散々遠回りして。
迷い続けて。
────やっと気付いたよ。
ふわりと、乾いた風が肌を撫でた。
枝葉の隙間を潜り、音を奏でる。
耳触りの良い音色に耳を傾けながら、手袋をはめ、鋏を持った手を伸ばす。強い陽射しに刺され、額から滲み出る汗をぐいっと拭う。
肩からぶら下げた収穫物の袋に手に持っていた物をストンと落としてみれば、先ほどまで感じていなかった重みを実感して、ここまでかと区切りをつけて視線を空へそらした。
直上から押し寄せる日射と熱波に当てられ、あらかじめ用意しておいたペットボトルで喉を潤す。最後の一滴までよく舌で味わっていれば、不意に近づいてきた足音に目線だけを移してみる。
「どう? 調子は?」
「ああ、まあそこそこだな」
肩から下げている袋の中身を見せるように傾けてみれば、問いかけてきた少女は小さく頷きを返してくる。
「ジェリーが休憩、だって」
「グットタイミングだな」
行こ。と、背中を向けて歩き出した少女、アーニャ・アールストレイムに従って歩き出すC.C.は、そのまま流れるように周囲を見回す。ここは皇帝の忠臣であったジェレミア・ゴットバルトの経営するオレンジ農園である。
悪逆皇帝の死によって、多くのブリタニア兵達が拘束され、ジェレミアもまたその内の一人、立場場はルルーシュに近かった家臣として処刑も考慮されていたが、後々の調べによってゴットバルト家に対するルルーシュの度重なる尋問や貴族制の廃止による脅迫などによって、今迄の行為そのものは水には流せずとも情状酌量の余地有りとして、死を免れたという一連が存在している。
こうして仏に農園を設けるにあたり、ジェレミア・ゴットバルトの罪過は民衆に知られてもいるので、秘密裏に行なわれたルルーシュを運び込む作業などにあたっては、経営の大元として、ルルーシュの肉体を輸送する際には協力者であるシャーリーのフェネット家が関わることで目を逸らさせた。
その後も基本的な運営に関してはジェレミアに一任されており、アールストレイム家の娘さんを雇用するにあたっても、アーニャ本人の強い希望ということで片付いている。
「アーニャ、少し背が伸びたか」
「えっ、ほんと?」
後ろから眺めていた少女の背中は以前と比較してみれば、ほんの僅かではあるが頭の位置が高く映ってみえた。驚いたように問いを投げるアーニャに「ああ」と返答をしてみれば、ぐっと手袋をした両手を握りしめて「よし」と呟いている姿がひとつ。そんな幼げな様子に笑みをこぼしてしまう。
「といっても、ほんの少しだぞ」
「それでもいい。背が高くなればつま先立ちしなくて済む」
意気揚々と、アーニャの瞳は自身の手の届かない位置に実っているオレンジを捉えた。農園としては枝を切る為の鋏は勿論のこと、背の低い人の為に脚立も用意はしてあるが、脚立に関しては使わずに手の届く範囲だけで収穫作業が出来るに越したことはない。あと数年もすればもっと背が伸びた女性になるだろう、と一応C.C.は付け足しておく。
「ジェリーみたいになる」
「いや、それはちょっとな……」
あれは背が高いというか、なんというか。存在感の大きさがその背丈をより強固なものにしているとでも言えばいいのだろうか。色々と話のネタには困らない奴ではあるが、最近はそれすれも自分のアイデンティティとして消化しきっており、むしろ言えばますます増長しそうで何も言えないというジレンマに陥っていたりもするのだ。
収穫袋を抱えた二人の足は揃って収穫物を収めるコンテナが整然と並べられた場所に辿り着き、袋の中身をどっさりとコンテナ内に転がし込む。今日は朝からずっと止まずに手を足を動かしていたもので少々疲れた。ふうっと吐息を零してから上体を伸ばす。
「お疲れかな、C.C.」
横から飛んできた声に首を向ければ、着ているシャツの袖を捲り、農園仕事に精を出しているこの場の主が美麗さすら思わせる優雅な足取りで歩み寄ってくる。その足捌きとキラリと陽光に煌めくオレンジの仮面が異様さを際立たせるが、それを感じるには女性二人はその姿に慣れを覚えてしまったものだ。
「なんというか、様になっているなお前は」
「ふむ。君も君で違和感なく溶け込んでいると思うが」
C.C.の今の格好は水色のサロペットと純白のベアトップに身を包み、髪は後ろ一本に束ねている。始めたばかりの頃は紫外線除けにと過保護な相棒が「いいから被ってろ」と言って麦わら帽子を押し付けてくるので被っていたが、暑さで蒸れるのでさっさと首元の紐で後頭部に吊るしてある。
「まあな、私はC.C.だからな。で、あいつは?」
「屋内に退避されておられる」
「……あいつもう逃げたのか」
呆れた瞳を誰かさんがいるであろう方向に向けてみる。先に戻っていてくれというジェレミアの言葉に遠慮なく甘え、アーニャと共に農園に建てられた居住スペースに歩を進める。農園の中心部に建てられたフラットハウス、大きく壁から切り取られた窓枠は開け放たれており、そこから自然と内部を視界に収めることが出来た。視覚的にそこに縦方向に置かれている長尺のソファ、足裏から足首にかけて視認が出来たので、おそらく仰向けに転がっているのだろう。そんな誰かさんの姿についつい口元がほころんでしまった。
自然と足早に近づいてしまう。自身の影が彼に触れる位置まで来たものの、足音や気配になんの反応も示さず、流石に寝てもいないだろうから少しムッとしてしまう。
「ずいぶんと優雅なものだな」
「………………お前か」
「なんだ、私では不服か」
「そうじゃない、何を怒ってる」
一声かけてみれば「お前か」の反応では少し不満をぶつけてみたくもなる。声色から疲労を醸し出しているその肉体をぐらりと、スローペースで起こしてみれば焦点が重なる。
途端に彼の眉根が寄る。
「どうして帽子を外してるんだ」
「暑い。蒸れる」
「紫外線除けだと言ったろ。我慢しろ」
「付けているだけでもありがたく思え」
といっても自分の為に彼がわざわざ買ってくれた帽子でもあるので、はなから外す気など毛頭なかったのであるが、その心中を明らかにするほど彼女も彼女で素直ではない。
彼もまた同様である。
もっとも彼女の為にと買っている段階で、色々と隠しきれてはいないのだが。
「鋏を持ちすぎて指が痛い」
「軟弱か」
「いいからお前は手を洗って来い」
その手でなにかを食べたりするなよ、と言ってから再びどさりとソファに背中を預けて会話を打ち切る。子供扱いするなと苦言を呈したいところではあるが、いつまでも汚れた軍手状態でいるわけにもいかないので、おとなしく従うことにし、屋外に設置してある水道で先に手洗いを済ませていたアーニャに続き、軍手を外して手を洗い、屋内に踏み込んだ。
「アーニャ、先にシャワーを使っていいぞ」
「わかった」
靴下を共に洗濯機に放り込んでからアーニャに先を促し、C.C.自身は彼の元へ向かう。と、その前に水分補給だと冷蔵庫の中からキンキンに冷えたオレンジジュース取り出し、グラスに注いでから再度彼の元へ足を進めた。注いだグラスは二人分。コトっとソファ前のテーブルに彼の分のジュースを置き、自身はぐいっとグラスを傾けた。
冷蔵庫内で冷えたジュースが、喉奥を伝って身体の中へと流れ込む感覚と共に、ほのかに甘酸っぱい風味に舌鼓をうつ。その傍らで双眸を片腕で塞ぐようにして閉じこもっている相棒の様子に目をやる。
動く様子のない彼のすぐそばに腰を下ろせば、ソファの位置と合わせて目線の高さが丁度良く重なる。そのまま至近距離でただじっと無言のままで視線を浴びせ続けていれば、いい加減に視線を感じ取っていたのか、腕を退けて彼の瞳と目が合うことになった。彼の口元が開くのを目にしていると。
「どうだった?」
「ん、なにがだ?」
「楽しかったか? やってみて」
「ああ、悪くなかった。それよりもお前の貧弱さに呆れている」
ここに来るまでは荷物の大部分も彼は担いでいたし、ジェレミアが見兼ねて手伝うと言った際も「大丈夫だ」の一点張り。
以前よりも体力は増していたと思っていたが、とんだ勘違いだっただろうか。言を連ねてみれば、ふんっと失笑を見せてくる始末だ。
「悪かったな……」
「……L.L.?」
なんだろうか。
覇気がない。いつもなら「うるさい」ぐらいの軽口なら叩いても不思議ではない。むしろそう返してくるだろうと思っていた手前、面食らってしまった。思わず名前を呼ぶ。
その呼びかけに、またしても「……なんだ」と力無さげに問い返してくる姿に、言い知れぬ不安が募る。
「どうした。何処か悪いのか?」
「いや。ただ疲れただけだ。だいぶ長旅だったしな」
そう口にする彼からは本当に疲労の色が見て取れた。しかし、それだけにしてはC.C.の中に淀む疑念は晴れてはくれない。再度問いかけをしようと口を開こうとすれば、件の彼はまるでこれ以上の会話を拒絶するかのように力無く上体を起こし。
「お前も疲れたろう。横になっていろ」
俺は少し寝させてもらうと言って、用意されている寝室のほうに歩き去っていく。有無を言わさないようにゆっくりと遠ざかるその背中に無意識に手が伸びた。待て、と口にすることも出来ずに、そのまま振り向きもせず、歩みを止めない彼を見つめ続けていた。
すでに彼の姿はない。
目線をテーブルの方に動かせば、彼の為に用意していたジュースが手付かずで置いてある。グラスを伝い落ちる水滴が徐々にテーブルに広がっていくその様子を意味も無く眺めていれば、いつの間にかシャワーを浴び終わったアーニャに勧められ、C.C.も身体を洗い流すことにした。
────同時に。
先ほどの彼の姿に浮かんでしまった不安も一緒に洗い流せたらと、少し足早に歩みを進めるC.C.の姿に、首を傾げるアーニャとグラスだけが残った。
ーーー十ーーー
夜も暮れた農園のフラットハウスに、人口の灯火が宿る。外の世界は無音に包まれ、リビングを歩く足音と照らされた影がひとつ。
時間は既に人々の寝静まった真夜中。
動く対象に自動的に点いた明かりが彼の姿を闇夜の中で色濃く浮かび上げる。既にここの住人たちも夢の中で微睡んでいるだろうが、こちらは昼時から随分と長い睡眠の中にいたせいで、こんな時間帯に起きてしまったと、カラカラの喉を潤す為に空のグラスに手をかける。
そういえば────、と。
あの時、確認を怠っていたが、自分用に飲み物を用意していたような気がすると、冷蔵庫に入っていたペットボトル入りの市販品の水に伸ばしかけていた手を止め、その横に置いてあるオレンジジュースを取った。
「…………………………」
グラスに注ぐ音だけが響く。
一口飲んでみれば、たしかに美味しい。
渇いた口内に収めてみるから、余計に美味しさが際立つのかもしれないが、それを差し引いてもかつての忠臣だった男が作り上げている物の価値にふっ……と、笑みを零す。
────瞬間、急激な脱力感に思わずグラスを握りしめた。
「────っ、……」
声を出すわけにはいかない。
当然グラスを落とすなど論外だ。
まだ飲み干してもいないのに、落としてしまえば面倒が増える。それだけは防ぎたかった。手の中のグラスが揺れ、中身がピチャリと指に跳ねた。そのまま続けていれば割れてしまうのではと思うほどに握り込んだグラスを震える腕でどうにかしてキッチンに置いてみれば、今ので底が尽きたように膝から力が抜ける。キッチン台に手をつき、倒れることは凌いだが足に力が入らない。
そのまま傾けてしまった身体を精一杯の気力を振り絞って反転させ、背中をキッチン台に預けることに成功した。乱れた呼吸に集中し、息を整える。フローリングに力無く項垂れた手首から先がまったく動かせない。
フランスに足を着けた時点で異変はあった。足腰の感覚がどこか希薄で、身体全体が浮いているような錯覚を覚えた。指に力が入らず手にしていた携帯端末を落としてしまったりもしたが、その時C.C.はそばを離れていたので不幸中の幸いだった。
その時々に不意に訪れるこの感覚は少しすれば落ち着くので、一過性のものであると認識しているが油断は出来ない。なにせ今回は随分と長い。長く浅く、朝からずっと続いているのだから、その辺りの考えを改める必要があるのかもしれない。
しかし、そう考えれば考えるほど、今の自分の限界に行き当たってしまいそうで。
もし、それがばれてしまったら、どんな顔をするだろうか、あの相棒は。
身動きが取れず、動く物体を認知しなくなった点灯が自動で途切れる。暗がりの中に残されてしまえば、やけに耳に届く鼓動の音が喧しくて仕方ない。
────ドクン、と。
心拍が身体の中で暴れまわっている。
一拍毎に全身が振動を重ねて、額に滲んだ汗を拭う事も出来ずに顎先から伝い落ちる。
目蓋を閉じてしまえばいよいよ暗闇だ。
どうせ開けていても闇の中ならば、閉じていたほうがずっと楽だった。口の中に僅かに残るオレンジの風味だけが、弱々しく身体を傾けた己を優しく解してくれる。
そんな時だった。
パッと、閃光が目蓋の奥を貫いた。
突如起こった眩さに表情が歪む。
視界を開いてみれば、キッチン台の片隅。
そこに立っている桃色の髪の少女。
未だ幼さを残す彼女の瞳が自身を射る。
「ル……L.L.、どうしたの?」
「……アーニャか。……いや、少し眠気が襲ってきただけだ」
我ながら苦しい言い訳だと思う。
しかし、今の状況ではなにを言おうと否定は募る。下手な言い訳を貫いたほうがよっぽど彼のプライドとして最良の選択だった。というよりも素直になれないだけなのだが。いずれにしろ、彼女ではなくて良かったとホッとする。
「ご飯、食べてないから」
「ああ、そうだったな。だいぶ眠ったらしい。長旅で疲れが溜まってたんだろう」
すらすらと口を突いて出てくる言葉の上辺っぷりは流石としか言いようがないが、キッチンでぐったりとしている段階で、言い訳以前の問題であることは目に見える。
「私、まだあんまり料理出来ないから。ジェリーかC.C.を呼んでこようか?」
「いや、それには及ばない。飲み物で十分に潤うから大丈夫だ」
驚くことに、本当にたいして空腹を感じていないのだ。もしかすると食欲の感覚も薄れているのかもしれない。
「でも」
「頼む、アーニャ」
アーニャの心配げな言葉を遮り、一言だけ口を突いて出た言葉。先ほどまでのすらりと流れていく言い訳も、理由すらもないその一言のチカラに、アーニャは口を噤む。
────けれど。
「いいの?」
彼女もただ一言だけ。
それが何を示すかは彼女の目の動きで理解した。それなら尚更に。
「…………心配、させたくないんだ」
自惚れるつもりはない。
しかし……きっと、彼女を不安にさせる。
なら、黙っていた方がいい。
すでに手遅れだとしても、これはもはや意地のようなものだ。ただ単にかっこ悪いところを見せたくないという。本当に、子供のわがままのようなものなのかもしれない。
「だから────、」
頼む、としか言えなかった。
少しの間を挟み、アーニャは小さく頷く。
「………わかった」
「ありがとう。少しすれば起き上がれるから大丈夫だ」
「うん、おやすみ……」
おやすみと返事をすれば、アーニャは足音を立てず、静かに歩き去っていく。その姿を見送ってから重く吐息を吐き出す。見つかった時は肝を冷やしたが、なんとか現状を維持することには成功した。
「………………成功、か」
口にして呆れてしまう。
なにも解決していないというのに。
いずれは知られてしまう事をズルズルと後回しにしたところで意味は無い。もっとまずい事態に陥る前に話をしておくべきだと頭では理解しているつもりだ。それなのに、彼女の苦しそうな表情を想像するだけでそんな思いも口元に滞る。ざらざらとした感覚が唇に集まって、思わず下唇を噛んでしまった。
────言えるわけもない。
ただ、その言葉だけが明確に浮かぶ。
いつからだろうか。
こんなに弱くなったのは。
それを後悔する気などさらさら無い。
多くの積み重ねを経て、この道を、己の意思で選び、彼女の手を取り、歩み始めたのだ。少しだけ動くようになった腕を上げ、手のひらを見つめる。
あとどれくらい持つか。
調べようもないことが、これほどもどかしいと感じるなんて。何も出来ないことの苦さ、己の至らなさ。あの学園で妹と二人、密やかに暮らしていた頃に感じていたそれを再び痛感することになろうとは。とにかく、もう少しすれば動けるようになるだろう。もう一度横になって明日に備えることにしようと、どうにもならない問題は明日に回す。
それを逃避と称されても仕方がないが、どうにも頭が回らない。
そう、だからこそ気付かなかった。
普段の彼であれば。
いや、彼でなくとも気付けたその疑問。
───即ち、アーニャはここに何をしにやってきたのか、と。
「……これでよかったの?」
L.L.の死角。正確には手のひらの中に隠し、袖の内側に潜らせる形にしておいた携帯端末。予め繋げておいたので、彼との会話は最初から聴こえていたはずだ。
繋いでおいたままだった端末に声を吹き込む。彼の表情や声音に自分がしていることへの罪悪感が湧いたが、これも必要なことだと割り切った。それでもあえてその言葉を口にしたのは、アーニャ自身がこの行ないそのものが、本当に正しいことだったのかと思っているからだろう。
問いかけに数秒の沈黙を挟み、電話越しに返答がひとつ。
『ああ、…………助かったよ、アーニャ』
ーーー十ーーー
海に行きましょう。
そう唱えたのは、朝食の用意に精を出していたオレンジ色のエプロンに身を包んだジェントルマンだった。天気は快晴、煌々と照り付ける陽射しに晒されることには少し抵抗があるが、断る理由も特には無い。もう一度寝て起きてみれば、肉体の不備も感じない。
おかげでこうして共に朝食にありつき、昨夜も何も食べていないからと朝からやけに豪勢な食事をどうにか平らげてみればこその、心の隙間を突かれたのかもしれない。
地中海の沿岸部にはこの農園からならば車で二時間といったところだろうか。それまではドライブコースとなるだろうが、西欧に広がる穏やかな景色を眺めるのも悪くない。聞けばジェレミアが見つけた人目につかないスポットがあるらしいので、顔を隠す必要を考えることもないようだ。
「……………………」
「ん、どうした?」
「いや、別に」
視線を感じてみれば、瞬時に否定が入る。明らかに見ていただろうと、隣に座っているC.C.に訝しげな目線を向けてはみるが、当人は知らぬ顔をして朝食にありついている。言いたいことがあるならと思ったが、今の自分自身が口に出来ることではないと恥じる。
「C.C.、水着持ってるの?」
「ああ、あるぞ」
「なに?」
さすがにその発言は無視出来ない。
いつも一緒にいるというのに記憶にない。しかもさらりと言ってのけたのだ。
「そんなものいつ買った?」
「この前、ショッピングに寄った時に買ったろ。ああ、お前あの時ベンチに座ってたか」
「お前がバンバン買ったものを押し付けるから、いちいち付き合ってられなかったんだろうが! どうりで詰め込む荷物が多いと思った!」
覚えている。変装用の眼鏡は勿論のこと、まず第一に立ち寄った店でハットを購入しそれを被せてくるのはまあ良しとしよう。だと思えば何故か逆に目立ってしまって、針のむしろだったというなんとも言えない思い出である。
「素材が良すぎたな。女どもの視線がお前に一極集中していたのをよく覚えてる」
確かに悪目立ちではあったが、C.C.としては、この男が自分の連れであるという認識を通りすがりとはいえ、見せつけられるという機会には恵まれたので、まあ良しとしていた。いつか使う機会があるかもしれないと、思いつきで購入した物であったが、まさかこんなに早く使うことになろうとは。
「お前の海パンも買ってある。安心しろ」
「出来るかっ!」
朝食時の会話を挟み、四人の姿はミニバンの車内にあった。運転手はジェレミアに任せ、助手席にはアーニャが乗り、追随する形で後席にL.L.とC.C.が乗車し、最後部にはお出掛け用の荷物が積まれている。空には曇り空ひとつなく、この辺りの気候としては絶好の海日和であろう。窓に流れゆく人によって整備された田園風景は次第に世界に残る大自然の装いを見せ始めたところだ。
さて、と────。
L.L.はガラス越しに映り込んでいる隣席に座る彼女に焦点を当てた。頬杖をつき、反対側の窓枠から車外を眺めているその表情は先程から一向に変化を見せない。
時折、アーニャの言葉に返事をするくらいで、朝の様子からは打って変わり、むしろ静かすぎて不気味さすら垣間見えるほどだ。
「L.L.さん」
「ん、なんだ?」
ジェレミアからの呼びかけに応える。
自分でそのように呼んでくれと言ってはいるが、未だに少しだけ反応に惑う。真名である事をやめた今、そう呼ばれることに抵抗は無いが、いざ呼ばれてみるとどうにもくすぐったい気持ちになる。臣下として仕えていた彼だからだろうかと頭の片隅で考えてしまう。最初は様付けだったのだが、それもどうにか矯正し、さん付けにするには少しだけ苦労したものだが。
話を聞けば、この先は少しだけ歩くことになるのでご辛抱を、との事だった。言葉の節々から今なお消えぬ忠臣としての輪郭が伺えたが、特に気にすることもなく了承する。
昨日の一件で、やはり体調面において心配はされていると理解している。あえて本質には触れてこないのが有難い。昨晩にアーニャへ伝えたように、ぐっすりと眠ったおかげで体力も回復したとだけ口頭で宣言する。
今のところ、昨日のような手足の怠さも感じては無い。心配は無い、と。拭えぬ不安は言葉と共に薄く張った笑みに隠しておく。
「L.L.」
アーニャの声に外に向けていた顔を移せば、助手席に座っている彼女がくるりとシートベルトを締めたまま体をこちらに向けているのが映った。指先で摘んでいるスティック状のチョコ菓子をぴょんと伸ばして。
「あーん」
「あ、ああ。あーん……」
思わず口で受け取る。好意を無下にする気はないし、こうして彼女がピクニックを楽しんでくれているのなら付き合うべきだ。こうして賑わいを見せる行事ならば、お祭り好きな学友で慣れているしと、チョコの塗られていない部分を手にぽりぽりと食べ進めていく。
「────────」
「ん……、どうした?」
「…………いや、別に」
ふと、隣に座って同じように窓外に目を向けていた彼女の金の瞳がこちらに移されていることに気がついた。何事かと問いかけてみれば、返事をひとつ発し、再度窓外へ。
…………なんだろうか。朝にも似たような会話をした記憶があるが、あの時と比べてやけに刺々しいというか、違う雰囲気の装いを感じた。ぷいっとそっぽを向くような仕草に首を傾げていれば「アーニャ、私にもくれ」と告げて一本受け取っている。
「アーニャ、もう一本」
「はい」
片手に持ち、追加要求をするC.C.に迷うことなく差し出したことで、両手に一本ずつ持っている姿に、食べ終わったら貰えばいいだろうと内心でツッコミを入れていれば。
「ほら」
「ん?」
剣の切っ先を突き付けるが如く、菓子の先端を伸ばしてくるその姿に戸惑ってしまった。何事かと表情で訴えてみる。すれば、笑みを向けるでもなく、どこか拗ねたように眉根を歪ませて───。
「あーんだ、ほら、あーんしろ」
「いや、さっきアーニャから───」
「アーニャはアーニャ。私は私だ。いいからさっさと口を開け」
あーん、と執拗に、咥えろとばかりに近づけてくるので、仕方なくはむっと咥える。だというのに何故だかその表情は晴れない。とりあえず口の中を空にしてから。
「なんだ?」
「あーんがなかった。もう一度だ」
「はあ!?」
「あーんと言ってるんだから、お前もあーんと言え」
「どういう理屈だ!」
「なんだ知らなかったのか。これはそういう食べ物だ」
「知るかっ!」
「今教えたろ。ほら、あーん」
こいつは結局何がしたいんだ、というL.L.の疑念も尽きぬまま、もう片方の指で持っている菓子を容赦なく差し出してくる。どうやら自分で食べる気はさらさらに無いらしい。
「早くしろ、チョコが溶ける」
「くっ……」
「アーニャには言えて、私には言えないのか」
そう言われてしまえば、やらざるをえない。もっとも別に何かを否定したいわけでもないので拒否することもないはずなのだが。少しだけ彼の中に湧き上がったこういう行為に対する抵抗というか、羞恥というか。
失礼な言い方をすれば、アーニャはいいとして、C.C.にされるとよく分からないが非常にむず痒い感覚に捕らわれる。前席に座っている二人からはしっかり見られていないとしても、知己がいる空間内でやるには、多少の勇気が必要だったのだ。
「……わかった。わかったから、…………………………あーん」
「あーん」
ぱくっと先端を唇で留める。
そのまま手に持って食べながら、視界の端に映った相棒は先ほどまでのように頬杖をついて反対側を向いていた。その表情はここからでは見えない。俺がこんなに恥ずかしがっているのにも関わらずと、今度は彼がそっぽを向くように反対側の窓枠に首を傾けた。
そんな様子を助手席に座っているアーニャはといえば、自身の背後の席に座っているC.C.の顔をシートベルトと窓枠の隙間からこっそりと見つめていた。
L.L.からは見えていないのだろうが、今の彼女は少しだけ赤く熟れた頰を添え、口元に淡く笑みを浮かべている。今のやりとりがそんなに嬉しかったのだろうかと、少しだけC.C.の人となりを見直すアーニャである。
ということで、今思い浮かんだ言葉を二人には聞こえない程度の音で口にした。
「ジェリー、なんか後ろが甘々」
「……………………初々しい」
惚けたように、熱に侵されたように頰を赤らめ、笑みを見せている運転手にスッと菓子を差し出す。口元に寄せてみれば、表情はそのままにパクリと咥えた姿に少しだけ笑ってしまうアーニャであった。
ーーー十ーーー
停車した車からガチャリと音がひとつ。
車内から姿を現したアーニャは、トップをフリル状の布で包んでいる白ビキニで大胆にへそを露出し、幼くもこれからの成長の可能性を垣間見せる容姿だ。
「どう、ジェリー?」
「うむ。少し大胆過ぎる気もするが、君の成長を鑑みれば、女性らしさを磨こうとするその日々努力を重ねる姿勢を誉めるべきなのだろう。ああ、申し訳ない。遠回しをしてしまったが、とてもよく似合っているよ、アーニャ」
言い回しそのものはやはり貴族というか、生まれ持った性質を窺わせるが、褒め言葉としては及第点だったのだろう。それはアーニャの嬉しそうな顔からして、間違ってはいなかったのかもしれないと頭の隅に留めておく。
それはさておいて────。
「……………………」
「…………おい」
一方のこちらはといえば、L.L.は車から出てきたC.C.を目にした時点で、どこか遠くを見るような瞳を崩さない。彼女をしっかりと見つめようとはしているのか、首がやや上下に動くところからして、なんと言うべきかを考えあぐねているとも取れるが、それにしては無言の時間が長すぎる。思わずC.C.が声をかけてしまったのも仕方がないだろう。
そんなC.C.はと言えば、ウエスト部分が大幅に削られていることで肌を見せ、さらに腹部にかけては布がかぎ編みのニット仕様、単純にへそを出しているアーニャの水着よりもより妖艶な美を解き放つ。太腿からの足首にかけての曲線すらも優雅に演出してみせる黒のモノキニのビキニだった。
首とバストの裏側を紐で括っているので、背後からはビキニスタイルに見えるであろう、C.C.の女性としての魅力を最大限に引き出す装いであることは否定のしようもない。
そんな彼女も、誰かさんからの無言の熱視線を浴び続けていれば戸惑いもする。はっきり言うと、真正面から何も言わずに見続けられることへの抵抗と羞恥をブレンドした感情が今のC.C.の中でぐるぐると渦巻いていた。
自然と紅潮した頰を隠すこともない。ただ競げなくL.L.からの視線から逃れるように向けていた身体を斜めに逸らしてしまい。
「…………………………見過ぎだ、ばか」
「……………………すまん」
ようやく放った第一声が謝罪から始まる。
彼は身に纏っていた紫紺のパーカーを脱ぎ、手にしたそれをスッとC.C.に突き出す。それを向けられた当人からすれば、彼の行動の意味はわかるつもりだが、何も言わずに差し出されても着る気にはならない。第一、まだ何も言われてもないのだ。すまん、の一言で片付けられては堪ったものではない。
しかも、さっきまで食い入るように見つめていたくせに、今現在は顔を背けたまま、こちらをちっとも見ようとしないことも彼女の感にひっかかった。
「……なんだ」
「……着ていろ」
「別に必要ない」
「いいから、ほら」
「何故だ。理由を言え。でないと着ない」
ここまで来たら、我慢比べだ。
彼からの言葉が来るまではここで何時間でも待機していたってかまわない。
「っ───、だから……」
「だから?」
突き詰めてみれば、彼は伸ばしたままの手を細やかに震わせ、静かに息を吸い────。
「────────目に毒、いや………………似合っているから、とりあえず着てろ」
「………………30点」
「好きに罵れ。いいからほら」
「まあ、今日のところは良しとしてやる」
一応、『似合っている』とは聞けたし。
今回はそれでいい、と少しだけ赤く染まっている彼の表情に及第点を付けておく。おとなしくパーカーを受け取り羽織っておく。そうしてみれば「もう少し上まで閉じろ」とまで注文してきたので、ムッと反論を述べたい気持ちを抑え、やれやれ仕方ないなぁ、とばかりに見せつけるような重い溜め息を零してから胸元までファスナーを上げておく。
どうやら思った以上に攻めすぎたらしい。彼女も彼女で多少は勇気を出したつもりなのだが、今回は圧勝したということで決着としようと心の中は盛り上がっていたりした。
そんな二人に、少し離れた位置まで歩いていたアーニャ達の声が届く。四人が乗っていた車が到着した場所は天然の防潮林が薄く茂っている地帯の手前であり、切り立った崖が既に遠目ではあるが視認する事の可能な区域だった。自分たちの以外の声も人の気配も感じず、どうやら本当にジェレミアが見つけた秘密のスポットであるらしい。
五分ほど歩いていけば、波の音が微かに耳に届く。両肩に荷物を抱え、先頭を行くジェレミアの「もうすぐです」という声に後押しされ、歩くこと数分。四人の足は数十メートル先にまで拡がる砂浜の上に立っていた。左端に見える凹凸の辺りは登りさえすればもう少し先にも行けそうな雰囲気だが、それはまた後ほど確認するとしよう。
「C.C.、勝負……」
「ほう、いいだろう」
と、到着早々にハンドガンを二丁携えたアーニャに乗る形で、アサルト式のライフルと思わしきウォーターガンを手にするC.C.による攻防が勃発する。既に
これは必要なんだろうかと言わんばかりに、両者は水を過剰なまでにアクロバットな動きで回避していく。互いに弾切れに追い込みながらも、即座にマガジンチェンジ、あるいは足元に広がる水場からの補給を繰り返し、隙を突く突かないといった工程は見ているだけでも中々の見映えを誇っている。
というか、あんなに早く水を補充出来るモノなんだろうかと疑問に思う。どっちのウォーターガンもマガジンを改造してあるんじゃないかと疑いたくなるくらいだ。
それをジェレミアの用意したチェアに腰掛け、煌々と射す陽光を遮るパラソルの下、黒の海パンひとつで鑑賞しているL.L.であったが、よくよく考えると、そのジェレミアの姿が何処にも見当たらない。左右を確認するがあの巨体の姿はない。
思わず立ち上がって探そうかと腰を上げようとしたその時だった。
「はーっはっは! 見よ、我が忠誠の煌き!あの
響き渡る高らかな叫声。
太陽に照らされ、太陽を背に輝く、その男こそ、悪逆皇帝に尽くす忠義の色。
ジェレミア・ゴットバルトその人である。
ちょうどこの浜辺の直上近くに切り立つ崖上に影を見せるその姿が、ビシッ!と両手を左右に広げてみせる。
「見ていてください! L.L.さん! 今もここに残る忠誠の証を!」
いい感じに盛り上がっていた女子二人も、筋肉隆々、大胆に見せつける迷彩柄ビキニ男の盛り上がりっぷりには負けたらしく、接戦の中で絡み合っていた腕をそのままに頭上に意識を向けている。
「これが! 我が忠誠のこころぉぉおおお!」
瞬間、男が一人飛んだ。
滞空中、くるくると回転する男の身体が落下の一途を辿り、そしてバシャーン!と海面に叩きつけられた男は何事もなかったように浜辺にゆったりと何事もなかったかのように戻ってくると、清々しい顔で、まるで太陽のような眩しい笑みを浮かべて、髪をかきあげてみせる。
そして────。
「回転は、彼の専売特許ではありません」
と、何処かの誰かに対抗心でも燃やすかのように豪語してみせたジェレミアの顔にアーニャとC.C.の銃口が水を噴く。なにを!とジェレミアはL.L.の傍らに置いてあったバックに駆け寄る。中身は何だろうかと少し前から気になっていたのだが、そこから六本の銃身を備えた
「アーニャ、右から回れ」
「了解」
「逃がしませんぞぉおお!!」
ドドドド!!と、まるで水鉄砲が繰り出す掃射音とは思えない轟音が浜辺に響き渡る。共に駆け出し、水を回避していくその姿はさながらくノ一のようで、今ここに咲世子がいればどうなっていたのだろうかと、もはや他人事のようにチェアに座って見ることに従事するL.L.なのであった。
/2
浜辺での騒乱から少し時間がすぎ、昼時の砂浜で行なうバーベキューで腹を満たしたあと、疲れからか横倒しにしたチェアで船を漕いでいるアーニャにジェレミアが付き添い、食後の散歩と称して、L.L.とC.C.は二人、先ほどから気になっていた左端にある凸凹とした山場に足をかけて上がってみれば、その下に続く形でさらに浜辺が広がっている。
波打ち際をC.C.が前を行き、L.L.はそんな彼女の後ろを数歩空けて付いていく。潮風と共に波打つ音だけが二人の間に揺蕩うように流れて行き、自然と口を噤んでしまう。
そんな中でもL.L.の視線は前を歩く彼女に注がれている。今もなお自身が着ていろと言ったパーカーを身につけている。なにせアーニャとの小競り合いの最中もずっと肌身離さず着ていたのだ。多少は水に濡れても、まあそれは別段気にしないとしても、やはりせっかく水着を着ているのだから、水着姿のままでいたいのではないのか。
今更ながらの意見だし、それに、さっきは言い淀んでしまい「30点」という間違いなく赤点であろう点数を宣告された身だ。もう一度、しっかりと褒めるべきだろうか。などと思ってしまえば、心はやけに素直だった。
「C.C.」
「ん、なんだ?」
呼びかけに応え、彼女は足を止め、少しだけ身体ごと振り向く。そんな姿につい惚けてしまい、口が止まる。
「ああ、その…………なんだ」
肝心なところで、上手く言えない。
自分はこんなに舌足らずだったろうか。
いや、そんなはずはない。今までも幾度となく言葉の力で色んなものを乗り越え、時には操りもした元皇帝である。そんな自身が水着姿を褒めるくらい造作もない、はずなのだが。そのはずなのに、言葉はつっかえたまま、一向に届けることが出来ないでいる。
そうして、首元にやった手が余る。
特に意味もなくした仕草に意識を寄せてしまって、肝心な部分の感情がばらけてしまいそうで、でもどうすれば止められるのかがわからないという負のスパイラルに陥る。
そんな自分が歯痒くて、苛々して、もうどうにでもなれと言わんばかりに。
ええい、ままよ!と。
唇を噛み、口を開いた瞬間────。
「……………………お前の身体の件か?」
「────────え?」
その言葉に、何かが止まった。
今しがた、ほんの一瞬の合間に自分の中にあった感情が全て押し流されて、彼女の言葉に絡め取られたように消えていく。彼女に言おうとしていたことを忘却してしまうほどに、告げられた言葉に意表を突かれた。
それを発してみたC.C.の表情は翡翠のカーテンに隠れて見ることが出来ない。ほんの僅かに俯けているその立ち姿からは、数時間前までの忙しなさとはまるで逆だった。
ぽかんと、口を開いたまま、呆然としているL.L.の姿は彼女にはどう見えただろう。なぜ知っているのかと疑問に思う顔か、それともどうしてそんなことを聞くのか意味が分からずにいる顔か。彼女にとっては前者だった。彼が何かを言い淀んでいる様子を感じ、本人の口から言われる前に、つい自分の口から飛び出てしまった言葉だ。
────少しだけ、後悔している。
それを口にしてしまったことを。
けれど、この話を彼の口から聞かされてじっと聞いている自信が無かった。足早に逃げてしまいそうな気がして、それをしない為にも、己の口から問いかけてみたのだ。
そしてあの反応。
ああ、やっぱりその話をする気だったのだなと、確信を深めてしまった。
「な、なんの話だ。俺は別に……」
「昨日もそうだったんだろ」
「…………………………」
「……やはりな」
口を閉ざした彼に、つい息が漏れた。
隠していたつもりだったのだろう。そしてそれを今打ち明けるつもりだったのだろうが、でも、それでも────。
「どうして、黙ってた」
少しだけ、棘が増した。僅かでもいいから彼の心に打ち込めるようにと。瞳を向けてみれば動揺する彼の姿が映った。先ほどまでの雰囲気は何処にもなく、申し訳なさそうに表情を歪ませる姿に、何かが募る。
「………………すまない」
その言葉に抑えていたものが弾けた。
何処かで嘘だと言ってほしかった。
そうであってほしかった。これは自分の見当違いで、昨晩のアーニャとの会話の内容もまったく関係のない話であると。
けれど、今の謝罪の言葉はすべてを肯定した。パーカーに触れていた手がグッと布地をキツく握りしめてしまう。
「ああ、まったくだ。そんな大事なことをずっと隠されていたなんてな」
「……いずれは、話すつもりだった」
「ほう。いったいいつだ。お前が私の目の前で倒れてしまった時にでもか?」
C.C.の言葉に否定は出来ない。
彼女の言葉の内にある明確な刺々しさ。それを正面からぶつけられた現状では、隠せることなど一つもない。それに的を得ている。いずれにせよバレてしまうのなら、せめてそれは自身が彼女の前で倒れてしまう頃合いにしようと考えていたのだ。もう隠せなくなった時にすべてを打ち明けようと。
それが完全に裏目に出た。
C.C.から発せられる怒気にたいして、なにも言い返すことなど出来はしない。ありのままに受け止めるしかないのだから。
「……来たるべき時が来れば、そうしようと思っていた」
「それまではずっと私に嘘を突き続けるつもりだったんだな」
「…………ああ。そうだ」
一歩、足が踏み込まれた。
C.C.の足が砂の上に跡を付け、波が攫う。
「元気なふりをして」
また一歩、L.L.の元へと歩み寄る。
「私の前で、作り笑いをして」
近づいてくるその足音を、今度はL.L.が俯かせた顔で聞いていく。耳に宿る彼女の怒りが増して行くたびに心に刺さった棘が痛みを増して食い込んでくる。
「それで……なんだ? 目の前でお前が倒れてから、話す気だった。と言ったか?」
「ああ、そう言った」
「お前は、それを見た私がどんな気持ちになるのかをわかっていたのか?」
「…………ああ、わかっていた」
「わかってないっっ!!!!!」
耳を劈く叫びが木霊した。
びくりと、肩を震わし、叫び声の大元であるC.C.に視線を移してしまう。
そしてまた息が詰まりそうになった。
泣いている。
両目から涙を溢れさせ、自身を恨めしく見つめている彼女の表情を。
「お前はなにもわかってない! 私の気持ちなんかこれっぽっちもわかってなんかない!」
「なっ────」
その言葉だけは聞き逃せなかった。
そんなわけがあるか。
自分がどれだけ。
思わず歯を食いしばる。
言い返せるわけもないと思っていたはずなのに、心がそれを受け入れてはくれない。
「ふざけるな! 俺がお前のことを何も考えずにいたと思うのか!? 俺だって最初は受け入れたくはなかった。身体の変調も、気の迷いだと思いたかったさ! だが実際にこうして肉体は異変を訴えている。それをお前に告げることがどれほど酷な事か、わからないはずがないだろうがっ!!」
溢れ出る感情は声に乗り、目の前で泣いている彼女に衝突する。もう知った事じゃないとでも言わんばかりに頭を振ってみせ。
「所詮俺は仮初めだ。いつまでもこうしていられる保証なんか何処にもない! だから少しでもお前の為に、良い思い出を───」
「そんなものいるかぁっ!!」
頰に衝撃が走り、足元がぐらついた。
ぶたれたことに腹は立てない。これも当然のことだと冷静に物事を捉えている自分が確かに存在していて、これも仕方のないことだと理解もしている。しかし、これで倒れたりすることだけは、奥底のプライドが許さなかった。倒れたら負けだ。こんなところでたかがビンタ一発で倒れてたまるかと、必死に肉体を押し留めようとしてみせる。
しかし、両肩にのしかかった体重が、そんな彼の思惑を簡単に踏み躙る。中途半端に支えとなっていた足元が捌かれ、体重が宙ぶらりんになった途端、肩を掴む両腕がL.L.の身体を仰向けに地面に叩きつけた。
「が───っ、!」
身体から息が溢れ出た。叩きつけられた衝撃で背中が痛む。ここが砂浜、しかも波打ち際で下が水で泥濘んでいたのはむしろ幸いだったと言えるだろうが、痛みを覚える本人にとっては関係のないことだ。絶えず波が押し寄せ、ちょうど彼の耳元までを覆う形で波が押し寄せ、引いて行く。
痛みに閉じてしまった目蓋を開いていけば、眼前には上乗りになった襲撃者の姿。ぽたりと落ちた涙が赤く色付いてしまった頰に零れ落ちて行く。
「このっ───、お前なぁ、いい加減にしろ! 一体なにが不満なんだ!」
「良い思い出だと! そんなものがっ……そんなものが欲しくて、私はお前を取り戻したかったんじゃないっ!!」
「そんなことはわかっている!」
「わかってないだろ! この大嘘吐き!!」
真正面で、眼前で。
こうして二人で怒鳴り合うなんて、いつ以来か、いや初めてかもしれない。気付けばお互いに出会った当初からずっと、一歩踏み込まず、一線を引いているところがあった。
彼女からこんな風に、こうして一方的に感情をぶつけられることなんて一度もありはしない。そう、当たり前だ。彼女は悠久の時を生きる魔女。力を与え、代償に願いの成就を求める不老不死の異邦人。そんな彼女がまるでひとりの少女のようにこんなにも声を荒げるなんて考えられもしなかった。
笑顔を浮かべることすらもしなかった。
けれど、その願いはもう。
だから───────。
「私はわかっているんだぞ。お前がいざという時に何をする気なのかを」
「なんだと?」
C.C.は小さく間を空けた。
ひどく辛そうな顔をして。
涙を流す表情は一層に歪みを増し。
そして、口にした。
「お前、私のコードを引き継ぐ気なんだろ」
────その言葉に、身体を貫かれた。
刺さっていた棘は鋭さを増して完全に身体を貫通し、抜く事も出来ずにいる。それほどまでに彼女の言葉は彼の心を絡め取った。
「私からコードを引き継ぎ、私の前から消えるつもりだったんだろ」
所詮は仮初め。いつ居なくなるかもわからない。そんな状態でいることの意味とはなんだろうか。それを考えていた時、ひとつの結論に至った。当然これ以外にも多くの選択肢は存在してはいるが、それでもこの結論は胸の内にしまっておこうと秘めていたのだ。
────即ち、仮初めを止める為、C.C.からコードを継承し、自らがただ一人の異邦人になるという選択肢だ。そうすれば彼女は本当の意味で自由に生きられる。
長い旅を終え、その場で死ぬ事も容易いだろう。しかしせめて有限の生であるのなら、懸命に明日を生き、死んでほしい。それこそたった一度きりの生で特別な誰かと結ばれ、子を授かるのも良い。精一杯に育て、歳を取り、我が子に見守られながらその生涯を終える結末だってあるのだから。
たとえ自分が、なにも関わることがなくとも。彼女が生きて、そして人として当たり前にその命を終わることが出来るのなら。
あの時、父がそうしたように。
今度は俺が、彼女からコードを。
「どうした、図星か」
「…………お前はもう十分に生きたんだろう?なら、それを俺が引き継ぐことで、終わりにすることが可能なんだ」
「私はそんなもの望んでない」
「しかし、俺はいつお前の前から居なくなるかわからない。ならせめて、俺はお前の」
「そんなもの望んでない!!」
「いい加減にしろ! これに関しては理屈や理想論では何も解決しない! どちらかが消えるのならお前がそうなるべきだ。ギアスも、コードも、誰かが背負うべきものならば、俺が背負う。もうお前が荷を負う必要はどこにも───」
「だからお前はわかってないんだっ!!」
くしゃりと、歪む彼女の顔に言葉が詰まる。覚悟はしていた。そんな顔をされるのではということくらいは。そうして実際に目にしてしまえば、今もズキズキと痛む身体から目をそらせなくなる。
だから、その傷口から溢れてしまった痛みが、喉の奥から込み上げて────。
「……嫌なんだ、俺は。お前をひとり残すのも。お前を置いていくのも。もう」
一度はやってしまったことだから。
だから余計に、その意識から目をそらせずにいる。罪悪感と呼んでしまえば、陳腐な気がしてとても口にはできないが、それでもどこかに似たような気持ちがある。
そしてそれ以上に。
「お前が泣いているところを見たくない」
矛盾している。今もこうして目の前で泣かれているというのに。泣かれたくないなどとどの口が言うのだろうか。でもそれでも、何かを得るために何かを否定するのなら。
「…………なら私も、お前を置いていくなんて嫌だ」
「……C.C.」
「私が居なくなった世界で、お前はどうするんだ。ひとりで当ても無く彷徨うのか。いずれは親友も妹も居なくなる世界で、お前はひとり時の中で漂い続ける気か?」
「……それが、俺の罪だというのなら」
多くの命を奪い、人生を狂わせ。
人々を欺いてきた代償。
父の持っていたコードを中途半端に引き継いでしまったことも、今思えばCの世界の意志なのではと思ってしまう。
────死ぬことなど赦さない、と。
────あの世など生ぬるい。
────永劫を時の中で漂えと告げられているように。
────誰よりも
それが王の力を持った罰。
ギアスという理によって捻じ曲げた想いへの罪。
孤独へと沈むのならば、ひとりで十分だ。
「だったら」
けれど、それを認めることなどない。
大嘘吐きの戯言には耳を貸さない。
いつか、彼は語った。
嘘は争いの為だけではあらず。
なにかを欲し求めるからであると。
────しかし。
その嘘を、彼女は求めてはいない。
「だったら、私が付き合ってやる」
「なに?」
「お前の地獄巡りに、私が付き合ってやると言ってるんだ」
「付き合うって、お前な……」
「私しかいないだろ? そんなことが出来るやつは。まさかほかにアテがあるとか言うつもりじゃないだろうな」
彼女の険しさがより増していく中で、咄嗟に否定を述べる。なんだか胡散臭くなってしまったが、別に居るわけじゃない。
弁解するように口を開けば、勝ち誇ったように口元に弧を描いてみせる。
「だろう。お前みたいな嘘吐きに付き合えるのは私くらいしかいないからな」
「しかしな、俺は身体が……」
結局のところ、大元の問題は何も解決してはいないのだ。未だに仮初めのまま、不安定な状態でいるのは変わらない。いつ限界がきてもおかしくはないのだから。そうなった時にまた彼女を置き去りにするのかと思うと。
「さっきから思っていたが、お前は別に今の状態を続けたいわけじゃないんだろう」
「無論だ。脱却はしたいと思っている」
「なら、探しに行こうじゃないか」
「は……、まさか、方法をか。そんなものが存在するのか?」
Cの世界に関しては殆どが未知数。未だにC.C.におんぶに抱っこ状態だ。かと言って理屈で説明してもらっても、今の自身の肉体を解明するには不十分だろう。
「知らん。なければ作るだけだ」
「前向きなのか、後先考えていないだけなのか、お前らしくないな」
「ああ、お前のが移ったのかもな」
「俺の?」
ああ、と肯定するC.C.の表情には、薄く笑みが浮かんでいる。目元に残る赤みは消えてはくれないが、先ほどまでのあの涙はもうそこには無い。そのことだけに安堵してみれば、今までずっと同じ体勢だったC.C.の影が離れていく。同様にL.L.も倒れていた身体を起こしてみれば、スッと差し出された影に首を上に向ければ、不敵に笑う彼女につられ、笑みを見せて手を取った。
「…………さっきは、その、すまなかった」
自然と出た謝罪にC.C.は軽く笑う。
「どれへの謝罪かわからん」
「だから、色々だ……」
「悪いと思っているのか?」
「ああ」
「────だったら」
不意に頰に触れてきたC.C.の手は、そのまま後ろに流れていく。何事かと思っていれば首元に回った腕に引き寄せられ、唇を奪われる。吐息を漏らし、近距離で向き合う。
「もう二度と私に隠したりするな」
「……努力する」
「曖昧な返答だな」
「頷いたところで、お前が鵜呑みにするとは思えん」
「ああ、お前は大嘘吐きだからな。私のことなんてまったくわかっていないんだから」
「…………この際だから聞くが、俺が何をどうわかってないんだ」
もうこうなったら恥も外聞もない。
問いを投げてみれば、C.C.は目を細め、苦笑するように息を零してみせた。
隠し事をされたことへの怒り。
不安にさせまいと思っていたことはわかる。実際、体調の芳しくない姿を見せられただけで胸の中が鈍く疼いた。
いざとなれば己のコードを継承し、彼がひとりでこの世界に残ること。それが叶わなかった場合も少しでも自分に良い記憶を作ろうとしていたこと。孤独にさせることへの拭えぬ罪悪感と不安に苛まれていたこと。
再び、またあの頃に戻ること。
ひとり、長い時の中で彷徨うこと。
それに疲れ、死を望んだ。
そう。本当の願いを放棄して、叶わないことだと諦めてしまったのだ。
でも、今は違う。
────だから。
「私は、お前がいればそれでいい」
永遠の時間に現れた希望。
今は流す涙すらもが愛おしい。
孤独に打ち拉がれる涙ではない、ただひとり、共に居てくれる者の為の涙。
「
────もう、欲しくない。
言葉を重ねるたびに心が悲鳴をあげる。
奥底からひび割れて痛みを訴える魂が、彼女の願いを口にさせる。なんだかとても肌寒くて、温もりを求めて胸に飛び込んだ。背中に回した腕にぎゅっと力を込める。
────とくん、と鼓動に触れた。
生きている。今自分の前に彼がいる。
それだけが、ずっと欲しかった。
だからもう、今の自分には死を望む理由なんか────。
「………………わかったか?」
「…………ああ、そう、か。なるほど」
「なんだ、その微妙な反応は」
人がこんなにも赤裸々に心を見せてやったというのに。少しだけそんな彼に怒りを示すように胸元に顔を擦り付けた。
「どこまで鈍感なんだ、お前は」
「すまん」
「ほんとだ。ほんっっとに、苦労する」
ここまではっきり言ってやらないとわからない、気づいてくれないとは。
頭が良いくせに馬鹿なんだろう。
「────俺は」
「ん?」
不意に彼の声が小さく、囁くように耳に溶ける。なにかと思っていれば、背中に回された温かさに心音が跳ねる。
「お前には、笑っていて……ほしい」
その言葉に全身が震えた。
彼の腕がさらに力を増して己の身体をギュッと抱き寄せてくれる。離さないとばかりに押し付けられた力に無性に嬉しくなって、同じようにさらに力を両腕に力を込めた。
「それが、俺の願いだ」
やめてほしい。
そんな風に言われてしまえば、また。
溢れた涙を押し付ける。
もう何度泣かされただろう。
きっとこれからも泣かされる気がする。
いつからだろう。
こんなに弱くなったのは。
でも、それも良い。と、
彼がいるのなら、悪くはないと。
静かに、受け入れてみる。
「…………そんなに、笑っていてほしいのか?」
震える声で囁いてみる。お互いに顔は見ずに。心だけを通わせるように、決して離すこともなく、想いだけを繋げて行く
────ああ、と。返答する彼の声。
「だから、俺はここにいる」
もうそれ以上、言葉が出なかった。
あとはただ、しがみつくだけ。
唇から漏れてしまう嗚咽。
止めど無く流れ落ちる涙。
優しく頭を撫でてくれる彼の手。
求めていたはずなのに、自分には過ぎたもの過ぎる。けれど手放す気などない。
誰にも、世界にも奪わせはしないと。
決意を新たにする前に、今だけは彼の腕の中で泣いていたかった。
/1
「じゃあな、アーニャ。楽しかったよ」
「うん、私も」
脇にキャリーを置き、握手と共に言葉を交わすアーニャとC.C.。四人の姿は農園から離れ、今も絶えずアナウンスの流れる空港のロビーにあった。少し人混みのない隅のエリアに移動し、そこで別れの挨拶を行なう。
女子二人が友情と言ってもいい親交を深めあっている傍らで、ジェレミアは懐から長方形の白いケースを取り出した。
「L.L.さん。こちら、ロイドから」
「ああ、すまない。会うことがあればよろしくと伝えておいてくれ」
一応、中身の確認にとパカリと蓋を開けてみれば、そこにあるのは何処にでもあるひとつの眼鏡だ。しかし、ただの眼鏡であればわざわざこうして秘密裏に確保したルートで入手する類のものではない。
「ルミナスの展開も確認済み。データは既に写してあるとのことです」
「わかった。…………世話になるな」
「いえ、そのようなことは」
労いの言葉に、小声ではあるが畏敬の念を見せるジェレミアにL.L.は静かに微笑む。こうしてただのんびりと彼と過ごしたというのは初めてだ。争いの場ではなく、ただの人間として彼に接することも。
けれど何も変わっていない。
彼は彼のままだ。
しかし、よくよく考えてみればなんとも奇妙な縁だった。最初は敵同士。ブリタニアの純潔派で友人を死刑に処そうとしていた敵国の軍人だったのだ。それが味方となりこうして争いが沈静化した今現在も、会話をしているというのがまず信じられない。
「ひとつ、聞いてもいいかな」
「なんでしょうか?」
「お前は今、幸せか?」
その問いに驚愕の色を浮かべてみせたかつての忠臣。当然といえば当然の反応だ。あの大罪人がそんな言葉を口にするとは思えなかったのだろう。一瞬の間を取り、ジェレミアはふっと穏やかに微笑んだ。
「はい。幸せです」
「…………そうか」
「はい。L.L.さんは?」
「俺か? 俺は……」
予想していなかった彼からの問いに言葉が詰まる。意識はしていなかったが、目線は自然とアーニャと会話をしている彼女の方へ向いてしまった。穏やかに笑っている彼女の様子を見つめ────。
「ああ、幸せだ」
そう、はっきりと答えてみせた。
きっと、彼女に問われてもこんなにはっきりとは答えられないだろう。それをするには己の中にある心が邪魔をする。笑われはしないだろうとはわかるが、恥ずかしさに負けて言い淀んでしまうに決まっている。
言えたとして、精々が「悪くはない」だ。
と、アナウンスがひとつ。
L.L.とC.C.が取っていた便だ。
担いだ荷物を抱え直すついでに、ケースを
あらかじめ開けていた部分に収納する。
「では、L.L.さん」
「ああ、そろそろ……」
そこで、ふと湧いた想い。
おとなしく自分に従うことにする。
「ジェレミア・ゴットバルト」
名を呼ぶ。それはまるで主のように。
王の風格を、かつて悪逆の帝と呼ばれ恐れられた頃の彼を思わせる声音。自然と居住まいを正してしまうジェレミアに小さく微笑みを見せてから────。
「ありがとう。貴方に会えてよかった」
多くの過ちを重ね、罪を負い。
それでも今日この時までに巡ってきた時間を大切に思うのならば伝えるべきだ。
最初は敵であった者同士がこうして互いの健闘を讃えられるというのは、とても良いことのはずだから。
だからこそ、精一杯の感謝を。
その言葉に、仮面に隠されていない瞳が僅かに潤む。必死に耐えようとしているのだろう。大の男が空港で泣いていれば嫌でも人目をひく。そうなれば、目の前にいる方に迷惑がかかってしまうと。
「…………また、寄る事があるかもしれない」
「る、ルルーシュさまぁっ…………」
「その時は、また頼む」
この状況で真名を呼んでしまったことを糺すなど野暮だ。それくらいはわかっている。ジェレミアは思わず膝をつこうとした己の肉体を懸命に堪え、スッと深く一礼する。
その姿に、小さく吹き出してしまった。
その優しげな瞳は過去を想起させる。
母と妹と暮らしていた、あの頃の彼を。
再び溢れそうになった涙を抑える。
「お任せください。ジェレミア・ゴットバルト。あの場所にて、お二人の訪問を心よりお待ちしております」
何度でも種を植え、育て、待ち続けよう。
いつかまた、懐かしい顔に会えることを夢見て。あのオレンジ農園で。
ジェレミアを連れ、二人の元へ歩み寄る。L.L.はアーニャに近寄り静かに手を伸ばす。
「じゃあなアーニャ。色々ありがとう」
「ううん。元気でね、L.L.」
ああ、と返事をすると、L.L.とC.C.は連れ立って離れていく。背中を向けて歩き去っていくその姿が振り向くことはない。僅かな期間であったが、共に過ごした時間をその背中と一緒に強く焼き付ける。
「帰ろうか、アーニャ」
「うん」
そうして道は別れる。
もう交わるかもわからない糸は、解けることも断ち切れることもなく伸びていく。次に会う時にはもっと大人になったアーニャに会えるかもしれないと、C.C.は少しだけ膨らんだ期待に胸を弾ませる。
不思議だ。
以前までなら、こんなことで喜ぶなど出来るわけもなかったのに。時間の進まない自分がはみ出し者であることを痛感してしまうだけのことだったのに。それが今は少しだけ楽しみにしていることだなんて。
「楽しそうだな」
隣を変わらず歩く彼の声。
「そう見えるか?」
「ああ、そうとしか見えん」
「そうか」
そしてまた笑みを漏らす。おかしな奴だなと呟いている彼の横顔を見つめる。その表情は呆れているようで、でもどこか嬉しそうな笑みを浮かべている。
「お前は楽しくないのか?」
「ん? そうだな」
少しだけ考えて、考えて。
「まあ、悪くはないな」
と、さっきまで思っていたような言葉が口をついて出てしまった。どうにも彼女に聞かれると素直には答えられない。
けれど、あの時はやけに素直な言葉を口にすることが出来た。お互いに遠慮なしに言い合ったせいだろうと思っているが、それでもあの時、あの場所で、ひとつ答えを見つけたのだ。思わず口にしてしまったし、偽らざる本心だと明言もできる。
ぽろぽろと零れ落ちていく彼女の涙を見た時、胸が締め付けられた。でもどうすれば泣き止んでくれるのかわからなくて。
ただ単純に、泣いてほしくなかった。
彼女が苦しむところを見たくなかった。
散々遠回りをして、迷いに迷い。
その果てに、────やっと気付いた。
だから、もう迷わないように。
彼女の手を握ってしまう。
驚いた顔でこちらを振り向く彼女に決して緊張しているのがバレないように、今一番に、最大限に虚勢を張り。
「人混みが凄いからな。手を繋いでおけ」
「仕方ないな」
そう言って彼女から握り返してくる。
固く結んだ想いを壊さないように。
二人は笑みを浮かべ、隣を歩いていく。
どこまでも、一緒に。
どこまでも、遠く。
どこまでも、広がる空へ。
────明日へ。