ホグワーツ魔法魔術学校は伝統ある魔法学校だ。
伝統校ということは、よく言えば古き良き慣習、悪く言えば無駄な過去の遺産が残っているということである。
ホグワーツ城が建築されてから1000年も経つのに改築工事をしないのは絶対におかしいとハリーは思った。
複雑な作りのせいで授業を行う教室まで辿り着けなかったのだ。
数々のギミックに加え、肖像画や階段などありとあらゆるものが動くので目印に出来るものがないため、新入生は絶対に迷うのである。
この学校は生徒達に勉強させる気がないらしい。
子役時代お世話になった映画監督の中にはスパルタ人間もいた。突然難解な質問をされて答えられないと叱られたり、不意打ちのアドリブを振られたり、極寒の中で役作りをさせられたりしたものだ。しかしこんな意味不明な罠の数々が仕掛けられたりはしていなかった。
「この学校って、スパイを育てるための機関なの?」
「んーどういうことだい? それより早く助けてくれない?」
ロンは階段中腹の落とし穴に足を取られていた。
「だってこんなに変な仕掛けばっかりなんだよ。潜入調査員を育てたいとしか思えないよ」
ハリーはロンを引っ張り上げた。
結局、2人は初回の授業に開始時間ギリギリで滑り込んだ。
グリフィンドール生の中で悠々と教室に入れたのはハーマイオニー・グレンジャーただ一人だった。
*
ホグワーツの授業は個性的だった。
薬草学では魔法植物を育てた。小学校でやったアサガオの観察なんかよりずっと難しくて、楽しかった。スプラウト先生はハッフルパフの寮監らしく温厚で良い先生だった。
魔法史はゴーストのビンズ先生が教える科目だが、とてつもなく退屈だった。掃除機のようにブイーンと一本調子で講義するだけなのだ。聞いているのはハーマイオニーだけである。
だからハリーは授業中ずっとハーマイオニーを観察していた。
「へー素晴らしいわ!」という顔だったり、「そんなことならもう私本で読みました!」という顔だったり、「もっと聞かせてください!」という顔だったり、横顔からは色々なことが読み取れた。
闇の魔術に対する防衛術も同じような感じだったので、ハリーはハーマイオニーを観察していた。
クィレル先生は極度の臆病らしく、どもりが酷くて何も聞き取れないのだから仕方ない。
この授業は教科書を読み上げているだけだ、ということをハリーは理解した。
なぜならハーマイオニーはクィレル先生の話を不満そうに聞きながら、何度もあからさまに教科書を音を立ててめくっていたからだ。教科書などとっくに読み込んだ彼女にとって、クィレル先生程度の授業は物足りないに違いない。
呪文学は楽しかった。フリットウィック先生は小さな先生だった。『チャーリーとチョコレート工場』のウンパッパ役の人達ぐらいの小ささだった。どうやらゴブリンとの混血らしい。
一番難しかったのは変身術だ。マッチ棒を針に変えるという、マクゴナガル先生曰く一番簡単なことをやったのだが、出来そうだという感じさえしなかった。
まず、黒板にびっしり書かれた理論が難しすぎて、10回ぐらい読まないと理解できない。そして理解できたとしてもそれを使えるかどうかは別問題だ。
しかしハーマイオニー・グレンジャーだけは出来ていた。きっと1000時間ぐらい予習してきたのだろう。ハリーは彼女をミス・パーフェクトと呼ぶことにした。
印象的なのは魔法薬学の授業だった。
担当のスネイプ先生は黒いマントを翻して教室に入ってきた。それはまるで育ちすぎたコウモリのような印象を見る者に与えた。
そして、出席簿を机にバシンと置き、出欠を取り始めた。ハリー・ポッターの名前が呼ばれた時──ハリーはゾッとした。
スネイプは憎しみの篭った瞳でハリーを睨んでいる。
今までも子役を毛嫌いしている人は居たし、そういう人から嫌悪感たっぷりに見られたことはある。
しかしスネイプは嫌悪を通り越して憎悪しているようだった。
これは恐らく、ハリーの行動ではなく存在そのものを嫌っているに違いない。
こういう人は気にしないのが一番だとハリーは学んでいたので、出来る限り気にしないように振る舞った。しかしスネイプは何度もハリーをいびってきた。
まあこんな先生も1人ぐらい居るよなぁ、とハリーは思った。
「あの先生ひどいわ。あなた、マクゴナガル先生に訴えるべきよ。いいえ、私と訴えに行きましょう!」
授業後、ハーマイオニーがハリーに話しかけてきた。彼女は完璧な薬の調合をしたのに、スネイプに加点してもらえなくて怒っていた。
「フレッドとジョージが言ってたけど、スネイプってスリザリン贔屓なんだってさ。訴えても無駄だよ。まったく糞野郎だ」
ロンは下品なジェスチャーをした。ハーマイオニーは咎めるような目でロンを見た。
「ああいう人はどこにでもいるから、気にしないようにするしかないよ! それよりハーマイオニー、今度魔法薬学教えてくれない? ちょっとでもあの授業が楽しくなるように」
ハリーはお願いした。ハーマイオニーは笑顔になった。
「もちろんよ。教えて差し上げるわ」
「やった! ねえ、ロンもやろうよ。そうだ、ネビルも誘っていい?」
「いいわよ」
「わーい! じゃあ早速誘ってみるよ」
ハリーは喜んだが、ロンは終始しかめっ面だった。
「あの目立ちたがりに教わるだって? ハリー、正気か?」
ハーマイオニーがいなくなってからロンが言った。
「でもミス・パーフェクトが一番勉強できるんだ。教わらない手はないよ。それにあの子いい子だよ。ちょっと新しい生活に緊張してるだけで」
「ミス・パーフェクト?」
「ハーマイオニーのことだよ」
ハリーが「当然だろ」という感じで返すと、ロンは苦笑いした。
「わかった。じゃあ一回だけだぞ。一回だけ教わってみるよ、僕」
「そうこなくっちゃロン!」
ハリーは指をパチンと鳴らした。
*
なんといっても最高だったのが天文学だ。
水曜日の深夜、新入生達はノートと羽根ペンを片手に談話室の入り口近くに集まっていた。
女の子達はお風呂上がりなようで、温風呪文を使って互いの髪を乾かしあっていた。
「ふわーあ。眠いよ」
ロンは大欠伸をした。
しかしハリーはピンピンしていた。ハリーは深夜にテンションが上がるタイプだ。
「魔法史以上に眠くなるって上級生が言ってたよ」
ディーンが言った。
「魔法史以上だって? それならもはや寝る前の読み聞かせだよ!」
シェーマス・フィネガンがやれやれと首を振った。
「キャー!」
その時、ラベンダー・ブラウンが悲鳴をあげた。パーバティ・パチルが杖から炎を吐き出して、それが髪の毛に引火したようだ。
「わー! 燃えてる燃えてる!」
「ごめんなさいラベンダー! どうすればいいのかしら!?」
「火事だ火事だ!」
「うわー、ぼ、僕は逃げる!」
「ハゲはいやよ〜! わたし繊細な乙女なのよ!」
新入生はパニックになった。
「あら大変!」
その時、近くにいた上級生が飛んできて、魔法で水をかけてあっという間に消火した。そして水を乾かし、髪を伸ばす呪文をかけて、焦げた部分を切り落として消失させた。
「はい、これで大丈夫」
上級生は仕上げに綺麗に魔法で髪を結った。
ショートパンツを履いた黒人のセクシーな女生徒だ。
「ありがとううございます!!」
「よくあることだから気にしないで。あたしはアンジェリーナ・ジョンソン。クィディッチのチェイサーやってるの。困ったことあったらまた声かけてね」
アンジェリーナはウインクした。その場にいた全員が恋に落ちた。
そんなひと騒動があってから、ようやくシニストラ先生が迎えにきた。外出禁止時間に行われるので、先生の付き添いで天文台まで向かうのだ。
夜のがっこうはひっそりとしていて、神秘的だった。
いつもはうるさい肖像画も寝ているようだ。
「今日は初回の授業だから、難しいことはしない。夜空と自らの魂を一体化させるのが、今回の目標じゃ」
天文台の塔に入る前に、シニストラ先生がしゃがれた声で呼びかけた。
天文学的な数字で歳を取っているのではないかと思うほど年老いた先生だ。顔は皺くちゃ、白髪はダンブルドアのように長く伸びているが、明らかに彼より生気がない。
「チュートリアルが終われば、天文学ではひたすら星座や星の名前、動きを覚えることになる。よって天文学はただの暗記科目だと思われていることが多い……」
シニストラの先生は不思議とよく響いた。
「しかし天文学の本質は星の名前を覚えることではない。大宇宙という巨大なるものの流れを感じ、その中に存在する自らの唯一性について熟考する機会を天文学は与えているのだ」
シニストラ先生の話は不思議と引き込まれるものがあった。
「宇宙には億や兆ではとても数え切れないほどのものが存在している。我々が住む地球でさえ、太陽系でさえ全宇宙からすれば塵芥に等しく見えるだろう。しかし一つとして同じものは存在しない。同じ種族でも、構造でも、その一つはそれだけだ」
彼の紫の瞳は宇宙を凝縮したように深い。
「わたしが話すより、実際に見た方が千倍伝わるだろう。ではドアを開ける。暗いから落ちないように気をつけろ」
シニストラ先生は石のドアを魔法で解錠して、開いた。生徒たちは一斉に外に飛び出した。冷たい夜風が肌にしみる。
空には無数の星が煌めいていた。暗闇の中で様々な大きさ、色、明るさの星がそれぞれ美しく輝いていた。
この夜空にこのまま吸い込まれてしまいたいとハリーは思った。
「よーし、広がって仰向けになってみろ」
シニストラ先生の声を遠くに聞き、ハリーはその場で仰向けになった。ハリーは息を呑んだ。まるで自分と暗闇がいったいになっているような錯覚を覚えた。自分が星空の一部であるような気がした。
途中からシニストラ先生が解説を始めたが、ハリーの耳には入らなかった。
気がつくと授業は終わっていた。
ハリーはずっとこの場に居たいぐらいだった。
天文台の塔から降りても、しばらくハリーの頭はぼんやりしていた。
「ふー途中で寝ちゃったよ」
ロンが頭をかいた。
「ほんとに? 僕は最高だったけどな」
ハリーはぼんやり返した。
しかし驚くべきことに、翌週の授業からは怒涛の星座の名前覚えテストと大量の宿題が生徒たちを襲ってきた。
初回の授業はまさに流れ星のように儚くどこかに消え去ってしまった。
新元号は令和!