「じゃあカナ、僕達は帰るね」
「あぁ。悪かったな、色々面倒掛けて」
「まったくよ、ホントにあんた達は揃いも揃って何考えてんだか…」
「…あの、先輩」
「ん?」
「その、すみませんでした。全然助けになれなくて…」
「…ごめん、奏」
「お前らが謝る事ないだろ、しょうがないさ。それに、そんなに簡単に解決するなんてハナから思ってないしな。気にすんな」
「うん…他に私達に出来ることがあったら何でもするから、もし何かあったら言って」
「あぁ、頼りにしてるよ。サンキュ」
日もすっかり暮れようかという午後7時半過ぎ。それぞれの話を聞きに行った葵と鏡野姉弟の二人は既に帰ってきており、報告も聞いた。…とは言っても、正直それほど目新しい情報は無い。里香は鏡野姉弟の証言の裏が取れただけ、ミクに至っては取り付く島も無く追い返されてしまったらしい。行く前にあれほど大見得を切っていた鈴だったが、帰ってきたときにはすっかり意気消沈した様子だった。今ミクが抱えている問題は、やっぱりそれほど単純な話ではないらしい。
しかし、正直に言って俺と海翔の方では大きな…非常に大きな進展はあった。果たして俺の出した結論が正しいのか、そしてそれが今俺達全員を狂わせている問題を解決することの出来る結論なのかどうかは、予測も出来なければ全く持って自信も無い。でもまぁ、自分で考えて、自分で出した結論だ。今までみたいに何も出来ないでいるよりは、結果がわからなくても行動できるだけ何倍もマシだろう。
「それじゃカナ、頑張ってね」
「ん、サンキュ」
玄関のドアを開けた海翔を筆頭に、それぞれが我が家を去っていく。その度に皆が励ましの言葉を述べてくれるのが心強かった。
「さてと、言われた通り頑張らねぇとな…って、ん?」
なんとなしに視線を右側に移すと、我が家の郵便ポストに荷物が来ていることに気付いた。今日は色々バタバタしてたから郵便物なんてチェックしている暇が無かったから見逃してた。
「ん~、でも荷物なんて頼んでないんじゃ…」
そう呟きつつポストから取り出した荷物は文庫本一冊ほどの幅と小さく、非常に薄かった。最近ネットで何かを買った覚えもないし、全く心当たりは無いのだが…。ミクか里香が頼んだのか?
そう思い差出人の欄を見ると、そこには随分前に聞いた会社の名前が記入してあった。
『クリプトン・フューチャー・メディア株式会社』
「…って事はもしかしてコレ…!?」
一つの予想が頭をよぎり、俺は荷物を力強く握り締めながら慌ててリビングに戻る。ペーパーナイフを取り出すことももどかしかったので素手で封筒をビリビリと破り、中身を取り出す。出てきたのは簡単なCDケースに収納された、葵緑色のディスクだった。
「コレって、やっぱミクのインストールディスクか…?」
ミクが初めて我が家に来たときの事を思い出す。ミクを初めて歌わせようとした時、あいつがボーカロイドとしての機能を使えるようになるデータを付属のディスクを使ってインストールしたはずだったのだが、保存状態が悪くディスクの表面が傷だらけだったせいでミクが歌えなくなってしまっていた。だからミクを製造した会社に連絡して新しいのを送ってくれるように頼んだのが…もういつだったか覚えていないが、少なくとも半年は前の事だった。それがこのタイミングで来たというのは、願っても無いタイミングだ。
現状打破の鍵となるかもしれない最終兵器を手に入れた俺は、嬉々として早速ミクと話をしようと思い立ったその時、封筒から一枚の髪が覗いている事に気づいた。取扱説明書のようなものだろうか、CDケースに同封されていたらしい。気付いてしまった異常無視するのも躊躇われたので、一応軽く目を通す。
「…ん~、別に真新しい情報は…ん?」
半分以上を読み流していた俺は、最後に一行に目を留めた。一度目に読んだ時には意味が全く分からず、二度目に読んで意味は分かったが理解が出来ず、三度目に読んでようやく意味を理解した俺は、
「…ふっざけんなっ!」
気付いた時には手に持った紙を握りつぶしてしまっていた。
♪ ♫ ♬
「…さて、どうしたもんか」
30分ほど頭を冷やしてようやく少し冷静になれた俺は、片手でCDケースを弄りながら呟く。
待ちに待ったディスクがようやく届いたんだからとっととインストールすればいい話なんだが、同封されていた説明書を読んで、俺は悩んでいた。
説明書そのものには何の問題もない、多分普通に買った場合でも同梱されているものとほとんど同じものだろう。
問題は、最後の最後に「追記」として添えられている、実に簡潔な一文だった。
『なお、このディスクをインストールする場合、現在使用している初音ミクの全データは初期化されますのでご注意下さい』
…つまり、このディスクを使ってミクが本来のボーカロイドの機能を取り戻すためには、彼女の記憶やら何やらをすべて犠牲にしなければならないってことだ。
もちろん俺の答えはノーだ。確かにミクが歌えるようになれば今アイツが抱えている問題は解決するのかもしれないが、そのせいで記憶が全て無くなるなんて本末転倒もいい所だ。少なくとも俺が望んでいる解決方法とはかけ離れすぎている。
ただ…もしもミクが俺達との今までの記憶よりも、歌う事を望んだとしたら…俺はどうするべきなのか。ボーカロイドのマスターとしてミクの気持ちを尊重し、望み通り再インストールしてやるべきなのか。それとも俺自身のワガママを通して再インストールを拒むべきなのか…。
「…まぁ、どの道俺一人で考えていい問題じゃないか」
そう静かに呟いてから俺は、30分前に阻止された「ミクに話に行く」という行動を再開した。
♪ ♫ ♬
コンッ、コンッ…。
ベッドの上でボーッと、浅い眠りと目覚めを何度も何度も繰り返していた私は、突如耳に入ってきたノックの音で現実に引き戻された。
「ミク、起きてるか?」
マスターの声を聞いて、胸が勝手に高鳴り、冷え切っていた体温が急激に上昇するような錯覚を起こす。そんな自分を戒めてから、努めて抑揚の無い声で「なんですか?」と返事をする。
「ちょっと話があるんだけど、入っていいか?」
「もちろんどうぞ、というかマスターの部屋なんですから一々聞かなくても…」
呆れ気味にそう告げると、真っ暗な部屋に一筋の光が差し込み、苦笑を浮かべたマスターが部屋に入ってきた。
「いや、だって万が一お前が着替えたりしてたら困るだろ?」
「…」
ほら、またそうやってあなたは私を人間のように扱う。私はボーカロイドなんですから、別にそんな事なんて気にする必要なんて無いのに…。
「って言うか何でこの部屋真っ暗なんだよ、電気ぐらいつけたらどうだ?」
「あぁ、ごめんなさい、ちょっと寝ちゃってて…電気つけてくれますか?」
「ん」
「…それで、ご用件はなんですか?」
電気がついたタイミングを見計らって声を掛ける。マスターは少し難しい顔をしながらも、重そうにしていた口を開いた。
「…お前さ、鈴と蓮にちょっと厳しい事言ったんだって?」
「あぅ…そ、それに関しては、さすがにちょっと反省してます」
「そっか、反省してるならまぁいいや。一応ちゃんとあいつらに謝っとけよ?」
「はい、わかりました」
会話が途切れ、沈黙が流れる。
場を静寂が支配したせいで、自分の心臓がいつも以上に、マスターに聞こえてしまわないか心配になるくらい大きく鼓動を刻んでいるような気がする。私には、人間と同じように機能する心臓なんてついてはいないのに。
「…え、えっと…」
沈黙に耐え切れなくなって、私から声を掛けようと言葉を捜すが何も出てこない。ほんの数週間前までは彼と一緒にいる時間の沈黙なんて気まずくもなんとも無かったはずなのに、今では胸が苦しくなって仕方がない。
「あのさ、一応ここからが本題なんだけど…」
言葉を捜し続ける私を見かねてか、マスターの方から話題を提供してくれた。そう切り出した彼の表情は、ここに最初に来た時と同じように何やら迷っているような感じだった。
「本題、ですか?」
「あぁ…俺もついさっき気付いたんだけど、こんなもんが届いてたんだよ」
そう言うとマスターは後ろに回していた手を前に持ってきて、一枚のディスクを私に見せた。表面は青緑色…ちょうど私の髪の毛のような色で、特に何も表記されていない。
でも私には一つだけ、マスターが今私に見せているディスクの正体の心当たりがあった。それは随分前の出来事だけど、はっきりと覚えている。
「ひょっとしてそれって…私が歌えるようになるディスク、ですか?」
「察しがいいな。一緒に使い方の取説も同封してあった」
それを聞いて、ずっと胸を苛んでいた痛みが少し楽になった気がした。とうとう私はマスターのために歌える、本当のボーカロイドになる事ができる。そうすればきっとマスターに抱いてしまったこの気持ちも…我慢し続けて、忘れ去ってしまう事ができる。
だけど、それにしてはマスターの様子がおかしい。彼だって私が歌えるようになるために調べ物だってたまにしてくれていたはずだし、私が歌えるようになる事を素直に喜んでくれるはずだ。それなのに、どうしてあんなに複雑そうな顔をしているんだろう…?
「ただな、こいつに関しては残念ながら良いニュースと悪いニュースがあるんだ」
「え…悪いニュースというのが想像できないんですが…」
「とりあえずまぁ良いニュースは、コレを使えばお前はボーカロイドとして歌えるようになる」
「当たり前じゃないですか、そのためのディスクなんでしょう?」
「そうだな。それじゃ悪いニュースだ」
「はぁ…」
「コレを使うと、お前は今までの記憶を全部無くす事になる」
マスターが何を言っているのか、すぐには理解できなかった。
「…ぇ?」
かろうじて出た声は、おそらく震えていたと思う。おまけに虫の
「つまり、歌えるようになる代わりに記憶を全部失うか、歌うのを諦めてこれまでと同じように生活していくか、どっちかを選べって事だ。俺は…お前が望むようにすれば良いと思う。好きなほうを選べ」
マスターの言葉はもう、私の耳には入ってこなかった。彼の言葉をキチンと理解するために、頭をフル稼働させる。
歌と引き換えに記憶を無くす?私が?今までの記憶を全部?
それはつまり、マスターとの出会いだったり、買い物に行った事だったり、パーティーをした事だったり、遊びに行ったことだったり、風邪を引いた事だったり、看病してもらった事だったり…それらの、今までマスターと一緒にやった全ての事の思い出が無くなってしまうという事?
マスターとの記憶だけじゃない、里香さんや葵さん、海翔さんに鈴さん蓮さん、皆と過ごしていく中で私がその時どう感じたか、そしてそれが今の私にどういう影響を及ぼしたか…そういうものを歌と引き換えに全て犠牲にしなくちゃならない?
…ダメ、そんな事は出来ない。それらは全部私にとって掛け替えの無いものだ。失うわけにはいかない、失いたくない。
でも…私はボーカロイド。ボーカロイドの仕事は、マスターのために歌う事。歌えないボーカロイドなんて、何の役にも立ちはしない。だったら私のそんなワガママを通すより、マスターのためにそれらを犠牲にしてでも歌えるようになることを選ぶ義務があるはず。
そうだ、そうすれば私が今、マスターに抱いている気持ちも消す事が出来る。そうすればきっと、ちゃんと最初からやり直せる。私が歌えるボーカロイドで、マスターが私をちゃんとボーカロイドとして扱ってくれたら、きっと次の私はこんな苦しい思いをしなくて済む。だったら、私は…
「…歌えるように、なりたい、です」
それが、きっと皆のため。そうすれば次の私も傷つかない、マスターにも迷惑を掛けない。痛い思いをするのは、私だけで済むはずだから…。
「…そっか」
私の返答を聞いて、マスターは小さく呟いて俯いてしまった。彼は一体私の返事をどう受け取ったのだろう?願わくば、傷ついたりはしていない事を祈りたいけれど…。
「…うん、やっぱダメだな」
「え?」
そんな風にすっかり物思いに耽っていると、急にマスターが力強い声で、何かを決意したように呟いた。そして、
「却下だ」
さっきよりもさらに力強い声で、はっきりとそう告げた。
「…は?」
「却下っつったんだ、却下」
「あの、意味が…」
「だから、俺はお前が俺達の事を忘れるなんて許さない。だからこのCDは使わない。オーケー?」
「いや、オーケーも何も…じゃあ何で私に意見聞いたんですか?」
「それはほら、あれだよ…一応多数決で決めましたよって言う体裁で?」
「ふ…ふざけないでくださいっ!」
彼のあまりに不真面目な態度に、思わず叫んでしまった。マスターは少し呆気に取られたような表情をしていたが、私はさらに畳み掛けた。
「私は本気で悩んでたんですよ!?判断を私に委ねられて、マスターや皆さんとの記憶と歌を天秤に掛けて、必死になって悩んだんです!それをどうしてあなたはそうやって適当に踏みにじっちゃうんですか!?」
「…」
「そりゃ私だって、皆との…マスターとの記憶を全て忘れてもいいわけ無いじゃないですか!覚えていたいですよ、ずっとあなたの傍にいたいですよ!でもっ!私はボーカロイドなんですから、歌えないといけないんです!歌えない歌姫に意味は無いんですよっ!」
「…俺はいいと思うんだけどな、歌えない歌姫」
「よくないです!」
「…そっか。…この手は使いたくなかったけど、しょうがないな」
「何を…」と言う私の言葉を遮って、
「ミク、お前はこのまま記憶を残したまま、しばらくは歌えないボーカロイドとして過ごせ」
マスターが初めて、私に『命令』をした。
「なっ…!?」
「会ったばっかりの頃言ったよな、『ボーカロイドはマスターの命令には従わなきゃいけない』って」
「…それは卑怯じゃないですか?」
「俺だってこんな形は嫌だけど、お前が変なところで強情なのが悪い」
「…変なところじゃないです!歌は私の中で一番大切な事です!」
「…」
「私は…!私…は…っ!」
反論をしたいのに、喉がしゃくりあげて言葉にならない。
ふと頬に暖かさを感じた。指先で触れると、濡れているのがわかった。
(…私、泣いてる?機械なのに?)
それを認識してしまったら、もう止められない。涙は際限無く流れ出し、嗚咽が漏れるのを止められなかった。
そんな私を無言で見ていたマスターは、ゆっくりと私に近付いて…優しく、頭を撫でてくれた。
限界だった。気付くと、私は大声で泣きながらマスターに抱きついていた。マスターはそんな私を拒まず、相変わらず私の頭を優しく撫で続けてくれていた。
♪ ♫ ♬
「落ち着いたか?」
数分間泣き続けた私を飽きる事無くなで続けてくれたマスターは、私の肩の震えが消えた頃を見計らって声をかけてくれた。
「ぁ…。…はい、ありがとうございました…すみませんでした」
名残惜しさに後ろ髪を引かれながら、マスターの体を離す。
「どういたしまして。…悪いな、卑怯な事して」
「…今更謝らないでください」
「…そうだな、悪い」
「ほら、また。なんだったら今、さっきの命令撤回してくれてもいいんですよ?」
「却下だな」
「もぉ…」
そこでなんだかおかしくなって、思わずクスクスと笑ってしまった。マスターも釣られるように笑顔を浮かべた。
「久々に笑ったな、お前」
「え?」
「いや、最近はお互い気まずかったからさ、お前が笑ってるのを見るの久々だなって」
「…そうですね。でも、これからはもういつでも見れると思いますよ?」
「へぇ、そりゃ何で?」
「マスターのせいで、あなたに迷惑を掛ける事に何の遠慮も要らないことがわかったからですよ」
「…怖い怖い、せいぜい覚悟しておくよ」
マスターがため息をつくのを見て、また笑ってしまった。
この人には言いたい事が、それこそ山ほどあるけれど…それはまた別の機会に取っておきましょう。
今はただ、ずっと続いていた胸の痛みが消えた事を、素直に喜んでおくとしますかね。
♪ ♫ ♬
それから。
俺はようやく笑顔を浮かべるようになったミクを後にして、俺のベッドであるソファに寝転がっていた。考えるのは残念ながらミクの事ではなく、今日海翔と話した事。
~ ~ ~
『どうしてカナは、里香ちゃんと付き合わないの?』
『それは…色々あるんだよ』
『ミクちゃんのことが好きだから以外の理由が?』
『なっ…!?お前、何で知って…!?』
『親友の事だもん、わかるに決まってるよ』
『…恐ろしい奴だなお前は』
『まぁね。それで、どうしてカナはそれを誤魔化そうとしてるの?』
『…』
『確かに世間ではボーカロイドを人間として扱う人はほとんどいない。非常識さ。でも、カナはいつだって皆を平等に扱ってきたでしょ?ミクちゃんが初めて来た時だって人間扱いして彼女を戸惑わせていたし、里香ちゃんだってそんなカナのおかげで救われたんだ。それを今更止めるなんてカナらしくないし…って言うか、絶対無理だって』
『…そうかもな』
『そうさ。だから人の目なんて気にしないで、自分の信じるやり方を貫き通せばいいと思うよ?「ボーカロイドが歌えなくたっていいじゃないか」、って言うのは、少し前まで君が言ってた台詞だよ』
『ははっ、確かにそうだな。…サンキュー海翔、すっきりしたよ』
『うん、どういたしまして。少しでも助けになれたなら僕も嬉しいよ』
~ ~ ~
「自分の信じるやり方を貫き通す、ね…」
戒めるようにそう呟いてから、俺は久しぶりに清清しい気分で眠りに付いた。
大変遅くなってしまって申し訳ありません、最新話です。
今回はかなり重要な話だと思ったので、あえて前書きに書くようなことも後書きに書かせていただきます。
まずは更新が遅れてしまった事。すみませんでした。
実家に少しの間帰って気が抜けてしまった事、大学の新学期がかなり忙しくて執筆時間が無かった事。両方全然回避できた事なので言い訳になりませんが、とにかく申し訳ありませんでした。
さて、ようやく現在千歳家を取り巻いている問題の一つは解消されました。次回はもう一つの問題を解決するべく奏が奮闘するので、皆様是非楽しみにしていてください。ではでは。