ターニャの中の人の人格形成に多大な影響を与えた人物がいたらいいなと思った。
それが異性の幼馴染だったらいいなと思った。
大戦が終わり、世界に平和が訪れた。
ターニャはもう、砲弾の音で朝を起きることも、汗と埃と返り血で身体を汚すことも、一日を生きるのに必死になることもなくなった。
だからだろうか、とターニャは汗で髪が張り付いた頭でぼんやりと考えた。
電車を待っていた。先頭に並び、本を出したが、雨音がやけにうるさかった。
『三番線に電車が参ります。黄色い線までお下がりください』
無機質なアナウンスが響いた。
誰かに押された。
足が地面を離れた。
浮遊感。
雨音。
人の目。
感情。
幼馴染。
──ブラックアウト。
今更、前世の死に際に魘されるなど、ターニャは思いもしなかった。
しかし、当然なのかもしれない。
今までは、大戦を生き延びる「存在Xへの復讐」がターニャを必死にさせた。
しかし、大戦が終わった今、帝国は敗北したものの、合州国に亡命をしたターニャに、必死にさせられるものは何もなかった。
そこで、トラウマとなったものが漸く姿を見せたのだ。
「‥‥‥そうか、今日か‥‥‥」
ターニャはカレンダーを見てひとりごちた。前世の命日だ。そして、奴の今世の誕生日だ。奴は元気にしてるだろうか。同じく合州国に亡命したと聞いているが、なにせここは広い。お互い名前を変えている中、今後会える可能性も限りなく低いだろう。
「‥‥‥誕生日プレゼント、用意したんだがな」
そう机を見やってターニャは空軍大学へ行く支度を始めた。
ターニャはできるだけ、いつも通りであることを意識して過ごした。緊張で嫌な汗をかいているのを無視して、登校し、授業を受け、帰った。
同級生に心配されるほど顔色が悪かったらしいが、一人でいる方がターニャには耐えられなかった。
そういえば例年は奴がひっついて離れなかったのが鬱陶しかったな、と小さな笑みをこぼした。まだ一年も経っていないのに不思議と遠い思い出に感じられた。
夜になったが、ターニャは眠りにつくのが、意識を手放すのが怖くて、コーヒーを淹れた。芳醇な香りが部屋を満たし、時計の針の音と相まって心を落ち着かせた。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。ターニャが眠気を感じて時計を見やると、日付が変わる頃を示していた。
そろそろ寝るか、とターニャが椅子を引くと玄関を控えめに叩く音が聞こえた。
こんな時間に来る人間がまともなはずがないとターニャは警戒し、銃を手に取りゆっくりと向かった。
覗き穴を確認すると、そこにいたのは今日一日心の片隅にいた人間で、ターニャは慌てて扉を開けた。
「よかった、生きてた」
そういつもの台詞を零したのはどちらだったのだろうか。
走ってきたらしい奴は汗だくで、そこじゃあ冷えるだろう、とターニャは中へ入るよう促した。グスグズしゃくりをあげながら、奴は頷いた。
「久しぶりだな、ホフマン」
「うん、久しぶり」
ホフマンが席に着いたのを確認するとターニャは来客用の紅茶を差し出しながら言った。しかしホフマンは妙にソワソワしてこちらを見なかった。紅茶に黒い髪と瞳が写っていた。ターニャは少し考えてその理由に思い至った。
「汗など気にせず抱きつけばいいだろう」
ターニャがカップを置いて腕を広げたのにホフマンは少し迷ってから抱きつけば、また涙を零した。
「‥‥‥いつもは、朝起きれば、すぐ会えたから、」
嗚咽交じりに言うホフマンの言葉は支離滅裂で、それでもターニャは口を挟まずに聞いていた。咽びが啜りに変わった頃、漸くホフマンの抱擁が緩まって、ターニャはゆっくりと離れた。
「今年も言うけど、」
あなたが生きていることが、私の最高の誕生日プレゼントだ。そう言ってホフマンがあまりに穏やかに笑ったので、ターニャはドキリとした。それが悔しくて、ターニャは挑発的な笑みを浮かべて言った。
「困ったな、今年は誕生日プレゼントを用意したんだがな」
贈り物は二つもいらないだろう、と態とらしく溜息を吐くターニャに慌ててホフマンはいるに決まっていると伝えた。分かった、やるから、落ち着け、とホフマンを座らせてターニャは机へ向かった。わざとゆっくり歩くのは、彼を焦らす為かこの心臓を落ち着かせる為かターニャには分からなかった。
私は奴に嫌われていた。
奴とは幼馴染であった。
奴はよほど存在X(一般に神ともいう)に愛されていたのか、容姿が整っていた上、才能もあったため、周りにはいつも人がいた。
いつからかその才覚を発揮し、両親にはことあるごとに比べられ、私の自尊心は傷つけられた。
そんなことを知ってか知らずか、奴はいつでも私に構ってきて、嫌味を言ってきた。
「今回のテストも一位だったよ」
自分より格下の人間を構うのがそんなに楽しいか。
「今度数学オリンピックに出ようと思うんだ」
才能のない人間に自分の才能を見せるのがそんなに楽しいか。
「この前作ったスマホアプリがヒットしてさ、ぜひやってみてよ」
なけなしの自尊心をズタズタにするのがそんなに楽しいか。
奴は私より格段に頭がいいくせに、高校も、大学も、あろうことか就職先も同じにしてきた。
一度何故か聞いてみたことがあったが、一緒に居たいから、という訳の分からない返事が返ってきた。
恐らく私ほどいじめがいのある人間がいないという意味なのだろう。
そうか、とだけ返した。
奴は私と同じ時期に会社に入ったが、私より数段上の立場にいた。
その立場を利用して、私にばかり仕事を振ってきた。かと思えば、既に多くの案件を抱えていれば、一緒に残業してきた。
私にばかり仕事を振るのだから、嫌がらせだと思ったが、一緒に残業する意味は分からなかった。
今なら、理解できる。
奴は私が大好きだった。
きっと小さい時から奴は私を愛していたから、ことあるごとに私に話しかけたのだろう。
「今回のテストも一位だったよ」
少しでも話がしたい、勉強のことでも聞けばいい。
「今度数学オリンピックに出ようと思うんだ」
学校一でも聞いてもらえなかった。世界一なら聞いてもらえるのだろうか。
「この前作ったアプリがヒットしてさ、是非やってみてよ」
あなたの為に作ったのだから。
そんな想いがあったらしい。微塵も伝わってなかったが。
私が死んで悲しむ人間が存在するとは思わなかった。勿論友人はいたが、自分にその価値があるのか分からなかった。なにせ、心がない、サイボーグ、ドライ、非人間などと罵られるような人間なのだから。人格が歪んでいたのはわかっていたのだから。
だから、自分が誰かに愛されるなど、想像すらしたことがなかった。
奴が大隊に入って初めて迎えた二月二十二日。
早朝にドアが叩かれ、開けばそこにいたのは顔面蒼白で息が上がっているホフマンだった。あまりの異様さに、なにか良くない報せでもあるのかと思えば、抱きしめられた。
そして、一言、よかったと奴は言ったのだ。
なにがよかったのか、何故抱きしめられているのか、何が理由でこいつから鼻をすする音がするのか、何一つ分からなかった。
しばらく抱きしめられた後、漸く拘束が解かれた。
目や鼻を赤くして睫毛を濡らした姿は幼く見えた。
「あなたが、」
あなたが生きていることが、最高の誕生日プレゼントだ。そう奴は私の手を握りながら言った。
なにかがストンと心に落ちた。
今までろくにこいつの言うことを信じてこなかったが、こいつは本当に私のことが好きらしいと思った。
ターニャは机に置いてある手のひらに収まるほどの箱を手に取った。振り返るとホフマンがじっとこちらを見ていたので笑ってしまった。
「そんなに見つめられたら穴があきそうだ」
そうターニャが小さく笑うとホフマンは顔を赤くした。
「タ、ターニャ、変わったね」
ボソボソと告げるホフマンに、お前が変えたんだよ、とは教えてやらない。ターニャはわざと的外れに答えた。
「そうかね、相変わらずの身長だと思うが」
ターニャは言いながら近づいた。
そう言うことじゃなくて、とまたもはっきりしない声で言うホフマンにくつくつと笑った。
これ以上からかったらどうなるのか気になるほどホフマンは赤くなった。
かわいい奴だ、とターニャはホフマンの手を取り、箱を握らせた。
「開けてみろ」
ターニャは腕を組んで反応を待った。
ホフマンは恐る恐る箱を見た。慎重にリボンをほどき、包み紙を取り去った。
その丁寧な手つきは、いかにターニャからの贈り物を大事にしたいかを表していて、ターニャはまた微笑みを浮かべた。
ホフマンが漸く蓋をあけるとそこにあったのは何かの鍵だった。
ホフマンは頭にたくさんの疑問符を浮かべてターニャを見上げた。
「この家の鍵だ。私は漸くお前に絆されたんだ、返品は不可能だと思え」
ついでにとターニャは惚けた顔をしたホフマンにキスをすると、やっと冴えたらしいホフマンがいきなり立ち上がった。
「最高の誕生日プレゼントだ‼︎」
いかがでしたでしょうか。
私得でしかありませんでしたが、きっと他の人にも気に入ってもらえると信じてます。
短編とか番外編も書きたいと思います。
よりいい作品にするため、様々な意見を求めてます。