けれど、真摯にお願いするその声を聞いてしまうと、断れない。
言われるままに受け止めて、彼女の歯を受け入れた。
まどかが、私の首に歯を立てている。
正座した私に正面から抱きついている。私を絡め取る様な姿勢だ。
かぷ、という音が聞こえそうなくらいの甘噛み。痛みは全くなく、むしろまどかの呼吸や唇の感触は気持ち良さすらあった。
位置から言って、まどかの顔は見えない。代わりに肩や、背中はよく見える。
小さくてかわいらしい肩と、なだらかなカーブを描く背中。それに、絹より繊細で柔らかな髪は、リボンを外したが為に滝めいて流れている。まどかの存在感が強すぎて、頭がくらくらしてきた。
「ん、あう」
まどかが口から漏らす音は満足げだ。喜んでくれているなら良かった。
皮膚に触れる歯の感触は健康なエナメル質のそれであり、冷たい刃となって私の皮を貫いたりはしない。どうだろう。口腔を伝って全身に広がる、あたたかな気配は瞬く間に私を侵略し、すっかり虜にしてしまう。
肩の上に手を置いて、そこからゆっくりと背中まで下ろしていく。それを何度か繰り返し、さすってみる。服の上からでも分かるまどかの生体反応。これが極上の喜びとなって私をいっぱいにした。
まどかは嬉しそうに震えた。良い反応が貰えて、私も楽しくなってくる。
しかし、まどかのお部屋で、しかもベッドの上でこんな事をしていて、お父様やお母様が見たらどういう風な反応をされてしまうだろうか?
万が一知られてしまった時の事を思うと、素直に楽しみきるわけにもいかない。
第一、私自身も今の状況をよく分かっていないのだ。
どういう経緯でこうなったのかは覚えている。
まどかが、私の首を噛んでみたいとお願いしてくれたからだ。
なぜそんなお願いをされたのかは、全く分からなかった。
「あの……まどか?」
恐る恐る尋ねてみると、まどかは首に噛みついたまま答えた。
「ひゃに? ほふらひゃん」
「……その、ね、どうしてわたしの首を?」
「んぅー……うん」
まどかはようやく口を離し、代わりとばかりに顔を近付けてくる。
深い優しさを秘めた瞳に、柔らかいほっぺたと唇。どれもまどかの大切な魅力だ。
今日のまどかはとっても悪い子で、悪戯好きそうな雰囲気を纏って私を押した。
「ひゃっ」
されるがままでベッドの上に倒れると、まどかは座って私を見下ろした。調理されるのを待っている気分だ。このままお腹を捌かれても、ちっとも惜しいとは思わない。
彼女が頬を撫でてくる。優しすぎる手つきで私のほっぺたをとろけさせる。
スープの具材になるくらいとろけた所で、やっと理由を教えてくれた。
「ほむらちゃんが美味しそうだと思って」
「お、おいしそう? かしら」
何が美味しそうなのか、まるで分からない。
でも、まどかは本当に美味しい物を食べた風で、舌でぺろりと唇を撫でた。
「実際には、味なんてしないと思うわ」
「ん……でも、ほむらちゃんの味はおいしいよ?」
自分の身体を確認しても、ただの人間の肉体だ。お菓子で出来ていたりはしない。
魔法を使えば可能かもしれないが、普通の手段で買いに行って渡す方がずっと良い。
食べたいのなら私のお金で買うけれど、そういう事ではなさそうだった。
「むしろ、汗でしょっぱかったりしないかしら」
「うーん……」
何やら口を閉じ、まどかは次の言葉に迷っていた。
じっと待っていると、やがて思いついたとばかりに手を叩く。
「じゃあ、実はわたしって吸血鬼だから、ほむらちゃんみたいに綺麗な女の子の血を飲むのが大好きで、毎日飲まないとお腹が減っちゃう、っていうのはどう?」
歯を見せて笑ってくれる。
少なくとも犬歯は普通だ。人の生き血を啜る構造には見えない。
むしろ、毎日しっかり丁寧に磨かれた歯は白くて、柔らかそうな口の中を彩っていた。
「いくらまどかの言う事でも、嘘にしか聞こえないわ」
「そうかな? でも、もし本当だったら?」
「私の血なら幾らでも飲んで構わないわ。まどかを餓死させなくて済むものね」
微妙な顔をされてしまった。
冗談だと分かっていて乗ったけれど、まどかは真に受けている。
あまりそういう冗談を言う事がないから、本気にされてしまった。
私以上に困り顔のまどかを見ていると、悪魔的な発想が浮かんできた。本当に吸って貰っても一向に構わないから、余計な悪戯心まで湧いてくる。
そうと決まればと上着を脱いで、シャツ一枚になった。
「少し待って」
シャツのボタンに手をかける。
ボタンを四つ、腹部の付近まで開けて左肩をはだけてみせると、まどかは目を丸くした。
改めて自分の肌を見ても、相変わらず不健康な肌色だった。
これでも少しは太陽にあたっているし、まどかが外に連れ出してくれるから多少は健康的になるかと思ったけれど、まるで変わっていない。肩からは鎖骨がかなり浮いていて、水でも飲めそうなお皿が出来ている。記憶の中のまどかの肩より肉も魅力も薄かった。
「ほら、まどか」
固まっているまどかに向けて、その肩を差し出した。微笑むのも忘れない。
全部冗談だけれど、自分を偽ったり仮面を被ったりは今更慣れている。
「恐らくは、ここが一番血の飲みやすい所よ。怪我をした事があるから知ってるわ。飲みたいなら幾らでも飲んでね。まどかになら何時でも差し出すわ」
「え、あの」
残念ながら、まどかは心底困り果てた様子だ。冗談なのに。
良い反応は貰えなかったのは、とても残念だった。
「あのね、ほむらちゃん。例え話だよ……?」
「……もちろん冗談よ」
目を逸らして答えた。
万が一に本当だったとしても迷わず同じ事をするが、少なくとも今は冗談だ。
まどかはホッと息を吐き、小さく頷いてくれた。
「もー、びっくりしちゃったよ。風邪ひいちゃうから、ちゃんと着ないとね」
まどかが手を伸ばして、ボタンを留めてくれた。
彼女の手つきは慣れていて、機嫌良く服を直してくれる。優しい手つきだから警戒もできず、身を任せた。丁寧に襟まで直して貰って、私がやるよりずっと綺麗に整えられている。
寝転がったまま甘やかされていると、赤ちゃんになった様な気がした。
「首にハチミツを塗ったらもっと美味しいかも。塗ってみよっか?」
「そ、そう。まどかが、その、やりたいのなら……? 構わないけれど……」
まどかは眉を下げた。
「嫌って言って良いんだよ?」
「いえ、別に嫌じゃないわ。ビックリしただけよ」
私の首にどれほどの価値があるのかはよく分からないが、まどかが望むなら嫌は決してない。
「私から力を取り返したいのなら、そんな事をしても徒労でしかないわ」なんて、口について出かけた言葉を呑み込んだ。そんな事を言ったって、まどかを困らせるだけだから。
「ほむらちゃん?」
「なんでもない」
「んー……そっか。それじゃあ、えいっ!」
まどかが胸の中に潜り込んでくる。
一気に広がった幸せの暴風に押し潰され、ベッドのシーツ代わりにまどかを受け止めた。
甘えるように笑い声をあげた彼女が、体中を私にこすりつけてくる。感じる体重はとても健康的で、大体……キロくらいだろうか。重さよりも安心が勝った。無理なダイエットなんかさせたくない。
まどかに乗られている。不快感は少しもなく、彼女に甘えて貰えるのが気持ちいい。
「もう私の首は噛まなくて良いの?」
「……ちょっとだけしたいかも」
動かず待っていたら、まどかは首筋を撫で回してくる。
温かな指が私を慈しんでいる。まるでマッサージ。血の巡りが良くなりそうだった。
抵抗する気はまるで起きない。
喜んでくれるのなら血でも何でも吸って欲しい。望むままにじっと待った。
耳元に彼女の吐息が近づいてくる。改めて考えてみると、なんて状況だろうか。恥ずかしくなり、きゅっと目を瞑って我慢した。
だけど、まどかは一向に首へ歯を立てようとしない。黙って、眉を寄せている。
「……ほむらちゃん」
「え?」
「少しは、嫌だって言って良いんだよ? やりたくないならそう言っていいの」
囁き声に目を開けると、まどかは切なそうにしていた。
「ほむらちゃんは、自分の事をもっと大事にした方がいいよ……? 嫌な事はちゃんと嫌って言わないと……」
「検討しておくわ」
「あのね、ほむらちゃん。それは全然検討してる感じじゃない」
険しい顔を作っている。
気にしてくれるのはとても嬉しい。優しくして貰えるだけで心がふわふわ浮いた。
「大丈夫よ。貴女とこういうスキンシップを取れるのは嬉しいから。本当に、何一つ我慢していないわ」
「でも……」
「いいから。まどか……いいから」
寝たまま、まどかを腕の中にたぐり寄せた。抵抗されないように背中へ手を回して、背骨のラインを抱きしめた。
太ってはいなかった。程よく細くて柔らかい。抱き心地の良さはぬいぐるみなんて遥かに超える。
私に触られるだけ触られて、まどかかは意を決した風に応えた。
「……じゃあ、本当にしちゃうよ?」
「ええ、まどかの好きなようにしてね」
頭を傾け、首を見えやすい位置へ運ぶと、まどかはまじまじとこちらを見つめていた。絶対に無いが本当に吸血鬼だったらどうしよう。望んでくれるのなら、身体の血を全部飲まれても私は一つも嫌じゃない。
「じゃあ、いただきます」
「……」
両手を合わせて挨拶し、まどかはゆっくりと首に触れてきた。
ぴく、と震えていると、頭をゆっくりと揉んでくれる。安心感が満ち足りて、身体の力が瞬く間に抜けていく。
全身が脱力して、僅かな抵抗感もない。完全にまどかの為のおもちゃになる。
襟を僅かにめくられて、まどかの唇が近づいた。思いきった様子で、勢いよく。
「あむっ」
思いのほか歯が深く刺さる。一瞬の痛み。
「っ……」
「あ、ご、ごめんね!」
私からの拘束が緩んだ途端、ばっとまどかは慌てて離れた。
「ごめんなさい!」
ひどく青ざめていた。
起き上がって首筋に触れると、僅かに赤い血がついていた。悪魔でも血は赤いらしい。ぼんやり血を眺めているだけで、痛みはもう殆ど無くなっていた。
「消毒しなきゃ! 待って、すぐに消毒液持ってくるから」
「待って」
手早く服の裾を掴んで、足を止めさせた。私の事なんかでそこまで必死にならなくてもいい。慌てたまどかが万が一にも怪我をする方が遙かに恐ろしい。
こんな傷くらいで狼狽させてしまうのは、あまり嬉しくなかった。
「心配は要らないわ。私は魔法少女だし、悪魔よ」
「でも、ほむらちゃんはほむらちゃんだよ」
「そうね。でも、見て。問題ないわ」
首を傾けつつ、魔法で肉体を修理。一瞬で傷は消え、微かな痛みもなくなった。
「ね」
「う……け、けど」
それでも納得してくれなかった。むしろ、もっと心配そうに駆け寄って、私の両手を握っている。
心配のしすぎだ。まどかだって、かつて魔法少女だった記憶を持っている。この程度の怪我なら多少なりともあった筈なのに。
傷も血もすっかり消えた首をもう一度はっきりと見せて、まどかによく確認して貰う。それから、気にしてないよと微笑みかけた。
「平気よ。もっと凄い怪我をした事もある」
「けど痛かったよね……?」
「降ってきたコンクリートに足を潰された事もあるわ。これくらい問題じゃないし、あなたが気にする事でもない。それよりも、うがいをした方がいいわね。私の血が口に入ってしまったでしょう?」
「でも」
まだ何か言いたげだけれど、私は先んじて頭を下げた。
「洗ってきて、まどか……私からのお願い」
「う、うん」
念押しをしたからか、素直に従ってくれる。私の首にちらと視線を送りつつも、反論はせずに部屋から出て行った。
良かった。私の血なんかを身体に入れるなんて絶対によくないのだ。
私一人になると、まどかの部屋がどこか寂しく見えてくる。いっぱいのぬいぐるみと、綺麗に整頓された、まさしく彼女のお部屋だ。ベッドも柔らかで、寝心地は素晴らしかった。
ここも、かつては誰も居ない空っぽの部屋だったのかもしれない。
私がした事は間違っているのは、決して変わらない。自分でもはっきりとそう思うし、まどかもそう言っていたし、それでもやると決めたから私は悪魔なのだ。
だけれど。
まどかの家に初めてお邪魔して、私は見たんだ。
綺麗な家の中で、お父様が料理をして、お母様がコーヒーを飲んで、タツヤくんがお絵かきをする。その輪の中にまどかはきちんと存在して、家族の一人として笑いかけられ、笑っていた。
一度失われた筈の光景が、幸せが、私の前に広がっていたんだ。
最初から後悔なんか一度もしていない。まどかの人生を引き戻せたのだから。
だけど、あの瞬間ほど「悪魔になってよかった」と思った事はなかった。まどかが登校してきた日の喜びを遙かに超えて轟き、天まで届くくらい嬉しかった。はじめて、自分の選択に胸を張って良いと思えた。
こんなにも幸せなご家族の元に、まどかを連れ戻せたんだから。
だから私はどんな手を使ってでも、どれほどまどかの優しさにつけ込んででも、この世界を維持しなければならなかった。誰を犠牲にしてでも、まどかと、まどかの周りの人々の未来を守らなきゃいけなかった。
誰かの為じゃない。私がそうあって欲しいから。まどかを失った世界を知っているから、もう失って欲しくない。私自身だけではなく、まどかの友達にも、家族にも。まどかを失った世界を知って欲しくないんだ。
私にとって、まどかの居てくれるこの世界はすごく幸せだった。例え、私自身がまどかの名前を呼べなくなったとしても良いと、そう思えるくらいに幸せだった。
目を瞑るだけで思い出す。身を切るほどの世界の寒さも、空虚な痛みも。決して忘れはしない。まどかの居ないあの寂しさは、耐えがたい程に苦しかったんだ。
鏡に映る自分を眺める。
「あっ」驚いて、少し声をあげてしまった。
首に傷はない。血もついていない。しかし、傷を治癒しても残る、まどかの歯形と唇の痕が、うっすらと。
「……なるほど」
まどかの心配そうな反応は、これが原因だろうか。
歯形に触れると、唾液の痕で湿っていた。
まどかは嫌がるだろうけど、私はその痕を残しておきたいと思った。自分の身体にまどかの痕跡を残したいんだ。
今や彼女は人間に戻ったが、しかし、その事実をこうして刻みつけておくと、その喜びは余計に大きくなる。どんなに些細な物であっても、それは、まどかがここにいるという証だから。
自分でもおかしな感覚なのは分かる。
だけど、やっぱりまどかの居ない世界は寂しすぎた。取り戻せた今だからこそ、素直にそれが認められる。実感できる物を残しておきたいというのは、私の欲望だった。
けれど、残しておくのは無理そうだ。薄ら残っているだけでは数日もしない内に消えてしまうだろう。
いっそ深く噛んでもらって、傷として残ってしまえばいいのに。
あの子の心を傷つけてしまうから、頼むことはないけれど。
うっすら笑う自分の顔を眺めていると、階段を上がってくる音が聞こえた。まどかが戻ってきている。襟を直して歯形をこっそり隠し、まどかを迎え入れた。
「あの、お待たせ」
「お帰りなさい」
目線を落として、俯かれてしまった。私はまどかにお帰りが言えるだけで幸せなのに、この喜びはやっぱり届かない。
「ごめんね、本当に……」
「まどか、自分を責めているならやめて」
「っ……」
何か言おうとするが、私はその声を遮った。
「大丈夫だよ、私は、まどかのお願いくらい聞いてあげられるし、大抵の事は平気なの。だって私、悪魔なんだよ? まどかとは、違う生き物なの」
私から、まどかの手を握りに行った。そんな事が許されるだろうか。いや、構わない。安心して貰いたいんだ。
私は、まどかに、安心して貰いたい。
「毎日が凄く明るいの。まどか、貴女が無事に笑ってくれるだけで、私は自分の何もかもが報われた気がする。だからちっとも怒ってない。そして、貴女も気にする必要なんかない。まどかのせいになる事なんて、どこにもないのよ」
「ね?」と念押ししてから、彼女の指を絡めた。程よい柔らかさで、骨張った風には感じない。
しかし、まどかは切ない顔のままだった。むしろ余計に悲しげですらあった。
「……」
「……」
何を言って良いのか分からないまま、時間だけが過ぎていく。
時計がちょうど八時を指して、小さな音が鳴った。やっとまどかが動き出し、何も言わずに私を引っ張って、再びベッドへ連れ込んだ。
どちらともなくお布団を引っ張り、思い切り被る。背景がお布団で隠れ、顔だけがよく見える。小さなお口が弧を描き、血色の良いほっぺたはほんのりと赤い。
まどかが私の胸にころんと転がり込んできて、顔がすごく近づいた。
もっと身を寄せてきて、鼻先が当たるくらい近づく。お互いの吐息が混ざり合っている気がした。
二人で被っているからか、お布団の中が徐々に熱を帯びてくる。
この中だけは真夏の気分で、まどかの額にほんのり汗が浮かんでいた。離れるか、布団を剥がせば良いというのに、なぜか動けない。
「……ほむらちゃん」
「なあに?」
「ほむらちゃんは、これからどうするの?」
「これから?」
どれの事だろうか。
まどかを眺められるだけで十分だから、後は何も決めていなかった。
「例えば……気になる男の子とか、行きたい学校とか、仕事とか。そういうの」
「そう事なら、どれも考えていないわ」
ただでさえ、未来の事など私は持ち合わせていない。恋愛なんて私には全く関わり合いのないものだ。まどかを助ける為に全てを裏切って踏みにじった癖に、今更人並みの人生を送ろうなんて望む方がどうかしている。
そんな事を聞くというのだから、まどかには気になる男の子が居るのだろうか。良い人なら出来る限り応援する。
しかし、当人はひどく悩ましげな雰囲気だ。そういう浮ついた空気には全く見えない。
「……じゃあ友達は? 3年になったら、新しい友達を作るとかどう?」
「検討するわ」
明るく前向きな提案に、私はちゃんと乗れなかった。
まどかも疑わしげだ。
「本当に、考えてくれるの?」
「どうかしらね」
正確には答えられなかった。嘘は言いたくない。
未来も、希望だって本当は要らない。自分の未来なんてどうなったって、まどかさえ幸せなら何でもいい。今、まどかは人を愛し、愛されている。これを維持する以外の事なんて、どうなったって構わない。
そんな私の生き方を心配してくれるのは本当に嬉しくて。私には余りにももったいない。だから気にしなくていいのに、彼女はいつも、私の事を気にかけてくれるんだ。
「私は……貴女だけで十分よ」
「う、うん。ありがとう」
本当の気持ちを告げても、まどかは薄く微笑むだけだった。
「けど、でもね……えっと……」
何か言おうとして、また口を閉ざしてしまう。
まどかが言いたい事をまとめるまで、彼女の背中を撫でて待つ。
「そうだっ……!」
思いついたのか、まどかが私の肩を掴んだ。
「どうしたの?」
「急な事だけど、お願いしても良い?」
「え、ええ。もちろんよ」
話をするにはあまりにも顔が近すぎる。うっかり鼻先が触れ合ってしまった。
声こそ出さなかったけれど、危うく飛び上がりそうだった。
まどかは頭一つ分くらいの距離を作り、落ち着いた所で話し出した。
「まずは聞かせて」
「今度のバレンタインの……放課後から夕方くらいの間にね、ほむらちゃんが入院してた病院の屋上へ行って貰えるかな?」
全く予想だにしないお願いだった。
断る理由はないけれど、しかし、意味も分からない。
顔に出ていたのか、まどかはゆっくりとした口調で説明してくれた。
「実は、助けて欲しい子がいるの。色々あって、凄く落ち込んでるだろうから……その子、きっとほむらちゃんと気が合うから、少しで良いの、お話ししてくれないかな?」
口が近すぎて、声がダイレクトに響く。
話している内容も頭には入っている。けど、まどかの声という音色が、意味よりも先に癒やしとなって浸透する。形容できない気持ちの良さは全身に回り、自然と不安が無くなった。
彼女と私の間には何一つの壁もない。お布団の中の熱は更に高まっているのに、剥がそうとする動きは全く起きなかった。
「つまり、助けて、話をして、出来れば友好関係を築けばいいのね」
「うんうん。そういう感じ。どうかな?」
断られる可能性が浮かんでいるのだろうか、こちらを覗き込んでくる。
そんな心配は一切不要。この程度の事で、私がまどかのお願いを無碍にできる筈も無い。
「まどかが望むのなら、断る理由は無いわね」
ぱあっと顔が明るくなった。この表情になってくれるだけでも、聞いた甲斐があった。
誰の事かは知らないけれど、まどかの大切な友達なのだろうか。
「ありがとうっ。こう、手を掴んであげてね。手を差し伸べるだけだと、きっと逃げちゃう。あ、せっかくのバレンタインなんだから、チョコレートをあげるのもいいかも」
「分かったわ。ついでに買っておくわね」まどかにあげる物のついでだ。
機嫌良く頷いてくれて、私も満たされた気分だった。
私に気が合うとは、どんな人なのだろうか。よほど酷い人か、それとも、まどかみたいに素敵な良い子か。
疑問ではあったけれど、会えばきっと分かるだろう。私はまどかを信じてる。
「本当に、仲良くしてあげて。きっと、気が合う筈だから」
「ええ。もちろんよ」
そうは言ったけれど、こんな鈍い私でも、そこまで言われれば意図は分かってしまう。
友達のいない私の為に、新しい友達と出会う機会をくれたんだ。
まどかさえ無事で居てさえくれれば、私には友達なんて必要ないのに。
「……」
でも、まどかは気にしてくれた。感謝と、愛しさが膨張する。
まどかの右足と私の左足が絡み合い、その間に私達の手が挟まった。まどかが手を離しても、私が手を離しても、もつれた足が離さない。
「足、やっぱり細いね」なんて褒めてくれる。
私なんかよりも、まどかの足はちょうどいい細さで弾力があるのに。自分の魅力をもっと分かって欲しかった。
まどかは私を、魅力的だと言ってくれる。お世辞でもなんでもなく、目をきらきら輝かせて、夢中になって褒めてくれる。
それを聞く度に、まどかの方がずっと素敵なのに、と思うのだ。
「まどかは……」
「うん?」
私の事を許しているの? なんて、問いかけることはできなかった。
口にしかけた言葉を飲み込んだからか、まどかは不思議そうにしていた。
「えっと、まどかは。ごめんなさい、じっとしてて」
誤魔化そう。そんな気持ちで、まどかの首に顔を近付けていた。
「はむ」
「ひうっ」
一切歯を立てず、口元だけをつけた。汗ばんていて、ほんのりしょっぱい気がした。
すごく慌てているけれど、そんな所もまたかわいい。
「仕返しよ」
「……えへへ」
嫌がられはしなかった。むしろ、もっと身体を近付けてくれる。
お互いのほっぺたがぶつかり合った。柔らかくって、心地よい。
ごろん、ごろんと抱き合ったままベッドの上で転がって、危うくベッドから落ちそうになったけれど、まどかが引っ張り戻してくれた。
「んー。このまま寝ちゃおっか」
「まだ少し早くないかしら」
「大丈夫だよ。明日も学校はお休みだし……」
お布団の中で、私達はほとんど一体化しかけていた。足も腕も絡み合い、顔はもうすぐ目の前だ。形の良い睫毛の一本までよく見える。
歯形の残る首に、優しく触れてくれる。うなじに指が通り、くすぐったくて声が出そうだった。
「ほむらちゃんも、わたしにやりたい事とか、遠慮せずにやっていいんだよ。もっと仕返していいよ?」
まどかは自分の首を見せた。噛みたかったら噛んでもいい。そういうつもりらしい。
もちろん、そんなつもりはない。でも、その気持ちは受け取った。
「あなたって……本当に、優しすぎるわ」
抱きしめたまま、お布団の中で囁いた。熱が籠もっていくのに、ちっとも離れようと思えない。
私に甘えてくれたり、私が甘えるのを許して貰える時間はどこまでも心が弾んで、感激して余計な事まで言ってしまう。まどかが私を求めてくれる。必要としてくれるのが、こんなに嬉しいなんて。
こんな風にまどかのお部屋で一緒に過ごしていると、自分がまどかに何をして、どれほど彼女の慈悲を踏みにじったのかが、取るに足らない過去の出来事に思えてしまう。
そんな自分の都合の良さは許せなくて、だけど、まどかの前では決して見せられない。
私は、まどかの優しさにつけ込んで、何度もお願いし続けて、説得して、泣き落として、なりふり構わずまどかに留まって貰った。私とまどかが戦えば、勝敗は明らかだったから。
それからだった、まどかが私に、変なお願いをし始めたのは。
まどかは私を怒らせたいのか、はたまた助けようとしているのか、まるで分からない。ただ一つはっきりしているのは、友達として傍に居る事をまだ望んでくれているという事実だけだった。
「本当に……貴女は、優しすぎるわ」
手を腰に回すと、同じようにまどかが応えてくれる。細くてかわいいお腹周り。ダイエットなんて絶対に必要ない。
額が合わさり、目を瞑ると彼女の思念が通り抜ける。そんな気がした。
まどかはより腕の力を強めた。無意識なのか、ちょっとだけ痛い。
けれど、その手つきはどこまでも、どこまでも私を慈しんでいた。
前の短編で暁美さんをあんな目に遭わせて、平成の最後に書いた暁美さんがそれで終わりだなんて嫌だなと思ったので、最後はやっぱりまどほむしようなんて思いました
ただ、なんですかね、自分で言うのもなんですが、なんだか気恥ずかしいような、そうでもないような。ちょっとエッチな空気になってしまったと思います。