俺はバスク・オムという人物とは初対面だったが、最初から印象が良くない。そのため、積極的に悪意をぶつけることはしないまでも事務的な対応をしてしまった。
報告書を見て分かっている。収容所の他の捕虜を見捨てて逃げるような奴に同情することはない。
尚も暴れようとするバスク・オムやその取り巻きたちを引っ立てさせた。
その逆に、サウス・バニングやヘンケン・ベッケナーとは旧交を温める。
ジオン軍人である俺が連邦の捕虜にそんな感情を抱くのはおかしなことで、偽善と言われるかもしれないが、実際にそうなのだから仕方がない。
「いろんなことがあったようだな。報告書で知った。災難というか何というか」
「全くだ。ジオンの大将」「そういや、文字通り大将になったそうだな」
「特にサウス・バニング大尉、銃撃戦で当てられなくてよかった」
「悪運があるのさ。不死身の第四小隊だからな。近々連邦とジオンで捕虜交換をしてくれるそうだが、大将、俺が連邦に行ったら、手ごわい敵になって戻ってくるぜ。おまけに今度活きのいいのをスカウトしたんだ。覚悟しといてくれ」
それはお手柔らかに、と微笑むしかない。
捕虜というのは時の運でなってしまうもの、お互い様だ。そういう機会でもなければ敵味方同士で話すことはなく、それを活かすのはいいことではないか。
さて、捕虜交換のことはジオンから外交ルートに則り、正式に連邦へ提案された。キシリア閣下の思惑通りである。ちなみにドズル閣下も感心しながら全面的に賛成しているそうだ。
その一方でジオンは更にもう一つの作戦を始める。
これもやはりキシリア閣下がドズル閣下を動かしている。政略に関するならキシリア閣下、適材適所、そういうものだ。
この作戦には背景がある。
ジオンが月周辺の制宙権を得たことで自動的にア・バオア・クーの包囲ができるようになった。ルナツーからのルートは遮断され、もはやア・バオア・クーに連邦から補給物資を送り届ける方法はない。
むろんルナツーのグリーン・ワイアットはいくつかの対処を考えた。サイド6経由などの変則的なルートを試みたりしたのだ。しかし、そんなことで包囲をかいくぐろうとした輸送艦隊など相変わらずシャアの餌食にしかならない。
シャアのゲルググはJ型に改装され、これまで以上に赤い彗星の恐怖を連邦に与え続けている。
ジオンの目的はア・バオア・クーを攻略すること自体ではない。徹底的に補給を断ち、孤立させ、降伏を引き出すのが主眼になる。
捕虜交換を実施すると決めた以上、その前に連邦捕虜をできるだけ多く手に入れておきたい。
それが政略でジオンを強化する道、キシリアの考えである。
しかし、その思惑は半分だけ報われた格好になる。
ア・バオア・クーの連邦軍は思い切ったことをした。ア・バオア・クーにこだわらず、全軍出撃し、一気にソロモンへ撤退しア・バオア・クーを捨て去ったのだ。連邦としては近場のソロモンと合流し戦力の集中を図るのは合理的な選択である。
さすがに周到に準備された一気呵成の大移動はシャアといえど中途半端に手は出せず、見送るにとどめている。
もちろんこれも、恐るべき機略を持つグリーン・ワイアットの指示によるものであることは当然である。
「ステファン・ヘボン君。ア・バオア・クー要塞への補給は無理になったようだ。これはもう要塞を放棄するしかないね」
「要塞を放棄、でしょうか? あれほど苦労して手に入れた要塞を…… サイド3の至近に位置し、橋頭堡として重要な価値があるものかと」
「サイド3に近いからこそ、ここからの補給が難しいのだよ。むろんルナツーの大艦隊を動員すれば物資輸送も不可能とまでは言わないが、下手すればそれこそ一大決戦になり、現時点でそれはリスクが大きい。ジャブローの高官どもも首を縦には振らないだろうね」
「それはそうでしょう。しかし愚考しますが、要塞を放棄するのも、それはそれでジャブローの不興を買うのでは。いくら説明しても納得しない者はいるでしょうし、閣下のお立場にまで影響する可能性が」
「ありがとう。だがそれくらいは覚悟しているよ」
「閣下……」
「とにかく要塞は放棄する。補給が無くなり、困窮する将兵を捨ててはおけないからね」
「ではもう少しだけ粘って抗戦すれば。時間が経つほどルナツーの戦力は大きくなり、撤退支援をするにしてもやりやすいでしょう」
「ステファン・ヘボン君、それはできない。これが地球であったなら、野生動物でも捕まえて食えと命令もできるのだろう。しかし宇宙ではそうもいかない。宇宙は残酷で、補給を失った軍は死んだと同じだよ。ジャブローの高官には分からないだろうがね。しかし少なくとも私はそんな状態にしておくつもりはない」
「それほど将兵のことを…… 閣下は少しばかり変わられたように思えます」
そして結果だ。ア・バオア・クーは戦うことなく再びジオンの要塞へと戻った。
さすがに製造設備は機械を壊されていて、すぐに復旧はできないが、少なくとも艦隊係留設備やドックなどは使える。
さあ、これで舞台は整った。
今、ソロモンに連邦軍が固まっているのだ。
俺は予期した命令を予期した通りに受け取る。ズム・シティのドズル閣下から通信が届けられた。
「コンスコン、少しばかり戦略に変更だ。ジオンは、先にソロモンを獲る!」
「承知しました! ドズル閣下」
「ソロモンにいる連邦の戦力は艦艇15隻余り、MSもそれなりと見込まれる。そこへア・バオア・クーから20隻ほどが逃げ込んで合流したのも分かっている。それをまとめて叩いてくれ。この作戦にはキシリアのところからも部隊をいくつか出す予定になっている。具体的に言えば海兵隊とシャアの隊だ。デラーズやカスペンも合流させたいが、これはルナツーへの牽制に残す予定だ」
「戦力的にはそれで攻略も可能でしょう。欲を言えば、戦いの終盤、ソロモンから連邦が素直に撤退できないようにして降伏に持ち込むのが一番かと。今、捕虜をできるだけ多く取っておきたいというキシリア閣下の思惑もその辺にあると察します」
「分かるか、その通りだ。しかしお前には言うまでもないが、欲ばってもいかんぞ。俺はミネバがあんまり可愛いから将来スターになると確信しているが、いつもゼナから欲を出し過ぎるなと言われている」
「 …… 」
声が出なくなった。いいんだけどさ。
さあ、我らが懐かしき古巣、ソロモンの攻略戦だ。そこにいる連邦残存兵力をルナツーからの邪魔が入る前に叩く。
さっそく編成を済ませ、物資を積み込み出撃する。
ソロモンが連邦に奪われたのはつい五ヶ月前に過ぎないが、それがだいぶ昔に感じられる。
しかし感慨深いのは俺だけではなかったようだ。
出動し、一日半の行程を進み、ようやくソロモンが点となって見えてきた。
それは細かな星屑の一つとして埋もれている状態から、次第にそれらとは違う姿を見せてくれる。
たまたま打ち合わせを終えて艦橋から出ようとしていたガトーが窓からそれを眺め、しばし立ち止まる。
「ソロモンよ、私は帰ってきた……」
呟きは小さなものだったが、ガトーの通る声に乗って艦橋にいた者たちへ届けられていく。
それをセシリア・アイリーンが聴き取り、うっとりしたように眺めている。
くそっ、やっぱそうなるよな……
その時、ティベへ高速で接近してくる一機のMSがある。連邦機のはずはない。見た目にもジオンのガルバルディなのだが、細かいところでちょっと印象が違うような気もする。きちんとジオンの識別信号が出ているため、そのまま近付けさせた。
確認のために連絡を取ろうかと思ったところで向こうから通信してきた。
「こちら海兵隊隊長、シーマ・ガラハウ中佐。試作MSのテストを兼ね、連絡事項を伝えに来たところだ。コンスコン大将に取り次ぎ願いたい」
「コンスコンだ。今回のソロモン攻略戦、キシリア閣下の海兵隊と共同作戦になると聞いている。宜しく頼む。ところで、そのMSは何だ? ゲルググ・マリーネではないようだが、試作とは?」
「こちらこそコンスコン閣下と共同作戦とは光栄の極み」
そして聞き出した。
妙なMSはガルバルディをベースに構造材を最新のチタン合金に置き換えた試作機だったのだ。
フォン・ブラウンに残されていた連邦技術の一つ、チタンの大量製造法が 、ついにマ・クベ少将の努力によってジオンの知るところとなった。
元々チタンを含む鉱石自体は宇宙にいくらでもあるが、今までは精練法の問題で多くは手に入らなかった。ジオンMSはそのためスチール製に甘んじざるを得ず、設計で何とかカバーしていたとはいえ、性能の重い足かせになっていた。
しかしこれから以後、ジオンは待望のチタン合金が使えるのだ。付け加えて言うと、マ・クベ少将は自分が地球から持ち帰った資源と合わせ、連邦MSに使われているチタン合金以上の超高性能合金の開発を目指しているらしい。
これはかなりの朗報だ。
もちろん素材が違えば最適形状も加工法も違ってくるだろう。そのため試作の繰り返しが必要だが、完成すればガルバルディの改良型はもう一つ上の高みへと進めるはずだ。
「最後にコンスコン閣下、一つ言づてをお願いしたい」
「言づて? それは何なりと、シーマ・ガラハウ中佐」
「そちらのMS隊に、『小娘ども、戦いではあたしとの格の違いを思い知らせてやるよ、なんなら誰がガトー少佐にふさわしいか勝負するかい』、と伝えて頂ければ」
「 …… 」
ああ、やっぱり、そうなるのか。