その辺を歩いていた令嬢を監禁してみた 作:るら
寒々しい冬から春へと変わりつつある。季節の変わり目であるせいか、それとも辺りに敷き詰めてあった枯れ葉の素材が鼻に入り込んだのか、俺は大きなくしゃみをした。
「東雲さん、こちら終わりましたー」
「おう、お疲れ。こっちもウサギ小屋片付いた」
三須はふれあい用のモルモット小屋から、食べ残されていた餌をまとめて袋に入れたものを持ち出していた。三須は、おえ、と吐く真似をしながら、小屋の近くに備え付けられている水場で手を洗い始めた。
「いやー、しかし本当に臭いですね、モルモット」
「お前普段ライオンとかゾウの世話してるだろ。動物臭さなんて平気じゃないか」
「そいつらは慣れてるから大丈夫なんですけどね。慣れてない動物のはちょっと」
「俺は全部同じに思えるけどなあ」
ちなみに、俺も本来はウサギの世話をする担当ではない。げっ歯類系や鳥類など、悪い病気を人にうつしそうな動物はまとめて真田に管理されていたからである。
「そういえば、来なくなった真田……さんのこと知ってます? 警察に捕まったらしいですよ」
らしい、と来たか。氷目から聞いたので、こいつ自身が真田の正体を突き止めたということは、俺は知っていた。しかし表向き俺は事件に関しては全くの無関係なので、ほう、と興味ありげな顔で相槌を打つふりをした。
すると三須は鼻高々という顔で、さらに続ける。
「しかも、あの人殺人鬼だったんですよ。まあ、ある一般市民のおかげで正体がばれたんですけど」
「……なんでそんなに得意げなんだ?」
「え、あ、いやその……その一般市民の名前、知りたくありません?」
「まあ別にいいかな。俺はそういうのドラマの中で間に合ってるし」
「そうですか……」
三須は残念そうな顔をしてタオルを肩にかけた。
全部知ってるからいいよ、とは言えなかった。もちろん三須の情報が無ければ俺が雪音を助けることはできなかったわけで、その点では感謝している。しかしこの件について三須と話していると、「無関係」であるはずの俺が知らないはずの情報まで誤って口に出してしまいそうなので、この手の話題は避けることにしている。
ちなみに今、真田俊雄は警察で取り調べが続けられている。
警察の質問に対してはほぼ黙秘を貫いており、弁護人もほとほと困り果て、しまいには「これほどの猟奇的事件を起こすのはまともな精神では不可能であり、責任能力はない」という方針で減刑を求めていくと言い出したという。
実際に出会って言葉を少し交わした俺からすれば、あのレベルで精神がおかしいのであれば減刑しない方が世の為になるのではないかと思うのだが。まあその辺りは法律家の先生方が考えることであり、俺がどうこう言うべきことではない。
あの日の夜、雪音が玄関から外に出て警察の目を引きつけている間に裏口から逃げ出し、自宅まで誰かに見とがめられないよう気をつけながら帰った。
別れる間際、雪音は一緒に出ようと提案したが、さすがに俺が真田の自宅に侵入している理由を作るのは難しい。下手すれば、共犯だと(共に雪音を誘拐したという意味ではある意味正しい)誤解される可能性があったため、却下した。
命までかけて目的は果たせなかったので未練はあったものの、ここを逃した場合「リリース」するチャンスはもうないかもしれない。
そんな考えもあり、雪音の監禁生活は、そこで終了した。
家に帰ると、散らかった貴賓室が、開け放たれた地下室のドアの向こうに見えた。ほのかに彼女のいた気配の残るその部屋で、俺は何となく大事なものを真田の家に置き忘れてきてしまったかのような気になった。
それ以降、雪音がどうなったかは俺には分からない。真田が抜けた後を埋めるための仕事が忙しく、それを確かめる時間と体力がなかったからである。学校には通っているのだろうか。肝丘に困らせられていないだろうか。
近頃は、ふとした折にそんなことを思い出す。
彼女のいた生活が懐かしかった。多少屈託はあるものの、幼さの抜けないお嬢様。その割には食べたいものがジャンクすぎる気はするが。
俺が手を動かしていると、三須は「そういえば」と言って首をかしげた。
「これだけが分からないんですが……真田さんが発見された時、廊下でぶっ倒れて寝てたそうです。ベッドじゃなくて、廊下ですよ。麻酔みたいなのがかけられてたらしくて。窓も何故か割られてましたし、実はあの家には真田自身と如月雪音さん以外にもう一人、誰かいたんじゃないかって話もあるんですよ」
「そ、そうか」
「まあ、凶行は真田さんの家でやってますし、仮にもう一人いたとしても主犯は真田さんでしょうが」
容疑者候補があがらなければ、後は勝手に警察が理由をつけてくれるらしい。あの日家にいた三人目の人間は、ほっと安堵の息をついた。
そのとき、俺の尻ポケットに入れていた携帯からメールの着信音が聞こえた。見覚えのないメールアドレス。俺はけげんに思いながら、受信ボックスを開いた。
「………ねえ知ってる? 如月さんのこと」
「知ってる知ってる。誘拐されたんでしょ」
「やっぱり、変なこととか……されてたのかなあ」
「逆にあのコの見た目的に変なことしないほうが変でしょ。……まあされなかったらしいけどね」
「え? なんで?」
「誘拐した奴がドン引きするくらいヤバい殺人鬼だったんだって。エロいことよりグロいことの方が好きだったらしくて」
「……それ本人から聞いたの?」
「まさか。可哀そうでしょ。ただでさえひどい目にあってるのに。ウワサだって」
「でも今は普通に学校来てるじゃない?」
「……まあねえ。案外ああいうお嬢様が精神的にタフなのかもね。男の人と外で会ってたって話もあるし」
「何それ⁉ そんな話聞いたことないけど、学校の外に彼氏を?」
「どーせ相手はイケメンか高収入よ。学校内は眼中にないんでしょ」
もともとそれなりにウワサの種でもあった如月雪音について、今回の事件によって空前の、そしてこれからの人生によっては絶後になるかもしれないほど大きなウワサが流れていた。
美少女と殺人鬼の組み合わせが一つ屋根の下……これほどドラマチックで官能的な学校のウワサなど、あるはずがない。しかも本人がまだ在学・登校しているのである。当然好奇の視線が集中することになったが、おそらく幸いなことに、如月雪音という人間は周りの人間の心の機微に、少しだけ疎かった。
不登校になる可能性が高いと判断され、用意されたカウンセラーも雪音が普通に登校し、いくつか心理テストをやっても「正常」と判断できるので、お役御免となった。
多少の勉強の遅れはあったものの、地頭がいいため、その分を取り返すのにはそれほどの時間は必要なかった。
一番の難問は誘拐後に雪音の父が、「それなら肝丘くんの家にずっと居て、授業も全て家庭教師にお願いすることにしよう」と言い出したことだった。
その場で思いついたように言ったから、おそらく深い考えはないだろう。ただ、またこのようなごたごたがあったら面倒だろうという思いがあったのかもしれない。
雪音にしてみれば、肝丘の家にいるのは嫌だったし、今まで以上に拘束されることになるので、それも問題外だった。
しかしそこで助け舟を出したのは、意外にも肝丘自身だった。てっきり父の案に賛成するかと思ったが、それではあまりに雪音に不自由を強いることになるといって断ったのである。氷目もそれに大賛成し、父はついに折れた。
そして最後に一つだけ残った問題。それは、あの日の夜に別れた「犯人」のことだった。
雪音は公園のうららかな日差しを浴びながら、目を細めた。
ベンチに座ってぼんやりと公園の景色を眺めていると、小学生たちが騒ぎながら通学路を駆けていくのが見えた。雪音は春になりかけた新緑の香りを胸いっぱいに吸い込みながら、ほうとため息をつく。
「なにため息ついてんだ……えーと、雪音」
「えっ⁉ あ、ああ……」
突然話しかけられて、雪音はびくりと肩を震わせた。後ろから聞こえてきたのは、聞きなれた、そしてあの夜からずっと聞けなかった、頼もしい声だった。
「犯に……いえ東雲さん。来てくれたのね」
「ていうかここに来いってメールしたのはお前じゃないか。ていうか人前で絶対犯人て言わないでくれよ」
「わかってるわ。東雲犯人さん」
「名前は秋に人って書いてあきひと」
「秋人」
真面目に繰り返す雪音を見て、東雲は呆れたような顔をした。
「うん、まあ、そのなんだ。聞きたいことはいくつかあるが……まず、俺はお前にメールアドレスなんか教えてなかったと思うんだが」
「ええ。名前も知らなかったわ」
「それも。教えてなかったろ」
「氷目さんに訊いたの」
高熱が出たとき、雪音は東雲が氷目に電話するのを朦朧とした意識の中で聴いていた。それを思い出して、雪音は氷目なら東雲に連絡を取ることが可能なのではないかということに思い至ったのである。
氷目は東雲の電話番号を知っているかと雪音に聞かれ、教えてほしいと頼まれると、快諾してくれた。
「電話では繋がらないこともありますから、こちらもどうぞ」
とメールアドレスまで教えてくれたのである。やはり氷目は如月家、社の人間の中では雪音に
「ああ、あいつか……なるほど。理由は完全に分かった」
なぜか東雲は深く納得した様子だった。そして、ちらりと雪音の顔を見て、言った。
「それでもう一つ教えてほしい」
「なんでもどうぞ?」
「……どうして俺を呼び出したんだ?」
あの日の夜。彼にとっては、雪音との関わりはそこで終わりになる予定だったのかもしれない。だから、「関係なくなってしまったはず」の雪音がメールを送ったことを、不思議がっているのだろう。
だが、雪音はそれで終わったつもりはなかった。
「だって……あなた、私とアレするのが目的だったんでしょ?」
「おま……もっと静かに言えよ」
「私は構わないわ。何なら大声で叫んでも……」
「本当にやめてくれ。社会的に死ぬ」
少し慌てた様子の東雲に、くすりと雪音は笑いかけた。
「冗談よ、冗談」
「お前はもっと言っていい冗談と悪い冗談があることを学んだ方がいいと思うぞ」
心の底からそう思っているような口調で東雲がたしなめると、雪音はそうね、と言ってから本当の理由を口にした。
「……いろいろ考えたんだけど、もう一回監禁されるっていうのは……難しい、よね?」
「まあな」
さすがに二連続で攫われるというのは、偶然にしてはできすぎている。もし二つ目の事件と一つ目の事件について関連性が見いだされれば、東雲が逮捕される可能性もあるわけだ。
だが、雪音は一緒に、東雲といたかった。
雪音を必死に病院まで運び、殺人鬼の家まで助けにやってくる。自分の母親以外で、これほど自分のことを思ってくれた人間はいなかったと思う。
ぼんやりとした意識の中で見た、頼もしい背中。なんだかんだ言いながら助けてくれる人。
「あなたの近くにいる人は、絶対にあなたを支えてくれる」
夢の中で母が言った言葉。雪音の潜在意識は、東雲をそう思っていた。
支えてほしい。だから、近くにいてほしい。
もちろん、その気持ちをすぐに言葉にのせることはできない。言うならはっきり。棒読みでも気合を入れすぎてもいけない。雪音はあのときの復唱で東雲が言ったことを思いだして、ふわりと笑った。
「だから……私とお付き合いしましょう」
東雲の目がまん丸く見開かれたことと。
次に彼が言った、嬉しい言葉は。
きっとずっと、忘れない。
「……うーん、良い感じですね。二人とも」
公園のベンチで話す二人を、近くの喫茶店から覗く、一人の女性の姿があった。すでに注文したコーヒーはすっかり冷めており、しかも口をつけられていない。
それどころではなかった。氷目としては、たとえストックホルム症候群だとしても、二人がくっつくことは喜ばしいことなのである。これでもっと雪音が肝丘を嫌うようになれば、氷目にもまだ万が一のチャンスが残っているかもしれない。
そういうわけで雪音に東雲の連絡先をきっちり教えたし、肝丘の家に住むという話も反対したのであった。
雪音には悪いが、これはすべて氷目の利己的な行動。結果的に雪音に親切になっているだけなのだ。
氷目が窓の外をじっと眺めていると、「ちょっとここいいか」という声が、向かいの席から聞こえてきた。
「え、でもまだ他に席は空い……て……」
る、と言いかけたそのとき、氷目は目の前にいる相手が肝丘であることに気が付いた。
「これは肝丘様。こんなところで会うとは偶然ですね」
「偶然じゃない」
がたりと椅子を引いて手に持っていたアイスティーをテーブルに置くと、肝丘は氷目の前に座った。
「偶然じゃない……?」
氷目は、いつもと気配の違う肝丘の態度に引っかかるものを感じた。そう、何か自分が致命的なミスをしてしまったかのようなー
「……君が熱心に見ている二人。雪音と……東雲君、だったかな」
「え?」
「いや、犯人君、と言った方が正確かな」
「え、何ですか、ちょっと。待って」
どういうことだ。そんなこと、肝丘が知っているわけはないのに。氷目は動揺した。雪音を誘拐した犯人は真田だと思っているのではないのか。
「……僕が君を東雲の家に送り込んだ時、君にも発信機をつけておいたんだ。音声で君の安否が分かるように」
「音……声」
「それで、東雲が最初に雪音をさらった犯人だってことは分かった。だが、雪音を連れて帰ろうとする君を後ろから殴り倒したのが、他でもない雪音なんだ」
「……そうなんですか」
あの時は犯人に不意をつかれたと思ったが、雪音本人に殴られていたとは。氷目は雪音に対する、たいして高くない好感度が下がるのを感じた。
「東雲の方も雪音に無茶なことはさせてないし、雪音はあの状態を望んでいたみたいだったから、僕はしばらく様子を見ていた。君が、真実を知っていながら全くの見当違いの方へ捜査を進めるのもね」
「うっ……申し訳ありません」
「だいたい、東雲君がお守りを拾ったって言い訳は苦しすぎる。いくら僕が君のことを信頼してるからって、そんな嘘でごまかせるわけないだろう」
駄目だ。信用を失った。しかも私情のために仕事をこなさないと思われれば、クビになることも考えられる。氷目は顔をこわばらせた。
「……真田が雪音をさらった時は、やっぱり任せるんじゃなかったと思った。だから僕は真田の家に行った」
そうか、と氷目は納得した。あの日の夜、連絡もしていないのに肝丘が真田の家へ来ていたのは、氷目が電話で東雲と話していた内容を聞いていたからだろう。
肝丘は全てを知っていて、それでもなお「雪音が望んでいるなら」という理由で干渉してこなかっただけだったのだ。
「それで……どうするおつもりでしょうか。東雲を逮捕しますか?」
当然だ。そして肝丘が望むなら氷目自身も共犯として逮捕できる。証拠が盗聴されたものだとしても、肝丘の力を使えばその辺りはどうとでもなるのである。
しかし、肝丘はベンチの二人を見ながら、首をゆっくりと横に振った。
「……いいや、それはいい。雪音は望んでない」
「え……」
「前、雪音の寝室に行ったことがあってさ。そのときに嫌われてしまってね」
「は、はあ……」
「彼を刑務所送りにしたところで、もう雪音の隣には僕の席はないような気がするんだ。例え法律上で結婚することは可能だとしても」
からん、とコップの中の氷が音をたてた。
「それなら雪音が幸せな方がいいだろ。……ま、東雲が雪音を泣かせたらすぐにでも牢屋に叩き込んでやるが」
氷目は呆気にとられながら肝丘の話を聞いていた。が、やがて肝丘が、なぜ自分のところへやって来たのかということに思い至り、冷汗が流れ始める。
肝丘が東雲に関して干渉するつもりがないというだけなら、そもそも氷目にそれを言う必要はなかった。わざわざ氷目に話をしにきているということは、氷目自身に「言わなければならないこと」があるからに違いない。東雲の罪もイモづる式で露わになるため逮捕されることはないだろうが……。
左遷か、クビか。
氷目に下される処罰はこのどちらかだろう。からからになった喉をうるおすため、氷目は、コーヒーカップを震える手で掴んだ。そのとき、肝丘は不意に口を開いた。
「そして、君には……」
来た。氷目が最も恐れる言葉。肝丘と会えなくなるうえ、職を失うことになるかもしれない一言。
「悪いことをしたな」
クビを言い渡されると思い込んでいた氷目は、一瞬、肝丘が何と言っているかが分からなかった。
「今回君が東雲君に加担した動機は、その、僕に対する感情が原因だということがわかった」
「あ………」
そうか。音声を傍受されていたのであれば、「それ」も知られているはずだったのだ。体重の記録をしていたことも知られているのだとしたら。
氷目は恥ずかしさのあまり、うつむいた。今すぐこの店から逃げ出したかったが、強固な自制心がそれを抑え込んでいた。
「で……その、僕は、君のことを信頼しているし、非常に優秀だと思う。そして憎からず思っている」
「……?」
「だから……まあまだ公にはできないが、付き合わないか」
暖かい日の差しこむのんびりした雰囲気の喫茶店に一人の女性の驚きの声がこだました後、静かにその日の午後は過ぎていった。
最終話です。たった5万字を投稿するのに1年かかるとはどういうこと……? スタンド攻撃を受けていた可能性がありますね。
こんなナメクジのような投稿スピードでもお気に入りを外さないでくださった方々には感謝しきれません。
また、筆者は注意力が散漫なので、打ち間違いの多いこと……すみませんでした。誤字修正をしてくださった方々にも感謝を。
ストーリーについてですが、途中からコメディが行方不明になっています。ばりばりのサスペンスじゃんとツッコみながら書いていた記憶が。やはり私にコメディは無理だったよ……。
ひょっとしたら気づく方もいたかもしれませんが、人物名は雪音以外はそのままな名前が多かったです。ミスリードさせるから三須、殺人鬼(マーダラー)だから真田とか。
元々暇潰し的なノリで書いた話ですので、1話1話の量が物足りない感じもあったかもしれませんね。
ともあれ、ここまで読んでくださり、ありがとうございました。