『生き残った女の子』という肩書きが、今ではとても重たいものに感じられる。
生き残ってしまった、生まれてきてしまった女の子。
それが偽物のシェリーの正体だった。
生きる価値とか、理由というものを、結局まったく見出せなかった。呪われた出生だったし、普通の人が人生の間に見つけるべきものを、しかしシェリーはこの二十年の間に見つけきれなかった。
死ぬべき理由ばかりが増えていく。
しかも今回与えられた理由は、もう、
──なら、もういい。
もういいんだ。
死ぬべき時に死ねるように。
皆んなには悪いけれど、死んでしまおう。だって、意味なんてないんだから。
「────っ、あ、れ……?」
そう、思っていたのに。
立ち竦む。
なんて事はない。両脚をかけるだけ。あと一歩、踏み出すだけでいい。それで終わる。全て終わる、のに。
(なんで、)
なんで、震えてる。
なんで、立ち竦む。
(分かっている)
いや、分かってしまった。
死を目前にしたこの土壇場に来て、最低最悪のエゴイスティックな感情を自覚した。
どうしようもなく醜い感情だ。セドリックも、シリウスも、クラウチジュニアも、ドビーも、クィレルも、コータローも、最後には覚悟に殉じて死んでいったのに。
私だけがそうしようなんて、許される筈がない。
「──わ、わたし、」
「どうしたの?死ぬんじゃなかったの?」
後ろからかけられる言葉が、どうしようもなく、この身に刺さってしまう。
やめろ。それを言ったら、この姉は困ってしまう。
友達に会うという二十年越しの夢を、本物のシェリーは叶えられなくなってしまう。
自分の身勝手な夢想によって、誰かではない、この本物のシェリーは踏み躙られてしまう。
「わたし……………!」
皆んなのために生きてきたじゃないか。
それと同じことを言うだけだ。
それだけ、なのに。
「死にたくない……」
くだらない想いが、胸を突いて出てしまう。
堰を切ったように、涙と一緒にまろび出る。
ハッとして、本物のシェリーの方へと向き直る。彼女はただ佇んでいるだけだ。青褪めて、口を閉じようとするけれど、もう、止めることはできない。
「ご、ごめん、ごめんなさい。すぐ、死ぬから。今死ぬから、お願い、聞かないで……!
死にたくない、死にたくない、死ぬのが怖い……!
なんで、なんで今になってこんなこと……!
皆んなに会いたい、もう一度会って話がしたい!戦いの話なんかじゃなくて、くだらない、意味のないことをずっと話してたい、ずっと……!
ごめん、ごめん……こんな時に……」
嗚咽を孕んだ声が、消えてくれない。
弱音が溢れて止まなくて。
気付けば、もう、全てを吐き出していた。
「ホグワーツだって本当はもっと通いたかった!皆んなと一緒に勉強したかった!ロンとチェスがしたい。紅茶を飲みながら、ネビルがお菓子を食べていて、フレッドとジョージに揶揄われて、パーシーに注意されて、夜更かしをしてマクゴナガル先生に怒られるまでずっと話してたい!
ハーマイオニーと遊びたい、旅がしたい。知らない土地の知らない文化を学んで、一緒に色々見て周りたい。他の学校の友達……ネロやリラ、ハヤトやタマモ達のところに遊びに行きたい!
ドラコともまだクィディッチがしたい。箒に乗ってどこまでも行ったら、ジニーやチョウが箒の追いかけっこしてる。下を見たらコルダがドラコを応援していて、アーニーやハンナやジャスティン達と喧嘩してるんだ。
疲れたらルーナとハグリッドの小屋でロックケーキを食べて、魔法生物のお世話をして、次の授業の準備をして、もっと、もっと、もっと……
……もっと皆んなと一緒にいたい……!!」
シェリーは両手両脚を地につけて、懺悔するように言葉を漏らす。最悪だ。本物のシェリーが、今一番困ることばかりを話している。弱音を吐いて、楽になるのは自分しかいないのに。
(一体、いつから私はこんなことを?)
──ずっと前から。
少なくとも、魔法省の戦いの時。
紅い力で寿命が削れるという話と、ヴォルデモートを倒すために死ななければならないという話を聞いて、胸が苦しくなった。死ぬべきだと思っていたのに、本当は死にたくなかった。
(ごめんなさい……ごめんなさい……
生きようとしてごめんなさい……)
「それでいいんだよ」
ぽん、と偽物のシェリーを頭を撫でた。
「やっと言えたね」
本物のシェリーは、その時、初めて、
──安心したように笑っていた。
「世界中の誰が貴方を否定したって、関係ない。
貴方が決めることだよ、シェリー。
生きたいなら生きればいい。
死にたいなら死ねばいい。
──どっちでも尊重するよ、私は」
「……でも、……でもっ。
その選択は、貴方を殺すことになる……」
「そうだね。貴方のやる事は誰からも褒められない」
感情を抜きにして考えれば、本物のシェリーを生かすべきだろう。彼女の目を見れば分かる。ヴォルデモートと戦う覚悟と資質があるのだ。偽物のシェリーを通してヴォルデモートの悪辣さを見てきたのだから、奴に対して抱いている怒りも同じ筈だ。
まして、偽物のシェリーのように過ごすのなら、代わることで生じる問題というものは全くない。もし周囲が違和感を抱いたとしても、気付ける要素などまるでないのだから。
逆に──偽物のシェリーである必要性など一切ない。
むしろ、自分を大切にしない分だけ本物のシェリーより劣っているとも言える。
「だからなに?そんなことは関係ない」
本物のシェリーはぴしゃりと言った。
「関係ない。関係ないのよ、シェリー。世界中を敵に回したって、貴方が幸せになれたのならその選択は間違ってない。……正解を選べという話じゃないの。
貴方が、その選択肢を誇りに思えるかどうかなの」
「違うッ!!」
偽物のシェリーは声をカラカラにして叫んだ。
受け入れる訳には、いかなかった。
「私は、貴方と一緒にいたい!!
貴方とも……もっと話したいんだ!!皆んなで、一緒に笑って話して……そこには、貴方もいる……!消えて欲しくないんだよ!!」
「困った子ね……」
眉を八の字にしながら、ふわりと包み込む。
……安心する自分が嫌になる。
とても優しくて、心が暖まってしまう。
「ずっと一緒よ、ここに。そうでしょ?」
いつだったか──ハーマイオニーがトイレで泣いていた時に、こんな話をしたことがある。
『小さい頃ね。男の子に意地悪されてた時、いつもこうやって、誰かに抱きしめてほしかったの。そんな人、いなかったから。毛布の中にくるまってたんだけど……』
『私は問題を解決する力も、意地悪した子に怒る度胸もないけれど。こういう時に何をしてほしいかくらいは、わかってる、つもりなんだ。私が、そうだったから。ね?ハーマイオニー』
『私は、今、ただの毛布かなんかだから。いつもの頑張り屋さんなハーマイオニーじゃなくって、弱音ばっかりの女の子でも、いいんだよ?』
「………うぇぇぇえええん………」
さんざ泣き腫らした後、偽物のシェリーは最後に熱烈なハグをして、そっと離れた。
泣きそうになるくらい優しい笑顔に、何だか救われたような心地がした。
「私は……こいつを連れて行く」
霧の向こう側。意識していなかったけれど、恐ろしく気味の悪い、弱々しく痩せ細った蛇のような顔をした赤ん坊が、微かに息をしていた。
それが何なのか、シェリー達は理解していた。
紅い力の残滓。分霊箱として分け与えられた、ヴォルデモートの魂そのものだ。
「ヴォルデモートの欠片……姉さん、あれは……、助けられないの?」
「無理よ。魂と人間性を汚損した者は、ゴーストになって現世へ留まることも、死後の世界に行くことも出来なくなってしまう。
まつろわぬ魂は
赤子は、ただ息をするだけで苦しそうにしていた。
本物のシェリーは、諦めを含んだ心持ちで、その様子を見ていた。
「あれは、私達には救えないもの」
魔法界が……人の差別と憎悪がヴォルデモートを生んでしまうのなら、いったい誰が彼を救えるのだろう。
「そして、救う必要のないもの」
シェリーは、トム・リドルがどのようにしてヴォルデモートになったかを知らない。
ダンブルドアから彼の話を聞いていないのだから、真実を知る由もない。本当の意味でヴォルデモートを理解できていない。
だから──どんな言葉をかけても、意味がない。
ヴォルデモートと分かち合う未来は、とうの昔にもう存在しなくなっているのだ。
「私は行く。貴方も生きなさい、シェリー。
知らないイフの話なんかに惑わされないで。
貴方が選んだ未来が、貴方にとっての真実なの」
「……うん」
「紅い力で寿命は削れてる。もってあと十年くらい。
……それでも」
「残された時間を、悔いなく生きる」
本物のシェリーはこくりと満足げに頷いた。
これから始まるのは、正真正銘、シェリーのためだけの物語。誰のためでもない、彼女のエゴによって執り行なわれるくだらない人生。
「……その、姉さん。……今更、何だか、ちょっと恥ずかしいんだけど……さ」
「なあに?」
そして終わるのは、意味のないストーリー。シェリーの頭の中だけで起きた、誰からも知られることのない意味のない問答。人生の余分そのものだ。
「……私のこと、見てて」
──だが覚えておくが良い。
その余分こそ、彼女に必要だったもの。
誰からも感知されることのなかった話こそ、シェリーという存在を生かし、意味を与えたもの。
「それじゃあ。シェリー」
「うん。行ってくる」
死とは長い一日の終わりに眠りにつくようなもの。
結局、きちんと整理された心を持つ者にとっては、死は次の大いなる冒険にすぎない。
だからぱぱっと、ふわりと、いつの間にか。
本物のシェリーを乗せて、その紅い汽車は煙の中に消えていった。
──がたん、ごとん。
揺れる車体は、本物のシェリーの心臓の音を表しているかのように穏やかだった。
「良かったの?顔を見せなくて」
「僕が出て行ったらややこしくなるだろ。
……それに何より、会いたくない」
古めかしい汽車の中には二人だけ。
一人分の距離を置いて、青年が座っていた。
くしゃくしゃの黒髪をした、青年だった。
「じゃあ、何でわざわざここまで来たのよ。
微かな繋がりを辿ってまで」
「それ」
青年は本物のシェリーの膝の上に置かれた、ヴォルデモートの残滓を指差した。
「君が連れて行くんなら、ヴォルデモートとの繋がりが切れてしまうだろ。そうしたらあいつの中に残ってる紅い力もなくなる。戦う力をなくしてしまう」
青年は丸眼鏡の縁を触ると、鼻を鳴らした。
「そんなの許さない。この僕を倒したんだ、ここでヴォルデモートにやられちゃ笑い話にもならない。
もう負けるなんて許してたまるかよ。あいつが勝たなきゃ僕の強さも証明されないんだからさ」
──だから、あげてきた。
自分が培ってきたものを、魔力を、全部。
シェリーに戦う力を与えるために、何もかもを。
「……面倒臭い男ね」
「お互い様さ。シェリーがみっともなく死にたくないなんて言って喚くのを期待してたんだろ?」
愛と呼ぶには歪んでいて、
エゴと呼ぶには、慈しみ深い。
「可愛くない弟」
「うるさい姉だ」
がたん、ごとん。
揺れる車体は、二人を遠いところに連れて行った。
▽▽▽▽▽▽
「……っ!シェリーさん!?」
目を覚ます。
意識が覚醒する。
全身に血が通って、痛みがあって、疲れている。
浴びる光は眩しくて、受ける感覚は少ししんどい。
それでも生きている。
私は生きている。
ちょっぴりの安心と、歓喜と、迸るほどの祝福を、その身に浴びた。
──リラが心配そうに覗き込んでいたのが分かる。
この瞬間、シェリー・ポッターは生まれ落ちた。
そして今この時から、彼女は歩き始める。
「──お待たせ……皆んな!!」
シェリーが自分の意思で生きたいって思い始めました。
この話のために今までがあったのかもしれねぇな…。
面倒臭い子だけどこれからもよろしくお願いします。