セルリアンが乱入したためレースは中止となった。戦闘で疲れた状態で再開しても本来の実力は出せないだろう。それに中止を申し立てたのは他ならぬプロングホーンだった。ロードランナーを休ませたいと、そう提案してきたのだ。
そのロードランナーはプロングホーンに背負われてニコニコ笑顔である。
一旦、宿泊施設跡に戻る。もう、他のラッキービースト達はいなくなっていた。見分が終わったのだろう。
「本当にありがとう。ロードランナーを助けてくれて」
プロングホーンはイエイヌと私に何度目かの礼をいった。
「……イエイヌ」
「なに」
「み、認めてやらんこともないぞ!」
「こら、ロードランナー。自分の事だとすぐ突っ張る。素直になれ」
「う……その、助けてくれて……ありがとう」
「……うん」
二人とも気恥ずかしいのかすぐに顔を背ける。
私とプロングホーンは目を見合わせて笑った。
「『ばいく』は約束通り君に譲る」
「助かるよ。暇があったら都市区に寄ってよ。私たちそこに向かおうとしてるんだ」
「分かった。折りを見て行くとする。その時はもう一人友達を連れて行くよ」
「楽しみにしてる」
プロングホーンとロードランナーは宿泊施設跡から去って行った。私とイエイヌは手を振って見送る。彼女たちのおかげで乗り物を手に入れることができたし、後は都市区に行くだけだ。大体一時間くらいで着くだろうから、今からいっても夕方には到着している。
イエイヌは二人がごま粒のように小さくなってもその背中を見つめていた。私はイエイヌに一言いれてから念のためバイクをもう一度充電しようとスタンドまで行く。ラッキーさんが自動運転してくれているので私がわざわざ押さなくてもいいのだ。
プラグを差し込むと私も空腹を感じた。イエイヌと一緒に食事にしようと戻る。
「…………」
イエイヌは被害の一番大きい場所、つまりは彼女が寝泊まりしていたはずのお家を眺めていた。もうそこにはなにもない。
話しかけようとしたが、どうしても憚られる。彼女の思い出も孤独も知らない。そして、それらを壊してしまった私がかける言葉などなかった。
「行きましょうか」
イエイヌは振り返らずにそういった。匂いか足音で近くにいることに気付いていたのだろう。私はまるで、声をかけられなかったことすら見抜かれているように感じた。
そしてそれは当たっていたのかもしれない。少し間をおいてイエイヌが振り返った時、満面の笑みだったからだ。
私は感じていた空腹を忘れ、頷くことしかできなかった。
大きな荷物を二人で運び、イエイヌと荷物をバイクに載せる。その後私もまたがる。
「重量オーバーダヨ」
「えっ」
ラッキーさんがいう。重量オーバー?
「ってことは動かせないの?」
「ソウダヨ」
その時、はたと私は気が付いた。なぜバイクが検索に引っかからなかったのか。バッテリーが切れていたからではない。私とイエイヌそして彼女の大切な荷物を全て問題なく運べる乗り物を検索していたからこのバイクが対象から外れていただけなのだ。
なんということだ。これでは都市区には行けない。また振り出しに戻ってしまった。
サスペンションが少し上がる。
「私はここに残ります」
イエイヌが荷物と一緒に降りていた。
「イエイヌさん、何をいってるの?」
「実は当てがあるんですよ。そっちを訪ねてみます」
そんなわけがない。独りだといっていた。バレバレの嘘だった。
「いや、あのねイエイヌさん。それだったらもう少し――」
荷物を減らせばいい。そういおうとして口をつぐむ。それは命令ではないのか? 私がそう思っていなくとも、彼女がそう捉えればそれは命令だ。それに、大切なものを取捨選択して捨てろというのか? 一番大切な場所を奪っておいて。
私は何かをいおうとして口を開けて、そのまま閉じた。
「ごめんなさい」
イエイヌは謝り、爪を出した。そのままこちらに向かって振り下ろしてくる。ラッキーさんはそれに反応し、バイクを急発進させた。イエイヌが遠ざかっていく。
「ちょっとラッキーさん! 違うでしょう! イエイヌさんがそんなことするはずないでしょう! 止まれ!」
ブレーキを握ろうとしたが完全に自動運転に入っており、ロックされている。振り返るとイエイヌは手を振っていた。
別れの挨拶だ。
私は別れたくなどないのに。
バイクは林に入り、木々が彼女を隠す。そのまましばらく進んだ。自動運転が解除され、バイクは徐々に速度を落としていく。
「…………」
完全に止まった。ちょうどプロングホーン達と出会ったところだ。姿勢制御は働いているので倒れはしない。このまま戻ったところで、何の解決にもならない。それは痛いほど分かっている。イエイヌに辛い思いをさせるだけだ。結局、ヒトを最優先してしまうのだ。たとえ一時的にあの宿泊施設で一緒にいても、私が眠っている間にどこかへいってしまうかもしれないし、最悪の場合、私の我が儘で大切な荷物を諦めてしまうかもしれない。それは駄目だ。
私も、イエイヌも、荷物も全部一緒に連れて行ける方法。そんな都合のいい方法があるだろうか。
私はプロングホーンが作った道を眺めた。特に意味がある行為ではなかった。考えるついでに、ただ無意識にそちらを向いただけだった。
不意に思い出した。あの時イエイヌは何を持っていたか。車輪と棒だ。それは何の車輪と棒だったか。
台車だ。
あの台車は壊れており、片輪しかない。だから荷物を運ぶことすらできない。
だが、今乗っている乗り物はバイクだ。
何とかサイドカーにできないだろうか。確か壊れた台車の近くにはロープも置かれていた。いや、するのだ。でなければイエイヌと一緒に都市区に行くことができない。
私はバイクを急発進させた。
お家に戻ってきて、わたしはなんだかおかしな気持ちになった。もうそこにお家はないのに、そこにいなければならないという強い気持ちが急に湧いてきた。
ここにはたくさんの思い出がある。嫌なことも楽しいことも、苦しいことも嬉しいことも。その全てがヒトとの関わりで生まれた思い出だ。すけっちさんが『ばいく』を『じゅうでん』するといって離れた後、わたしの足は自然とお家に向かっていた。
そこにはまんまるを半分にした形のお家があるはずだった。だけど、もうそこにはなにもない。お家の欠片が散らばっているだけだ。わたしはそれを一つだけ持っていこうと考えてしゃがむ。拾おうとしたが崩れて粉々になってしまった。
だから、もうここで待つことはできない。それは分かっているはずなのに、どうしてもここを離れてはいけないような気がした。
『ばいく』があるからすぐに都市区に行ける。新しいお家に一時間ぐらいで着けるらしい。ということは、毎日ここに来れるだろうか。でもそれをするにはすけっちさんに毎日頼まないといけない。あのヒトはやさしいけど、それでも限界はあるだろうし、これはわたしの我が儘だからたぶん怒るだろう。
わたしは立ち上がった。手をはたいて砂になった欠片を払う。
すけっちさんはお家が壊れたのを自分のせいだと思っているようだった。それでわたしに対して悪く思っている。でも、わたしは不思議とあのヒトに、なんてことをしてくれたんだとか、責める気持ちは全く湧かなかった。
あの時のわたしはなにも感じていなかった。ただ、わたしじゃないわたしが、勝手に動いて荷物をまとめたのだ。夢を見ていたような、そんな感じだった。
それに、本当に怒っていたら、わたしはすけっちさんを助けようとするだろうか。うーん。さすがに助けるかな? でも、その後ずっと一緒にいようとは考えないはずだ。たぶん、原っぱにほったらかしにするんじゃないだろうか。傷も治っていたし。わたしの使命の一つはヒトを守ることだ。爆発から守ったのだからそこで使命は終わりだ。
それでも一緒にいた、ということは怒っていないのだ。ヒトと別れたばかりだったから、というのもあるかもしれないが、それでもお家を壊した相手と一緒にいようとは考えないだろう。それに、わたしからいったのだ。一緒についていってもいいですか? と。
その判断は正しかったように思う。棒でまんまるを転がす新しい遊びも教えてもらったし、何より一緒にいて楽しい。
でも、やっぱりここで待たなければならないとも思う。わたしじゃないわたし、とはいったが、それでもやっぱりわたしはわたしなのだ。この荷物だってとっても大切なもので、待つべきヒトとのつながりみたいなものだ。
ここにいなければという気持ちと、すけっちさんと新しいお家に行ってみたいという気持ちが半分ずつある。わたしはこのおかしな気持ちを生まれて初めて感じた。
苦しい。
思い出にあるどれよりも苦しい。自分が二つに引き裂かれるような感覚だった。いや、いっそのこと引き裂いて欲しかった。わたしがもし二人いれば、一人はここにいて、もう一人はすけっちさんと一緒に行けるのに。
足音がした。すけっちさんの匂いだ。わたしよりも小さい身体なのに大きく感じる。それは違和感ではなくて、不思議とどこか安心する匂いだ。
「行きましょうか」
わたしは振り向くことができず、そのままの体勢でいった。思い切り笑顔を作るのに時間がかかったからだ。
わたしが振り向くと、すけっちさんは一度だけ頷いた。
『ばいく』の『じゅうでん』が終わったらしく、二人で荷物を運ぶ。まず荷物を『ばいく』に載せてすけっちさんが支える。次にわたしが乗ってかばんを背負い、最後にすけっちさんが乗った。
「重量オーバーダヨ」
「えっ」
ラッキーさんの言葉にすけっちさんが驚いた。じゅうりょうおーばー? ってなんだろう?
「ってことは動かせないの?」
「ソウダヨ」
動かせない。『ばいく』を動かせないと都市区に行くには二日かかるとすけっちさんはいっていた。
ああやっぱり。
わたしはなにも感じていなかった。どうして行けないのとか、残念とか、そういった気持ちが一切なかった。
ああやっぱり。
そう思っただけだ。
わたしは『ばいく』から降りた。すけっちさんがこちらを向く。
「私はここに残ります」
肩に食い込む荷物が、傷の痛みを思い出させる。
「イエイヌさん、何をいってるの?」
「実は当てがあるんですよ。そっちを訪ねてみます」
我ながらとっさに考えた嘘にしては良くできたと思う。
「いや、あのねイエイヌさん。それだったらもう少し――」
不意にすけっちさんは言葉を止めた。
何かをいおうとして、やっぱり何もいわなかった。少し辛そうな顔をしている。早く都市区で新しいお家を見つけてほしい。わたしは一緒には行けないけれど。
たしか、ラッキーさんはすけっちさんに危険が及ぶとすけっちさんを守るために逃げようとするみたいだった。それはかけっこの時、『ばいく』に上手く乗れていない様子から分かった。
だからもしかして、と思ってわたしは爪を出した。
「ごめんなさい」
わたしは腕を振り上げた。肩がずきんと痛む。それを無視して振り下ろした。
思っていたとおりに、ラッキーさんは『ばいく』を動かした。みるみるうちに遠くなっていく。かけっこの時より速いんじゃないだろうか。
わたしは肩の痛みを我慢して手を振った。たぶん届いていないと思うけれど、さようならを伝えたかった。
林に入って見えなくなった。わたしは荷物を降ろした。
何も心配はいらない。ここでヒトを待ち続けるのはわたしの使命だ。『じゅうでん』する場所に置いておいたまんまると棒もある。お家はなくなってしまったけれど、大切な思い出は一つ増えたのだ。考えようによっては前よりも待つのは楽しいかもしれない。
「あれ……」
今までにないことだった。待つことには馴れていたはずなのに。これまでより楽しくなるはずなのに。
頬を伝うそれが止まらない。
悲しい。
さみしい。
それ以上考えるな。
気付いてしまう。
けれども止めることなどできなかった。
一緒に行きたかった。
ここに残らなくてはいけないという思いと、一緒に行きたいという気持ちは決して半分ずつではなかった。
だが、もう遅い。すけっちさんは行ってしまった。わたしが無理矢理行かせたのだ。すけっちさんに迷いを断ち切って欲しかったのではない。わたしが迷ってしまうから、あんなことをしたのだ。
固い地面に丸まった。わたしのことだ。一度眠れば落ち着くだろう。そうすれば辛くもなくなる。いや、起きていたくないだけだ。起きていればずっとさみしい思いをしなければならない。できることならもうずっと眠ったままでいたい。そうすればヒトがここに来たときに起こしてくれるだろう。
でも、ちっとも眠くならなかった。頭の中はぐちゃぐちゃで、身体も疲れているはずなのに。
そのままずっとじっとしていた。背中に荷物の感触を感じながら。
太陽が赤色になって大きく見える。お腹がすいているけれど、ジャパリまんは食べたくなかった。起き上がってかばんを漁る気力が残っていないのもある。
このまま夜になれば眠れるだろうか。わたしはすけっちさんの匂いを思い出していた。そこから声と顔も連想する。あののりものを描いたやつをもらっておけば良かった。
ふと、聞き慣れた高い音が耳に入る。でも確かめようと身体を起こすことはしなかった。そんなはずはないからだ。たぶんすけっちさんを思い出していたから、一緒に『ばいく』の音も思い出したのだろう。
でも、それはどんどん大きくなってくる。しかし、ふとその音が消えた。
ただの勘違いだったのだ。
すけっちさんの匂いを感じなければそう思っただろう。
わたしはゆっくりと身体を起こして匂いのする方を向いた。
「どうして、戻ってきたんですか」
また会えて嬉しいなんて思わなかった。辛い思いをしてあんなことをしたのに、ニコニコと笑っているすけっちさんを見て、怒りさえ湧いてきた。お家がなくなったときは湧かなかったのに。
どうして分かってくれないのだ。ヒトは時々よく分からない行動をする。
「どこかにいってよ!」
わたしは牙を剥きだして威嚇する。今度は本気だった。本当に傷つけてやると思っていた。
「嫌だね」
でも、すけっちさんはいつもの落ち着いた口調でいった。
「役に立つかもしれないって私はいったよね?」
何をいっているのか分からず、わたしは眉をひそめた。よく見ると毛皮が土で汚れている。
「まあ見てよ。ついてきて」
彼女が手招きをしてから背を向ける。あまりにも隙だらけだった。だけど攻撃できなかった。少し距離を置いてついていった。
隠れるようにして『ばいく』が置かれている。
それにわたしがのりものだと間違えた木の箱にまんまるがついたやつがくっついていた。太い紐で固定してあるらしい。
「どうも重量オーバーでサスペンションが――じゃなくて、これでイエイヌさんも荷物も乗せて都市区に行けるよ」
それを聞いてわたしは飛びついた。攻撃のつもりではなく、ただ単に抱きつきたくなったからだ。
「うわあ!?」
わたしの勢いにバランスを崩して倒れる。
「ごめんなさい……」
当てがあると嘘をいったこと。
爪を出してラッキーさんを驚かせて無理矢理ここから追い出したこと。
戻ってきてくれたのに威嚇したこと。
すけっちさんは何もいわず、ぎゅっと抱きしめてくれた。
凍っていた心が溶けていくのが分かった。溶けてかさが増し、溢れた何かがこぼれ落ちて頬を伝う。すけっちさんはそれをやさしく拭ってくれた。
その行動が、またわたしを溶かす。
無意識にわたしは彼女に抱きついていた。小さな身体なのに、大きいのはわたしのほうなのに、なぜだか包まれている気がした。