暗黒魔城は今──…ゆっくりと、少しずつ。
浮力を失って緩やかに墜落していた。
原因は言うまでもなく、ヴォルデモートが支離滅裂な状態になりながら放った魔力波。ウォーターカッターを思わせる鋭い切れ味の魔力が、暗黒魔城のどこか大切な部分を破壊したのだ。
「黒いどろどろがどこかに行ったと思ったら、今度は城全体が傾いて……! さっきから何が起きてるのかさっぱり分からない!」
「とにかく海に不時着させろ、下手に姿現しで外に出たら海にドボンだぞ!」
紅い力の幹部達を倒した後、ヴォルデモートが取る手段として考えられるものの一つに──城を壊して墜落させる手があったのは確かだ。
わざわざヴォルデモートが手を下さずとも、城ごと一気に纏めて墜落させてしまえば、それだけで不死鳥の騎士団は大打撃。壊滅状態に陥ってしまっていたことだろう。
それを奴がしなかった理由は、暗黒魔城には多大な予算を使っており、勝負には勝てても失うものが大きいと踏んだから。
それを今になって踏み切った理由は、それだけ奴が追い詰められているということ。
(シェリー、やったのか……?
信じていいのか? 勝てるって……!)
ロン・ウィーズリーは、こんな最悪とも呼ぶべき状況の中にあって、希望を見出し始めていた。
自分には分からないが……どこかで活路が開いた音が聞こえた気がした。ならば、死んで諦める選択肢など、ない。
「おい死喰い人ども、お前らも協力しろよな! 全員分の魔力を足してやっと無事な着水に足りるか足りないかだ! マジで頼むぞ!?」
「なっ、こっ、〜〜〜〜〜!!! こんな下賎な血の奴に……クソ………ッ クソ!!!」
「やってくれるんだなサンキュー! 本当なら杖なんて持たせたくないんだけどさ……!!」
とにかく今は人手が足りない。ジキルが片っ端から魔力を込めて杖を作って渡しているが、全員合わせても不安が残る人数だ。
無事に暗黒魔城を不時着させるための人員、不時着した後に再度死喰い人達を捕える人員、そして……
(対応が後手に回ってる……最悪だ……節目節目の判断をミスってる気がする……見通しが甘かった? いや今は反省してる場合じゃ……クソ……)
「何かを犠牲に勝利を掴むのはお得意だが、死なせないための戦いはまだ不得手かな? グリフィンドールらしいと言えば、らしいけどねえ」
「──!?」
喧騒の中、その飄々とした声が確かに聞こえた。
ロンは咄嗟に周囲を見渡すが、誰も彼もが対応に追われて走り回っている。どうやら今の声はロンにしか聞こえていなかったようだ。
「今のは……」
(まあいいさ。ともあれこのままじゃあ、こっちとしてもまったくつまらない結果になりそうだ)
「き、君は誰だってんだよ!? 気持ち悪い!」
(オイオイ! 気持ち悪いとは心外だねぇ、せっかく人が親切で手を貸してあげようっていうのにさ! 人の厚意は素直に受け取るもんだぜ、お坊ちゃん)
落ち着いた大人らしい中年の声だった。
捉えどころのない、人を煙に撒くような声色。感情的なようでいて、心の臓が冷たくなる独特の喋り方には、覚えがある。
「おっ……お前、まさか!」
(──ドロホフオジサンが手ぇ貸してやろうってんじゃねえのよ。聞くところによると、ロンドンも大変なことになってるらしいじゃねえの。
抜かりはねえさ……部下を向かわせといた)
かつてホグワーツで激闘を繰り広げた男、アントニン・ドロホフの声は、この時ばかりはどうにも頼もしく聞こえてならなかった。
「ドロホフ、お前どうやって……」
(どうやって? オジサン元々死喰い人よ? 完全な籠城の状態ならいざ知らず、大した防壁も貼れてない今の暗黒魔城の中に忍び込むくらい、どうってことねえのよ。おっと、姿を現さないのは大目に見てくれよな)
──『姿を見せたら、不要な火種を生む』
──『どうせ戦るなら、万全の状態で戦ろう』
「……、成程な。それで魔法で声だけ僕に飛ばしてるって訳かよ。いいぜ、お前をこき使ってやる絶好の機会を逃す手はないしな」
(そうこなくっちゃ! ああ、でも、ロナルド坊やがくだらねえ魔法を使うようなら、オジサンが直接喝を入れてやるよ)
「そっちこそ、魔法に失敗した時に腰が痛いって言い訳するなよな!」
「ロン! 貴方何していたの? 早く持ち場について準備して! 皆んな待ってるわよ!」
「ああ、今行く! ……やるぞ、皆んな!」
その魔法は、ロンにとって思い出深いものだ。
一年生の基礎で習う、どうってことはない、単純明快な初歩の魔法。
ただほんの少し発音が難しく、ロンは最初、散々手を焼かされたものだと思い返す。
──あれから、約十年。
長い長い時間が経った。
少年は男になり、少女は女になった。
「覚えてる? あの時のこと……」
「僕はよくミスったっけ」
「もう一度、あの時みたいなミスはしないでよ?」
「何年前だと思ってるのさ」
「そうよね? 貴方の十八番だものね、あれは」
「……発音、なんだっけ?」
「レヴィオーサ、よ? 貴方のは、レビオサー」
「ははっ……」
「……ふふっ」
魔法使い達は、杖を構える。
そして訪れるタイミング通りに……。
「「「ウィンガーディアム・レヴィオーサ!」」」
暗黒魔城が、再び浮力を取り戻す。
▽▽▽▽▽▽
「がッ……! くっ、強い……!」
分かっていたことだ。
そもそも覚醒以前の状態でさえ、ヴォルデモートと一対一では勝機はなかった。覚醒してからは尚更勝機などあろう筈もない。
空に浮かぶ瓦礫を蹴り、ヴォルデモートの攻撃をいなし、時には奴の背中に乗り、数々の攻撃という攻撃を躱していく。
(一撃一撃が必殺……ほんの少しでも選択肢を間違えたら即アウトだ)
「
「こっちの台詞だ──!!」
星の数ほども放たれた魔弾。
ここに邪魔者は一人だけ。全てを置き去りにして両者は激突し、互いが互いを踏みつけにする。
宇宙に一番近い場所で、笑ってしまえるくらいに瑣末な理由で。
(私が私であるために──)
機会を与えてもらったのだ。
ヴォルデモートを踏み躙って──誰かを置き去りにしてでも、生きる機会を。
与えられたモノを、満足に受け取りさえしてこなかった自分が、今こうして、生きたいと思っている。欲しているのだ。
心臓の熱が脈打つ。
はち切れんばかりだ。
ヴォルデモート? そんなもの、前座だ。
シェリー・ポッターの人生は、さっきようやく、始まったばかりなのだから──!
「それは貴様の奢りだ」
ヴォルデモートの巨大な漆黒の翅を死角から叩きつけられた痛みで、シェリーは呼吸の仕方を忘れてしまった。
血と一緒に意識までもが溢れ落ちそうになるのを何とか繋ぎ止める。そうしている間にも、焼けんばかりの熱線が次々と放たれる。
「俺様が貴様の生を呪ってやる。
俺様が貴様の死を祝ってやる」
心を読んでいる──のではない。
ヴォルデモートはシェリーを理解したのだ。
二人は環境も育ち方もよく似ていて……そして同族嫌悪というやつが湧き上がる、嫌いな相手だ。
「俺様はシェリー・ポッターを認めない。俺様という名の死が、理不尽が、恣意のままに、いやはての眠りを送ってやろう」
黝めく影の闇を従えて──天変地異さえ跪かせる翠緑の魔力が、満ちていく。
「この姿になってから、初めて見せるな──…」
小さな命の誕生、祝福あるべき幸福の刻。
それら全てを嘲笑うかのような、嘆きの歌。
「
驚くべきことに──ヴォルデモートにとって、ここからが、正真正銘の普通の攻撃だった。
「アバダケダブラ」
「──フリペンド!!!」
▽▽▽▽▽▽
ホグワーツ創設者がひとり、ゴドリック・グリフィンドールは語る。
「僕達は擬似的な復活を遂げる術式を開発する際に蘇りの石のメカニズムを利用しています。つまり奇しくもこの戦場には三つの『死を跳ね除けるペベレルの秘宝』が集まっているということです。
シェリーさんの透明マント。
ベガ君のニワトコの杖。
そして僕達の蘇りの石……この大きさでは、石というより結晶ですが……」
「ともあれ三つの秘宝が集まったことで、秘宝同士で共鳴が起きている。たがう魔力同士がぶつかり合えば不可思議な現象を起こすのは、魔法界においてままあることです」
「偶然か奇跡か、はたまた運命か」
「どれだけ知識を得ようとも、人の理解の及ばない現象というものは度々起こる。それが魔法界であれば尚更のこと。
……だからこそ、魔法は面白いんですよね」
▽▽▽▽▽▽
──何が起こっている?──
それは、シェリーとヴォルデモートの両者が頭に浮かべた疑問であった。
捨てれるだけの全てを捨てて、世界を掌の上に乗せんばかりの力を手に入れた闇の帝王の、死を齎らす必滅の翠の裁き。……その筈、だというのに。
死の極光と、紅の閃光が、拮抗している。
二つの光はぶつかり合う。
虚無の果てまで光が爆発する。
「杖を……使った……呪文……?」
──それは、いったい、誰の杖だ?
第一神器『虚の震天』は──…
何十、何百もの杖を生み出す魔法だった。
そのせいでシェリーとヴォルデモートは、今まで一度だって自分の杖同士で戦ったことがない。
何かが引っ掛かる。
何かが起きている。
「私とヴォルデモートの杖……」
──シェリーの放つ緋色の弾丸。
焼き尽くさんばかりの色彩が彼方の記憶を呼び醒まし、希望を連れてやって来る。
『なるほど、なるほど……興味深い。えぇ、不思議な事もあるものだ……』
『?』
『この杖に入っている不死鳥の羽は、ある持ち主の杖の物と、同じ素材のものを使っているのです。ある不死鳥が気前よく二つ羽を提供してくれましてな……』
『……それって』
『闇の帝王のものです』
シェリーとヴォルデモートの杖は芯に同じ不死鳥の尾羽根が使われている『兄弟杖』。
杖作りオリバンダーの研究によると兄弟杖の所有者が同じ敵に向かった際には、元の力の何倍もの力を発揮し、逆に向かい合わせようとすれば正常に働かず、無理に呪文をぶつけ合えば……
「がッ……!」
「ぐうっ……!」
紅と翠の魔力は弾かれ、風に舞い散る花弁が如く夜明け前の空に消えていく。
そして魔力は、蒼ばんで──魂を呼ぶ。
魂は人の形を取って、不敵に笑う。
彼の顔立ちも、髪のクセも、目の形も、シェリーはよく知っていた。
毎日見ていたわけではないが、それでも何度も何度も見ていた。家族を求めていたシェリーが、ほんの僅かな憧れを胸に抱き、憧憬の火を灯していた男の顔。
「死の間際に人は何を考えると思う?
大事な人の面影さ。
お前は一番にはなれないよ」
理解しようもないその光景に、シェリーとヴォルデモートの思考は空白と化す。しかしその意図を斟酌しないまま、男はやって来る。
「お前がシェリーを認めないなら、僕がシェリーを認めるさ。呪われた生で迷惑かけるって? 別にいいんじゃない? 若者の悪戯は許すものだぜ」
男の、その、姿は。
くしゃくしゃの黒髪で、
額に稲妻の形の傷はない、
眼鏡をかけた少年、いや、青年。
「前座は終わり、真打登場ってなァ!
──ジェームズ・ポッター様のお通りだァ!」