連邦軍香港基地はごった返している。
ジオンの有力部隊が地球に降下してきたことは、当初から本部からの連絡で知っている。その時から出動準備を始めていた。だが最初は本当に出撃するとは考えていなかったのだ。ジオンの降下場所が北米だった以上、香港基地よりももっと近い連邦軍基地はいくらでもある。なんとなれば連邦ジャブローの本部基地の方が香港よりずっと近いくらいだ。香港基地の出番が来るとは思えない。
だが、ジオンの部隊は連邦オーガスタ基地を急襲した後、そこを占拠などせず、北米から素早く移動して何とここアジアに向かってきたではないか。それでは香港基地が主役にならざるを得ない。
ただしジオン部隊は香港基地を目指して来るわけではなかった。
なぜかムラサメ研究所という小さな施設の方が襲われたのだ。ジオンの狙いが連邦有数の規模を誇るオーガスタ基地の次にちっぽけなムラサメ研究所とは意味が分からない。
その後、再びジオン部隊の移動が確認されたが、どう見ても香港基地を直撃するコースではなく、またしても無視されている。
香港基地がジオンの狙いではないのか? いったい何をしたいのか?
ここで難しい判断を迫られることになってしまう。
この時、香港基地司令はホーキンズ・マーネリ准将である。その性格の通り堅実な判断を下した。
「香港基地は東南アジア最大の連邦軍基地だ。ジオンの狙いがこの基地でないと充分判明するまではその防備が何よりも重要であり、怠るわけにはいかない」
ジオン部隊が南下を続け、明らかに香港基地から遠ざかっていくと分かるまでは動くことはなかった。
しかし決して馬鹿ではなく、それを確認してからは直ちに出撃させジオン部隊撃滅を図っている。
ただし香港基地の主役である洋上艦隊はもはや間に合わない。
飛行するジオン部隊に先回りすることは時間的に無理である。代わりにマーネリ准将は輸送機に目一杯の迎撃戦力を載せて想定通過ポイントへ送り出した。
それがマレー半島である。
ボルネオ沖から西側に進路を転じたジオン部隊がこの辺りの上空を行くと見込んだのだ。その直下へ高々度用ミサイルとメガ粒子砲台を持ち込めば撃滅が可能になるだろう。
だが俺の方ではそんな連邦の思惑はとうに見切っている。
先行させたザンジバル級からMSを降下させ、連邦の地上部隊へ一撃を加える。その混乱に乗じて一気に上空を通過するのだ。
そしてその通り、俺のMS部隊の中でも選りすぐりの精鋭MSが陸地に降り立ったが、それは連邦の大型輸送機が到着したのとほぼ同時だった。
際どい勝負に勝った!
俺は少しばかり緊張していたのだ。もしもこっちが遅れていれば、対空陣地を構築され、先行したザンジバル級がMS降下のために近付くこともできなかったろう。
「ガトー、連邦MSを片付けろ! ダリルのサイコ・ドムは連邦輸送機を叩け! 何としても積み荷を吐き出して展開される前に破壊するんだ」
再びこちらのMSが連邦のジム・コマンドを相手取って戦う。
やはり数だけでいえば輸送機護衛の連邦MSの方が多い。ただし、その数的優位を活かされないよう立ち回るのに神経を使いはするも、逆に言うとそこさえ注意すればまず負けない。こちら側が圧倒していると言ってもいい。ガトーのアクト・ザクが連邦ジムの懐に入ってしまえば、ジムが対処しようとしても間に合うはずもなく、胴体部を断ち切られる運命になる。
そしてダリル・ローレンツのサイコ・ドムはまるで面白いように連邦輸送機を叩き続ける。そのジャイアント・バズが一撃必中、輸送機のエンジン基部などの致命点へ吸い込まれるように当たっていく。そのため予想よりずっと早く大半を残骸に変えた。
このマレー半島の局地戦でも勝利した。連邦の陣地構築を無に帰し、そこからの地対空攻撃を妨害することができた。もちろんこれで充分である。掃討などせず、やはり素早く撤収し更に西を目指して飛行する。
そして今、俺はスリランカに到着している。
ここはもう南洋同盟の勢力圏、やっと辿り着けたのだ。
レヴァン・フウ僧正をここで開放できる。
もちろんレヴァン・フウ僧正との約束だけのために、わざわざ艦隊を危険に晒してここに来たわけではなく、理由がある。
俺はムラサメ研究所からいったん宇宙に撤収しアフリカに行く予定を変更したからだ。
宇宙に上がるのではなく東南アジアとインド洋の空を突っ切り一気に向かおうとしていた。そこのキンバライド基地にジオン残党が集結しているのだが、それを救出して作戦終了となる。
「僧正、ここで解放する。君は連邦軍に不当に囚われていた民間人として、私の権限でそうする。短かったがもうお別れだ。僧正にはここで何かする思惑があるようだが、それがジオンのためになることを願っている。それが約束だ」
「もちろん、忘れてはいません、コンスコン大将。南洋同盟は元から独自色の強い地域ですが、私はここで教団を作り、その影響力で更に地球連邦と適切な関係になるよう努力します。それがひいてはスペースコロニーを含めた人類全てを調和した関係に導く呼び水になるでしょう」
やや具体性に欠けているが、その僧正の言葉を信じた。
俺は一つ考えていることがある。
この地球降下作戦で改めて分かったことがあるのだ。
それは、「地球はやはり大きい」ということだ。
通常のスペースコロニーは直径6kmもあり、普通に住むには何の不都合もない。狭苦しいということもない。頭上を見上げても視界に映る別の都市は霞んで見えるくらい距離がある。
ただしがっちり安心感に包まれるというのとは違うのだ。やはり宇宙に浮かんだちっぽけな人工物、地球に似せてはいるがかりそめの空間であるというのが無意識にでも感じられてしまう。
しかし地球は違う。
さすがに人類を育んだ場所だ。せっせと運び入れた薄っぺらい土ではなく本物の「大地」がここにある。宇宙の氷塊を溶かして作った水たまりではなく本物の「海洋」もある。
ここに最初から生まれ育てば、スペースコロニーで暮らす人々への関心を失っていても仕方がないのではないか。良い悪いはもちろん別として。
スペースコロニーなど地球から遥か彼方の宇宙、知識として知っているが実感はないだろう。
地球育ちのアースノイドとコロニーのスペースノイドは頭で考える以上の隔たりがある。
これをきちんと理解しないでは本質的に争いは無くならないのではないか。
この戦争でジオンが勝つとか、連邦が勝つとかいうのはただの軍事の話であり、表層の問題に過ぎない。僧正の言う適切な関係、どういう形が理想なのか分からないが、そうなって欲しいと願う。
俺はそんなことを考えながらレヴァン・フウ僧正とそれに従うグループを解放し、その背が遠ざかるのを見送る。
その直後、俺はオペレーターの報告を聞く。
「コンスコン司令、連邦輸送機がここへ近付いています!」
「その規模と方角は?」
「それが、たった一機、方向からすると先ほどのマレー半島からのものかと」
「なるほど、さっきの残りが追跡してきたのか。しかし一機だけとはどういうつもりだ」
確かに一機の連邦大型輸送機がゆっくり飛行してくる。
水平線上ぎりぎりなのはもちろんこちらが迎撃しにくくなるためだろう。そして同時に目的が爆撃ではなく、陸上戦力の輸送であろうことが想像できる。
俺が知るはずもないがその連邦機の中では三人の若者が侃々諤々の言い争いをしていた。
先ずは輸送機の操縦をしていた男が傍の男に言う。
「おいおい、いくらなんでも無茶だぜ。やめた方がいい。ジェリド、お前からも何とか言ってくれ」
「言っても止めるような女じゃない。分かってるだろう、カクリコン」
「お前も実は面白がってるな。クソったれ、俺たち学徒兵が三人で何ができるっていうんだ」
「カクリコン、この輸送機には一応ジムが積まれてる。お前の分も入れてちょうど三機だ」
「ジェリド、だから何だってんだ! ジオンが離れて行くならいいじゃないか。追っかけてまで首を突っ込むこたあない。別に俺たちが何もしなくても」
その瞬間、横にいた一人の女が腕をしならせ、スピードを乗せたまま手の平を振り抜いた。
「修正!!」
その年で既に額が広がっている男がビンタを食らう。
お約束の展開であるかのように見事にヒットしたのだ。
「わたしたちの輸送機は無傷で残った。ただ逃げるつもり? 学徒兵だからといって臆病でいいってことはないわよ、カクリコン」
「痛えなあ、エマ。正論に聞こえるが俺たち学徒兵が勝手に追跡する方がよっぽど規約違反じゃないのか。指揮系統が失われた場合、現状維持または撤収が原則だぞ」
「でも、連邦のためにやれることはあるわ。そっちの方が大事。今、わたしたちだけでもジオンを追跡して牽制することくらいはできる」
その女、エマ・シーンの意志は固い。
ことさら正義感の強いエマ・シーンがやや暴走してしまったのは若さのせいかもしれない。あるいはまだ一度も宇宙に出たことがなく実戦を経験していないからなのか。
残りの二人の者、カクリコン・カクーラーとジェリド・メサも結局は同意した。
もう一度エマから「修正」など食らいたくないのもあるが、なんのかんの言って、この三人は同期であり同じ香港基地に配属され仲が良い。
「結局何もできやしない。規約違反で終わるんだ。俺は止めろと言ったからな! エマ、ジェリド」
「何だその捨てセリフは、子供か!」「あんたも同罪よ!」
その輸送機は引き返すことなく進む。
何かジオン側が隙を見せれば、MSで出撃して手を出そうと伺っている。
そして実際に隙ができてしまったのだ!
エマら三人の輸送機の他に別の連邦輸送機が最大速度で迫ってきていた。はるか北の北極基地から来たものである。
そちらにはたった一機のMSだけが積まれていた。