすべきなのだろう。
「戦場ではワイアットの勝ち、戦場以外ではコンスコンの勝ち」
そういった表現を使う者もいる。
確かに艦艇などの損害は連邦よりジオンの方がやや多い。
連邦は戦闘参加艦艇257隻中、爆散・放棄・自沈が82隻、自力航行不能の大破が36隻である。ジオンは戦闘参加218隻中、爆散等が88隻、大破が45隻である。
それに停戦時点では連邦が猛反攻を開始し、ジオンが駆逐されつつあったという事実がある。
ただし停戦を持ちかけたのは連邦政府の方である。勝負の結果は覆らない。そもそも連邦軍の最終目的がジオンの独立阻止である以上、今までテロリスト扱いしていたジオンを対等の相手と認めること自体が連邦の負けに等しい。
一方では別の表現もある。
「戦術ではワイアット大将が優り、戦争ではコンスコン大将が優った」
第三次ルウム会戦は、終始グリーン・ワイアットが策を打ち、コンスコンがそれを上手に躱し続けていた。
放たれた戦術の数も質も驚くべきものだ。ワイアットはその戦術家としての完成度を余すことなく華麗に見せつけた。
しかし一方、連邦艦隊の戦力の減少が一定以上になれば、自動的に停戦せざるを得ない、そんな状況を最初から作り出していたのはコンスコンである。その方が艦隊戦で雌雄を決するよりよほど堅実かつ大局的な道筋ではないか。
いずれにせよそんな評価は当人たちには意味がない。
ワイアットもコンスコンも、奇しくも同じような思いを持つことになるのだ。
お互い、相手の凄さが分かるだけに敗北に近い感情を抱いたのだった。
第三次ルウム会戦の結果が知れてから、さほど間を置かない時のことである。
少なからず人類社会に影響を及ぼす物事が、とある宇宙の片隅で決められようとしている。
そこは窓から光がわずかしか入らず、薄暗い館の部屋だ。一人の老人がソファーに腰掛けている。
「カーディアスを呼べ」
そう老執事に伝える。声ははっきりしていて、目にも光がある。ただし体はもう九十八歳という年齢に耐え切れず、弱っているのが明らかだった。もはや立つこともおぼつかず、そう時期を置かないうちに寝たきりになるだろう。
サイアム・ビスト
この老人は死ぬことさえできない。いや、自分の命などどうでもいいとさえ思っているのだが、ただ責務のために長い時間を生き続けている。
初期にあった罪滅ぼしの意識はもう擦り切れた。
しかし自分に課した責務を忘れることは決してない。
ひたすら待った。
若いといえる頃より、責務から解放されるかすかな希望と、深い失望と、その両方を幾度となく繰り返し、その数だけ疲労が溜まりに溜まっている。その八十年もの間、ついに責務から解放される行動を起こせる機会は訪れなかった。
やっとここに老人の呼んだ人物が到着した。
老人の実の孫でもあるが、既に青年というよりは中年に近い。
「お呼びでしょうか、当主」
「カーディアスよ、お前にビスト家の当主を譲るのは少し先に延ばす。儂の体はもう長くはもたんが、ここでコールドスリープには入らん。今が大事なのだ。半ば諦めていたが、ついに待っていた時が来たと知った」
「な、なんと! では、今がその時だと!」
「そうだ。ここしばらく儂はジオンと連邦との戦争を見ていた。正直、ジオンは存続に値するものだとは思えなかった。発展の途中には往々にして生じる轢みのようなもの、いずれ泡のように消えるものでしかないと思っていたのだ。実際、スペースノイドの代表というには、その思想も、戦争のやり方もとうてい真っ当ではなかった。だが、ここ最近は違う。ジオンはまるで変わり、スペースノイドの未来を託せると思える器に成長した」
「今のジオンの体制が、当主の目にはそのように。しかし、ここまで慎重の上にも慎重だった当主が……」
「今までの慎重さはこの時のため、そう分かったのだカーディアス。儂はジオンに賭ける。あの『箱』を今こそ開こう。そして万人に宇宙世紀の原点を教えるのだ。あの、儂が見た宇宙世紀の初め、人々が宇宙開拓の熱気と興奮の中にあり、何よりも希望に溢れていた時代のことを伝えねばならない」
老人の一生は幾多の政治変動や動乱を見つめ続けることにあった。
しかし、ここまで長く待った甲斐はあったのだ。喜びを感じるには年を取りすぎているが、深い安堵はある。
「儂の負った責務はようやく果たされる。『箱』の座標をジオンに知らしめよ、カーディアス」