ベランダに出ると、すっかり暖かくなった風が頬を撫でる。
あの後、普通に練習を終えてその日は解散になったけれど、やっぱりみんなあの時のことが引っかかっているみたいで、浮かない顔をしていた。
氷川さんのあの目、まるであの時の私のようで。ずっと追いかけてきたものとは違う輝きを見つけてしまって、どちらを選べばいいのかわからなくなってしまった。
千歌ちゃんのように、背中を押してくれる人が彼女にも居てくれたらいいのにって、そう思っていた。
「梨子ちゃん、考え事?」
「千歌ちゃん、見てたなら声かけてくれてもいいじゃない」
「だって、凄い真剣そうな顔してたし」
「そんなに?」
「そんなに、だよ。やっぱり氷川さんの事?」
「うん……私もそういう事あったから。私の時みたいに背中を押してくれる誰かが彼女にも居てくれたらなって」
「……」
「千歌ちゃん?」
無言だけど、とてもいい笑顔を浮かべる千歌ちゃん、この太陽のような笑顔に何度私も救われたんだろう。
「いや〜、梨子ちゃんがまさか千歌の事そんな風に思っててくれたなんて!」
「ちょっと、茶化さないでよ」
「……でも、私も同じだよ」
「えっ?」
「廃校が決まって、スクールアイドルやる意味を見失ってた千歌に勇気をくれたのは、Aqoursのみんなと、浦の星のみんなだよ。だからそういう人達が、あの子に居てくれたらなって、そう思ってた」
「そっか、じゃあ同じね」
「うん、おんなじ」
でも、自分から一人になろうとしている彼女に手を差し伸べる人は……差し伸べられる人は居るのだろうか。声を届ける人は居るのだろうか。
「千歌ちゃんみたいな……」
「浦の星のみんなみたいな……」
「「そっか!」」
二人の声が重なる、きっと思っていることは同じ、だから同時に向き合って、目と目が合う。
「きっと他のみんなも同じ思いだよ!」
「そうね、だから明日、みんなで話し合った後に……ね?」
「うん、また明日!」
******
電気を消した部屋でベッドに腰掛けて、電話をかける。相手はもちろん月ちゃんだ。
今日の事、きっと話しておいた方がいいと思うから。それに、これからの事も。
「もしもし、曜ちゃん?」
2回目のコールが終わる前に月ちゃんの応答はあった、けどやっぱり少しだけ声は落ち込み気味で、心配だなぁ。
「あっ、月ちゃん? 今いいかな」
「それは、大事な話?」
「うん、大事な話」
「ライブの事?」
「半分正解かな、それと、吹奏楽部の事もね」
「吹奏楽部の……?」
「うん……今日練習中に、吹奏楽部の部長と出会ったんだけどね」
「……という訳で、それが辞めた理由みたい」
「そっか……でも、話してよかったの?」
「多分話しちゃいけなかったと思う、けど今からね、きっと大変になるから、月ちゃんには知っておいて欲しかったんだ」
「これから?」
「千歌ちゃんね、きっと今頃、凄いアイデアが出てると思うんだ」
「幼馴染の勘ってやつ?」
「ううん、私もね、きっと同じ思いだよ。だって氷川さん、きっと自分の本音を誰にも伝えてないもん、でも今から始めることって月ちゃんにも迷惑になるも思うから、曜ちゃん船長は先回りして連絡した次第であります!」
「……なんとなくわかった、けど本当に上手くいくの?」
「それは、やってみないとわからないかな。でも肝心なのはやれるかどうかじゃなくて、やりたいかどうかだよ! って千歌ちゃん言ってたし」
「やりたいかどうか……か、千歌ちゃんらしいね、それで僕はどうすればいいの?」
「それはね……」
こうして、私と月ちゃんの夜は過ぎていく。千歌ちゃんが、ううん、Aqoursが切り開いていく未来への希望を想像しながら。
******
天啓を得た、というのはきっとこういう事を言うのね。
今私は、広大な海から砂の一粒を探し出したように、或いは前世との繋がりにより運命の人を見つけたような、そんな高揚感に包まれている。
そう、まさに運命!
「ふふふ、よくぞ集まりましたリトルデーモンよ、今宵のサバトはまた一段と濃密な至福の時となるでしょう」
「善子ちゃん、自分でグループ通話かけておいていきなりそれはなんずら」
「えっと、あんまり遅くに通話してると怒られちゃうからなるべく短く済ませてくれるといい……かな」
「ちょっとなによ! いきなり雰囲気台無しじゃない!」
「台無しもなにもそういう雰囲気なのは善子ちゃんだけずら」
「くっ、多勢に無勢……一旦退却!」
「いーから、早く本題に入るずら〜」
「こんな時間に連絡してきたって事は、大事な用事なんだよね?」
「……そうよ、あんた達もあの吹奏楽部の部長の話、覚えてるでしょ」
「桜の音の話だよね……」
「一人でその音に到達するのに固執してしまっていたずら」
「でも、思い出だけを頼りに一つの音を目指すのって。多分、というか絶対難しいと思うのよね」
「それは……そうだよね」
「だからね、実際に聴いてみるのがいいと思うのよ」
「……うゅ?」
「善子ちゃん、部長さんはそれができなくなったから、桜の音を出したいって言ってるずらよ」
「そ、それくらいわかってるわよ!」
「じゃあ、どういうこと?」
「ふっふっふ、それは! なんと桜の音を出す事のできる人を見つけたかもしれないのよ!」
「ええっ!?」
「なんと!」
「偶然動画サイトで音楽関係の動画を見てたらそれっぽい話を見ただけなんだけどね、今向こうとコンタクトを取ってる途中よ」
「あっ、そういえば善子ちゃん、音楽の勉強してるって言ってたもんね!」
「素直に梨子ちゃんから教わればいいのに、恥ずかしがって独学で……でも、お手柄ずら」
「ふふん、そうでしょう、褒め称えてくれてもいいのよ」
「それで、出せる人が見つかったとして、それをどうやって部長さんに聞かせるずら?」
「ゔっ……それは、考えてなかったわ」
「相変わらず、変なところで詰めが甘いずらねぇ」
「じゃっ、じゃあずら丸はどうすればいいと思うのよ」
「それはね〜、吹奏楽部の皆さんずら!」
「それ! たしかにいいかも!」
「でも、あの子はもう吹奏楽部じゃないんでしょ? どうやって聞かせるのよ」
「善子ちゃん! あるよ、一つだけ方法が」
「吹奏楽部とAqoursが手を組んで、部長さんを説得できるただ一つの場を、月ちゃんが持ってきてくれたずら」
「あぁ……なるほど、いいわね、それ。じゃあ明日みんなに提案するの?」
「きっと、みんなも同じ事考えてるよ」
「……確かに、それもそうね」
ああ、なんて嬉しいんだろう。
天啓を得た、なんて喜んでいたら、私の親友二人はもっと大きなことを目論んでいて、私のアイデアを加えてさらに大きな事を成そうとしている。
きっと他のみんなも同じで、明日の放課後が楽しみね。
******
消えない。
何度叩いても、何度叩いても、消えない。
どうして? あんなにみんな一緒だったのに、皆で勝とうって約束したのに。
部長になった時、あんなに嬉しそうにしていたのに、無責任だよ。急に辞めるなんて。
みんなもみんなだよ、あれだけ真央ちゃんを頼りにしていたのに、私は新部長だから迷惑かけられないから言い出せないけど、誰も呼び戻そうって言いださないなんて、薄情だよ。
どれだけ叩いても、演奏してるのは大好きなバンドの大好きな曲なのに、テンションが上がらない。
「はぁ……はぁ……」
わかってる、部長がこんな時期に辞めるのなんて迷惑だよね。
結局今年の課題曲も決まってないし、世界のイチョウが主催のスプリングコンサートにも呼ばれてるのに、こんな時に辞めるなんてないよ。
今まで一緒に頑張って来たのに、お互いに悩みを話せる仲だと思っていたのに。
そう思っていたのは、私だけだったのかなぁ……。
「……あ、スティック、そろそろ買い換えないと」
一旦演奏を止めて立ち上がる、どれだけ長い事やっていたのだろうか、気づけば凄い汗で、足に力が入らずに膝をついてしまう。
「あ、そうだ……スクールアイドル部に迷惑かけちゃってるし、謝りに行かないと……私なんかが行っても嫌がられるかな、今更謝られても嫌かな、でも部長になったんだし、もっとしっかりしなきゃ」
まるで、自分自身の言葉が重しになったように、体が重く重くなって行って、立ち上がれない。
「水……欲しいな……」
私はまるで藁にでも縋るように、壁に手をついて這ってでも歩いた。まだ、まだ終われないから。