シェリー・ポッターと神に愛された少年【完結】   作:悠魔

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絶望。


11. SHERRY POTTER AND THE BOY BLESSED BY GOD

 ペティグリューの詠唱を、シェリーはまずいと思いながらも、止めることはできなかった。

 彼女達を縛るロープは硬く、到底、少女の力でどうこうできるものではなかった。

 大鍋に飛び込んだヴォルデモートに続く形で、ペティグリューは復活の材料を投入していく。

 

「父親の骨、知らぬ間に与えられん。父親は息子を、蘇らせん。

 しもべの肉──喜んで差し出されん!

──しもべは、ご主人様を、蘇らせん

 敵の血、力づくで奪われん……汝は……敵を蘇らせん!

 そして更に──昔日の記憶は、今宵の暴力と研鑽となりて──

 偽りの英雄は、帝王を再び暁の空へと誘わん!!」

 

 父親の骨、リドルの父親の遺骨。

 しもべの肉、ペティグリューの右腕。

 敵の血、シェリーの血液。

 昔日の記憶、ぼろぼろの日記帳。

 偽りの英雄、ハリーの髪の毛。

 五つの五大要素が絡まり合い、帝王の復活──いや、それよりおぞましいナニカが執り行われる。

 左手を失ったからか、彼は脂汗を額に浮かべながら大仰に杖を振るう。その仕草はさながら指揮者の如しだった。しかし奏でられるのは優美な音楽ではなく、恐々とした不協和音だ。

 ややあって、もはや直視することすら憚れる大鍋の中から、一人の男が現れる。蛇のような真紅の瞳を満足気に歪ませると、喜悦の色を含んだ声で、言った。

 

「──ヴォルデモート卿の復活だ」

 

 先程の、蛇のような顔面ではなく、艶のある黒髪の美青年。しかしその立ち振る舞いは威厳を感じさせ、まさしく帝王と呼ぶに相応しい貫禄があった。

 妖しく光る瞳孔は、彼の魔力の一端を垣間見ているようだった。……クィレルに取り憑いていた時や、過去のリドルの時とは比べ物にならない。その総量はダンブルドアに比肩、いや、もしかすると凌駕しているようにも見える。

 復活──どころか、前よりも強化されているのだ。おそらくは肉体そのものを造り替えたのだろう。

 魂の残滓が残る日記帳、そしてハリーとかいう少年の肉体があってこそだ。

 

(──そうだ、あのハリー・ポッターとかいう人は……)

「ようやく蘇ったか、父さん。良かったよ。あの蛇マスクで屋敷を彷徨かれるとつい殺したくなるからね」

「クハハハ、ハリーは随分と大言壮語になったな。できもしないことを語るようになるとは」

「……あ?試してみるか?」

「それもいいが、後にしろ。まだやるべきことが残っている。ペティグリュー、腕を出せ。まずは俺様の復活の儀に尽力したことに礼を尽くそう。

 ワームテールー、新しい腕よー、ってやつだ」

「ああ痛い、ああ、頑張れ私、頑張れば人は何だってできるんだ、だから私が腕があると思えば腕はあるも同然……

 えっ、本当ですか我が君」

 

 とん、とヴォルデモート卿が杖を傷痕に置いただけで、水銀のように淡く輝く腕が形成される。感謝よりも先に驚きが勝ったらしい、まじまじとそれを見つめた後、思い出したかのように慌てて頭を下げた。

 ……しかし改めて見ても、わけが分からない状況だ。ヴォルデモートと、その配下のペティグリューはまだいい。しかしその二人のせいで命を落としたジェームズそっくりの少年が、さも当然の如く彼達と話している。シリウスやルーピンが見れば目を疑うだろう。

 しかもあの眼鏡の少年は、夢に出てきた人物にそっくりだ。しかしその顔はどこかあどけなく、シェリーと歳は変わらないように見える。そしてヴォルデモートそっくりの紅い瞳と額の稲妻の傷が、ジェームズ本人ではないことを証明していた。

 ジェームズの親族だろうか……?しかしあの稲妻状の傷は……。

 

「ハリー……、『ポッター』?シェリー、知り合いか?」

「いや、知らない、だけど……」

「そうだよな?気になるよなあ。何せお前の父親と瓜二つだもんなあ」

 

 図星を突かれる。

 さも友人のように会話に混ざってきた帝王に、うなじの毛が逆立つのを感じながらも、シェリー達は警戒を緩めない。

 どこかで逃げる糸口を掴まなければ。

 去年のシリウスのように、友好的な存在というわけではないのだ。

 そんな、叛逆の意思をひしひしと感じながらも、ヴォルデモートにとっては些事も同然である。興味も抱かず、ハリーについて話し始めた。

 

「こいつは俺様の息子のようなものだ」

「息子………!?」

「生まれついての闇の魔法使い。俺様直々に育てたエリートだ。こいつに足りないものは経験だけ……。というわけでお前達にはハリーの贄になってもらう」

 

 言うと、ローズとブルーを縛っていた縄が切断される。彼女達は解放感よりも困惑と恐怖が勝っているようで、すぐに立ち上がることができない。

 そんな彼女達の下へ、杖が投げられる。

 

「フロランタン姉妹、だったか?

 うちのハリーと闘ってみろ。お前達が勝てば全員ここから逃がしてやる」

「は──?」

「余興だよ。俺様の目の前でせいぜい絶望に抗ってみせろ。その散り様で俺様を興じさせてみろ」

 

 ヴォルデモートの、ハリーなる人物に向ける絶大な信頼に一堂は訝しむ。

 かつて彼は味方である人物にも暴虐の限りを尽くした男だ。傲岸で、不遜で、誰も信用せず、己の内側のみに興味と関心を抱いていた人物なのだ。

 しかし今の彼の視線には明らかにハリーへの期待と信頼が含まれている。食い違う認識の差に戸惑うのも無理はない。

 だが今は、その戸惑いに関心を寄せている場合ではないのも事実。

 全員ここから逃がすという約束を、彼が律儀に守るとも思えないが──この好機を逃す手はない。

 

(今すぐシェリーとセドリックを助けたいところだけど、近くにあの小男がいるから迂闊には近付けないよ、ブルー)

(うん。今は奴の言う通りにして、不意を突いて助けに行くしかない)

「ハリー、紅い力は使わずに殺してみろ」

「──チッ。分かったよ、父さん」

 

 ここから逃げる算段をつける姉妹二人を尻目に、ハリーは不満げな様子を隠すこともなく答えた。

 反抗期の息子のような舌打ち。されど会話の内容は残虐そのものだ。その狂気に当てられたか、少年少女は叫んだ。

 

「やめて!貴方達の目的は私でしょう!!あの子達は関係ない!!」

「僕がやる、僕が代わりに戦う!!だからその子達を放せ!!」

「おいおい、少しは落ち着けよ。

 しかしセドリックよ、俺様はシェリーさえここに来れば目的は達成するのだが、その際にお前とベガも一緒にここに来る可能性が高いと思っていた。

 高い実力を持つ若人だ、どうせここに来るなら俺様の配下に加えてやろうと思っていたのだが」

「ふざけるな!!誰がお前なんかの──」

「『シレンシオ』!……少し黙ってろ」

 

 闇の帝王の不興を買ったか、セドリックには防音呪文がかけられる。まだ彼は殺す気ではないようだが、例えば今、彼の機嫌次第では『死の呪文』を唱えている可能性もあったわけだ。

 下手に刺激すれば何をするか……。

 ごくりと唾を飲み込んだローズとブルーは、「勝負を受ける」と叫んだ。

 

「では決闘開始だ──」

「──『アバダケタブラ』!!!」

「な!?『プロテゴ・ジェミニス、二重の盾よ』!!」

 

 何の躊躇いもなく死の呪文を放つ少年に面食らいながらも、双子独自の盾の呪文でそれを受ける。得体の知れぬ少年の異常性に恐ろしいものを感じながら、二人は旋回するようにその場から離れる。

 側面に回りこむ形での挟撃だ。

 ローズは左から、ブルーは右から。……そう見せかけておいて、ローズは途中でペティグリューへと攻撃する腹積りだった。

 ヴォルデモート卿は元より、ペティグリューとかいう小男も、あのハリーとかいう少年も、瞳に宿すのは狂気だ。この闘いそのものが茶番であり、ハナから勝たせる気など皆無。ハリーが負けそうになれば何か茶々を入れてくるのは自明の理だ。

 警戒心の強いローズとブルーが、わざわざそんな罠に飛び込むわけがない。ハリーを警戒しつつも、あくまで優先するのは二人の救出と逃走だ。

 

「フロース・オーキデウス、大輪の花!」

 彼女達の最も得意とする、花魔法。

 大気中に流れる魔力に訴えかけて植物を成長させる呪文だ。ハリーの視界を塞ぐと同時、催眠性の花粉をばら撒く寸法だ。

 この花粉には興奮作用があり、平時には気つけ薬として使用されるが、戦闘時には集中力をなくして魔力を暴発させるという効果があるのだ。

 

(あのハリーとかいう子、たぶんプライド高くて負けず嫌いなタイプだわ。そんな相手とは縁があったからね。

 そういう手合には面白いほど効くのよ、この魔法が……、ッ!?)

 

 しかし彼女達の目論見は外れる。

 花が成長するより前に、グズグズに腐って枯れてしまったのだ。

 死を司る墓場ということもあり、生の象徴たる花魔法がその真価を発揮し辛かったというのもあるが、きっと原因は他にあるだろう。

 ハリーの杖をよくよく見れば、気味の悪い紫色の魔力が練られている。

 『毒魔法』──というやつか。

 もし彼の毒が、たちどころに花を腐食するのであれば問題だ。それはフロランタン姉妹にとって天敵の魔法。

 であれば、花を使った撹乱ではなく、ハリー本人を直接叩いた方が良い。ローズとブルーは示し合わせたようにハリーへと向かい、違う場所から攻撃呪文を放つ。

 フラーと練習したフォーメーション。時間差で違う場所から攻撃することで、相手が段々と対処し切れなくなっていくのだ。

 

「プロテゴ・サークル!円形の盾!」

 

 ハリーの取った選択肢は防御。

 円形のドーム状に展開された魔法防御は一縷の隙もなく、全方位からの攻撃を防ぐ。だが範囲に力を割いたせいで、強度は下がってしまっているようだ。

 ローズとブルーは攻撃呪文が得意な方ではないが、即席の盾の呪文を突破するくらいわけない。すぐに盾は割れ、中に潜んでいたハリーの姿が露わになる。

 ハリーは腰を屈めて、杖を持たない左手を地面につけていた。遠目から見ていたシェリーはひと足早く彼の思惑を察して、悪寒が走った。

 

「危ない!逃げ……」

「アグア・カチェラム!水の牢獄!」

「なっ、きゃああああ!?」

 

「がっ、ごぼ──」

 ローズは水の牢獄に囚われた。

 呼吸ができないのか、必死にもがく。けれど手は空を切り、口からボコボコと音を立てて空気が漏れていた。

 

「馬鹿な女どもが。僕は水脈の位置を探ったんだよ。

 墓地の近くには大抵墓石を清めるための水汲み場や井戸がある。その水源や水脈の位置を割り出して、魔法に利用したんだ」

「だ、駄目だ、この水、魔法を弾く!」

「ああ、特別性なんだよそれは。

 さて……馬鹿女どもは知らんだろうが、古代ローマにはマメルティヌスの牢獄という、元は貯水槽の牢獄があって、死体を水で押し流したと言われているんだが……お前は溺れずに生き延びられるのかな」

 

 まずい。

 一刻も早く救出しなければ、ローズは彼の目論見通り溺れ死ぬ。あの水牢はハリーの魔力によるものだろう、すなわち彼を攻撃して傷でも負わせれば、たちまち魔力のコントロールが乱れて解除できるはず。

 ブルーはハリーに向かって走った。

──しかしそれは選択ミスだった。

 

「がっ……!?」

 

 後頭部に何かが当たって、よろけた。

 ハリーの魔法かと思ったが、彼はこちらに杖を向けてはいない。

 なら何が──。

(ッ、ローズを捕えている水……!?水牢の水を遠隔操作して、私に──!)

 水の攻撃により、脳が揺さぶられた。

 そして続くように水の弾丸が発射され、背中と腰を強打した。

 あまりの痛みに思考能力が奪われる。その隙に付け込むように、左足首に魔力の縄が巻きついた。

 何を、と考える暇もなく。

 ブルーは縄で引っ張られ、宙に舞い──墓石に叩きつけられた。

 

「がッ───」

 

 咄嗟に腕で身体を守った。

 腕が折れた。

 背中で受身を取った。

 骨が折れた。

 頭はまずいと、手で庇った。

 指が折れた。

 抵抗すらできなくなった。

 全身の骨という骨が砕けた。

 

「あああああああああ!!!!!」

「ハッハァ!どんな気分だ、女!もっと良い声で鳴け!決めたぞ、お前の骨を一本残らず折ってやる!!」

 

 残酷な拷問。

(痛い、痛い、痛い痛い──!!)

 勢いよく叩きつけられて、ブルーにもう無事な箇所など残っていなかった。

 全身血だらけになって、鈍い痛みが何度も何度も彼女を襲った。強く、強く、全身が殴打され、骨がスクランブルエッグみたいにぐちゃぐちゃになっていく。

(────たす、けて────)

 血が流れるとともに、力が抜けていく。

 抵抗しようとする気力さえ無くなる。

 この感覚はよく覚えている。ハリーの無慈悲な暴虐が、彼女のトラウマを呼び起こしていた。

(────だれか、たすけて───)

 父親に殴られた恐怖。

 酒気を帯びた手で、母親に似た顔が気に入らないと責められ叩かれる。

 本当にふざけている。

 最悪の人生だ。

(────おねがい────)

 けれどそんな中で、本当に優しい人達とも出会った。世話を焼いてくれるフラー、生徒想いのマクシーム。

 湖から助けてくれたシェリー。

 代表選手達も悪い人達じゃない。

 ベガだって湖から引き上げるのに尽力してくれたし、セドリックはどうやら本物の紳士だ。マホウトコロの連中は喧しいけれど楽しい人達だ。イルヴァーモーニーのサーベラスも、実はファンだった。ダームストラングとはあまり話せなかったけど、本当は優しい人達なのかもしれない。

 

(──助けて、じゃない──!)

 

 助けるのは自分の方だ。今ここで戦えるのは自分だけだ!

 そうだ。

 自分達は誰かの助けになりたかった。

 助けられてばかりの人生で、人の役に立てることができればと思っていた。

 親に殴られて、自分なんていらないと思っているような子に、そんなことないよって声をかけてあげたかった。

 ローズに、セドリックに、シェリー。

 今ここで嬲られている自分を見て、自分のことのように悲しんでくれる、どこまでも優しい人達。はじめてのともだち。

 不安にさせるわけにはいかない。

 このくらい平気なんだって、だから安心していいんだよって、言わなくっちゃ。

 不意に縄が外れて地べたを転がる。

 すっぽ抜けたらしい。

 何とか動く眼球を動かしてみれば、そこには、泣き叫ぶシェリーの姿があった。

 

「──しぇりー」

 

 ああ、あんな悲痛な顔をして。

 安心させてあげないと。

 大丈夫だよ、今助けるからねって、強がりを言って安心させてあげなきゃ。

 こんな身体じゃ、満足に声を上げることもできないけれど──

 

「──たすけ────」

 

──待ってて。今、助けるからね。

 そう言おうとして、ついぞそれは叶わなかった。

 宙に浮かぶ紅の槍。

 何十本ものそれが、心臓を穿ち貫かんと漂っていたことに、地を這っていたブルーは気付いていなかった。

 

「死ね」

 

 紅の槍は、手を伸ばしかけたブルーを忽ち地面に縫い付けた。

 華奢な身体がびくんと跳ねたきり、何の反応も示さなくなる。開いた孔から後になって流れる血だけが、その惨劇の凄惨さを物語っていた。

 ブルーは死んだ。

 

「んんーーッ!!んんーーッ!!!」

 

 妹を殺されたローズは、声にならない声を上げて、無様に水牢の中でもがく。

 しかしその抵抗も虚しく、ローズの身体はやがて動かなくなっていく。

 目の前で最愛の妹を殺され、絶望に打ち拉がれながら、しかも彼女に駆け寄ることすら許されることなく。妹の名前を発することすらできず。

 ハリーの水の牢獄の中で息絶えた。

 

(……ああ……嫌、だな……怖いな……

 お父さんに怒られて、物置に閉じ込められた時みたい……暗くて、何も見えなくなってく………視界が暗くなってく……

 ブルー、どこ?そこにいるの……?

 一人にしないでよ………)

 

(みんな どこに──)

 

 フロランタン姉妹は死んだ。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽▽▽

 

 

 

 

 

(たすけて、と言おうとしていた)

 

 目の前にいながら守れなかった、その無力感がシェリーを襲った。

 

(ブルーは助けを求めていた。自分が助けなければいけなかった。それはできなかったのは何故か。私に力がなかったから。ローズは絶望しながら死んだ。私がもっとちゃんとしていれば死なずにすんだ。あの二人は死ぬべきではなかったのに)

 

 そうではない。ブルーが言いたかったのは、そんなことではない。

 ブルーの想いが、婉曲した形でシェリーに伝わっていく。

 シェリーの頭の痛みはこれ以上ないまでに酷いものとなっていたが、そんなものどうでもいいとばかりに呆然とその光景を見ていた。

 絞り出したように、声が出た。

 

「なんで──こんなことが──できるの」

「なんで?……そうだな、敢えて理由を付けるとするなら、あの女どもが僕を侮ったからだ。

 僕はな、僕の力と沽券をこの世に示すために生まれてきたんだ。今までは雌伏の時だったがこれからは違う、僕の存在をこの世界に認めさせてやるのさ」

「くっくっ。まあ励むが良い、ハリー」

 

 事もなげに言うハリー。それを満足気に見つめるヴォルデモート。あまりに異常な光景に、脳が理解を拒んでいた。

 どんな悪人にも理由があって、何かしらの歪みがあって、その末に悪へと身を窶したのだと思っていた。

 けれど、この男にあるのは、度し難い邪悪だけだ。歪みに歪んで、逆に一本の線となっているような……。

 

「そんな……そんな理由で?」

「人の辛苦は愉しい。末期に全てを曝け出す様は面白い。人の不幸は蜜の味というが、まさしくその通りだ。お前達もそうは思わないか?」

 

 言われて気付く。

 シェリー達を取り囲むように、大勢の死喰い人が『姿現し』していたことを。

 不気味な髑髏の仮面が墓場に集結している様は、なるほど底冷えする恐怖をもたらした。だが、シェリーはそんな恐怖などとは無縁だった。

 死んだ。

 自分の目の前で死んだ。

 ローズとブルーが死んだ。

 ふたりもしんだ。

 マモレナカッタ。

 ナニモデキナカッタ。

 涙すら出ず、その死を受け入れることすらできず、ただ茫然とするしかない。そんなシェリーをよそに、ヴォルデモートは嘲り高笑した。

 

「さて、さて。我が友よ。死喰い人達よ。俺様を死んだものと勘違いして安堵し、探そうともしなかった愚か者どもよ。

 この借りはこれからの働きにより返してもらうことにしよう」

「……じ、慈悲に感謝致しま……」

「それはそれとして苦しめ。クルーシオ」

「がっ、ぎゃあああああああああ!!?」

 

 恐れながら平伏した死喰い人達に、彼は慈悲もなく罰を与えた。一瞬の安堵が、磔の呪文の威力を更に高めた。

 たまたま近かったという理由で、数人の死喰い人が息も絶え絶えに倒れ伏す。それを見て怯えた死喰い人……あれはルシウス・マルフォイだ。彼もここにいるということは……、彼の対応如何によっては倒す決断もしなければならないか……?

 

「くっくっくっ、久しいな、ルシウス。貴様の道化ぶりはいつも俺様を楽しませてやまない」

「………は………」

「まったく殊勝なことだ。その哀れさに免じて、貴様の子供達の罪を許そう。愚かにも俺様に叛逆した罪をな」

「………あ、ありがたき幸せ………」

「それにしても、くッ、愚かだな。グレイバックがお前の娘を噛んだことにも気付かず、家庭から目を背け、あろうことか自分の仕掛けた日記帳で子供達を窮地に追いやったと聞いた時は、この俺様を笑い殺す算段かと思ったぞ!ははははッ」

「────あ、え?」

「そうだよ!お前の娘を噛んだのはグレイバックだ!ははは、無様なことだ!あいつは今アズカバンにいるが、あそこを解放した暁には再び幹部の座をくれてやる所存だが、どうだ!今の気分は?」

「…………な、………な」

「言葉も出んか。良いぞ、お前のその顔が何にも勝る美酒だ。くくくッ………」

 

 ルシウスの忘我の呟きをもってして、ヴォルデモートは更なる哄笑へと至った。

 悦楽に染まった双眸が、縄で縛られていなければその場に膝をついていたであろうシェリーを見やって、更なる色を乗せた。

 

「お前も、はははは。傑作だ。人の苦しみに当人よりも苦悩するその光景は、慰み者として俺様の寵愛を受けるに値する」

「……………」

「お前は何も知らない、シェリー・ポッター。自分の命の価値さえもな」

 

 言うと、ヴォルデモートは自分の父親の墓石の上に腰を降ろすと、澄んだ色の酒を虚空より生み出して、酒盛りを始めた。

 これからの話が、極上の酒の肴だとでも言わんばかりに。

 

「教えてやろう、お前という人間のどうしようもない罪深さを──。

 俺様は強さを求めていた。絶対的な強さをな。とあるナメクジ男から分霊箱の存在を知ると、その研究に勤しんだ。……だがアレは魂を弱らせる副作用があったのだ。

 さてどうしたものかと、古い文献を探っていく内に辿り着いたのが──『紅い力』だった」

 

 紅い力。

 去年戦ったグレイバックはその力に目覚めていたが、その強さは常軌を逸していたし、まだまだ余力を残していた。もし彼が油断なく全力で戦っていたら──シェリー達は今ここにはいなかっただろう。

 それほどの、絶大な、力。

 それを彼は追い求めたのだという。

 

「しかしその探求も徒労に終わった。紅い力を研究するうち、ソレが寿命を縮めることが分かってな。不死を求める俺様としては実にナンセンスな力だった」

 

 かつての闇の魔法使い、グリンデルバルドも紅い力に目覚めてはいたらしい。しかしそのリスクが分かっていたのだろう、ついぞその力を行使することはなかった。

 しかし、そこで帝王ははたと気付く。

 紅い力と分霊箱。

 その二つを組み合わせれば、更なる力を得られるのではないのか、と。

 去年のベガも、悪霊の炎と守護霊を組み合わせることで新しい魔法を創作するに至ったのだ。できない道理は、ない。

 

「そう──紅い力と分霊箱の理論を組み合わせればリスクなしで強大な力を得られるのではないか、とな。

 結果としてそれは成功した。あんな姿にこそなってしまったが、擬似的な不死と何者をも殲滅する力を得たのだ。

 更には、その力を他者に譲渡できるまでに至ったのだ。紅い力をしもべが扱えるようになれば、最強の軍団が出来上がる。

 俺様は紅い力を七つに分けた。

 憤怒、嫉妬、強欲、怠惰、色欲、暴食、傲慢──の七つにな」

 

 魔法使いの魔力は、感情によって増減することがままある。激情に駆られたりすると、火事場の馬鹿力のように普段以上の力を発揮できることがあるのだ。

 かつてシェリーを守った愛の護りもそういう理屈だ。ヴォルデモートは、その感情の力をも魔法式に取り込んだ。

 

「ある条件を満たした者にのみ、この力は完全に使いこなすことができるのだ。

 条件は二つ。『優れた魔法使いであること』と『適応する感情を秘めていること』

 ……何人かに試したが、その条件に適合しない者は、紅くならず『黒い力』になるに留まった。魔力は強化されるが、俺様の求める水準には満たなかった」

 

 彼は言外にクィレルを馬鹿にしていた。

 クィレルは優秀な魔法使いとは言い難い。自分の自尊心と釣り合わぬ大望を抱いたが故に、彼は悪に堕ちてしまった。

 

「嫉妬はそこな鼠にくれてやった。が、そいつのしくじりで俺様は一度滅びた。故に力を没収して、今度はクィレルに嫉妬の力を与えた。……結果は散々だったがな」

 びくり、と視覚外でペティグリューが大きく震えた。彼のしくじりとは、十中八九『秘密の守り人』のことだろう。彼の密告が原因となって帝王は滅んだのだ。

 

「で、狡猾にもその鼠が俺様の記憶の残骸を手に入れて、赦しを乞うてきたので、業腹だが再び力をくれてやった。

 俺様を蘇らせた功績は大きいし、嫉妬に適合できる稀有な人材でもあるしな。あとこいつの道化ぶりが面白かった」

「ヒィイッ!だ、大丈夫だ、私はやればできる男なんだッ!私が怒られてないと思えば怒られてないのだ……よし落ち着いた」

「この通り、怯える様が愉快だ。

 色欲はフェンリール・グレイバックに。あいつとは一度戦ったのだろう?」

 

 彼ほど色欲に生きた男はいない。

 そういう意味で、グレイバックほど色欲の名に恥じぬ男はいないだろうし、その力は去年存分に見せつけられた。

 他にも、かつて強欲と傲慢に適合した部下がいたらしいが、ヴォルデモートが一度滅びたのを受けて弱体化して、アズカバンに投獄されたのだとか。

 ……弱体化してあの強さなのは、本当に異常だと言わざるを得ない。

 

「さて、色欲・傲慢・嫉妬・強欲はいいとして、問題は怠惰・暴食・憤怒だ。

 俺様の配下に怠け者はおらん……というかそんな奴はいらんし、食い意地のはった奴もそういない。マグル狩りは順調だったので怒り狂った人間もそういなかった。

 怠惰は後ほど適任が見つかったが、憤怒と暴食の適正を持つ人間は中々見つからなかったのだ。無理矢理力を持たせることもできんわけではないが……。

 さてどうしたものか。

 悩んでいるうちに、その日は来た」

 

「七月三十一日。シェリー・ポッターの一歳の誕生日であり、お前の両親を殺した日であり、俺様が滅びた日だ」

 

 そう、その日に全てが始まった。

 紅い力を持った死喰い人は、その力が弱まったことで主の敗北を悟ったのだろう。

 だが力は完全に消えなかった。だからまだ帝王は生きていると信じて、各地で残党が暗躍を続けていたのだ。

 

「俺様はあの日、案内役のペティグリューともう一人、信用できる部下を連れていったのだ。

 俺様が愛の護りとやらで滅んだ後、鼠は恐怖からかサッサと逃げ出し、残されたのは泣き叫ぶ赤子と、ゴーストにも劣る存在になった俺様、そしてその部下だった」

 

 部下?部下だと?

 死喰い人があの場にもう一人いた、と?

 それはおかしい。報復を恐れたペティグリューが逃げるのは分かるが、その人物は逃げる必要などないわけで、帝王を滅ぼしたシェリーに激昂して殺害しなければおかしい。

 その人物は何故自分を見逃した?

 

「そう!長くなったが話の肝はそこだ。

 そいつは当然、俺様を滅したシェリー・ポッターを殺そうとした。だが、そこで俺様は待ったをかけた!死の淵に立たされ、ぶっ壊れた頭でどうしてやろうかと考えた結果、思いついたのだ!

 この赤子を使って、憤怒と暴食、二つの受け皿を創ってしまおうと!」

 

 つまり──赤子だったシェリーに紅い力を二つ与えようとした、ということか?

 だがそんなことは不可能だと、即座に頭の中で否定する。シェリーは当時まだ赤ん坊であり、そんな強大な力を受容するだけの器はできていなかったはずだ。

 そんな人智を越える力を、一人の人間が二つも持てるはずがない。

 それに憤怒とか暴食とか、そういった感情すらも芽生えてはいなかっただろうに。

 だが。

 次の言葉を耳にした瞬間、シェリーは自分という人間の愚かさを知り、この男の業を立ちどころに理解した。

 

「──俺様はシェリー・ポッターを生贄にして、新たな生命を創造した。

 所謂、ホムンクルスというやつだ」

(…………………!!!)

 

────つまり、それは……。

 死喰い人の何人かは首を傾げた。当たり前だ、ホムンクルスとは魔法界に存在しない、マグルの分野の技術のことなのだ。

 あとは錬金術師達が少し齧っているくらいだろうか──。

 シェリーとてその分野に秀でているわけではないが、その言葉の意味するところくらいは分かる。分かってしまった。

 

「知らない奴に説明してやるとな、それは人工的に生み出された人間のことだ。

 俺様は本物のシェリー・ポッターを素材として使用し、新たに二人のきょうだいを創り出した」

(……………………………)

 

 セドリックが瞠目した。正気か、と。

 死喰い人達が彼女を見て恐怖した。この少女は化物だ、と。

 シェリー自身、それをどういった感情で聞いているのかよく分かっていない。

 今ここにいるシェリーは、ヴォルデモートが人工的に創造した生命であり、リリー・ポッターの胎盤から生まれ落ちたものではないという事実。

 シェリー・ポッターのフリをしていた、哀れな人形。それが……。

 

「もう分かっただろ?シェリー。お前は本当のシェリー・ポッターではない。

 当時一歳だったシェリー・ポッターから誕生したホムンクルス、それがお前だ」

 

 で、あれば。

 ヴォルデモート卿が、ゴースト以下の霊魂に身を窶した後、再び力を得ることができたのも頷ける。

 その出生は邪悪そのものだが、彼に流れる血はヴォルデモートとは相反するものである。彼の血を使って擬似的な復活を果たしたと言われれば納得がいく。ただその特性上、完全に復活はできなかったので彼はシェリーの血を求めたのだ。

 シェリーもハリーも、帝王にとって敵とも味方と言える存在。二人の血を使うことが彼の復活に必要だった。

 

 シェリーの見た目が、リリーそっくりなのも理解できる。近くにあった人間……即ち、リリー・ポッターの身体を参考にしたのだろう。

 そして、憤怒の力を埋め込んだ。やがて闇に堕ちることを見越して……。

 ハリー・ポッターにしてもそうだ。帝王が暴食の力を埋め込むためだけに、ジェームズの遺体を利用して人間の紛い物を創造した。

 しかしここで一つ疑問が生じる。

 彼の話が本当なら、自分の駒が欲しかった故に、二人の人間を創造したということになる。……そして、片方は闇の道に。片方はその家にそのまま残された。

 おかしくないか?

 ハリーは彼の目論見通り比類なき悪へと昇華したようだが、それでは何故生まれたてのシェリーをその家に放置する、などという愚行を犯したのか?

 

「ふと思ったのだよ。真に生まれるべきだったシェリー・ポッターと瓜二つのホムンクルス。こいつがこのまま闇と無縁のまま育てられれば、一体どうなるのか。

 きっと生き残った女の子として持て囃され、魔法界の英雄として救世の象徴となるだろう。……そんな敬虔な少女が、ある日突然魔法界に牙を剥く。たちまち阿鼻叫喚の渦に陥るだろう。そいつが実は闇より生まれ出たホムンクルスということも知らずに、だ!その光景はさぞかし良い眺めだろうと思ってな。

 更には、友を、仲間をその手にかけることになるシェリー・ポッターの絶望。それは如何様なものかと興味が湧いた!後はまあ、スパイとしての役割もあったな」

 

──きっとこの男は、ホムンクルス・シェリーの人生を見て、遊興に浸りたかっただけなのだと悟る。

 スパイなど取って付けた理由でしかない。化物として誕生したシェリーを弄んでその人生を面白がっていただけだ。

 事実、シェリーも今日ほど自分の生を呪った日もなかった。生まれるべきだった女の子の人生を、偽物が代わりに消費してしまっているという現実。

 本当のシェリーが過ごすはずだった青春を期せずして奪ってしまった。それを受け入れたくなくて……シェリーは、そんな筈がないとかぶりを振った。

 

「そんな……そんな存在をダンブルドアが許容する筈がない。ダンブルドアなら私の正体も分かる筈。彼は必ず私を殺す」

「いいや、奴はお前を殺せないさ。奴は冷酷だが時として甘い。ダンブルドアは闇より生まれた赤子を殺すことを躊躇ったし、正しき道を歩むことを望んでもいた。

 奴もまた、お前に魔法界の救世主となって欲しかった者の一人なのだ。お前の正体を胸の内に秘めたまま、墓場までその事実を持っていこうとしていた。

 何も知らないことが幸せだと、知りすぎた男は悟ったのだろうな。誰にも口外することなく人生を終えようとしていた。

……まあここでお前は知ったわけだが」

 

 真実を知っていながら、偽物を偶像として担ぎ上げたというわけだ。

 彼はより大きな善のために少数を切り捨てることのできる人間だが、その決断はとても遅い。断定を避け、誰よりも頭が良いのに自分の判断を信じられず、迂遠な謀略を講じてしまう男だ。

 その本質を、ヴォルデモートは理解していたのだろう。

 神をも恐れぬ所業、という段は既に越えていた。ヴォルデモートの精神性は最早、神の領域に達していたのだ。生命の冒涜も神が行えば冒涜ではない。そんな無茶苦茶な理論を、彼は証明せしめた。

 彼がハリーを選んだのは、かつての自分に境遇を重ねたから、ほんの少しの親近感が湧いたからに過ぎない。

 神に愛された少年(ハリー・ポッター)と、

 神に呪われた少女(シェリー・ポッター)

 二人の違いはただそれだけ。

 神の領域に立った男(ヴォルデモート)の寵愛を受けたか、受け損ねたか。それだけで両者の運命の歯車は大きく食い違った。

 

「ところでハリーだがな、暴食の力を授けるにあたって人肉嗜食(カニバリズム)の機能をつけた。こいつは、人を喰わねば生きていけぬ身体になっている。

 ハハ、気を付けろお前達。使えない者はこいつの餌にするぞ」

「──────」

 言葉が、出ない。

 ヴォルデモートの行いは、彼女の識る悪行の域を遥かに越えていた。

 自分の都合で創ったとはいえ、仮にも自分の息子にそんな機構をつけるなど………正気の沙汰ではない。

 

「さて、お前は憤怒の力を宿されたわけだが……どういうわけか、怒りとは到底無縁な日々を送っていたらしいな。

 だが今のお前を見て理解したよ。

 お前が怒っているのは自分自身。

 友を、仲間を守れなかった時にお前は他ならぬ自身に激怒する。反対に言えば、自分のために怒ることができない、生物として欠陥のある哀れな人間なのだ」

「……………」

「きっとマグルの家族に『お前はいらない存在だ』と言われながら育てられたせいだろうな。ハハハハ、その点だけはそいつ達に同感だ!

 お前は一人の人間が得るべきだった未来を、人生を、将来を、幸せを奪って生まれてしまった女なのだ!!」

 

 反論の余地もない。

 まさしくその通りだったからだ。

 シェリーに頭痛が起きていたのは、いつも誰かに危害が及んだ時。そしてその誰かを守れない時、彼女は「何故自分じゃなくて他人が苦しまなくてはならないのか」と自分自身を責める。怒る。

 ここ最近それが頻発していたのは、ヴォルデモートの復活時期と前後している、という理由もあったのだろう。

 あり得ないという思考は封殺される。今ここにジェームズそっくりの少年がいて、リリーそっくりの少女がいる。近くに転がっていた夫婦の遺体とその子供を利用し、二つの生命を創造した。

 それができる力を持った男がいる。

 リリーの愛の護りも万全ではない。本当のシェリーは、逆に杖さえ使わなければ簡単に殺せる。そして本当のシェリーが死んだ後なら愛の護りも切れる──。

 愛の護りが切れた後、その部下がヴォルデモートの指示に従い二つの生命を創造したのだろう。

 悪辣な感情のままに──。

 辻褄が合ってしまう。

 シェリーという存在の異常さの証明が、全て為されてしまう。

 

(──私が生まれてきてしまったことで、本当のシェリーは死んだ。

 私がこれから生きることで、皆んなの命を……危険に晒してしまうことに……)

 

 帝王の発想は、ある種、短絡的な思い付きに依るものだった。さも当然であるかのように禁忌を破り、何の葛藤も躊躇いもなく生命を創ってみせた。

 神の被造物でなく、紛い物の生命。

 無聊の慰めのためだけの創造。

 然して、根底が浅慮なのだとしても、それが力と智を兼ね備えた帝王によるものなら話は別だ。彼は悦と快を至上とする浅はかな人間性と、それを帳消しにするだけの能力を彼は併せ持っていた。

 常人が到底辿り着けぬ領域で、心底くだらない理由で遊ぶ男。

 世界を一つの箱庭として見做し、規格外の力をもってして愉悦する男。

 ヴォルデモート卿は、そういう男だ。

 

「どうだ、今の気分は」

 

 運命の悪戯という言葉が、これほど似合う男もいなかった。

 運命を手繰り寄せ、戯れ事を執り行う。

 その所業はまさしく神であり、暴君であり、子供であり、芸術家であり、簒奪者であった。

 闇の帝王にとって神とは、己を賛美する称号の一つでしかない。魔術を極めた先には神があるというが、ヴォルデモートの有り様は正にそれだ。気まぐれで人を殺し人を生かし人を造る。そこには倫理などなく、彼が善といえば善となるのだ。

 そしてきっと彼は、その比重が悪に偏りすぎていた。

 だからこんな残酷な質問ができる。

 だが、

 

「………いいよ………」

「ん?」

「どうでもいいよ、そんなこと……」

「………は?」

 

 今度はヴォルデモート卿の方が口を開く番だった。

 闇の帝王の、生を生とも思わない異常性に恐怖していた死喰い人達は、ここで認識を改めた。帝王の暴虐は、生粋の異常者故の行動ではなく、ある程度正常な人間が異常を求めた故の行動なのだと。

 本当に異常なのは、彼女の方なのだと。

 

「私が生まれてきちゃいけなかったなんてとっくの昔に知ってるよ………私のことなんてどうでもいいよ………!

 ……だから……だから早くセドリックをここから逃がして……」

 

 狂った懇願だ。

 自分の都合など度外視した、いや、自分の利益を考えることができない、自己肯定が欠落した少女が、シェリー。

 無論、シェリーがホムンクルス云々の事情を知っていたわけではない。

 ただ、彼女はダーズリー家で何度も何度も自分の生を否定され続けてきた。それ故に誰に何を言われようが、自分自身で自分を否定し続けてきた。

 だからこそ彼女は困惑する。

 自分がホムンクルスだろうが何だろうが最低な人間に変わりはないのだから、今更何を言われてもどうでもいいというもの。

 本当のシェリーの人生を奪ってしまったことに負い目こそあるが、それで自身を憐憫の目で見たりはしない。

 自己評価が低いというレベルではない。

 彼女の精神は狂人のそれに達していた。

 

「私の生まれがどうであろうと……私の命に意味がないのには変わりない……

 そんなことより……どうか……お願い、セドリックだけでも────」

 

 本当のシェリー・ポッターが自分のせいで死んでしまったことを知り、シェリーは自分がやはり生まれるべきではなかったのだと自己否定する。

 だがそんなのは、とうの昔に分かりきっている事柄である。

 この世の悪を、不条理を、受け入れる。

 それでも何かの間違いでこの世に生まれてきてしまった以上、せめて何かしらの役に立ってから死ぬべきだ。……という考えを幼少期から否定されずに育ってきてしまったのだ。

 優しくされればされるほど、その人のために自分を犠牲にしようとする。

 自分を否定されればされるほど、やはり自分は無価値だと思い込む。

 優しく狂った少女が、彼女だった。

 

「成程な。『仲間を守れなかった自分自身に怒る』、というのも突き詰めればここまでくるものか」

 くっくっ、と笑い声を上げる。

 彼女の怒りは特殊なものだ。内に向けることはあっても、外に向けることはない。

 彼女が何もできなかった無力な自分に激怒していると聞いても、誰もそれを理解できないだろう。

 優しすぎる彼女が瞋恚の矛先を向けていたのが、彼女自身だった、などと。

 死んだ方がもっと迷惑をかけるからしないだけであって、彼女の精神状態では何度自殺をしていたか分からないなどと、理解できるはずもない。

 

「ならば──もう一押しだ。シェリー、お前をもっと怒らせてやろう」

 

 悪辣な笑みと共に振るわれた杖には、彼が織り込んだ魔法式が紡がれていた。

 あれは、見たことがある。

 そう、ムーディーが、使っていた……。

 

「セドリック・ディゴリーを殺せ」

 

──は………?

 これまで、闇の帝王の話に顔を歪みに歪めていた青年は、突然の名指しにギョッとした表情になった。

 シェリーもそうだ、そんな命令に従える筈がない。頭ではそう思っていても、肉体は勝手な行動を始めてしまう。

 『服従の呪文』。

 他者を操る、禁断の魔法。

 ハリーがニヤリと嘲るように笑うと、シェリーの眼前にナイフを投げつけた。意図はすぐに察した。それを使って刺し殺せ、というのだ。杖による一瞬ではなく、ナイフでゆっくりと心臓を穿て、と。

 しかもタチが悪いことに、服従しても頭は鮮明に動いている。身体だけがヴォルデモートの言いなりになり、頭は、お願い、やめてと泣き叫ぶ。

 誰が言った言葉だったか──。

 

『初めての殺人は汝に消えない闇をもたらすだろう』

 

 予言の時は来た。

 シェリーは、セドリックを、殺す。

 まさか、これが。

 生まれてきてはいけなかった──背徳の少女に課せられた罰だとでもいうのか。

 

「ぁ、」

 

 シェリーの意図に反して、身体が勝手にハリーのナイフを手に取り、セドリックに向かって歩き出す。

 突き入れた短剣の手応えが重いことに、シェリーはまず絶望した。

 銀の刃が、戦慄くセドリックの肉を食い破っていく。彼の身体に沈んでいく。

 セドリックは苦悶の声を、帝王は諧謔として受け取ったらしい。鈍痛を訴える彼の歪んだ様を侮蔑も露わに嗤っていた。

 

「あああ、ああああ!!」

 

 そのナイフは、切れ味が悪かった。セドリックの肉を貫く動きが緩慢で、彼に必要以上の責め苦を味合わせていた。

 軋む心とは裏腹に、やおら刺し穿つナイフは揺るがぬままだ。涙が溢れた。焼き尽くされた焦土と化した心から逃避しているかのようだった。

 

「ああああああああああ!!!」

 

 セドリックの肉体が熱を帯びていく。

 燃え尽きる前にこそ苛烈な光を放つ蝋燭のように、彼の肉体は無意味な生存のための行動を行っていた。

 少女の根源にある、ごく当たり前の哲理までもが、悪意によって塗り潰される。

 恥も外聞もなかった。

 セドリックの苦悶の声を聞きたくなかった。シェリーは、それが限りなく望みが薄いと判っていても、彼の命を乞わずにはいられなかった。そうしなければ精神を保持できなかったのだ。

 

「うわあああああああ!!!やめてやめてやめてやめて!!!!嫌だ!!嫌だ!!お願いやめて、誰か止めて!!!誰か、誰でもいいから私を殺して!!私を殺してこんなこと止めて、止めさせて、お願い、お願いします、こんなこと早くやめさせて、誰か殺して、嫌だ嫌だ嫌だ、助けて、お願いどうか──早く、早く────

 セドリックを助けてええええ!!!」

 

 憚ることもなく嗚咽を漏らした。

 弱音を吐いた。

 けれど刃は止まらない。

 人を殺してはいけない、という当たり前の約定すらない帝王の哄笑を背に浴びて、さらに絶望した。

 助けなどないのだと。

 懇願に意味などないと。

 その笑い声が、少女と少年の尊厳全てを苛み、ハシバミ色の瞳とダークグレーの双眸を同じく曇らせた。

 

「いやだああああああああああ!!!!」

 

 ずぶずぶと、沈むように肉を貫いていくナイフの感触が気持ち悪い。がっちりと掴んだ手を離すことさえ叶わなかった。

 悲鳴は救済を求るが故だった。

 初めて神に祈った。

 初めて駄々を捏ねた。

 その全ては叶えられることはなく、理不尽な世界の運命とやらに彼女の心は焼かれていった。

 

 ナイフの鋒が肉を貫いた先で、

──声を聞いた。

 

「いいんだ」

 

 どこまでいっても彼は誠実だった。

 セドリックは、優しかった。

 セドリック・ディゴリーという少年は、彼を貫くシェリーを恨むこともなく、彼女を操るヴォルデモート卿に怨嗟の声を上げることもなかった。

 ただ、惚れた女の子が、自分のために泣くのが許せなかった。ただそれだけ。

 その女の子がホムンクルスだろうが、創られた存在だろうが関係ない。その存在が紛い物でも、その想いは本物だった。

 

「ぼくのことは、もう、だいじょうぶ」

 

 ただそれだけの理由で、身体は動いた。

 心臓に孔が開いて、取り返しがつかなくなって、到底生きていることなど不可能な肉体をほんの少しだけ動かした。

 震える唇で、彼女の精神的な負担を少しでも減らすために。それだけのために。

 

「──気にするな、シェリー」

 

 ごぶり、と血を吐いた。

 心臓を貫いたのだ。血流を巡らせるポンプの役目を果たすことなく、それはその機能を終えた。

 消えゆく心臓の鼓動を、強く握り締めた短剣を介してはっきりと感じた。

 セドリックは、死んだ。

 他ならぬシェリーの手によって──。

 

 

 

 

 

(ころ、した。わたしが、ナイフで、ころしてしまった。ころした、わたしが、ヴォルデモートにあやつられた、とはいえ、さしたのはわたしだ、わたしが──)

 

 諸人に愛され、誇られたセドリックに一つ誤算があったとすれば。彼の愛した少女のかんばせを見誤ったことだ。

 シェリーという人間は他者が苦しむことが何より許せなかった。まして、自分が原因となって人が死ぬなど、到底許容できることではなかった。

 セドリックが優しくあればあるほど、彼の死はシェリーの心に深い闇を齎す。

 彼の優しさが少女の身を焦がす。

 皮肉にも、彼がシェリーと積み重ねてきた全てが、慰撫さえ叶わぬ傷を遺した。

 底抜けに優しい二人は、優しさ故に傷付いた。一片の、ほんの僅かな憎しみさえも抱くことができなかったセドリックは、友誼の結びを永遠の慟哭へと変えた。

 彼女が揺籃に抱かれる日は、もうない。

 

 では奴達は何だ?

 

 現世からの解脱の念を抱き、全ての咎を自身に向けていたシェリーが、初めてその咎の行き先を疑問に思った。

 何故彼達は嗤っていられるのか、と。

 人の辛苦を蜜の味とできるのだろうと。

 シェリーが決して肯んぜぬ光景を、誰一人として糾することもない。

 この者どもが、一切の呵責なき狂った集団であることを理解するのに、シェリーは随分な時間を要した。

 ローズを殺して。

 ブルーを殺して。

 セドリックを殺させて。

 奴達は何を感じていた?……そう、人が死ぬのを見て面白いと言っていた。

 度し難い邪悪だ。

 こいつらは。

 自分と同程度の価値しかない塵どもだ。

 巨大な害虫がドブ臭い口で一丁前に人の言葉を喋っている。

 ……不快極まりない。駆除してしまわなければならない。この穢らわしい害虫どもが無辜の民を癇癪のままに襲うと想像しただけで総毛立つ思いだ。

 薄汚い害虫の駆除を、あんな優しい人達に任せるわけにはいかない。同じく薄汚い害虫の自分が滅ぼさなくてはならない。

 自分の周りにいた人達もこんな気分だったのだろうか。やはり自分達は早急に消え去るべきだ。骨の一片も残さず、いなくなってしまうべきなのだ。

 それが、この世に生まれてしまったことへの贖罪なのだから。本当のシェリーを殺してしまったことへの償いなのだから。

 殺してしまわねばならない。

 全てを擲ってでも、己が知り得る全ての呪詛と怨嗟を持って、生まれてきたことを恥じさせてやる必要がある。

 殺さねば、魂の鎮魂は叶わない。

 殺さねばならない──!

 

ああ、下劣な畜生どもが、

 

まだこんなにも残っている。

 

 その事実を確認した瞬間、全く使命を全うできていない自分への怒りで、その力は覚醒した──

 

 

 

 

 

 

「!!とうとう力に目覚めたか!!俺様は嬉しいぞ、その力を存分に──」

 

「黙れ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぶち殺してやる!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ローズベリー・フロランタン 死亡
死因: ハリーの水魔法の中で、妹が死ぬのを見せられながら溺死。

ブルーベリー・フロランタン 死亡
死因:ハリーの創り出した何本もの魔法の槍で心臓を穿たれ死亡。

セドリック・ディゴリー   死亡
死因:服従の呪文をかけられたシェリーによるナイフでの刺殺。
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