元が何かも分からない残骸たちと、明らかにMSと分かる残骸たちと、どちらも転がっている。
ほとんどどれもが黒煙を立ち昇らせている。
そんな戦闘の跡が残るオーガスタを後にして飛び立つ。今、俺はザンジバル級ばかり七隻の艦で編隊を組ませ、一路ムラサメ研究所を目指して進むのだ。
洋上の飛行は思ったほど妨害を受けなかった。連邦の航空戦力が元々多くなかったのか、俺が通常の戦闘機では追い付けない高々度を飛ぶように指示したせいかは分からない。ザンジバルはその重量のためマッハ超のスピードは出せないが、逆に核エネルギーを使っている以上燃料を燃やすための酸素は必要ない。そして宇宙用に造られている艦体は当たり前のことだがどんな低気圧にも耐えられる。対流圏の上、宇宙への入り口ともいえる成層圏の飛行は絶妙にザンジバルの独壇場なのだ。
尤も、そのまま上昇を続けて中間圏、熱圏、そして衛星軌道へ戻ることはできず、完全に地球重力を脱する推力を得るには専用のカタパルトかあるいはロケットブースターが必要なのだが。
それでも連邦は高々度用戦闘機を少数ながらも所持していたため、それらが取りすがってきた。俺はMSを並べて対空機銃代わりに使って撃退しようと思っていたが、その必要はなかった。
シャア少将のゲルググJ改一機がほぼ全てを片付けたからだ。
短時間なら最大推力を使って浮遊さえ可能になり、しかも射撃精度が群を抜いて高いJタイプMSが威力を発揮している。
ザンジバルを優しく蹴りながら編隊内を上下左右に飛び回り、十五機ほどもあった連邦戦闘機を危険なほど近付けさせることもなく全て撃ち墜としていく。
つくづくシャア少将は華があり、美味しいところを持っていく人間だ。
そして雲の下にうっすらと陸地が見えてきたと思えば、もう目標である連邦ムラサメ研究所は至近にある。ここまでの移動でたったの9時間余りとは宇宙の長い航行に慣れた身にすれば随分と近くに感じられるものだ。
俺はすぐさま行動にかかる。
「直ちにMSは発艦、連邦ムラサメ研究所を制圧するんだ!」
ムラサメ研究所は怪しい実験をするためだけに作られた施設であり、オーガスタより随分と小ぶりだ。そしてオーガスタとは違い平原にあるわけではない。緑の深い山岳地の斜面に作られている。そのため車両での侵入路は限られてくるが、それこそMSでの襲撃ならば何も問題ない。
わずかな対空ポッドを潰した後にMSで包囲、そして制圧戦にとりかかる。
今度はララァも何も検知できなかった。つまりここに強いNTはいないということだ。しかしこの大きさの施設ならば特に問題なく探索できるだろう。レヴァン・フウ僧正もここにフラナガン・ロムがいると示した後は静かに見ているだけである。
再びケリィ・レズナーを中心とする救出チームが出動し研究所内を探っていく。二回目となれば慣れたもの、さほど時間がかからない内に収容されている者たちが見つかった。
その時のことだ。
施設がある山の反対側の斜面に動きがあった。
緑に偽装されたハッチが開き、中からオートジャイロが発進して行こうとしている!
たぶん研究所には逃亡用の地下道が用意してあり、そこに繋がるジャイロなのだ。
「あ、あれはおそらくフラナガン・ロムが逃げようとしている! ツェーン隊、行け! ここで逃したら意味がない。何としても捕らえろ!」
フラナガン・ロム博士は優秀な科学者であってもおそらく戦術のプロではない。俺だったらそのオートジャイロを囮に使い、自分だけひそかに下山する作戦を取るだろう。ある程度の距離を行けばそこで身を隠し、連邦の応援を待つ方が確実だからだ。しかし博士はそんな作戦を取らず一目散にこの場を離れる方を選ぶだろうな。
そしてツェーンは俺の期待に応えた。
だいぶ以前のことだが、ツェーンが戦闘で指を二本喪ってしまったことを聞きフラナガン・ロムが大喜びしたことがあったのだ。
ツェーンはそれを忘れず、しっかり根に持っていたらしい。
「フラナガン・ロム、墜ちなさいよ! いったんオートジャイロから地上へ。そして、次に地上から地獄へ」
ツェーンのガルバルディ改は腰を落とししっかり狙いをつける。
地上から上空に向かって閃光がひらめく。狙撃はジャイロのエンジン片方だけを上手く傷つけた。ジャイロはその性質上全部のエンジンが回らないと飛行できず、たちまち黒煙を引きながら旋回しつつ高度を下げていく。最後は斜面に手荒くぶつかる。爆発炎上するほどの衝撃ではなくまだ不時着の範囲内だ。
そこをMSで取り囲む。これで詰み、そのはずだ。
「フラナガン・ロム博士、投降しなさい」
ツェーンがガルバルディ改からシンプルにそう呼びかける。負傷で動けないほどではないと見込んでそれを待つ。
そしてその通り、博士は別に怪我をしたわけではない。しかし怖がって出てこようとはしなかった。博士には自分の行った人体実験が悪かったなどと露ほども思っていない。崇高な科学のためであり、実際に成果を上げたという自負というべきものさえ持っていて、研究をしたことで裁かれるとは考えてもいない。ただしジオンを裏切って抜け出したということは理解していたのだ。ここでジオンに捕まるのは大変まずいのは分かっている。
しばらく待っても出てこないのでツェーンのガルバルディ改が近付く。急な爆発炎上の危険性があるためMSに乗ったままである。
ますます博士は怖がるが、ジャイロの黒煙が内部にも流れ込んでいるためその熱に耐えられなくなる。一気にジャイロから出て走ることを選択した。
ツェーンは咄嗟のことに充分な反応ができなかった。
拳銃を持っているのならともかく、今はMSの武器しかない。ジャイロから飛び出てきた博士に対し殺さずに済ませるほど威力の小さい武器がないのだ。
しかし博士を逃すなど考えてもいない。その背後から、走っていく前方へ向けて警告射撃を放つ。
「この、往生際が悪い! さっさと止まりなさい!」
それでもパニックになった博士は止まらない。博士の人生では弾が飛び交う戦場など体験したことも想像したこともなかったろう。自分はそれ用に作り上げた人間を送り出すのに。
結局、博士はそれでも走り止まらず、逃げる先を探して右往左往する。ツェーンはこうなった以上MSから降り、拳銃を持って追跡しようとした。
しかしその時、博士は山が急斜面に転じるところから滑落していった。
その崖下には川があった。博士はそこまで落ちてしまう。冬の水温ではないため直接それで死ぬことはなく、間もなく引き上げられザンジバルに収容された。
だがしかし、意識が戻らない。
「医療班、フラナガン・ロム博士はどうなってるんだ。意識が無いのでは尋問のしようもない」
「コンスコン司令、調べたところただの昏睡ではなく博士には脳障害があり、話を聞く限り最初のジャイロ内で低酸素に遭ったためでしょう。そして滑落の衝撃と川に落ちたことでそれが決定的になった、ということです」
「なるほど、ジャイロが半端に燃えていたからな。それで警告射撃でも止まらなかったのか。その時点でフラナガン・ロムは既に錯乱していたというわけだな。しかし意識は戻るのか」
「時間を置けば意識は戻るでしょうが、それでも脳障害は残ると思われ、通常こういう場合には創造性や感情といったものにダメージが及ぶものです」
その通り、フラナガン・ロム博士には脳障害が残った。
端的に言えばもう二度と研究の最前線に立てるような能力は失われ、日常生活でやっとの状態になる。ジオンの監視下にあるかどうか以前の問題で、自負心の高いフラナガン・ロムにとってこれから生きている限り屈辱の日々が待っていることになる。研究だけが生きがい、人生の全てなのだから。
下手に死ぬよりお似合いの罰ではないだろうか。事実、並以下の人間になってしまったフラナガン・ロムがこの後、苦悩の末に自殺するまでさほどの期間は必要なかったのだ。
そして俺は研究所から救出された者たちを見ている。
ここで実験材料にされていて、ケリィが救出できた人員は六人である。年齢も性別もバラバラだ。
だいたいは感情の薄い顔をしている。長く実験材料にされて、擦り切れたためだろうか。
だが中に二人だけ感情豊かに見える者がいた。
一人は髪が深い緑で、整った顔立ちをしている。俺の艦隊で言えばセシリアとタイプは違うが優るとも劣らない美人だ。
「ジオンのコンスコンだ。ここの研究所について詳しく話を聞きたいが、先ずは名前と年齢を教えてくれ」
「マウアー・ファラオという。年は十五よ。この研究所にまでジオンとは、全く余計なことをしてくれたものね」
本当に十五歳なのか? もっと上だと思ったのは、あまりに大人びているからだ。そして雰囲気が非常にさばさばしている。
そして今何と言った? 救出されても全く嬉しそうではない。
「な、何? この研究所に囚われていたのではないのか?」
「囚われていたのは確か。否応なく連れてこられたという意味ではね。しかしここが嫌いじゃない。受けていたのも主に筋力強化だけで、それは将来役に立つだろうし」
「その役に立つというのは戦争の道具だろう。そこまでして戦争の道具になるのは決して正しいことではなく、そして幸せではないと思うが」
「だから? 方法なんかどうだっていいわ。誰かの為になるならためらうこともないでしょうに」
「それは連邦のためか? 議論をする気はないが、一言言っておく。連邦も決して善ではない」
「連邦のためかもしれないし、そうでないかもしれない。でも準備するのは無駄じゃないはずよ」
俺はだんだん理解してきた。このマウアーという者は、見かけよりずっと芯が強く、一本気の善良な性格のようだ。ただし、なんというか自分を大事にせず、「尽くす」心が強いように思える。それがどうしてなのか分からないが、将来において忠誠の対象を間違えたら大変だという要らぬ心配までさせられる。
俺は多少疲れを覚えながら、マウアー・ファラオをいったん下がらせ、もう一人と向き合う。
その者はマウアーよりも淡い緑、エメラルド色ともいえる髪を持つ。そして話をする以前に非常に暖かく柔らかい雰囲気を持っている。年齢はさっきのマウアーと同じ程度に見えた。
「先ずは名前と年齢を聞きたい」
「名前は、一応フォウ・ムラサメと呼ばれています。年齢は、分かりません…… 申し訳ないのですが」
「フォウ・ムラサメとはいったい…… ま、まさか、それは名前ではなく数字か? なぜ数字で呼ばれるんだ……」
「それはもちろん他と区別するためでしょう」
「あ、いや、そうではなく、名前が無いのはどういうことかと」
「名前を含めて何も残っていません。覚えていないのです」
「なんと…… それは、全ての記憶を奪われたのか。そして代わりの名を与えられるどころか、数字とは」
俺は絶句する。
この女はフォウ・ムラサメ、ただの4番目の実験体であり、単純にそう呼ばれているだけの材料だ。
俺も別にコンスコン・セロという自分の名を気に入っているわけじゃない。しかし、コンスコン・セロというのが単に他の人間と区別するためだけの記号ではなく、自分の核であるのも事実である。
何というか嫌な気分だ。
人間を決して記号や数字で呼ぶべきではない、そういう雑なことをしていいはずがないではないか!
「記憶を操作されてしまったのは君だけじゃなく、そういう悲劇は他にもある。ジオンは最大限支援し記憶を取り戻す手伝いをさせてもらう。先ずはこの艦で静養してほしい」
「とても感謝します」
これが俺の連邦研究所急襲の幕切れになる。
二つの研究所を潰し、いくつかの成果を得ることができた。俺はただちに撤収しザンジバル級全てを発進させた。
今度はムラサメ研究所から南下するのだ。
ただし、なるべく海洋上を行きたいのだが全てがそういうわけにいかない。マレー半島の辺りはどうしても陸地の上を通らざるを得ない。俺はそこからの対空攻撃を警戒し、ザンジバル級二隻を先行させてある程度の地上制圧を狙った。
だがそこへ連邦軍香港基地の大部隊が近付いていたのだ。
激戦はもはや避けられない。