数日後、ジンネマンから俺に連絡があった。
なんでも前回は見そびれてしまった白鳥が今湖にいるから、見てみないか、とのことだ。正直言えば湖観光は一度で充分、ことさら白鳥は見なくてもいい。
だがせっかくジンネマンがそういうのだから、また行ってみようという気になった。
そしてまた観光をするのなら今度は少し違うメンバーの方がいいだろう。
メンバーといえば、俺はサイド6に少数戦力で来ているが、だからこそメンバーについては選び抜いている。特にMSパイロットはシャリア・ブル、ツェーン、カヤハワらを厳選して連れてきている。
そこで二度目の湖観光はガトーとツェーン、カヤハワを伴って赴いた。もちろん予想した通りツェーンは二つ返事でOKだ。犬の尻尾ならそれこそちぎれんばかりに振るというのだろうか、首を縦にぶんぶん振っていた。
当然のことだがその陰では荒れている人間が存在する。特にクスコ・アルはまたしてもガトーと一緒の観光から外されてしまい荒れ方も尋常ではない。
ただしこれは仕方がない。全員をいっぺんに、というわけにいかないではないか!
それでは全員が全員とも満足しないだろう。最高指揮官なのにどういう気苦労をさせられているんだか俺は。
そしてジンネマンの方はというと、やはり前回の二人を伴っていた。
「よお、白鳥が見えるだろ」
「キャプテン、やっぱり白鳥がいたんだ。湖には白鳥が似合うなあ」
「あっちに湖の展望台がある。近くで見えるぞ。行ってみないか」
俺は何も疑わずジンネマンの誘いに乗り、ガトーとツェーン、カヤハワをそこに置いたまま展望台に移動した。それは湖の上に飛び出ていて、桟橋の上の通路を行くと広間になっている形のものだ。そこからはほぼ全周に渡って湖が見渡せる。
白鳥を見た後、俺は何気なくジンネマンの方に視線を戻す。
するといつになく険しい表情のジンネマンの顔があった。少しばかり嫌な予感がする。
「コンスコン、ちょっと話がある」
「何だろう、キャプテン」
「連邦の手は意外に伸びているぞ。気を付けろ」
「ええっ?」
「連邦は俺を使って工作をやろうとしている。よく考えついたといえばよく考えた。しかし間抜けと言えば間抜けだ」
な、何だって!!
地球連邦は俺に工作を仕掛けてきた?
いや、そのことだけなら以前キシリア閣下に警告された通りだ。予期したことがその通りになっただけと言える。
しかしこの出会いが連邦の仕掛けだとは!
連邦がスベロア・ジンネマンともあろう勇士を工作員に仕立て上げるとは驚く他ない。そして同時に分かることがある。ジンネマンが俺にそれを打ち明けるということはやっぱりジンネマンなのだ。
俺の尊敬するキャプテンは俺を騙すことなど決してない。そこは間違ってなかった!
だがジンネマンの言葉に素早く反応した者がいた。先日妻の妹だと紹介されたライラという女だ。
「貴様! それを言うとはどういうつもりだ!」
「連邦の嬢ちゃん、芝居は止めにしようや。どのみち俺もあんたも下手な芝居だったけどよ。言っとくが俺は連邦のための工作などする気はねえ」
しかし、ライラという女は口だけではなかった。
バッグから素早く拳銃を取り出している。サイド6は銃の携帯が許されているが、これは明らかに護身用などではなく実用重視の軍用拳銃だ。精度も威力も普通の拳銃のものではない。ライラはジンネマンの言葉によると連邦軍人なのだろう。
そして流れるような動作で拳銃を構える。
体は横になり、腕と拳銃が一直線に見える。美しくも凶悪な姿だ。
「スベロア・ジンネマン、連邦を裏切るつもりか! はっきりと返事をしろ。返答如何によっては処罰する!」
「俺は最初から裏切っちゃいねえよ。痩せても枯れても俺はジオンの人間だ。最初っから最後までそうさ。連邦がどう考えようがそこは譲れねえ」
「貴様ぬけぬけと……」
「俺は死んでいい。いや、死なないとお前ら連邦は妻子に手を出すだろ。そら、お目付け役の仕事を果たすんだな」
そこでライラ・ミラ・ライラはジンネマンに向けて警告射撃をした。上方かっきり1mを銃弾が通過する。
当てるつもりなら簡単だという意思表示だ。腕は確かであり、この部分では連邦がライラを選んだのは正しかった。
だがライラの性格までは適格ではなかったのだ。いきなり撃ち殺すことには躊躇してしまっている。ライラの見るところ、スベロア・ジンネマンはジオン側とはいえ、尊敬すべき勇者、己の身命を賭けコンスコンとジオンのために行動している。
できれば殺したくはない。
「やれやれ、あんたは硬いだけの女かと思ったら案外情け深いんだな。いい女だ。だが今は情けをかけなくていいい。俺がそう望んでいるんだ。恨むことはないから早いとこやってくれ、連邦の嬢ちゃん」
俺の方はこの二人を見ていて、やっと理解したのだ。
ジンネマンはジオンを裏切らない。その代わりに自分が死のうとしている。話から察するにたぶん妻子を殺すとか脅されているのだろう。そしてジンネマンとしては自分が生きている限り妻子に危険が及ぶが、しかし、死んで利用価値が無くなれば妻子が助かる可能性がある。
くそッ! 連邦め、なんという卑劣な! 家族の命で脅しをかけるとは!
そしておそらくブラフではない。サイド3における連邦情報網は深く、そんなことまで実行できる力を持っているということを示している。
一方、ライラという女はお目付け役、ジンネマンが裏切ればそれを始末するということか。
ジンネマンの言葉では情け深いとのことだが、見ると確かに迷っているようだ。だが決して甘い表情ではない。それなりの軍人の表情を崩していない。構えた銃を下すことはなく、殺すのがやむを得ないことと踏ん切りをつけた瞬間、きっと撃つ。
そしてライラの祈りを込めた警告は意外な事態を引き起こした。
突然、そこへ飛び出してきた人間がいたのだ!
「お父さんに何をするの! やめて!」
マリーダ、いやロザミアだった。
ジンネマンの前に立ちふさがってきた。
ライラも思わず再び警告射撃を撃ってしまったが、それは横1mを通過する。その銃声が湖に響き渡ってもなおロザミアはジンネマンの前に立って動かない。
微塵も恐れがない。断固とした決意。
この事態にライラは宇宙で戦うよりも冷や汗が流れる。
植え付けられた偽物の親子。偽物の記憶。そんなもののために少女は死を厭わないのだ。人は記憶から意志を生じさせ、疑うことを知らない。
本当ならジオン側がジンネマンを疑って始末しようとした際にこの少女は盾になるはずだったのかもしれない。それが本来の用途なのだろう。しかし今ジンネマンそのものが連邦を裏切り、逆に始末をしようとしたライラの邪魔をするとは。皮肉なものだ。
「俺の知らない娘さん。お前は俺の娘じゃない。こんなことをする必要はないんだ。どいてくれ」
「何を言ってるのお父さん。私はマリーダよ」
「お前はマリーダじゃない。俺のマリーダじゃないんだ」
「え、お父さん、どうかしちゃったの? ずっとずっと、私はマリーダだよ。いつも一緒にいたじゃない」
「よく考えてみろ。娘だというなら、幾つも思い出があるはずだ。思い出せるのか」
ロザミアの目が泳いだ。
否定の言葉が勢いよく口から出かかったが、それが次第にゆっくりになり、最後まで紡ぐことができず動きが止まる。
そこから精神が少しずつ崩壊していった。
「私はマリーダよ。マリーダなんだから…… 」
言葉だけでなく動作まで糸の切れた操り人形のように完全に止まった。
この事態から立ち直ったのはライラだ。もはや迷うことはない。ロザミアを掠めるかもしれないが、ジンネマンを仕留められる射撃コースを見定めた。今はジンネマンを倒し、この哀れな少女を救い出すのを優先する。
「よく分からないが、俺のキャプテンを撃たないでもらおう」
ここで俺も介入する。一応拳銃を取り出し、ライラに向けている。まあ、俺の腕ではおそらく対抗するのは無理で、撃ち合えばきっと負ける。そこには自信がある。
だがしかし、時間さえ稼げればそれで充分なのだ!
余裕で事態を好転させられるのは分かり切っている。走って数分の距離にガトーらがいるのだから。さっきのライラの射撃音が聞こえれば直ちに来るに決まっている。
俺はあまりに楽観し過ぎていた。
「な、何!?」
それを真っ向から否定する物体がライラの背後に白い糸を曳きながら落ちてきた。
湖に落ちた一瞬後、激しい音と水柱を噴き上げるではないか。それが次々に飛んでくる。
「こ、これは、ロケット弾か? こんなものがどうして!!」
その数瞬前、ガトーらも舌打ちをしている。
ライラの撃った銃声が聞こえるや否や、もちろん直ぐに銃を取り出し湖に出た展望台へ向けて走っている。
しかし、視界の隅に入ってきたのだ。
「連邦のMSがいるぞ! 4、5、総勢6機! 最初から囲んでいたのか、まずいな。ツェーン大尉、ジオン軍の周波数で全方位に応援要請だ」
連邦MSはある程度以上接近してくることはなく、代わりにロケット弾を撃ち出したではないか。MS携帯型の小口径連装ロケット弾だ。
むろんコンスコン大将がいる湖の展望台を狙っているが、それにしてもひっきりなしに撃っている。
狙いは正確ではなく、着弾は湖や岸辺一帯にまで広がっていく。しかし歴戦のガトーには連邦の意図が分かる。
範囲殲滅だ。
コロニーの構造材を壊さない程度の威力にしながら多数をばら撒く。
手早くこの辺り一帯を死の荒野にするためだ。中立地帯のサイド6でこんなことをするとは暴挙に過ぎないが、コンスコン大将を葬るのはそれほどの価値があると思っているのか。だが確かにその通りなのだ。考えるまでもない。コンスコン大将がジオンから失われるなどあってはならない。
憎らしいことに連邦のとった戦術は的確で、ガトーらも容易には近付くことができなくなった。連邦MSの動きとロケット弾を見極めて進路を細かく修正しなくてはいけない。
そしてこの攻撃に対し展望台の中はというと、驚いたのは俺もライラもジンネマンも同じだった。
連邦からの攻撃にライラも非常に驚いたようだが、直ぐに立ち直る。最前線にいる軍人というものは、何があったとしてもどうしてなどと考えた瞬間に死んでしまう。考えるのは後でいい。
とりあえず争うのは止め、皆で協力して展望台を早いところ脱出しなくては死ぬだけだ。皆で桟橋の上に付けられた通路から陸地に戻ろうとした。
その一瞬後、展望台は直撃を受け粉微塵になる。
間一髪、危なかった。
しかしぬか喜びに過ぎない。
今まさに渡ろうとした通路にもロケット弾が着弾したのだ!
俺たちに当たったのではないが、通路は脆くも崩れ落ちる。
全員湖に投げ出されてしまった。