第二十九話 第一秘書
その艦隊戦、といってもお互い単艦同士だ。
遭遇戦なんだろうか?
しかしそれでもおかしい!
一方は連邦のサラミスがいた。そして相手は一隻のムサイだ。
それがおかしい。ムサイが逃げていてサラミスが追っているならまだ分かるが、そうではなく正面から撃ち合っているではないか。
これは無茶だ!
砲撃戦ならばせめてチベでないとサラミスには渡り合えない。
サラミスは細身だが、MS搭載能力を犠牲にしている代わりに火力は強い。ムサイは砲門は多くともジェネレーターは弱く、サラミスには火力でも防御力でも相手にならない。
現場にもう少し近付くと、ムサイの周りにMSが見えてきた。なんだ、ザクが三機いるじゃないか。
なるほど、それで理解した。MSがいるならサラミス相手でも充分に勝算があり、戦いを挑むのは分かる。俺は一安心してしまった。
それがうかつだった!
だったらなぜアウトレンジのMS戦でなく砲撃戦になってしまっているのか気付くのが遅かった。その疑問に気付いたころには、もうムサイは撃ち負けていた。エンジン部に直撃を浴びてしまったのだ。
「しまった! このチベだけでも最大戦速だ! 今から応援に入る! 遅かったかもしれないが…… しかし、あのザクはいったい何をやってるんだ! サラミス一隻に手も出せないとは。ガトー、ゲルググで様子を見てくれ」
より詳しく見ると、ザクの動きはなんとも鈍く、まるで学徒兵が乗っているようだった。それでもやや先行している二機はまだマシだ。遅れている一機は奇妙な動きで前に進むこともままならないようだった。要するに回転運動に入ってしまって、それを止めることさえできないという体たらくだ。
俺がガトーを単機で向かわせたのは技量を信頼してのことだ。それと、実はシャリア・ブルやツェーンのギャンは酷使し過ぎていて、あちこちに不具合が起き始めている。決定的なトラブルを起こさないよう、全機は使わない。そして連邦にMSがいない以上、エルメスも出番がない。
到着前に、連邦のサラミスはそんな戦力にもならないザクに砲火を浴びせる。先行していたザク二機は有効な回避もできなかった。たちまちエンジンや手足を失う大破だ。
次にムサイもエンジン部が爆散し、ついに身動きも取れなくなっている。
ガトーは残ったザク一機を急いで掴み、ゲルググの大推力を活かして砲火を避けていく。
そこで俺のチベはようやく射程内にサラミスを捉えた。
もちろん、ダリル・ローレンツの射程という意味であり、通常の射程よりはるかに遠い。連邦のサラミスは油断したんだろう。もちろんこっちのチベから逃げ始めてはいたが、まだ大丈夫だと思っていたんだろうな。俺も逆の立場ならそう考えるに違いない。
「目標、連邦サラミス、主砲撃て!」
そして一撃で大破に持ち込む。相変わらずの展開だ。
当座の脅威を排除したところで、ガトーがそのザクに通信を入れた。
「とんでもない操縦もあったものだ。整備兵でもこれほど無様ではないぞ」
「……」
「聞こえていないのか、パイロット? 俺はガトー大尉、コンスコン機動部隊のMSだ。そちらの名前と階級は? そちらのムサイはどこの所属だった?」
「私はアイリーン。セシリア・アイリーン、ギレン様の第一秘書。あのムサイは奪ったもの。ギレン様の秘書たちと、近衛兵で」
「な、何だと!! 秘書!? 秘書だったとは、兵ですらないのか! それではあの操縦は当たり前だ。本当の素人だったのか。しかし、なぜここに」
「ギレン様を探すため。あの方が戦死などするはずがない。私たちが探してお助けしなければ。誰も動いてくれないからには、私たちが動かなくては」
「……そうか。一つ言いたいが、ギレン総帥が死んだのは事実だ。それは幻でもなんでもない。それどころかア・バオア・クーも陥ちている」
「あなたもそんなことを言うのね。死んでなんかいるもんですか!」
「もう一つ聞け! なぜザクに乗った? 俺はそっちを聞きたい。もしもお前の操縦でなければ、もっとマシな戦いができたかもしれない。ムサイも墜ちなくて済んだかもしれないだろう。それなのに無理やり乗り込んだとすれば、俺はお前にそっちを追求する」
「そんなこと言われたくない! 私はギレン様の第一秘書! ギレン様のため戦って死ぬ! そうすれば、ア・バオア・クーに行く前に死ねるわ。あなたは軍法か何かで私を裁くの? だったら私をここで殺せば? それがいいわ。そうして頂戴!!」
ここでガトーは理解した。
この女はギレン総帥に殉じようとしている。
もちろん、ギレン総帥が死んだことを信じられない気持ちもある。しかし、それだけではなく、この女はギレンの死を本当は受け入れているのかもしれなかった。この相反する気持ちを解決するにはただ一つの方法しかない。
自分が死んでしまえばいい。
そうすればギレン総帥の死を永遠に認めなくていい。
だから、ア・バオア・クーへ行く途上で自殺のような戦死を遂げたいのだ。
ガトーはここで考える。
助かりたい者を助けるのは簡単だ。しかし死にたい者を助けるのは難しい。
ここは戦場、そんな気持ちの者は勝手に死ねと言いたいところだが、このセシリアという女は自分のためではなく主君のためにここまで思いつめているのだ。
それは純粋な、美しい心である。
絶対に死なすわけにいかない。
ここで取った行動は、優しい言葉ではない。ひとまず命を大事にしろとか、考え直せとか、そんなセリフではない。人の気持ちに訴えるにはそんな上辺のセリフは役に立たない。
心の中心に切り込み、縛っている鎖を断ち切ってやるのだ。
いかにもアナベル・ガトーらしいことをした。
「こっちへ来い! お前が見るべきものがある。いや、見ないで済ませられるものじゃない」
「な、何をするの!? 離して!」
ガトーのゲルググはセシリアのザクの腕を掴んだまま、なぜか大破したムサイの方へ引っ張っていく。しかも一番被害のひどい機関部だ。
「見てみろ! 今まで見たこともないだろう。これが宇宙での戦い、人の死というものだ!」
「! …… こんな、これが…………」
セシリアは絶句した。
ムサイの破壊部から見える艦の内部には、多くの死体があったのだ。
軽巡洋艦ムサイは乗員八十人もいて、特にエンジン部には機関科の兵や整備兵が多く詰めている。
セシリアの思考が停止したのは、ただ死んでいるからではない。
その死体の惨状が想像を絶するものだったからだ。熱で焼け焦げ、物理的に潰れ、引きちぎられ、人の形になっていない。
「これを招いたのが何か分かるか。お前の我儘だ。セシリアといったな、それを知っておけ。目を背けることは許さん」
「ひィッ、う、」
セシリアは盛大に吐いた。
これを見てしまえば当たり前だ。
セシリアは頭も良く気丈な女だったが、この光景は前線の経験も無いただの秘書の許容量をはるか超える。
もちろん涙も出るし、何がなにやら分からない。頭の隅にはガトーが正しいのだ、言い訳もできないという思いがあった。
しかしそれだけでガトーは済ませはしなかった。
「ぅああぁ! ああぁぁ!」
「見ろ! お前のギレン総帥も死んだんだ! こういう死体になって。それを認めろ! しかしお前の罪はそれだけで済む話じゃない。次は贖罪をしてもらう」
ガトーはこのムサイに俺のチベから救助が来始めたのを確かめると、セシリアのザクを連れて今度は連邦のサラミスへ向かっている。サラミスは無残に大破しているが爆散まではしていない。
「このサラミスで生きている者を見つけ、救助する。お前にもそれをやってもらう。ジオンの敵は連邦だ。ギレン総帥を殺したのも連邦だ。しかし、それを敢えてお前に助けさせる」
怖気付いて拒否の構えを見せるセシリアをせっつき、ガトーは救助を手伝わせた。各ブロックの信号を探り、ノーマルスーツがあれば生体反応を見て救助していく。
セシリアの操縦ではものの役に立たないが、わずかでも敢えて任せたのだ。
途中何度もセシリアは吐き戻した。
吐く物がなくなっても吐いた。
このサラミスはさっきのムサイに優るとも劣らない惨状である。あり得ないほどねじ曲がった死体、無酸素で喉をかきむしっているものもある。
家族の写真を最後に握っている死体を見ると頭が真っ白になった。
まだ目を開けた死体、強い恨みのこもった視線と目が合ってしまったら、セシリアは背筋に震えが来て小便をありったけ垂れ流してしまった。
「救助は終わりだ。チベに戻る」
ガトーはセシリアと共にチベに戻った。
MS発着場にザクを押し込めると、ガトーは手早くザクのハッチを開ける。
そこには心のエネルギーを失い、放心状態のセシリアがいる。
ピクリとも動かない。
ノーマルスーツは着ていない。代わりにピッシリと形の良い秘書の制服姿だ。
しかし、今や飛び散った吐瀉物に顔も髪も服もまみれ、おまけに小便に浸されている。これ以上なく酷い姿だ。
そこを顔色も変えず、ガトーが言う。
「よく頑張ったな。セシリア」
この報告を聞いた時、俺はとてつもなく嫌な予感がした。
ガトーはよくやった。それは本当にそう思う。
その後回復したセシリア・アイリーンは、救助した兵や秘書課の女性にかいがいしく世話をしているそうだ。
もう自殺などは考えていない様子らしい。全てガトーのおかげだ。
だがこれを聞いて、俺は自分の頭をガツガツ壁にぶつけていることをイメージしてしまった。
ちょ、ちょっと待ってよ!
これだから!
ガトーさんは態度もクッソイケメンなんだよ!!
これまで容姿も能力も自信があって、どちらかというと高慢な女が自分のこれ以上なく無様な姿を晒けだしてしまった。
だが少しも笑われず、真摯な言葉で報いられたんだ。
少し考えれば分かる。それはみな、自分の心の痛みを分かり、救おうとする暖かな思いやりから来たことだ。それで心は満たされた。
これがどんな結果になるのか!
頼みますからガトーさん! そこ分かって下さいよぉ!
しかし俺は俺でセシリア・アイリーンに事の顛末を聞き出す必要がある。どうしてズム・シティにいるべき秘書課が艦に乗っていたのだろうか。
「この度は、ご迷惑をかけて申し訳ございません。特に、わたくしのお見苦しいところを。死ぬほど恥ずかしい思いです。できれば、忘れて頂ければありがたいのですが……」
そう言われても俺が別にゲロや小便まみれの姿を見たわけではない。まあ、彼女の側からすればそういう風聞を知られただけで身悶えするほどの事態なんだろうな。
それどころか今、目の前にいるのはさすがはギレン総帥の第一秘書、圧迫感を感じるほどの美女だ。いやそんな姿でもたぶんあなたなら綺麗ですよと言うほど俺も馬鹿ではないが。
「それはともかく、いったいどうしてこんなことに」
そしてセシリア・アイリーンから聞き出したのは、ズム・シティのゆゆしき状態だ。
ア・バオア・クーの戦いはもちろんズム・シティの現状は皆の最大関心事だった。ミノフスキー粒子のため遠距離通信はむろん不可能だが、それでも漏れ聞こえる情報はある。伝え聞く戦局は芳しくなく、連邦の物量は果てしがない。
そしてついに、ギレン・ザビ総帥戦死の報が届いてしまう。
これでズム・シティは大混乱に陥った。
特にひどかったのは市民ではない。首都防衛隊とギレン親衛隊だ。おそらく連邦の本国侵攻そのものへの恐怖もあるだろうが、それにも増して敗戦後の戦犯狩りが恐ろしい。ジオンの戦争犯罪が裁かれるならば多くの者が極刑を免れない。身に覚えのある者が多過ぎた。
そして自暴自棄のギレン親衛隊と、それを討伐して連邦に媚びを売りたい首都防衛隊に小競り合いが生じてしまう。
たちまちそれが本格的な戦闘へと燃え上がる。
しかし、どちらも自分のことばかり考えていて、本当にギレン・ザビのことを考えていたのはごく少数しかいなかった。ギレンを信奉する軍人は少なくないが、みな既にア・バオア・クーに出払っていたからだ。
だが、ズム・シティにいた中でもギレンの近衛警備兵たちと秘書課は別だった。
本当にギレン・ザビを心配し、その死を認められず、ア・バオア・クーに行きたいと願った。だがしかし、いくら訴えても親衛隊も防衛隊も聞く耳を持たない。
仕方なく放置されていたムサイを奪ってここまで来たというわけだ。
「それで手前勝手な願いとは存じておりますが、わたくしが代表して申し上げます。当面この艦隊での保護、いいえ勤務を秘書課一同お願いしたいのですが」
「むう、それはドズル閣下に報告した上でのことで、おまけにこれほど前例のない配置転換はどう考えても無理だと言っておきたいが……」
そうセシリアが願ったのは理由がある。このままア・バオア・クーに行くのを諦めてズム・シティへ戻ると、それはそれでまずい。自分はとにかく、秘書課全員に命の危険がある。
あのギレン総帥の秘書課だ。そこにあるささいな情報一つで怯える人間はいくらでもいる。今頃いてもたってもいられないだろう。そういう人間は、秘書課にいる人も情報も丸ごと抹殺すればいいと思ってしまう。短絡的な考えだが、人間とはそういうものだ。高い確率でそうなる。
今、この艦には、ムサイの艦橋に詰めていたギレン総帥秘書課のいずれ劣らぬ美女軍団総勢九人も救助して乗せている。
彼女らを再びズム・シティの騒乱に巻き込ませては命がない。それは可哀想だ。だがはっきりと約束もできないので言葉を濁した。
遠くない将来、俺は思い知ることになる。
艦隊行動というものは砲撃やMSだけで成り立っているわけではない。いや、むしろそれは最後の段階というのに過ぎない。後方の地味な仕事の上に依って立つ。
俺のコンスコン機動部隊は、通常では考えられない圧倒的に高い稼働率でこの先の連戦を戦い抜けることになる。それを可能にしたのは盤石の統制と物資管理だ。
この時、その原動力を手に入れていたんだ。