【ときドル】アイドル科の日常   作:うんぼぼ

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君の呼び方は

 朝食は一日の元気の活力だ。今日も俺は一日のプロデュース業を全うするために、モリモリと飯を食わねばならない。この寮の飯は美味い。ここに住むようになってから、栄養状態がかなり改善した気がする。友人からは血色がよくなったと言われたし、何なら身長すら伸びたような気さえする。

 そして朝といえば目玉焼き、目玉焼きといえば醤油。半熟にソースという選択肢も否定はしないが、白米に合うのは醤油だろう。

 

 朝食は、ある程度の時間の幅はあるものの、うちの寮では各自バラバラに食べる。前日遅くまで仕事ということもないわけではないので、厳密な時間の区分は設けない。

 

「なあ月島。醤油、取ってくれ」

 

 そんなわけである日の朝食。俺は食堂でテーブルの向かい側に座る月島美奈都に、醤油を取ってもらうよう依頼した。したのだが、

 

「……今日もいい天気ね、秋葉」

 

 肝心の彼女は、俺を一瞥もせずにすぐ隣に座る結城秋葉と会話を始める。

 

「え? ええ、うん。そうだね美奈都」

「月島、聞こえなかったのか? おーい、月島さーん?」

「秋葉、今日もレッスン頑張ろう」

「うん、それはそうだけど……」

 

 再度の無視、それにしたって白々しい会話だ。これは意図的に無視しているってことだろう。

 

「ねえ美奈都。どうしてプロデューサーのこと無視してるの?」

 

 当然の疑問が結城から出る。

 

「無視? 別に私そんなことしてないよ。プロデューサーが私を呼ぶ声なんて聞こえないんだけど」

 

 しかし月島は答えない。というか、その問いを成立させないつもりのようだ。

 

「……もういいから、結城。醤油取ってくれ」

「はい、わかりま」

「うーん、目玉焼きの醤油が足りなかったかな?」

「あ」

 

 結城が手に取ろうとした醤油さしを、月島は奪って、自分の目玉焼きへダバダバとかける。そして自分の手元へとがっちりキープ。

 

「美奈都、その……」

「ん?」

「お醤油を……」

「ん?」

「だからその、お醤」

「ん?」

「……ううぅ、プロデュ~サ~」

 

 なんという圧力。それに屈した結城は涙目でこちらに助けを求める。月島からは決して醤油さしを離さないという強い意志を感じる。

 この態度に予想はつく。予想はつくがだがしかし、どうして『あんなこと』にこんなにムキになれるのか。

 

「はあ……。もういいよ、結城」

 

 ため息をついて、俺は周囲を見回す。幸いにも朝食のタイミングがずれたのか、今ここにいるのは結城だけだ。このまま無視され続けると、最悪仕事にまで影響をきたす可能性もある。仕方がない。覚悟を決めよう。

 息を大きく吸って、吐く。さあ、行こう。

 

「……なあ、醤油を取ってくれないか? 『マイハニー』」

「へ!? プロデューサー? マイハニーってどうい」

「はい、どうぞプロデューサー」

 

 月島、もとい『マイハニー』は今日一番の笑顔で俺の依頼に応じた。ニッコニコである。ステージ上でファンに見せるのと遜色ない、いい笑顔です。

 

「……ありがとうよ」

「いえいえ、こんなことならいつでも言ってください」

 

 さっきまで無視していたのは誰だよ。

 

 なんと言うか、この状況は俺のせいみたいなところがない訳ではない。いや、正直なところ「いつまでやってんだよ」とか「もう流してくれたっていいじゃないか」とか言いたいことは色々ある。

 

 だがしかし、それを言うのは男じゃない。きっと、多分。

 苦渋に満ちた脳内で、俺は昨日のことを思い出す。そう、あれは夕方、駅前でばったり月島にあった時のこと--。

 

 

 

 

 

 

 

 時刻は昨日十七時三十分ごろであった。事前に予定していた営業や打ち合わせが珍しくつつがなく終わり、予想していた通りの時間に最寄り駅に戻ってこられた。最近はハードな打ち合わせや接待が続いていたので、早く帰りたい。川口の肉料理とか、青山の煮物とか、食べたい。そしてゆっくり伊澄さんとツインビーとかしながら、酔っぱらった挙句いつの間にかソファで眠っていたい。

 

 そんな中、駅前ロータリーに見知った人物が佇んでいるのを見つける。無視する仲でもないので、そのまま俺は彼女のほうへ歩み寄った。

 

「あ、プロデューサー」

「月島じゃないか。……あれお前、十七時二十分頃まで学院でレッスンの予定じゃなかったか?」

 

 今日はダンスのトレーナーを呼んで、みっちりC#の連携確認の予定だった。

 

「早めに終わったんです。ところでプロデューサー、お帰りですか? 奇遇ですね。私も帰るところなんです」

 

 若干、月島の息が荒いようにも感じる。額に細かい汗も見えるような。

 しっかり学院の制服に身を包んではいるものの、例えば、まるでここまで走ってきたような風貌だ。

 

「……レッスン終わった直後に駅まで来て、特に何をするでもなく、もう帰るところなのか」

「たまたま、駅の様子が見たかったんです」

「そうなのか」

「そうなんです」

 

 違和感はあるが、まあいいか。そんな気分のときもあるかもしれない。ともかく帰ろう。俺としても早めに帰れるいい機会だ。

 

「んじゃ、一緒に帰るか」

「はい。私もちょうどプロデューサーとお話ししたいなって思ってたんです」

 

 夕日に照らされる河川敷沿いの道を、月島と歩く。話題はレッスンのことや仲間のアイドルのこと、楽曲のことなど様々だった。

 

「そういえば、プロデューサーは皆のこと、基本的に苗字で呼びますけど、何人かはあだ名ですよね」

「ん? そういえば、そうか」

 

 確かに、草壁のことはののっちと呼んでいるし、その他も数人はもろもろ。本人との会話の流れでそう呼ぶことになった記憶がある。流石に正式なミーティング等の場で呼ぶことはないが、オフの時はあだ名で呼んでいる。

 

「そうです」

 

 コクコクと、神妙な表情をしながら月島は頷く。……ああ、これはそういうことか。

 

「……確かに、馴れ馴れしい感じするよな。すまん。ちょっと控えるわ」

 昨今、セクハラとかパワハラとか、コンプライアンスに厳しい、いや厳しすぎる時代だ。言動に気を付けなければならない部分もあるだろう。そういう指摘なら、真っ当である。

「いえ! いえいえ! 別に、ダメって言っているわけじゃないです!……ただ、アイドルによって差をつけるのも良くないって思ったりもするんですよね」

「と、いうと?」

「その……他のアイドルのことも、苗字以外で呼べばいいんじゃないですか?」

「流石に本人の同意もなくそういうのは……」

「私なら、大丈夫です。私なら、同意あります」

「お、おう……」

 

 月島から妙なプレッシャーを感じる。

 でも月島のことをあだ名で呼ぶ、か。考えてみたが良いものが思いつかない。ミナミナとか、いい年した俺が呼ぶほうがちょっと恥ずかしい感もあるし、ツッキーとかバレーボールやってそうだし……。

 

「う~ん、そうだなぁ……」

 

 こうなったら、完全に「無し」のあだ名で呼んで拒否されるのがいいのではないだろうか。そうすれば月島との関係もこれまで通りだし、今後こんなことを言われるのもなくなるだろう。

 

「わかった、じゃあ『マイハニー』ってのはどうだ?」

 

 今考えれば、何をとち狂ったことを俺は言ったんだろうと思う。激務に追われて、思考が上手く回っていなかったのかもしれない。

 

 

「マ、マイハニーですか……」

 

 月島は、俺の提案に言葉を詰まらせる。まあ、当然だろう。普段からこんな風に呼ばれるとか、巷のバカップルでもやらない。

 そんな俺のネジの外れた提案を、月島は--

 

「……はい、大丈夫ですよ」

 

 --もとい『マイハニー』は、信じられないことに受け入れたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 舞台は寮の食堂に戻る。朝の陽ざしが、窓からたっぷりと入り込んでくる。

 ああ、こんな状況じゃなければ、最高に最高な朝の風景だ。

 

「ふふふ、プロデューサーがそう呼びたいって言うなら仕方がないですよね。私もちょっとくすぐったいですけど」

 

 俺も呼ぶ度にダメージ食らうんだが、それは自業自得である。ちなみに昨日の帰り道もしつこいほど呼ばされた。その場のノリで流れると思っていたから、まさか今朝もそう呼ぶことを強制されるなんて、思ってもみなかった。

 

「ええっ? プロデューサーからそう呼びたいって言ったんですか? それってその……そういうことなんですか?!」

「深い意味はないぞ、結城。俺を信じろ。あの時は、そう……俺の中にいる謎の存在が、どうせ却下されるだろって、その後のことを深く考えずにボタンを押しやがったんだ」

「は? 謎の存在? ボタン? 何言ってるんです?」

「それは些細なことだから気にするな」

 

 本当に、これは深く気にしてはいけない。

 

「はぁ……。でもいいなあ美奈都。プロデューサー、私もあだ名で呼んでくださいよ」

「んー、じゃあ、『ドジっ子』」

「え~! それじゃ美奈都の『マイハニー』と全然違うし、悪口みたいじゃないですか~」

「そういうのも、結城の良いところじゃないかと俺は思うけどな」

「ふふっ、私も秋葉のそういうところ。可愛くて良いと思うな。……たまにヒヤヒヤさせられるけど」

 

 それは俺も同感。

 

「む~、なんか『マイハニー』からは余裕を感じる……」

 

 結城だけなら、まあいいか。これ以上広まると厄介なことになりそうだ。このまま朝食よ、終われ。

 

「あ、プロデューサー、今日の目玉焼きはどうだった? プロデューサーの好みに合いそうな黄身の焼き具合だったと思うんだけど。半熟と固ゆでの間の固ゆでよりって感じでさ」

「……おう、美味いぞ川口。今日も最高だ」

「やった、大成功!」

 

 そんな中、厨房から出てきた川口。三角巾とエプロンを装備してて、バッチリ調理スタイル。指パッチンしながら、我が意を得たりと喜びを表現している。可愛い。だが、どうしてこのタイミングで厨房から出てきた。俺を困らせたいのか?

 

「あ、夏海さん、聞いてくださいよ~。プロデューサー、美奈都のことは『マイハニー』って呼ぶのに、私のことは『ドジっ子』って呼ぼうとするんですよ~!」

 

 バカ、やめろ、ドジっ子。あんまりそれを広めるな。

 

「へ? ……ふ~ん、『マイハニー』、ねえ。ボクのことは『川口』って苗字でしか呼ばないのにね~。所詮ボクはプロデューサーにとっておさんどんでしかないのかな?」

 

 白い目、やめろ。

 

「まあまあ夏海さん。あだ名なんて大した問題じゃないですし。プロデューサーがそう呼びたいなら、私は何も拒否できないですし」

 

 やめろ月島もといマイハニー、火に油を注ぐな。

 

「……そういえばプロデューサーは、前から美奈都にだけ甘いよね。音楽室の鍵の件とかさ!」

「確かに、分かりますよ夏海さん! 対抗フェスの後に美奈都と猫カフェ行ったり! 私には寮でレッスンさせてたのに!」

 

 ああもうやめてくれ。とにかく俺は朝の英気を養いたいだけなんだ。目玉焼きに醤油をかけたっかっただけなんだ。

 

「プロデューサー、私のことは『女神様』で!」

「ボクのことは『俺の嫁』で!!」

「……あのなぁお前ら」

 

 呼び方でどうってことはない、と俺は思う。これ以上恥ずかしい呼び名で担当アイドルを呼ぶなんて嫌だ。

 誰か、この状況に収拾をつけてくれないないだろうか。

 

 

 

 

 

 一方、別テーブル。

 

「いいなぁ、美奈都さん。私も苗字呼びだから、プロデューサーに苗字以外で呼ばれてみたいです」

「へえ、みさきちゃんは、どんなあだ名で呼ばれたいの?」

「あだ名じゃなくて、その……『みさき』っていうのが嬉しいなぁって思います。えへへ、ちょっと憧れるんですよね、呼び捨てって……。春子さんはどうですか?」

「うーん、私は今のまま『朝霧』って呼び方でいいかな」

「え? そうなんですか?」

「ええ、苗字で呼んでもらえるのは、今だけでしょう?」

「『今だけ』……。どういう意味なんですか?」

「ふふっ、同じ苗字で呼んだら、変な感じがするでしょう。だから今はいいの」

「今だけ? 同じ苗字? それって……」

「ふふふっ。さ、みさきちゃん。今日も頑張りましょうね」

 

 こんな会話がすぐ隣の別テーブルでなされていたことを、渦中にいる愚かな男は知らない。

 




うちの美奈都ちゃんをノリで「マイハニー」と呼んでみたらまさかのOKだったことに端を発するお話。ときめきシリーズはこういうのがいいよね。
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