頭蓋骨を鑢で削られていくような激痛でコルダは目を覚ました。
カラカラに渇いた喉に水を流し込む。その瞬間吐き気が襲いかかったが、なんとか飲み込んだ。
ここは……医務室のようだ。目を覚ます前の出来事を思い出して、コルダはサッと血の気が引いた。自分が人狼であるのがバレてやしないだろうか……。
(……、後でそれとなく彼等に話を聞きましょう。今は……ルーピン先生が狼になって約一時間後、ですか。ッッ!痛い……)
どうやら浅い眠りだったようだ。他に医務室にいるのはロナルド・ウィーズリーだけで、マダム・ポンフリーは席を外しているようだった。
割れるような痛みが頭を襲う。ああ、またこの苦しみに耐えなければならない。コルダは孤独を感じた。
愛しの兄に会いたい……。
(………お兄様達は、今どこに?)
コルダは嫌な予感がした。
ルーピンが狼になった時、あの場にはシェリーとハーマイオニーも居合わせていたはず。怪我の大小はあれど、彼女達も医務室に運び込まれていないとおかしい。
なのにここにいるのはロナルド・ウィーズリーだけ。
コルダの予感は的中していた。
──今はシェリー達が『時間転移』してから、約数分後のことだ。
シェリー達は一時間前にタイムスリップして、そこからシリウスを助けたりペティグリューを追ったりとそれぞれ奔走しているのだが、そこから一時間経っても彼等は医務室に帰って来ていないのである。
つまり、計画が上手くいっていない。
もはやタイムパラドックスも何もない。
このままでは、彼等は死ぬ。
その事実を知らなかったが、コルダは、何かまずいという恐怖を感じていた。
──彼等を助けなければ。
「ロ、ロナルド・ウィーズリー…、お、起きてますか?すみませんが、本当にすみませんが、私が外に出るのを手伝ってくれませんか……」
▽▽▽▽▽▽
大型犬になれるシリウスが前衛でマクネアと戦い、後衛でシェリーとハーマイオニーが攻撃する。
シンプルだが理想的な陣形の筈だった。
だが、実際にはシェリー達の攻撃は彼に全く当たらなかった。霞に向かって攻撃しているような手応えのなさ。シリウスが近距離で攻撃しても空間が歪むだけで、透かされているようだった。
「妙だわ、この敵!」
「うん何かおかしいね!」
「攻撃当たらないわ!」
「うん全然当たらないね!」
「くそッ、おそらく魔法で虚像を作っているのだ!物理攻撃は効かんぞ!」
言い終わると同時、斧が振り下ろされる音がする。シリウスは地面を蹴って離れると、分厚い金属が地面に叩きつけられた。
シリウスは内心舌打ちする。
この攻撃も、本来ならもっと簡単に躱せた筈だ。犬になる事で鋭い嗅覚を得た彼は匂いを辿って『どこから攻撃が来るか』を把握する事ができる。それによって近距離では無類の強さを誇る……筈だった。
だが、先程から充満しているこの匂い。
この刺激臭がシリウスの鼻を狂わせているのだった。
「念のため持ってきておいて正解だった。俺が持っている花は魔力を込める事で刺激臭を放ち、幻惑を見せるという効果があるのだが……」
「ッ、それが私の嗅覚を狂わせているということか!」
「ハハハハハ!まずはお前を両断して冥府に送ってやる!」
スノードロップ。
マグル界にも存在する白い花だ。
イギリスではこれを贈った相手は死ぬという伝承がある。
とある農村地方で恋人を喪った女性がスノードロップの花を傷の上に手向けたところ、その恋人は
しかし実際には、恋人を想う女性の想いが身体の底の微かな魔力を呼び起こし、それがスノードロップに作用して幻惑を見せてしまったのだろうというのが魔法界では定説だ。深い愛ゆえに消えてしまうというのは何とも皮肉であるが。
しかし、その花を使い幻影を作り出し、予期せぬところから強襲してくるマクネアは脅威だ。
「どうしようハーマイオニー、このままじゃ全員……、ハーマイオニー?」
「……ごめんなさい、少し静かにしてくれるかしら。今、糸を展開しているの」
糸を展開。
魔法糸を伸ばしているということか?しかし、あれは糸を敵にくっつけて初めて効果が出るものだ。今のように、幻惑でシェリー達を惑わしている相手にはくっつけられないし、意味がないはず……。
……いや、逆か?
糸を蜘蛛の巣のように広く伸ばして範囲攻撃をすれば、隠れているマクネアにもきっと攻撃が届くはず。威力は半減だろうがダメージ自体は入るし、一瞬でも動きを止められるはずだ。
「だからその一瞬に、シェリー、あなたがマクネアを攻撃するの!最速で早撃ちできるあなたがやるのよ!」
「…………、わかった!」
「いくわよ……3、2、1……」
『点火』。
ハーマイオニーは糸に魔力を流し、流れた魔力は糸を伝っていく。四方八方に散らばった魔力は、触れればマクネアの動きを止めるだろう。
だが、死喰い人として戦闘経験を積んできたマクネアはハーマイオニーの策を読んでいた。魔法糸の存在は知らなくとも、何か範囲攻撃をしてこちらを探知するだろう事は読めていた。
だから、マクネアはシリウスと重なる位置へと移動していた。味方のいる方には攻撃してこないだろう、という予測。
そしてシリウスも今はマクネアを見つける事ができない!
「小娘どもの攻撃など喰らうか!死ね、シリウス・ブラ────」
「フリペンド!!」
「────ックうああああああ!?」
シェリーの弾丸がマクネアの心臓に直撃した。その衝撃はすさまじく、マクネアは上手く息をする事ができない。
(な、何故私の位置が……!?)
トリックは簡単。
マクネアがシリウスの方へと逃げるのを見越して、シェリーがその方向へ攻撃しただけという話。
事実、ハーマイオニーは魔法糸をシリウスの方へは伸ばしていなかった。
そして──シリウスが位置を把握した。
マクネアの影の中に潜ったかと思えば、噛み千切らん勢いで飛びかかる。
「一度影に潜ってしまえばこちらのものだ!その喉元を喰いちぎってやる!」
「き、貴様ッ!やめろ!噛むな!お手!お座り!待て!」
「そんなものが効くか!」
「待ってシリウス!」
「わふん、どうしたシェリー!」
──吸魂鬼!
騒ぎを聞きつけたか、人間の幸福を嗅ぎつけたのかは分からないが、五〇を優に越える数の吸魂鬼が空を覆い隠していた。
魂に刻み込まれた恐怖が蘇る。
その場の誰もが戦慄した。
マクネアは意識を失った。シリウスはトラウマを思い出したようだった。ハーマイオニーはその場にぺたりとへたり込んだ。
シェリーもまた、恐怖に呑まれそうになっていた。
(ああ、また、こんな事ばかり考える)
どうして両親はあの時死んだのだ?
マクネアの身勝手な死生観に感化されたわけではないが、両親は生前に一つ過ちを犯したと思わざるを得ない。
何で自分なんかを助けたのだ。
自分など置いて、どこへでも逃げてくれた方がよっぽど良かったのに。
ああ、頭が痛い。
赤ん坊の時のことを思い出そうとすると、いつも頭が痛くなる。断片的な記憶が浮かんでは消えていく。
闇の帝王と対峙する父親。
必死に守ろうとする母親。
凶悪な人相の闇の帝王。
泣き叫ぶ赤ん坊。
一人取り残された自分。
あの時の両親の判断は正しかったのか?
(それは分からない。選択に正解も不正解もない。……私にできるのは、二人の犠牲を無駄にしないことだけだ!!)
もう二人の死を嘆きはしない。
自分にできるのは、二人が創ってくれた未来を歩むことだけだ!
幸福よ湧き上がれ。
舞い上がれ情動よ!
魔力は感情の起伏によって上下する事があるという。ならば、この呪文は、ある意味で最強の呪文といえるだろう!
「──守護霊よ来たれ!!」
撃ち出される銀の弾丸は、徐々に動物の形へと変貌していく。
透き通るような神々しさ。湖のほとりに佇んでいるかのような姿は、ハッと目が覚めるほどの美しさだ。
牝鹿。
シェリーの守護霊は、牝鹿だ。
しかしそれは、牝鹿と言うには奇妙な風体をしていた。小柄で華奢な躰は牝鹿そのものだというのに、頭には牡鹿特有の立派なツノがどっしりと聳えている。
リリー譲りの身体。
ジェームズ譲りの意思。
その守護霊は、シェリーという人間をこれ以上なく体現していた。
「お願い、皆んなを守って!!」
『────』
シェリーの願いに応えるように、守護霊は天を駆けて吸魂鬼を蹴散らす。
その咆哮は、猛々しくも凛々しい女傑のようでいて、澄み渡る美しい鐘の音のようでもあった。
純度の高い聖水が毒となるように、暴力的なまでの精錬さは、吸魂鬼にとっての劇薬となる。
シェリーは守護霊の呪文に対する適正があるようだ。彼女のそれは、普通の守護霊と比べてもかなり強力だ。
──守護霊が消えたのは、吸魂鬼達が全員退散した頃だった。
「……、すさまじいな。シェリー、守護霊を使うのは初めてか?」
「うん。上手くいってよかった……」
「君の守護霊は鹿か。……牝鹿の身体に、牡鹿のツノ。……君は本当に、両親の魂を受け継いでいるのだな」
「え?」
「リリーの守護霊は牝鹿だったし、ジェームズはいつも牡鹿に変身していたんだよ」
シリウスは寂しそうに笑った。
「そして君は、ジェームズでもリリーでもないのだな」
「!……ごめんなさい」
「謝る事じゃない。……私は今まで彼等の幻影に囚われていたようだ。マクネアにああ言っておきながら、私が一番死に苦しめられていたようだ……」
シリウスはシェリーを抱き寄せた。厚い胸板は男らしく、頑強だったが、その顔だけが迷える少年のようだった。
……どれほど悩んできたのだろう。どれだけの苦しみを背負ってきたのだろう。
彼は一生苦しみ続けるのだ。そういう道を選んだ。永遠に苦しみ続けて、死ぬ。
だが、一つの答えは出た。
「すまない、シェリー。今はただ逃げるしかできないが、無実を証明できたなら、絶対に駆けつけて君を守る。約束する!」
「………うん、その時は一緒に暮らそう。私、ずっとずっと待ってるから!!」
シリウスは行った。
空気を読んで気絶していたフリをしていたハーマイオニーが起き上がった。
「よかったわね、シェリー」
「……うん。本当に……」
マクネアは縛ってその辺に放置しておく事にした。そのうち闇祓いが見つけてくれるだろう。
シェリー達の、誰にも語られる事のない戦いは終わった。さて……ベガ達はペティグリューを見つけられただろうか。
忍びの地図を開く。するとそこには、予想だにしない名前が出ていた。
「え……?『フェンリール・グレイバック』ですって……!?」
▽▽▽▽▽▽
「ハッ、ハッ、ハッ────」
ベガは折れた杖に魔力を込めた。
折れた杖で魔法を使えば、魔力の制御を失い最悪の場合暴発してしまう可能性がある。しかし、天才たるベガの精密な魔力コントロールにかかれば、魔法の軌道はある程度まで制御できる。
だが、それが何だというのだ。
魔法がある程度制御できたところで、その威力はガタ落ちだ。そしてベガが今まで行使してきた悪霊の火やその他高等魔法、それらが使えなくなってしまった。
弱体化もいいところである。
ベガのささやかな抵抗をあっさり躱したグレイバックは、ベガを踏みつけにした。
「ガハッ!」
「良い格好だな?ベガ。お前は活きの良い奴は嫌いじゃないぜ……むしろ好きだ」
一番恐ろしいのは、狼人間としての自分を完璧にコントロールしていること。狼の姿になっても理性が飛ぶ事はない。
高い能力を持つ怪物とは何度も交戦してきたが、その中でも最強クラスの肉体。
今のベガ達では勝てない。
いや、これからベガ達が成長を遂げたとしても勝てる相手なのだろうか?
ベガは脳内で『奥の手』の魔法の構築式を計算して、やめた。あの魔法は出力が大きすぎて到底使えない。
ドラコは恐怖を噛み殺した。
「ま、待ってくれ!見たことあるだろう、僕はマルフォイ家の長男だ。ルシウス・マルフォイの息子なんだよ。ぼ、僕に免じてここは退いてくれないか?」
「………あー?ああ……あああ!!お前ルシウスの息子かァ!ヘハハハ、久しぶりだなあ!あの時のガキが随分と大きくなったもんだ!」
「そ、そうだ!ドラコ・マルフォイだ!」
「いやあ懐かしいなあ!ルシウスとは昔っからの付き合いだ!悪りい悪りい、お前まで殺しちまうところだったよ!」
ほんの少しだけ安堵する。この男は、話が通じないわけではない。
ただ倫理観が狂っているだけだ。現に今、なんか親戚のおじさんヅラしている。
多少は話が通じる……かもしれない。
「ベガを連れ帰るのはやめてくれ!そいつは……そう、色々あって殺しちゃいけない事になってるんだよ。その……闇の勢力の計画に必要とかで」
「あァ、そうなの?マジかよ。ベガは俺の恋人にする予定だったのに」
「こいびと……と、ともかくだ。ペティグリューを逃がすっていう当初の目的は果たされたんだろ?だったらもうこれで万々歳じゃないか」
「それもそうだな。ウン、お前に免じて許してやるか」
生唾を呑み込む。
分かってくれたのか。あの凶悪な強さで歪んだ精神の男は、意外にもアッサリと退いてくれた。それが逆に不気味だった。
ドラコの恐怖はもっともだ。人狼は狼になると理性を殆ど失うという事を、彼は誰よりも知っている。強い精神力のコルダでさえ狼になると苦しみもがくのだ、それをこの男はアッサリとコントロール「あ、そういやコルダは元気かよ?」
……今この男は何を言った?
「だからコルダだよコルダ。元気してるのかよ、あいつ」
「な……なんでそこで僕の妹の名前が出てくるんだ?彼女は関係ないだろう」
「あれ、言わなかったっけか?六年くらい前にお前の妹を噛んじまってよ」
「………………え?」
「その時はさ、年端もいかねえガキが人狼になっていく激痛と絶望を見るのが趣味だったんだよな。だから裕福そうな家庭のピクニックに忍び込んで、移動手段を無くした上でガキを人狼にするって遊びをしてたんだよ。けどまさかマルフォイんとこのガキだとは知らなくてよお」
「………お、お前、何を…………」
「あっ、そういやこれルシウスに言ってなかったんだっけか。悪りい、あいつには秘密にしといてくれねえ?」
「………ふざけるなああああああ!!!」
世間話をするように。
全くの反省が込められていない、軽薄に打ち明けられた言葉に、相手が格上である事も忘れてドラコは憤慨した。
決死の魔法の乱射を、欠伸を噛み殺しながらグレイバックは躱した。
「お前………お前が………お前のせいでコルダが……!!!」
「何だよ、たかが人狼になるくらい良いじゃねえか。肉体も強化されるし、努力次第じゃ満月の夜以外にも変身できるようになるんだぜ?良い事づくめじゃねえか」
「そんな勝手な理屈があってたまるか!!あの子が、どれだけ苦しんだと思う!?あの子がどれだけ自分の人生を呪ったと思う!?月に一度、地下室でずっと泣いてるあの子が、どんな気持ちか、考えた事があるのか!!」
「知らねえよ、それはそっちの事情だろ」
「…………ッ!!」
コルダ・マルフォイに、真に心の通う友人は存在しない。彼女の真実を言えばきっと拒絶されてしまうからだ。彼女の世界は家族の中だけで完結しつつある。
それがドラコは許せない。
このままでは、彼女の心は地下室に埋もれたままになってしまう。そんな悲しい人生で終わらせたくない!
(これが、お父様に対する悪意で行われたものならまだ納得できる。お父様はあちこちから恨みを買ってる、それならまだコルダが噛まれたのも赦しはしないが納得はできた。罪は、家族皆んなで共有していくものだからな。皆んなで償っていくべきだ。
……だが狼人間にされたのが、そんなくだらない理由なんて………そんなのってあるか!?これが天罰だとでも言うのか!)
「フェンリール・グレイバック!僕はお前を殺すぞっ!!」
「…仕方あるめェ。そっちが殺す気なら俺も加減はできねえぜ!?」
妄執のドラコに、グレイバックがカウンターを入れようとして、
「その子から離れろォォォーーー!!」
視覚外から矢が放たれた。
グレイバック目掛けて、だ。グレイバックが何本もの矢を回転しながら躱し発射点を見ると、森の奥にズラリと並ぶ半人半獣の生物達が、弓を構えて立っていた。
ケンタウルス族。
プライドが高く、本来なら人とは過度な干渉をしない生物なのだが、禁じられた森のケンタウルスに限っては生徒達を助けてくれる頼もしき味方だ。
黒髪のケンタウルスの背にネビルが乗っている。彼が呼んで来てくれたのだ。道理でさっきからいなかった筈だ。
「ケンタウルス族か。何故お前達がこいつ達を庇う!?」
「ヒトの子にはデカい借りがあるのでな」
「?……おっと、弓を使い陣形を組んで攻めてくるのか!良いね、今日は眠れない夜になりそうだぜ!」
禁じられた森は彼達のフィールド。さらに近距離専門のグレイバックに対して、遠距離から弓で攻撃するケンタウルス達は相性が良い筈である。
倒せなくとも、時間は稼げる筈──!
「──だが、遠距離対策くらい俺がしてないと思うか!?」
満月の夜に、狼は吠えた。
──禁じられた森の中を、二体のケンタウルスが爆走していた。
彼等の背に乗っているのは、ベガ、ドラコ、ネビルの三人。少しでもグレイバックから離れなければ、というケンタウルス達の判断だ。
ケンタウルス達はホグワーツの子供を守るために走っていたのだ。
「離せ!俺が戦う!無関係のお前達を巻き込むわけにはいかねえ!」
「君、暴れるな!今すぐホグワーツに連れてってやるから!」
「僕も降ろしてくれ!あいつは妹の仇なんだ、あいつが妹をッ!」
「君も落ち着きたまえ!何だ妹って!誰の話してるんだ!」
「ああもう、二人とも寝てろっ!」
「「ぐぼっ」」
馬上で暴れるベガとドラコを、ネビルは殴りつけた。グレイバックとの戦いで疲れていたのか、ベガはそのまま寝た。
「何するんだロングボトム!!」
「いいから大人しくしてなよ。僕達じゃああいつに勝てっこないよ!」
「だからといって……」
「……これはもう僕達の手には負えない。大人の手を借りるしかないよ」
「……ホグワーツに戻るってのか?」
「うん。マルフォイ、時計を見てみて。もうすぐ僕達が過去に飛んでから一時間が経つ。つまり、タイムパラドックスの心配は無くなるって訳だ」
「…………あ」
「今ホグワーツに戻って、ダンブルドアや闇祓い達に助けを求めるんだ。君の因縁は僕は知らないけど、あいつに文句があるならアズカバンに行ってから言えばいいのさ、違うかい」
「…………いや、違わない。すまない」
ひとまずホグワーツに戻らなければ。そこに行きさえすれば、味方はいくらでもいるのだから!
そして数十分ほど時間が過ぎた。
まだ着かない。
「あ、あの。すみません、走り始めてからけっこう経ちますけど、まだホグワーツに着かないんですか」
「……妙だな……もうとっくに到着していてもおかしくない頃だが……さっきから同じ道ばかり走ってるような……」
「嘘だろ!?ちょ、しっかりしてくれ!」
「ごめん」
「……この森を知り尽くした私達が迷うなどあり得ない!」
「現に迷ってるじゃんか」
「何か罠が掛けられているという事だ!恐らくは、『入ったら出られない結界』のようなものを既に作られて……!!」
「──よおおお、ベガアアア。会いたかったぜえええええ」
下卑た笑みを顔面に貼り付けたグレイバックが、馬にも匹敵する速度で現れた。
心臓が警鐘を鳴らした。身震いする。
まさかとは思うが、数十体のケンタウルスを撒いてきたというのか?
──化け物か、こいつ。
グレイバックが仕掛けた結界は、ホグワーツに侵入するにあたってマクネアが作った特別性だ。結界内の人間を迷わせて、そこから出られなくするというもの。
本来はペティグリューを追う人間を妨害するためのものだったが……グレイバックが使えば、降参不可能の特別リングと変貌するというわけだ。
ケンタウルスの一人は激昂した。
「貴様!我々の同胞はどうした!?」
「全員ノシてきたぞ」
「な………」
「いやァ、中々筋は良かった!まあ、俺には手も脚も出なかったがな!ヒャハァ!」
「ぐあッ!!」
ケンタウルス達がグレイバックに蹴飛ばされる。馬上のネビル、ドラコも同様に地面に転がり、意識のないベガは吹っ飛ばされた。……息はあるようだ。
だが、この状況はまずい。
ケンタウルス達は全滅。
ベガは気絶している上に、起きたとしても杖が折れている。
戦えるのはせいぜい平均レベルの能力しか持たないネビルとドラコのみ。
ホグワーツに逃げる事すらできない。
……勝ち目が薄いのではなく、ない。
「……き、来てみろ!僕の友達や助けてくれたケンタウルスの人達に手を出すのは、僕が許さな………ぎゃああああっ!!!」
グレイバックはネビルの腕を折った。
「なにを、許さないってんだ?」
妙な方向に曲がっているのを見て、千切らないだけ温情だと思うのは、こちらの感覚がおかしくなったのだろうか。
(……まずい。まずいまずいまずい。とうとう僕一人だけだ。戦える人がいない。ああ、こんな事ならポッターの頼みなんて聞かなきゃよかったんだ!ちっぽけな勇気で死ぬくらいなら、僕は臆病者がよかった!死にたくない。死なせたくない!
こんなの……こんなの、申し訳が立たない。ポッター達に……お父様に、お母様に、コルダに!何て言えばいいんだ!!)
ドラコ・マルフォイにできたことといえば、その場に蹲りただ震えるだけだった。
グレイバックは顔の良い人間を好んで嬲る悪癖がある。平時であればドラコは見逃されていただろう。
だが今のグレイバックは興奮状態。顔の良いケンタウルスや美少年のベガを見て昂っている彼は、ベガ達のついでにドラコも殺すつもりだ。
ドラコは中途半端だった。
グリフィンドール生ほどの正義感や勇気は持ち合わせていないが、生粋のスリザリン生ほど狡猾にはなれない。
環境次第でどちらにも傾いてしまうような、ただの少年だった。だから怯えるし、怖いし、震える。
少年は月の下で弱さを嘆いた。
幻覚だろうか。
プラチナブロンドの髪を、一房だけ三つ編みにした少女が、こちらへやってくる。
コルダ・マルフォイ。
ロナルド・ウィーズリーに肩を貸してもらいながら、ずるずると、泥の中を歩んでいるような足取りで、歩いていた。
入れば出られない結界の中に、わざわざ入って来て……。
…………いや、彼等は本物だ!
「お兄様……!」
「わ………わ!?何だこれ、どういう状況なんだ!?」
何で。
何で、こんなところに。
「おォ、また上玉が来たなあ!今日は本当に良い日だ!」
美形に目がないグレイバックがコルダを見てぐにゃりと笑う。それを見て気味が悪そうにロンが唸った。
「な、何だありゃあ……」
「ありがとうございます、ウィーズリー。ここまでで大丈夫です、逃げてください」
コルダは月光に照らされる。
氷魔法で狼化を抑えている彼女が月光に当たれば、激痛に苦しめられる。だから今は立っているのもやっとだった。
「覚えていますか、お兄様」
それでも彼女は可憐に笑う。
「私、貴方に髪を編んでもらった事があるんです」
溢れるのは、仕舞っていた感情。
「ずっと醜い狼は嫌だって泣き噦る私を慰めようとして、少しでも女の子らしい格好にしようとしてくれて。それで、お兄様は三つ編みを作ってくれたんです」
何だ。何をするつもりだ。
「その時のお兄様は不器用で、何時間もかかって三つ編みを一房作るので精一杯でしたね。でも私にとって、その一房がとても嬉しかったんです」
コルダ、何を──
「だから毎日、私は髪を一房だけ三つ編みにするんです。……何言ってるんでしょう私、走馬灯って奴ですかね。他愛も無い事ばかり思いだしちゃうな」
「──お願い、生きて、お兄様」
コルダは首筋に杖を向けた。
「──夢はおしまい」
「!!待て、待て!!やめろコルダァアアーー!!!」
楽しかった──。
「
割れるような音がした。
「ぐぅるるるるるううううあああ!!!」
雪のように白く美しかった少女は、瞬く間に汚く醜悪な狼へと変貌した。
整った顔は、歪でぐちゃぐちゃに。
白い肌は、でこぼこの筋肉に。
大人しく清廉そうな少女は、理性を感じさせぬ風貌へと豹変した。
コルダが長年隠し続けてきた秘密は、この日、月光の下に晒された。
見られた以上は、もう真っ当には生きていけない。コルダはそれも覚悟の上だ。
──それでも護りたいものがある。
コルダ・マルフォイ。
氷魔法を解除。狼と化す。
少女は月の下で強く吠えた。
スノードロップに魔力を流したら幻惑が見えるのは流石にフィクションですが、イギリスで死の象徴とされているのは本当です。
スノードロップは待雪草とも言われ、雪の下で春が来るのをじっと待つ花なんですねー。え?じゃあ作中のこの時期に咲くのかって?それは微妙なところです。
きっと地球温暖化があれやったんや!