アズカバンから帰ってきたダンブルドアは、レモンキャンディーを口の中で噛んでいた。
普段、飴を噛むことはダンブルドアの美学として絶対にやらないようにしているので、これはかなり珍しいことだった。
アズカバンのセキュリティーは厳重で、普通の人ならばそうやすやすと面会に行ける場所ではない。
アズカバン行きの船が出るのは魔法省と特別なコネを持った人が面会の権利を勝ち取った時か、囚人が死んで家族が遺体を引き取りに行く時だけだ。
一世紀近く経った今でも、あの光景は脳裏に焼き付いている。
独房棟の一番手前の部屋で白い布を被せられて父親は死んでいた。
ホグワーツの2年生の夏休みのことだった。
あの日、父親の遺骸を抱え、母と共にアズカバンから離れて行く時の肌を焼き尽くすような太陽の明るさと、母の一筋の涙は子供心に強く残った。母は血が出るほど強く唇を噛んでいた。
ダンブルドアはレモンキャンディーの中の柔らかい部分を歯から剥がして口の中で転がした。
次に探すのはリーマス・ルーピン……彼を入学させることにした時、他の先生方は強く反対した。
それは彼が狼人間だったからだ。
しかし入学してみれば、彼は非常に謙虚で礼儀正しくて面白い優秀な生徒だった。
だから最後の年にダンブルドアは彼を監督生に任命した。
しかし彼を保護できたのはホグワーツを卒業するまでだ。魔法界での狼人間の扱いは酷く、職を得ることすらまともにできない。
だからきっと細々とした仕事でどうにか食いつないでいる状況だろう。ダンブルドアはそう目星を付けて、探し出した。
1週間ほどでリーマスの居場所は判明した。
リヴァプールの小さな魔法工場で、『隠れん防止機』に装飾のシールを貼る仕事をしているらしい。彼の能力よりはるかに劣る単純な仕事だ。
年明け、ダンブルドアはリーマスの家付近に姿くらましした。汚い路地に建つ朽ちかけた廃墟のような家の二階にリーマスは住んでいた。
ドアをノックすると、しばらくしてリーマスが出てきた。貧相なボロボロのローブを着ていたが、瞳はダンブルドアに会えた驚きと喜びで輝いていた。
「ダンブルドア先生! どうなさったのですか?」
リーマスはずっと一人ぼっちで暮らしてきたので、ダンブルドアと話せるのが嬉しかった。
「たまたまこの辺に用事があっての。そこで君がここらに住んでいると聞いたから、来てみたのじゃ。どうかね、最近の暮らしは?」
「そりゃもうご覧の通り夜な夜なパーティー開いてガリオン風呂に浸かって豪遊していますよ。夢の中で」
リーマスは古びたローブをつまんで朗らかに笑った。
「フォッフォッフォ。夢の中の世界は素晴らしい。わしは一度、信号機になる夢を見たことがある。何色だったのか忘れてしまったのは痛恨のミスじゃった……。ところでリーマス。今年の秋からハリーが入学してきたのじゃ」
リーマスは驚いた表情をした。
「あのジェームズの息子の?」
「そう、ハリー・ポッターじゃ。笑ってしまうほどジェームズにそっくりの見た目じゃが、彼ならば絶対取らなかったようなタイプの奇抜な行動をとることがあって楽しい子じゃ」
奇抜な行動というのは主に突然コサックダンスを踊りだしたり、一人で雪だるまと会話してたりすることだ。
「もうそんなに時が経ったんですか……」
リーマスは懐かしそうに目を細めた。学生時代はリーマスにとって一番輝かしい日々だった。
狼人間であるがために幼少期からずっと孤独な生活だったリーマスにとって、親友と過ごしたあの日々はかけがえのない思い出だった。
「ハリーはわしが想像するよりずっと好奇心旺盛な子供じゃった。そして前のクリスマスにわしは彼とともにアズカバンに行ったのじゃ」
「……どういうことですか?」
「ハリーは彼のご両親の死の経緯を新聞で読んでしまったのじゃ……本当に酷な経験をさせてしもうた」
リーマスは瞬きした。しばらくしてリーマスは口を開いた。
「それで、奴に会いに行ったのですか?」
「うむ。シリウス・ブラックはハリーを──言うならば、もう会えないと思っていた大親友に何十年ぶりかに再会したかのような瞳で見ておった。わしは驚いた」
リーマスは表情を変えず、無意識でローブのほつれた部分を指で弄っていた。
ダンブルドアは次の言葉を切り出した。
「ハリーはジェームズとリリーについて知りたがっている。そして君に会いたいと望んでいるのじゃが……どうかね?」
「そんなことできません!」
リーマスは強く否定した。
「……私にそんな権利は、ない……!」
リーマスは、ブラックの裏切りに気が付けずにジェームズとリリーを死なせてしまったことを今でも深く後悔していた。
「何より、ハリー・ポッターをブラックに会わせるなんて……なぜ許したのですか?」
リーマスは責めるように言った。
「彼はとても賢明な子じゃ。そして勇敢じゃ。わしも迷いに迷ったが、現実を見て受け入れる力が彼にあると判断して面会させることにしたのじゃ」
リーマスは自分を責められている気がした。
自分はブラックに会うなんてまだ到底できない。それほど心の整理が付いていない。
「それで、ハリーは大丈夫なのですか? 傷ついていないのですか?」
「彼は笑顔で振舞っておるが、内心は深く傷ついていることじゃろう……君と会って話せたら嬉しいはずじゃ」
「より失望させるだけです、ダンブルドア先生」
リーマスは断固としてハリーに会うことを拒否した。
「お願いです、どうかダンブルドア先生がハリーを慰めてやってください」
リーマスは強くお願いした。
*
クリスマス休暇最終日、ハリーは透明マントを被って地図を片手に城内を散策していた。別に今は真っ昼間で立ち入り禁止区域を歩いているわけではないので透明マントを被る必要はないのだが、スパイ気分を味わうために被っている。
今日の午後には家に帰っていたみんなが帰ってくる。
ダーズリー家の皆さんは楽しいクリスマスを過ごせただろうか。そうだったら良いな、とハリーは思った。
向こう側から薬草学のスプラウト先生がやってきた。楽しそうにセレスティナ・ワーベックの歌を鼻歌で歌っている。手に持っているのはハートの形の木だ。誰かにプレゼントするのかな、とハリーは考えた。
次にすれ違ったのは魔法生物飼育学のケトルバーン先生だ。右手には何かの台本を握りしめている。ハリーは気になったが、左手に掴んでいる火花を撒き散らすカニが怖かったので話しかけないことにした。
アズカバンに行ってから、ハリーはなるべくブラックと両親のことを考えないようにしていた。
色々考えたところで結局どうしようもないのだ。自分が怒り、復讐することで両親が生き返るなら話は別だけれど、そんなことは起こり得ない。
でも、夜の寝る前だけはどうしても悶々と悩んでしまう。
はやくロンやハーマイオニーが帰ってきてほしいとハリーは思っていた。二人と話して気を紛らわせたかった。
午後、ようやく待ち望んだ時がやってきた。ホグワーツ特急が沢山の生徒を乗せてホグワーツに帰ってきたのだ。
数週間離れていただけなのにロンの燃えるような赤毛が懐かしく思えた。
「ロン、お兄さんの様子はどうだった?」
ハリーは寝室でロンの荷物を一緒に整理してあげながら尋ねた。
ネズミのスキャバースは長旅で疲れたのかすやすやとベッドの隅で眠っていた。
「よかったよ。たしかに包帯でグルグル巻きにされててミイラみたいだったけど、でもチャーリーはやっぱチャーリーだった」
「ふうん、よかったー」
荷物の整理をひと段落したところで、ハリーは忍びの地図を取り出した。
「なんだいそれ?」
「君のお兄さんから借りたんだ。ホグワーツの地図だよ」
「おったまげー! なんで弟の僕には言ってくれなかったんだよ!」
ハリーは例の合言葉を唱えながら地図を杖で叩いた。
羊皮紙の上にホグワーツ城内の地図が現れた。
「ウワー、これ、人の場所まで分かるよ!」
「すごいでしょ?」
ハリーはグリフィンドールの寝室に目を移した。
ハリー・ポッター、ロン・ウィーズリーと書かれた点と重なるように──ピーター・ペティグリューと書かれた点がある。
ハリーはおったまげた。
「ねえ、ロン……」
「なんだい?」
ハリーは一息飲んでから尋ねた。
「君……もしかしてペティグリューの家の生まれだったりする?」
「……はあ?」
ロンは口をあんぐり開けて、大丈夫かというようにハリーを見た。
しかしハリーは追及の手を緩めなかった。
「単刀直入に聞くよ。君は本当にウィーズリー家の子供なの?」
ハリーは低い声で尋ねた。
「僕はそう思って12年間過ごして来たぜ。だって僕、赤毛だし、頬はそばかすだらけだし、ママが僕を生むところをたーくさんの人が見てるし、性格だってちょっびりママに似てるって大叔母さんに言われたことあるし、それに……うん、多分、パパとママのの子だと思うけど……」
ハリーの瞳があまりに真剣だったので、ロンは心配になってきた。
「ロン、一度この部屋から出て行ってくれない?」
「ほんとにウィーズリー家の子なのか疑われたと思ったら、今度は部屋を出なきゃいけないのかい?」
「お願い。君の出生の秘密が関わってるんだ!」
「まあ、別にいいけど……」
ロンは不満げに寝室を出た。
ハリーは再び忍びの地図に目を落とした──ピーター・ペティグリューはいる。
ハリーはピーターの点に近づいた。そこはロンのベッドの枕元だった。
誰もいる様子はない──ただネズミが丸まって眠っているだけだ。
ハリーは地図を置き、ネズミを抱え上げてネビルのベッドに移した。
それから再び地図を見ると──点はネビルのベッドに移っていた。