その辺を歩いていた令嬢を監禁してみた   作:りうけい

10 / 12
令嬢は誘拐犯の夢を見るか?

 

 

 

 

 雪音が殺人鬼に連れ去られた。その事実が俺の脳に完全に浸透した瞬間、俺の体は勝手に動き出していた。

 

「氷目……真田の住所はわかるか?」

 

 俺は携帯を頬と肩で挟みながら、倉庫へと走る。電話の向こうからは氷目の困惑した声が伝わって来た。

 

「ええ、一応あなたの身の回りの人間の住所は全て調べあげてあるので」

 

「さすがだな。じゃあ教えてくれ」

 

「……行っても無駄でしょう。相手は殺人鬼です。あなたが行っても、口封じに殺される危険があります。警察を出動させましょう。……それに真田のところで雪音様が見つかれば犯人は真田ということになります。あなたが警察に捕まる心配もなくなるわけです」

 

「そんなことは分かってる。それがどうした?」

 

「……だから、あなたは手を引けばいいんです! 私ももう何も言いません。警察なら雪音様が助かるかはわかりませんが、助けにいって殺される心配はないはずです」

 

 俺は2階へ上がると、天井裏の階段を落とした。

 

「……で、殺人鬼をどうにかするのに必要な警官がそんなに早く集まると思うか? 今通報しても交番に詰めている警官は一人、二人くらいだろう。それに下手に刺激したら雪音が死ぬ」

 

「だからなんです。殺人鬼なんてのが出てきた時点で、準備のない状態での我々はどうしようもないんです。私はそんなリスクはおかせません」

 

「だからその危険を負うのは俺だけだし、それなら俺の勝手だろ」

 

 階段を上がりながら、俺は答える。すると携帯電話から大きなため息が聞こえてきた。

 

「しかたありません。住所を教えましょう。……何か勝算はあるんですか?」

 

「ああ、もちろん」

 

 俺は天井裏に置いてある麻酔銃とその弾が入っているケースを取り出した。動物園や保健所などで猛獣を鎮圧するために用意されているものと同じである。

 

 本来人間に対して麻酔銃を使用するのは違法であるが、この非常事態で法を気にする暇はないし、そもそも俺は立派な誘拐犯である。いまさらこの程度の違法行為をためらうことがお笑いぐさだろう。

 

 俺はケースを背負うと、真田の住所を聞きながら、マスクをして家を出た。氷目は最後にこう訊いてきた。

 

「電話を今から切りますが……一つ教えてください、東雲さん。あなたはただ、雪音様の身体だけが目的だったはずです。これほどの危険をなぜ冒すのですか」

 

「……」

 

 確かに、今までの俺なら今回のようなことが起きればもうあきらめて次の獲物を探していたかもしれない。しかし雪音は今までとは違うし、単なる獲物や客人ではないと思っている。向こうがどう思っているかは知らないが、

 

(俺は、雪音が好きだ)

 

 もちろん氷目にそんなことをいう事ができるはずもない。俺はただ笑って、こう答えた。

 

「まだ一度も抱いてないんでね。それが惜しくて惜しくて」

 

 俺はぶつりと電話を切ると扉を開け、真田の家へと急いだ。

 

 

 

 

 

 床から伝わってくる冷たさで、雪音は目を覚ました。体を起こすと、大きな湯舟とシャワー、プラスチック製の風呂桶が見えた。どうやらここは風呂場らしい。

 

 しかし妙に寒い。体を見下ろすと部屋着は脱がされ、下着をまとっているだけだった。

 

「………なんでこんなところに……」

 

 もっとも、ここにいる理由は分かる。夕方ごろ、地下室に何者かが侵入してきたのである。いつもよりも帰ってくるのが早かったので妙だとは思ったが、「犯人」とは違う人物だとは思わなかった。

 

 侵入者の顔つきはのっぺりしていてこれといって特徴はなかったが、いやに鋭い目つきが印象的な男だった。

 

「犯人」の顔を見たことは無かったが、「犯人」はがっしりとした体つきでどちらかというと背が高い方であり、侵入者は中肉中背でどう考えても体形が違っていたため、別人だとすぐにわかった。

 

 しかし雪音が逃げようとすると髪を掴まれ、逃げられなくなったところで後頭部に衝撃が走り、雪音は昏倒した。

 

(頭を殴られるってこんなに痛かったのね。もし会えたら、氷目さんにも謝らなきゃ)

 

 ずきずきする頭を押さえながら、雪音は辺りを見回した。扉のガラス戸の向こうには、つっかえ棒がしてあるのが透けて見えた。軽く戸を叩いてみたが樹脂か何かで強化されたガラスらしく、ちょっとやそっと叩いた程度では割れそうにない。

 

「はあ……」

 

 つまり、雪音は閉じ込められていた。「犯人」のときのように細やかな心遣いはない。ただ、雪音を逃がさない為だけにある空間である。しかもガラス戸以外に出られそうな場所はない。雪音はため息をついて座り込んだ。

 

 そのとき、雪音はふと生臭い臭いが鼻腔を抜けていくのを感じた。すんすんと空気を再び鼻に取り入れる。やはり気のせいではなく、どこからかこの臭いが漂ってくるのだ。

 

 雪音は、ゆっくりと湯舟を見た。プラスチックのフタがされているが、そちらから臭いは漂ってくる。一歩近づくと、むわっと鉄の臭いが鼻をついた。

 

「な、何が……」

 

 友人に本能が薄いと言われる雪音でも、その湯舟に入っている「もの」の見当はついていた。

 

 見たくない。しかし見なければならない。場合によっては、この中身が、雪音の辿る運命であるかもしれないのだから。

 

 雪音はおそるおそるフタをとりーそして押し殺した悲鳴をあげた。

 

 ぱっちりとした大きな目に長いまつげ、ふっくらとした唇が美しく並んでいる。肌は薄いコーヒー色で、スポーツ系の部活かサークルにいる快活な選手、という感じの女性である。

 

 が、首から下は、ずたずたにされていた。

 

 叫べないようにするためか声帯は切除されており、右の乳房はえぐられて黄色い脂肪が肋骨のまわりにこびりついているのが見えた。へそから下腹部にかけて一直線に切れ込みが入り、赤黒い内臓がてらてらと輝いていた。

 

「う……っ」

 

 ひどすぎる。これを、人間がやったの?

 

 吐き気がする。目が熱い。気づくと、雪音はぼろぼろと涙を流していた。この名前も知らない女性だけでなく、これから自分が辿る運命がはっきりとした形で現れたのだ。へたり、と体から力が抜けた。

 

(い……嫌。なんで、私が)

 

 自分は何をしたのか。怖い。死にたくない。誰か。誰か助けてー

 

 そのとき、がらりと扉が開いた。振り向くと、雪音をさらったあの男が立っていた。外科医が身に着けるようなガウンや手袋を身にまとっている。そしてその手には、大きなはも切り包丁が握られていた。

 

 男は黙って、ねっとりとした目つきで雪音の身体を眺めまわす。まるでどこから魚をさばくかを思案しているかのように。

 

 雪音はあとずさった。脳裏に、湯船で絶命していた女性の死体が鮮やかに現れる。間違いない。ここで殺されてしまうのだ。

 

「やめて……なんで私を殺すの……?」

 

 恐怖に押しつぶされそうになりながら、雪音はようやく声をしぼりだした。すると男の眼に嗜虐的な光が差し、目の端が釣り下がった。

 

「獲物だからだ。お前にはずっと前から目星をつけていたんだ」

 

「目星……?」

 

「そうだ。私が先だ。なのに……東雲の野郎が先に手を出した。私は彼が犯罪者だとは知らなかったからな。盲点だったよ」

 

 東雲というのは、おそらく今まで雪音と暮らしていた犯人の名だろう。もし東雲にさらわれなければ、雪音はもっと早い段階でこの男に殺されていたのかもしれないのだ。

 

「だが、もうそのことはいい。私のもとに、お前は戻ってきた」

 

「……!」

 

 男は、左のポケットから、手術用具を複数取り出し、床に置いた。

 

「私は獣医くずれでね。今は動物園の職員なんかをしているが、動物の身体のことはよくわかる。……動物っていうのは、人間も含めているがね」

 

 怯える雪音に近づくと、マジックペンをどこからか取り出し、喉、手首、内もも、腰回りにバツ印をつける。

 

「お前だけの切開箇所だ。皮膚を裂き、お前の肉体で一番美しい部分を露わにするための」

 

 男は鼻歌を歌いながら、優しく雪音の喉に包丁をあてがった。

 

「……しかしこの施術は激しい痛みを伴う。よって、痛みの少ない方法ー頸動脈を切って死なせてから行う」

 

 雪音は涙で濡れた眼でたんたんとつぶやく男を見上げながら、もう何も考えられなくなっていた。 

 

 終わりだ。雪音は男に無残に殺され、なぶられる。どうしようもない。回避できない運命が雪音に降りかかるのをただ待つしかないのだ。

 

 男の包丁が、ゆっくりと引いた。数秒後にはその刃が雪音の喉に食いこんでいるだろうー

 

 そう思ったとき、どこかでガラスの割れる音がした。

 

 男はぴたりと包丁を持った手を止め、耳をすませていた。静寂の中、がちん、とシリンダーを回す音が聞こえてきて、がらがらとガラス戸の開く音がした。

 

「邪魔が入ったか」

 

 男は大きく舌打ちをすると雪音から離れ、手術用具を拾う。呆然とする雪音に、男は不機嫌そうに言った。

 

「……お前の解剖は後だ。まずはやって来た者を排除しなくては」

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。