しばらく経った日の朝、談話室に行くと、掲示板付近に一年生が群がって盛り上がっていた。
「どうしたの、ロン?」
ハリーはぴょんぴょん飛び跳ねて掲示板を見ようとしているロンに聞いた。
「えーっとね──今日の4時間目に──飛行訓練の授業が──あるんだって!」
ロンは嬉しそうに言った。
飛行訓練は箒に乗って空を飛ぶ授業だ。マグルの小学校で言う体育のようなもので、生徒達にとても人気がある科目であるらしい。
しかしマグル育ちのハリーにとって、飛行訓練の何が楽しいのかいまいち分かっていなかった。
朝食の時間、箒に乗って飛ぶことが魔法使い達の間でどんなに人気なのかハリーは実感した。
「僕は田舎の空を箒で飛び回ってたんだ。兄貴たちとリンゴをボールがわりにクィディッチだってしたことある。猛スピード出しすぎてママに怒られたんだ。パラグライダーにぶつかりそうになったこともある」
右に座るロンの言葉だ。
「僕は箒に乗ってただ飛ぶだけじゃなくて連続で宙返りできるんだ! クィディッチのプロリーグに何回も連れてって貰ったことあるよ。いやーあの迫力はすごいよね!」
目の前に座るシェーマス。
「僕は地面に足付けてても危ないから箒に乗るなんて許されてなかったな……。でもすっごく高級な箒なら家に飾ってあったよ! 枝の一本一本まで綺麗に手入れされててカッコよかったなぁ」
左のネビル。
合同授業を行うスリザリンのテーブルでも、プラチナブロンドの髪のドラコ・マルフォイがしきりに自慢していた。
「実家の上空でヘリコプターに衝突しそうになったんだけどね、間一髪で避けたんだよ! あーあ、一年生がクィディッチチームに入れないのが悲しいね! 僕が入れば絶対にスリザリンを優勝に導けたのに!」
マルフォイみたいなマグルを馬鹿にする魔法使いもマグルの近くに住んでいるんだな、とハリーは驚いた。
嘆かわしいことだが、マグル界と同じように魔法界にもある大きな差別的思想が存在している。
それは“純血主義”というものだ。
魔法使いの血筋を尊び、魔法族はマグルと関わるべきではないという思想を持つ人の中でも、特に過激な人々をそう呼ぶらしい。彼らはマグルを両親に持つ魔法使い、つまりマグル生まれの者を「穢れた血」と呼んで差別するのだ。
自分ではどうにもならないことで偏見を持たれたら堪らない。その辛さをハリーはよく知っていた。
それは置いといて、生粋のマグル育ちのハリーがクィディッチの話題についていけるはずもない。そこでハリーはマグル生まれのディーンと話していた。
「クィディッチって何が楽しいのかな? 名前からして変なのに。僕は絶対サッカーの方が好きだよ!」
ディーンは昨日、寝室でサッカーの良さを熱弁したのに誰も共感してくれなくてふて腐れていた。
「そういえばハリー、サッカーの映画か何かに出てたよね?」
ハリーは8歳の頃、ある伝説のサッカー選手のドキュメンタリー映画に、幼少期役で出たことがある。
「うん、サッカーを上手そうに見せるテクニックだけは学べたよ。実際には全然できないけどね」
ハリーはそんなに運動神経が良い方ではなかった。
「でもいいなー。だってあの超大物選手と話せたんだろ? 一度でいいから話してみたいよ」
「うん、オーラがすごかったよ。スターって感じがした。夢みたいな時間だったなあ」
「僕にとってはハリーと話せてるのだって夢みたいだよ。君だって国中の人気者だ!」
「恥ずかしいからそんなこと言わないでよ。たまたま運が良かっただけなんだ。あ、ミス・パーフェクトが本読んでる。ディーン行こう!」
ハーマイオニー・グレンジャーはコップに本を立てかけて読みながらご飯を食べていた。
「ハーマイオニーなに読んでるの?」
「……飛行に関する本よ」
「すごいよ。僕にも読ませてくれる?」
「うん、いいわよ」
ハリーはハーマイオニーを尊敬していた。あんなに勤勉な人はそういない。
「僕にも教えてよ。ふつう箒になんて乗ったことないはずじゃないか。それよりサッカーの方が千倍楽しい!」
「私も箒に乗ったことないわ。ここに入学する前からこういうことがあるだろうと覚悟はしていたわ、もちろん。でももっと覚悟が必要だったみたい」
ハーマイオニーはカリカリしていた。飛行訓練ばかりは知識だけではどうにもならないからだろう。
「魔法界育ちとマグル育ちじゃ、全然常識が違うもんね。子供の頃に読んだ本も、遊びも、勉強も、生活スタイルも、驚くことばっかりだよ」
ハリーはしみじみ言った。ハーマイオニーは本から目を離さずに頷いた。
ディーンはしばらくハーマイオニーの本を熱心に読んでいたが、5分後、諦めたように手を挙げて降参のポーズをした。
「もう僕諦めるよ。ねえハリー、失敗するときは一緒だ」
「もちろん。ハーマイオニーも一緒に授業受けようよ。マグル生まれ同士、固まろう」
「あなたはマグル生まれじゃなくてマグルに囲まれて育っただけよ。あなたの御両親は偉大な魔法使いと魔女だもの」
ハーマイオニーはイライラと訂正した。
マルフォイがマグル生まれのハーマイオニーを軽くからかっていたから、それがショックだったのだろうかとハリーは思った。
「両親が魔法使いかどうかなんて関係ないよ。血筋の自慢ばっかりする人は、それしか自慢できることがない可哀想な人なんだから気にしない方がいいよ。だって、もし僕の両親がマグルだって伝えられてたら、僕そう信じてたもん」
ハリーは真剣な瞳でハーマイオニーを見た。
「ご親切にアドバイスありがとう。でもそんなことおっしゃって頂かなくても分かってるわ」
ハーマイオニーはツンツンして言った。
子役の頃、ハリーは自分の身の上のことで辛い思いをしたことがあるから、ハーマイオニーの気持ちがよく分かった。こういう時はあまり深入りしてほしくないものだ。
それから三人はマグル界で流行っていた遊びや、勉強のことで盛り上がった。
みんなが知らないことを話すのは、秘密を共有しているみたいで楽しかった。
*
いよいよ飛行訓練の時間になった。
ハリーは朝話した二人と一緒に校庭に向かっていた。その日はポカポカしていて、外の風が気持ちよかった。
「地上に足を付けてプレイするスポーツは魔法界にないのかな?」
ディーンが言った。
「少なくともイギリスの魔法界では圧倒的にクィディッチが人気で、それ以外のスポーツは絶滅寸前らしいわ」
「へーそうなんだ!」
「一種類しかスポーツがないなんて! バスケもサッカーもホッケーもアメフトも選べないっていうの?」
「魔法使いはマグルよりデンジャラスで刺激的なものを求めるのよ」
「デンジャラスで刺激的。確かにそうだね! 僕、前に魔法界の映画を調べたんだけど、魔法界に映画はないんだって。わざわざお金払って動く画面を何時間も見つめるなんて性に合わないらしいんだ。ラジオはあるけど」
「テレビが恋しいよ」
ディーンはお気に入りのバラエティー番組について話し出した。
その時、反対側の廊下からスリザリン生達がやって来るのが見えた。
またマルフォイはハーマイオニーをからかうに違いない。
ハリーはさりげなくハーマイオニーをスリザリン生から遠ざけた。
「ほーら穢れた血どもが怯えてるよ。箒に乗って空を飛んだことなんてないんだろうね」
マルフォイは腰巾着を引き連れて威張っていた。
ディーンは怒り狂ってマルフォイの方に向かおうとしたが、ハリーは止めた。
「早く校庭まで行こう。先生の近くじゃあいつも変なこと言えないはずだ」
「はやくあいつをやっつけたいよ」
「こういうときは毅然と振舞った方がいいよ。そういえばハーマイオニー、次の呪文学は何をするんだっけ?」
ハリーは早歩きしながらあからさまに話題を変えた。
「『ルーモス』の続きよ。明るさを調節する方法を習うの。フリットウィック先生が前の授業の最後におっしゃってたわ」
「あ、そういえば宿題出てたかな?」
「前の授業でルーモスの光を5秒以上保てなかった人は、レポートを書いて練習してくるのよ」
「うわー忘れてた」
ディーンが落ち込んだ。
マルフォイはハリー達を追いかけるように急ぎ足になっていた。
「ハーマイオニー、落とし穴を掘る呪文とか存在しない?」
ハリーは小声で聞いた。
「呪文を組み合わせて落とし穴を作ることはできるわ。『ディフォディオ』って発音するわ。そんなに難しくないレベルの呪文よ。この呪文を地面にかけた上で、魔法で透明な壁を作ってその上に土でも被せれば落とし穴になるんじゃないかしら」
「そっかー難しいな」
「……あ! そんな難しいことしなくても、落とし穴呪文っていうのがあったわ! 呪文はたしか……ディフォディセンプラ」
「ほーそうなんだ。──それにしても今日はいい天気だね。ほら、見て。綺麗な青空が広がってるよ!」
ハリーは大きな声でそう言いながら、懐から杖を取り出した。
そして素早く自分の背後の地面に呪文をかけた。
まもなく──マルフォイの叫び声が聞こえた。
振り返ると、マルフォイが穴にはまってヒンヒン泣いていた。
にやけそうになるのを堪えて、3人はすぐに何事もなかったように前を向いて歩いた。
そしてしばらく離れたところで、ハリーとディーンは大笑いした。
「最高だよ、ハリー」
ハーマイオニーは嬉しいのと、規則を破ったことを咎めるのとで複雑な表情だった。
「生徒を攻撃する魔法かけちゃいけないのよ」
「マルフォイが勝手に落とし穴に落ちただけだよ」
ハリーは言った。
「直接魔法をかけたわけじゃない、ね?」
ハリーの言葉にも、ハーマイオニーはなお迷っているようだ。
「あなたの行為は控えめに言って──最高だったわ。でもそれとこれとは訳が違うのよ」
「あれは絶対に最高だったよ! それにほら、着いたよ」
ディーンが、地面に並べられた箒を指差した。
ここで授業を行うのだろう。
「ハリー! 遅かったけどどうしたんだい?」
やる気十分のロン、シェーマスは既に着いていた。
「君たちが早すぎるだけだよ! 魔法史が終わるなり全力疾走で校庭に向かってたじゃないか!」
「そうだっけ?」
「それにしてもこの箒大丈夫なのかしら。ここに並べられてる箒、すぐ修理に出すべきだって本に書かれてた状態のものばかりだわ」
「この学校の箒は古いから、正直最悪ね」
やる気ある組ラベンダー・ブラウンが言った。
その時、マダム・フーチが来た。短い白髪に鷹のような黄色い目をしていて、スポーティーなローブを着ている。
「何をボヤボヤしているんですか! 皆箒のそばに立って。さあ早く!」
マダム・フーチは開口一番生徒たちを怒鳴りつけた。
皆は急いで箒の隣に立った。
ハリーの箒は古ぼけていて、小枝が何本かひん曲がっていた。空を飛ぶところか、床を掃くことさえ満足にできなそうだ。
「右手を前に突き出して『上がれ!』と言う」
ハリーは念を込めて「上がれ!」と大きな声で言った。すると、箒はふわりと浮かび上がってハリーの手に収まった。
「ハリー!? 抜けがけはずるいぞ」
横のディーンの箒はピクピク動くだけで、浮き上がる気配は全くない。
ハーマイオニーは躍起になって「上がれ! あーがーれ! もうあがれったら!」と言っている。
周りを見ると、一発で成功している人は、ハリーの他にマルフォイぐらいしか居なかった。
15分後、何とかほとんどの人が箒を浮かび上がらせることに成功した。ネビルやその他数人はどうしても出来なかったので、マダム・フーチは仕方なく手で箒を持ち上げるように言った。
皆が箒に跨ったところでマダム・フーチが再び指示を出す。
「さあ、私が笛を吹いたら地面を強く蹴ってください。箒はグラつかないように押さえ、2メートルくらい浮上したら少し前屈みになってすぐに降りてきて下さい」
突然飛ぶのか、とハリーは驚いた。もしそのまま宇宙の彼方まで上がってしまったらどうしよう。蹴る強さ加減などもっと詳しく知りたいなぁと思っていると、近くのネビルが怯えて震えているのが見えた。
「大丈夫、ネビル?」
「う、うん……でも僕、高所恐怖症なんだ」
「無理しないでね。僕も箒で浮かぶ感覚がよくわからないんだ。ちょっとみんなの様子を見てから飛ぼうと思ってる」
「そっかあ……僕もそうしようかな……」
「ほんと? よかった!」
ハリーは手を叩いた。
「では笛を吹きますよ。1、2の──3!」
一斉にみな飛び上がろうとした。5メートルぐらい上がってパニックになる人、全く浮かばず、ピョンピョン地面で跳んでいる人、そしてごく一部の成功させている人。
「……ホグワーツの授業ってすごいね!」
ハリーは度肝を抜かれた。マグル界ではこんな危険なことできない。
「じゃあ僕もやってみようかな、見ててくれるネビル?」
「う、うん」
ハリーは地面を蹴った──ふわりと箒が浮かび上がる。清々しい気持ちだ。少し箒を内側に傾けると、くるりとターンできた。すごい!
ハリーはまるで息をするように箒を操作できた。
「あっ!」
その瞬間、ひん曲がった枝のせいで箒が急に揺れだした。ハリーは思いっきり箒を自分の体に近づけた。
気がつくとハリーは箒に乗って縦に一回転していた。
「わーお! すごいよ!!」
地上のネビルがパチパチ拍手している。ハリーはスッと地面に降りた。
「ネビル! 空を飛ぶってとても楽しいよ!」
「そうかな。でも僕、絶対に失敗するよ」
「なら一緒に乗る?」
「そうしてくれる?」
「もちろん」
ハリーはネビルの後ろに座った。
「まず、ちょっと10センチぐらいジャンプする時の感覚で地面を蹴るんだ。そしてその場に止まりたい時は背筋を伸ばして重心を真ん中にしておく。前に進みたければ、体を前屈みにしながら箒の柄を自分の方にちょっと引き寄せる感じ。降りたければ普通に前屈みになる。そうすると上手くいくよ」
「わ、わかった。よ、よし。やってみるよ」
ネビルは緊張していた。
「うん、じゃあせーの!」
ハリーとネビルはポンと地面を蹴った。
「ひえーすごいよ。で、でも早く降りよ?」
ネビルはヘナヘナだった。
「降りたい時は前屈みになるんだ。せーの……」
ハリーとネビルは前屈みになって、ゆっくり地面に着地した。
「素晴らしい教え方でしたよ、ミスター・ポッター。グリフィンドールに5点あげましょう。ミスター・ロングボトムもよく恐怖を乗り越えて飛べましたね。1点あげます」
ハリーとネビルは驚いて顔を見合わせた。
「ありがとうございます! 僕も箒に乗るのが初めてで怖かったのでネビルが居てよかったんです」
「僕だってハリーが居てよかったよ! アルジー叔父さんに自慢しよ。叔父さん、僕なんかが上手く箒に乗れるわけないっていっつも言ってきたんだ」
ネビルは初めて加点してもらえてニコニコしていた。
「教え合える仲間は素晴らしいものです。ハリー、あなたのお父さんは素晴らしいクィディッチプレイヤーでした。2年生になったら是非加入を検討してほしいものです」
これはクィディッチをやるしかない!
ハリーはウキウキした。
「クィディッチって、1年生でも練習を見に行くことならできますか?」
「ええ、もちろん。グリフィンドールは5年生のオリバー・ウッドがキャプテンですから、聞いてみなさい」
「ありがとうございます!」
そういえば、ハリーはホグワーツに入学できると知ってから、ずっと両親について調べたいと思っていたのに、宿題に追われて何もしていなかった。
クィディッチの練習の見学と、両親に関する調査。これをまずしよう、とハリーは心の中に留めた。
マルフォイは落とし穴にはまったのがショックだったのか、少なくとも授業の間はハリーやハーマイオニーにちょっかいをかけてこなかった。
ディーンは予想以上にハリーの飛行が上手かったのでふて腐れていたが、夕飯の時にディーンの好物のヨークシャープディングをあげることで仲直りした。
心配していた飛行訓練の授業は最高のものとなった。
〈朗報〉ネビル、手首骨折回避