おお、あれがサイド6の湖か!
さすがに自慢の湖だ。大きく、見応えがある。
水はさざ波を立て光をまき散らしている。
とても美しい。
湖という造形も素晴らしいのだが、スペースノイドにとって大量の水というものは豊かさの象徴であり何とも心がなごむ。なぜなら宇宙にある水は水ではなく、冷たい氷の塊にしか過ぎず手にも触れられない。
残念なのは白鳥もいるという話だったが、今は別のところに移動しているらしく見られなかった。しかし観光には充分だ。サイド6の湖は本当に希少で、このまま平和であれかしとさえ思う。
俺はそういう景色を満喫できる気分にいる。
サイド6における連邦とジオンの捕虜交換は済んだ。千人ずつ十四回にも分けた捕虜の輸送は問題なく終わり、そして約束通り連邦から同数のジオン捕虜を受け取った。今、順次本人照合をかけているが、それが終わると彼らは正式に捕虜という身分から解き放たれる。どんどんそんな者が増えているのだ。
このサイド6に喜びの声が溢れているようで、実際にそんな声が聞こえなくとも何かしら気分が良い。
だから今、護衛のガトー、カリウス、ケリィ、そして急な仕事でも取り次げるようセシリアも連れて湖の観光に来ているのだ。どうせ忙しい艦隊勤務は目前に迫ってきている。一瞬でもくつろいでおくのはいい。
俺以外の者も大変楽しそうだ。ガトー、カリウス、ケリィは旧知の仲、そしてセシリアはもちろんガトーの近くにいられて嬉しくないはずがない。
まあ、逆に地団駄踏んでいる者が数名いるのは確かだろうが。
皆は明るい気分の中、湖に到着する直前で連邦兵と思われる少年を助けてあげてもいる。ここはサイド6だ。ジオンが連邦兵を助けて悪いことは何もない。中立地帯ならではのことである。
降雨予報を聞いていなかった連邦兵がジープを運転していたらしいが、突然の雨で生じた泥の深みにタイヤを取られて動けなくなっていた。そこを通りがかったのだ。
「おい若造、エンジンに無茶をさせるな。こりゃあ牽引しないと出られんぞ」
主にケリィ・レズナーが助けている。メカにやたらと詳しいこともあるが、こいつは見た目とは違って面倒見が良いのだ。困った者を見捨てない性質なのである。特に未来ある若者には。
「あ、ありがとうございました!」
その連邦兵は栗色の天然パーマで小柄だった。よく見るととても若く、民間人と言ってもおかしくないほど線が細い。そしてこちらのジオン軍服を見ると一瞬で硬直し、とてもぎこちない礼を言ってすぐに去っていった。まあ、連邦の学徒兵か何かだと思うが、ジオン将兵と直接顔を合わせれば緊張もするだろう。
「あれが、ジオンのコンスコン大将…… あ、どうして分かったんだろう……」
そんな連邦少年兵の声が俺に届いているわけはない。
湖の観光を終えて戻ろうとした時だった。
驚きの事態が待ち構えていたのだ!
水面の反射光に照らされながら、近付いてきた者たちがいた。三人だ。
中心にいた一人が、よお、とでもいいたげに挨拶代わりに右手を上げている。
俺のよく知っている人物である。
俺は叫んだ。もちろん、喜びの叫びだ。
「キャ、キャプテン!!」
「おっ、コンスコン、いやコンスコン大将様、元気そうだな。いやご壮健で何よりです」
おどけて見せている。
一応俺の地位に敬意を払っているように見せ、実のところ親しみを隠そうとしていない。俺に会えて嬉しいということが伝わってきて、なおさら俺も笑顔になる。
その男はまるで変っていない。
髭をつけ、豪放磊落な雰囲気を漂わせている。もちろん中身もそうだ。
かつてはいつもユーモア溢れ、漢気があり、戦いに臨んでは常に勇者だった。そして艦長職でありながら皆にキャプテンと呼ばれ親しまれていたものだ。
そんな俺の様子を見てガトーがその者は誰なのか聞きたがっている顔をした。一目で分かったのだろう。勇士は勇士を知る、そういうことかもしれない。俺はガトーと皆に紹介する。
「この人はスベロア・ジンネマン大尉だ。私が士官学校を出て初めて乗り込んだのは小さな哨戒艦だったが、その艦長だった」
「おいおい、小さいは余計だ。それにその艦で海賊の仮装巡洋艦を叩きのめしたこともある」
「そうだった……」
「そうだったじゃない。お前が最初にミサイルをぶち当てたんじゃないか。その一発で皆はミラクルコンスコンと呼んでいたが、後は一発も当たらず、まぐれコンスコンと言うように変わった。なあに、俺に言わせれば同じまぐれでも最初に当たりを出しただけで大したもんだ」
俺は褒められているのか貶されているのか分からないが、とにかくスベロア・ジンネマンが生きていてくれて嬉しい。
というのもどうしてここで再会したのかおおよそのところは分かっている。
スベロア・ジンネマンは地球表面作戦に加わっていたからだ。
「それでキャプテン、サイド6にいるということはやっぱり捕虜交換で?」
「そうだ。アフリカ戦線に辿り着いたまでは良かったが、そこで運を使い果たしたようだ。連邦に捕まっちまい、ようやく出てこれたところよ」
スベロア・ジンネマンともあろう歴戦の勇士まで捕虜になったのだ。地球でのジオン軍の苦境は察するに余りある。ジオンはノイエン・ビッター少将の指揮でアフリカ戦線に集約させつつあると聞いているが長くもつはずはない。
そんなことを考えながら、俺はジンネマンの横にいた二人を見る。どちらも俺は会ったことがない。一人はクリーム色の髪を横分けにした二十代くらいの女性、もう一人は紫がかった髪をした十二、三歳くらいの女の子だった。
「キャプテン、こちらの二人は? ええと、奥様とお子さんで?」
「あ? ああコンスコン、言い忘れていた」
俺はなんの気なしに残りの二人について尋ねた。おそらくスベロア・ジンネマンが捕虜から解放されるのを待ちかねて、危険を冒してまでサイド6にやってきた妻子なのだろう。確かジンネマンは本国に妻と一人娘がいたはずだ。そして娘をたいそう可愛がっていたと記憶している。
「俺の妻がこんなに若いはずはない。ええと、妻の妹のライラで、いつも世話になっている。そしてこっちは娘のマリーダだ」
なぜだろう。
なぜかジンネマンは目を泳がせたような気がした。
一瞬言いよどんでもいる。まさか嘘だとでもいうのか?
おまけにライラと紹介された女は一言も言葉を発していない。
口が動くが言葉にならないのは、明らかに動揺しているからだ。それがありありと分かる。
しかしその一瞬後のことだった。
可愛い声が響き、雰囲気をいっぺんに和やかにした。
「うん、マリーダだよ! おじちゃん、よろしくね!」
「おじちゃんという年では…… あ、いや、お兄さんとはさすがに言えんしなあ…… 」
俺の疑問は氷解した。
そのマリーダという娘は十二、三歳くらいだろうか。紫がかった髪をした将来の美人さんだ。
それが全く邪気のない声でそう言ったからだ。
腹芸などできる年でもなく、そして嘘などどこにもない、見える年齢よりもいっそう子供らしい声だった。
これは紛れもなくジンネマンの娘だろうな。
そして俺はジンネマンと楽しい会談を済ませ、また近々会う約束をする。なんでもジンネマンは捕虜交換の最初の方で解放されたので部隊編入まではまだ暇があるそうだ。
最後はまたマリーダが手を振る可愛い姿を見て終わった。
その一方、どんどん胸の中が重たくなる人間がいた。
ライラ・ミラ・ライラである。
ジオンのコンスコン大将に対する謀略を担当するスベロア・ジンネマンに護衛兼監視として付いている。
ジンネマンは見たところ質実剛健、頼もしい勇士である。どうしてそんな者が謀略なんかさせられているのか…… たぶん妻子か部下の命を握られているのではないか。そして脅されて。
そこは上から教えられていないし、分かりようがない。だがジンネマンが選ばれた理由ははっきりしている。なるほどジオンのコンスコン大将の元上官で、これ以上なく厚い信頼を置かれている人物なのだ。
そして自分はというと、あれほど練習したのに会談では上手な演技どころか何とかボロを出さずに済ますだけで精一杯だった。やっぱりMS乗りには無理のある任務なのか。
最初は上の空といっていい。
ライラにとって非常に個人的な理由で。
なぜなら、ついにアナベル・ガトーと顔を合わせたからだ!
今この時、小さな画像では分からなかった立体感、細かな表情がよく見える。向こうが全く分かっていないのは当然、戦場で邂逅した時にこっちの顔を見られていない。
そしてガトーの引き締まった表情、信念のある漢の顔にますます魅き付けられてしまった。
それはもう自分でもどうしようもない。
一つ気になったのは傍にいた女だ。
その女は明らかに戦場とは無縁な風貌であり、非常な美人だ。秘書か何かだろうと思う。それならコンスコン大将に付いている秘書としか考えられない。しかし、その女はなぜかガトーの方をチラチラ見ているではないか! 見てはいけないと思っていても見てしまう、というような。これが非常に気に障る!
だがしかし会談の途中から別の戦慄に取って代わられていく。
それは自分と共にジンネマンに付けられたもう一人の人間、紫髪の少女のせいである。もちろん初対面の少女なのだが作戦前に見せられたファイルにはこう記されていた。
年齢:13歳
氏名:無し 仮称としてロザミアと付けられていたが、作戦前にマリーダと刷り込み済み
状態:スベロア・ジンネマンの娘と刷り込み済み 今のところ安定的 そしてスベロア・ジンネマンのためなら確定的に自己犠牲
この少女は強化人間というものだったのだ!
作戦を行うにあたって、ジオンのコンスコン大将を安心させるために付けられた娘役だ。そして何か変事があれば進んで捨て駒になるように付けられた。
いや、作られた。
こんな、強化人間など初めて見た。
見かけはただの少女なのに、何がどうなっているのだと最初は半信半疑だった。
だが少女はあまりにも自然にスベロア・ジンネマンの娘になっているではないか!
もはやマリーダそのものだ。
吐き気がする。
自分が正義と信じた連邦軍は怪物だったのか。
こんなものを作る組織を自分は仰いでいたのか。
連邦軍がそのような非人道的な研究をしていることは風の便りで知っていた。おまけに先頃はジオンを追われた優秀な科学者が一人亡命してきて、連邦研究所に加わっているとも聞いたことがある。そのため研究が飛躍的に発展していると。
今までは他人事だったがその成果を今、まざまざと見せつけられた。
何が強化人間だ! 何が強化だ!
強化人間というのは正しい言い方ではなく、これでは、人間でさえない!
このマリーダ、あるいはロザミアという少女は不憫だ。
正に道具であり、そこに人としての尊厳は何もない。
記憶を塗り替えられるということは全ての意思も感情も塗り替えられるということだ。
今までの人生は無しにされる。
それどころかこれからの人生も無しにされる。
誰かの思いのままに動く人生となるのだ。しかも、そこに追いやった人間を憎むことさえできず、その人間のために動かされる羽目になる。しかも自分の意思で進んでやるように変えられてしまって。
囚われの奴隷でさえ自分の感情という最低限の抵抗ができるが、それさえも許されないとは。
これではただ死んだ方が百倍マシだ。
自分が敵にもしも記憶を塗り替えられたら…… その結果敵に忠誠を誓い、心の底から自分の意思で敵の手駒になることを選ぶことになる。それを想像したら寒気がする。
軍が強くなるためなら何をやってもいいというのは違う。それは絶対に間違いだ。
宿舎に着くと、ライラは本当に吐いた。