その日の劇場内は妙に慌ただしかった。いつもアイドルたちの私物が散乱している控え室はきちんと整頓されており、天井や壁には折り紙で作った輪飾りなどで綺麗にデコレーションされていた。
どうやら何かのお祝い事らしいその一室で、数人のアイドル達がせっせと準備に勤しんでいる。
「プロデューサー、そっちにガムテープ置いてないですかー?」
高槻やよいが自分の持ち場からこちらに手招きしつつ、手元にあるガムテープを所望している。
「あるぞ、ほら」
そう言いながらガムテープを持って自分の持ち場を離れる。『桃子ちゃん、中学卒業おめでとう!』と大きく書かれた垂れ幕は控え室の入り口を入ってすぐ目の前の位置に目につくように貼り付けられる予定だ。
「ありがとうございますー!」
ガムテープを手渡されたやよいはそのまま側に立てかけてある脚立に足をかけた。
「こらこら危ないぞ 支えといてやるから」
不安定にぐらつく脚立のあしを手で押さえる。やよいはにへらと笑いながらペコリと頭を下げると先ほどの垂れ幕をそそくさと取り付け、手に持ったガムテープで固定すると満足そうに脚立からひょいと飛び降りた。
「だから危ないって、ちゃんと降りろよー」
「えへへ、ごめんなさいプロデューサー!」
そういってまたペコリとお辞儀をすると同時に控え室に隣接する裏場のキッチンから、やよいを呼ぶ天海春香の声が聞こえてきた。
「やよいー、ケーキ運ぶの手伝ってくれるー?」
「わかりましたー!」
二つ返事でやよいがキッチンへ駆けていくのを見送ってからふと時計を見るともうすでに14時を回っていた、式もとっくに終わってそろそろこちらに着いてもいい頃だろうか。そんなことを考えながら、飾り付けを終えた控え室に残った小道具を片付ける。
「プロデューサーさん!亜利沙も何か手伝いましょうか!!」
先ほどまで部屋の隅でビデオカメラの調整をしていた松田亜利沙は一通りの調整を終え、暇を持て余していた。
「そうだな……じゃあこれ、用務室の小道具入れに持って行ってくれないか?」
了解しました!と小道具の入った箱を受け取る亜利沙が部屋を出ていく直前、ふと別の頼みごとを思い立ち引き止める。
「ああすまん、それと用務室に美咲さんが居ると思うから そろそろこっちに来るように言っておいてくれ」
亜利沙はビシッと敬礼のポーズを取ろうとするも片手がお留守になり小道具箱がバランスを崩し、滑り落ちそうになる。慌てて駆け込むがなんとか亜利沙は態勢を立て直して照れながら恥ずかしさを誤魔化すように部屋を飛び出た。危なっかしいやつだ。
そうこうしているうちに、やよいと春香がキッチンからケーキと小皿を抱えてやってきた。部屋の前に飾った垂れ幕と同様、ケーキの上のチョコレートで出来たプレートにはホワイトチョコのペンで『桃子ちゃん 卒業おめでとう』の文字が入れられていた。
「そういえば、のり子ちゃんと奈緒ちゃんはまだ帰ってきてないんですか?」
春香はケーキをテーブルに置くと、小一時間前にたこ焼き機とその材料の買い出しに出かけた福田のり子に横山奈緒のことを訪ねてきた。ロシアンたこ焼きをやるんだと大はしゃぎで出て行った、何年経っても変わらないノリには関心さえする。言われてみれば、そろそろ帰ってくる頃だろうか?
「ああ、もうすぐ帰ってくるんじゃないかな」
そう言いながらテーブルに椅子を並べているとそれを見たやよいも同じく椅子を抱えて並べ始める。
この劇場にプロデューサーとして就任して数年経つ。当時から変わらない光景、もちろんアイドルとしては日々成長をして変わっていっているが、こうした日常の一つ一つは何年経ってもあまり変わり映えしないというのもあり、今日のようなアイドル達のアイドルではない『普通の人』としての節目の日を大切にしたいと感じる。
「任務完了しました!」
「みんなただいま!」
「いま帰ったでー!」
用務室に行っていた亜利沙、買い出しに行っていた奈緒にのり子がほぼ同時に帰ってきた。こちらの準備も整ったタイミングで丁度よく全員揃ったといったところか。
「亜利沙ご苦労さん、それにしても奈緒達はたこ焼きの材料を買うだけにしては帰りが遅かったんじゃないか?」
二人して両手にパンパンの買い物袋を提げているところを見るに、どうやら買い出しは随分と白熱したものになっていたようだが。
「いやー、ロシアンたこ焼きに使う材料にえらい迷ってしまってな!」
「でも今回のはかなりスゴいから、期待してていいよ!」
二人で顔を見合わせてニヤニヤする奈緒とのり子、この二人が買い出し役を買って出た時から嫌な予感はしていたがこれは一筋縄ではいきそうにない。と眉を潜めていると隣にいた春香とやよいも同じような表情をして二人の買い物袋をじっと見つめていた。
「ふふっ」
そんな様子を見ていた亜利沙が突然笑う。それをみて頭にハテナを浮かべる一堂の視線に亜利沙が慌てて言葉を付け足した。
「ふふ、すみません なんて言うか、これからもこんな風に 笑いながらみんなとアイドルやれたらいいなって、そう思ったら楽しくなっちゃいました」
そんな言葉を聞いて皆は目を見合わせてにこりと微笑む。そんな皆の姿をみると、これからもこの光景を見守り続けたい。プロデュースを続けたいという気持ちが一層強くなった。
ピンポン。
そんなことをかんがえていると、突然インターホンの呼び出し音が鳴る。桃子が来たかと思ったが、そもそもアイドル達が劇場を出入りするときにわざわざインターホンを鳴らすことはまずない。ということは客人だろう、こんな時間に訪ねてくるのは非常に珍しいことだが。
皆を部屋に残し劇場の裏手にある従業員用の玄関に向かい、インターホンのカメラを覗き込む。
「桃子?」
カメラの向こう側にいたのは間違いなく、今日で中学校卒業を迎え、午後から劇場で催される卒業祝いパーティの主役である周防桃子だった。学校の制服を着ているところから卒業式を終えてそのままこちらに出向いたと考えられるが、しかし何故今日に限ってわざわざインターホンを鳴らすようなことをしたのだろうか。という疑問を抱きながらもドアを開けて桃子を迎え入れようとする。
ドアを半分開けた頃に桃子の後ろに他に、ふたつの人影があることに気づいた。自分自身、一度しか会ったことはなかったがその顔にはハッキリと見覚えがある。
桃子のご両親だった。
「桃子にアイドルを辞めさせる」
飾り付けをした控え室の隣にある事務室に桃子とその両親、途中で呼び出された青葉美咲にプロデューサーが居る中、それが両親から告げられた単刀直入な一言だった。いきなり過ぎる申し出に初めは反論、もとい桃子を引き止めようとした。しかし両親の、桃子には普通に高校に通ってもらい普通に就職をして普通の大人になってもらう。というもっともらしい言い分に返す言葉が見つからなくなる。
正直言って最初の一言を聞いてからは半分頭が真っ白になっていた、桃子も終始俯いたまま一言も言葉を発さなかった。
それだけにこちらも何も反論の余地がなかった、桃子の両親は一通り言いたいことを言い終えると、書類の整理のために美咲さんと別室に行ってしまった。事務室に桃子とふたり取り残される形で。
沈黙。桃子の顔色を伺おうとするもずっと俯いているのでそれも叶わない。
とてもお祝いという気分じゃなくなってしまった、隣の部屋で待っている皆になんと言えばいいのかを必死に考えていた。
「本当にこれでいいのか…?桃子が、選んだのか?」
引き止めたいという率直な気持ちを必死に押し殺して言葉を選びながら発した一言だった。
それでも桃子は何も喋らない、間が悪そうに俯いている。
「お前がちゃんと言わないと、俺も何もしてやれないんだぞ」
桃子のそんな姿に少々苛立ちを覚えてしまい、つい強い口調で本音が出てしまう。
ハッとするがそれでも桃子は口を紡いだまま一言も喋らない。
コンコン。
ドアがノックされる。どうやら書類の整理があらかた完了したようだ。このまま帰せばおそらく桃子はもう二度と劇場には来ないだろう。立ち上がって背を向ける桃子の肩に気づいたら掴みかかって、無理やり目を合わせるように前に立っていた。
「ねえ、お兄ちゃん」
さっきまで全く言葉を発さなかった桃子が、ポツリと呟いた。
「なんだ、桃子」
俺は桃子の素直な気持ちを聞けることを期待して、すぐさま聞き返す。
「桃子のこと、どこか遠くに連れ去ってよ」
桃子から告げられたのは無茶で現実離れした一言だった。
何も答えられなくなったプロデューサーをみて悲しげに微笑んだ桃子は『じゃあね』とだけ告げて部屋を後にした。
スマートフォンのアラームが鳴り響く。どうやら数回リピートされ、やっと目が覚めたのだろうということを、アラームがセットされた時間とスマートフォンの時計の時刻が数十分ずれているところから読み取れるくらいに意識が覚醒してきたところで体を起こして伸びをする。
まだ半分だけぼんやりとした意識の中に昨晩見た夢の中の記憶が紛れ込んで徐々に思いだされていく。
「またあの夢を見てたな……」
仕事がうまくいかず、やけ酒をした日の夜は必ずと言っていいほどにあの日の出来事が鮮明に再現された夢を見る。
最初こそはトラウマとも言える出来事が繰り返しフラッシュバックする現象に頭を抱えていたが。何十回、何百回とあの時の答え合わせを繰り返しているうちに、それもすっかり日常の一環となってしまい今ではそんなに大した悩みではなくなった。
美咲さんに健康に気を使うように言われ、日課にした休日のジョギングのために身支度しながらテレビに目をやると丁度、アイドル特集のコーナーがはじまっていた。
画面の向こうには、かつて自分が担当していたアイドルのひとり、天海春香が映っていた。
あの日から5年、つまりプロデューサーに就任してからはもう9年経つ。
何人ものアイドルをプロデュースしてきた、今でもそうだ。
あの出来事がきっかけとは考えたくないが、あれから劇場の経営は傾き始め、これまで通りに皆にアイドル活動を続けさせることが困難になり始めた。
歯を磨きながら洗面所の鏡に映る自分の、無造作に生やした無精髭に冴えない死んだ目の顔をじっと眺めていると、やりきれない気持ちになり目をそらしながら昔のことを思い出す。
結局劇場は閉園し、アイドル達もほとんどが別の事務所に移籍させられた。今でも何人かは当時のアイドルをうちで雇っている、美咲さんも縁あって同じ部署で仕事を続けているが、何にせよギリギリでやりくりしている。
自分の育てたアイドル達を個別に贔屓したりはしないように心がけているつもりだが、それでもあの時が一番楽しかったという気持ちはどうしても拭えず、仕事に身が入らない日々。
どこかで歯車が狂ってしまったとしたら、どうしてもあの日のことが頭の中に過ぎる、過ぎたことを悔やむのはよくないことだ。
「さてと…」
身支度を整え、朝食のトーストを口に押し込みながら自宅を後にする。
いつも通りのジョギングコースを走っていると、道行く人の中に見慣れない妙な格好をした人が多いことに気づく。
初めは何ごとかと思ったが朝のニュースの内容の一部をふと思い出し、今日が地元の成人式であることを理解した。妙な格好だと思っていたのは成人式に向かう若者の晴れ着姿だ。
いつものコースの折り返し地点の信号で、担当アイドルの中にも今日、成人式を迎える子が何人かいることをボーッと考えているとその中に今は担当でもなければアイドルですらない一人の人物のことをふと思い出す。
思い出すも何も、この5年間俺は夢の中で何度もあの日のままのあいつと過ごしているわけで、いつもどこかで忘れられずに…囚われ続けているわけだが。
信号が青に変わったことを周りの人間の動きで気づき、ハッとする。慌てて横断歩道に駆け込んだ。
「プロデューサーさん?」
横断歩道の真ん中に差し掛かったところで、頭の中にそんな懐かしいような声が響いた。正確には頭の中ではなく、自分のすぐ後ろだということにすぐ気づいた。
信号の青が点滅しているというのに、道路の真ん中で立ち止まったまま、ほぼ無意識に身体が反射のように後ろを向く。
無意識だったが、後ろから聞こえてきたその声には確かに聞き覚えがあった。
無造作にウェーブのかかった髪は後ろで結ばれていたがその癖っ毛と栗色の髪には確かに見覚えがあった。
記憶の中の人物より数年分ほど成長して大人びているが、その顔立ちにも確かに見覚えがあった。
「…桃子?」
「お待たせしました、ご注文は以上でよろしいでしょうか?」
ウェイトレスは注文したパンケーキをテーブルに置くと、営業スマイルと共にその場を去る。その姿を見送ってから自分の目の前へと運ばれたパンケーキの皿を座席の反対側へと追いやる。どうやらテーブルのこちら側に何も置かれていないのを見て注文の主を勘違いしたようだ。
「そういえばこの前…」
5年前、突如として我々の目の前からいなくなったっきり、もう二度と会うことはないと思っていた人物が突如として再び自分の目の前に現れた。
「それで、授業中に…」
こちらを見てニコニコと話をしながら、少し前に先にテーブルに運ばれてきたクリームソーダに乗ったバニラアイスクリームをストローでつついている。
「その友達が…」
なぜファミレスの窓際席で自分の対面に彼女が座っているのか、その理由は遡ること十数分ほど前のこと。
「プロデューサーさん?」
その声に呼び止められるようにして俺は気づいたら渡り掛けの横断歩道を引き返していた。一瞬、幻覚でも見ているのではないかと自分を疑うがそもそも自分が幻覚のように5年間抱き続けていたそいつの容姿は5年前から変わらない、目の前に立っている彼女はそんな記憶の人物よりもだいぶ大人びていた。
風に揺れる栗色の髪の毛の彼女、『周防桃子』がそこに居た。
まじまじと確認するまでもない。目の前に周防桃子が居る、夢の中ではなく現実に。
「すごい偶然ですね、元気にしてましたか?」
敬語を交えたしっかりとした言葉遣いに違和感を覚える。だが桃子はこちらにお構いなしに落ち着いた様子で、それでいてハキハキと話している。まるで動揺した様子もない桃子に対して、こちらはというと未だ気持ちの整理ができずに言葉が見つからずにいた。
「あ、ああ まあその、ぼちぼちやってるよ…」
「……それだけですか?」
曖昧な返答に対して少しムッとした表情を見せる桃子。押し負けるように口を紡いでしまう。
だがそれもつかの間に、桃子はコロリと表情を笑顔に変えてこう続けた。
「せっかく久しぶりに会えたんですから、これから食事でもどうですか?そこのファミレスとかでもいいので」
思い返してみれば、そんな申し出があった気もするが自分が何と答えたのかに全く身に覚えはない。しかしこの状況を見れば自分がお誘いに乗ったことは一目瞭然ではあるのだが。つまりはそういった経緯で現在に至るわけである。
「って事だったんです、面白くないですか?」
先程から数分にわたり、アイドルをやめてからの桃子の高校時代の思い出話や家族のことなどを聞かされている。
あれから桃子は高校を卒業後、そのまま大学へ進学したらしい、桃子の口から飛び出して来た大学の名前は、誰でも名前を知ってるような有名な大学だった。
サークル活動も充実しているという話も、していた気がする。
「それにしても、プロデューサーさんがこの仕事続けてるなんて思いもしなかったです」
一通り身の上話を終えた桃子はひと呼吸おいてパンケーキを頬張ると、合間にそんなことを口に出す。
特に返す言葉もなくそのまま会話が止まる、何か気の利いた世間話でも振ってやるべきなのだろうが、思いつかない。
桃子に放ったらかしにされてしまったクリームソーダはバニラアイスが半分溶けかかっていた。
「劇場のみんな、元気にしてますか?」
「え?」
沈黙を破るかの如く繰り出されたそんな桃子の何気ないような質問に驚き、思わず声が出た。まるで何も知らないといった風な口ぶりだ。
「何言ってるんだ、劇場はもう…」
俺はこの数年間の出来事、主に劇場の閉園やアイドルたちが離れ離れになってしまった現状について軽く説明をした。
「そうなんですね…ショックです、もう劇場に行ってもみんな居ないなんて」
何処か達観した様子で軽々しくそういって見せる桃子。
自分の中で、桃子なら事情を全て知っていてもおかしくはないと思っていたのは桃子なら知っておいてほしかったという自分自身の勝手な期待だったことをこの瞬間に思い知り内心かなり落胆していた。
「あ、プロデューサーさんが今育ててるアイドルの子たち、テレビとか出てるんですか?」
もう劇場の話などはどうでもいいと言わんばかりなのそんな他愛もない質問は、とっくに頭の中に響いてこなくなっていた。
この5年間、頭の片隅に常に『アイドルの周防桃子』を心の中で生かし続けてきた。
しかし当の本人は違ったのだ、とっくにアイドルの桃子は消え、ただの普通の女の子になってしまったのだと勝手に想像してショックを受ける。
胃がひっくり返りそうな気分と、吐き気を抑えながら桃子との会話を続ける。
「ところで桃子はさっきまで何してたんだ?」
桃子からの質問などは全て置き去りにしたまま、内心どうでもいいような世間話を振る。なぜ自分は今こんなにもイライラしているのだろうか。
「何って………今日は成人式ですよ?今はその帰りなんです」
言われてみればそうだ、自分でも今朝がた成人式へ向かう若者を見て来たばかりじゃないか。桃子の成人姿も思い浮かべていたはずだが、とっくに頭の中から消え去っていた。
「ん?時間的には式が終わったばっかりってところじゃないか?友達付き合いとか、色々あるだろう」
しかし、成人式というワードを聞いて一つ疑問が浮かんだのでそのまま言葉にした。
「あー、それは……って、いいじゃないですか、余計な詮索しないでくださいっ!」
へらりと笑ってみせる桃子の顔は何処か引きつったようにも感じた、何かをごまかされている気がししてならないという気持ちが余計にイライラを掻き立てる。
こんなことなら二度と会わなければよかった
そんな気持ちが頭によぎった瞬間に一気に気分の中で何かがプツリと切れたのがわかった。次の途端には体が動いていた。
「用事思い出した、お代置いとくから じゃあな」
そう言って席を立ち上がる。
驚いたような表情をみせる桃子が横目に過ぎるも目を合わせてやる気は毛頭なかった。
1秒でも早くこの場を立ち去りたいという気持ちしかなかった。
「ま、待ってください!」
強い声が店内にこだますると同時に周りの客の視線が一気にこちらに向く。
その声が耳を伝って頭に響いた瞬間に身体が動かなくなった、早くこの場を消えたいという俺の気持ちとは裏腹に。
「私、何か悪いこと言っちゃいましたか?」
「別に、本当に用事を思い出しただけだから」
焦ったような表情の桃子を突き放すつもりでそう告げる。
すると桃子はカバンの中からメモ帳を取り出して1ページ破り取り、そこに何かを書き殴り始めた。何かを書き終えるとその紙を折りたたみ目の前に突き出してくる。
「これ、私の連絡先です!」
突き付けられたくしゃくしゃのメモ用紙を開くと電話番号とメッセンジャーアプリのIDらしきアルファベットの文字が書いてあった。
桃子は息を切らしながら言葉を続けた。
「連絡はくれなくてもいいので、また明日 今日と同じ時間にここに来てください ゆっくりお話ししたい事があるので!」
桃子はそう言うと立ち上がり、すでに立っていた自分よりも先に店を飛び出してしまった。
机の上には先程置いた料金のは別に、同じ金額のお金がばら撒かれるように置き去りになっていた。
もう二度と顔も見たくないってのに。そう思いながら受け取ったメモ用紙を眺める。
陽も登り切り、やっと気温が上がってきた散歩日和の昼下がりに、昨日と同じ時間に同じジョギングコースを進んでいる途中にふとジャージのポケットに手を入れると、昨日のメモ用紙が出てきた。
そこに書いてある電話をかけるでもIDを検索するでもなく、ただその紙を眺めながら歩いていると目の前から耳に新しい声が聞こえてきた。
「来てくれたんだね」
ハッとして顔を上げると目の前に桃子が居た。
ジョギングコースの近くではあるが決してコースには入ってない昨日と同じファミリーレストラン、そこに無意識のうちに足を運んでいたようだ。
「昨日はごめんね、なんか気まずくさせて」
謝る桃子の口ぶりに違和感を覚える、昨日のかしこまった口調からはだいぶかけ離れている砕けた喋り方だ。
「あ、えっと…」
つい口ごもってしまった。昨日の今日なので、その言葉づかいがかつての桃子、自分の知っている周防桃子そのものであることに気づくのに数秒かかった。
「ねえ、ちょっと歩かない?」
そう言いながら桃子は少し先の通りに駆けていきながら、こちらへ手招きしている。
「ちょっとー、なにもたもたしてるの!」
その悪態の吐かれかたに懐かしさを覚えながら、ふらふらとその手招きにのせられて店に入ってしまった。昨日までの嫌悪感は不思議とすでに消えていた。
「昨日はごめんね」
いつものジョギングコースとは全く違う通りを桃子と並んで歩いていると、少ししてから桃子は開口一番にそう言った。
「あー…その、一体どう言うことなんだ?」
不思議そうに尋ねる顔を見た桃子は食い気味に続ける
「あんなアイドルの辞め方しちゃったのに今更どんな顔して目の前に現れていいか分かんなくて 」
申し訳なさそうに語る桃子、その横顔を見下ろしながら話の続きを待つ。
「ついかしこまっちゃったりしてさ、それで桃子がぎこちないのがバレて怒っちゃったんだーって思ったの」
歩みは止めず、目線だけをこちらに向けてくる桃子の目線が少し高くなった気がした、当然5年も経てば成長もするだろうが。
口ぶりも、敬語こそ消えたがやはり少し大人びているように思える。
「まあ、変だなとは思ったよ」
「だよね、桃子も自分で変だって思った」
そんな桃子を見てると、自然と笑いが出てしまう。桃子も桃子で、怒るでもなく釣られて笑っている。
「でも、安心したな 今日も怒ってたらどうしようかと思った」
突然、ピタリと歩みを止める桃子。その動きに合わせるように思わず立ち止まる。
ふと周りを見渡すともう景色が見慣れないものになっていた、夢中で話しているうちに知らない道に入ってしまったらしい。
「あとね、他にも謝ることがあるんだ」
「他にも?」
口を紡ぐ桃子はその謝ることというのが何なのかをしばらく渋っていたがついに決心がついたのか、数分の沈黙の後にまた語りはじめた。
「学校のこと、大学に行ってるっていうのは嘘 本当は高校出てからずっとアルバイトしてるんだよね」
聞くところによると、昨日話していた大学に進学したというのは真っ赤なウソで、それどころか高校の友達の話も殆どがその場で考えた作り話だったという。
「勝手に親の都合でアイドル辞めて、みんなに迷惑かけて、それで行き着いた将来がこれじゃ合わせる顔がないでしょ?意地張っちゃった」
桃子はあの日何も言ってくれなかったが、ずっと後悔していたし申し訳なく思っていたという。
当時、全員があの知らせを聞いてショックを隠しきれていなかったが、そのうえ桃子が一言もなくいなくなったことを一番に悲しんでいた。
この言葉をあの日の皆に伝えたいと思った。
「あとね、劇場のこともみんながバラバラになっちゃった事も本当は知ってたの……でも勝手に居なくなった反面、いつまでもアイドルに囚われてると思われたくなくて知らないフリしたの それが怒らせちゃった一番の原因だよね?ごめん」
全部見透かされていたことに気恥ずかしくなって思わず目をそらすが、桃子の事情を全て聞いて何もかもが自分の思い違いだったことに安心した。桃子がアイドルだった頃の自分を大切にしていたことが嬉しかった。
「いいって…まあでも安心したよ、桃子が桃子のままでさ」
再び歩みをはじめる。会話が弾むに連れ、どんどん知らない風景になっていく。
このままどこか知らない世界に行ってしまうのではないかという気さえしてくる。
「そういえば、アルバイトしてるんだっけ?何の?」
「お弁当屋さんだよ、普通のね」
高校を出てからずっと、と言っていたが桃子の両親はどう思っているのだろうかという疑問が浮かぶ。
「高校を卒業してからね、就職先に馴染めなくて すぐ辞めちゃってからいろんなアルバイトをしてるんだ〜」
そもそもアイドルをやめさせたのも、普通の高校生活を送らせて普通の企業に就職させるといったことが目的だったはずだ、現状の桃子をそんな両親が許すのだろうか?
「まあでも、ずっと芸能界でやってた桃子が高校3年間を普通に過ごしたからって 普通の仕事に馴染むのは難しいよな」
フォローのつもりで言ったが少し言い過ぎたかと思いハッとする。慌てて桃子の方を見ると案の定、キョトンとした目つきでこちらを見ている。
「いや、すまん デリカシーがなかったな」
慌てて謝罪をするも、反応がない。どうやら久しぶりに機嫌を損ねてしまったようだ。
「…やっぱり」
「え?」
そう思って身構えていたが、桃子はどうにも怒った様子ではなかった。
むしろその表情は穏やかにすら感じた。
「やっぱり、桃子のこと分かってくれる大人の人は お兄ちゃんだけだね」
桃子は意味深にそう呟いて、目を伏せる。
「もしかして親と上手くいってないのか?」
そんなことを聞くと、桃子は少し気まずそうにコクリと頷いた。
そして先ほどまで歩幅を合わせて歩いていた隣から離れ少し前に立つ。
「お兄ちゃんはさ、桃子のこと 少しは大人になったと思う?」
「うーん、どうだろうな?」
ふと周りを見るともうすっかり夕暮れ時で、夕焼けに反射した栗色の髪がなびく度に照り返して、キラキラと輝いている。
そんな姿に、つい見とれていた。
「お兄ちゃん あの日桃子が最後に言ったこと覚えてる?」
突然の質問にふと我に帰る。最後に言った言葉、あの日桃子は何を聞いても黙って俯いていて、一言も会話という会話をしていなかった。何度も夢に見たからわかる。
だからこそ、今だけはこの5年間見続けた夢の内容が全て自分の妄想であって欲しいと願うばかりだった。
「ねえ、お兄ちゃん…」
ひとつだけだ、思い当たるものは。
あの日桃子が最後に言った言葉。
あの日の自分には現実離れしすぎていて返す言葉もなかった桃子の最後の言葉。
何度も夢の中で聞いて、その数だけ桃子の気持ちに応えられない罪悪感を背負わされ続けた言葉。
「桃子のこと、どこか遠くに連れ去ってよ」
栗色の髪が風に揺られ、夕焼けが照り返すアスファルトに反射してキラキラと輝いていた。