試験当日。
シェリーは女子更衣室にて、いつもの制服を脱ぎ水着へと着替えていた。
フリルをあしらった、白い水着。長い髪はポニーテールに。
ラベンダーやパーバティと相談して購入したものだが、当初の要望であった、『肌の露出が少ないもの』という水着は尽く却下された。
妥協案で薄いレースのトップスを羽織ることにしたのだが、羞恥心は拭えない。とはいえ自分の水着姿など誰も興味ないか、と考えると気が楽になった。
「うう……恥ずかしい……」
「大丈夫だってリラちゃん、似合ってる似合ってる!」
反対に、シェリーの希望が全て叶ったような露出の少ない水着を着たのがリラだ。
女性にしては高身長の彼女が、ハイビスカスが散りばめられたパレオを履くと中々に映えるものだ。上には同系統の柄があしらわれた水着。そして背中には以前にも風呂場で見たタトゥーだ。
そんな彼女を元気付けているタマモ(最近仲良くなったらしい)は、上下が繋がっているタイプのものを着用している。背が低めなので子供っぽい体型という印象があったが、こうしてみるとウエストラインの細さが際立っていた。
こうしてみると、これから海にでも繰り出すような開放的な格好。
しかしこれは年明け後の試合であり、つまるところ冬に開催されているのである。
ぶっちゃけ、寒い。
外に出ると横殴りの風がびゅうびゅうと襲い掛かった。
「くしゅん」
寒さに身体を丸めていると、見かねたタマモが狐火を出してくれた。身体の保温機能を高めてくれるのだとか。
「あ、あの……頑張ってくださいね……」
「!ありがとうリラ、優しいね」
「あ、い、いえ、私に言われなくても分かってましたよね。ごめんなさい、差し出がましいことをして。すぐ消えますっ」
そんなに逃げなくても、と思うがあれが彼女の性格なのだろう。
自分のチームの所に向かうと、ベガとセドリックが互いに身体を引っ張って念入りに柔軟を行なっている。二人とも機能的な水着で、立派な身体つきだ。
ベガのタンクトップからチラチラと見えるのは刺青。お前もか。聞くと、景気付けに彫ったらしい。
「まだ例のものは届いてねえぞ」
「そっか……」
特訓の結果、シェリーが泡頭呪文を維持できるのは二〇分が限度だった。制限時間は六〇分、試練で使うには心許ない。
悩んでいたところにネビルが通りがかり事情を説明すると、「じゃあ鰓昆布を使ったらどう?」とのアイデアが。
身体の器官を『変化』させ水中での機動的な動きを可能とする、今回の時の為のような便利アイテムである。この学校にもある筈だから、探してみるねと言ったはいいものの、彼が来る気配はない。
「大丈夫かな……。いざとなったら僕達がシェリーに『泡頭』を唱えるしか……」
「問題ねえよ。俺の親友を信じろ。お、噂をすれば………んっ?」
ぽっちゃり顔の少年ではなく、トロールがコーディネートしたような奇天烈なファッションの屋敷しもべ妖精が、奇妙な形をした昆布っぽい何かを持ってきた。
「ドビーはシェリー・ポッターにお届け物を渡しに来たのでございます!」
「ありがとう!でも、なんであなたが?」
「ネビル・ロングボトムは急用で鰓昆布を運ぶことができなかったので、代わりにドビーめが持ってきたのでございます!いやあ、セブルス・スネイプの棚から盗んでくるのは一苦労でした」
「おお、そりゃご苦労さ………今お前何つった?」
「ゴホン。さあ、シェリー・ポッター!これを丸呑みにするのです!」
「ちょっ」
ウネウネしている昆布の塊を食べるのに若干の抵抗を感じつつ、口に含むと胃袋まで押し込む。すると身体が熱を帯びたように熱くなり、関節から音が鳴る。自身の肉体が何か別のものに変わっていく!
「……大丈夫なのかい、これ」
「淡水性のものを選んだから大丈夫です、たぶん」
「今何て言った?」
「では皆さん、ご武運を!」
キーキー声を背中に浴びながら所定の位置に着くと、盛り上げ上手のルード・バグマンが観客を沸かせていた。
『代表選手の皆さんは大事なものを奪われてしまいました!彼達は湖の中にそれを取り戻しに行かなくてはなりません!制限時間は一時間!それを過ぎると……さぁ、大事なものを取り返すのは誰か!?』
『ヘイヘイ!バグマンさん、実況と解説は俺とフリットウィック先生がやるんで引っ込んでいてもらえませんかねえ!?』
『な、ちょ、ちょっと!俺だって実況とかやりたいんだよおおお!!』
マイクの取り合いをするバグマンとリーに笑い声が上がる。顔色を悪くしたシェリーもそのやり取りに苦笑していると、
ふと。
ボーバトンの方から、やり場のない怒りが篭ったような呟きが聞こえた。
「……馬鹿みたい。大事なものなんて……私達には……」
(─────?)
それを言ったのは、ローズベリーだったか、それともブルーベリーだったか。確認しようと顔を上げた瞬間、開始を告げる大砲が鳴る。そして彼女達はさっさと水の中へと飛び込んでいってしまった。
それに続くようにイルヴァーモーニーのバーニィ達も湖へと潜っていく。
「皆んな気合十分じゃのお!俺達も負けちゃいられんぞ!」
「粗忽者が、騒ぐな!今魔力を練っているところだ!静かにしろ!」
コージローは杖を自分に当てぶつぶつと呟くと、程なくしてハヤトとタマモを連れ湖の中へと潜る。
湖を覗くと、彼は泳ぐというよりも走っているように見えた。
海中歩行。
体内魔力を操り足先から放出することで水中をも歩くように進むことのできる、高等技術だ。コージローはまるで水中を見えない地面でもあるかのように進み、彼にハヤトとタマモがしがみついていた。
「はいはいどいたどいたァー」
「あ?………うおっでけっ」
ダームストラング組は、どこから持ってきたのか、家一軒分はありそうな大きさの錆びついた錨を魔法で運んでいた。
錨のリング部分を空に浮かせると、ネロは『泡頭呪文』を自分とリラに使用し、クラムは頭部を鮫の形に変身させていた。
準備が整うと、アンカー射出。湖底に向かってゆるゆると鎖が落ちていき、錨に捕まるようにして三人は湖の底へと沈んでいく。これなら確実に捜索ができる。しかも上がる時は鎖を巻き上げれば良いだけなので一瞬だ。
「成程、考えたな。よし、俺達も行くか」
「うげぇ……」
「……だ、大丈夫かいシェリー」
「多分。よし、いこーぅ……」
全然大丈夫じゃない声を上げながら、シェリーは湖の中へと飛び込む。
ごぼごぼと不恰好に水の中を流れると、程なくして、自分が水中で息をしていることに気付く。口で、ではなく、首元に出来た鰓で。
それだけではない。指の間には薄っすらと膜ができて鰭となり、水を掻くとその分だけ前に進む。……泳げている!
ダドリーに、テムズ川に落とされてから泳ぐことに苦手意識を持っていたが、一度泳げてみるとそれも変わるものだ。感動すら覚える。
ひっくり返した金魚鉢のように泡を頭に被ったベガとセドリックの腕を引っ張り、シェリーはぐんぐんと水の奥深くへと進んでいく。湖の中は、幻想的ではあるが綺麗というわけでもなかった。
『すごい、推進力が段違いだ……私、今泳いでるんだ──!』
と、興奮気味にシェリーははしゃぐ。水中では普通は音を圧縮した魔法かハンドサインでないと喋れないことなど頭から抜け落ちてるようだ。セドリックは何かほっこりした。
(………、っと。あれは……)
セドリックはシェリーの腕を引っ張って合図する。視線の先には、水中に似つかわしくない光の筋の数々。
魔法による戦闘が行われているのだ。
よくよく目を凝らしてみると……覚えのある水着姿。機能的な、月を思わせる青みがかった白い色の競泳水着を着たフラー、そしてリボンが目立つレオタード状のお揃いの水着を着けたフロランタン姉妹。
戦っているのは大型のケルピーだ。
蒲の穂をたてがみに使った馬の頭部を持ち、後ろ脚の部分が海蛇という半馬半蛇の化物。
ネス湖のネッシー伝説は、かつてネス湖に現れて海蛇の姿をしていたケルピーがたまたまマグルに見られただけ、という話は魔法界では有名な話だ。
閑話休題。
そのケルピーは、気が立っているのか、獰猛にフラー達に襲いかかる。
(………、なんだか、様子が変……?)
ケルピーの暴れ方は尋常じゃない。
目が血走っているし、あんなに執拗に獲物を狙うなど有り得ないことだ。今回の大会は安全対策が十全に取られてあるはずなので、尚更おかしい。
その暴れっぷりにボーバトン組は押されつつある。相性の問題もあるだろう。フラーは空中戦、フロランタン姉妹は地上戦が得意な魔法使い。そもそもこの水中というフィールドと相性が悪いのだ。
『ッ!!』
シェリーは顔を歪めた。
ケルピーの馬の前脚がフラーの腹部に直撃し、岩壁に叩きつけられる。咄嗟に羽根でガードしたようだが、強度不足だ。彼女はそのまま意識を失った。
さらに最悪なのは、彼女の頭部の泡が割れてしまったということ。あれでは息ができない。ローズベリーが悲痛な顔で、水中ということも忘れて叫ぶ。
しかし無慈悲にも、ケルピーがフラーの髪をぶちぶちと食い破るのを見て、もうシェリーは見て見ぬ振りなどできるわけもなかった。
『──フリペンド!!』
考えるより先に、魔法を唱えていた。
それはセドリックも同様のようで、無言呪文で失神呪文を放っていた。
ケルピーは一瞬たじろぐも、驚異的なタフネスで水を蹴り、こちらへと突進。しかしシェリーもまた鰓昆布による驚異的な遊泳能力でケルピーの突撃を避ける。
すれ違いざまに二撃。
水中故の方向転換の隙を突き、セドリックが連射した石化呪文によって、ケルピーはびくんと身体を震わせて動かなくなる。討伐を確認すると、フラー・デラクールの所へと急ぐ。
『ベガ、容態はどう?』
『──大事ないが──この怪我だと続行は不可能だろう──棄権させるべきだ──』
ブルーベリーが花魔法の応用ですぐに新鮮な空気をフラーに送っていたため、溺死の心配はないのが不幸中の幸いか。
彼女達はフラーのリタイアの合図の魔法を湖上へと放った。
『ひとまず無事で良かった。ローズベリーとブルーベリーは?怪我はない?』
と、シェリーはフロランタン姉妹の方へと笑顔を向けると、
──なんで──
という、目の前のものが信じられないような顔をして、彼女達はそう呟いた───ように見えた。
ぎり、という歯軋りの音。
彼女達は体勢を変えると、こちらを一瞥もせずに湖底へと潜っていった。
(何だったんだろう……何だか、僕達に戸惑ったような顔をしていたけれど)
(さあな。まあ、他の奴達のことなんて気にしてても仕方ねえだろ)
恩知らずとも言える態度だが、今の神妙な顔を見せられては怒るに怒れない。
仕方なく、シェリー達も後を追うように湖の中へと潜り、『大切なもの』とやらを捜索する。
『ハァイ、ベガ』
「!?………!?!?」
『来ちゃった♪』
嘆きのマートル!何故ここに?
曰く、トイレで流れに身を任せていたら時折ここに辿り着くことがあるらしく、対抗試合の話を聞いてやって来たのだとか。
……面食いの彼女はセドリックとベガの裸に興奮していたが、それ目的だったんじゃないかと思わざるを得ない。露骨すぎる視線にセドリックは笑顔を取り繕った。
『マートルだったね──この先に、水中人の集落とかはないかい──?』
『やだもぉーイケメンに聞かれたら答えないわけにいかないじゃない!あっちよあっち!あいつ達、私が近付いたら銛で刺そうとしてくる嫌な奴達なのよ!』
(ゴーストだから刺さらないのでは……)
『ね、ね、他にも聞きたいことない?代表選手の中で誰が一番胸が大きいか、とか』
「もが……!」
『じゃあな──マートル──また今度』
『ああん、もう!シャイなんだから』
何でマートルがそんなことを知っているのだろうか。
と思ったが、そもそも彼女はゴーストだからどんな場所も出入り可能だった。パイプを伝って、風呂場とかをこっそり覗いていたのかもしれない。
マートルに教えてもらった方角へと泳いでいくと──
──それは程なくして見つかった。
(大切なもの、って──そういう──)
何体もの水中人達が、円を描くように歌いながら泳いでいる。卵で聞いたのと同じ水中人達の歌だ。
その、中心。
十五の人影が縄に繋がれていた。
三人ずつ、五つの縄で縛られており──その中には見知った顔もチラホラ見える。
シェリーは自分の親友の姿を二つ、その中に見つけた。ロンとハーマイオニー。ダンブルドアが水中でも無事な魔法をかけているのだろうが、親友が水中で縄に繋がれている姿を見るのは心臓に悪い。
(!あそこにいるのは、ネビル?あそこにはチョウ……ルーナまで……)
先程、ネビルの代わりにドビーが現れた理由が分かった。彼はおそらくベガの大事なものとして、ここに囚われたのだ。
同様に、シェリーの大事なものはロン、セドリックはチョウなのだ。
……成程、基本的にはダンスパーティのペアを参考に選んでいるのか。それならハーマイオニーがダームストラングの縄に縛られているのも納得できる。彼女はクラムの大事なものだ。
(ということは、ここで私達が助けられるのは、ロン、ネビル、チョウだけ……?)
シェリーの憂慮を感じ取ったのか、セドリックは「一〇分だけ待とう」と他の代表選手を待つことを提案した。
ベガは一瞬、そんな悠長なこと言ってられるか──と反論しようとして、留まる。
先程のケルピー。
あれは、代表選手に対しての敵対行動が度を越えていた。もしあれが、ムーディーの言う通り闇の輩の仕業であるならば、この試合とて何が起こるか分からない。
ましてや友人を失くしてしまった過去を持つベガが、そんな状態でここに縛られた者達を置いていける筈もなかった。
どちらにせよ、(マートルのお陰とはいえ)一番最初に到着したのだ。他に比べてリードしていることに間違いない──
(おっと!)
鮫頭が突っ込んできたのでひらりと躱すと、鮫はハーマイオニー達を捕らえている縄に齧り付く。あの水着はクラムだろう、自分に変身術を使おうとして頭だけ変身してしまったのだ。
見ると、錨が湖底にずしん、と落ちて止まったところだった。ハーマイオニーの姿を見て、いてもたってもいられず泳いできたということか。
だがあの乱杭歯では彼女も危ない。ベガがナイフを渡すと、一瞬、その身体が硬直して──意図を察したのか、頭を下げた。
遅れてやって来たネロとリラも大事な人(ダンス・パーティのペア)を担いだ。
「…………………」
(──────?)
一瞬、ネロが意味ありげな視線を寄越したような気がした。人を揶揄うようなものではなく、値踏みするような──。
しかしそれもすぐに引っ込めると、錨に戻り呪文を唱える。そしてまたゆるゆると湖上へと戻って行った。
(?何だったんだろ、今の……でも、ハーマイオニーが大丈夫そうでよかった。
後は私達含めて四組か………あっ!)
水中を走るように進む姿。
あれは、コージロー達だ!マホウトコロが到着したのだ!
「がぼばぼぼっ!!」
『!?な、何言ってるか分からないよ』
「がぼがぼごぼっ!!」
『す、水中で無理に話そうとしないで!』
仕方ないのでハンドサインを見ると、
手を叩き、
指を二本立てて、
丸を作り、
何かを覗くような仕草。
……こんなのあったっけ?意味が全く分からない。二人はタマモに何故か頭を叩かれていた。
コージローは高そうな腕時計(父親から貰ったらしい)をかつかつと杖で叩く。時間はもう三〇分も残っていない。「なるべく急げ」と目で訴えると、湖面目指して走った。
──そろそろ潮時だ。
これ以上のロスは試合に支障が出る、シェリーは浮上の準備をしようとして、丁度『彼女達』がやってきた。
派手なビキニを着て泳いできたのは、イルヴァーモーニー代表、バーニィ。そして同じく派手な水着姿のサモエドとマスティフだ。
そしてその反対からやって来るのは、ボーバトン代表、フロランタン姉妹。
よかった、間に合った。
『ホグワーツの皆さん──もしかして──マジでありがとうございます』
バーニィ達は短く礼を言うと、自分達のファンというハッフルパフ生達を抱えて昇る。フロランタン姉妹はまたもあり得ないものを見る目で見てきたが、すぐに首を振ると同様に湖面を目指した。
シェリーもロンを抱えようとして、咄嗟に身を捻る。砲弾のように突っ込んできたのはグリンデローだ。この魔法生物は水中人が飼い慣らしていると聞くが、急に襲ってきたのは何故だ?もしや最下位にはペナルティでもあるのか……?
『おい、何をしている!』
『ッ、ホグワーツの!早く行けっ!』
──そういうわけでもないらしい。
慌ててグリンデローを抑える水中人達の様子は、どう見ても演出とは思えない。シェリーは水を蹴る脚に力を入れた。
けれど、グリンデローの猛攻は留まるところを知らない。盾の呪文を構築しても、水中故に三六〇度から攻められる。
シェリー達に生傷が増えていく。意識のないロン達を庇いながらの戦闘はきつい。
『邪魔するんじゃねえ──!!』
ベガは凝縮した魔力を一気に放出し、グリンデローに向かって飛ばした。
逃げようとしても無駄だ。対象の熱を感知して何処までも追尾し、グリンデロー達に襲い掛かる。
その内の一つがグリンデローに着弾。肉体が焼け焦げ、口から煙を吐いて沈んだ。
溜めこそ長いが、動きの速い相手に対しても有効な追尾弾。タマモのアドバイスの下に生み出された火炎弾だ!ひとところに凝縮した魔力は水中であっても機能し続けられるし、弾道の融通も効くのだ。
(ナイス、ベガ!でも今ので大分時間をロスした、早いとこ上がらなきゃ、最下位になっちゃう────えっ、天井……?
じゃない、クラーケン!?)
普段ホグワーツの湖で見るような温厚な大イカとは比べ物にならない、超大型サイズのイカ……いやタコ?それっぽい軟体生物が頭上に揺らめく。
その大きさたるや、生物ではなく、上から船でも落ちてきたのかと見紛うほど。一個の生命体として規格外のサイズのそれがシェリー達の行く手を阻んだ。
しかも──心なしか、こちらに敵意を持って脚の一本がやってきているような気がするのだが……。
『って、本当にこっち来てる!?』
(シェリー!逃げてくれ!ここにいたらバラバラになっちまう!)
セドリックの必死の訴えで我に帰り、すぐさまシェリーは五人を抱えてその場から退散する。あれに当たれば、怪我どころの騒ぎではない。
クラーケンは軽く鯨より大きかった。
確か、海に棲むクラーケンは数キロメートルもの大きさになると聞くので、これでも小さい方……の、筈である。
脚の一本一本が人を容易に殺す凶器であり兵器。地上ならともかく、海中で自由に身動きできないこの状況はまずい。加えて意識のない人間を三人も抱えていては…。
(っ、そうだ、バーニィ達は!?)
「──オオオオオオオオ!!!」
(!この音、『爆音呪文』!?)
遠くからでも聞こえる爆発的な音波。
クラーケンと戦って、押しているのか?あの巨体が苦しげに震えている!
水は音をよく伝える、音魔法はこの場所と相性抜群なのだ!
しかしバーニィ達が戦っているということは、彼女達もこの湖から出られない状況にあるということ!
加勢しなければ──!!
『オルガン・フリペンド!!ステューピファイ!エクスペリアームス!!』
思いつく限りの攻撃魔法を連射する。
クラーケンも元を正せば大きなイカに過ぎない、しかもあの大きさではスピードは無いと見える。
そもそもクラーケンの得意とするのは強襲だろう。真っ向からの戦いには不向きと見える。勝機があるとすればそこだ。
ベガの火炎追尾弾が魚雷のようにクラーケンの脚を貫き、クラーケンは暴れ狂う。だがシェリーの遊泳速度なら余裕を持って躱せるというもの。バーニィ達は音波攻撃の応用で、音を出して脚をガードしているようだ。
(あれ?クラーケンの脚がなくなってる?)
精神的に余裕が出てきたからか、それに気付くことができた。クラーケンの脚が一本ないのだ。何か鋭利な刃物で根元から切られたかのように無くなっている。
そんな芸当ができる人間は限られる。おそらく、マホウトコロの代表選手達が切り落としていったのだろう。
見れば、もう一本、痺れてロクに動いていない脚もあるではないか。強力な雷撃を喰らった脚は機能していない。
(ネロの雷魔法か……すごいな、皆んな。私も負けては───なっ!?墨!?)
黒色の靄が、シェリー達の視界を奪う。
タコやイカは逃げる時に墨を吐くというが、クラーケンともなれば、貯蔵した墨の量も半端ではない。このままでは味方すら見失う──。
シェリーは五人を強く握ると、フルパワーで水を蹴った。行き先は勿論、バーニィ達のところだ。ベガが圧縮した炎をジェット噴射のように発射して加速してくれているようだ。
半ば体当たりするようにして彼女達を確保すると、近くの岩場らしきところに身を潜める。
『バーニィ、サモエド、マスティフ!なるべく近くにいよう!この墨じゃ、晴れるまでに時間がかかる……!』
『了解ッス──糞、早いトコこの子達を陸に上げてやりてえってのに』
『霧払いの呪文や、ルーモスでこの墨を晴らすことはできないか?──』
『できるだろうが──この量だとな。魔力を使いすぎる、一か八かの賭けだ──』
心配なのはフロランタン姉妹だ。彼女達もクラーケンの心配に晒されている筈、何とか逃げていてくれないものか。
という心配が吹っ飛ぶほどに、事態は深刻だった。まず、シェリー達が隠れたのは岩場ではなく、クラーケンの脚。墨が晴れて気付く頃にはもう遅く、巨大な触腕の餌食になるところで──
どこからか現れた海藻に守られた。
衝撃に特別強いそれを生み出したのは、その場の誰でもない。花や植物の魔法に長けた、フロランタン姉妹だ!
『二人とも!無事だったんだね、助けてくれてありがとう!』
『ハァ!?ちげえし!助けるとかそんなんじゃないし!!』
『勘違いすんな!私達は自分達のために加勢しただけだから!!あんた達と馴れ合う気なんてないんだからっ!!』
声のトーンから察するに多分本当に馴れ合う気はなかった。
(だが今ので時間は稼げた!奥の手、いくっスよ……!!)
バーニィの守護霊呪文。
鶏を召喚すると、サモエドとマスティフと共に爆音呪文を唱える。守護霊の鶏は共鳴するように叫ぶと、指向性のある強力な音波が水を伝い、止まることなくクラーケンの脚を数本貫いた!
同じく、このメンバーでは攻撃力上位のベガもまた凝縮した火炎弾を放つ。その向かう先はクラーケンの瞳だ。いかな怪物といえど、瞳は急所なのに変わりない!
狙い通り、クラーケンはとうとう反撃する力が無くなるほどに弱った、が──まるで魔法でもかけられているみたいに、力を振り絞って触腕を振るい、岩石を放ってきた時は流石に肝が冷えた。
(もう一度、私達の海藻で──!!)
と、フロランタン姉妹は防御用の植物魔法を唱えたものの、投石の威力は半端ではなかった。植物のネットを千切り、岩石の破片が飛び散った。
その一部が、姉妹の意識を刈り取った。
──ローズベリー!!ブルーベリー!!
薄れ行く意識の中、紅い髪の少女が必死の形相で叫んだ気がした。
……きっと気のせいだ。
あれは演技に決まっている。
(そんなわけないじゃない──)
そう、そんなわけがない。
フロランタン姉妹の人生は裏切りの連続だった。
父親は自分が魔法使いであることを隠して結婚し、その結果、気味悪がった母親は父を捨てて逃げた。
失意の父親を慰めようとしたが、母親に似たこの顔が気に食わなかったらしい。理不尽な言いがかりをつけられてよく叱られたし、魔法を使えるようになってからは殴られもした。
日に日に父親の眼が危ないものに変わっていき、とうとう貞操の危機を感じて姉妹は逃げ出した。名前も偽って、新しい人生を送ることにした。
『フロランタン』という苗字は昔家族で食べたお菓子の名前だ。『ローズベリー』と『ブルーベリー』は洒落で名付けた。
(誰も信用できない)
二人の逃避行は長くは続かなかった。
父親がフランス魔法省に連絡したらしく捕まってしまった。しかしその際に父の行いが発覚し、二人はボーバトンの寮に入ることになった。
そこでの生活は貧しくはなかったが、楽しくもなかった。両親のいない姉妹に対する風当たりは強く、心は荒んでいった。
魔法省に伝手のある人間が、姉妹の過去を吹聴して回った時など酷かった。しかも内容は誇張されたもので、フロランタン姉妹は尚のこと怒り狂った。
フラーという一個上の先輩が庇ってくれたことと、オリンペ・マクシームなる人物が校長になったことでその環境は改善されたものの、その頃にはとっくに信用できる人間など殆ど残っていなかった。
(いるわけがない)
マダム・マクシームには敬意を持って接するし、尊敬するフラーはお姉様と呼んで慕った。けど、それだけ。
フロランタン姉妹が心を開くことのできる相手はたったそれだけ。
代表選手になれば、ちょっとは周りも見直してくれるかな、なんて淡い期待も持ったりしたが、そもそもこの性格では誰も近寄ってきたりなどしない。
──他人など信用できるか。
──友達が欲しい。
相反した想いの中で苦悩する。
けどきっと、そんな人間は現れない。
あのシェリーとかいう少女だって、そうに決まってる。自分達は努力して代表選手に選ばれたというのに、四年生で出場するなんて馬鹿げてる。
本当に、馬鹿げてる。
少し考えれば、誤解だって分かった筈なのに、八つ当たりしてしまった。あの子は優しい性格のようだが、もうきっと愛想が尽きたことだろう。
湖の中に沈んでいく私達になんて、誰も手を貸してくれないのだ。
(私達を助けてくれる人なんて──)
「───見捨てないよ!!」
ハッとして、目を開く。
シェリー・ポッターは、フロランタン姉妹を何とか湖上まで引き上げようとしている。馬鹿な。無茶だ、鰓昆布の効果も殆ど切れかかっているのに──!
「もう少しだから!二人とも、もう少しで陸に着くから、あとちょっとだけでいい、どうか耐えて!!」
「ッ────」
嘘だと思った。
夢でも見ているのかと思った。
けれど、シェリーのその手がフロランタン姉妹を強く握っている事実は、揺らがなかった。
(シェリーの方は……フロランタン姉妹を連れて上がるつもりか!こっちも殆ど終わったぜ……!)
あの投石で、殆どの人間は意識を失ったり、泡頭呪文が解除されたりした。鰓昆布を食べていたシェリーと、持ち前の回避能力で躱したベガだけが無事で済んだ。
ベガは『浮上呪文』と『火炎呪文』でその場の殆どを陸上に送り届けることに成功し、残るはシェリーとフロランタン姉妹、セドリック、そして自分だけとなった。
(悪いなセドリック、後回しにしちまって)
彼は泡頭呪文が割れていなかった、数少ない人間だった。それ故に他の人間を優先してしまったが、彼も──
しかしここでベガは己の失策に気付く。
魔力が残っていない。
新しい杖のデメリットだ。自分の想定していた以上の魔力を持っていかれる。この魔力で陸上に打ち上げるのは不可能だ。
ならば、と。
セドリックを抱えつつ、シェリーを下から持ち上げる形で陸に上がる。ベガの筋力ならば陸上では四人、浮力のはたらく水中なら五人まで持ち上げることはできる。
けれど問題はスタミナだ。移動の殆どをシェリーに任せていたとはいえ、一時間泳ぎっぱなしだったベガにその体力が残っているかどうか。
答えは、ノーだ。
(チッ、ここらが限界か──)
湖面に、あともう少しで手が届くというところでスタミナは尽きた。
このまままた湖底に落ちてしまう前に、ベガは四人に魔法をかける。『上がれ』、と。
浮上呪文をかけられたシェリーは困惑したように湖面へと上がる。それでいい。こんな微々たる魔力では、この位置からではないと湖面に上がれなかったのだから。
本当に魔力が無くなってしまった。
初めて味わう虚脱感。力を全て使い果たした彼は、ゆっくりと沈んでいく。
(──もう、湖底か)
早いな。
と、惚けた頭で考えた。
けれど、それはどうやら間違いらしい。
空が近くなる。地面に持ち上げられているような──いや、事実そうなのだ。
地面ごとせり上がっている!
きっと土の魔法なのだろうが、こんな規格外が許されるのは彼だけだ。打ち上げられるように、太陽の下に晒される。
「『アレナス、砂よ!』
──大丈夫かベガ!顔色が悪いようだ、胃の中の水を吐き出すことを勧めるぜ!!」
「レックス・アレ……おえええっ」
最強の闇祓い。
ベガの周りの地面ごと持ち上げるとは、相変わらず、その化け物っぷりは顕在だ。
はは、最強の座はまだまだ遠いな、と疲れ切った脳味噌は適当に考えた。
「ベガ!大丈夫かい、ベガ!!」
「今身体を温めるから、揺らさないでください!……ちょっ!今は撮影もインタビューも禁止だって!」
「今の気分はどうざますか!?」
「あー…無事なら、何でもいいや」
ベガが倒れている横には、シェリーの姿もあった。彼女の信奉者やファンに囲まれながらも、その顔は安堵そのものだ。
「シェリー!ああ、よかった、あなたとベガがロン達を助けるために無茶したって聞いて、私、私──」
「本当に……本当によかった!でも、本当に、君は君だよなあシェリー!もう本当に君ってやつは!」
「は、はは……。……?…二人とも仲直りしたんだね、良かった……」
「親友がここまで頑張ってくれたのに、その目の前で喧嘩なんてできないわよ!」
涙声でハーマイオニーが抱きしめた。
水で冷え切った身体に、彼達の友情は何よりも染みた。きっとあれは、ロンとハーマイオニーがこれからも一緒に過ごすための試練だったのだろう、と結論付ける。
それでも、シェリーの、大好きな人と一緒にいたいというのは理屈ではない。
だからこそ、嬉しい。
タオルに包まりながら、ぎこちなく笑みを浮かべる。そこに人混みを分けるようにやってきたフラーから額にキスされた。
空気を読んでそっとしておいたジニーとチョウがその光景を見て青筋を浮かべた。
「ガブリエールは私の妹なの!」
聞き取れたフランス語はそれだけだ。
ハーマイオニーの翻訳によると、フラーの妹のガブリエルを助けてくれたことに感極まっているらしい。普段の女帝としての顔ではなく、一人の少女の顔をして、彼女はシェリーを抱きしめた。
そんな彼女だが、ガブリエルが上がってきた時もだが、フロランタン姉妹が陸に上がった時も一番に彼女達に駆け寄って抱き締めたらしい。姉妹が面食らってしまう程に強く、よかった──と。
そのフロランタン姉妹がやって来た。
彼女達は照れ臭そうに頬を染めると、ややあって口を開いた。
「その………さっきは、ありがとう……」
「あー、感謝してる……」
「いいよ。ローズベリーとブルーベリーが無事で良かった」
「ローズで、いい……」
「私も、……ブルーで」
「つまり二人は渾名で呼んで欲しくて、何で呼んで欲しいのかって言ったらそれは助けてくれたシェリーと友達になりたいからなのでーす」
「「お、お姉様!!!」」
フロランタン姉妹の意外な、いや、可愛らしい一面を覗き見ると、シェリーは嬉しそうに微笑んで、
「勿論だよ」
──そう、言ったのだった。
本当は「ガブリエルを担いで泳いでくれましたよね!お礼におでこにキス!」みたいな感じでフラーがロンやベガにキスしたり、ハーマイオニーがそれにモヤモヤして、憂さ晴らしにその辺のスネイプを湖に落とす予定でした。
それを見てクラムが更にモヤっとしたり、ネロがそれを揶揄ったりするところを書こうと思ってましたが……字数多いからカットや!!!