「…………」
シェリーはグリフィンドール生のコンパートメントの中に入ることが憚られた。
自分は日刊預言者新聞の情報操作により世間から「頭のおかしい女」扱いされるようになった身である。新聞の内容を鵜呑みにした生徒からの視線は厳しく、列車内でヒソヒソ話があちこちから聞こえてくるのでシェリーはどうもやり辛かった。
自分と関わることで友人達も対象になってかもしれない。それがシェリーにとっては忌避すべき事柄だった。
それだけならば、ベガも新聞で嘘つき呼ばわりされているのだが、彼と自分の間には決定的な差があると考えていた。
(私はセドリックを殺した)
それだけで自分と彼の間には絶対的な差が生まれている。
おまけにヴォルデモートの創ったホルンクルスときた。
自分が彼達の隣に立つ資格などない。
これまでもそういう風に思ってはいたのだが、知らない間に彼達の優しさに甘えてしまっていたのだ。
「ネビル、なにそれ?」
「これはミンビュラス・ミンブルトニアって言ってね、とても珍しい魔法植物なんだ!叔父さんから誕生日プレゼントに貰ったんだ!」
「!?おいやめろネビ……うおおっ!?」
(……楽しそうだな……)
そうは思いつつ、友人達の輪に入ってはいけないと自分を律して、トイレの中にでもいようと踵を返す。
と、そこで気付く。
黒髪の少女が憂わしげにこちらを見つめていたことに。
「……チョウ」
「あー、えーっと、シェリー。入らないの?」
「うん……今は何だか、そういう気になれなくて」
「……そう」
チョウから見たシェリーの様子は明らかにおかしかった。
目元に隈、青白くこけた頬、その様は死人のようだ。
シェリーが一年生の時は遠目から見ても細っこい少女だと思ったものだが、今の彼女はそれとも違う、今にも死んでしまいそうな、あの世からやってきたような亡霊を思わせた。
「……セドリックの、ことだけど」
「彼が死んだのは私のせい」
「ッ!」
「私にもっと力があれば彼を救うことができたかもしれないのに、それができなかった。原因はヴォルデモートにあるけれど、私も同罪なんだ。チョウに詰られても仕方ない。ごめんなさい、本当に……」
「やめて!」
悲鳴のような声で、シェリーの声を遮った。
「それ以上は……やめて」
チョウは基本的に善性の人物であり、セドリックというクィディッチを通した友人が闇の帝王の事件に巻き込まれ、側にいたシェリーに何も感じないわけではなかった。だが、シェリーがあの事件を切っ掛けとして人間性がガラリと変わってしまったとなれば、チョウのそれは焦りへと変わる。
自分の知らないところで何もかも変わっていく。
誰もがいなくなっていく。
それは、本当に、辛い。
「……そう。ああ、言っておくけど、今後私には近付かない方がいいよ。多分これから私はホグワーツで孤立していく……いやそれ以上に闇の勢力に目をつけられる可能性が高い。チョウまでそれに巻き込みたくはないもの」
「………シェリー、」
「ああ、もう着くみたいだね。じゃあ」
シェリーは足早に去って行く。
人混みに紛れるように消える彼女は、幽霊のようだった。
▽▽▽▽▽▽
「また一年が始まる!」
組み分けの儀式が終わった大広間で、ダンブルドアは年齢を感じさせぬ大きな声で挨拶を始める。今年は去年の事件を受けてか、組み分け帽子の歌が少し違っていて、寮同士の結束を促すようなものに変わっていた。……パンジー・パーキンソンはじめ、スリザリン生のつまらなさそうな顔を見ると、それは難しい問題だと思わなくもないが。
(……ハグリッドがいない?)
「ハグリッドはちと休職じゃ。魔法生物飼育学は数ヶ月の間、グラブリー・プランク先生が担当してくれる」
「あァ、拍手をどうも。よろしくね」
ぶっきらぼうな嗄れた声。気の強そうな老婆が、しばらくの間のシェリー達の先生だ。
それにしても毎年先生が変わってホグワーツも大変だなあ。
「そしてもう一人、闇の魔術に対する防衛術の──」
「エヘン、エヘンッ!」
子供が気を引くような可愛らしい咳払いに大広間中の視線がそちらを向いた。それに気付いているのかいないのか、ガマガエルのような中年の女性がニタニタとした顔で立ち上がる。
幼児でも相手ちしているかのような甘ったるい声に、ベガがあからさまに嫌そうな顔をした。
……あれは、裁判の時の!
「校長?自分の紹介は自分で致しますわっ」
「それは助かるのお」
「ホグワーツに帰ってくることができて、わたくし、とっても幸せですわん!ですがそれはそれとして、わたくしは魔法省から来た者として若い魔法使いや魔女の教育に力を注ぎたいと──」
「………魔法省!?」
ハーマイオニーはじめ、何人かの生徒は気付いたようだった。
今あの女が軽い口でベラベラと言っていることに意味はなく、本質的に問題なのは魔法省がホグワーツの支配に乗り出したということ。
おそらくファッジが先の裁判を受けて、本格的にダンブルドアとそれに連なる勢力を危険視し始めたのだろう。ホグワーツが教育機関という形をとっている以上、それを無視はできない。
たっぷり数分ほどその女は喋り続けて、話した本人さえ内容を理解しているか分からない演説がようやく終わると、まばらに拍手が起きた。
彼女が座ると同時、その男は立ち上がる。
フレッドがギョッとしたような声を上げた。ドギツいピンクの服を着たアンブリッジのせいで霞んでいたが、ホグワーツの教員席には見知らぬ人物がもう一人いたのだ。
「オスカー・フィッツジェラルドです」
端的な挨拶には何の色も見えなかった。
おそらく、生徒の誰しもが、その眼鏡の男に対してあまり関心を抱かなかったことだろう。無理もない、それ程までに存在感のない男なのだ。
だがシェリーは、どこか彼から目を離せなかった。
アッシュグレーの頭髪。
そして同系色のスーツを着込んだ彼は、その細身の身体も相まって、さながら煙草の煙のようだ。どこにでもありそうで、しかしたちまち消えてしまいそうな雰囲気だった。
その中で唯一彼を特徴づけるものといえば、オッドアイだ。その細い縁の眼鏡から覗く蒼と琥珀の瞳だけが、オスカー・フィッツジェラルドという男に彩りを与えているようにも思えた。
「私も魔法省から来た者です。アンブリッジさんの授業の補佐を務めさせていただきます。よろしく」
さらりと言うと、彼は椅子につく。
彼に胡乱げな視線を送る者もいたが、アンブリッジのインパクトが強すぎたせいか、彼の印象はどうも霞んでいた。既に彼のことなど忘れて生徒達はお喋りに興じている。
多くの生徒達が彼はアンブリッジの狗と思ったことだろう。
だが、シェリーには、どうしても。
彼が危険人物に見えて仕方なかった。
寮に戻り、シェリーは、複雑な気持ちでその手紙を見ていた。
パーシーは魔法大臣付き秘書というありえない昇進を果たした。明らかにファッジの恣意的な人事が働いており、ダンブルドアと懇意にしているウィーズリー家を見張るという意図があるのだろう。
そしてパーシーは魔法大臣に忠誠を誓った。
彼の正義は、ファッジに与することを決めたのだ。
更には、あろうことか監督生となったロンへ「シェリーと手を切った方がいい」という手紙まで送る始末。ウィーズリー家の間に不和が生まれてしまっているのだ。
「おい、ロン。シケた顔してどうした。ピザ食うか?」
「……それ厨房からくすねてきた奴だろ?やめとけよ、ハーマイオニーに見つかったら監督生権限で点数引かれるぞ。食べるけど」
「マグゴナガルが増えたようなもんだよな、まったく」
悪ガキどもがピザ食ってる。
そしてその輪の中にシレッと混じっているネビルもまた、随分としたたかになったというか、グリフィンドールの悪童から随分と影響を受けたものだ。(主にベガ)
だがその輪の中に一人、混ざっていない人物が一人。
シェーマス・フィネガンが怪訝そうにこちらを見ている。
「…………」
「……どうしたの、シェーマス」
「あ、……ああ。僕のママから、学校から戻れって手紙がやって来たんだよ。日刊預言者新聞を読んで……それで……」
あの出鱈目なことばかりかく新聞を信じたのか。
そう糾弾するような視線が悪道達から突き刺さる。しかし、シェリーの人となりをよく知らない人間からはそう思われても仕方がない。
なにせ、知らないのだ。
二年生の時、継承者はマルフォイ兄妹だと決めつけていた時期があった。三年生の時、シェリーはシリウスが極悪非道の犯罪者であると信じて疑わなかった。知らなかったことであるとはいえ、シェリー達はまんまとそれに惑わされていた。
今の彼達はそれと同じだ。
数年前までの自分達と何の違いがあるだろう?
「……だから、教えてくれよ」
「……おい、シェーマス──」
「君達のことは友達だと思ってる。だけど、いつも君達は勝手に事件に巻き込まれて知らない場所で傷つくじゃないか。せめてどういう理由で死んでしまったのか知りたいと思うのは、おかしいことか?
例のあの人が全盛の時は、たくさんの人が死んでいったんだろ?
僕達に何も分からないまま仲間が傷つくのを指を咥えて見てろってのか?」
「…………!」
「……筋が通ってないのは俺達の方だったみてえだな。何も知ることができねえ辛さは、俺達が一番よく知ってた筈だっつうのによ」
いつでも止められるように構えていたロンと、事態を聞いて駆けつけてきたハーマイオニーは痛いところを突かれたような気がした。自分達は知らず、傲慢になっていたと感じた。
元より、立場は同じなのだ。
あの事件の当事者であるシェリーやベガと友人であり、騎士団の親族がいるというだけでウィーズリー家の子供達やハーマイオニーは事情を知ることができた。
だが、彼達は未だ何も知らない。
その上で、『友人として辛さを分かちたいから知りたい』などと言われれば事情を話さないわけにいかないだろう。
「つっても、俺が来たのはちょい遅くてよ、あの日のことはシェリーの方が──」
「私がセドリックを殺した」
談話室の空気が凍った。
壊れたブリキの玩具よりも緩慢な動きで、ベガは振り向いた。
そんな話、聞いていない──!
「私が、セドリックを、殺した。服従の呪文にかけられて殺したの。でもあれは精神状態がまともなら弾けた筈……だから、セドリックが亡くなったのはひとえに私の実力不足のせい」
「な……」
「ブルーは何十本もの槍で串刺しにされた。ローズは水の牢獄の中で溺死した。だけど私は何もできなかった……」
口からぶち撒けるように彼女は言葉を綴る。
そこに込められていた悔恨は、どれだけのものだったろう。
誰よりも優しい少女が抱えた闇は、想像以上にだった。
「だけど心配しないで!私、強くなるから。あの害虫どもは皆んなには一切近寄らせないからさ。だから心配することなんてないよ。いつも通り、普通に過ごしてくれればいいの!」
かと思えば、あっけんからんとした笑顔。
そこでようやく気付く。ここ最近の覇気の無さは友人を三人亡くして消沈しているものだと思っていたが、彼女の精神状態は、今、極限まで削れているということに。
「なにを……言っているの、シェリー。例のあの人の恐ろしさは、この四年と少しで何度も味わったでしょう!?だからこそ、私達も一緒に……」
「分からないかな?足手纏いって言ってるの」
シェリーのものとは思えぬ冷たい声色に、ハーマイオニーは恐怖すら覚えた。
「足手纏いなんだよ。これまで色々事件に関わってきて勘違いしちゃったのか知らないけれど、貴方達は、少なくとも戦いという面では毛ほども役に立っていない。そんな輩が、ヴォルデモート達と戦う?つまらない冗談だね」
「シェリー、お前──」
「ベガ、貴方は強いけど仲間が傷つくのを極端に恐れる悪癖がある。味方に危害が及ぶ可能性があれば、その後の状況なんて度外視で助けに行ってしまう。
駄目だよ、そんなんじゃあ。今まではそれで上手くいっていたのかもしれないけど、いつかそんな甘さに付け込まれる日が来る」
「…………」
ベガはその言葉を否定できなかった。
一年生の時、先のことまで考えずトロールの攻撃からシェリー達を庇った。
二年生の時、バジリスクの被害が出てしまうかもしれないと、彼は現場へ急行した。
三年生の時、グレイバックへの囮役を買って出た。
四年生の時、ネロ達がこちらを騙しているかもしれないと分かっていながら、シェリー達を救うため彼の提案に乗った。
ベガ・レストレンジはどうしようもなく甘い。
幼い頃に親友を目の前で亡くしてから、彼は誰かを切り捨てられない人間になった。
その認識に、間違いはない。
「そもそも、今のグリフィンドールで私に敵う人はいない。上級生含めてね。私程度に勝つことができない人が、これから先の戦いについていける筈もない……だから私がヴォルデモートを殺すその時まで、貴方達は大人しく、……生きてさえいてくれればいい」
「……そいつはできねえ相談だなァ。パパママ助けてのガキじゃねえんだ、自分の身は自分で守るに決まってんだろ。
あと言っとくが、思い上がんな。最強は俺だ」
「……試してみる?」
「俺ァ構わねえぞ」
それでもベガは、シェリーの言い分を認めることができなかった。
彼女の主張を認めれば、彼女はたちまち一人で立ち向かっていってしまう。命をも省みぬ特攻で、無茶をしてしまう。
いや、それ以前に。
今ここで彼女を一人にするのは、
何か、無性に、駄目な気がする。
だから、戦ってでも止め──
「やめろ二人とも!!」
「…………ロン?」
剣呑とした雰囲気の二人にも臆せず、赤毛の少年は二人の間に立ち塞がった。ハッとして周りを見れば、シェーマスは顔を青くしているし、下級生はぶるぶると震えている。
……しまった、やり過ぎた。
「僕達の敵は例のあの人だろう!ここで仲間と傷つけ合うことが今この場でやるべきことか!?今は団結の時だって、ダンブルドアも言ってたろ!!」
「…………」
「………。まあ、いいや。私、寝るから」
「おい、シェリー!」
呼びかけにも応じず、シェリーはどこかへ行ってしまう。
その背中は、とても小さなものに見えた。
(シェリーの奴、一人じゃどうしようもねえから皆んなでどうにかしようって話じゃないか。焦りやがって……!)
ロンも、ハーマイオニーも、ひいてはグリフィンドールの誰しもがその背中を追うことができなかった。
そして──シェリーは。
決定的なまでに。
シェリーはグリフィンドールの仲間達との関係が決裂したのを感じた。
(…………)
気付けばシェリーは、禁じられた森に来ていた。
別段ここを怖いとも思わなくなった。森の奥深くへと踏み入りさえしなければ、ここは気を落ち着かせてくれる静かな場所だ。校則違反になってしまうのだろうが、もう、どうでもいい。
退学になるならそれでもいい。
ヴォルデモートさえ殺せるのなら……、
「ルーナ?」
「ん。あんたも来たんだね」
月明かりに照らされる彼女はどこか神秘的なものがあったが、シェリーの視線はそれより奥を見据えていた。黒毛の、ひどく痩せ細った 馬だ。骨のような羽根があるのを見るに、天馬の近縁種だろうか。
シェリーはこの生物に見覚えがある。
今年から馬のいない馬車を引くようになった生物で、しかしシェリー以外の人間には見えていなかった摩訶不思議な生き物だ。
「あれはセストラルだよ」
「……死の瞬間を見たことがある人にしか見えないっていう?」
「うん。私の場合はお母さんがね。魔法の実験が好きな人だったんだけど、その実験の最中に、ね」
「………それは、辛かったね」
そこで、はっと気付く。
ルーナも大事な友達の一人だ。故に、血塗られた自分などに関わらせていい人間ではないというのに、べらべらと話を──。
──まあ、今は誰も見ていないし……。
摩耗した精神はそんな選択をしてしまった。
何となく、ちょこんと隣に座る。
暫くの間、アンモラルな肉体のセストラルを感傷しながら呆けていたが、不意にルーナが言葉を紡ぐ。話題を切り出したというより、レイブンクロー特有の、好奇心に近いモノが故の行動だった。
──なんで一人でいるの?
という、シェリーが今もっとも聞いて欲しくて、けれど触れてはほしくなかった事柄だった。
「ちょっと、喧嘩して……」
「ふうん」
「……あまり興味なかった感じかな」
「あたしはあんまり友達多い方じゃないから、喧嘩もしたことない。だからその感覚がよく分かんないからね」
「……そっか」
ルーナの友情に対する理解は浅い。知識として知ってはいても、経験が伴っていないのだ。なればこそ、グリフィンドールの生徒達のようにシェリーを大切に思ってはいても、そのアプローチは違ったものであった。
この安息は、そういう理由か──。
「でもあんた幸せもんだよ。そういう風に言ってくれる人がいて」
「……うん。本当に、恵まれてるって思うよ。本当に……」
シェリーは、大切な人がこれ以上目の前で死なれてはきっと壊れてしまう。彼女自身それが分かっているからこそ、死と隣り合わせの自分に近付けさせたくはないのだ。
今ボガートと対面すれば、仲間の死体が出てくるだろう。
ああ、
想像するだけで、恐ろしい。
▽▽▽▽▽▽
「いい加減黙れよ豚野郎」
教室がしんと静まり返る。
シェリーは自分がここまで単純だったことに内心驚いていた。
目の前には信じられないものでも見るかのような目を浮かべ、口をぱくぱくさせているガマガエル女の姿があった。
事のはじまりは数分前。
アンブリッジが補佐のオスカーにプリントを配らせ、その冗談みたいな内容にグリフィンドールの生徒達は目を疑った。授業中の私語は厳禁、質問は手を挙げてから。というのは分かるが、アンブリッジとオスカーに口答えした場合、即・罰則というのは度が過ぎている。
彼女達に対する罵詈や意見は、ひいては魔法省に対する反逆の意思有りと見做すとか何とか。
「為政の中心たる魔法省に対し忠誠が誓えないというのは社会不適合者と同じなのです。魔法省の庇護を受けず、勝手に暮らして独自の勢力を持つ巨人族やケンタウルス族と同じ。半ヒトと同程度の尊厳しか持たない出来損ないと同じなのです──あらやだ私ったらつい汚い表現を、おほほほ」
「っ、それは彼達に対する冒涜──」
「お黙りなさい!……質問は手を挙げてからよ、ミス・グレンジャー」
幼児でも相手にしている風だった魔女が一瞬見せた鬼のような形相に一瞬怯むも、ハーマイオニーは姿勢を正し手を挙げる。
魔法省の方針もそうだが、度々ケンタウルスに助けられ、狼人間であることに苦悩している人物をよく知る彼女にとってアンブリッジの侮辱は許せないことだったのだ。
彼女はかつてルーピンを獣同然と罵ったことを後悔している。
しかしあくまでアンブリッジは厚顔だった。
「ねえミス・グレンジャー。魔法省が敷いた法に背くのって、すっごく悪いことじゃなあい?だから彼達はとっても悪い連中なのよ」
「しかし──」
「はい、それじゃあ授業を始めます!皆んな教科書は持ってきたわね?よろしい。中身を音読すること!大きな声で、ゆっくりと!」
糞のような内容だった。
闇の魔術に対する防衛術において、杖を使わない授業など有り得ない。そりゃあいつかのスネイプの狼人間講座のような時もあったが、それにしたって教科書になしっかりと『どこに気を付ければいいか』『出逢った場合どうすればいいか』についての記述があった。
この教科書にはそれがない。
例えるなら、野山でも生きていけるためのサバイバル術を学びにきたのに自然が人間の心に与える影響についての理論を聞かされているような感じだ。広義のジャンルは同じだが、趣旨がズレている。
仮にも本という媒体である以上、全く意味のないことを書いている訳でもないが、少なくとも『ふくろう試験』には無縁の知識であることに間違いないだろう。
(あるいはそれが狙いか。私達から反乱するための力を取り上げるという目的で──)
何にせよ、試験が迫った今年の五年生と七年生は可哀想だと思う他ない。
とはいえここで歯向かっても時間の無駄、せめて頭の中で他の授業の復習でもしていよう、それともヴォルデモートに対する凄惨な殺し方でも考えていた方がいいかな?などと思っていると。
「グリフィンドールから一点減点」
「………えっ」
「別のこと考えていましたね?授業に集中しないなんていけない生徒ねえ」
確かにその通りだが。
シェリーは目立つと虐められた幼年期と嫌でも目立つホグワーツでの経験から、視線には敏感な方だ。だからアンブリッジがこちらを見ていない隙を見計らっていたのだが……。あれは、シェリーを見せしめにする意図があってのことだろう。
彼女に授業計画にはシェリーを不当に罰することが組み込まれていた。というかこの授業で集中も糞もあるか。何に集中しろというのだ?
(……気を抜いていたのは事実。いけないな、きちんとこの本からも知識を吸収しないとそれこそ時間の無駄に──)
「そんな心持ちだからあんな嘘も吐くのかしら?神聖な魔法学校対抗試合をあのような形で穢すなどあってはならないことですわン。ましてや痛ましい死亡事故を妄言で改変するだなんて」
(……………)
「皆さんも見習ってはいけませんよ、セドリック・ディゴリーとフロランタン姉妹は事故によって死亡したのです、魔法省はこの結果を重く受け止めより盤石な体制を──」
「いい加減黙れよ豚野郎」
シェリーはもう我慢ならなかった。
アンブリッジがシェリーを怒らせて見せ物にする狙いがあったのだろうが、そんなことは頭の中からすっぽり抜け落ちていた。
それに、反則だろう。
セドリック達の名前を持ち出されては──。
「ああ、すみませんね。それにしてもこの教科書は何です?意味のない紙屑を読ませてホグワーツの戦力を削ぐつもりですか?へえ、足りない脳味噌でよく考えましたね、えらいえらい。
いい死喰い人になれますよ」
「黙りなさい、ポッター」
「ああでもやっぱり無理かな。たかだか学校の生徒達に怖がっている程度じゃあ、貴方の底の程度も知れるというもの」
「黙りなさいと言ってるのよ!!」
アンブリッジは激昂した。
「貴方は罰則よ!!いいわね!?」
「……」
「返事をしなさい!!」
「ああ、黙れと言われたものですから」
「っ、この……!」
怒り心頭のアンブリッジは、激情に身を任せ杖を振る。
短い悲鳴が上がる。しかし、その魔力が発射されることはなく、射出台たる腕ががっちりと万力のように抑えられていた。
屈指の反射神経を誇るベガが彼女を止めたのだ。
「そこまでにしといてくれや、先生」
「……!!貴方も罰則よ!!」
「マジかよ」
ベガはバツの悪そうな顔をしたが、少なくとも二人の行動は、獅子寮の彼達に対する認識を改めさせた。
まあ魔法省が狂っているのが伝わったのと、最悪の事態が避けられただけマシか、とベガは席に着こうとして、
ふと視線を感じた。
「…………、っあ」
補佐のオスカーが、手を伸ばした姿勢で固まっていた。
アンブリッジが魔法を使おうとした瞬間に咄嗟にそれを止めようとして、しかし自分の立場を思い出し止まっている、といったところか。
オスカーはしばらく視線を迷わせた後、グッと唾を呑み込み、元の場所に戻る。
──魔法省側ではあるが、善人、なのか……?
後日、シェリーとベガはアンブリッジの部屋に向かっていた。
ベガはバックれようかとも思ったが、下手に刺激してグリフィンドールへの風当たりが強くなっても困る。なればこその判断だ。
それにシェリーばかり理不尽な目に遭うのも違うと思う。
……しかし、まあ。
空気が重い。
「……いやァ互いに災難だな、あの女から目ェ付けられて」
「…………そうだね」
「一体どんな無理難題を課されるのかね。お前はどう思う?」
「…………さあ」
前を歩く彼女からの返答は素っ気ない。
談話室で決裂したからか、シェリーは一人で過ごす時間が多くなった。心を開かず、自分の殻に閉じ籠っている。現状、彼女は獅子寮で孤立してしまっているし、彼女もそれを是とした。
しかし、罰則に巻き込んでしまって申し訳ない気持ちと、こちらの呼びかけに無視するのも忍びなさで返事を返していることを察すると、つくづく悪役に慣れていないな……などと思ってしまうベガだった。
と。
アンブリッジの部屋の戸が少し開かれていた。中の話し声が漏れ出ている。この声は、部屋の主であるアンブリッジと……オスカー、だろうか。
……言い争っているような語気だった。
「アンブリッジさん、そんなことを生徒に?いささか横暴すぎるのでは…」
「分かってないわねン。私達が厳しく接するからこそ、魔法省もホグワーツに対して存在感を示せるのよ」
「……しかし……」
「オスカー、あなたはここの職員である前に私の部下でしょう?だったら個人の意見と私の命令、どちらが優先されるべきものか分かるわね?」
「……ッ、失礼します」
オスカーが部屋から出ると、シェリー達と出くわした。
彼は二人に気付くと、どこか申し訳なさそうに、
「……すまない」
と言って去っていく。
……アンブリッジの行動に思うところがあるのだろうか。
魔法省も一枚岩ではない。例のあの人の復活を信じられなくとも、今の魔法省がおかしいことくらいは分かるだろう。
ましてやその歪みの塊のような女の側近であれば尚のこと。
話次第では、味方になってくれるだろうか。
ともあれ罰則を受けなくては。
「いらっしゃい、ンフフフ」
「……こんにちは」
「……ちーす」
こいつの声を聞くとげんなりする。
辟易とした二人は、中の様変わりっぷりを見て更に頭がクラクラした。およそ壮年の女性の部屋とは思えない少女趣味だ。ピンク色の空間に動く猫の写真がズラリ。年頃の少女であってもキツい部屋だ。
「じゃあ早速罰則を」
「お〜〜っと!その・前・にィ」
「何すか」
「お茶でも飲みましょう?大丈夫何も入ってないから」
嘘をつけ。
手渡されたカップには滅茶苦茶怪しい気配が漂い、アンブリッジも二人が飲む瞬間を期待の眼差しで見つめている。……入っているのは毒か何かか?
「……そっちのカップの方美味しそうだなア〜」
「駄目よ!!貴方達はそっち!」
(絶対何か入ってんじゃん)
カップを机に叩きつけたい衝動を堪えて、あくまで紳士らしく淑女らしく振る舞うことにする。紳士らしくベガは机の下で杖を動かして何やら魔法をかけているようだった。
シェリーもそれを見て、まあ彼が何かしてくれているなら大丈夫かな、と口の中に紅茶を含む。念のため、あくまで含む程度だ。
「…………?」
「ぶっ!?この紅茶腐ってんだけど!?」
「えっ」
「は!?う、嘘おっしゃい!そんなわけ………ほんとだ………」
普通に悪くなってた。
お茶の中に何か混ぜるとかそれ以前の問題だった。
「真実薬を無駄にしてしまった……でもたかが薬如きにケチケチするのは貧乏人の考え。スネイプせんせにもっかい調合させればいいだけの話ですわっ」
(分かってて言ってんのかこいつ?)
「ええ、さて、罰則でしたわね。はいこれ。このペンで『私は嘘をついてはいけない』と書いてくださいな」
「ペンなら持ってきましたけど」
「いいのよ、こっちのペンを使いなさい。ンフフフ、便利よ、それ。インクが要らないんですもの」
「……どれだけ書けばいいんです?」
「身に染みて覚えるまで、よ」
彼女の虫でも見るかのような濁った目が、ペンに何か仕込んでいると言外に告げていると察しつつも、シェリーとベガはひとまず従順な態度を示すことにする。
アンブリッジのペンを握りしめ、その一文を書いたところで、異常は現れた。
「ッ!」
「うっ…!?」
ペンを持つ腕に痛みが走る。
その部分だけ熱を帯びているかのようだ。白いシャツに、若干ではあるが血が滲む。そしてアンブリッジのニマニマした顔を見れば、それが仕組まれたものなのは明白。
ダメージを肩代わりする魔法には心当たりがある(つーか去年見た)。おそらく、ペンで書いた事柄を腕に移す魔術式が組み込まれているのだ──!
(胸糞悪ィ魔術だ。俺達に文字を刻み込むつもりか。こっそり杖を使えばダメージの行き先を操作できるんだが……
いや、それじゃアンブリッジがつけ上がったままだ)
あのガマガエル女がこのまま優越感を覚えたまま終わるのは気に食わない。それはベガのプライドが許さない。シェリーもまた、ベガに痛みを与えているという事実に苛立っているようだった。
罰則は日が暮れるまで続いた。
きっと、腕には『嘘をついてはいけない』という文字の形に腫れた痕があるのだろう。これが続けば、傷はますます治りにくくなる。
しかし問題は痛みそのものではない。
その傷が残れば、アンブリッジに心のどこかで屈服してしまう。
「ンフフフフ、嘘をつくことの重みを身をもって味わったかしら。これからもここに来て、嘘をつくことの愚かさを知ってもらうわよ」
「…………」
「…………」
だから、二人は。示し合わせたようにペンを握り、
自分の腕に突き刺して、
そして横一線に引き裂いた。
「!?な……な……」
腕から血が勢いよく流れ出る。
通常のペンで傷つけるよりも痛みは二倍。見た目以上の痛みが彼達を襲う。
一瞬、苦悶するが、それでもこの程度の痛みなど何てことはないと猛禽類よりも鋭い目をぎらぎらと浮かべる。痛み?苦痛?知ったことか!
「あァ、悪ィな先生。痒かったもんで、ついかいっちまった」
「そのペン、弁償しますね。今度はもっとマシなペンを買うことをお勧めします」
口をぱくぱくさせたアンブリッジを尻目に、二人は退室する。
これは挑戦状だ。
「お前の嫌がらせになど屈しないぞ」という──!
「この程度で痛いだとか思わない。私には、どれだけの苦痛が待ち構えていようとも殺さなければいけない相手がいるのだから──!」
◯オスカー・フィッツジェラルド
本作品最後のオリジナルキャラクター。
蒼と金の眼を持つオッドアイで、眼鏡をかけている。燻んだアッシュグレーの髪で、似た色のスーツを着用。
アンブリッジの側近。ホグワーツでは彼女の授業補佐をしている。
どこに行っても溶け込めるが、どこに行っても消えてしまうような、煙草の煙のような男。
生徒達からはつまらない役人だと思われている。レイブンクロー出身。