その辺を歩いていた令嬢を監禁してみた   作:るら

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利害の一致

 

 

 

 冷たいものが額に当たった拍子に、氷目玲香は目を覚ました。

 

「………!?」

 

 目を開けたとたんに飛び込んできたのは、板張りの天井と、仰向けになっている自分の顔の真上にある蛇口。そこから滴り落ちてくる水滴をかわそうとしたが、身体の自由が利かず、頬に水滴がこぼれる。その時初めて、氷目は自分が縄で縛られているのに気が付いた。

 

(そうか……私は、捕まったのか)

 

 確か、雪音を連れて脱出しようとしたところで背後から犯人の一撃を受け、気絶してしまったのだ。自分の油断といえば油断だったが、犯人は氷目のような人間が来るのを予想して罠を張っていたのかもしれない。

 

 氷目は何とか動いて縄を緩めようとしたが、固く縛ってあり、容易にほどけそうにない。しかしそのわりには縛り方はきつすぎず、首をよじって縛られている手首を見ても、うっ血してはいなかった。この結び方といい、手際の良さといい、犯人は肝丘の予想を大きく上回る技術と頭脳を持ち合わせている。バスタブに入れたのも、おそらく氷目を殺すのに都合がいいからだろう。刺殺するなら水で血を洗い流せるし、手っ取り早くバスタブに水をためて溺死させることができる。

 

 氷目は包丁を腹に何度も突き立てられる自分、そして水の中でひたすら空気を求めてもがく自分を想像して、さっと顔から血の気が引くのを感じた。雪音は身代金に換えることができるから生かされるだろうが、犯人にとって氷目など生かす価値はない。口封じのために殺されるのが落ちだろう。

 

(こんなことになるなら、来なければ良かった……)

 

 氷目が肝丘の無茶ぶりを受け入れたのは雪音を助けたいと思ったからでも、犯人の非道に憤ったからでもない。その理由は、ごく単純な一個人への想いからだった。

 

 氷目が何とか縄を解こうとしていると、風呂場の戸が、きい、と音を立てて開くのが見えた。

 

「……!」

 

 犯人か。もしそうなのだとしたら、氷目はここで殺される。わざわざ目を覚ましたころ合いを見計らって襲い掛かってくるあたり、相手は相当の嗜虐趣味を持っているらしい。その凄まじい悪意を自分の身体で受け止めねばならぬのだー氷目がそう思って恐怖に目をみはり、ドアを凝視していたが、そこからぴょこりと現れたのは、全く別の、予想だにしていなかった顔だった。

 

「あ、氷目さんもう起きてたの」

 

「雪音お嬢様……!」

 

 どうやら氷目の入れられた部屋は雪音の部屋と繋がっているらしい。要するに、雪音と2人で地下室の1つに閉じ込められているのだ。

 

「私も、捕まってしまいました」

 

「そうね。まあ大丈夫よ」

 

「何が大丈夫なものですか! あなたはまだ大丈夫かもしれませんが、私は多分、犯人に目が覚めてるのに気付かれたら殺されます! この縄をほどいてください!」

 

 氷目の言葉に、雪音は首をかしげて、少し考え込むそぶりをしていた。

 

「でもあの人、そんなに悪い人じゃないと思うの。私も身体を要求されたくらいで、あとはここを出なければ自由にしてていいのよ?」

 

「………」

 

 それを聞いて、氷目は呆れのあまり何も言えず、そしてこんな馬鹿を助けに来たのか、と涙が出そうになった。最初は雪音がストックホルム症候群(犯罪者と一緒に過ごすうちに親密になること)にでもかかっていたのかと思ったが、少なくとも強姦、拉致、監禁をした人間を悪い人ではないと言うのはよほどの聖人か馬鹿――雪音は後者である――しかいない。

 

 氷目が何も言わなくなったのを確認と受け取ったのか、雪音は「そうだ」と言って踵を返した。

 

「……どこへ行くんですか?」

 

「犯人さんのとこ。氷目さんが起きたら教えろって言われてるから」

 

「さっきの話聞いてました? 呼ぶのは止めてください」

 

「もう、心配性なんだから。大丈夫よ」

 

 氷目が呼び戻そうとしても、雪音は聞かず、部屋を出て行ってしまった。氷目は相変わらず身動きが取れない状態なので、慌てて動いても追いかけるどころかバスタブから起き上がる事さえままならない。

 

「……待たせたな」

 

 縄が少しずれたというところで、サングラスにマスクをした男が部屋に入って来た。手には何故か肉じゃがの入ったお椀と、一膳のご飯を持っている。

 

「……何する気ですか?」

 

「いや何。君の身体で女体盛りでもどうかと思ってね」

 

 あまりのおぞましさに、身体の芯から震えが走った。この男は氷目を殺す前に散々身体をおもちゃにするつもりなのだ――そう思っていると、男は「冗談だよ、冗談」と言って食事をタイルの上に置いた。どうやら氷目用の食事らしい。

 

「ご飯は粗末にしたらバチが当たるからね」

 

 どこのおばあちゃんだ、とつっこみたくなったが、自分の命がこの男の手の上にあるのは変わりない。押し黙っていると、やはり男の手が伸びてきた。何をするつもりだろうか、と警戒していると、男は氷目の縄をほどきはじめた。

 

「……縄を解いても暴れないでくれよ。押さえるの大変だから」

 

「縄を解くんですか?」

 

 氷目が訊くと、男は不思議そうな声で、

 

「そうだけど。……ひょっとして縛られてた方がいいタイプ? まさかそんな性癖もあるとは……」

 

「……ち、違います!」

 

 顔を紅潮させて反論したとき、氷目は男の言葉に違和感を覚えた。そんな性癖()あるのかとこの男は言ったのである。まるで他にも何か知っているようではないか。

 

 まさか、と思って男が縄を解いた後、氷目は自分の手帳がないか、ポケットをまさぐった。が、そこには何もない。手帳が無いことに狼狽していると、男は気まずそうに、手帳を差し出した。

 

「探してるの、これか?」

 

 

 

 

 

 俺が氷目に手帳を差し出すと、氷目は顔を真っ赤にしながら口をぱくぱくさせていた。何かを言おうとしているらしいが、恥ずかしさのあまり言葉が喉から出てこないらしい。

 

 氷目は俺から奪うようにして手帳を受け取ると、ぎゅっと胸の前で抱きしめた。

 

「……この中身、見ましたか?」

 

 彼女を気遣うなら、見ていないと嘘をつくべきだろう。しかしわざわざ持っていて見ていないというのも不自然だし、何らかのわだかまりが残る可能性もある。だから俺は正直に答えることにした。

 

「……ああ、見た」

 

 氷目の手帳には秘書らしく肝丘の予定や自分の予定が書きこまれていたが、仕事とは全く関係なく、明らかに個人的な興味で書き留めておいたような肝丘の行動の記録があったり、肝丘の写真が挟まっていたりもした。しかもその写真の中の肝丘はカメラを意識しておらず、ただ普通に歩いているだけだった。つまり、この写真は盗撮されたものである可能性が高い。

 

「いや、まあ個人の趣味なんだろうから、他人がとやかく言う事ではないかなって思うんだ。ただここまで来るとストーカー……」

 

「やめてください。犯罪者に言われたくありません」

 

 顔を手で覆いながら、氷目は絞り出すように答えた。そうだな、と言いながら、俺も見なければ良かったと後悔し始めていた。あれを見なければこのクールビューティーがデブ専プラスストーカー属性もちなどという不必要な情報を得ることもなく、今頃は棚ぼた感覚でつまみ食いさせてもらっていたはずである。

 

 しかし手帳に「今日の朝の京太郎さまの体重 94キロ」、「京太郎さまの使った歯磨き粉の回収に成功」などと書かれているのを見た日には、いかに彼女が美人でも、躊躇せざるを得ない。全く雪音といい氷目といい、最近はろくな獲物がない。釣りで例えるなら調理できないフグや毒があるかもしれないアオブダイを釣った気分である。

 

「雪音お嬢様は、知ってるんですか?」

 

「……いや、これを見たのは俺だけだ。あんたの肝丘ストーキングも、知らないはずだ。だからこれから一緒に生活する分には問題ないだろ」

 

「一緒に生活って……私もここに閉じ込められると?」

 

「当たり前だ。殺しはしないが、逃がしちゃまずいからな」

 

氷目はそれを聞いて、ふっ、と笑った。

 

「……私が肝丘様に頼まれてここに来たということは分かっていますよね? 私が戻ってこなかったら、流石にあなたが黒だということは一目瞭然では?」

 

「ぐっ……」

 

そう、問題はそこなのだ。逃がすと俺の正体はばれるし、逃がさなくてもいずればれる。将棋やチェスで言うところの「詰み」の状態である。血生臭い解決策ー例えば目の前の氷目を殺した後に手帳に住所が書いてある肝丘の家へ行き、これも殺害するーといった方法も無いわけではなかったが、俺のやり方ではないし、するつもりも断じて無い。

 

「ですから、ここは取り引きといきませんか」

 

俺が考え込んでいると、氷目は笑みと緊張を微妙なバランスで混ぜたような表情で、そう言った。

 

「取り引き?」

 

「はい。私はあなたが雪音お嬢様を監禁していることは勘違いだったと報告しましょう。その代わりに私を解放してください」

 

「……どうやって勘違いって言い張るんだ? 肝丘は雪音の居場所を知ってるみたいだったが」

 

「GPSの探知機をあなたが拾ってしまった体にすればいいでしょう。雪音さんの鞄に交通安全のお守りが入っているんですが、肝丘様はそれに居場所を発信し続ける装置を入れておいたと言っていました」

 

 半信半疑ながら雪音にことわって鞄のお守りの中身を見てみると、確かにその通り、小さな発信機が入っていた。発信機をつけるあたり、肝丘も氷目と同じようにどこかストーカーじみたところがあるようだ。

 

「これをあなたが拾っていたことにしましょう。それで雪音お嬢様はどこにもいなかった、と伝えておきます」

 

「そうか。でも、解放しても約束を破らないって保証はあるのか?」

 

「まあ、絶対にしないと確約する方法はありませんが……正直に言うと、雪音お嬢様があなたに監禁されている状況、私にとって好都合なんですよ」

 

 後半は声を潜めて、俺以外に聞かれまいとしているようだった。

 

「悔しいことに、雪音様は肝丘様の心を釘付けにしています。それゆえ私は身を引いて自分を押し殺して仕事をしてまいりました」

 

 身を引いて……? 俺はびっしりと手帳を埋め尽くしていた肝丘の行動記録を思い出して、首をかしげた。

 

「しかし今はどうでしょう? 雪音お嬢様は檻の中。 肝丘様はご傷心。これはチャンスではないでしょうか」

 

 どうやら氷目は俺が人殺しをしない人間だと今のやりとりのどこかで見抜き、策謀を巡らせる余裕が出てきたようだ。まあ俺としても彼女の提案に乗るしかないが、先ほどまで氷目に感じていた憐れみは1ミリも残ってはいなかった。

 

「……雪音はどうするつもりだ?」

 

「好きなようにしていいですよ。むしろもうしばらく監禁しておいてくださると助かります」

 

「ずいぶん薄情なんだな……」

 

「私の上司は肝丘様なので」

 

 指揮系統も違うし、恋敵でもあるのだから見捨てて当然と言わんばかりだった。おそらく肝丘に言われなければ、氷目は雪音救出に指の1本たりとも動かそうとしなかったに違いない。

 

……しかし周りがこんな人間ばかりで、果たして雪音は今までどんな生活を送って来たのだろうか? 好きでもない男と結婚させられるうえに父親にスルーされ、拉致監禁され、ついでに部下にも見捨てられているのだ。さらった俺が言うのもおかしい話だが、彼女は孤独だったのではないか。

 

 監禁しても何も不自由を訴えないのも、もともと彼女が孤独に慣れていたからだろう。つまづいたらそのまま倒れたままである方がよい、とは誰の言葉だったか。彼女の孤独への「慣れ」は天性のものではなく、周りの人間によって形成されたものなのかもしれない。

 

そう思うと、何故か雪音が、あのどこかずれたところのある世間知らずのお嬢様が、急に可哀そうに思えてきた。

 

 

 

 

 

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