その辺を歩いていた令嬢を監禁してみた 作:るら
空はすでに夕日の残滓も消え去り、夜のとばりが下りてきていた。
その日、俺は遅くに動物園から帰ってきた。休日は家族連れが多く、臨時で駆り出されることもあるのだが、今日はことのほか人が多く、骨が折れた。
しかも今日は仕事仲間の二人が抜けていたため、俺に割り当てられる仕事の量はすさまじかった。
(……まあ、仕事をこなした後の趣味は最高だがな)
雪音は風邪から完全に回復しているし、あの日にできなかったことを今日しようというのが楽しみで、仕事の時間が長く感じられた。足取りも軽く、一刻も早く家に帰りたい。
家に到着し、玄関に近づこうとしたとき、俺はひやりと背筋に氷を当てられたような感覚がした。
ガラス戸が割られている。
いや、割られているという言い方は正確ではない。一部分をガラス切りで丸く切り取り、内側から解錠してドアを開けているのだ。
空き巣、という単語が頭の中に浮かんだ。そういえば最近外から見られているという感じがしていたが、まさかこんなことがあろうとは。警戒を怠っていた。
まだ辺りに犯人がいるかもしれないので、そっとドアを開けると、一つ一つ、照明をつけながら虱潰しに人の隠れられそうな場所を確認していく。
しかし人が隠れている様子はなく、また何かを盗られているようではなかったので、ほっと安心した。俺は自分が犯罪者であるために警察を呼ぶことができないのである。
(……そういえば、雪音はどうした?)
そうだ。忘れていた。今、俺が真っ先に確認しなければならないのは彼女だ。空き巣だろうと、警察だろうと、彼女を見られてはまずい。俺は慌てて地下への階段を駆け下りた。
「………!」
貴賓室の扉は乱暴に開け放たれていた。ここは外側からしか開かない。侵入者がやったのだろう。
「雪音!」
部屋に入るが、動く者は見当たらない。いつかの時のようにベッドの向こう側を調べたり風呂場をチェックしたが、だれもいないのである。
「………やられた!」
誰かが連れ去ったのだ。そして雪音の他は何も盗られていないことから、彼女を狙った侵入だと考えられる。一瞬氷目の裏切りを考えたが、それならば堂々と警察を使えばいいわけで、俺が口封じされずにここにいる理由もない。
俺が病院に雪音を運んでいくのを見た誰かの犯行だろうか。いや、それ以前から視線があったことから、もっと前から狙っていたのかもしれない。
「どちらにせよ、相手が分からないことには取り戻しようがないな……」
手詰まりである。ここは田舎と都市の境目のような街ではあるが、それでも半径1キロメートル以内にいる人間全てを調査することはできない。そして、相手がどんな人間であるか分からない以上、最悪、雪音は殺されてしまうかもしれない。
絶望に打ちひしがれていると、ポケットの携帯が鳴った。
普段は気にならない時計の針が動く音が耳に入ってくる。応接室には氷目と、もう一人―三須しかいない。
氷目は少し眉間にしわをよせ、目の前で深く椅子に座り込む三須に冷たい視線を浴びせた。
「どうしても見せたいものがあるというから仕方なく話に応じたんです。もし前みたいなくだらない話でしたら金輪際私の前に来ていただきたくないのですが」
終業直前、三須は会社の方に押しかけてきたのだ。電話をして会おうとしてものらりくらりとかわされるため、このような強硬手段にうって出たのだろう。
氷目はやむなく片づける予定だった仕事を切り上げ、それに応じた。このまま三須がごねて、それが肝丘に伝われば、まずいことになる可能性が高いからである。
「……氷目さん、これを見てもあなたはまだそんなことが言えますか」
三須は何故か、アタッシュケースを持参しており、ソファの横に置いていた。それを開けると、中から大きな黒いゴミ袋を取り出す。
「……うっ」
氷目はハンカチで鼻を押さえた。そのゴミ袋からは異臭がしたのだ。血の匂い。そしていつだったか、肉を腐らせてしまった時に嗅いだのと同じ腐敗臭。
「見ますか?」
「いえ、結構です。……それより何ですか、それは」
そう言うと、三須はにやりと笑って、答えた。
「これこそが俺が突き止めた誘拐犯の証拠です。……写真を撮っておいたので後でご覧になるといいでしょう。女性のバラバラ死体ですよ」
三須の寄越した写真を見ると、眼を見開いたままの女性の頭部と、露わになった赤黒い臓器、ビニールにこびりついた血液が写っていた。氷目はこれでもうげっそりしていたが、細かく問うことにした。
「……これは雪音さんではありませんね。被害者の身元は?」
「それを調べましたが、どうやら数カ月前に行方不明になった保険会社の外回り社員のようです。彼女をさらい、殺害した者が、先日俺の言おうとした犯人候補です」
まさか、と氷目は思った。もしあの男が殺人をいとわない者であるなら、氷目や雪音は今生きていないだろう。しかし彼を尾行ていたという三須は、紛れもない本物の証拠を持っている。後で調べれば写真や袋の中身が本物かどうかがすぐに分かることは相手も承知のはずだから、嘘をついているとは考えにくい。
「……これはどこで?」
「あの男がゴミ捨て場でこの袋を捨てるのを見つけたんです」
「本当にあなたが目星をつけていた人?」
「はい。しっかりこの目で見ましたよ。血だらけの包丁も持ってましたし」
おかしい。辻褄が合わない。冷酷な殺人鬼と、警察に捕まる危険を負っても雪音を病院へ連れていく犯人の男とが、どうしても重ならない。
氷目はありえる可能性を検討した。犯人は殺すのに何らかの条件をつけている。雪音がなんらかの殺されない努力をしている。氷目が逃がされたのは他にどうしようもなかったため。もともと殺すつもりだったが情がうつった。
「………!」
しかし氷目は、その途中で、重大な間違いを犯したかもしれないことに気がついた。そしてすぐに、三須に問う。
「あなたが犯人だと思っている男は誰ですか?」
「……分かってるでしょ。今更何を」
「いいですから」
氷目が有無を言わさない目つきで睨んでくるので、三須はやや押されながら、答える。
「………真田です」
氷目は、勘違いをしていたことを確信した。氷目だけではない。三須も、である。
「……分かりました。あなたに対する非礼は詫びます。後日正式に報酬を出しますので、明日に電話をかけてください」
氷目は席を立った。
「ちょっと、どこ行くんですか」
「いえ。連絡しなければならない人がいるので」
足早に応接室を出ると、氷目は誰もいないのを確認して、更衣室に入った。電話を犯人の男にかけるため、その番号をダイヤルする。これはある意味朗報であり、警報でもあった。
二人だったのである。氷目と三須が見ている「犯人」は同一人物ではない。三須が見ているのは「殺人鬼」である真田。そして、氷目が連絡を取っている「誘拐犯」は東雲なのだ。
電話を取る音がして、氷目が雪音を誘拐した犯人ー東雲に、真田の正体を教えようと思ったそのとき、電話から信じられない言葉が紡ぎだされた。
「雪音が、さらわれた」
「ど、どういうことですか」
「俺にもわからん。ガラス戸を破って入ったみたいだ」
「何か盗られたものは?」
氷目は、ぴんときた。雪音を狙った犯行。そして、東雲の家に雪音がいると知る機会が多い者。雪音をさらう目的がある者。
「……犯人は真田である可能性が高いです」
「真田? なんでここに真田が出てくるんだ?」
「真田が殺人鬼だからです。三須が疑っていたのは真田の方で、あなたではありません」
「つまり雪音は……」
その先を言わず、東雲は押し黙った。氷目も、何が起こるかははっきりと分かった。雪音は殺人鬼に連れ去られたのだ。早ければ今夜中に、雪音は殺される。
一年近く間が開いてしまった……スミマセン。
誘拐犯と殺人鬼と探偵が職員やってる動物園なんて行きたくないですねえ。リアリティ?何それ美味しいの?